錠前サオリの裏バイト奇譚   作:@Ana

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あにまん掲示板で投稿したものです。こちらにも掲載しておきます。

元スレ
https://bbs.animanch.com/board/3463026/


ピザ屋の配達

ピザ屋のバイトを始めた錠前サオリだ。ミレニアムに本店を置くチェーン店で、毎日頑張って研究している学生達のためにガッツリ食べれてリーズナブル、そして色んなピザを食べられるのが特徴だ。私が働く店は校舎から離れた一般市民向けのものだが、ファミリー層にも人気のある店らしい、とても忙しいのだとか。

私が働く店は何と店長以外の従業員が辞めたそうで、猫の手も借りたいくらいだと店長の獣人(アメリカンショートヘア)に説明された。そのため通常のバイトなら時給1000円だが、私の時給は1万5000円、更に昼食としてピザが出される。恐らく忙しい故だろうが、気前がいいな。張り切っていこう。

なになに、注意事項として『チップは絶対受け取らない事』……らしい。ここキヴォトスにはあまり根付いていない文化だが、こんな注意書きがあるということは払おうとする客もいるのだろう。魅力的だが、受け取らないようにしよう。

 

 

(1日目)

 

「いや〜配達ありがとねお姉さん!やっぱり祝いの席にはトロピカル丸ごとパイナップルピザに限るよ!」

「こちらこそありがとう。では失礼する」

皮を切って丸々パイナップルを乗せ、そこにチーズをぶっかけて焼いた、この世の終わりみたいなピザを渡して配達先を後にする。路駐していたバイクに跨り、荷台に乗ったピザの箱の山を見て私は顔を顰めた。

そ、想像以上に注文が多い。さっきから配達用バイクで街をあちこち回り、店に帰ったら新しいピザを受け取ったらまた街へ繰り出す無限ループだ。休んでゆっくり昼食を取る暇がない。

客がみんな優しく、ピザを渡すととても喜んでくれるのが救いだな。疲れが多少和らぐ。そう言えば、今のところチップを払おうとする客はいないな。まあどうせ受け取れないからいいのだが。

「ふぁへ、ふひはほほは(さて、次はどこだ)……?」

配達の合間に食べろと店長から渡されたフレッシュカリフォルニア寿司ピザロール(10センチ)を咥えながら地図を確認する。3番地にあるアパートの1号室、これを届けたら店に戻ろう。

私はロールケーキをぶち込まれたミカのようにフレッシュカリフォルニア寿司ピザロール(10センチ)を口に咥えながらバイクを走らせた。太巻きと違い、溶けたチーズが接着剤になってくれているおかげで中身がこぼれ落ちないのはこの商品の戦術的優位性だろう。どう見てもゲテモノだが味は美味しい。完食する頃には3番地のアパートに辿り着いた。

ひび割れたアスファルトの駐車場にバイクを停め、煤だらけで半分崩れ落ちている階段を登る。所々床の抜けた廊下を進み、注文先の部屋の前まで来た。インターフォンのボタンを押す、溶けて固まっているせいでボタンが全く動かないが、それでもピンポンと音が鳴り、中から誰かの声が聞こえて来た。

「どなたですか〜?」

「美味しさの証明完了、ピッツァQEDだ。ピザを届けに来た」

「やった!ピザだピザだ!」

ドアが開くと、出て来たのは獣人(芝犬)の親子だった。私はピザを父親に渡していると、少年が隣で大はしゃぎ。母親がそれを嗜めていた。

「お姉ちゃんあのねあのね!僕昨日サッカーの試合に勝ったし、シュートもできて1点取ったんだよ!だからお祝いにピザ!」

「こら、お姉さんが困っちゃうでしょ。もうすみません」

「いや、構わない。よく頑張ったな、大きくなったらサッカー選手だな」

私は屈んで、少年の頭を撫でた。よく見ると綺麗な玄関には彼が取ったのだろう、表彰状が飾られてある。優秀な子供なんだな、本当に将来大物になるかもしれない。

「ああそうだ、お姉さん。チップをどうぞ」

父親がそう言って、1000円札を一枚私に差し出してくる。ついに出たな、チップを出してくる客。受け取りたいが、何か問題があっても困るからな。

「すまないが遠慮しておく。受け取るなと言われているんだ」

「そうですか……。残念です」

父親は……いや母親と少年も心底残念そうな表情を一瞬見せ、しかしすぐに笑顔に戻って私を見送ってくれた。いい客だったな。

私は瓦礫を掻き分けバイクに戻り、アパートを後にした。

 

 

(4日目)

 

