________女将は激怒した。善き村人になると信じていた宿泊客、錠前サオリと薬子サヤが逃げ出した。その上、逃げながら村の畑の作物を盗んでいるのだ。
「女将!うちのトマトがやられた!何個か持ってかれてる!」
「こっちのきゅうりもよ!明日収穫しようと思っていたのに!」
「ああ、オラの大根が!!」
「パプリカとズッキーニも!!」
各所から上がる被害報告。所詮2人だけだから盗まれたのは大した量ではない。しかし丹精込めて育てた作物を少しでも盗むのは畜生の所業。猪や猿などと毎年戦ってる身としては、到底許せることではないのだ。
しかしそれが一時的なものに過ぎないと言うのも事実。きっとヒダルソウが馴染めば、村を好きになった彼女達は自分の所業を後悔し、泣いて詫びてくるだろう。あの日、大暴れした植物学者の老夫や散々悪態を吐いていた若夫婦がそうだったように。戻ってきた時に慰めてやり、畑の手伝いをさせてやればきっと彼女達も村のコミュニティにすぐ馴染めるはずだ。
そう思い至った女将は一度怒りを鎮めるために深呼吸、そして集まった村人達に的確な指示を飛ばす。農具と自動小銃と無線機を抱えた村人達は村の方々に派遣され、草の根を分けての大捜索を行った。
「彼女達は今ヒダルソウのせいで弱っており、生徒とは言え激しい運動はできないはずです。すぐに見つかるでしょう」
そんな予測を立てて、何なら余裕綽々で、女将は旅館に設置された仮説の捜索本部で報告を待っていた。いやしかし、ここまでの大捕物はいつぶりだろうか。女将はこれまでの人生を振り返る。
旅館の1人娘として産まれ、赤ん坊の頃に両親によって食べさせられたヒダルソウを誇りに思いながら大人になった。そしてヒダル様の信仰を絶やさぬために、この村に新しい血筋を入れるために、村にやってきた観光客を村人に変える役目を賜ったのだ。
所詮は観光名所のない農村、自然や静寂を求めてやってきたもの好きか自殺志願者しかやってこないが、その僅かな客の中から気に入ったものを厳選し、ヒダルソウを食わせてやる。自分の目利きには自信があった。なんせ今の今まで問題なく村人に変えることができたのだから。
「オホホホ、サオリさん、サヤさん。貴女達もすぐに、ヒダルソウとヒダル様の素晴らしさに気づくでしょう。さあ、早く出てきなさい。早く、早く!この村の民になりましょう……!オホホホ」
ペットがおいたをした時の飼い主のような、困った子ね、でもしょうがないわね、許してあげる……と言うような上位者としての慈悲を、女将はサオリとサヤに向けていた。そんな傲慢さに自分でも気づくことなく、女将は吉報を待っていたのだった。
……しばらくして、無線機に通信が入る。
「女将!見つけた!サオリちゃんとサヤちゃん、山に入ってったぞ!」
「山……!何ですって!?」
こんな夜中に山に入るなんてとんでもない!慣れた者でも遭難する可能性があり、単純に危険だ。村人になる者が遭難なんてしたら大変だ。女将は村人達を山の入り口に集結させ、自分もそこへと向かった。
「皆さん!山狩の用意は!?」
「カッカッカッ!できてるぞ女将!全く最近の若いのは元気いっぱいだなぁ!」
おにぎりを貪りながら、元植物学者のお爺さんが高笑いする。他の村人も何かしらを食べ、山に入る準備ができているようだ。
「笑い事ではありません!新しい村人になる子達ですから、怪我なんてしたら大変です。皆さん!サオリさんとサヤさんを……新たな家族を迎えに行きますよ!」
「おーーーーーーっ!!!」
