ガゼフに着いていって王国に仕官した単独転移アインズ様   作:万里支店

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王国の商人とかって徴兵逃れのために冒険者登録だけしとく人とかいそうだけど、どうなんでしょうね


戦争を経ての

 宮廷魔術師アインズ・ウール・ゴウンは民衆に大人気のガゼフ・ストロノーフが見出だし、同じく大人気の第三王女ラナーがその人柄を保証した仁義に篤い人物。王家に忠誠を誓っている。先の……民草の間で終結戦争と呼ばれる戦争での大魔法は前準備が大変だから数十年は使えず、使える時がきても決して自国民には向けない。戦争の負傷者がゼロであることがその証拠である。

 以上の内容のお触れが、リ・エスティーゼ王国王都に繰り返し発布されている。

 

 アインズ・ウール・ゴウンが国内外にもたらした影響はあまりに甚大であった。

 帝国の人的被害は何万か。地形すら破壊し、のちにそれを戻す偉業も知られている。

 大破壊を目撃した民兵たちは家に帰った後当然そのことを家族に、友人に、隣人に話した。時に家で、時に酒場で、時に往来で声高に話した。

 その結果として恐慌が起こらなかったのは幸いだった。話の内容があまりに突飛で、聴衆がすぐには信じなかったことが大きな理由だろう。何十人もの戦場帰りが同じ話をすることで少しずつ信じるものが出てきた段階で、アインズ・ウール・ゴウンの忠誠と働きを称え、無害を訴える触れが間に合ったのである。

 もう少し遅ければどうなっていただろうか。強大という言葉では足りないほどの魔法詠唱者のいる国にいるのが恐ろしいか、それと敵対しうる他国に行くのが恐ろしいか……。混乱した民衆ほど御しがたいものもない。少なくとも経済活動が麻痺して税収が細り、餓死者が多く出ていたことだろう。

 ラナーは民草が落ち着いていく様子を聞き取り、深く安堵していた。

 

「思っていたよりはるかに危険でしたね……。竜の尾を踏むに変わることわざが欲しくなります。ゴウンに唾を吐く、のような」

 

 さんざんゴウンに嫌みを繰り返した貴族たちの舌鋒から跳ねる唾を意識したことわざである。王女らしからぬ下品な出来だが、今のラナーの気分には適していよう。

 彼らは今ごろ遺書でも書いて息子に引き継ぎでもしているだろうか、そんな発想は考える前に切り捨てる。そんな殊勝なものなど王国にはいないし、いたとしたら嫌みや悪口など言っていない。今頃ご機嫌取りの貢ぎ物や手紙や嫁候補の娘が、アインズ宛に大挙していることだろう。

 

「そんなことより、彼をどう活かせばクライムとの生活に繋げられるかを考えないと」

 

 先の大魔法、破壊と創造の神話の再現にはいくつかのメッセージが込められている。

 

 俺は怒っている。

 力を目の当たりにしたならば身の程を弁えよ。

 しかしこの力をみだりに振るうつもりはない。

 ひとまず王国を宿り木とするのでそれを念頭に置け。

 王に成り代わろうだとか新しい国を建てようなどとは考えていない。煩わせるな。

 

 いささか恣意的だが、こんなところだろう。

 あれほどの力を持っていながら、伝来の王国民でもない男が王国に跪く理由はわからない。わからないのだから考えるだけ無駄だ。

 問題は明らかに過剰な力を示したこと。平時の会話からして謙虚な様子は芝居ではない。立場や歳が上の者を立てる振る舞いは手慣れていた。王国に来る前からそういった振る舞いをしていたはずだ。

 あれだけの力を持ちながらなぜ? 力を隠していた? 目立ちたくなかった? その信条を曲げてまで魔法を使ったのはなぜ?

 なぜ?

 なぜ? なぜ? なぜ?