「美味しさの証明完了、ピッツァQEDだ」

今日も元気に配達だ、この台詞もだいぶ慣れたものだな。

「おう!いっぱい頼んで悪かったな嬢ちゃん!おーいお前ら、休憩だー!」

「うおおおおおおおおおおお!!」

「ピッツァだ!!焼きたてだぜ!」

「棟梁の奢りだあああああっ!!」

工事現場にやってきた私はバイクからビッグマンモススタミナピザの束を取り出す。少し配膳も手伝ってやり、作業員達にピザが行き届くのを見届けた。

「配達ありがとな嬢ちゃん!店長にもよろしく伝えといてくれ!」

「ん?店長と知り合いなのか?」

棟梁と呼ばれた大きめのロボットに話しかけると、快活な彼は笑顔で答えてくれた。

「おう!あいつも元は配達員だったんだけどよぉ、ピザが大好きだって仕事を続けて今では店長だ。すげえよなぁ、好きこそもののってやつか?まあ忙しそうで会えなくなったのは寂しいけどな!」

なるほど、店長は客に好かれていたんだな。確かに、かなり人当たりのいい性格をしているから、配達員時代に客と仲良くしていたのだろう。そう言えば私が配達に行った中でも常連だという人が何人かいたな。

「……なぁ、嬢ちゃん。店長さんは元気かい?」

「店長か?」

まあ、確かにワンオペだからな。従業員が全員辞めて、一人でピザを焼き、受け取りに来た客の対応をし、事務仕事までしている。疲れもあるだろう。だが私の知る限りでは元気そうで、むしろ好きなことができて楽しんでいるように見える。その旨を伝えると、棟梁は笑顔こそ崩さないが、その顔に影を落とした。

「そうかい……。いやーワンオペ大変そうだなって心配してたんだけどよぉ、あんたみたいなしっかりしたバイトさんがいるんなら安心だ!あいつの事よろしく頼むぜ!」

「……ああ、任せてくれ」

私はしっかりと目を見てそう答えた。心配してくれる誰かがいるのはいい事だし、こうやって頼られるのはこそばゆいが、身が引き締まる。バイト頑張ろうと思えてくる。

そのためにも配達を済ませなければ、私は踵を返してバイクへと向かった。

「では失礼する、3番地のアパートにも行かなければならないのでな!」

「おう!ありがとよ………え?3番地のアパート?おおい!!…………行っちまった」

「どうしたんすか?棟梁?」

「ああ、いや。……3番地のアパートって、廃墟だよな?前に火災で全焼して………」

「ええ、そうっすね。中にいた人達は全員死んだそうっすね」

 

 

 

(7日目)

 

段々こなれてきた錠前サオリだ。今日も元気に3番地のアパートへとピザを届けに来た。

「3階の4号室……豆腐ハンバーグ健康ピザだな」

ほかほかのピザボックスを取り出し、私はアパートの階段を登り始めた。

バイトを始めてから、このアパートには毎日一回ピザを届けに来ている。閑静な住宅街にある、新しいつくりで綺麗な内装のいいアパートだ。何でも13組の家族、あるいは一人暮らしの人がいるのだという。この配達で大体半数の家庭に行ったことになるな。

……そう言えば、このアパートに住んでいる人達、少なくともピザを届けに行った家庭の全部がチップを差し出そうとしていたな。そして断ると顔を曇らせる。

 

『チップは絶対受け取らない事』

 

この注意事項があるからチップは受け取っていない。

だがなぜ、このアパートの住民はチップをあげようとしているんだろうか?

「おっと、ピザを崩すところだった」

考え事を切り上げ、階段に開いた穴を避けながら登る。積もった灰に足を取られそうになる。手すりを掴もうにも折れ曲がっていて、これに命を預ける気は起きない。

何とか3階まで登り、注文先の部屋に辿り着く。インターフォンは破損している。仕方がないのでノックを3回。強く叩いていないのに、扉はギィギィと今にも壊れそうな音を立てて泣きじゃくっている。

「美味しさの証明完了、ピッツァQEDだ」

「はいはい、今開けますよ」

程なくして扉が開いた。出て来たのは獣人(チワワ)のご婦人。ピザを一目見て満面の笑みを浮かべた。

「本当にありがとうねぇ、このピザは私みたいなおばあちゃんでも食べれるから大好きなのよ〜」

「それは何よりだ。大丈夫か?家の中まで運ぼうか?」

「いいえ、問題ないわお姉さん。……あなたは、新人さんかしら?」

「ああ、7日前から働かせてもらっている」

「そう……」

不意に彼女は、その笑顔に影を落とした。何事かと思い顔を覗くと、店長は元気かと問いかけられた。

「店長か?ああ、元気にやっている。ワンオペ……店を一人で切り盛りしていて大変そうだがな」

「そうなのね……いやごめんなさいね。あの子が配達やってた頃からお友達だったのよ。このアパートに配達に来た時に、ちょうど階段ですれ違って、そこでピザいかがですかって言われて……。こんなおばあちゃんが重いもの食べれるわけないでしょって思ったけど、オススメされたこの豆腐ハンバーグのピザが私でも食べれるって分かって、ふふ……そうやって知り合ったのよ」

