戦女神は微笑まない   作:につけ丸

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プロメテウス秘笈語
プロローグ


 プルタルコス館 
 

 

 幽世*1の僻地にあるギリシア式の神殿。その内部には石版に収められた、いくつもの宇宙開闢から世界の終焉のすべてが記されている『虚空の記憶(アカシックレコード)』が重力を無視しながら浮遊している。

 そんな不可思議な空間の最奥で、白髪白髭の老人が三脚式のイーゼルと向き合っていた。

 

 この空間では他の場所とはいささか違う様相を呈していて石板は空中に浮いていない。床にぶちまけられていた。

 大量の石板が散乱するせいで、足の踏み場を見つけるのにも苦労するほどだ。  

 イーゼルには例の石板が載せてあり、老人は青銅のペンを握りしめながらブルブルと震えていた。

 恐怖ではなく──怒りによって。

 

()()()!」

 

 静謐な神殿でひどく似つかわしい怒号が轟いた。

 

「どうせ今回も修正、修正、修正に次ぐ修正じゃ! 嗚呼、なんたる嘆かわしき仕事か!」  

 

 ただ……怒声は世を嘆く管理者というよりプログラムを3日3晩組んでいたのに清掃員に電源を引っこ抜かれたシステムエンジニアのそれを思わせた。

 幽世なんぞにいる老人だ。当然、人の理から外れている。

 人よりも神に近い"超越者"なのだが、その不死の身体をブラックな労働に捧げるマゾヒ……もとい、聖人であった。

 仮面の王がいれば世を嘆く老人に、「就労の義務という奴だ」とのたまうのだろうが生憎老人以外だれもいない。

 

「蛮王が生まれるのは許容できる。いや、出来るはずもないが……」

 

 ブツブツと先刻起こった出来事について考えを巡らせながら夢遊病のように呟いた。

 

 彼が呟いた蛮王とは神殺しのことだ。

 有史以来、時折、恐るべき天上の神々を弑逆する人間が現われる。幾重の奇跡に奇跡を重ねて神を殺めるに至ったジャイアント・キリングを成功させた猛者たちだ。

 人と神との関係は崇拝と信仰だけではない。後先考えない愚か者の手によって敵対と抵抗という選択肢を勝ち得たのだ。

 だがそれは人類にとっての福音であって世界にとっての福音ではなかった。神を弑逆するという大きなバタフライ・エフェクトは容易に神々が定めた運命を麻のごとく乱してしまうのは必定だった。

 

「ああ、確かに幾度となくあのご婦人に運命を狂わされた! しかし、しかし!」

 

 ついに老人は激情を込めて叫んだ。

 

「新たな『王』に彼の戦女神が討たれるとは!」

 

 老人の怒りの原因はそれだった。

 人間が神を殺めるという絶大なバタフライ・エフェクトは本来の物語を完膚なきまでに消し飛ばすほどの強烈な嵐だった。

 

「つまり戦女神と最も縁深き『王』の導き手がいなくなってしまった!」

 

「天上のまつろわぬ神と畏るべき神殺しは敵対せどもその本質と宿痾からは逃れられぬ運命! 戦女神は数多の英雄を導き、"本来であれば"若き王の導き手となるはずだった!」

 

 物語のなかにいるべき神々が物語に(まつろ)うことをやめ、世を自儘(じまま)に闊歩する。そういう神々を総称して『まつろわぬ神*2』と呼んだ。まつろわぬ神は地上をさまよう内にそのまつろわぬ性に飲まれ、物語に投影された己を無視しはじめる。

 だが、いかにまつろわぬ性に呑まれ神話の制約が緩い時代へ回帰しようと、その宿痾(しゅくあ)からは逃れられない。

 英雄神や軍神はどれほどまつろわぬ性に堕ち無辜の民より名声を求めるようになっても戦を好む性質からは逃れられない。

 戦女神もまたオデュッセウスやヘクトールなどの煌びやかな戦士たちを導いた性質は変わらない。

 女神は戦士を導いてしまうのだ。

 

「だが戦女神は弑逆された!」

 

「もはや──戦女神が微笑(ほほ)えむことはない!」

 