集まった村人達の声が夜の闇の中に響く。そして懐中電灯やランタンなどの光源をつけ、女将を先頭にして、捜索隊は山の中に入った。
各自で彼女達の名前を呼びながら、獣道を中心に捜索を行う。自分達も逸れて遭難しないようにするために、捜索範囲は少しずつ広げる。ああ、サオリさんとサヤさんは怖い思いをしていないだろうか?どこかで怪我をしてないか?焦る気持ちもあるが、それに身を委ねて考えなしに捜索をしたら自分達が遭難してしまう。落ち着いて、だが迅速に、女将と村人達は捜索を続けた。
……しばらくして、1人の村人が叫んだ。しかしその叫びには、お目当てのものを見つけた喜びではなく、とんでもないものを見つけてしまった恐怖がまとわりついていた。
その声の方へ女将は向かった。他の村人もゾロゾロと集まる。そしてすぐに異臭に気づいた。とても濃くて酸っぱい匂いが、辺りに充満している。その中で村人の若い男が腰を抜かして座り込んでいた。
「どうしました?何か見つけましたか?」
「あ……あれ!た、祟りの草がぁああ!!」
駆け寄り、様子を確認すると、男は怯えた様子で指を刺した。その先には葉っぱをちぎられた山菜があった。あの山菜に見覚えがあった。女将と村人達は皆表情を歪ませた。あれは禁忌の、祟りの草だからだ。
「モドシユリ……!こんなところに……!」
「おい!周りを見てみろ!」
不意に1人の村人が叫んだので、言われた通りにモドシユリの周りを見やる。瞬間、女将はそこへ飛び込んだ。
「おい!女将!!」
「ああ……ああ!!何てことを!?」
飛び込んだ拍子に、そこに撒き散らされた胃液と吐瀉物と土まみれになる女将。そしてその手には、血が付着した細長い根を持つ植物……ヒダルソウを抱えていた。
「錠前サオリ!!薬子サヤ!!どうして……どうして吐き出してしまったの!?せっかく村人にしてあげようと!家族として迎えてあげようとしていたのに!!」
彼女達の胃に寄生することが出来ず、力無く生き絶えた信仰の象徴を天に掲げて女将は慟哭した。周囲の村人達も嘆き悲しみ、そして件の2人に怒り吠える。
「うちらの作物を盗むだけじゃなく、ヒダルソウを吐き出すなど禁忌じゃ!!許せん!!」
「絶対に逃すな!とっ捕まえて罰を下してやる!!」
「村のために!ヒダル様のために!!」
「村のために!ヒダル様のために!!」
「村のために!ヒダル様のために!!」
「村のために!ヒダル様のために!!」
「村のために!ヒダル様のために!!」
「村のために!!!ヒダル様のために!!!!!」
一頻り叫んだ後、2人分のヒダルソウを大事に胸に抱き寄せ、女将は村人達に向き直る。
「錠前サオリと薬子サヤを絶対に捕まえます!モドシユリを食べて無理矢理吐き出したのなら、かなり衰弱しているはずです!まだ近くにいるはず、絶対に見つけますよ!」
「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!!!!!!」
村人の士気は最高潮に高まっている。これなら問題はないだろう。村人達を見回し、決意を新たに、女将はその場から一歩前に踏み出した。
(何かのスイッチが入る音)
瞬間、女将の足元から聞こえたその音に村人達達は静まり返る。全員が女将がさっきまで立っていた、ヒダルソウが落ちてあった地面に目を向ける。
「……あ、IED(即席爆破装置)…………」
誰かがそう言った瞬間、その場にいた全員が強烈な爆風に包まれた。
________後方から聞こえる爆発音に溜め息を吐く。上手く作動したようだ、1人でも多く巻き込めていたらいいのだが。
「大丈夫……、ぼく様持参の薬品も仕掛けたんだから、威力は申し分ないのだ……!」