「そうか……いい出会いだな」

宅配ピザでそんな事になるとは……いや、宅配ピザではなく店長のおかげだろう。その人となりで客を掴んできたんだ。

その後10分ほど彼女の話に付き合った。孫ができたそうで、今度店に来るそうだ。その時にここのピザを一緒に食べたいらしい。

「なら是非とも、その時が来たら注文してくれ」

「ええ、そうするわ。ふふ、今日はいっぱい話してくれてありがとうね。これ、よかったら」

そう言って彼女はチップを差し出して来た。突然の事に驚くが、すぐに丁重にお断りする。

「本当にいいの?あなたと店長のためでもあるのよ?」

「すまない、受け取るなと言われているんだ。だから、気持ちだけ頂こう」

「………本当にいいのね?そう、残念ね」

やはり表情を曇らせるご婦人。私は若干の不安を感じつつ、アパートを後にした。

 

 

(12日目)

 

「店長、戻ったぞ……ううっ」

「バイトちゃん!?大丈夫かい!?」

フラフラとした足取りで店に入ると、店長は真っ青になって駆け寄って来た。

頭が、割れそうだ。10日目から何故か体調が悪くなり、バイクを運転するのにも一苦労だった。おかげで今日は配達先で心配されるわ、3番地のアパートで瓦礫に足を取られて大きな擦り傷を作るわ、散々な目にあった。

「だが何とか、今日の配達は済ませたぞ………」

「ああ、本当にありがとう!どれどれ……よし。3番地のアパートにもしっかり届けられたようだね」

私が手渡したポーチの中身、伝票やお金を確認して店長は安堵する。私は事務室の机に突っ伏し、氷の入った袋を頭に当てながらぼんやりとそれを眺めた。

「3番地……そう言えば3番地のアパートの客から………」

「アパートの客から?っ!?まさかチップを受け取ったのか!?」

「い、いや……」

爆発したかのように血相を変えた店主。怒声が頭を刺激してキーンと耳鳴りがする。私はどうにか腕を持ち上げて彼を制した。

「………伝言を貰っている。心配している、もうやめてほしい、と」

「な、なんだ……そうだったんだね。いやすまない、急に取り乱してしまって」

「大丈夫だ。それよりも、店長は大丈夫なのか?」

少し楽になった頭を持ち上げ、店長と向き合う。猫のまんまるな目がかっと見開いているが、その瞳孔は細く引き絞られている。臨戦体制、あるいは追い詰められてる時の目だ。やはり何か、アパートの客達と何かあったのだろうか?

「私かい?私は大丈夫だよ。それに、絶対に、やめられない……」

店長は言い聞かせるように呟いて、そして意を決したように私に向き直る。ずんずんと迫り、私の両肩を掴んだ。

「バイトちゃん!体調が悪い中すまないが、絶対明日も働いて欲しい!後一人なんだ!君に毎日行ってもらっている3番地のアパートの、最後の一人にピザを届けなきゃいけないんだ!!13の部屋の、最後の1人にっ、絶対にっ!!もちろんチップは受け取っちゃダメだ!!」

「っ………ああ、分かった」

肩を握る力が強すぎて痛い。だがどうにか言葉を絞り出し、了承した。

「ああ、よかった!ありがとうバイトちゃん!今日はもう帰って休みなさい、残りの仕事は私が片付けておくからね。明日で全部終わるから、お給料もその時支払おう。元気に出勤するんだよ?」

「ああ、では先に帰らせてもらう」

ゆっくりと立ち上がり、足を進める。多少楽にはなったか、拠点までどうにか辿り着けると思う。私は氷の袋を店長に渡して店を出た。見送る店長に笑顔を見せて手を振った。

とぼとぼと音が鳴りそうなゆっくりとした足取りで、今拠点にしている廃墟へと向かう。相変わらず頭が痛く、少しでも負担がないように丁寧に歩く。だがそんなのおかまないなしに思考は回転していた。

店長は何故3番地にピザを届ける事に固執しているのだろう?チップを受け取らないとはどういう事だろう?それに今日の配達で、3番地のアパートの住民からもらった伝言。心配している、もうやめて欲しい、と言うことは、あちらは店長の行動を望んではいないと言うことか?店長は何かをしていて、私はそれに巻き込まれている?

 

_______このバイト、やめた方がいいのか?

 

「……うわっ!?ううううっ!ぐっ!!」

 

そんな事を思った瞬間、頭痛がさらに酷くなった。巨大な針……いや杭を脳に差し込み、それをかき混ぜてるような重く鋭い痛み。あまりにも辛くて大音量の耳鳴りがする。なのにさっきよりも思考が加速して気持ち悪くなった。

こんな体調でバイトができるわけないし、何だか怪しくなって来た。今すぐ逃げるべきだと言う自分と、バイトは続けなきゃいけない、一度受けた仕事は責任を持ってやり遂げなければいけないと言う自分が殴り合っている。

ああ、でも、一方的だ。やり遂げなければいけないと言う自分が、逃げるべきだと言う自分に馬乗りになって、ガツガツと顔を殴り続けている。そしていつしか動けなくなって、それでも殴り続けて………あれ?どうして私は仕事を辞めようなんて思ったんだろう。

「明日も、頑張らなきゃ……」

 

(クラクションとブレーキ音)

 

「っ!?」

咄嗟に音のした方を見る。大きなトラックがこちらに迫っている。あれ、私は今、道路の真ん中に立っている……!?