 覆水盆に返らず。

 いかに不死の神であってもいずれ蘇るとはいえ確定した死をなかった事には出来ない。もはや過ぎ去り取り返しがつかないから過去なのだ。

 

「されど彼の若き王には試練が必要だ!」

 

 そしてそれもまた事実。

 本来の物語であれば世界を揺るがす戦いで大きな役割を担う神殺しの魔王が、未熟な戦士のままであれば道半ばで倒れるのは分かりきった事だった。

 

「わし自らで過去に行き修正せねばならぬか? いや、元はと言えば彼の女神と時の翁の戦いに介入できなかったが故! 今更手出し出来るはずもなし!」

 

 ここ"あの"ご婦人とやらが神を殺めて以来、百年と半分の間に非常に深くなった眉間のシワに再び新しいシワを加えつつ、老人は苦渋の決断を下した。

 

「確定した事象を覆すのは不本意極まりないが致し方ない」

 

 青銅のペンを走らせた。不夜城プルタルコスの館からここ千八百年ほど灯りが消えたことは無い。

 ……そしてとある歴史家の没年が西暦119年頃であることをここに明記しておく。

 

 

 

 ハムステッド・ゴドディン家 am 12:07
 

 

「俺と貴様の見解に相違はないようだな」

 

 ダークグレーのジャケットを身につけた青年が仏頂面を引っさげて無愛想に言った。

 

「ええ、ローマから消えた神具*3ゴルゴネイオンはアテナの仕業と考えて良いでしょう。ゴルゴネイオンを取り戻し三位一体の古きアテナへと回帰したようです」

 

 ダークグレーの青年に応じたのはプラチナブロンドの美貌の女性だった。

 

「そして北欧で俺の新しい同胞に討たれた、といったところか。ふん、一体どんな手管を使ったのやら。他のろくでなし共とは違う理知的な奴であることを願うばかりだがこの分では望み薄だな」

 

「少しは歯に衣着せぬ悪癖を改める努力をなさったらいかがですか? 去年まで貴方を含め六名いらっしゃった『王』の方々と悉く交戦に至っている事実を鑑みるにもっと自省すべきでしょうに、アレクサンドル」

 

「あれは俺が悪い訳では無い。他の奴らが野蛮だっただけだ」

 

 十年来の憎まれ口の叩き合い。アレクサンドルと呼ばれた長身痩躯の美男子と、アリスというプラチナブロンドの美女という組み合わせなのだが浮ついた雰囲気は欠片もなく、敵対してる訳でもなく、そして友好的でもなかった。

 

 ただどちらとも幾度も戦い、策を競い、会談し、共闘したために、相手のどこを踏んずけていれば立っていられなくのかを嫌という程知っているだけだ。

 

 憎まれ口の応酬で場をあたためたアレクは話題を変えるように本題に入った。

 

「それで貴様が俺を呼んだ理由はなんだ? 生憎、俺は忙しい。つまらん用事ならさっさと帰らせてもらう」

 

「あら、昨今の欧州情勢はベルゲン・トライアングルの一件以来、近年まれに見る平和を謳歌していますもの。たまには英国に名高き黒王子(ブラックプリンス)と紅茶の一杯でもと思いまして」

 

「薄気味悪い冗句はよせ」

 

 苦笑しながらアレクがティーカップをコースターへ戻すのを見届けて、アリスは口を開いた。

 

「先ほども言いましたように欧州は平和そのもの。ですが、他の地域ではそうではありません」

 

「ああ。アメリカではカルト教団《蝿の王》とあのキザなコスプレ好きが決戦を目前にしているな。それに極東の日本で大規模な霊障が被害をもたらしている話は報告に上がっている」

 

「もう知っていましたか、それは残念です」

 

 アレクサンドル・ガスコインを奉じる結社『王立工廠』は雑多な人材の寄せ集めだが優秀だ。政敵であり魔術の世界で確かな存在感を示す賢人議会を出し抜くことすらあるほど。

 ただ神出鬼没なアレクに振り回されよく置いてけぼりになるのをアリスに揶揄されるのだが。

 情報収集能力で自分の結社が出し抜いたことに悪い気はしないアレクは口を歪めて鼻を鳴らした。

 