「ああ、そうだな。きっとそうだ………ペッ」
そう言って私は口に含んでいたトマトを吐き捨てる。隣を歩くサヤは渋い顔でトマトを一口齧り、飲み込もうとしたが堪え切れずに吐き出した。まずいな、略奪した作物がどんどん減っていく。
旅館から脱出した後、私とサヤはいくつかの畑で作物を略奪し、山に入った。遭難しないよう獣道に沿って移動しつつ、とあるものを探す。果たしてそれはすぐに見つかってくれた。
……その名はモドシユリ。真っ白な茎と青々とした葉っぱ、見た目は小松菜に少し似ているだろうか。ウルイと呼ばれる美味しい山菜……によく似たこの自治区特有の植物で、毒性があり、食べると酷い吐き気に襲われて名前の通り戻してしまうのだとか。
これの強力な毒性を用いてヒダルソウを吐き出すのがサヤの考えた作戦だった。
「モドシユリの毒性は、厳密には嘔吐ではなくて食道の筋肉や胃そのものを無理矢理運動させるもので、結果として食べた奴は嘔吐してしまうのだ。ただの嘔吐ならヒダルソウを吐き出せないと思う。でもこれなら内臓の過剰運動でヒダルソウを引っぺがせるはず……!」
サヤの見解を信じ、私はモドシユリを食べた。効果はすぐに出て、内臓がちぎられる痛みにのたうち回りながら何とかヒダルソウを吐き出せた。サヤもそれに続き、ヒダルソウを吐き出した。
ついでに昼間食べたものも全て吐き出したのだが……汚い話になるが、大量に食べたからその分出るかと思ったがそうでもなかった。恐らくヒダルソウの養分になっていたのだろう。あの時の異常な空腹感も少しの間にここまで成長したヒダルソウにもこれで説明がつく……ゾッとするな。
そうしてヒダルソウの問題は解決したので、後は山を越えて隣町に行くだけ……と言うわけには行かなかった。この山にいる悍ましい存在……ヒダル様がまだいる。
山に住む神のような存在で、村の作物を食べてない者に襲いかかってくる。実際に私とサヤは襲われかけた。その時はおにぎりを食べて何とかなったが、本当にアレに襲われていたら恐らく勝てなかっただろう。
そこで略奪した作物の出番だ。モドシユリで全てを吐き出した後、空になった胃袋に村の作物を入れる。これでヒダル様に襲われずに、安全に山を越えられるはずだ。……はずだったのだが。
「本当にごめん、サオリ……ゲホッゲホッ!ふーっ、ふーっ、……計算が違ったのだ……!予想以上に、ヒダルソウが……!」
何度目かの懺悔。気にするな、サヤのおかげでヒダルソウを吐き出せたんだ、こればっかりは仕方ない、またそう言ってやりたかったが、代わりに口から出たのは血と唾液が混ざった胃液だった。
……そう、計算が違った。ヒダルソウが体内に根付く力が強すぎたのだ。おかげで私達は想定以上の量のモドシユリを食べねばならず、そのせいで吐き出した後も毒性が残ってしまった。
「ガッ……ああ……ゔゔゔ」
「サオリ!あっ……あ゛あ゛っ!!」
ほぼ同時に胸を押さえ、その場にうずくまる。胃と食道が体内で暴れ回り、ヒダルソウを剥がす時についた傷が広がり、そこに胃液が練り込まれる。口の中が酸と鉄の臭いで充満していて、呼吸するにも一苦労だ。
しばらく痛みに耐え、落ち着いた頃にきゅうりを一口……ダメだ。舌が麻痺して味を感じないし、そもそも体が受け付けてくれない。自然と口が開き、咀嚼したきゅうりがボトボトと垂れて落ちた。
私もサヤもさっきからずっとこんな調子で、村の作物を食べられずにいたのだ。このままじゃ、ヒダル様が…………!
