ガゼフに着いていって王国に仕官した単独転移アインズ様   作:万里支店

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王国の夜

 ラナーは窓辺に立ち、王都を見下ろしていた。

 朝の光に照らされた街は、つい先日戦争をしたとは思えないほど穏やかだ。人は歩き、荷は運ばれ、声は重なり合う。

 

(……よかった)

 

 本心からの安堵が、胸の奥で小さく息をついた。

 王国は、ひとまず壊れていない。

 だがそれと同時に、ラナーは知っていた。この平穏が、誰の功績として語られているかを。

 

「宮廷魔術師殿のおかげだ」

「陛下は彼を異例の抜擢で王宮へと迎え入れたとか」

「彼は王家に絶対の忠誠を誓っているらしい」

「このままいけば王国は安泰だ」

 

 市井で語られる素朴な噂話。

 そのすべてが、少しずつ、だが確実に、第一王子バルブロの背中を押している。家とは長子が継ぐもの。当然のこととしてみなそう考えているからだ。

 ラナーは唇に、かすかな笑みを浮かべた。

 兄が調子に乗ることは、最初から織り込み済みだ。彼は“力”を従えるということが分からない。

 父王に跪いたアインズ・ウール・ゴウンの姿。

 あれを見て、兄がどう思ったか……。

 

(王の前に跪く者は、王家のもの)

 

 実に分かりやすい図式だ。

 そしてそれは、八本指にとっても同じこと。

 ラナーは無邪気な笑顔でメイドへと語りかける。

 

「最近バルブロお兄様はとても楽しそうね。それは喜ばしいのだけれど、お体は大丈夫かしら」

「そうですね。厨房でもお酒の飲み過ぎではないかと話されていました。昨夜もお客様と……」

 

 メイドとの会話を頭の中で組み換える。バルブロは昨夜も酒宴。相手の名に覚えがある。八本指の御用商人だ。

 

(強くなりましたね。ええ、とても)

 

 それは八本指が、ではない。兄が、でも、もちろんない。

 兄と八本指の結び目が、だ。

 

 王権が回復すれば、王族に近づく者が増える。それは当然の理屈だ。

 そして、兄はそれを拒まない。拒むわけがない。むしろ誇らしげに受け入れる。

 自分は、次の王だ。

 自分には、最強の魔法詠唱者が付いている。

 

(……ああ、危うい)

 だがラナーは止めない。

 諫言もしない。忠告もしない。

 存分に踊ってもらった方がいい。

 

 

 バルブロは酒杯を傾けながら、満足そうに笑っていた。肴は諸国の王族、有力貴族からの戦勝祝いとそれに付随するご機嫌伺い。そして祝いの贈答品の数々。

 夜も深くの王宮。バルブロの執務室である。

 廊下の向こうで、ふと衣擦れが止まった。

 それだけで誰かが息を呑んだのがわかる。

 扉の外に立つものの姿に、初めて訪れた木っ端貴族などは顔色を失うのだ。

 今宵の客もまた同じだった。

 もはや帝国も、周辺諸国も、王国の裏に潜る鼠どもでさえ、自分の前ではこうなるのだ。

 

「皆怯えている。次期王たる俺に」

 

 幾人かの貴族が頷く中、側近のひとりが慎重に口を挟む。

 

「恐れながら、殿下……」

「わかっている。アインズだろう?」

 

 バルブロは不快げに肩をすくめた。自分は愚かではないのだ。酒が入っていようともそれくらいはわかる。そして、それ以上にも。

 

「やつは王家に仕えている」

 酒杯を呷り、空にする。

「俺の部下だ」

 

 酒気とともに吐き出された言葉には、酒精以上の陶酔が見てとれた。側近は喉を詰まらせる。明確な反論を持っていなかった。それでも何かを言おうと口を開いたところで、部屋の戸が叩かれた。ドア横に控えた下級貴族が薄く開け、外の者と短く会話している。

 

「殿下」

「来たか。通せ」

 

 バルブロに促され入ってきたのは、それなりに整った身なりの男女が複数人。それぞれ手に捧げ物を持っている。

 

「殿下」先程の側近が目をむいた。「この者どもはまさか……」

 

 王国に巣食う病巣。八本指の使いだ。この側近とて王国貴族。バルブロに侍って長い。個人的にも八本指との繋がりはあるし、バルブロが繋がっているのも知っている。

 だが、まさか王宮に通すなど。

 通常の手段ではなかろう。よもやと思うが、隠し通路を通したのでは……?