「ではこの様な噂は耳にしていますか?」

 

 しかし続くアリスの言葉によって容易く覆されることとなった。

 

「関東地方の港街に"サンタ"がたびたび出没するという奇妙な噂です。サンタと言っても、黒い衣装を身につけた恰幅の良い男性らしく、その姿を見た人々には幸運が訪れるのだとか。

 今は六月ですのでクリスマスには半年ほど早いのですが──()()()()()と呼ばれているそうです。同じカラーリングの黒王子(ブラックライトニング)としては思うところはありませんか?」

 

 打って変わってアレクの顔色が途端に渋いものに変貌した。『王立工廠』が今回入手した極秘情報であり、アレクが密かに調査をしようと動いていた情報でもあった。

 してやったりとアリスは頬杖をついて可憐にウィンクを飛ばし話を続けた。

 

「欧州は平和そのもの。ですが他の地域ではそうではありません。……アレクサンドル、あなたが騒動さえ起こさなければ」

 

「答える義理はない。それに嫌味な言い方はよせッ」

 

「あなたが日本行きへのチケットを購入済みなのは把握していますよ。賢人議会*4も戦々恐々としています、あなたが日本でどのような騒乱を起こすのかという心配で」

 

 うるさい女だ。もう十二年ほどの付き合いになるがまったく可愛げを見せない。どうせ今回呼び出したのもこちらの動向を伺うためだろう。

 切りたくても切れない腐れ縁だが仮にも賢人議会の議長だった人間だ。少しは有意義なものに変えなくては。

 いちいち突っかかってくるアリスに渋面を濃くしつつ脳内の情報を漁った。

 

「ブラックサンタ。ドイツではクネヒト・ループレヒト*5と言ったな」

 

「ええ。本来のブラックサンタであればアレクサンドルと同じく凶兆そのもの。噂にある幸運を運ぶとは正反対なものです。日本に"幸運をもたらすブラックサンタ"という伝承でもあれば別ですが」

 

「寡聞にして聞いたことは無いな」

 

 そう言ってからアレクは付け加えた。

 

「だが早い話、サンタクロースも来訪神の一種ということだ。"異界からこの世へ定期的に現れる神々"の存在はギリシア神話のディオニューソス*6やローマ神話のサートゥルヌス*7をはじめとして世界各地で確認されている」

 

「ええ。クネヒト・ループレヒトも欧州の来訪神クランプスとルーツは同じでしょう。クランプスや日本のナマハゲ*8やパーントゥ*9……多くの来訪神は仮面や仮装に扮した姿であらわれます。これは異界からあらわれた異人という要素を分かりやすく可視化した記号なのでしょうね」

 

「そうして異界から現れた来訪神は暴力的な性格なものもいる。閉鎖的な社会で外の世界への恐れを端的に現したという見方もあるな。言うことを守れない子供に罰を与えるという点で共通しているクランプスやナマハゲが有名だな」

 

 そこまででアレクが言葉を止めると、アリスが本題を切り込んできた。

 

「ではアレクサンドル。今回の関東にあらわれたブラックサンタのように慈悲的な側面、豊穣をもたらす来訪神の発生とはどのような状況なのでしょうか」

 

「ふん。決まっている」

 

 答えの分かりきった問いにアレクは仕方なく付き合うように返した。

 

「困窮し絶望的な状況で、救済を渇望した時だ」

 

 つまりはそういうこと。

 救済なんてもの通常の生活で欲するようなものでは無い。救済を求める裏には決まってそれを求めるに見合う未曾有の災害や絶望があるのだ。

 

「だがブラックサンタが本当に来訪神と断定された訳では無い。まったく別のまつろわぬ神が関与している可能性もある上に、そもそもブラックサンタの存在すらあやふやだ」

 

 ブラックサンタの正体は一体何なのか。存在するのか、否か。来訪神と関与している神格なのか。それともまったく別の神格なのか。

 霊障が同時期に発生したのは関係があるのか。ないのか。

 

