戦女神は微笑まない   作:につけ丸

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10話

 東関東自動車道/水戸線 am 0:22 

 

 街灯と月光が照らす首都高を一台の黒塗りの車両が爆走していた。周囲に他の車両はない。どういう手管を使ったのか首都高を全面封鎖しているらしい。

 瞬く間に景色が後ろへ消し飛んでいく車内で、沙耶宮馨とエリカ・ブランデッリはついに黒坊主と黒王子の織り成す物語の核心へと迫っていた。

 

「どこへ向かっているのか聞くのは無粋かしら」

 

「ええ。追って説明します」

 

「では教えて頂戴、アレク王子がなぜ、木更津にいるのか」

 

「それを紐解くには、我が国の創世神話"島釣り"の逸話を知っておく必要があります。エリカさんはこの逸話、ご存知ですか?」

 

「島釣りの逸話……。イザナギとイザナミの国生みだったかしら」

 

 言いながら不安の細波はゆっくりと大きくなっていく。アレクサンドル・ガスコインはどこにいる? その疑問をぶつけられてから顕著に。

 気持ちのいい酔いに任せて明日を待っていたのが重大な間違いだった気がしてならない。そして実際に間違いでは無いのだろう。

 

「そうです。日本における著名な創世神話です。──かすかな滓のような陸地しか浮かんでいない原初の海にイザナギとイザナミが天之逆鉾を突き立てかきまわした。そうして陸地をまとめあげ、日本列島を造り出した……といった話です」

 

「私の知る逸話と合致しているわ。女媧と伏羲をはじめとする中国南部から南シナ海やポリネシアに広がる洪水型兄妹始祖神話の説話に近しいものと考えていたけれど……」

 

「ええ、ですが女媧と伏羲の洪水神話は天災による洪水によるものという見方があります。実際にこの説話の淵源とされている中国の少数民族ミャオ族は貴州省や雲南省、タイやチベットなどの山岳民族ですからね」

 

 ですが、と片目を覆う前髪を撫でながら言葉を挟んだ。

 

「台湾や日本、ポリネシアなどの海洋民族由来の神話では、世界のはじまりはです。見渡すかぎりの海で、陸はもともとなかったとされます。そこへ創造神が釣り糸を垂らし、海中より陸地を釣りあげ、島とする」

 

 大地の誕生──国生みの物語だ。

 

「なるほど。あなたは島釣りの逸話が山岳民族由来の創世神話ではなく、海洋民族由来の創世神話だと言いたいのね? 女媧と伏羲の創世神話ではないとすると、ポリネシア神話の航海英雄神マウイが代表的かしら」

 

「はい、そして海洋民族の島釣りにもバリエーションがあります。まず釣り針でひっかけるもの、これはエリカさんが挙げられたポリネシアで広く知られる半神半人の英雄神マウイがあたります。もうひとつはイザナミ・イザナギの国生み。使用している道具は別ですが、棒きれも釣り針も役割という点では同一の役割を担っているのでしょう」

 

 古代日本において、鉾は漁──魚釣りの道具であったという記録がある。これらのエピソードは本質的に同一なのだ。結局、島を釣り上げるという本質は変わらない。

 

「それで? この話をして私になにを示したいのかしら?」

 

 先を急かすようにエリカが促した。馨も短くうなづいて相槌を打つ。

 

「我々、正史編纂委員会としても完全に意識外にあったこの逸話……実はこの一連の事件において()()をなす代物だったようです」

 

「それは──」

 

 少し言葉を詰まらせ、絞り出すように言った。

 

「──東照宮に封じられた神よりも重要と捉えていいのかしら?」

 

「ええ、間違いありません」

 

 馨は一も二もなく断言した。

 瞬間、エリカの胸にチクリと鋭い痛みが走った。馨の話が本当なら、アレクの明確な裏切りだったから。この数日、日本での基盤をすべて投げ捨てるように消費しながら献身したエリカを東照宮へ向かわせ、真実を知るアレクは暗躍していたということになる。

 信用も、信頼も、していた訳ではない。覚悟もしていた。けれど胸に去来する感情はどうにも触れると傷が生まれるほど鋭く冷たかった。

 

「どうしてそう言い切れるのかしら? 日光東照宮に封じられた神がそうでないと結論づける証拠がなければ納得は難しいわ」

 

 噛み付くように問いただすエリカへ、困ったように肩を竦めて馨は言った。

 

