ガゼフに着いていって王国に仕官した単独転移アインズ様 作:万里支店
クライムが失神と失禁という醜態を晒してから数時間後、日も傾き街が朱に染まり出したころ。ラナーの私室には先程と同じ面々が再集合していた。ただし、今は全員が万全の準備を整えている。クライム自身も体と鎧を洗い、武器の手入れをし、鎧の金属同士の接触部分に布を噛ませて静音性をあげていた。
机上には王都の地図が開かれ、その一角、倉庫街に白と黒の石が並べられている。黒の石が八本指。白い石がバルブロを示しており、白い石は倉庫街の中心近くの倉庫に置かれていた。
「調査の結果、多分だけど部門長は全員参加」
「王子様の意向が働いたもよう。ご機嫌取り」
双子の忍者が交互に話す。
部門長とは八本指の『商売』を細分化したそれぞれを取り仕切るリーダー達のことだ。王国に広く悪影響を与える麻薬部門や、法の元に禁止された人身売買を影に隠れて行う奴隷部門。税を逃れ禁制品まで扱う密輸部門に賭博部門や金融部門など多岐にわたる。
この中で今回の作戦の一番の驚異になるのは、やはり警備部門だろう。クライムだってその名前を知っている。八本指の用心棒を束ねる部門。その上位六人を通称して"六腕"。その六人はアダマンタイト級冒険者にも匹敵するとも言われ、特に部門長の"闘鬼"ゼロは、ガゼフ・ストロノーフにも匹敵するとの噂だ。
無論、他の部門長だって十分な備えをしているはず。どんなマジックアイテムを備えているか知れたものではない。
「つまり、今夜が一網打尽の最大の好機と言うわけだ」
イビルアイの言葉に、知らず顔を暗くしていたクライムはハッとした。見れば、青の薔薇もガゼフも臆した様子は微塵もなく、むしろその意気を高めているようであった。
「へへっ、覚えとけよ童貞。警戒はして当然だがビビっていいことはねえ。戦うしかないって時は、意識して興奮状態に持ってくもんだぜ」
気焔を吐くようにガガーランが笑う。こんな時であってもクライムへと指導をしてくれているのだ。こんなにありがたいことはない。
「ありがとうございますっ!」
「おう。まぁ、興奮の具合は状況で変わるから、死なずに経験を積むことだな」
「はっ!」
クライムが心の帳面に書き留めていると、アインズが手甲で地図を示した。
「先程空から確認しました。確かにこの倉庫を中心に警戒網が敷かれています」
言いながら、黒い小石を並べていく。白い石の置かれた倉庫を真ん中に、周囲の倉庫へ、二重の円を描くように合計十五個。外側の円は倉庫街のほとんど外縁で、本丸の倉庫からずいぶん離れているようだった。
「この石は屋根上の見張りです。上から黙視できたのはこれだけですが、他に路地を徘徊する者も確認できました」
「影の伸びる夕方に、もう屋根に上がっているとはな」
「見たところ一般の住民の姿はありませんでしたので、警備を早めることを優先したのでしょう」
イビルアイの軽口に答えてから、ところで、とアインズは続けた。
「皆さん市街戦の経験は?」
一瞬の沈黙のあと、ガゼフが答えた。
「私はないな。部下と警邏はするし戦闘も茶飯事だが、街中のねぐらを計画的に攻めたことはない。山中の野盗狩りならあるが」
「私たちも似たようなものです。冒険者として護衛や魔獣、野盗の退治ぐらいでしょうか。開拓村を装った八本指の拠点を襲ったことはあります」
ガゼフとラキュースの返答にアインズは顎に指を当てた。
「まあ、街中で冒険もないですしね……。となると経験者は私だけですか。今からでも誰か指揮経験のある方に協力を仰いでは?」
「やめた方がいいだろうな。八本指の耳がどこまで及んでいるか分からない。少なくとも第一王子までは届いているんだ。せっかくのチャンスをふいにしてしまうぞ」
「そうね。幸いにもゴウン様には経験があるのだから、よければこのまま指揮をお願いできませんか?」
「ううむ……。では、いったん経験者の私が仕切らせてもらいます。異論のある方は都度おっしゃってくださいね」
面々を見回し、ラナーを含めて反論がないのを確認したアインズは、まっすぐにクライムへ仮面を向けた。
「ではクライムくん。本丸となるこの倉庫に攻め入りたいわけだが、そのために成さなくてはいけない課題はわかるかな?」
クライムはぐっと胸がつまる思いだった。
ガガーランだけではない。アインズまでが、自分に指導をしてくれるつもりなのだ。最も経験の無い自分へと、市街戦における敵拠点攻略のための知識を授けようとしてくれている。