「危ない!避けろぉぉっ!!」

運転手の声がハッキリ聞こえる距離、いつもの私なら簡単に避けられる。でも今の私は体が全く動かなくて、トラックをひたすら凝視している。

そして強い衝撃が私を襲い、意識が断ち切られた。

 

 

(12日目、夜)

 

意識が戻った時、最初に知覚したのはパチパチと炎が弾ける音と、花の匂い。自分は何か柔らかくて温かいものに頭を預け、寝転がっている。重い瞼を開けると、そこは私が拠点にしている廃墟の一角。そして私は古ぼけたソファに寝かされており、

「あ、おはよう。サッちゃん」

「………姫?」

姫……秤アツコに膝枕されてるのだと分かった。

「サッちゃんも食べる?ピザ。美味しいよ」

姫は起き上がった私にピザを一切れ差し出してくる。ソファの前のローテーブルには私のバイト先のピザがあり、さっきから食べていたようで三切れ分なくなっていた。

「ファンシーレインボーユニコーンピザ……馬肉のピザだって」

「知ってる……来てたのか?」

「偶然、みんなでここに潜伏してたの。そしたらサッちゃんがピザ屋で働いてるって知って、お店に行った。でも帰ったって言われたから、追いかけたら……轢かれそうになってたから助けた」

「……すまない」

「大丈夫。サッちゃんは平気?」

「問題なっ……うぅ」

立とうとしたが視界がふらつき、再度ソファに腰を沈めた。落としそうになったピザをどうにかローテーブルに戻して、背もたれに首を預ける。動けない、体調管理は徹底していたはず、この倦怠感は一体……?

「サッちゃん」

呼ばれて振り向くと、姫はこちらに片手を伸ばし、もう片方の手で膝をぺちぺちと叩いていた。こっちに来いと言うことだろう。普段なら断る私だが、今日は素直に頭を預けた。

ドラム缶で作った即席の暖炉の火を眺める。パチパチと音がする。姫は私の頭を片手で撫でながら片手でピザを食べている。私は気が抜けて焦点の合わない視界でそれを眺めていた。不思議と頭痛や倦怠感が取れていく。

「サッちゃんとこのピザ美味しいね。店長さんもいい人だった。一緒に食べてってくれたの」

「……明日、店長に礼を言わなきゃな」

「その調子で明日も行くの?」

「ああ、最後の1人だと店長は言っていた……。最後に明日、届けなきゃならないんだ」

「……………」

 

 

 

 

 

 

 

「______________サッちゃんは利用されてるよ、店長さんに」

 

 

「利用……?まさか」

その言葉に戸惑い、体を持ち上げようとした私の頭を姫の手は優しく押さえつける。

「サッちゃんを轢こうとしたトラックは、近くの工事現場の人達が乗ってた。サッちゃんと顔見知りなんだって」

「工事現場……ああ、棟梁のところの」

「うん、棟梁さん心配してた。事故もそうだけど、サッちゃんが配達で3番地のアパートに行ってる話を聞いたし、なんなら何度も見たって。あの廃墟に……」

「ああ、毎日あそこから注文が届いて…………廃墟?」

姫の手のひらを押し返し、今度こそ起き上がる。彼女の顔を真っ直ぐ見やる。その表情に、その瞳に、嘘をついてる様子は見られない。だからこそ余計に困惑した。

「廃墟なわけないだろう。現に私は何度も配達に行って、そこの住民と顔を合わせている。どんな人達だったかも覚えてる。なんなら今から詳細に話せるぞ」

「うん、サッちゃん記憶力いいもんね。じゃあ思い出して。お客さんのお家に行く時、アパートの外装とか、階段とか、廊下とか。どんなだった?」

「外装……?あそこは結構綺麗な建物なんだ。だから普通に………あれ?え?」

姫に促されてアパートを思い出す。新しいつくりで綺麗な内装のいいアパートと認識していたそこの記憶は、思い出すほど矛盾した。

ひび割れたアスファルトの駐車場、煤だらけで半分崩れ落ちている階段、所々床の抜けた廊下、無数の瓦礫。

「あっ、ああ………私は……」

溶けて固まっているせいでボタンが全く動かないインターフォン、悲鳴のような音が出る扉。その他にも、上げればキリがない。

「なんで……私はあれを普通の綺麗なアパートと認識していた?」

「そう言う刷り込みとか、催眠をされてたんだろうね。分かってはいるけど、そう思い込ませるものを。ずっとかけ続けられてたのと、認識の矛盾に耐えられなくなって、体調を崩したんだと思う」