 知っているだけですよ、と。

 

「東照宮に封印されているまつろわぬ神の御名を……ね。ブルターニュの魔女とも”聖杯”にも縁遠いまつろわぬ神ですから、エリカさんも御名を知っていればきっと僕と同じような大きな違和感を持ったはずです」

 

「……あなたがそうだと言うなら、アレク王子も当然感じた事でしょうね」

 

 馨は切れ者だ。だがアレク王子はこの方面ではそれ以上に切れる。そしてこのゲームを認識している人類側で最も多く情報を揃えているのはアレクだ。

 馨が抱いた違和感を東照宮の神も、そして黒坊主の策謀についてエリカや馨より一歩先んじていたアレクが感じなかったはずがない。

 

「アレク王子はエリカさんが退室された後、僕に確認を取りました。東照宮に封じられた神の名を、です」

 

「やっぱり」

 

「そしてこの時です。僕がエリカさん、あなたと手を結べる余地があると確信したのは」

 

 アレクへ鞍替えしたはずのエリカに情報を制限していた。つまり完全にアレクの麾下となった訳ではない、とその時看破したのだ。

 そしてエリカの目を東照宮へ向けさせているのにもすぐに悟ることができた。そして当のアレク自身は別の方角を見ていながら、である。

 

「アレクは結局封じられた神の名を教えてはくれなかったわ。あなたもまつろわぬ神の御名は教えてはくれないのね?」

 

「私も立場がありますので」

 

 僕ではなく私といった馨にエリカは苦笑して悟った。これは無理ね。飄々としていながらも頑とした意思を視線から感じ取った。

 

 だが、だからこそ信じられる。馨は仮にも組織の幹部だ、手を結べるとはいえ軽々に機密を漏らすようならエリカの方から手を切っていた。

 

「封された神の御名をお答えできませんが、”聖杯”と深い関わりはない神です。これは僕の名誉に賭けて保証します。ま、どうしてもというのならご自分で考察されることをおすすめ致します……アレク王子と同じようにね」

 

「時間が取れたらそうするわ、ゆっくりとね。答えが出たその時は、付き合ってくれるかしら?」

 

「喜んで」

 

「ああ、ですが」正史編纂委員会の幹部である麗人は女好きする笑顔で代わりの対価を差し出してきた。エリカは背筋を正して、拝聴する姿勢をとった。

 馨は笑顔だがその表情の端々に怜悧なものがうかがえる。おそらくこれから馨がもたらす情報こそ最も重要な鍵なのだと、エリカは理解した。

 

「お教えできない代わりに──エリカさん、あなたに()()()()()()()があるんです」

 

 馨はジッと強い瞳でエリカの碧眼を見据えた。

 

「それは……。あなたの言うこの一連の事件の根幹だという"島釣り"に由来する情報なのね?」

 

「ええ」

 

「伏せていたのは……伏せられた情報を知った私が、変数になるから、かしら」

 

「御明答です。おそらく僕たちだけでなく黒王子もでしょう。これは意図的なことでしょうね──この一連の事件、おそらく一番の不確定要素はあなたですエリカ・ブランデッリ」

 

 エリカは無言だった。

 

「あなたの日本で築き上げた地盤と卓越した政治力は黒王子が日本で活動する上で十分な脅威になり得る。草薙護堂という王の留守を守る女主人(ミストレス)として旗頭となり彼を厄する事も可能だった。我々としても全幅の信頼を置けないエリカさんにこの情報を伝えるのは腰が引けてしまった、という訳です」

 

「そんなあなただからこそ、アレク王子は目をつけた」と馨は続けた。

 

「有能な敵というのは裏を返せば便利な手駒にもなり得ます、将棋の駒のようにね。飛車であり角でもあるエリカさんを利用できるなら利用したかったのでしょうし、どんな化学反応を起こすか分からない不確定要素で大きな変数となりうる、あなたを手元で管理しておきたかったのでしょう」

 

 無言で静かに馨の推察を聴いていたエリカがたまらず失笑した。自嘲の色を混じえた笑みだった。

 

「ふふ、随分買いかぶっているのね。私はサロンで言われる通り護堂を守れなかった不忠の騎士よ。……でも聞かせてちょうだい、あなたとアレクが隠したがった情報を知っておきたいわ」

 

 

 一拍の後に、馨は話はじめた。

 