 

「……ダメね。どうしても意味のないことを考えてしまう」

 

 行動原理を知ればより利用しやすかろうが、その行動原理を知る材料がない。己とペットの夢の未来のためを第一に考えなくてはいけないのに、あまりの強大さに思考が麻痺してしまっている。

 

「戦争前にお兄様に殴られる様を見せられてよかった」

 

 戦後のバルブロの様子を思い出す。

 多少は萎縮していたかに見えた愚兄は、アインズが父に跪く様に見苦しいほどに調子に乗った。

 あの戦力は王のモノ。

 つまり王家のモノ。

 であれば次期王たる俺のモノ。

 そんな図式が、頭の中で出来上がってしまっている。

 

 今のところアインズの心証を損なうような言動はほぼ見られていない。派閥の貴族たちが、御輿が死んではかなわんと必死に抑えている。が、それも時間の問題だろう。

 アインズの目の前で兄に殴られた時の様子からして、アインズはラナーに同情的だ。この先に兄を殺すとしても、城ごと破壊して巻き添えになるようなことはないだろう。

 クライムにも、アインズを空前絶後の大英雄であるかの如く吹き込むことに成功している。自らを称える子どもを邪険にする性格にも見えないので、好意は稼げているはずだ。

 では、どうするか……。

 

「『健気で一生懸命で国民を思うお姫様』これで機嫌を損ねた様子もないし、ひとまず王国を憂える不憫な王女の路線は継続。今後は他国からの侵略の心配はしなくていいわね。軍事面において王国は安泰。王に恭順する様子を見せたのだからすぐに王国を出るつもりもないはず。この機に王権の回復と膿を出しきるよう動くとして……。蒼の薔薇を呼んで本格的に八本指を追い出そうかしら。それとも使い道があるか……」

 

 まずは仲良くなることだ。

 あの怪物が支配や魅了、あるいは心を読む魔法などといったものを、私にかけようという発想すら出ないよう、心のうちに入り込む必要がある。

 そのための演技も献身も厭わない。

 細心の注意を払う必要があるが、その価値はある。

 

「あぁ、クライム……」

 

 クライムとの穏やかな生活が、ぐっと現実的なものとなったのだから。

 

 

 

 朝だ。

 エ・ランテルの金級冒険者パーティ『フォルク』のリーダー、ハーディは常宿から出て朝日を浴び、大きく伸びをした。夕べの酒は残っていない。体に凝りや痛みもない。仕事をするに申し分のないコンディション。

 もっとも、当日中に体を動かすかどうかはわからないが。

 そこかしこで仕事に励む人々を尻目に通りを歩く。目的地は冒険者ギルドだ。最近の依頼の量ときたら、ゴブリンの兄弟さながらだ。

 

――ギィィ

 

 冒険者ギルドの木戸は年季のいった艶に相応しい軋みを鳴らすが、それを聞き取ったものは自分以外にいないだろう。そう確信できる人いきれだった。あちこちで同輩が依頼をどうするかで話し合っている。これは割りがいい。こっちは払いがいいが遠すぎる。バカ野郎、これはランクが違うぞ、返してこい。

 

「ハーディ!」

 

 喧騒を縫って届いた声を辿れば、メンバーの男、トマスが手を上げていた。ギルドの奥のテーブルに、パーティメンバーの四人が座っていた。

 

「遅かったじゃねえか。もう受けちまったぞ」

 

 ハーディは苦笑した。リーダーの決定を待たずになんたる言い分か。今に始まったことではないが。

 

「内容は?」

 

 椅子に座りながらハーディが問うと、トマスの向かいに座るもう一人のメンバー、ンラレが依頼書を差し出した。

 

「領境付近で暴れる盗賊の討伐だ。領地の行き来については領主から、自由にしていいとさ」

「そりゃまた、気前がいいな。自前の兵士を使えばいいのに」

「仕事があるのはいいことだろ。支払いだって今までより気前がいいぜ」

 

 違いない。とハーディは固いパンをむしった。

 そんなハーディの後ろを金属鎧を着込んだ男たちが通った。5人いずれも兜、胸当て、小手にすね当てが金属製だ。佩いてる剣も立派なもの。首から下がる銅のプレートが不釣り合いな装いだった。

 さらによく観察すれば、使い込まれたそれら鎧の一部に、不自然に傷が集中している箇所が見られた。おそらく、何かの紋章があったのだろう。

 

「……またベテラン新人か?」

「最近増えたな。おかげで近場のモンスター退治が取られちまって、遠出ばかりだ」

 

 ギルド内を見渡しても、今だけで数組、金属鎧の銅プレートが見て取れた。彼らにどこから来たのか、装備はどうしたのかと聞くと、決まって「流れの者だ」「道中で野盗から奪った」といった返答をよこすのだ。