「でも、じゃあ、私があった人達は……」

暑くもないのに汗が出る。絞り出した声も体も震えていて、揺れる視界の中で姫だけが不動を貫いている。それに縋るように私はそう問いかけた。だが姫は無情にも首を横に振った。

「調べておいた。……ちょっと前に、あそこで火事が起きた。真夜中だからみんな寝てて、逃げ遅れて、住んでいた13組の家庭が亡くなったって」

「じゃあ、あの人達は……」

「幽霊。あのアパートに縛り付けられてる」

「そうか……」

恐怖よりも衝撃が勝った。さっきまで普通に話していた人達が実はもう亡くなっていた、その事実にまた動揺する。

すると姫は、私にまたピザと、今度はコーラも差し出してきた。

「一旦落ち着こう、サッちゃん。ほら、アイスブレイク」

「……意味違うと思うぞ」

「そう?まあ……ブレイクブレイク」

コーラのボトルを揺らし、ニコリと微笑む姫。相変わらず表情が薄いけど、心配してくれていることは分かる。心優しい私達の姫、彼女からピザとコーラをありがたく頂戴し、2人で一緒に食べた。

いつだったか、バイトの最中に、ピザとコーラは最高の組み合わせだと言っていた人がいた。……ああ思い出した。3番地のアパートの、ミュージシャン志望のロボットだ。配達の時に少し話して、演奏も聴かせてもらった。音楽はよく分からないが、いい曲だと思った。ああそうか、熱く夢を語っていた彼も、もう亡くなっているのか……。

「店長さんは、あそこで儀式をしているんだと思う」

「儀式?」

一通り食べ終わり、落ち着いた所で、姫はまた話し始めた。私はティッシュで口元を拭き、暖炉の炎に投げ捨てる。パチっと弾けて音が鳴った。

「うん、儀式。亡くなった人達のいた場所で、亡くなった人達の関わり深いものをお供えして、最終的に生贄を差し出して、亡くなった人達を呼び戻す」

「アパートに、ピザに、そして生贄は……私か」

納得した。それならわざわざ催眠をしてまで、あのアパートに宅配ピザを届けていたのも頷ける。……ん?ピザ?ピザでいいのか?亡くなった人達の関わり深いものって。いや、成立してるのならいいんだろうな。みんなピザ喜んでたし。

「そういえば姫、随分詳しいな?これも調べたのか?」

「ううん、アリウスで習ってた。私の血は特別だから、覚えておけって。だから色々気づけた。ほら、私は経験者だから」

嫌なことを思い出し、少し後悔した。頭をよぎったあの女の顔を殴り飛ばし、姫に別の話題を振った。

「成功したら私はどうなる?」

「あの時の私と同じ、死ぬと思う」

「………失敗したら?」

「場合による。サッちゃんがバイトを辞めて、明日アパートに行かなければ、あそこにいる人達は儀式で縛られたまま。店長さんはまた別のバイトを雇って、ピザを届けると思う」

「そうか。なら……辞めるわけにはいかない」

「サッちゃんは巻き込まれただけなんだよ?背負う必要はない」

「ああ、だが私はまだピザ屋のアルバイトだ。客を放ってはおけない」

「止める方法はあるの?」

「やってみたい事がある。やらせてくれないか?」

姫の眉間に皺が寄っている。すまない、そんな顔をさせるつもりじゃなかったんだ。でも私はこの儀式を止めたい。だから私は姫に頭を下げた。

「……ちゃんと戻ってきてね」

「ああ、約束する」

そうして姫はこの廃墟を後にした。ミサキとヒヨリの所に戻ったのだろう。私は明日に備えて寝ることにした。ボロボロのソファに、先ほどのように寝転がり、意識を深く沈み込ませる。

儀式を止める方法、やってみたい事………このアルバイトの注意事項を心の中で読み上げて、瞳を閉じた。

 

 

(13日目)

 

ひび割れたアスファルトの駐車場にバイクを停め、煤とヒビだらけのその建物……3番地のアパートを見上げる。昨日までは普通のアパートだと思っていたそれはひどい廃墟で、自身を苦しめていた認識のギャップに薄ら寒さを覚えた。ちゃんと見えるようになったからと言って安心してはいられない。まだ終わっていない。私は慣れた手つきでピザを取り出した。

今日の配達はたった一件。このアパートの最後の住民への配達である。出勤した時に会った店長は興奮冷めやらぬ、楽しみで仕方ないといった様子で私を迎え入れ、そしてこのピザを差し出してきた。

「残りの仕事は全部やるから!今日はそれだけ届けたら終わりだよ!!よろしくね!!」

血走った目と狂い切った表情を思い出し、顔を顰める。少しは真意を隠せと思いつつ、私はアパートに入った。

階段、廊下、そして瓦礫。慣れたものだ、するすると歩みを進めていく。そうして辿り着いたのは4階の4号室。私はインターフォンも押さず、ノックもせずに、その扉を開いた。