「房総半島近辺、そして鹿島灘付近で宝船がたびたび流れ着く話を知っているはずですよね?」

 

「……ええ、聞いているわ。その船から回収された遺物を護堂と一緒に湖月堂で確認しているわ」

 

「こちらも甘粕さんからその報告は受け取っています。そして当時の宝船……つまり草薙さんが拉致される以前の宝船になりますが、その当時の帆はムカデが描かれていたのを知っていますか?」

 

「知っているわ、鹿島灘に現れる宝船と鹿島神宮に現れたオオムカデは必ず関連があると睨んで調べていたことはあったけれど……でも、どういうこと? 描かれた絵になにか異変が起きていたとでも?」

 

「そうです、先日から様子が変わっていまして……」

 

 バッグから何枚かの写真を取り出した。

 

 そしてエリカは──絶句した。

 写真はすべて酷くブレていて分かりにくいが様々な鳥獣の姿を描いた帆を撮影したものだった。そして帆を張った弁才船はたしかに宝船そのもの。

 

「アレク王子の手の者によって妨害を受けたためあまり鮮明ではありませんが、

 九日前は牛、八日前は戦士。七日前は何も描かれていませんでしたが船の周りを強い風が吹いていたそうです……エリカさんならこの図像が意味を理解出来ますよね」

 

「護堂の化身!? 簒奪した権能だとでも言うのッ……!?」

 

 血反吐を吐くような声で言葉を吐き出した。こんなもの、こんなものが。宝船こそ護堂の存在と居場所を示すなによりの証拠ではないか。

 なぜ東照宮なぞにかかずらっていたのか、己の不明があまりにも馬鹿馬鹿しく憎たらしくて仕方がない。

 

「描かれた絵が草薙さんの化身という確証は全くありません。しかしこのタイミングで現れたのなら、かなり確度の高い話だと思います」

 

 エリカの明確な失態だった。東照宮やアレクにばかりかまけて宝船の優先順位を下げていた。普段なら気づけたはず、でも護堂を失った焦りとアレクという外来からの強大な侵略者に視野狭窄になってしまっていた。

 

「ふざけないでちょうだいエリカ! エリカ・ブランデッリッ! なにが忠義! なにが大騎士! なにが──《紅い悪魔(ディアヴォロ・ロッソ)》! こんな、こんな大事を見落としておいてよくも抜け抜けと! 恥を知れ!」

 

 だん、だん、と足よ壊れよと膝を殴る。白い足が内出血で紫に染まり、慌てて馨が止めても、エリカの胸の内に渦巻く感情は収まることはなかった。

 

「エリカさんが宝船に気付けなかったのも無理はないと思います」

 

 馨が気遣うように言葉をかけて来た。

 

「先ほども述べましたが正史編纂委員会としてもこの情報が外に漏れるのを遮断し統制していました。エリカさんが敵か味方か判断出来ない以上、外部に漏らすには情報の重要度が高すぎましたからね」

 

「……」

 

「アレク王子が宝船の帆の変化を気付いていながらエリカさんに秘匿している。そう確信を抱いたのは今日の会談の後、東照宮の神の名を確認した時です。アレク王子は別の目的があり、エリカさんの目を東照宮へ向け続けさせるために情報を制限している……完全に鞍替えした訳では無いと看破できた。だから大丈夫です。本当に僥倖だったんです。だから、我々はギリギリ間に合うはずです」

 

 馨の真摯な瞳に、エリカは落ち着きを取り戻した。

 

「はあ。そうね、どうしてもアレク王子の行動を気にしてしまうもの……そして宝船は私たちの視野から外れていったのね」

 

「ええ、力弱い我々にとってカンピオーネは台風のようなもの。その言動や行動に注目せざるを得ない、人類の宿痾みたいなものです」

 

「そうね。そうでしょうね……」

 

 慰めるように声をかけてくれる馨にいくらか救われた。普段なら固辞してしまう優しい言葉が、今はひどく抗いがたいものだった。

 それからエリカは気付いた。

 これまで日本で孤立していたから味わうことのなかった感覚……本拠地であるミラノにいたときも、味わうことのなかった感覚。異国の地で、信頼できる仲間を得るとはこんな感覚なのだと、初めて識った。

 

 独りだったエリカは、はじめて背を任せられる同胞を得た気がした。

 