 

「うるさいのは好まん。お前は出ていけ」

 

 つまらなそうに言い放ったバルブロは、もう側近を見ていない。その目は跪く客人と、その持参品に向けられていた。代表なのだろう。先頭の男が口を開いた。

 

「此度の戦勝、おめでとうございます。伝え聞くところによりますと、アインズなる宮廷魔術師の前線投入には殿下の口添えもあったとか。いやはや、慧眼恐れ入ります」

「うむ」

 

 もう何度も聞いた賛辞だ。バルブロは上機嫌に酒を呑んだ。

 

「あれは中々の拾い物であったな。戦士長もたまには良い仕事をするものだ」

「全ては平民の使い途を見極める貴き方のお導きあってこそかと存じます」

「まあな」

「かの御仁は、今は?」

「ああ、何やら竜王国から救援を乞われていてな。アインズ自身が行きたいようだったから、そちらに武威を示すのも良かろうと、許可してやった。明日にも向かうのだろう」

「さようで……」

 

 バルブロは気付かない。男の目から鋭さが消えたことに。男の興味が失せたことに。

 男はさらに美辞麗句を並び立て、王国の鮮やかな勝利を祝った。長々とした挨拶を満足げに聞き終えたバルブロは、手に持つ酒杯を下々へと示す。

 

「貴様らの寄越したこの酒。これはよいものだな。立ち上がりは華やかで、熟れた果実に蜜を重ねたような香りが広がる。角のない口当たりは柔らかいが、内に重みを秘めている。強いが荒れぬ、よく馴らされた酒だ。飲み下せば」グイ、と残りを飲み干した。熱い息を吐く「……静かに火が残る」

 

 八本指の使い、その代表なのだろう男が答えた。

 

「お気に召しましたなら、いくらでもお持ちしましょう。王家の方に相応しい――より馴れた酒もございます」

「ハハハ。貴様らの酒を呑むと、夜が短くなってしまうな。気付けば朝だ」

 

 クスクスと周囲が笑う。バルブロは次の酒を注がせていた。そうして己の落とした金の行く先など、興味の端にもない。

 

「以前ご注文頂いた品は後ろの者共が。わたくしからは、新たな品をお納めしたく……」

「ほう?」

「かねてより殿下は我々の香を嗜まれておりますれば、こちらは――より王に相応しい品にございます」

 

 男が手元の木箱を開けると、中には紫の布に怪しく眠る葉巻が四本。

 

「ライラの良いところを選び、乾燥させて巻いたものにございます。香木で香りを整えてはいますが、その酔いは香とは格別にございます」

「ほう」

「一息で夢見心地。そちらの酒と合わせれば、より深くへと」

 

 男はそう言いながら慣れた手付きで先端をカットすると、バルブロに見えるように咥え、持たせていたロウソクから火を着けた。薄暗い室内に増えた光源は、しかしあまりに頼りない。

 男はぱっぱっと紫煙を吸い、ほぅと口から漂わせた。甘やかな香りが滲むように広がる。

 

「このように、肺腑までは入れませぬ。舌で転がすのです」

 

 男は自分が吸った葉巻を手元でくるりと返し、吸い口を向けてバルブロへと手渡した。

 

「最初の一息が肝心にございます」

「うむ」

 

 鷹揚に受け取り、躊躇うことなく口を着けた。見よう見まねで煙を吸う。その度に先端の火が喜ぶように強まった。

 ぬたりとした甘さを感じる。微かに喉に引っ掛かるが、それもすぐにほどけた。そして、強い多幸感。初めて人を殴った時の、初めて女を抱いた時の、嫌いな奴が転げた時の、旨い酒を呑んだ時の、朝天気が良かった時の、夜布団に包まれた時の、ような、濃密な、幸福が、快楽が……。

 境がなくなり、ひとつに混ざり合っていく。ただ気持ちの良い感覚だけがある。頭が綿のように膨らんでいくかのようだった。

 

「……これは、いいな」

「こちらの品を手に取ったのは、大陸広しといえどもバルブロ殿下。貴方様ひとりにございます」

 

 三度、四度と吸い、椅子に深く寄りかかり、天井を仰ぐ。四肢の力が抜ける。いや漲る。この部屋はこんなにも色を持っていただろうか。火の揺らめきとはこんなに賑やかだっただろうか。この酒の香りも、味も、こんなに良いものだったのか。

 バルブロの目が女を捉えた。八本指の使いの一番後ろに控えた女。娼婦だ。

 

「後ろの女。来い」

 

 それが合図だった。他の貴族も、八本指の使いも、皆隣室へと移っていく。名指された女は艶やかに微笑むとしなを作りながらバルブロへと歩み寄っていった。

 甘い匂いは、嬌声とともに部屋の隅々にまで染み入っていった。

 この匂いは、とれないだろう。

 

 

