(5日目、早朝)
砂漠の夜明けは酷く寒く、私はいつも風に混ざった砂の冷たさに撫でられて起きていた。だが今日は別の感覚に目を覚ます。
(………見られている)
過酷な訓練の末に身につけた警戒心、それが私に警鐘を鳴らしている。私は薄く瞳を開き、何も気付いてない風を装って半身を起こした。
(視線は窓の外から感じる……微かだが、プロペラの音と機械の駆動音。ドローンか)
窓へ顔を向ける。カーテンを閉めているから外の様子は見えないのだが、向こう側で聞こえていた音が大きく、そして下へ向かっていくのが分かった。ドローンと思われるものが飛び去ったのだ。
枕元に潜ませていたハンドガンを手に取り、窓に近寄る。カーテンを開けて外の様子を伺う。本当は窓を開けてしっかり見回したいのだが、このホテルの窓は開かない仕組みになっているからそれはできない。ともかく、何か不審な物……私を見ていたドローンと思われる物を探して周囲を見回した。そこに広がっているのは砂漠に埋もれた旧オアシス前繁華街の寂れた景色。変わり映えのない、だが少しずつ砂に沈み滅ぶ街並みが朝日に照らされる。見慣れた光景だ。だからすぐに異変に気がついた。
「細い轍……バイク、いや自転車か?」
砂が積もった道路に真っ直ぐ1本線が走っているのが見えた。それを付けた者の姿や、自転車を漕ぐ音は聞こえない。ドローンの駆動音もいつの間にか消え、風が廃墟を揺らす音だけが辺りに響いている。……だが分かる、ソイツはまだここにいる。
(どこかの廃墟に隠れたか。まだ視線を感じる、見張っているのだな。それなら………)
「……仕事の準備だ。今日も頑張ろう」
ヴァルキューレや正義実現委員会の追っ手を真っ先に疑ったが、どうにもそうとは思えない。秩序立った雰囲気を感じず……どちらかと言うと賞金稼ぎだろうか?狼の様な野生の追跡者を思わせる。だが積極的に襲いに来るつもりはないらしい。さっきだって、私が寝ている間にここまでドローンを近づけることができるのなら、そのまま攻撃してしまえば良かったんだ。だがソイツはそれをしなかった。そして今も何のアクションを起こそうとしている気配はない。それなら、一旦様子を伺ってもいいだろう。
寝惚けて気づいていない素振りで大きく伸びをし、カーテンなんてそのまま開けっ放しにして私は身支度を始めた。簡単な体操と室内でできる訓練、銃の手入れ、そして朝食にセナから貰ったウィンウィンゼリーを飲み干す。
せっかく高級ホテルにいるのに携帯食料だけ食べ続けていることに少し虚しくなる。このホテルにレストランはないらしい(高級ホテルとしてどうなんだ)から仕方ないのだが……それにしても、こんなことならアリウスにいた頃はよくあることで、何なら食べれるだけマシだった。だけど今は日々の食事に一喜一憂している自分がいる。
「変わったんだな……私も。まあ、これに関してはいいことかわからないが………」
少し物足りなかったのでもう1つ。グレープフルーツ味の砕けたゼリーの甘酸っぱさが脳を起こし、眠気を飛ばし、身体に活力を与えてくれる。そんな中でも、私への視線の感覚が消えることはなかった。
(5日目、業務開始)
所定の時間になったので私は屋上へ上がり、掃除用具を持ってゴンドラに乗った。業務開始だ。随分こなれた手捌きで窓の汚れや砂を落として行く。仕事に集中するが、相変わらず私を見ている誰かへの警戒も欠かさない。
(窓清掃のためとは言え、背中を晒し続けるのは怖いな……。だが一向に襲ってくる気配はない。今日は監視に止めるつもりだろうか?いや……そもそも、コイツは誰だ?)