「馨さん、アレクには別の目的がある。あなたはそう言ったわね? だったら当然その目的を見抜いている。……そして紐解くのに必要なのが、宝船なのね?」

 

「はい。これが最も重要な鍵となる疑問──宝船は"どこから来る"のでしょうね?」

 

 なるほど、そう来るか。

 宝船。つまり船という性質上、やはりどこかの陸地から出航していると考えた方が自然だ。そしてその陸地とは、宝船が出航するにふさわしい場所なのだ。

 

「宝船は七福神に由来する船だったわね。恵比寿、大黒天、毘沙門天、弁財天、布袋、福禄寿。寿老人というメンバーから構成される福の神を乗せた船……」

 

「ええ、七福神のメンバーは度々この事件に影を落としています。まずエリカさんと草薙さんも同席した湖月堂での鑑定依頼、あの時の宝棒も毘沙門天の持物でした。そしてオオムカデも毘沙門天のしもべです。弁財船の弁財もサラスヴァティーの漢訳とされていますからね」

 

「宝船が七福神……つまり来訪神と考えるなら、来訪神と宝船がやってくる場所は同じと考えて良いわね。つまり聖域であり、あらゆる富や豊穣を備えた夢のような場所──理想郷(アヴァロン)

 

 アヴァロンとは理想郷であり、アーサー王の眠る幻の島であるのは有名だ。そして騎士エリカ・ブランデッリにとってもアヴァロンだった、なにせ王である護堂がいるはずの幻の聖域なのだから。

 

「しかし東京湾にも、相模湾にも、そして鹿島灘付近にもそんな島は発見されていません」

 

「……手詰まり、ということ?」

 

「いえ、実は心あたりがあるんです」

 

 正史編纂委員会の時期首領を確実視される東京分室の長、沙耶宮馨はここに来て決定的な爆弾を落とした。

 

「我々、正史編纂委員会は長いこと──幻の島というものを秘匿していましたので」

 

「幻の、島?」

 

 

〇〇〇

 

 

「幻の島というより浮島と言った方が正しいですが、その認識で間違いないです。どこにもない。けれど、どこにもない場所から存在を示すように現世に向けて情報を発信する……この現象は正史編纂委員会が秘匿している浮島の特徴に非常に酷似しています。まあ、正史編纂委員会のトップシークレットですけどね」

 

 馨はそう言いながら一冊の本を取り出した。

 

「これは……?」

 

「地元の郷土史研究家があと一、二ヶ月ほどで出版予定だった本です」

 

 タイトルは『上総国口頭伝承まとめ』と味気ない。装丁もそっけなく地味。ただ一ページ目に『后 弟 橘比売、太刀を抱きて海に入り給ふ。其の太刀の流れし先は陸にあらず、海にもあらざる処にて、浮島といふなり』という一文が目にかかった。

 

「浮島……。興味深いわね……ここ数日、古事記や日本の史料読み漁ったけれど知らない一文よ」

 

「でしょうね。原文はヤマトタケルが現在の神奈川県からこの東京湾を船で対岸の千葉県へ渡ろうとした時の逸話です」

 

「ええ、覚えているわ。海を渡ろうとしたけど大いに荒れて渡れず、それを鎮めるため妃である弟橘比売が入水したと記憶しているわ」

 

「それが通説……というか我々、正史編纂委員会が積極的に流布している伝承です。ですが時々──何十年に一度、このような奇妙な異聞が生まれるんです。正史編纂委員会とその前身であった組織は、何百年もこの伝承を闇に葬ってきました。伝える人々がいれば記憶から消し、書き記した史書があれば改竄して。ですが何十年か経つと、また誰かが同じことを伝え出すんですよ……さも私はここにいる、と言わんばかりに」

 

「つまりあなたはこう言いたいのね。鹿島灘付近に現れる”宝船”とこの浮島の”一文”は同一のものだと」

 

「そうです。島釣りの逸話における釣り針と鉾が、島を釣り上げるという役割は同質だと言ったのと同じです。宝船も異聞も知らせるという役割という点では同質ですし、これ以上ない意思表示だ」

 

「あれだけニュースで騒いでいたものね。宝船はどこから来るのか、考えて然るべきだったわ」

 

 息を大きく吐いて、思考を切り替えるように馨と視線を合わせた。

 

「それで馨さんは秘匿していた浮島について詳しく話してくださるのかしら?」

 