 抜けるような青空。涼やかな風が厩舎の匂いを運んでくる。

 その日、王城の練兵場には常ならぬ異様がひとつ、立っていた。

 リ・エスティーゼ王国が誇る王国戦士団の勇士たち。整列する彼らの前に、それはいた。

 大柄な人物だ。集う戦士たちの誰よりも上背がある。黒く攻撃的な鎧を身にまとい、襤褸のマントをたなびかせている。いずれも王国の規格ではないが、フルフェイスの兜だけが王国製だ。

 右手には木剣を、刃の部分に厚く布を巻き付けてある。左手のタワーシールドはまるで戦場跡から拾ってきたかのような有り様だが、業物の風格だ。

 

「傾聴」

 

 黒の騎士の隣に立つガゼフが言った。小声で騎士の正体を噂していた戦士たちが静まる。

 

「これは宮廷魔術師、アインズ・ウール・ゴウン殿による謹製の騎士だ。彼の御仁は死霊術師としても長けていてな。剣での戦いに特化したアンデッドらしい」

 

 ざわり、と空気が揺れるが、ガゼフはつとめて無視した。

 

「我ら王国戦士団の戦力増強のため、模擬戦の相手として貸してくれたのだ。アンデッドを見たことの無い者が萎縮しないよう顔は隠しているが、いずれは外すから心しておくように」

「あの、戦士長」

「どうした」

「ゴウン殿がなされること。もはや模擬戦の相手とすることに否はありませんが、そちらの騎士様の力量のほどは……?」

「ああ、ゴウン殿曰く、彼は騎士爵を持っているわけではないそうだから、畏まる必要はないとのことだ。強さだが、先んじて俺が戦ってみたが、決着がつかん。彼の体力が無尽蔵であることを思えば……俺以上と思っていい」

 

 ざわり。先程よりも大きくどよめいた。当然だ。ガゼフ・ストロノーフは周辺国家最強の戦士。かつては帝国から戦争の真っ只中に引き抜きを持ち掛けられ、その名を轟かせているのだ。

 その、我らが王国戦士団団長より強い騎士を、魔法で生み出すとは。

 

「彼の鎧や盾は見た目こそ古めかしいが一級品だ。生半な攻撃では傷つけることも出来ないから存分に打ち込むといい。まずは小隊であたる集団訓練から」

 

 動揺から抜けきらずも指示には動ける。それが軍隊という生き物だ。戦士たちは無言のまま装備を鳴らし、戦闘の準備を整えていく。

 

「では」ガゼフが一瞬口ごもり、続けた。「マントぼろすけ殿。よろしく頼む」

 

 ざわり。空気が震えた。

 黒い騎士はわずかに胸を張ったように見えた。

 

 ●

 

 ボシルチ。新米だが体格がよく、目端も利くため集団の用兵に才が見える。将来的には隊長を任せられるだろう人材だ。たった今ぼろすけ殿の盾に弾き飛ばされ、ぴくりとも動かなくなった。

 

「相手の体格を考えろ! 真っ正面からの力押しに付き合うんじゃない!」

 

 ガゼフはそう声を飛ばし、訓練の様子を見守る。今戦っている分隊で最後だ。すでに模擬戦を終えた連中は地に伏せ、壁に寄りかかり、一人残らず満身創痍の様相である。

 改めて、ガゼフはぼろすけ殿の恐ろしさに舌を巻く。もしこれが戦場で、自分が孤立していたら? ああはいかない。もっと早くに体力は尽き、命を落としているだろう。

 

 種族を死の騎士と言うらしいぼろすけ殿の別個体は、その総数は国家機密として伏せられながらそこかしこに配されているという。ただでさえゴウン殿の影響で攻め込まれる心配などないというのに、あんな超級のアンデッドまで運用されていては戦線を複数抱えることも、決して驚異ではなくなってしまうではないか。

 

 果たして、自分達が強くなる必要などあるのか……?

 

 ガゼフは遠く竜王国へと救援に向かった友を思う。せっかく親しみやすい名前までつけてくれたというのに、その尽力に見合うだけの働きの機会は、この先おとずれることがあるのだろうか。

 

「アインズ殿……」

「なにかね、ガゼフ殿?」

 

 蒼穹に消えるはずだった呟きに、しかし答える声があった。

 ガゼフが驚き振り替えると、いつの間にそこにいたのか。異相の仮面に豪奢なローブを身にまとった偉丈夫、アインズ・ウール・ゴウンが立っていた。

 

「あ、アインズ殿!? なぜここに……、竜王国に向かったはずでは……?」

「ああ、行ってきたよ。戦線をかつての国境まで押し返してきたところだ。ひとまず落ち着いたようだったのでね。本職を疎かにするわけにもいくまいと、一足先に戻ってきたところだよ。研究室に転移してきたのだが、君が訓練しているのが窓から見えたのでね」

 

 馬車旅も楽しいものだったがね。そう事も無げに言ってのける友人に、ガゼフは顎が落ちる思いだった。出発してから何日経った? 竜王国での滞在など、一日か二日しかしていないのではないか?