 

 その事についてハーディ達がなにかを考えることはない。人の事情を探るなどトラブルの元でしかないし、特に興味を惹く内容でもないからだ。それよりも今日の仕事と、明日の準備に頭を悩ませる方がよほど重要だ。

 多くの冒険者はそう考えていた。

 

 

 エ・ランテルの朝は、門が開く前から始まっている。

 商人アーバルは帳面を閉じ、深く息を吐いた。今日の分は問題ない。昨日までの分も、ひとまずは、だ。だが「ひとまず」という言葉が付く時点で、平穏とは言えない。

 王国の通貨は今日も信用されている。露店も店も並び、物は動き、人は金を使う。表向きは何も変わらない。

 

 だが、流れが変わっている。

 まず兵士だ。

 

 減った。エ・ランテルでも減ったし、他の都市でも減っている。アーバルが所属する商会でも周知のことだ。代わりに目につくのは冒険者――それも、装備のわりに階級の低い連中だ。

 そういった連中の中には、同型の装備を売りに来る者もいる。どこの誰でどこで手に入れたのかと聞けば、返事はだいたいがこうだ。

 

「流れの者だ」「野盗から奪った」

 

 そんな言い訳を、アーバルは何度も聞いている。商人は人の嘘に慣れている。あれが嘘であることも、だいたい分かる。

 使い込まれた揃いの鎧と、それを着こなす集団。

 兵士が減り、冒険者が増える。

 

 馬車に乗るため外に出たアーバルの前を、金のプレートをつけた一団が通っていった。その会話が漏れ聞こえる。領境で盗賊退治。

 まただ。アーバルは内心で舌を打った。最近冒険者への依頼で顕著に増えているものが、盗賊退治だった。その理由は分かる。アーバルはあの戦争に参加していたのだから。

 後方の部隊ではあったが、あの光景を見るのになんの不都合も無かった。彼は見たのだ。世界が変わる瞬間を。悟ったのだ。武具の販路が変わることを。

 あんなものを見てしまっては、兵力に金を割こうとは思わなくなるだろう。今、王国は軍縮の風向きにある。人智を超えた宮廷魔術師殿の力を思えば、人間数百人分の暴力に意味を見出だせなくなるのも仕方がないだろう。多くの貴族が常備軍の規模を小さくした。そのため、食い詰めた兵士が装備を奪って共謀して逃げた、なんて話が方々から聞こえてきた。

 

 だが治安の悪化はない。あり得ない。あの魔法を見た人間が、王国の国益を害する判断など、するわけがないのだ。

 

 故に、徴兵義務のない冒険者が徴兵から逃れた盗賊の相手をする頻度が増えたのだ。

 

 冒険者は呑気に笑う。魔獣退治より危険が少ないと。その魔獣退治も、他の冒険者と連携が組みやすくなったお陰でなお安全になった。

 なぜ連携が組みやすくなったかと言うと、やはり最近増えた銅級だ。連中はまるでどこかで訓練を積んだかのように腕が立つので、銅級相当の魔獣退治は危なげなくこなす。すると等級の高い者は手が空いて、実入りは落ちるが安全に狩れるからと、他の冒険者と組む者も現れるのだ。

 

 盗賊の弱体化も、冒険者には喜ばしいことだろう。

 少なくない貴族が魔法詠唱者の登用を広く周知した。技を見せてくれるだけで報酬が貰え、程度が良ければ召し抱えられ、我が子の魔法の教師にと言うものまでいる始末。しかもそこに素性は問わず、王国の法において恩赦の用意まであるという。

 明日も知れない盗賊稼業など後ろ足で砂をかけていくには魅力的に過ぎる提案だろう。罠かと疑う者もいたろうが、結局それで捕り物が行われたことはない。

 

「やはりあの日から、王国は変わったのだな……」

 

 遠く、もう酔っている冒険者の声が聞こえる。依頼の帰りか、休息日か、はたまた仲間の弔いか。

 アーバルは鹿毛の馬をひと撫でしてから馬車に乗り、御者に目的地を告げて幌から顔を覗かせた。これから武具職人の下を訪れなければならない。剣も鎧も仕入れを増やす。仕事と数の増えた冒険者向けだ。