それはアインズ個人が長年積み重ねてきたもののはずだ。師から教わり、友と研鑽しあった千金に値する知識のはずだ。
それを、わずかなりとも授けて下さると言うのだ。貧民上がりの自分などに。
「一番の問題は、やはり人数だと思います。八本指は王都の地下に巣食う巨大組織。見張りひとつ取っても膨大な人数を割けるでしょう」
クライムはアインズの無上の慈悲を一滴も逃すまいと、必死に頭を働かせて答えた。
果たしてその解に、アインズは満足げに頷いてくれた。
「その通り。見張りとは数があればそれだけ異常の早期発見に繋がるもの。異常を悟られたくない我々攻撃側は、可能な限り同時に見張りを潰す必要がある。しかしそれには人手がいる。攻撃三倍の法則、と言うらしいんだがね。攻撃を成功させるには防御側の三倍の戦力が必要だと言われているんだ。その理由のひとつだね」
聞いたことの無い言葉だった。クライムは急いで手元の紙片にメモを取った。
「この場合の戦力とは、単純に兵数のことだね。我々は個々人で見れば八本指の下っ端など物の数とはしないが、同時に相手取れる範囲は決まっており、見張りはその範囲を超えて敷かれている。かといって大規模な攻撃は目立つもの。ではこの人数差を覆すにはどうすればいいと思う?」
クライムは地図の隅から隅までを見て、頭から湯気が出そうなほどに考えた。無駄に時間を取らせるわけにはいかない。襲撃の予定時刻まで、もう数時間もないのだ。
「……ど、どこか倉庫街の端で騒ぎを起こして、そこに人を集めている間に攻め入るのは、どうでしょう」
アインズはまたも頷いてくれた。
「それも有効な手段だね。うまく行けば見張りの目を引く、つまり無効化ができる」
ほっ、と息を吐いたクライムに、冷水のような言葉が続けられた。
「だが今回は無理だ。理由はみっつ。見張りが広範囲であること。相手が犯罪組織であること。そして本丸となる倉庫に抜け道があるだろうこと」
クライムは慌ててメモを構えた。
「順に説明しよう。まず見張りが広範囲であること。王都の一角をしめる倉庫街の、ほぼ外縁から見張りが始まっている。これではどこかで騒ぎを起こしても、動揺したり警戒するのはすぐ近くか隣接する見張りだけで、遠くの見張りの目は引けない。つまり肝心の侵入口の見張りはほぼ正常に機能したままなわけだ。
次に、相手が犯罪組織であること。これが戦士団など国の治安維持機関が相手なら、ちょっと騒ぎを起こすだけでいい。騒ぎを納めるまでが仕事だからね。だが相手は犯罪者達。当然モラルも人情も期待できない。多少のトラブルだろうが大規模な火事だろうが、対処などせず自分達だけで逃げるだけだろう。
最後に、倉庫に抜け道が想定されるということ。これはそのままだね。自由に場所を選べる八本指が自分から会場に選んだ場所だ。抜け道なり転移を使える魔法詠唱者なりを用意していると考えるべきだ」
なるほど、と呟きながら手首が痛くなる速さでもってメモを取る。字が乱れるがあとで清書すればよい。
「では、それをふまえて、どうする?」
仮面が問う。クライムはまたも頭を悩ませ、必死に回転させた。だが出てきた答えは、阿呆のようなものだった。
「み……、見つからないように、進む……かと……」
ため息と叱責を覚悟したクライムに返されたのは、しかし拍手だった。
「素晴らしい。その通りだクライムくん。見張りを引き付けるのが無理で、同時に潰すのも無理な以上、残された手は隠密。これしかないと言っていい」
「し、しかし、それが難しいという話をされていたのでは……!?」
「それもその通り。敵の目は夥しく範囲も広い。敵地で見付かればその時点で見張りは包囲網へと変わる。だが、いろいろとやりようはあるものだ。特に今この場にはね」
言われてクライムはハッとした。この場にいるのはいずれも一騎当千の英雄達。仮に敵地で発見されたとて、離脱するのは決して難しいことではないのだ。
「今回の我々の勝利条件は、バルブロ王子の確保。各部門長の確保。貴族と癒着している証拠、これは可能なら名簿のようなものだね。そして、八本指を驚異足らしめている六腕の討伐。といったところだろうか。これらの目標を最大限達成しようと思うと、やはり隠密が望ましい。そして隠密を成す上で欠かせない条件があるのだが、わかるかな?」
「条件……。…………。………………」
煮えた脳が鼻から吹き零れるかと思った。ここまで頭を使ったことはない。隠密を成す上で欠かせない……。隠密を成すとはなんだ? それは敵に発覚されないことだ。では敵に発覚されないようにするにはどうすればいい?
