緑に覆われた山の中、か細い獣道を頼りに木々の奥へと進んで行く。ここは山の中腹辺りで、村からはかなり離れた、それこそ山の反対側の位置だ。太陽は天頂に達し、熱を帯びた光を飛来させているが、深い枝葉のおかげでさほど苦に感じない。風も適度に吹いており、私は過ごしやすくすら感じていた。
「おーい!どこだー!ヒダルソウー!」
サヤは研究者と聞いていたから、偏見だがあまり動けないんじゃないかと思っていた。だが違ったようで、汗をかき息も上りはするが、ご覧の通り元気に走り回っている。趣味でスケートボードをやってるらしく、それで体力がついたのだろう。意外な趣味だな。
「呼んで出てくるものではないだろ。しかし見つからないな」
そう言うと、隣から何度目かの溜め息が聞こえてきた。サヤのやる気もすっかりなくなっている。私にもそれが伝染してしまい、少し気が落ち込んでいた。
「すっかりお昼なのだ……。村のおじいちゃんおばあちゃん達からの目撃情報もあったのに……」
「……まあ、たまに見るって話だったがな」
旅館から山へ行くまでの道中で会った老夫婦の証言を思い出す。ちょうど朝早くから農作業をしていた彼らは、余所者の私達にも丁寧に対応してくれた。
曰く、
「________ワシら村のもんは、獣道に沿って山菜採りをしとるんじゃ。その時にたまにヒダルソウを見るのう!」
「本当か!?なら獣道を探せばすぐなのだ!」
「情報提供、感謝する」
「いいってことよ!カッカッカッ!」
快活に笑うお爺さんに軽く一礼する。整備された山道はないと聞いていて不安だったが、獣道があるのなら登山の難易度もグッと減る。これならすぐに見つかるだろう。私とサヤは視線を交わして喜んだ。
「ところでヒダルソウを見つけたら、村の人達も採集するのか?」
ふと気になったことを聞いてみた。するとのんびりとした口調でお婆さんが答えてくれる。
「いいえ、ヒダルソウは食べられませんからねぇ。私らは採りませんよ」
「カッカッカッ!それにヒダルソウに用があるってんなら、村で……」
「ああ!あなた!」
「おおっと!」
「ん?どうしたのだ?」
「い、いやぁすまんな。なんでもない!」
「それより私らもそろそろ仕事がありますからぁ」
「あ、ああ。分かった。引き止めてすまない」
また大きく笑い、お爺さんは何かを言おうとしたが、お婆さんが慌てて止めてしまった。そしてせかせかと畑の方に行ってしまった。
一体何だったのだろう?……まあ、気になるが、そんな交流があったのだ。
「________どうせならもっと聞き出せばよかった!あのじいちゃんばあちゃん、絶対何か知ってたはずなのだ!あからさまだったもん!」
「そう言うな。余所者には言えんこともあるだろう。そう言う文化とか風習なのさ」
「文化、風習……そう言えば」
屈んで草を掻き分けていたサヤは何か思い至ったようで、私に向き直りハンカチで口元を覆った。旅館の女将達……そして今朝の老夫婦のように。
「女将達もそうだけど、あのおじいちゃんおばあちゃんもフェイスベールをしてたのだ。いや、フェイスベールって言っていいのか分からないけど、口元を隠している。何でだろう?」
「ああ……確かに気になるな。似たような風習はどこかにあるか?」
「いや、ぼく様の知る限りここだけなのだ。催事の衣装ならともかく、常に口元を隠してるのは聞いたことがない」
サヤはハンカチを下ろし、深く考え込む。私もヒダルソウを探す手を止め、この村の文化考察を始めた。
『科学的な真偽はさておき、その土地に住む人達の積み重ねた歴史と経験則が織り込まれていることが多い。だからこう言う話にも思いもよらない発見があったりするのだ!』
昨日のサヤの言葉はその通りだと思う。ヒダルソウを神の草と崇める村の風習、歴史と経験則を突き詰めれば、もっとヒダルソウについて理解できるかも知れない。そして理解すればすぐに見つけることができ、その後の研究も捗るかも知れない。
……とは言っても、私の盤面にある情報は少なすぎる。この村には来たばかりだからな。サヤも同じ結論に達したようで、大きな耳のある頭をブンブンと振っていた。
「ああもう、考えてもしょうがない!……ヒダルソウは地道に探して、ついでに女将とかから村の風習とかヒダルソウの話を地道に聞いて……うん、地道にやるしかないのだ」
「それもそうだな。すぐ帰るわけでもないだろ?」
「うん、1週間は泊まる予定。だからそれまでに見つければいいのだ。ヒダルソウを持ち帰って、ついでに村とヒダルソウのレポートを書いてもいいかも知れないな」
「フフッ、立ち止まってられないな。探索を再開しよう」
(腹の虫の音)
決意を新たにした途端、私達の腹が盛大に悲鳴を上げた。今顔がキリッとしてたと思う、なのにこのタイミングでか……恥ずかしいし気まずい。
「あ〜……ま、まあちょうどお昼だし!腹拵えでもするのだ!」
「あ、ああ、そうだな!さっき見つけた開けた場所に行こう!あそこなら足も広げられるし虫もいないはずだ!」
2人してちょっと声を上擦らせ饒舌になりながら、私達は来た道を引き返した。……おや?