 しばらく走ると、『虹』のモックナック殿が見えた。彼のパーティはアーバルの店の常連と言ってよかったが、すぐに道を折れてしまったので挨拶をし損ねた。

 モックナックの顔は暗かった。

 それを思いながら、数年後の王国を夢想する。

 

 盗賊の類いは一時的に減るだろう。狩り尽くされるか、隠れられるか、他国まで逃げるか。そうすると急激に数を増やした冒険者同士で依頼の奪い合いだ。冒険者は次第に数を減らす。家業に戻るか、開拓村に居着くか。その中からは、盗賊へと身をやつす者もいるだろう。

 そうすると冒険者が減り、盗賊が増える。増えた盗賊は今いる盗賊よりも戦闘経験が豊富で、冒険者のやり方を熟知していることになる。生半な冒険者では相手にならないだろう。

 

 ところで領主が兵を出さないとはどういうことか。任された領地の安寧を、冒険者に投げるとは。

 暴力装置の外注だ。

 冒険者は便利だ。契約すれば来る。装備や物資は自分達で整える。失敗しても領主に責任はない。死ねば補償もいらない。

 

 だが商人にとっては違う。冒険者は「自分達を守る者」でありながら、同時に「不確定要素」でもある。

 報酬が下がれば来ない。

 別の街が儲かれば移る。

 国がどうなろうと、彼らは生き残る道を選ぶ。

 それは正しい。だが国家運営としては危うい。

 街門の方から、金属鎧の一団が入ってきた。銅のプレートが首から下がる。やはり不釣り合いだ。

(……またか)

 アーバルは視線を逸らし、酒を飲んだ。

 見なかったことにするのも、商人の才能だ。

 

 

 それでも今日、街は賑わっている。冒険者は笑い、酒は売れ、宿は埋まる。

 だから人は言うのだ。「まだ大丈夫だ」と。

 アーバルは幌から顔を戻し、目をつぶった。

 

(何かが変わる時ってのは、いつもこんな顔をしてやって来る)

 

 誰も気づかないうちに、値段が変わり、契約が変わり、人が減り、仕事が増える。

 剣より先に、金が動く。

 馬車が揺れる。遠くで鐘が鳴った。いつもと同じ時刻。

 エ・ランテルは今日も平和だ。

 ――少なくとも、表向きは。

 

 

 夜明け前の執務室は静かだった。

 ジルクニフ・ルーン・ファーロード・エル=ニクスは、机上に広げられた地図を指先で押さえ、動かない線をじっと見つめていた。線は帝国の街道であり、かつての補給路であり、そして今は――生活路だ。

 

「報告を」

 

 声に応じて、文官の一人が一歩前に出る。

 

「東部三都市、人口減少率は予測値通りです。問題は流通で、二週間以内に再編が必要かと」

「二週間で足りるか?」

「最短で、です」

 

 短い沈黙。ジルクニフは頷いた。

「やれ。優先順位は食料、次に燃料、最後に嗜好品だ。贅沢は許すが、ほどほどで、かつ絶やすな。人は忙殺されると考えなくなる」

 

 文官は即座に書き留める。

 帝国は敗れた。軍は消えた。だが、命令はまだ生きている。

 

「治安は?」 「夜警の再編は進んでいます。元兵士を中心に」 「武装は?」 「槍と盾。剣は持たせていません」 「十分だ。威圧的な様は見せるなよ。恐怖を振り回す必要はない。規律だけあればいい」

 

 かつて、帝国は軍事国家だった。

 だが今、軍事は最も費用対効果の悪い手段に成り下がっている。

 ジルクニフは椅子に深く腰掛け、天井を仰いだ。

 思考の端に、あの日の光景がちらつく。

 だが、振り払う。あれを思い返すのは無駄だ。理由は一つ。答えが決まっているからだ。

 

「未亡人と孤児の件は?」 「官営工房を三つ。縫製と簡易金属加工です」 「数字は?」 「黒字にはなりません」 「構わん。赤字は治安維持費だ」

 

 文官の一人が、わずかに目を見開いた。

 ジルクニフは気づいていたが、気づかぬふりをした。

 感情で政治をするな。

 だが、感情を計算に入れろ。

 それが彼のやり方だった。

 

「王国からの使者は?」

「まだです」

「当然だな」

 