沈黙が長引くと、アインズが優しく言った。
「ちょっと意地悪な質問だったかな。私も昔、仲間に言われたことなんだがね。"敵のできることとできないこと"、それから"こちらのできることとできないこと"、それぞれを把握することだ。それが分からなくては見つからないようにしようがないからね」
その後もアインズはクライムへの講義を通して全体の作戦を決めていった。アインズが問い、クライムが考え、アインズが導く。この短い時間でクライムのメモは過去最高枚数を消費した。
作戦が決まったのち、アインズは少し照れ臭そうに笑った。
「偉そうに言ったが、全て仲間から教わったことなんだ。優れた軍師がいてね。あの人の貢献で勝てた戦いは数知れない……。私が積んだ市街戦の経験とは、すべて優れた仲間達のおかげだった。私は、足を引っ張らないように着いていくのが精一杯だったよ」
「なんと……! ゴウン様がですか……?」
「いったいどんな仲間だったんだよ……」
言葉を失うクライムの横合いからラキュースとガガーランが呆然と言った。アインズは優しく笑った。
「私の話もしますから、いつか皆さんの冒険の話も教えてくださいね」
●
空が完全に夜の闇に沈む頃、作戦会議は終わった。これからすぐに作戦行動に移る。その前にと、アインズから皆への魔法による補助が行われた。
音を殺し、暗闇を見通し、微かな音も逃さず、疲労を遠ざける。潜入に向いた魔法の数々の、効果の長いものを一通り。より戦闘に向いたものは効果時間も短いため、潜入の直前にかけることになった。
魔法の効果に驚く面々を見ながら、アインズ・ウール・ゴウンは仮面の裡でひとりごちる。
(市街戦の経験って言ってもユグドラシル内だけなんだけど、少なくとも大きく間違ったことは言ってないよな……? ぷにっと萌えさんだって史実から作戦を持ってきてたわけだし。一番若くて経験の浅そうなクライムくんと比べてほしくて話を振ったけど、晒し者にするようなことしちゃって悪かったな)
後で何か埋め合わせをしよう。そう心のタスクリストにメモをした。
●
王都リ・エスティーゼの外れの倉庫街。深夜のその空には細い三日月と、か弱い星々。そして仮面の魔法詠唱者がふたり、浮かんでいた。
「一回、二回、三回……。行きましょう」
「ああ」
短いやり取りの後、アインズとイビルアイは眼下の倉庫、その屋根上へと音もなく降り立った。なにが納められているかもしれぬそこには、さらにふたりの人間が立っている。
八本指の構成員。見張りだ。
「《支配》」
「《全種族魅了》」
反応する間もなく精神の自由を奪われた男たちは、アインズとイビルアイ、それぞれの正面でぼうと立ち尽くした。
「お前たちは何者だ。なぜここにいる」
「八本指の警備部門の下っ端です。近づくものがいないか、見張りをしています」
アインズは魔法がかかっていることを確認し、質問を続けた。
「他の見張りとはどうやって連携をとっている」
「このランタンを使います」
男は腰元のランタンを示した。木板で四方を囲み、光が漏れないようになっている。
「この面の板が上にずれるようになっているので、連絡をとる時だけ照らします。異常が無ければ三回照らし、異常があればすべての板を外して腕全体で回します。緊急事態にはここを外して足元に落とし、中の油ごと炎上させます。定時の間隔は――」
その後もいくつか質問を重ねたアインズは、用済みとなった男の意識を奪い、手足を縛って拘束した。イビルアイも同じ作業に移っている。
「新しい発見はありましたか?」