 これまでもこの規格外の友人には驚かされてきたが、今回はまたひとしおだ。軍事の常識をいくつ塗り替えれば気が済むのだろうか。

 

 いや、そういえばそれどころではなかった。

 

「アインズ殿。旅の疲れもあるだろうが、俺と一緒に来てくれないか?」

「ん? いいとも。体は頑丈なのでね、疲れの心配はいらないさ」

「感謝する。実はラナー様から、君が帰ってきたら連れてきてほしいと言われていたんだ」

 

 軽く頭を下げ、ガゼフは部下達に声を張り上げた。

 

「お前達、俺はゴウン殿と少し話がある! 休憩の後は副長の指示に従うように!」

「「はっ!」」

「よし、アインズ殿。こちらに」

「ああ」

 

 アインズはいつの間にか跪いていたぼろすけを労るように肩を叩き、ガゼフの後に続いた。

 

 

「死の騎士を派遣してほしい?」

 

 ラナーは意識して可愛げに小首を傾げながら、ラキュースへと聞き返した。

 ラキュースだけではない。この日のラナーの私室には蒼の薔薇の全員が揃っていた。メイドは部屋から離し、クライムが紅茶を淹れてからドアの近くに控えている。

 

「ええ」

 

 ラキュースが頷いた。彼女も仲間たちも口をつける様子のない紅茶を口元に運ぶ。渋い、そして平坦な味。香りも開いていない。茶葉が多すぎるし蒸らしが足りていないのだ。

 私の客だから、吝嗇でないぞと茶葉を入れすぎたのだ。

 私の客だから、早く提供しなくてはと蒸らしが短くなったのだ。

 なんといじましい空回りだろうか。本人に教えるのともっと別の誰かで失敗するのを待つのと、どちらが可愛い反応をしてくれるだろう。ラナーは夢想を楽しみながら会話を続けた。

 

「でも、確かイビルアイさんは……」

 

 気遣わしげな目を作って仮面の少女をみやる。くすんだ赤のローブに無機質な仮面の魔法詠唱者は、少女のようにも老婆のようにも聞こえる声で応えた。

 

「あの時は取り乱してすまなかったな。だが、ああして甲斐甲斐しく給仕をする様子を見せられれば、少なくとも奴が用意した死の騎士に害がないのはわかる。さっきも、ここの戦士を相手に手加減しているのを見たよ」

 

 奴、という単語に微かな警戒と不信を感じる。もう何度目になるか、釘を刺さねばならないようだ。

 

「アインズ・ウール・ゴウン宮廷魔術師の仕事に満足いただけたようでなによりです。ですが、どうか気を付けてくださいね? 王宮を蒸発させるようなことがあっては困ります」

「……そうだな。彼、と改めさせてもらう」

 

 不服そうではあるが、まあよしとしよう。イビルアイは小柄な女。アインズの性格上多少の無礼は見逃してくれるはずだ。

 それより、今はかかった獲物だ。

 

「確かに私は死の騎士の一体、その指揮権を持たされています。ですが、いったいなにに使うというの?」

「八本指への襲撃よ」

 

 質問への答えは早く、力強いものだった。

 

「今夜、王都の一角で大規模な宴が行われるようなの。お酒、お金、黒粉の動きが活発だし奴隷が運ばれた痕跡もある。ティアが聞いたゴロツキの噂も、複数から裏が取れてるわ。

 そして、どうやらそこには六腕の、恐らくは全員が揃うらしいの」

「なるほど。そこに死の騎士を……。戦士長に匹敵する戦力を備えて強襲をかけたいのね。そうしてアダマンタイト級冒険者に匹敵しうる六腕のいくつかを削り、八本指全体の弱体化をはかるために」

「その通りよ」

 

 ラナーは二口目の紅茶を飲んだ。この流れは予想通りだ。蒼の薔薇は気が付いていないが、今夜の八本指の宴。その主賓は兄バルブロだ。あの愚か者は次期王としてのお披露目は早い方が良いだとか、公には祝えないものにその機会をやろうだとか、次期王たる者の守りは磐石でなくてはならないだとか、そう息巻いていることだろう。

 打てば響くとはこのこと。本人は剛毅を気取っているが、ちょっと話をすればすぐに転がってくれる。父王以前までの治世によってはこれ以上ない傀儡だったろうことを思うと、それだけが残念だ。

 

 ともあれ、ラナーの思惑は順調だ。ここで蒼の薔薇と六腕をぶつけて八本指を弱体・縮小化する。消滅はまずい。関税の脱税や抜け道によって得られている物流は無視できないからだ。

 蒼の薔薇側にも王族の長子の落命に一枚かませることで王家に負い目が産まれればなお良い。借りは深いほど扱いやすい。

 わかりました。そう答えようとした時、扉が叩かれた。無作法なほどに大きなノックが常識的な回数。戦士長だ。

 