試しにあれこれ考察してみるが納得のいく解答なんて出るはずもなく、結局馬鹿らしくなってすぐに止め、業務に没頭した。そうすると20階から18階まであっという間で、私は17階へとゴンドラを下げる。水の青を纏った陽光が肌を撫でた。窓の向こう側、水槽とその魚達は今日も綺麗で見惚れる。見慣れてきたが、それでも感動は色褪せない。数匹の、好奇心が強い小魚が寄って来て私を見る。私は戯れに指で水槽を突いてその子らに微笑んだ。
「フフッ、すぐに清掃してやるからな………ん?」
(ドローンの駆動音)
今朝、微かに聞いたプロペラの音が後方から聞こえて来た。こちらに近づいている。私は懐からアサルトライフルを取り出し、一呼吸置いて振り返る。そして音の発生源たるそれを視界に捉えた。
予想通りそれはドローンだった。だが予想以上に大きい。8門のミサイルポッドを備え、2つの大きなプロペラで浮遊している。下には取っ手もついていて……これは持ち運び用じゃないな、人がぶら下がるためのものだ。馬力の強さが窺える。
そんなドローンが、白銀のボディに陽光を反射させて私の目線の高さにまでやってくる。すぐにアサルトライフルを構え、いつでも撃ち落とせるよう指をトリガーに当てた。
「……ん、落ち着いて。私は敵じゃない」
「っ、通話機能もあるのか……」
不意にドローンから発せられた声に驚くが銃口はブレさせない。照準越しにドローンの挙動を伺う。発言の通りまだ敵意はないらしい、だがこちらが何か不審な動きをしたらミサイルを放つつもりなのはよく分かる。1対の眼球のように取り付けられたライトと視線を交わす。空気が緊張でひりつく感覚を肌に感じた。
「……私もお前が何もしなければ撃ち落としたりはしない。そうだな……要件を聞かせてくれ」
「………ん、分かった」
少しの沈黙の後にドローンの向こう側の人間は承諾する。そして私達の、銃口を突きつけあったままの自己紹介が始まった。
「……私はこの自治区を管理しているアビドス高校の生徒。ここに来たらあなたを見つけたから、何をしているのかと思って監視していた」
今朝に見た細い轍を思い出す。なるほど、アレを付けたのは……今朝からの視線の正体はコイツか。だが、アビドス高校の生徒?それならここがどこで、私が何をしているのか分からないものか?動機がおかしいだろう。コイツは本当に……、
「…………本当にアビドスの生徒か?」
「ん?どうして疑うの?」
「……私はこのホテル、オアシスマーメイドの支配人に雇われたアルバイトだ。ここの支配人はアビドスの生徒で、このホテルはアビドス高校直営だと聞いているぞ」
「…………」
「……お前が本当にアビドスの生徒なら、私を不審に思う意味が分からない。アビドスのホテルで、見ての通り窓拭きをしているだけの私を朝から監視するなんておかしいだろう。………お前は誰だ?もう1度聞くが、本当に、……アビドスの生徒なのか?」
……問いかけに、ドローンは沈黙する。その様子に私は改めて照準を合わせた。これはもう、9割黒だろう……!
(だがどうしたものか……。今すぐ撃ち落としたとして、もし奴が闇雲にミサイルを飛ばしたら、それがホテルに命中するかも知れない。撃ち落として地面に激突したら、その衝撃で爆発する可能性だってある。どちらにせよ水槽も大変なことになるはずだ。なるべく被害を出さずに無力化するには……)
一体どこを狙ったら安全に処理できるか、頭を全力で回転させてその答えを模索した………瞬間、ドローンが沈黙を破った。
「………言っている意味が分からない」
「……何だと?」
「あなたは何を言っているの?オアシスマーメイドなんてホテルは知らないし、ホテルの支配人をしている生徒なんていない。……ん、ノノミならしてそうだけど、多分してないと思う」
「は?だが、私は確かにここに雇われて……」
「そもそもアビドスには……残念だけどホテルを運営することなんてできない。借金を抱えているから………」
瞬間、ドローンの言い辛そうな、悔しそうな声色が私の記憶を呼び起こした。アビドスは数十年前のある時期から始まった砂漠化でほとんど廃墟と化していること、復興のために多額の借金をしたがそれでも砂漠化を止められず衰退したこと、事前の下調べで私はそれを知っていた……知っていたんだ!なのにこんな立派なホテルを運営?冷静に考えれば………あり得ない。
「な、ならこのホテルは何だ?この水槽は!?こんなことを言ったら悪いが、何もないアビドス自治区でこの規模のホテルが存続できるわけがないだろう!?だからアビドス高校が関わって、生徒を支配人に据えているんじゃないのか!?」
混乱してきて、思わず声を荒げて問いかける。天地がひっくり返っている様な、よく分からない不快な浮遊感を感じる。何だこれは………?何かこう、私は間違っているかの様な、おかしいことに気づいていない感覚、あともう少しで気づきそうな感覚で、それが酷く気持ち悪い。えずきそうになるのを声を張り上げて誤魔化していると、ドローンはこちらにゆっくりと接近してくる。反射的に引き金を引こうとした瞬間……、
「錠前サオリ」
「っ!?」
ドローンが私の名前を呼んだ。ドローンの向こう側の人間は私を知っている……!