「ないな。これまでと同じだ。こいつもこれを持っていたよ」
イビルアイが差し出したのは見張りの配置図だった。
「一ヶ所の見張りにふたり。うち片方が配置図を持つ。ずいぶん秩序だったものだな」
「無法者といえど、組織の維持には不可欠なのでしょう」
軽く答えたアインズは虚空へ手を伸ばした。
「《下位アンデッド創造》」
言葉に答え、何もないところから白骨の亡者が現れた。スケルトンだ。
「ここで見張りの代わりにランタンを使え」
ガシャリ。骨を鳴らして恭しく頭を下げたスケルトンは、ランタンを受け取って不動の姿勢を取った。このまま次の定時連絡の時間まで、小揺るぎもしないだろう。
「さて、道は確保できました。皆さんのところへ行きましょう」
「……ああ、そうだな」
そうしてアインズとイビルアイは再び空へと舞い上がり、倉庫街の入り口のひとつへと飛び去った。
残されたスケルトンはその背を暗い眼窩で見送り、与えられた命令を伽藍堂の頭蓋で反芻し続けた。
●
――ゴン、ゴゴン、ゴンゴン
倉庫街の程近くの空き家の一室。クライムたちの待つそこにノックが響いた。クライムが開けるとアインズとイビルアイが入ってきた。
「うまく行きましたよ。ここから目的の倉庫まで、屋根の見張りはいません。今はスケルトンを代わりに立たせています」
アインズが報告しながら卓上の地図からいくつか石をどかした。軽い安堵が漏れる。これで道中の安全は格段に上がった。
息を吐くクライムの隣でガゼフが自嘲気味に笑った。視線の先には無音で佇む死の騎士がいる。
「見事なものだな。アインズ殿がいれば間諜も戦力も思いのまま、か……」
その声音に宿る微かな寂寞は、クライムにもすぐに感じ取れた。ストロノーフ殿は無力感を覚えているのだ、と。
その気持ちはクライムにもわかる。自分の代わりがいくらでもいること。それはある種の安心をもたらし、そしてそれに倍する無念をも突きつけてくるのだ。ガゼフ・ストロノーフという確固たる個であっても、アインズ・ウール・ゴウンからすれば魔法で代替できる存在でしかないのだろうか。
「そんなことはないよ」
否定の言葉はアインズから発せられた。
「こうして作ったアンデッドは数時間で消えてしまうし、簡単な命令をこなすので精一杯だ。例えばそこの死の騎士に誰かを守れ、と命令しても、近づく者へと片端から斬りかかるのが精々だろう。臨機応変に作戦を変更することもできない」
アインズの言葉は優しく続く。
「代わりに単純作業には持ってこいだな。なにせ体力の限界がない。結局は適材適所さ。人間には人間の長所、アンデッドにはアンデッドの長所がある。そしてガゼフ殿。君は戦士長として、それらを適切に配する職能が求められるはずだ」
「アンデッドにはアンデッドの……」
クライムは無意識に呟いていた。クライムはアンデッドと接したことはない。当然だ。人間国家のど真ん中から出たことがないのだから。
そんなクライムでも話は聞く。墓地の手入れを怠った時や戦場の跡地に沸く無数の幽鬼、亡者たち。特にカッツェ平野などは、冒険者やワーカーの飯の種ともなっている。
命あるもの達の共通の敵。それが基本的な理解のはずだ。
そんなアンデッドすら、アインズにとっては違う役割があるのだろうか。
「さっすが旦那、良いこと言うじゃねえか」
ガガーランが指を鳴らした。見ればラキュースも、どこか機嫌が良さそうに微笑んでいる。ティアとティナはそれぞれ窓を見て警戒を絶やさないが、微かに頷いているようだ。蒼の薔薇の中で、イビルアイだけが反応を示さず、なぜか壁を向いている。