 その真相を探るのも一興だ。

 

「結局、()()なのですねアレクサンドル。その有り様を見るたびにあなたもカンピオーネなのだと痛感します。几帳面で豪快さに欠けるようでいて究極的には自分勝手な方! あなたの頭のなかで今度はどのような悪巧みをしているのかと思うと寒気がします」

 

「馬鹿なことを言うな! それにブラックサンタはひとつの切っ掛けだ。俺はもともと近く日本を訪れる予定だった」

 

「まあ。それは極東の若きカンピオーネに興味がおありで?」

 

「ふん。同族など厄介なだけで俺がわざわざ出向くわけがないだろう。今回の()()()ではブラックサンタの調査がメインで接触する気は毛頭ない」

 

 話がこれだけなら失礼する、と颯爽とアレクは立ち上がった。

 

「先ほどあなたが日本でどのような騒乱を起こすのかと危惧しましたが──」

 

 歩き去っていくアレクの背中にアリスは言葉を投げかけた。

 

「そこにあなたと日本のカンピオーネが、なんて事にならないことを祈っていますよ、アレクサンドル。ええ、それも心から」

 

「ふん。それは状況と相手次第だな」

 

 威丈高に言い切ったアレクに霊感ではない勘の部分で未来を幻視してしまったプリンセス・アリスはろくでもない戦乱の予感にため息をついた。

 

 

 ミラノ 赤銅黒十字某拠点 pm 23:18

 

 

 六月中旬。イタリア・ミラノは晴れ晴れとした陽気に包まれる季節なのだが、今日はいささか様相を変えて雨だった。

 しとしとと雨音の響く一室で、エリカ・ブランデッリは酷く物憂げにため息をついた。

 

 この頃、《紅い悪魔(ディアヴォロ・ロッソ)》エリカ・ブランデッリは明確な焦りがあった。

 

 発端はさっきまで読んでいた賢人議会の調書の内容──カンピオーネが新生した可能性を示唆したもの──だ。

 

 カンピオーネ。

 イタリア語でチャンピオンを表すこの言葉は、世のもう一つの理を知るものたちにとって大いなる意味を持つ。

 カンピオーネとは覇者である。

 まつろわぬ神を弑逆し、殺めた神の権能を簒奪するが故に。人類が有しえる対まつろわぬ神決戦兵器……と言いたいところだが、まあ神に挑むどころか殺めてしまうほど愚かで考えなし共である。人類すればまつろわぬ神に匹敵する悩みダネ。

 

 そしてエリカ・ブランデッリを苦悩させ焦燥させる理由でもあった。

 

()()()の『王』、か……」

 

 新生したカンピオーネを示唆する賢人議会の調書を睨みつけた。

 

 カンピオーネはまつろわぬ神を殺めなければ生まれない。

 カンピオーネが生まれる上で大前提の条件であり最大のネックだ。

 困難に困難を塗り固めた条件ゆえにカンピオーネの誕生は非常に稀だ。一世紀ほど一人も生まれなかった時代もあるほど。

 しかし当たり年というのはあるもので当代のカンピオーネはエリカ・ブランデッリが仕える最も新しいカンピオーネを含めて七人の王がいた。

 ……とはいえ最新のカンピオーネの称号は返上することになりそうだが。

 

 八人目が誕生するのは構わない。九人に増えたところで何するものぞ。十人目? それがどうした。

 エリカ・ブランデッリが仕える王が他の王に引けを取るような木っ端であるはずがない。

 普段のエリカ・ブランデッリなら、王に侍る貴婦人にふさわしく微笑みで時流を見極め、雌伏する獅子に似たおおらかさで時機を待っただろう。

 

「でも時期が悪いわ。最悪よ」

 

 しかし、この時期の悪さがその余裕を許さない。

 賢人議会の調書を少々乱暴に机へ放り投げ、ソファへ大きく倒れこんだ。

 

 今現在、エリカが仕える『王』"草薙護堂"は駆け出しで売り出し中の若い王だ。

 