「……ん、あなたは錠前サオリ。間違いない?」
「や、やはり追っ手か!?賞金稼ぎか!?」
「落ち着いて、話を聞いて。私は本当にアビドスの生徒。あなたが柴関ラーメンのバイトに来るって先生から聞いて、ずっと待っていた」
「せ、先生から……?バイト?柴関……?で、でも私は………!?」
「予定の日になっても来なくて、遭難したんじゃないかと思ってみんなで手分けして探していた。そしたら今朝あなたを見つけて、でも様子が変だから監視していた」
「様子が……変?」
「先生からあなたは真面目な人だと聞いている。なのにバイトを飛んで、ここで普通に眠っていて、遭難しているようにも見えなくて……」
……ああ、そうだ。昨日も思い出していた。私は柴関ラーメンのバイトのためにアビドスに来た。そしてアビドスにいる間寝泊まりする廃墟を探して旧オアシス前繁華街に入って、このホテルを見つけたんだ。そして………そして?
「…………私は一体、何をしていたんだ?」
「……ん、あなたは急にボロボロのゴンドラに乗ったと思ったら、ボロボロの清掃用具を持って窓掃除を始めた。でもこの廃ビルに窓なんてない。全部割れてる。ゴンドラだって、動いてるのが奇跡」
そう言われてふとゴンドラと清掃用具を見た。……どちらも確かにボロボロだ。いや、瞬きしたら元の綺麗な状態に戻って……でも色褪せている気がする。見た目は変わってないのに、綺麗なのに、おかしい気がする。改めて触ってみる。感触が変だ、綺麗ならこんなに傷ついたり、削れたりした感触なはずがない……。
「何をしていたのか、それはこっちのセリフ。錠前サオリ、あなたはここで何をしていたの?」
「………私は、…………私はアビドス高校、直営ホテル、オアシスマーメイドに……高所窓清掃のアルバイトとして、雇われた………錠前サオリだ。………のはずだ」
自分の今の立場を、今の立場であるはずのことを喉から絞り出す。目の焦点が合わず大きく瞬きをし、改めてドローンのライトに視線を合わせた。瞬間、その白銀の機体に私の姿が映り込んだ。ボロボロの掃除道具を持ち、今にも空中分解しそうなゴンドラに乗り、窓のない傷だらけの廃ビルを背にしている私の姿が。
「あれ?私は………」
「バイトさん」
不意に無線機から雇い主の声が響く。無線機を見る。これは……何年前のものだ?型落ちを通り越して骨董品、その上どう見ても破損している。なのにそこからは雇い主の声がした。
「聞かないで、バイトさん」
私は振り向いた。声は無線機からしているが、真後ろに雇い主がいる気がしたから。私の後ろ、つまり17階の水槽の中に。
果たしてそこにあったのは、このアルバイトを始めてからずっと見続けていた水槽。砂埃はあるが傷なんてない壁と割れてない窓。その向こう側にオアシスを再現した水槽がある。そしてその水槽にはオアシスの魚達が居て……その魚達が全て集まって私を見ていた。全ての魚達が集まって、人体の様な形の群れを作り、私を見つめていた。
「…………雇い主か?」
「やだなぁ、ずっとそうだったじゃないですか」
魚の群れの手が、雇い主の両手が私に向かって伸ばされる。水槽のガラスを貫通し、大きな魚が腕、小さな魚が指となった手が私を掴む。そしてそこに窓があるはずなのに、私の身体はそれを貫通して、水の中に引き摺り込まれた。
幕間・サオリのバイト飯
28.給食部のレッドウィンター風病院食
食べた時のバイト:救急医学部案件・売血調査
説明:ゲヘナ学園給食部の愛清フウカが作った病院食。レッドウィンター風の調理が成されている。
コメント:ゲヘナに来たレッドウィンターの生徒から教わった料理を病院食にしたものだそうだ。メニューはボルシチ風のお粥と、ペリメニと言う名の料理を模した水餃子。どれも食べやすくてとても美味しかった。どちらにもサワークリームと言うものが入っていたのだが、クリーミーな味わいがとても好みだ。レッドウィンター……、機会があれば行ってみたいな。
29.パンちゃん
食べた時のバイト:救急医学部案件・売血調査
説明:ゲヘナ学園給食部の牛牧ジュリが作った病院食……らしい。
コメント:お見舞いに来た美食研究会の1人、獅子堂イズミが摘んでいたのを一欠片貰って食べてみた。その日はそれ以降の記憶がない。
追記:わぁ、気絶するほど美味しかったんだね!気に入ってくれてよかった♪はむっ……、ん〜!やっぱりパンちゃんおいし〜!!ジュリちゃんおかわり!
ー獅子堂イズミ