ガゼフはやや気恥ずかしそうに言った。
「いや、すまない。変なことを言ってしまったな。少し、昔の自分を思い出してしまったようだ」
「昔の戦士長、ですか?」
「ああ。ただ己だけが強ければなんとかなる。そう思っていた若造だったよ。だが世の中はもっと複雑で、もっと考えなくてはならないことがあった……。人を率いる立場になって痛感したよ。状況や役目によって兵を分ける。誰を戦わせ、誰を守り、誰を生かして返すか。ただ強いだけではどうにもならん」
人を動かし、その結果を噛み締める男の重みを、クライムは感じ取っていた。自分のような素性の若造には縁の無い話かもしれないが、それでも覚えておいて損はないはずだ。
「定時連絡」
窓を見ていたティアが短く言った。瞬間、室内の空気が引き締まる。
「一周したみたい」
「スケルトンは問題なく機能してる」
「では、行きましょう。時間をかけるほど不確定要素は多くなる」
無言で頷く。先ほどまでのどこか弛緩したような雰囲気はすでに消え去っていた。
「皆さん、こちらへ」
アインズによる支援魔法がかけられる。頑健さを上げ、筋力を上げ、火や冷気への耐性を上げ……。いったいどれほどの魔法を使いこなすのか。クライムは改めて眼前の男への尊敬を強めた。
「では、私とイビルアイさんは予定どおり姿を隠し、各種証拠集めにつとめます」
「緊急時にはすぐに知らせろ」
「ぼろ助はアインドラ殿の指示に従うように」
そう言い残して、仮面の魔法詠唱者たちは姿を消した。使った魔法が異なるらしいが、クライムにはどちらがどうなのか区別はつかない。
「私たちも行きましょう」
ラキュースの言葉に全員で頷く。クライムはもちろん、ガゼフも、この作戦の間はラキュースの指示に従うことになっていた。とはいえ絶対ではなく、半遊撃、といった具合だ。
「静かに」
「着いてきて」
ティアとティナ、ふたりの忍者の先導で闇夜を疾る。頼りない月明かりの下、しかし確かな視界が確保されているため、不慣れなクライムでもうっかり転ぶような無様はさらさない。
クライムは周囲への警戒をしながらも、意識の半分以上をふたりの忍者の手に向けていた。ふたりの手は目まぐるしく形を変え、お互いに緻密な会話をしていることが見てとれる。意味不明な手印が重ねられるなか、クライムが気を付けるのは二つ。
止まれ。
着いてこい。
これらの合図を見逃してはいけない。それは作戦の失敗に直結しかねないからだ。
ティナが前を向きながら手を背中に回した。そして止まれの合図。追従していた全員が足を止めると、ティナが音もなく影に沈んだ。クライムが初めて目にする、忍者の技術だ。
十秒ほどして、沈んだのと同じ場所に浮き上がったティナは目を丸くしていた。
「驚いた。ゴウンの支援はすごい」
「そんなに?」
「投げたクナイが腹を貫通して壁に埋まった」
ぎょっとして言葉を失う。察するに、ティナは近くの倉庫内にいる見張りの排除に向かったのだ。そこでの暗殺で、そのようなことがあったのだ。
クライムも蒼の薔薇の訓練を見学させてもったことがある。クナイといえば手のひらをやや越える程度の長さの道具だったはずだ。金属製とはいえ重さもたかがしれている。それが人体を貫通してなお余りある威力を有するとは。
「急ぎましょう。この魔法が切れるのは惜しいわ」
ラキュースの指示に頷き、手を開閉していた忍者は素早く索敵に戻った。
着いてこい。
止まれ。
着いてこい。