 如何に強大な力を保有するカンピオーネと言えど、バックアップは非常に大きな意味がある。何せ戦うのは同格の王か、地力では分が悪い天上の神々なのだ。

 カンピオーネがいかに優れた戦士であれど、戦士であるからこそ死と敗北がついてまわる。

 新参の王など尚更だろう。

 だからこそ足場が固まっていない内に無茶をすれば。

 

「痛い目を見る。……のは分かっているんだけどねぇ」

 

 しかし無茶をしなければいけない時期でもあった。

 ベンチャー企業が攻めに攻めなければならないのと同じだ。でないと埋もれてしまい生きていけない。

 カンピオーネを背に抱くもの達は、彼らの勝利のために奔走するのは当然の努力だ。100の知識と1000の武器と1の命を用意し、託すのは当然であり義務なのだ。

 なんとしてもこの創業の時期に多くの実績とコネを築かねばならなかった。

 

 だと言うのにこれから最新の王というこれ以上ないセールスポイントが消滅してしまうのだ。

 目新しさがなくなれば上り調子の護堂とエリカにとって大きなマイナスになる。

 

 三、四月前半までは良かった。

 東方の軍神を討ちカンピオーネへと新生し、挑んでくたフェニキアの神王を退け、サルバトーレ卿と引き分けるという大殊勲で欧州から世界へ名を轟かせた。

 

 だがその後、四月後半にノルウェーで起きた大事件ベルゲン・トライアングルに話題をかっさらわれ、続く五月も目立った活動もなく終わってしまった。

 

 その間、エリカも精力的に動いていた。寛容な女であるが我慢はしないのがエリカという女だった。

 日本の呪術界をまとめる組織"正史編纂委員会"の高官との繋ぎを得たエリカは早速乗り込み──けんもほろろに追い払われた。

 

『信用の問題です、シニョリーナ』

 

 エリカ・ブランデッリを迎えた高官は気難しい顔で応じた。

 

『誤解されないでいただきたい。こちらとしても可能であれば王の庇護を賜わりたい……』

 

『ですが実績のない王を頼れない我々の心情もご理解いただきたい』

 

 そう言って取り付く島もなく、足早に退室したのは記憶に新しい。

 

「ふん、あなた達が中部地方で暴れている悪霊に手を焼いているのは把握済みよ。それを隠したがっているのは分かっているわ」

 

 エリカ・ブランデッリは才媛だ。齢14にして大騎士の階位まで上り詰め、《紅い悪魔(ディアヴォロ・ロッソ)》の称号を賜るにまで至った。

 才色兼備にして智勇兼備のミラノが生んだ奇跡が如き少女こそエリカであった。

 その余りある才を用いて、漏れ聞こえる噂の端々から、実情を察するのは容易だった。

 

 正史編纂委員会は今、混乱状態にある。

 日本史上初のカンピオーネ誕生の報が届き、対応を思案しているうちにまつろわぬ神が零落したと思わしき相当高位な霊障が猛威を奮いはじめたのだ。

 キャパオーバーし処理落ち状態だった。

 これが欧州であれば恥も外聞もなく頭を垂れて『王』の御成を求めるはずだ。正史編纂委員会の内部でもそうした動きがあったのは確からしい。

 しかし、『王』の助力を乞うことに待ったをかけた連中が居るらしい。

 

「この国の魔術師たち……いいえ、正史編纂委員会や『官』の方が正しいかしら。彼らは思ってた以上に()()()()

 

 カンピオーネが生まれた、或いは、現れたとなれば欧州や他の国では間違いなく雪崩を打って媚びを売る。しかし日本という国は長らく王との接触がなかったからだろうか、随分と毛色が違う。

 

 "様子見"という選択肢を取っている。

 

 "選択肢"を"選んで"いる。

 

「選択肢を選べる余裕がある……? 普通に考えるならカンピオーネとは帰依し、縋るものがあることになるけれど……。いいえ、考えすぎね」

 

 明後日の方向へ走り出した思考をもとに戻すように頭を振る。

 

「……でも、実績がないのは本当だものね」

 