「美味しさの証明完了、ピッツァQEDだ」

「おっ、待ってました〜!」

扉の向こうは外とは似ても似つかない綺麗な部屋で、廊下の向こうで家主が顔だけを出して笑顔を向けてくる。そして彼女はパタパタとこちらに駆けてきた。

ホットパンツとTシャツの可愛らしい部屋着と、頭上に揺れるヘイロー。

「生徒か……いや、幼いな」

「え?」

「あっ、すまない」

ピザを受け渡しながらつい口走ってしまい、慌てて謝った。それに対して少女は得意げに笑い、ピザを持って駆けていく。しばらくすると何かを持って戻ってきた。

「じゃーん!!私今度、ミレニアムの生徒になりまーす!!」

持っていたのはミレニアムサイエンススクールの制服だった。少女は嬉しそうに、誇らしげに、それを掲げて見せた。

「…………そうか、楽しみだな」

「うん!勉強して、すごいものを発明したり研究するの!千年難題を解いてみるのもいいかも、そしたら私も全知の仲間入りだね!」

「っ………頑張ってくれ」

「うん!」

その満面の笑みが私の胸に突き刺さった。サッカーを頑張る少年、孫に会うのが楽しみなご婦人、ミュージシャン志望のロボット、目の前にいる少女、そして他の部屋の住民達。13日かけて全ての部屋を回ったから分かる。彼女らには夢や目標……未来があった。それを待ち望んでいた。だけど火災で全てが奪われた。

来た時は絶対に止めると決意したのに、ここに来て揺らいでしまう。彼女らのことを考えると私がここで犠牲になった方がいいんじゃないかと思えて来る。やりたい事や夢、それが何なのか分からずにいる私よりも、それがある彼らが戻ってきた方が……。そう思ってしまう。

「お姉さん?お姉さん!?」

「っ!ああ、すまない」

「大丈夫?まあいいか」

咄嗟に謝罪した私に首を傾げ、少女は懐から財布を取り出した。取り出したのは一枚の紙幣。

「じゃあお姉さん、チップをどうぞ!」

「………お前達は、分かってるのか?今のお前達の状況、チップを渡すのがどういう事か」

「うん、分かってる」

少女はあっさりと答え、私は目を丸くした。

「お姉さんがチップを受け取ってくれたら……見送ってくれたら私達は向こう側に行ける。受け取らなかったら私達は戻ってきて、お姉さんが代わりに連れ込まれる。これはそういう儀式だよ」

「分かってて……分かってて最初からチップを渡そうとしたのか!?戻って来ようとは思わなかったのか!?」

「思ったよ。今でも、戻れるなら戻りたい。確かに嫌だよ、悔しいよ。熱かったし苦しかった。………でも、お姉さんにもあるはずでしょ?大切なものとか、未来とか」

「っ……」

はたと思い出したのは、姫との約束。

 

『……ちゃんと戻ってきてね』

『ああ、約束する』

 

「……ある。待ってくれてる人が、人達がいる。それにお前達と違って、夢とか、やりたい事とか、そういうものがまだない。だからこそ見つけたい」

「………いいね。きっとお姉さんなら、何でもできる……何にでもなれるよ」

慈愛に満ちた笑みの少女を真っ直ぐ見つめ返す。いつの間にか彼女の後ろには見覚えのある顔ぶれ……アパートの住民達が揃っていた。

「お姉さんも、私達も、前に進むべきなんだ。でも戻って来るということは、前に進むということじゃない。だから………チップをどうぞ」

「ああ、頂こう」

手を差し出し、紙幣を受け取る。紙幣は私の手に収まった瞬間、6枚の見たことがない穴の空いた硬貨に変わった。握り締めると、それは灰となって零れ落ちた。

「………これでいいんだな?」

「うん。じゃあねお姉さん!ピザ届けてくれてありがとう!最後まで付き合ってくれてありがとう!元気でね!」

手を振る彼女らに軽く一礼し、私は部屋の扉を閉めた。その衝撃に耐えられなかったようで、蝶番が音を立てて外れ、扉が倒れる。部屋の中は先ほどとは変わって燃え尽きた廃墟と化しており、そこには誰もいなかった。

 

 

「戻ったぞ、店長」

「はっ………はああああああああああああっっ!?」

配達を終えて店に戻った錠前サオリだ。厨房に入ると、出迎えたのは店長の絶叫だった。

「じゃっ、じゃあチップを……?」

「受け取った」

「どっどっ、どうして!?チップを受け取るなと注意事項に……!」

「客に望まれたからな。それに受け取らなければ、私が死んでただろう?」

「ふ……ふざけるなあああああああ!!!みんな渡っちまったじゃないか!!!!」

全身の毛を逆立て、牙を剥き、瞳孔を針のように尖らせて、店長は調理台を叩いた。そしてその場にあったピザカッターを私に向けた。

「どうしてくれるんだ!?もうすぐで儀式は………みんな生き返ったんだ!!!どうして!!?」

「逆にどうしてそこまでするんだ?言ってはなんだが、ただの客だろ?」

「常連客だ!!みんな俺のピザが大好きで、喜んで食べてくれた!!それにやりたいことがあったんだ!!夢や目標が!!それが全部奪われて、可哀想だとは思わないのか!?」

痛いところを突くな、だがもう迷わない。

「……思ったさ。でも、彼女達は前に進むべきだと言っていた。戻ってくることは前に進むことではないとも。だからチップを渡してきたし、私も受け取った。店長、お前も前に進むべきだ……!」