「ぐぅっ……立て!!サヤ!!絶対に脱出するぞ!!」
私は左腕をサヤの右手に絡ませ、無理矢理立ち上がる。そのままサヤを引きずりながら前に進んだ。
「わがっで……るのだ!!」
サヤも意地を振り絞り、足を動かす。体力はとうの昔に尽きている。気力だけで足を動かす。合間に作物を食べ、吐き、悶え苦しみ、それでも山の中を進んだ。
まだ終わりじゃない、私達には猶予がある。前にヒダル様が現れた時、私達が空腹になってすぐ現れた訳ではなかった。私達が昼食を取る時間があったのだ。だからきっと今回も、すぐには現れないはず。その間に作物を食べてしまえばいい、何なら山を越えてしまえばいいんだ。もし間に合わなかったら……いや、間に合わせる。私はサヤのために雇われたんだ。先生に任されたんだ。だからせめてサヤだけでも、この命に換えてもサヤだけは生きて帰さなければ……!
「不老不死の、薬だったか?ゲホッゲホッ……出来上がるといいな……!」
「なんだサオリ、ふーっ……不老不死になりたいのか……?」
「違う。ただ、……ただ、私は………お前だけは絶対に生きて帰す………!」
「ゲホッ、ゔっ……ぺっ!………ねえサオリ、サオリには何かあるの?夢とか、目標とか、やりたいこと……」
「え?」
急にそんなことを聞かれ、思わず足を止めてサヤを見る。サヤは真っ直ぐとこちらを見つめていた。見通しているかのような真剣な表情が、暗闇の中でもハッキリと分かった。
「……分からないんだ、だからそれを探して旅をしている。……でも、でも何もないからこそ、何でもできる、何にでもなれるって、そう信じている………」
「………じゃあ、じゃあ何か見つけたら連絡して」
「連絡……?」
「うん、お祝いしてやる。サオリの人生を、応援してやるのだ……!だから、だから私が不老不死の霊薬を作ったら連絡するから、すぐに来て。私のことを盛大にお祝いするのだ!……いいか?」
そう言って、サヤはニカっと笑って見せた。ああ、口の周りが色んな液体で酷いことになっている。きっと私も同じくらい汚れているだろう。でもその笑顔は何よりも眩しくて、私も自然と笑い返していた。
……やめだ。自分を犠牲にしてでも……なんて思っていたが、そんなことするのはやめだ。絶対にサヤも、私も、生きて帰ろう。それに、犠牲になんてなったら先生は怒るはずだ。あの人はそういう人だ。任されたことを一瞬でも自分の命を捨てる理由にしようとしたこと、謝らないとな。
「感謝する………生きて帰るぞ」
「もちろんなのだ……!絶対に!」
そう言ってサヤは拳を突き出してくる。そこに私の拳をぶつけ、2人でニヤリと笑い合った。そしてまた歩き出した。山を越えるために、生きて帰るために。
________満身創痍の体に鞭を打ち、作物を食べては吐いてを繰り返し、私達は獣道を進んだ。今の所追っ手も、ヒダル様も来ていない。そろそろ……そろそろ街が見えて来るはず。そう思っているとその通りに、あの日昼食を取った原っぱに辿り着いた。
「ようやっとここまで……!ああ!街の灯りが見えるのだ!」
「よし、もう一踏ん張りだ。行くぞ……!」
あと少しだと分かるとモチベーションが上がる、体力が回復した気がする。気持ち軽やかになった足取りで、私達は街へと歩き出した。
(鳥の悲鳴と羽ばたく音)
「っ!!!?」
「嘘……!?」
無数の鳥が飛び立ち、夜空に身を隠した。悲鳴にも似た鳴き声はすぐに遠く離れ、私達は振り返る。空気が一気に消え去り、重苦しい緊張感に支配される。全身に鳥肌が立つ、喉がキュッと絞られる感覚がする、目を見開いて木々の向こう側、暗闇の中を見つめた。
……そこには何かの姿形は見られない。だが何かがいる。そう確信せざるを得ないほどの強烈な威圧感があり、急速に迫っていた。
………ヒダル様だ!!