 実際痛いところを突かれたのは事実だ。

 エリカ・ブランデッリが草薙護堂の元に馳せ参じず三月から数ヶ月、ミラノにいるかと言うと、護堂が戦うに相応しい敵を探すためだった。

 赤銅黒十字の本拠地があるミラノとまだホームではない日本では集まる情報の量や正確さに雲泥の差があった。

 

 しかし悪手だったかもしれないと焦りが生まれたのはいつ頃だったか。この数ヶ月、なんの音沙汰もない。

 欧州は平和の一言に尽きた。

 

 まつろわぬ神や同族であるカンピオーネとの接触も一切なし。それどころか遥かに下等な神獣との交戦もなかった。

 

 実績も信用もない者に誰も着いていかない。否、いけない。それはまつろわぬ神を弑逆し、権能を簒奪したカンピオーネであっても変わらない。

 命が懸かっているなら尚更。忠義を尽くすのなら唾棄すべき暗君より、素晴らしい名君が望ましいのは人情だ。

 

「ローマのゴルゴネイオン。あれが手元にあったのなら……」

 

 いにしえの大地母神の忘れ形見。神具『ゴルゴネイオン』───。

 

 イタリアのカラブリア州に流れ着いたあの神具があれば、と思わずにはいられない。まず間違いなく強大な地母神に由来する神秘であり、未曾有の騒乱の種になったに違いない。

 草薙護堂という王の戦歴を確かなものにし、名を高めるのにうってつけのアイテムだったのだが。

 

「サルバトーレ卿がお姿を隠し、ローマの七姉妹が持て余す。そこまでは筋書き通りだったのだけれど」

 

 そうは問屋が卸さなかった。

 突如として神具ゴルゴネイオンは消失してしまった。エリカの伸ばした手は空を切ったのだ。

 識者の見解ではベルゲンで事件を起こしたまつろわぬ神の介入があったとの推測だ。

 これを知った時のエリカは淑女に似つかわしい盛大な舌打ちをしたものだ。

 

「あと少し早ければ。あと少し遅ければ。……詮無い話ね」

 

 最近よくたどり着いてしまうゴルゴネイオンという思考の終着点から下車しつつ、先のことへ思案を巡らせはじめた。──ひとつの決意とともに。

 

 エリカは部屋の隅に鎮座する品物に視線をよこした。相当高価で高位な呪布に包まれたその胴長な品は、ゴルゴネイオンを手にする機会を失ったエリカがここ数ヶ月ヨーロッパ中を駆けずり回って手に入れた代物だった。

 

「ミラノでいくら悩んでいても仕方がないわ。やっぱり日本に渡らなくちゃ……」

 

 この懊悩と決断が、エリカ・ブランデッリが奉ずる王との別離を呼ぶとは微塵も思っていなかった。

*1
人類が活動する地上と神々の住まう『不死の領域』との狭間にある『生と不死の境界』。早い話が三途の川のちょっと前の異界。日本では幽世、欧州ではアストラル界、ペルシアではメーノーグなどと呼ばれる

*2
物語の神でありながら神話を核として地上に現れる神の総称。決して朽ちぬ身体を持ち、近代兵器や例外を除いた魔術をことごとく無効化する。また神話に応じた権能も保有しており、意図的にも、無意識的にも、大災害を引き起こせる。

*3
神の武器だったり神々の叡智が刻まれた魔導書など形は様々。不朽不滅といった神具も珍しくない。それ単体で歴史的価値が高く、人では持て余しがちな代物が多い

*4
ロンドン・グリニッジに本拠地を置く魔術師たちのシンクタンク。元はとあるカンピオーネに対抗するために組織された。カンピオーネとは敵対ではなく情報収集やカンピオーネの戦いや騒動に対応するために活動している

*5
ドイツやオーストリアのクリスマスにサンタクロースと共に現れる黒い衣装を身にまとった黒いサンタ。悪い子がいると袋に入れて連れ去ってしまうという。古い形態のサンタクロース説もある

*6
冬に外からやってくると信じられている神で彼の祭礼は外からやってくるディオニューソスという来訪神を迎えるものだった。

*7
冬至の七日間サートゥルヌス祭を行う。クリスマスの起源のひとつという説もある

*8
秋田の来訪神

*9
宮古島の来訪神

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