そうして、クライムは全く戦闘することなく倉庫街を、敵地のど真ん中を走り抜けた。もちろん騒ぎが起こることはすなわに失敗であることはわかっているが、こうまで障害なく事が進むとは思ってもいなかったため、肩透かしの感は否めない。
止まれ。
いよいよ目的の倉庫はすぐそこだ。入り口に立つ見張りが見てとれる。しかしそこまで近付いて、双子の忍者は手元を覗き込んでいる。
「やっぱりおかしい」
そう言ってティナが示したのは、アインズとイビルアイが見張りから鹵獲した見張りの配置図だった。
「どうしたの?」
訝しげなラキュースに双子は確信のこもった声で返した。
「この地図だとこの先、目的の倉庫までに見張りはいない」
「そんなわけない。ここは宴の会場を見張れる最後の砦」
ティアが地図と路地を見比べる。
「建物の隙間を狭く描いてる」
「倉庫番号と見張り位置だけに注目させる雑図」
「わざと荒くした手書き」
「たぶんゴウンとイビルアイは、高度を取ってたから細部まで見てない」
そしてふたりは同時に、目の前の路地へ視線を向けた。
「でもこの路地は広すぎる」 「現場を見たらわかる。ありえない」
「つまり、この配置図は欺瞞工作」
「敵に奪われる最悪を想定されたもの」
双子の結論を聞いた一流の戦士三人はすぐさま武器を構え周囲へ向けた。遅れてクライムも倣う。そうだ。欺瞞の地図に沿ってきたと言うなら、ここが狩り場のただ中でもおかしくない。
「安心して。少し前から違和感があったから、地図からわかる最適経路は通ってない」
「私たちに視線の通る箇所は潰してある」
「なんでぇ、先にそう言えよ」
ガガーランが戦搥を担ぎ直した。ティアが地図を開き、何事か聞き込んで皆に示す。
「見て」
○ ☆ ○
=========
● ● ●
書き込みの意味はすぐにわかった。☆が宴の会場。両脇に馬車を転回したり荷下ろしするための空き地。通りを挟んで三つの倉庫だ。
「会場は開けた場所にあって見通しがいい。通りのこちら側の倉庫には絶対に見張りがいる。それも宴への侵入を許さない大きな壁が」
「……六腕、か」
「そう見るべき」
「六腕と戦うとなるとここまでのように手早くとはいかないわね。特に戦闘音や声は、どうしようもない」
「そこで、これを使う」
そう言ってティアが取り出したのは、手のひらにやや余る大きさの陶器の小瓶だった。。指を咥える少年の絵が描かれている。
「ゴウンから借りた。《ハルポクラテスの吐息》と言うらしい」
「中の粉末が散ると、周囲を音から隔離する、らしい」
効果は粉の舞う範囲に及び、そこでは音は外に漏れず、外の音は中に響かない。まさに潜入のためのアイテムだった。
「これを使うけど、見張りの目を盗むのはここまでが限界だと思う」
「ゴウンの支援が効いてるうちに六腕と当たるべき」
双子の言に皆の視線がラキュースへと向かう。ラキュースはしばし顎に手を当てていた。
「……この三つの倉庫に六腕がいると想定して、倉庫ひとつに二人、合わせて全員がいるかしら?」
「どうかな。会場でゲストを守るやつも必要になるだろ」
「私も同意見だ。内側と、あるだろう隠し通路にも置きたいな。二人から三人は中にいるんじゃないだろうか」
「では、外の倉庫には各ひとりずつの六腕がいるのでしょうか」
「最低でも、ね。ティアたちで見てこられない?」
「試してもいいけど、ここが最後の砦であるなら侵入対策も大盤振る舞い」
「最悪、侵入がバレた上で脱出不可になるかも。そうしたら他の場所にも異常を知らされる」
「死地に行けとは、さすが鬼ボス」
「行けとはいってません」
時折冗談のような言葉も交えつつ、方針は決まった。三つの倉庫と会場の見張りの同時制圧だ。