「ラナー様。戦士長殿がお目通りを願いたいと」

「通してください」

 

 予想通りの人物の来訪を告げたクライムを労い、扉へ目を向ける。入ってきたのは予想通りガゼフ・ストロノーフと、予想外のアインズ・ウール・ゴウンだった。

 

「まあゴウン様! お早いお帰りですのね!」

 

 ガゼフの挨拶よりも先に、ラナーは声をかけた。早くに戻る想定もしてはいたが、まさかここまで早いとは。こうまで早いということは竜王国での戦勝会や式典は受けていないということか? ラナーの分析ではアインズは礼儀を重んじる傾向にあるはず。竜王国が不手際を起こしたのか、こちらでなにかを起こすつもりなのか……。

 

「ラキュース、紹介しますね。こちらが宮廷魔術師にして終戦の英雄、アインズ・ウール・ゴウン様です。叙爵されることは決まっているのですが、恥ずかしいことにまだどうするか揉めているの……」

 

 本当に頭の痛いことだ。これが帝国であったのなら、さっさと最上位の爵位を与えるか、そのさらに上を作るかしているだろうに。

 

「お初にお目にかかりますゴウン様。私はアダマンタイト級冒険者チーム蒼の薔薇のリーダー、ラキュース・アルベイン・デイル・アインドラと申します」

 

「ありがとうございます。姫殿下よりご紹介に与りました、アインズ・ウール・ゴウンと申します。収穫の月も半ばを過ぎ、王都の穀倉は満ちつつあります。どうか実りの喜びが、あなたの家にも等しくありますように」

 

 朗々と語り、アインズはラナーへ正対した。

 

「……失礼いたしました。まず殿下へご挨拶申し上げるべきところ、順を違えました。ご紹介にあずかり、恐悦に存じます」

「構いませんとも。私が先走ってしまったのがいけないのです。ね? ラキュース」

「え、えぇ……」

 

 ラキュースはじめ蒼の薔薇がどこか驚いた様子でいる。平民の出と聞いていたアインズが貴族の作法に則った挨拶をしたことが、それほど意外だろうか。

 

「ここは他に人の目もありません。礼儀は略式でよいでしょう。それよりも、どうしてこちらに? 竜王国はどうなったのですか?」

「戦線を押し返してきました。戦勝会を開いてくれたのですが、この仮面のせいで飲み食いも出来ませんし、わがままでいつまでも仕事を休んではいけないかと思い、代官を立てて先に帰ってきたのです」

「押し返したって、戸板じゃねぇんだぞ……」

 

 なんでもないことのように語られる偉業に、ガガーランが思わずと言葉を漏らした。ラナーとしても同意できる部分はあるが、今はどうでもいい。

 八本指襲撃のための会議に事実上の遊撃部隊の帰国。協力を仰がないのは不自然か。

 

「ちょうど良いところに来てくれました。実は今、王国を蝕む八本指を叩く話し合いをしていたのです。協力していただけませんか?」

「ほう……。無論、私に拒む理由はありません。ストロノーフ殿から殿下が呼んでいると聞いていましたが、この件で?」

「いいえ。私は貴方がもっと竜王国に滞在してくると思っていましたからね。貴方の死霊魔術で人足を確保できないか相談したかったのですが、それは後回しです」

「なるほど」

 

 それからの説明はラキュースが代わった。ラナーへの説明の焼き直しだ。今夜八本指を強大足らしめる実力者が揃う。そこを叩きたい。そのために死の騎士を借り受けたいが、可能ならアインズ本人も動けないか、と。

 

「わかりました。ぜひ協力させてください」

「微力ながら、俺も志願させてもらえないでしょうか」

「ありがとうございます。王国を誇る武と魔の両輪が揃うなら、きっと最上の成果を上げてくれると信じています」

 

 やはり快諾か。ラナーは頭の中で八本指の損害を上方修正した。最悪の場合六腕の全滅と、それに伴う大規模な弱体化が起こるだろう。

 

「簡単に言ってくれるが」

 

 微笑みの裏で計算を巡らせるラナーとは別の声が上がった。

 イビルアイだ。

 

「本当に協力が可能なのか? ふたりにはそれぞれ立場があるはずだろう」

 

 ラナーは内心で舌を打つ。立場など、アインズにとって無いも同然。彼がやりたいと一言言えば、それを拒む手段などなにも無いことがなぜわからない。協力があれば蒼の薔薇の損害も小さくなるのだ、それでよいではないか。ガゼフにしてもそうだ。これまでであればどこぞの貴族がその振る舞いを監視しているも同然だったが、今やガゼフは戦士長である以上にアインズを見いだした功労者で、アインズの一番の盟友なのだ。