「何が『前に進むべき』だ!!」

感情的にピザカッターを振り回す店長。とても正気とは思えない剣幕だ。しばらくそうしていると手からすっぽ抜けてしまい、明後日の方向に飛ばしてしまう。ガシャンと大きな音を立て、床を転がっていく。それを眺め、いくらか落ち着いた店長は、懐から一冊の本を取り出した。

「うっ…………!!」

思わず声が出て、後退り、鳥肌が立った。そして鳥肌が立った。そして確信した。表紙は黒一色で古めかしいその本からは見ているだけで正気が削れるような、この世にあってはいけないと確信できる禍々しさを纏っている。あんなものどこで手に入れたのか分からないが、このピザ屋には似つかわしくないその異物には今回の儀式や、それ以外の悍ましい知識が記録されているのだろう。案の定、その予測は当たった。

「この本に書いていたんだ……。死者は呼び戻せると。そのための儀式が、知識が載ってある本だ!従業員は誰も信じなくて、気味悪がって辞めてしまったけど、でも本当だった!あそこにみんなを留められた!あと少しだったんだ!!あと少しだったのに……どうして犠牲になってくれないんだ……」

店長は膝を折り、丸まって泣きじゃくった。この人は客にそこまでできるのか、それほどまでに心優しい証拠なのかも知れない。きっと知り合いが一気に亡くなって心が弱った時に、あの本に出会ったのだろう。取り戻す方法を知ってしまったのだろう。そしたらもう、試すしかない。そんな気軽さで儀式を始めた。

しかしまあ、自分の大切なもののために私を犠牲にしようとする……私を生贄にしようとする所を見ると、エデン条約の時の自分を思い出して何とも言えない感情になった。

「店長。この店には棟梁達や他の常連がいるだろう。彼らのことも見るべきだ。幸いにも犠牲者は出ていない。私は気にしないさ。だから、なあ、やり直せるはずだ」

店長に近づき、努めて優しく声をかける。そして手を差し伸べた。私がギリギリの所で先生に救われたように、きっと店長もまだ間に合う。止めなくちゃ。そう思い、自然とその行動に出ていた。

しかしその瞬間、

「まだだ」

「は?」

「まだ終わってない!!」

店長はそう叫ぶや否や黒い本を開き、血走った目で、貪るように読み始めた。顔の毛先から脂汗を垂らし、髭が鋭くピンと張る。本を握る手は強く、爪が立ってるせいで表紙に突き刺さっていた。

「きっとあるはずだ!方法が、あるいは抜け道が!たくさんの儀式が、向こう側の知識がこの本にはあるんだ!研究しなきゃ!きっとどうにかなる!!……ああ、そうだな。君の言う通りだ!!前に進むんだ!!なんとしても押し進めて、また呼び戻すんだ!!」

………嘘だろう?呑まれてるのか、本の狂気に、自分の願いに。ここまで来たら、力づくで止めるしかないか……。

私は大きく溜め息を吐き、アサルトライフルを構えた。

「私でも分かる、その本は危険だ。今すぐやめろ!でないと撃つぞ!!」

「知識!知識!知識!儀式!もっともっともっともっともっともっと!!にゃはは………はははははははははははははははははは!!」

正気を失った人間の姿に戦慄する。今一度呼吸を整え、私は引き金を引いた。

(銃声)

店長の頭上を通り過ぎるように、威嚇の意味の一発。店長は気にも止めず本を読み続けている。

(銃声)

今度は膝に一発。キヴォトス人特有の頑丈さは獣人にもあり、少し出血する程度の傷に留まった。それでも痛いはずだ、痛いはずなのに、止まらない。

「店長!止まれと言っている!ああクソ!!」

指先が震える。引き金が重く感じる。恐怖もあるが、単純に撃ちたくない。この雇い主は働いてる時はいい人に思えた。騙されていたが……ストックホルム症候群か!?笑えるな!笑えない!止めなければ!絶対碌なことにならない!