倉庫にはそれぞれ、ガゼフと死の騎士、ガガーランとティナ、ラキュースとティアの二人ずつが当たり、会場の見張りはクライムが排除することになったのだ。
じわり。クライムは手甲の中に汗を滲ませた。見れば会場の見張りは剣を持った二人だが、並みの相手ではあるまい。しくじれば会場に駆け込まれ、全体の作戦を壊しかねない。かといってクライムに六腕の相手が勤まらない以上、そうするしかないのだ。
「なぁに。もしこっちの倉庫に六腕がいなかったら、そんだけ早く俺たちが駆け付けるんだ。そう縮み上がるなよ、童貞」
「そうだな。もし俺の倉庫に六腕がいなければ中の掃除はぼろ助殿に任せ、加勢に向かうとさよう」
ガガーランとガゼフの励ましに心強さと同量の情けなさを覚える。無理を言って着いてきたのだ。気張らないでどうする。
「でしたら、お二人が見るのは血払いを済ませたこの剣でしょうね」
「おっ」
「言うじゃないか」
軽い冗談を最後に散会した。
二人一組で各倉庫脇に控え、いつでも突入できる構えだ。クライムはガガーラン、ティナ組と一緒に控えた。
もはや別の組の様子はうかがえない。合図も出来ない。クライムはただ、クナイを持つティナの手に集中していた。
ふっ、と微かに風が抜けた。その瞬間隣の路地から何かが飛ぶ。《ハルポクラテスの吐息》だ。数瞬遅れてティナの手がひらめく。その結果を確認することもなく、クライムは駆け出した。胸の内だけで裂帛の気合いを轟かせ、剣を掲げ持って疾駆する。
その先で、小瓶はクナイによって砕かれ中から夜の闇よりなお暗い粉末が舞い散った。それは見事に見張りの頭上で拡散し、慣性によって扉と周囲の壁を塗り潰す。二人の見張りもまた、得たいの知れない粉末を浴びていた。小瓶の割れる音に顔を上げでもしたのだろう、顔面から浴びている。激しく噎せているようだが、その音も聞こえない。効果は本物のようだ。
――好機ッ!
クライムは武技<能力向上>をかけながら飛び掛かり、その首目掛けて剣を振り下ろした。
しかしその剣は首を外し、肩口へと吸い込まれ、左腕を斬り落とした。あまりに急な体勢の変化。恐らくは武技だ。<回避>だろうか。とはいえ片腕を落とせたのは大きい。
「ふッ!」
防音は成った。なら多少声を出しても大丈夫なはず。鋭く息を吐きながら振り下ろした剣で斬り上げる。腕を落とされた痛みで硬直していた男はそれでも避けようと試みたが、クライムの<斬撃>の方が速かった。切っ先が首の半分の位置を抜け、血が噴出し、くずおれた。
続くもう一人に向き直る。距離を取って大口を開けている。声を出しているつもりなのかもしれないが、無駄なのだ。クライムは頭を低くし、切っ先を男の顔に向けて走った。体ごとぶつかる突き。もし何らかの攻撃により自分が死んでも、走り出した勢いは止まらない。クライムの総重量がそのままに剣を押し出す。
例え死んでも貴様を殺す。
無言のうちにそう語る必殺の構えである。
その意図は明確に男に伝わったようだった。クライムの速度に驚いていた様子の男はすんでのところで身を縮め、地に伏すほどに屈んだ。そのまま剣でクライムの膝を横から叩いた。
「なにっ!?」
そうしてバランスを崩したクライムを背に乗せるように身を起こし、手も使わずにクライムの走る勢いだけで投げ飛ばして見せたのだ。クライムは咄嗟に<要塞>を発動、地面に叩きつけられるダメージを回避した。ガシャンと音が鳴る。しかも扉から離されてしまった。男はクライムから視線を切らずに扉へと向かっている。
まずい!