「走れ!!」
サヤの背中を叩くように抱き、走り出す。サヤも私も必死に足を動かした。しかしあちらの方が早い、どんどん迫って来ている。息が上がる度に内臓が捻られるような痛みと共に口から唾液と血がただれたが、それにも構わず走り続けた。
「ダメだ!間に合わないのだ!……うわっ!?」
「しまった!」
街の灯りは未だ遠い中、遂に真後ろにまで近づいて来た。瞬間、私は足をもつれさせてしまい、くっついていたサヤもろとも転んでしまった。地面に作物が散乱する。私はすぐに近くの大根に手を伸ばす。食べてしまえば、まだ……!
「………え?」
瞬間、全身に何かが巻き付いた。……ヒダルソウだ。無数のヒダルソウが私達の周囲に突如として生え、根を私の体に巻き付けたのだ。横を見ると、サヤと同じように全身にヒダルソウの根が巻き付いている。絶望した目で私を見つめていた。
「くっそ……!離れろ……!!」
どうにか足掻いてみるが、根はただの植物とは思えないほどの力で締め上げてくる。そしてさらに抵抗しようとした瞬間、私は硬直した。
目と鼻の先に、真後ろに、右に、左に、上に、下に。いいや、この場の全ての空間が威圧感を放っている。全ての空間に存在している。……ヒダル様だ。姿は見えないがそこに存在している、ヒダル様がやって来たと確信した。そしてかの神は、私達を殺す気だと理解した。
「サオリ……!サオリ!嫌っ、ああああああああああああああ!!!」
「サヤ!!くそっ、離れろ!離せ!!やめろやめろ!!ううっ……助けて………!!」
いつの間にか周囲の草木はヒダルソウに埋め尽くされ、私達の体もその枝葉で覆い隠された。身動きが取れない、根で締め付けられる、苗床にしようとしているんだ。ヒダル様の加護を与えられた作物を口にしていない私達がどうしても許せないから、私達を養分にしてヒダルソウを生やそうとしている。嫉妬深くて排他的な神、異物は絶対に許せない。だから私達をヒダルソウで埋め尽くして殺す気なんだろう。
ずっと追い求めていたヒダルソウが目の前に、それもたくさんある。だけど今はそんなものよりも村の作物が欲しい。ばら撒いてしまった作物に手を伸ばす。だがトマトも大根もその他も全て、とうの昔にヒダルソウで覆い尽くされている。それでも、それでもと意地らしく、爪を立てて地面を引っ掻く。何の成果も得られなくて悲鳴を上げた。
「助……けて!ごめんなさいなのだ……!ヒダルソウは諦めるから、許して……!」
真横のサヤは下半身が完全にヒダルソウで埋め尽くされ、上半身も残すところあと肩から上までとなっていた。恐らく私もそうだろう、重量と締め付けで感覚も無くなって来ている。せめて、せめて少しでも長く生きようと必死になって足掻いてみるが、それでも状況は好転しなくて、遂に私とサヤが前に伸ばしていた両腕が埋め潰された。ご丁寧に着物の袖にも根を張っている。有機物なら何でも栄養に変えるつもりなのだろう………ん?着物?
『この着物も口布も、この村で栽培されてる木綿でできているのですよ。これも村の作物、だからこれにもヒダル様の加護があるのです。素敵でしょう?』
「ッ!サヤ!!着物だ!着物を食え!!意地でも腹に詰めろぉ!!」
「はっ!!分かった!!」
辛うじて動く首を動かし、着物の襟に噛み付いた。もちろんだが本来は食べられることを想定していない布地は固く、私は擦り付けて千切るように歯を動かす。サヤも同じように噛み付いて、必死に引きちぎろうとしていた。頑張れ、今は助けられないから、何とか上手くいってくれ。そう願いながら私も自分の歯を動かした。
(布が破れる音)
食いちぎれたのは同時だった。その頃にはヒダルソウは首元まで押し潰し、私の頭部に覆い被さらんとしていた。もう顔を動かすこともできない、でも間に合った。サヤと視線を交わしながら、ちぎった布地を咀嚼する。
「ゔゔっ……んっ!!くっ……!」
「はぁ、はぁ、んん……ゔっ!!」
遂に目の周りを残して、全身がヒダルソウに覆われる。そんな状況でも体は飲み込むことを拒絶しようとしている。内臓が悲鳴を上げている。それでも私とサヤは布地を口の奥まで寄せ、無理矢理飲み込んだ。そして壮絶な吐き気を抑え込み、口をギュッと閉じた。
(飲み込めたから……早くどっかに行ってくれ……!!)