意を決して、指先に力を込めた。

瞬間、

 

「⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎」

 

突然後ろから、先ほど会った少女の声が聞こえてきた。そして気配を感じた。これは少女だけじゃない。アパートの住民全員が、私の真後ろにいる。

「へ?あっ、ああ……!みんな!」

店長もそれに気がついたようで、私の真後ろに視線を向けた。ポロポロと涙を流し、立ち上がり、本を投げ捨て、気配の方へ駆けて行った。

「⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎」

「ああみんな!戻って来ていたんだ!儀式は成功してたんだ!やった!やったー!!」

「⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎」

サッカーが得意な少年とその父親の声。しかし言葉がまるで理解できなかった。どうしてかは分からないが、確信した。彼女らは戻って来ていない。もう向こう側の存在なんだ。だから何を喋っているのか理解できないんだ。

「⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎」

「⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎」

「待っ⬛︎⬛︎くれよ、います⬛︎⬛︎⬛︎を焼こ⬛︎!みんなの好⬛︎なものをだ!」

ミュージシャン志望のロボットとご婦人の声。店長の声も段々と理解できなくなっていく。ああ、分かった。もうダメなんだな。連れて行くんだな。私は振り返ってはならないんだな。

「⬛︎⬛︎⬛︎た⬛︎!⬛︎んな⬛︎⬛︎⬛︎これ⬛︎!こ⬛︎で夢が⬛︎⬛︎⬛︎!⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎やりたい⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎るな!!よ⬛︎⬛︎た!!」

「⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎」

「⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎」

少年のお母さんの声と、ミレニアムに行くはずだった少女の声。私はアサルトライフルを手放し、帽子のつばを深く下ろした。

「⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎」

最後に響いたのは店長の声。その瞬間、気配も声も全て途絶えた。振り返るとそこには、誰もいなくなっていた。

 

「サッちゃん、元気?」

「………姫か」

疲れ切って、冷蔵庫に背を預けて地べたに座り、ぼーっとしていると、入り口から姫がヒョコッと顔を出して来た。

「………どうにかなった」

「そうみたいだね。……あっ」

姫は厨房に入ると何かに気がつき、拾い上げた。黒い本だ………黒い本!?

「姫!!それは……」

「分かってる。見たことあるから」

「はぁ!?」

「アリウスにもあった。でも読んではないよ、安心して」

弾き出されたように立ち上がり、詰め寄った私に、姫は優しく微笑みかける。そして私にオーブンの場所を聞いて来た。私はほっとして溜め息を吐き、案内した。

「これだ」

「大きいね、さすがピザ屋さん」

そう言って姫はオーブンの中に黒い本を投げ入れる。そしてボタンを押した。

「……?……??」

………姫はオーブンの使い方が分からなかった。

「こっちだ」

私は姫の後ろに立ち、代わりにボタンを押した。耐熱ガラスで中の様子が見え、黒い本はどんどん燃えて炭になっていく。熱くて苦しそうだ。彼女らはこれに囲まれて死んだんだな。ぼーっとそんなことを考えながら、二人で黙ってそれを眺めていた。私はいつの間にか姫を後ろから抱き締めていて、姫は嫌がることなく、私の手を握ってくれていた。

(オーブンのタイマー音)

十数分程で調理完了。炭化した本を取り出し、まだ燃えてないかしっかり確認し、念のため粗熱も取って、ゴミ箱にぶち込む。

「だけど、どうしてこんなものを店長が?」

「分かんないけど、この手のものは引き寄せられるから。求めていて、尚且つ使える人に。店長さんはそういう人だったんだと思う」

「そうか。だがこれで、もう……」

「うん、大丈夫。じゃあ行こう、外でミサキとヒヨリも待ってる」

姫に手を引かれ、私は厨房を出た。店内には夕陽が差し込んでいて、炎のような光が私達を照らし暖めている。もうそんな時間だったんだな。

「サオリ」

出入り口の自動ドアの前で、姫は私に向き直った。私の手は握ったまま、しかし宝物でも触るかのように優しい力加減だった。

「約束守ってくれてありがとう。戻って来てくれてありがとう。サオリは優しいから、生贄になっちゃうんじゃないかって、少しだけ思ってた」

「………実は迷ったんだ。でも彼女らが止めてくれた」

 

『………いいね。きっとお姉さんなら、何でもできる……何にでもなれるよ』

 

「………そう言ってくれたよ」

「うん。私もそう思う」

 

 

その日は姫達の拠点で過ごした。みんなでご飯を食べて、寝て、朝起きて、そしてまた別れた。みんなはみんななりに優しく、送り出してくれた。

何でもできる、何にでもなれる。なら私は何をして、何になろうか?答えはまだ出ていない。店長のように狂気的にブレないとまではいかないが、胸を張って言える何かを手に入れられるだろうか。手に入れたいものだな。

そんな事を考えながら、また新しいバイトの面接に向かった。

 

 

 

 

ここだけサオリが裏バイトで働いていて、ひどい目にあったりあわなかったりする世界




錠前サオリの裏バイト奇譚4

業務内容:ピザ屋の配達
注意事項: 『チップは絶対受け取らないこと』
勤務期間:13日間
給与額:なし(給与受け取り前に雇い主が失踪)

コメント:どの道注意事項を違えたんだ、お金は貰えなかっただろう。今回ばかりは仕方ない。
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