 

「無論、陛下に確認はとる。だがことがことだ。陛下も無下にはなさらないだろう」

 

 ガゼフが胸を張って答えた。ラナーも同意見だ。アインズもゆっくりとうなずく。

 

「そうでしょうな。実は以前、陛下に頼まれごとをされたのです」

「頼まれごと?」

「はい。曰く、姫殿下は優しく聡明なお方でありながらその思索を実現する手段に乏しい。その行いに善性と妥当性を覚えたのなら、できる限り力を貸してやってほしい……。そう仰せられ、頭を下げておられました」

「頭を……」

 

 王が臣下に頭を下げるとは、それほど本気の、父としての願いだったのだろう。

 

「ですので、これを皆さんに」

 

 言って、アインズは懐から六個の指輪を取り出した。同じ意匠の、魔法の輝きのこめられた指輪だ。

 

「これはリング・オブ・フリーダム。麻痺や拘束といった、行動阻害を無効化する指輪です」

「なんだと!? 軽減でなく、無効化!?」

「はい」

 

 短く叫んだのはイビルアイだった。魔法の造詣の深い彼女だからこそ、人一倍驚きが大きいのだろう。

 

「これらは今この瞬間から、今回の作戦が終わるまで蒼の薔薇の皆さんとストロノーフ殿に貸し出します。どうぞのちほど、効果を確かめてください」

「それほどの至宝、本当によろしいのですか? 私たちはゴウン殿とは初対面です。それほど信頼してもらえているとは思えませんが……」

「私たちが持ち逃げするかも」

「ひとつ売るだけでひと財産」

 

 神妙な様子のラキュースに、無表情な双子が軽薄に続けた。後者は冗談めかした言い方だが、真理だ。発掘品なら再び手に入れる目処などあるはずもなく、職人の手によるものだとしても一朝一夕で作れるはずもない。金銭的価値はもちろん、魔法研究的な価値も図り知れず、それを保有するアインズ自身の強さの傍証にだってなる。

 指輪の効果も凄まじい。行動阻害など、戦闘において相手の不意をつける極上の効能だ。しかしそれは、敵がそれを知らない場合に限られる。アインズがその指輪を持っていることを知らなければ、敵は魔法なりアイテムなりを無駄に消費し、不意をつかれることになる。本来であれば、その指輪を持っていることを口外すべきではない。

 だというのに明かし、あまつさえ目の届かないところまで貸し与えるとは……。

 

「ははは! 持ち逃げされるのは困りますね。敵の手に渡るのも厄介です。ですが、まあ、私もせっかく王国に仕え、過分な役職まで戴いたのです。首になるには早すぎますからね」

 

 室内の誰もが、アインズの本気を理解した。

 

「ラナー様!」

 

 気が付けば、クライムは叫んでいた。室内の注目を集めて声を張り、頭を下げた。

 

「どうか、今回の作戦に参加する許可を! お願いします!」

「クライム……」

「自分では実力不足なのは分かっています! 決して皆さんの邪魔にはなりません。そうなりそうな時は自刃します! どうか!」

 

 何が自分を突き動かしているのか、クライム自身にも分かっていない。ただ熱い衝動が、腹から頭に突き抜けているのだ。

 衝動の熱と反比例するように、部屋には静寂が訪れた。蒼の薔薇の面々は呆れているだろうか。ストロノーフ様とゴウン様は、ラナー様の返答を待っているのだろうが、どう思っているだろうか。不安な時間は、そう続かなかった。

 

「頭を上げてください、クライム。実は私も、貴方を連れていってくださるよう、ゴウン様にお願いするつもりだったのですよ」

「えっ? それは、どういう……?」

 

 ラナーは優しく微笑んだ。

 

「あなたも、付いていきたいでしょうと思って。王国最高峰の冒険者チーム。周辺国家最強の戦士。そしてアインズ・ウール・ゴウン様。これほどの方々の戦いを目にするのは、きっとあなたの糧になるわ」

「ありがとうございます……!」

 

 ラナーへと深く頭を下げたクライムは、次いでアインズ達へ向き直った。

 

 

「ゴウン様! ストロノーフ様! 蒼の薔薇の皆様! どうか、私の同道をお許しください!」

 

 ガバッ、と音を立てて腰を直角に折る。一番最初に返事をしたのはイビルアイだった。

 

「そうはいってもな小僧。お前死ぬぞ」

 

 それは冷徹な宣告のような、事実であった。

 

「お前の実力じゃあ六腕との戦闘の余波だけで致命傷になりかねん」

「そりゃまそうだけどよ、なにも童貞は六腕と戦わせてくれ、なんて言ってねぇだろ? そこらの相手ならコイツでも務まるって。なあ、童貞?」

「取りなしてくださるのは嬉しいですが、その呼び方はちょっと……」

 