「お、ちょうどいいところに」
「どうしたのだ?」
「ああ、ウルイを見つけたんだ。生でも食べられるんだぞ、少し貰って行こう!」
獣道から少し離れたところに見覚えのある山菜、ウルイを見つけた。真っ白な茎と青々とした葉っぱ。小松菜に少し似ているだろうか。ネギっぽいぬめりがあって味はほろ苦い。何度か山の中で潜伏した時によく食べていた、とても美味しい山菜だ。
早速いくつか採集して……と、手を伸ばした瞬間、
「バカ!触るな!」
「っ!?どうしたサヤ!?」
駆け寄って来たサヤが鬼のような形相で、私の手を掴んで後ろに引きずった。
「なっ、何だ!?」
「注意事項忘れたのか!?知らない植物には触っちゃダメなのだ!」
「いや、忘れてはない。あれは知ってる山菜だから問題ないだろう?」
「大問題なのだ!あれはウルイじゃない!モドシユリの葉っぱだ!」
「モドシユリ……?」
聞いたことのない植物の名前に首を傾げているとその場に座らされ、サヤ先生の緊急授業が始まった。要約すると、先ほど私が採集しようとしたのはモドシユリと呼ばれるこの自治区特有の……ウルイと同じユリ科の植物。毒性があり、食べると酷い吐き気に襲われて名前の通り戻してしまうのだとか。
「危なかった……!」
「全く、これだから素人は困るのだ。植物には見た目は同じだけど別種で、安全な奴と危険な奴があるのだ。見分けられなくて誤って食べたら中毒になりましたってこともあるから、気をつけて欲しいのだ」
「ああ……列車の中で聴いた気がするな」
「……そう言えば話の途中で駅を出たっけ。悪かったのだ、この自治区の山の中では気をつけろって伝え忘れてたのだ……」
「いや、いいんだ。助けてくれてありがとう。もし食べてたら……ゾッとする」
「まあ、分かればいいのだ。さっ、お昼にしようか」
手を差し出されたので、ありがたく掴み、立ち上がらせて貰う。改めて獣道を引き返し、昼食の準備を始めた。
________先ほどここは山の反対側と言ったが、その麓にはそこそこ大きな街があった。今下山したら辿り着くだろう。サヤはその街を知っていたようで、
「あそこには駅があるのだ!だからこの山に道を引けばもっと楽に来れたのに!あんな1時間もタクシーに乗らなくてよかったのに!」
……と愚痴っていた。こればっかりは仕方ないだろう。この山は村の大切な神域なのだから。
さて、私達が昼食を取る場所はその麓の街が一望できる開けた場所だ。家一軒分くらいの広さの原っぱになっていて、私達はそこに座って携行食を取り出し、
「いただきます!」
「いただきます」
2人でもそもそと食べ始めた。
「あんまりこう言うの食べないけど、結構美味しいね。……サオリは食べ慣れてるのか?」
「まあな、特にこのレーションは腐らないし味もいい。ここまで技術が進歩してるとはな……」
「……昔のレーションはどんなだったのだ……?」
顔を顰めつつレーションを頬張るサヤから目を逸らす。ノーコメントだ、思い出したくない。
他にもカロリーバーやチョコレートを食べ、登山ですっかりくたびれた体に栄養を行き渡らせる。ずっと歩いていたからいくらでも食べることができて、持ち込んだ携行食は全部なくなった。
「お腹いっぱい〜!……なんだか眠くなってきたのだ」
「フフッ、せっかくだからもう少し休んで…………待て」
手と口を止め、振り返る。サヤも気づいたようで、大きな耳をピンと広げた。