 帝国は降った。

 だが、どう扱うかは王国が決めあぐねている。

 滅ぼすか、抱えるか、切り分けるか。

 どれを選んでも、王国にとって楽ではない。

 

「その間に、こちらが崩れれば――終わりだ」

 

 ジルクニフは独り言のように呟いた。

 帝国が自壊すれば、王国は【処理】をするだけで済む。

 だが、帝国が静かに回り続けていれば、王国は決断を迫られる。

 それが狙いだった。

 

「徴税は?」 「軽減しています。反発はありません」 「当然だな」

 

 文官が苦笑する。

 かつての皇帝なら、そんな顔は許さなかっただろう。

 だが今は違う。

 

「商人は?」 「動いています。利益は減っていますが」 「なら十分だ。利益があるうちは、国を捨てない」

 

 ジルクニフは立ち上がり、窓際に歩いた。

 遠くで鐘が鳴る。

 帝都は静かだった。静かすぎるほどに。

 

「……皮肉なものだな」

 

 戦争をしていた頃より、

 国は今の方が、よほど脆い。

 だが同時に、今の方が、よほど正直でもあった。

 

「命令を追加する」

 

 振り返る。

 

「冒険者の流入を監視しろ。排除はするな。記録しろ」 「はい」 「王国式のやり方が、帝国でどう歪むかを見る」

 

 それは、未来のための観測だった。

 自分が皇帝でいられるかどうかは分からない。

 だが、帝国という爪痕を残すことはできる。

 

「最後に」

 

 ジルクニフは、文官たちを見渡した。

「混乱を口にするな。民は“まだ大丈夫だ”と思っていればいい」

「……陛下は?」

「私は計算するだけさ」

 

 誰かが、かすかに笑った。

 その笑いはすぐに消える。

 窓の外、帝都は今日も動いている。

 兵はいない。

 だが人は歩き、物は運ばれ、金は巡る。

 それでいい。

 それだけで、今は十分だ。

 ジルクニフは机に戻り、次の書類を取った。

 帝国は敗れた。

 だが、終わってはいない。

 折れた心に燻る静かな闘志が、朝日よりも先にジルクニフを照らした。

 

 ジルクニフは机に戻ると、書類を一枚ずつずらしながら視線を走らせた。

 帝国は「余力」がない。判断を誤れば、そのまま崩れる。

 

「物流再編について、もう一つ」

 

 呼び止められた文官が背筋を伸ばす。

 

「街道沿いの宿場を三段階に分けろ。主要・中継・休止だ。休止した宿場には人を残すな。流民になる」 「補助金を?」 「出す。ただし期限付きだ。定住させる気はない」

 

 宿場は情報と人が集まる場所だ。

 同時に、不満と噂が膨らむ場所でもある。

 

「噂話を放置するな。だが締め付けるな。酒場を閉めるな」 「……泳がせる、と?」

「制御する。違いは分かるな」

 

 文官は一瞬考え、頷いた。

 軍が消えた以上、帝国に残る秩序は慣習と空気だけだ。

 それを壊さず、少しずつ向きを変える。

 それが今の統治だった。

 

「次。元兵士の扱い」

 

 ジルクニフは別の文官を見る。

 

「冒険者登録を推奨しろ。ただし、強制はするな」 「武装した集団が増えるのでは?」 「増える。だが制御できる形でだ」

 

 彼は淡々と言った。

 

「冒険者は契約で動く。金で動く。名誉で動く。だが国家に牙を剥くほど愚かではない。少なくとも、今はな」

 

 “今は”という言葉に、誰も突っ込まない。

 

「ギルドとの連携は?」 「記録の共有、依頼の標準化、死亡補償の明文化だ」 「そこまで?」 「人は数字で安心する。特に、死に慣れた人間ほどな」

 兵士だった者たちは、戦場で何を見たかを忘れていない。

 だからこそ、彼らは秩序を壊さない。

 ……壊した先に、もっと酷いものがあると知っているからだ。

 

「未亡人支援について追加する」

 

 ジルクニフは指を組んだ。

 

「工房だけでは足りんだろう。物流、宿、洗濯、調理。

 “帝国の裏方”を正式な仕事にしろ」 「賃金は?」 「最低限だ。だが継続性を保証しろ。一度始めたら切るな」

 