「ええ、東照宮の神のようにはぐらかしはしません。存在のあやふやな幻のような浮島ですが、過去に間違いなく実在していたと考えていいでしょう。なにせそれ補強するように正史編纂委員会は千年以上の昔から上総国、今の千葉県に隠された神具──()b()()()()()()()/()b()》を必ず隠し通すように言い伝えられて来ました」

 

「”天之逆鉾”ですって?」

 

 エリカが語調を逆立てるように言った。

 

「島釣りの逸話。イザナミとイザナギの国生みの神話に出てくる、あの?」

 

「ええ、おそらく陸地を釣り上げた鉾と同一の能力を保持している"神具"と見て間違いないと思います。繰り返しになりますが、アレクサンドル・ガスコインは千葉県の木更津にいます。おそらく木更津に”天之逆鉾”を発掘するためにね」

 

 宝船、理想郷。蛇殺しの《鋼》、オオムカデ。そして──”天之逆鉾”。

 海をかき回す以前の日本列島さながらに千々に乱れていた要素がようやく繋がり始めた。

 

 そして運転していた甘粕がバックミラーごしに声をかけた。

 

「あぁ、馨さん、お話を邪魔しちゃいけないと思って黙ってたんですが、さきほど連絡がありまして……木更津から黒王子の姿が消えたみたいですねぇ」

 

「やれやれ、それは本当かい? 僕の予想より早かったな」

 

 肩をすくめてエリカと向き直った馨は少し言い訳がましく言った。

 

「これも我々の不覚ですが、彼は来日してからずっと『王立工廠』の手のものを呼び寄せて作業に当たらせていたようです。大半が台湾の華僑らしいですが、草薙さんの一件や山梨県の霊障事件、宝船の出現に黒サンタ、アレク王子の来日など、それどころじゃない日々でしたので気付くのが遅れました」

 

 やれやれ、と疲れたように息を吐いて馨は眉間をほぐすように揉んだ。

 

「いいえ、馨さん。あなたのお蔭でアレクの目的も見えて来るわ。改めて感謝をさせて頂戴」

 

「かまいません。エリカさんへの全賭けが我々の利益になると信じていますので」

 

 ありがとう、と心からの感謝を込めて馨につたえ、次いでエリカは最後の核心に触れた。

 

「アレクはこれほど大掛かりな仕掛けをしながら、いえ、これほど大掛かりな仕掛けをしなければ、目的は達せられないと考えていいわね。なぜ、そうせざるを得なかったのか? 簡単なことね──彼自身が部外者だからだわ」

 

「ええ、おそらくアレク王子は黒坊主が主催するこのゲームの未だ参加が内定していない状態のはずです。アヴァロンを釣り上げようとしているのも、アヴァロンに居るはずの主催者と接触するため。まるで卒業間近で内定をもらっていない学生のように強引な手を使っているのもそのためでしょう」

 

 つまり日本に騒乱の渦を巻き起こしたアレクサンドル・ガスコインの目的とは──

 

「「──黒坊主の主催する密儀に参加すること。……はぁ……」」

 

 エリカと馨は口を揃えて言った。そしてついて出たのは盛大なため息だった。

 

 謎の儀式にただ参加する。理由はただ知りたいから。

 そのためだけに日本中を引っ掻き回し、エリカを調略した。流石はカンピオーネ、とんでもないスケールのロクデナシである。エリカもアレクに対して大いに思うところがありはするが、こうも馬鹿馬鹿しい理由だと肩の力が抜けてしまう。

 

「これで僕が開示できる情報はすべて吐き出しました」

 

「一度おさらいをしておきましょうか」と、エリカも仕切り直すように提案した。

 

「おそらくアレク王子が来日を決めたのは黒サンタの情報もありますがブルターニュの魔女が動いていたという比重が大きかったはずです。だからこそ来日直後、彼はブルターニュの魔女が調査していた日光東照宮は本当に”聖杯”に関連があると考えていた」

 

「ええ、それと同時に黒サンタの調査も進めていたはずよ。日本に来たアレクの手のものが台湾の華僑系ばかりだったとしたら確か……台湾には、『王立工廠』に所属するセシリア・チャンという優秀な道姑がいたと記憶しているわ」

 