「<加速>ッ!」
瞬間、視界が流れる。男と扉の間に入ろうとして、勢い余って扉に激突してしまった。冷や汗をかく。これは中まで響いていないだろうか。
心配しながらも、クライムは男と正対した。驚いた様子の男だったが、すでに剣が振り下ろされている。防御のために剣を割り込ませながら武技<要塞>を発動。男は剣を弾かれ、体を開いていた。
「<斬撃>ぃッ!」
袈裟に斬られ、地に倒れる男。
クライムは肩で息をしながら剣の血をぬぐった。
「はぁ、はぁ……。ゴウン様の支援、これほどとは……」
まず間違いなく格上であろう戦士を相手に、ほぼ無傷で済んでいる。もちろん一人をすぐに殺せたのは粉末のおかげだし、二人目を終始優位に運べたのは一人目の動揺もあってのものだとは理解しているが。
見れば、通りの向こうの倉庫では未だ戦闘中の様子。ならばとクライムは会場の扉へ目を向けた。
先ほどの激突が気になっていた。
「もし中に伝わってしまっていたら……」
その場合は隠し通路への避難が始まっていてもおかしくない。完全に逃げられてしまってはなす術がない。時間との勝負になる。
だが、ここで扉を開ければどうなる。《ハルポクラテスの吐息》の効果は破れないのか。せっかく閉じ込めた音を、自分で解き放つことにならないか。
クライムは一瞬だけ迷い……それでも扉へ手をかけた。
確認しないわけにはいかなかった。
せめて騒ぎになっているかどうかだけでも、確認するべきだ。
決意したクライムは、薄く扉を開けた。中は窓から入る月光といくつかのろうそくだけが光源の、暗い部屋だった。暗視の効いた目には、そこは木箱や麻袋の積まれた、普通の倉庫に見えた。
「誰も、いない……?」
首を巡らせるクライムの、アインズの支援で強化された耳に、異音。
瞬間、クライムは外へ飛び退いた。直後地面に見えない何かが突き刺さった、ように見えた。
「ほう?」男の声だ。「符牒もなく扉を開ける無調法者にしては、なかなか動けるな」
じわりと滲み出るように姿を見せたのは、フードを被った男だった。男は後ろ手に扉を閉めると、細剣を構えた。
「たぶん知ってるんだろうが、今日は大事な用なんだ。小僧ごときに騒がされたんじゃ、俺がゼロに殺されちまう。まったく、他の連中はなにを……」
「はあぁぁッ!」
言葉の途中で、クライムは容赦なく斬りかかった。男の素性は知れないが、敵だ。
クライムの剣は驚愕に目を見開く男の首筋に滑り込み、なんの抵抗もなく脇腹から抜けた。おびただしい血を噴き出し、声も出せずに膝を折った。
とどめを刺そうと剣を構え直した時、背後に土を踏む音。
「<回避>ッ!」
振り返りながら前方へステップ。その鎧の胸元へ衝撃と、火花が散るのが見えたが、後ろには誰の姿もなかった。
「へぇ、やるじゃねぇか。反応はいいし、鎧も相当の逸品と見える。きっと高く売れるぜ」
先ほどの男の声だ。見れば、斬ったはずの男の死体はどこになかった。
「幻術……! 《幻舞》サキュロントか!」
「おっと、知っててくれて嬉しいよ。それじゃあ、どれが本物かわかるかな?」
言葉と同時、クライムの目の前には無数のサキュロントが姿を表した。いずれも同じ顔、同じローブ。ただ剣の長さだけがまちまちだ。その緻密な幻術操作はさすがと言えた。
「六腕の手にかかること、あの世で自慢するがいい!」
複数のサキュロントが同時に襲いかかってくる中、クライムは不思議なほどに冷静であった。
――敵のできることと、できないこと。
冷静に、武技<知覚強化>を発動する。幻術には影がなかった。風の流れもなく、土を踏む音もない。
幻体の刃がクライムを斬る。しかし当然なんの痛痒もない。クライムはただ静かに、音を聞いていた。
ローブが風にはためく音。
「上だ!!」
クライムはほとんど反射的に剣を天へ突き上げた。
金属音。
サキュロントの細剣が弾かれ、今度こそ本物の驚愕を浮かばせ、その首を貫いた。全身に血を浴びながら、クライムはサキュロントの死体を地面に払い落とした。ふぅ、と息を吐く。怪我はない。ただ集中の連続で、ひどく疲れた。
とはいえだ。
「ゴウン様と相対した絶望を思えば、なんてことのない……」
今際の際、サキュロントが最後に聞いたのは、そんな言葉だった。
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