(鳥の悲鳴と羽ばたく音)
朗らかな空気が一気に消え去り、重苦しい緊張感に支配される。全身に鳥肌が立つ、喉がキュッと絞られる感覚がする、目を見開いて木々の向こう側、暗闇の中を見つめた。
「……何か来る。近づいて来てる!」
それ自体が音や匂いを発しているわけではない。まだ姿も見えない。だが鳥の群れが散るほどの異様な雰囲気、威圧感がここまで感じ取れる。そしてそれが真っ直ぐこちらに近づいてるとすぐに分かった。
「な、な、何なのだ……!すごく……すごく怖い!」
青ざめ、サヤはハンドガンを構えた。私もアサルトライフルを握るが……勘が告げている。絶対に効かない、敵わないと。サヤも同じらしく、照準が見事に震えていた。
「ううっ……嫌……!」
「…………!」
迫り、威圧感を増す何かに遂に気圧され、後退ったサヤを守るように前に出る。だが私も正直言って逃げたい。だが間に合わないだろう。どうする、どうしよう、どうしたら……!
『つまり注意事項は……山に入る時は村の作物を食べておくこと、ということか?』
『左様でございます。お腹が空きましたら、このおにぎりをお食べ下さい』
「っ!!サヤ!口開けろ!」
「えっ!?もがっ!!?」
私はバッグからすっかり存在を忘れていたおにぎりを取り出し、自分とサヤの口に突っ込んだ。冷めててもふんわりとして程よい塩加減のお米、あまじょっぱくて美味しい佃煮、緊急時でなければ味わって満喫して食べていただろう。だが今は噛み締めもせずにさっさと胃の中にぶち込む。少し苦しくなって、水を飲み、強引に流し込む。すると……、
「はぁ、はぁ……気配が消えた………?サオリ……」
「咄嗟に思い出したんだ、女将からの注意事項を」
山に入る前には、お腹が空いたら先におにぎりを食べようと決めていたのに。さっきまで忘れていた自分に腹が立つ。そしてもし思い出せなかったらと思い背筋が凍った。
「……じゃあ、あれがヒダル様……ってこと?」
「さあな。だが……私達の理解の及ばない存在がこの山に、この村にいるってことは確かだな……」
サヤは大きな丸い耳を掴んで、頬に寄せて包み込んだ。持ち前の明るさがどこかに行ってしまったその姿が痛々しく感じる。守ってやると言って安心させたいが、先ほどの気配を思い出すと私も怖い。守ってやれないと思う。
________その後、私達は探索を切り上げて村へと帰った。道中は会話らしい会話もなく、2人して気を張って周囲を警戒していた。日が落ちる前には下山することができ、麓から改めて山を見る。さっきまでいたその場所は、神域は、ひどく恐ろしいものに見えた。
幕間・サオリのバイト飯
15.蟠桃(ばんとう)
食べた時のバイト:旅館の仲居
説明:桃に似た果物。キヴォトスでは⬛︎⬛︎自治区でしか栽培されておらず、契約している店を優先的に下ろしているため、少量しか市場に出ない高級品らしい。旅館は農家と契約していたため大量に届いていた。
コメント: 桃と比べると水分が少なくジューシーさは感じないが、その分歯応えがあり品のある甘みを感じる、とても美味しい果物だった。旅館のおやつとして毎回出されており、バイト後半では体から微かに晩冬の匂いがしたくらい食べた。あの時は細胞の半分くらいが蟠桃でできていたと思う。本当に美味しかった。
後に運良く市場に出たものを食べたが、旅館で食べたものの方が新鮮だったな。