「ですが、この段階ではまだ黒坊主ではなく日光東照宮への興味や関心が高かった。彼が正史編纂委員会へ盗みに入ったのもこの時だと予想されます。東照宮は西天宮の扉はいかにアレク王子でも破れず、なにか打開策を欲したのでしょう……そしてこれは僕の推測ですが、盗みに入った彼は偶然、”天之逆鉾”の存在を知ってしまったのではないでしょうか」

 

「なるほど、存在を主張し続ける幻の島を知ったのね。そして宝船と関連付けはじめ、やがて東照宮からこちらの事件への興味が勝るようになったのね」

 

「すぐに彼はピンと来たはずです。宝船とこの一文は同じものだ、と」

 

「そしてこうも思ったはずよ。あの宝船はアーサー王などの《鋼》の軍神をまつわる密儀だと……『后 弟 橘比売、太刀を抱きて海に入り給ふ。其の太刀の流れし先は陸にあらず、海にもあらざる処にて、浮島といふなり』……この一文を考えるなる容易に結びつくでしょう」

 

「はい。ですが東照宮に気を取られタイミングを失った彼は主催者の黒坊主と接触できず、仕方なく配下の人間を集め、”天之逆鉾”を奪取する準備に取り掛かっていた……そして事態は急転直下気味に動き出しました」

 

「鹿島神宮でのオオムカデの出現、そして護堂の拉致ね」

 

「ここからが問題だったのでしょう……オオムカデという黒坊主と日光東照宮、本来分けて考えるべき二つの要素に繋がりを見出してしまった。なにせオオムカデの伝承は日光の戦場ヶ原に間違いなく存在していますからね」

 

「なるほど。黒坊主と接触できずアヴァロンも発見できなかった彼が、突破できなかった東照宮の西天宮に結びつけるのも無理はないわね。そして日本各地のオオムカデ伝承を調べ、それでも行き詰まった彼は私に接触してきた、という流れかしら」

 

「きっとある程度日本で地盤を築いていたエリカさんの伝を使いたかったんでしょう。そして我々、正史編纂委員会に外交チャンネルを開きたかった。エリカさんがその準備を進めている間に、考察と調査を進めていき……やがてアレク王子も途中で察したのではないでしょうか。蛇殺しの《鋼》と”聖杯”や宝船にほぼ関連がないことに」

 

「そして臨機応変に東照宮へ乗り込む計画を()()()()()のね。今のアレク王子は、彼の性格的に蛇殺しの《鋼》については調べられれば儲けものだというスタンスかもしれないわ」

 

「ええ。ですが彼は巧妙だった……日光東照宮やオオムカデが東照宮を我々へのブラフに利用しはじめた。先程も言いましたが、カンピオーネの行動や言動を僕達はあまりにも気にしすぎてします。目を逸らすだけのブラフでしかなくても、飛びついてしまう」

 

「……有り得るわね。アレクはカンピオーネですもの、本当に知りたければ人の身である我々に止める術はないわ。交渉すら必要なく調べに行くはず……違和感はずっとあった」

 

「今回の事件の根幹にあるのが島釣りという事は鹿島神宮、宝船などの海と関わりが深い要素が焦点になるはず。日光東照宮はこの事件にほぼ関係はなかった。紐解いてみれば我々はなんと道化を演じていたのでしょうね……」

 

 苦笑し合っていると、車が停車した。車窓から見える外の景色は、夜光の反照する海岸のようだった。遠くには白亜の灯台が、航行する船舶のために灯光を明滅させている。

 

 

 犬吠埼 am 2:12 

 

 到着したの先は銚子半島の先端、関東の最東端にある犬吠埼だった。エリカは馨に送られ、この白亜の灯台を訪れた。

 

「この先は一人で十分よ」

 

「エリカさん、それは……」

 

「いいえ、本当に十分なの。その代わり、馨さん。あなたをわたしが得た本当の味方だと見込んで……一つお願いがあるの」

 

 そしてエリカは語った。

 

 

 エリカのお願いを聞き、馨はその日初めて……いや、人生で最大の動揺に襲われた。それほど衝撃的だったのだ、エリカ・ブランデッリの命を賭けた策が。

 

 カンピオーネも、まつろわぬ神も、人も、密儀も。あらゆる要素を超越し、盤面を覆す比類なき忠臣の秘策に馨はただただ平服するしかないかった。

 なぜ今まで唯々諾々とアレクサンドル・ガスコインに従っていたのか、すべて理解出来た。

 

「エリカさん……あなたは……」

 

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