布地が食道に入る。
(絶対に吐き出すな……!出しちゃダメなのだ……!)
布地が食道を通る。
((とっとと立ち去れ……!ヒダルガミ!!))
……布地は、胃に到達した。
瞬間、あんなに強く締め付けていたヒダルソウから力が抜け、私達は根を引きちぎって抜け出した。威圧感も気配も消えており、ヒダル様はどこにも感じられなくなっていた。
……そうか、ほとんど賭けだったが、着物の材料である木綿でも良かったらしい。ちゃんと村の作物を食べたから、ヒダル様は立ち去ってくれたのだろう。
私とサヤは身を寄せ合い、その場に座り込む。周囲はヒダルソウ畑と化しており、夜風に深緑の葉が揺らめいている。月光が差し込むとより一層幻想的な光景になり、それが自分達が生きていることを実感させて溜め息が漏れた。
「……人間死ぬ気になれば、何でもできるんだな」
「ハハッ、それもそうなのだ。でも2度と着物は食べないのだ、不味いんだもん……」
「違いないな……ぺっ」
口に溜まった血を吐き捨てる。それはヒダルソウの葉に当たり、どろりと滴り落ちた。
________その後、私達は何とか隣町に辿り着き、すぐに病院へと搬送された。外傷はないが酷く衰弱していて、胃と食道にはいくつか裂けた箇所がありボロボロ。当たり前だが緊急入院となった。
翌朝、連絡を受けた先生が駆けつけ、私達の無事を喜んでくれた。病院の迷惑になるくらい泣いて私とサヤに抱きついてくる先生を宥めるのには苦労したが、それを見ていると改めて生還したんだと実感できて、何だか目頭が熱くなった。
……生徒の再生能力は凄いもので、3日入院したら体は元通り。私達は無事に退院した。肝心のヒダルソウは手に入らなかったが、サヤは「もういい、いらない」とのことで、成果は得られないまま帰ることにした。シャーレのヘリで山海経まで飛び、そこで解散。私の長いようで短かったバイトは終わった。
(モモトークの通知音)
「ん?」
誰からだろうかと思いスマホを取り出す。ああ、サヤか。……あれ?私はサヤとモモトークを交換した覚えがないぞ?
『すっかり忘れてたから先生に教えてもらったのだ!』
「ふふっ、なるほど」
モモトークのアプリを開いてみると、私の疑問を予測していたかのようなチャットが届いていた。思わず笑ってしまった。
……そうだな、簡単な挨拶でもしておこうかと画面に触れた瞬間、新しいチャットがサヤから届く。
『連絡忘れないでよ、ぼく様もすぐに不老不死の霊薬を作るから!』
『………ああ、分かった。』
『改めて……錠前サオリだ、よろしく頼む』
私がそう送ると、サムズアップしたネズミのスタンプが返ってきた。デフォルメされたその姿が可愛くて思わず顔を綻ばせ、私はスマホをポケットにしまった。
ここだけサオリが裏バイトで働いていて、ひどい目にあったりあわなかったりする世界
錠前サオリの裏バイト奇譚11
業務内容:シャーレ案件・植物採集
注意事項: 『知らない植物には触らないこと、そして住民の忠告はよく聞くこと』
勤務期間:3日間
給与額:200000円
コメント: あの村の問題は、先生が⬛︎⬛︎自治区と連携して対処することとなった。手伝おうかと聞いたが、『私達で何とかするから、サオリ達はもう関わらなくて大丈夫。任せて』……とのこと。かなり強く拒絶されたように感じたが、先生も何か考えがあるのだろう。素直に任せることにした。きっと大丈夫だ。