 熱い覚悟も、ガガーランにかかれば形無しだ。クライムは苦笑で応じるしか無かった。

 

「私たちとしては構わないと思うわ。もちろん、身の安全を保証はできないし、仮に人質になったとしても、救出の優先度は低い。それでいいならね」

「覚悟の上です」

「よかった。でも私たちより、ゴウン様こそ決定権を持っていると思うわ」

「私ですか?」

「ええ。だってもしクライムを加えたことが原因で誰かの死体が奪われでもしたら、ゴウン様の指輪が奪われてしまうじゃありませんか」

「なるほど、それもそうですね」

 

 仮面の顎に手を当てて頷くゴウン殿。そうでなくともこの部屋で二番目に地位の高い御仁であるはずだが、自覚はないのだろうか。どこか呑気な様子に、クライムは少々気が抜ける思いだった。

 

「でしたらそうですね。ちょっとしたテストをしましょう。これを突破出来たなら同行を許可する、ということで。よろしいですか、クライムさん?」

「は、ハッ! 無論、構いません! ……構いませんが、ゴウン様。どうか、わたしのようなものに敬語はお止めください。そのように丁重に扱われますと、かえって落ち着きません」

「む、んん。そう、か? では、クライムくん」

「はいっ!」

「今から少しおどかす。その反応次第で、連れていくか決めるとしよう」

 

 おどかす? クライムがアインズの言葉を反芻していると、ガゼフが驚いた声を上げた。

 

「あ、アインズ殿! あれをやるつもりか……?」

「ああ、そうだとも。もちろんラナー殿下には耐性の指輪をお渡しするさ。殿下、こちらをつけていただけますか」

「それがクライムのためになるのでしたら」

「そ、そうか……。うむ、まぁ、クライムなら……」

 

 ガゼフはぶつぶつとひとりごち、それからクライムの目をしっかりと見据えた。

 

「いいかクライム。心を強く持つんだ」

「は、はい……?」

 

 クライムにはガゼフが念を押す意味がよくわからなかった。いくらなんでも、今からおどかしますよと言われて驚くわけが

 

 自分は死んだのだと思った。

 まだ生きているのを自覚して、なぜ死ななかったのかと己を呪った。

 ここにいたくない。こんなイキモノの前に立っていたくない。

 

 ローブも仮面も、なにも変わっていないはずなのに、まるで腹を鳴らすドラゴンの口の中にいるかのような、必ず訪れる死の確信がある。

 全身の筋肉が硬直する。助かった。震えて鎧が鳴ってしまっては、アレが気分を害するかもしれない。

 いや、ダメだ。まだうるさい。

 静かにしろ。止まれ。

 頼む。止まれ。

 心臓よ止まってくれ。お前がうるさいから殺されたらどうしてくれる。

 

 支離滅裂な思考が、クライムにできる精一杯だった。濃密な絶望そのものが、物質さながらの圧をもった気迫としてアインズから放たれている。

 

 まとまらない思考で必死に目立たないことを願うクライムの視界で、ふと、アインズが動いた。ビクッと肩が跳ねて鎧が鳴る。その瞬間、忘れていた重さが数倍にも増して降りかかってきた。

 だが、その重さも、すぐに忘れることになる。

 アインズの仮面が、ラナーを向いた。

 それを察した瞬間にクライムは弾かれたように飛び出し、アインズとラナーの間に割って入っていた。スムーズに抜剣出来たのは人生最上の幸運かもしれない。

 

「クライムッ!?」

 

 ラナーの声すら今のクライムの耳には届いていなかった。

 剣を抜き、切っ先が下がらぬよう無様に両手で支え、決死の覚悟でアインズと向き合う。全身の震えで鎧が鳴る。場末の酒場よりうるさい。震えが大きすぎて骨が軋む音までする。

 眼球の毛細血管が破れ視界が赤く染まり、涙でぼやける。食い縛った奥歯がバキリと割れ、口の端から血のあぶくが零れる。息を吸うとあぶくが気管に紛れたが、むせることすらできなかった。

 どんどん拍動を強くする心臓がいよいよ弾けるかというとき、ふっ、と、すべての圧が消え失せた。

 それと同時にクライムは音も高く床に倒れ混む。下半身が生温かい。失禁していたことにようやく気付いた。何者かが柔らかく頭を包んでくれている。

 

 確かな安堵と強い羞恥と絶大な恐怖の名残に意識を失いかける中、それでもクライムはアインズを見続けていた。

 

「ここまでやるつもりはなかったんだ。すまなかったね」

 

 雄々しく優しい声が聞こえると同時に、血のように赤い液体が降りかかった気がした。

 

 ●

 

「砂の領域・対個!」

 