 慈善ではない。

 これは治安対策であり、未来への投資だ。

 

「孤児は?」 「教育だ。読み書き、計算、そして規律」 「軍事教練は?」 「不要だ。必要なのは“命令を待つ癖”ではない。“考えて従う癖”だ」

 

 文官の一人が、感心したように息を吐いた。

 ジルクニフは気づいていた。

 帝国はもう、軍事国家では生き残れない。

 生き残るなら、管理国家になるしかない。

 

「最後に、最重要事項だ」

 

 部屋の空気が引き締まる。

 

「王国に対して、我々は従順であれ。だが、無能であるな」 「……陛下?」

「自立している姿を見せろ。 使える属国か、持て余す重荷か。選ばせるのはこちらだ」

 

 沈黙。

 それは、敗者が口にするにはあまりに大胆な言葉だった。

 だが誰も否定しない。

 

「命令は以上だ。各自、実行に移れ」

 

 背中を向けた文官たちに、ジルクニフは再度声をかけた。

 

「ああ、それから、フールーダの療養は、引き続き最優先としろ」

「……復帰の予定は?」

「ない。彼はもう、帝国の時間を生きていない」

 

 重く頷いた文官たちが退出していく。

 扉が閉まり、執務室に再び静寂が戻った。

 ジルクニフは椅子に腰を下ろし、深く息を吐いた。

 

「……まったく」

 

 戦争をしていた頃より、

 今の方が、よほど神経を使う。

 だが、それでいい。

 帝国はまだ生きている。ならば、考える価値はある。

 

「…………」

 

 執務室には沈黙だけがある。文官たちが去ってしばらく、ジルクニフは次の書類へ手を伸ばさなかった。

 王国からの使者はいつ来るのか。フールーダはいつ出ていくのか。

 空白だ。

 だが、何もないわけではない。

 むしろ、そこには重すぎるほどの前提が鎮座している。

 

(……あの男だ)

 

 名前を口にする必要すらない。

 帝国中、いや大陸中で、知らぬ者の方が少ない。

 単身で戦争を終わらせ、

 単身で他国の戦線を崩し、

 単身で、国家という単位の価値を揺るがした存在。

 王国が帝国を屈服させたのではない。

 彼がそこに立っていたから、帝国は膝を折った。

 ジルクニフは、自嘲気味に鼻で笑った。

 

「……国家運営、か」

 

 もし、あの力が王国の意志として振るわれるなら。

 もし、王国が“帝国を潰す”と決めたなら。

 物流も、治安も、未亡人支援も、すべて無意味だ。

 一日で終わる。

 だからこそ……。

 

(潰されない形を、こちらが用意する)

 

 帝国を「敵」ではなく、

 帝国を「道具」でもなく、

 帝国を「管理可能な同盟対象」にする。

 それが唯一の生存戦略だった。

 彼は思い出す。

 戦場痕で見た、あの光景を。

 魔法の理屈も、構造も、威力も、皇帝である自分ですら正確には理解していない。

 理解できたのは、ただ一つ。

(あれを、政治で縛ることは出来ない)

 条約でも、法でも、慣習でもない。

 縛れるとすれば、それは、感情だ。

 敬意。

 信頼。

 そして、面倒を起こさない存在である、という評価。

 

「……我ながら、情けない賭けだ」

 

 だが、賭けない理由はない。

 アインズ・ウール・ゴウンという男は、少なくともこれまで、無差別に世界を壊してはいない。

 困っている国を助け、無用な殺戮を避け、王国の法と体面を尊重している。

 理性がある。

 それだけで、十分すぎる希望だ。

 ジルクニフは背もたれに体を預け、目を閉じた。

 

(王国が帝国をどう扱うか)

 

 それは、ランポッサ三世の意志でも、貴族の都合でもない。

 最終的には、あの男の納得に左右される。

 

 だからこそ。

 帝国は混乱していてはならない。

 血にまみれていてはならない。

 統治不能であってはならない。

 救う価値がないと判断されるだけで、終わる。

 机の上の書類を、ジルクニフは静かに整えた。

 

「……生き残るぞ、帝国」

 

 それは、臣下に向けた宣言ではない。

 誰に聞かせるでもない、皇帝自身への命令だった。




「主人公の姿は無いけど確実に影響を与えている」みたいなのが好きです
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