 細かな作戦を詰めた後、蒼の薔薇は王城の一角を使って指輪の効果を確かめていた。

 各々が指輪をつけ、イビルアイが行動阻害の魔法を放つ。四人全体で四つと、ガガーランが指輪を付け替えてもうひとつ。五つすべての効果が間違いないものだと分かった。

 

「いやぁ、とんでもねえなゴウンの旦那は」

 

 ガガーランが感心したように言う。イビルアイも首肯で返した。

 

「ああ。作戦決行前には我々全員に耐性魔法を付与するとも言うじゃないか。そしてそれを誇るでも偉ぶるでもない……。底が知れないな」

 

 すでにイビルアイの脳内にはひとつの可能性が浮かんではいるが、それを言って王国から離れられたり、蒼の薔薇に危険が及んではいけないと、胸のうちに秘めている。

 

「まったくね。あれほどの実力を持っていながら王位簒奪に走るでもなく、私欲に溺れるでもなく、王に忠誠を誓っているだなんて……」

「それほどランポッサが優れてるようには見えない」

「ゴウンは枯れ専。間違いない」

「やめなさい」

 

 ティナの推測を切って捨てるが、ティアの言い分はラキュースも納得せざるを得ない。ランポッサ三世といえば、大きな失敗はないが決断力に欠け、日和見主義的な軽い王、といった印象だからだ。

 

「俺たちと旦那の違いと言やぁ、王様と直にあったことがあるかどうか、か? 意外と王威っつーの? 迫力とか人徳があったりすんのかねぇ」

「確かに、直に会うと違うのかもしれないな……。どうなんだ、ラキュース?」

「やめてよ。アインドラ家は大貴族でもないんだから長子でもない私が直接お言葉を交わせるわけないでしょう」

 

 叔父様ならともかく、と思わないではないが。

 

「それに、もし話すだけで心服してしまうような何かがあるのなら、貴族派閥が力を持つことなんてありえないわ」

「そりゃそーか」

「となると……」

「やっぱり、枯れ専?」

「やめなさいってば」

 

 あーだこーだ言っても仕方がない。結局は本人たちにしか分からないのだから。

 

「その辺の嗜好はともかく、彼が機知に富んでいることも間違いない」

 

 腕を組んだイビルアイに、ラキュースがうなずいた。

 

「そうね。ゴウン殿がいなかったらと思うと、ぞっとするわ」

 

 ラナーの私室での会議中。アインズが言ったのだ。「想定すべき最悪はなにか」

 それを受けたラナーは、少し思案したあと、はっと答えた。「八本指の宴、主賓は兄バルブロかもしれない」、と。無数の根拠とともに。

 

「もしその想定をしてなかったら、俺たちはその覚悟もなく王族に刃を向けてたわけだ。まあそれはともかく、死の騎士が八本指側にもいるってのがヤバいよな」

「ともかくとしないでよね。死の騎士の方が問題なのはその通りだけど」

 

 アインズが召喚した死の騎士。ラナーがそうであるように、バルブロにもその一体が貸し与えられている。無策で挑んでいたら、手痛い反撃をくらうところだった。

 それが回避出来たのも、アインズのおかげと言える。

 

「ゴウン殿は自分でその可能性に気が付いていたようだったな」

「ええ。ラナーが口にしても、彼だけは動揺していなかったもの」

 

 大規模な討伐作戦の渦中に、仕える国の王族がいるかもしれない。

 それは、その可能性だけで萎縮するに十分な大事件だ。まして第一王子。通常であればうっかりでも失うわけにはいかない心柱だ。鉄火場で不意に遭遇していたら、万が一があったやもしれない。

 

「幸い、うちはティアもティナも私も無傷で制圧する術を持っている。ゴウン殿の指輪級の宝具でも出されないかぎりは確保は容易だろう」

「そう言われると、出してきそうだな。指輪」

「あんなものがポンポンあってたまるか」

「旦那は持ってたけどな」

 

 かかと笑いながら、不意にガガーランが戦鎚を振り上げた。

 

「しっかしよ、俺たちも気合いが入るよな。旦那ほどの男が命をかけてくれるってんだから」

「ええ、そうね」

 

 戦争や魔獣被害など、命の危機が身近にあり、切った張ったの日常を送る冒険者・軍属において「命をかける」という言葉の意味は、重い。

 ましてアインズは言わずとしれた実力者でありながら、来歴不明。もしこの作戦が失敗したとて、どこへ行ってもやり直しがきく身分である。

 そんなアインズが言ったのだ。首になりたくない、と。

 

「まさか、斬首まで視野に入れているだなんて……」

 

 伝来の王国民でない男が国に殉ずる覚悟を示したのだ。貴族の出である自分の手抜かりがあってはいけない。ラキュースは決然と未来を見据えた。




アインズ様「えっ」
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