戦女神は微笑まない   作:につけ丸

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11話

 犬吠埼 am 2:18 

 

「ご武運を」

 

「ありがとう。例の件よろしくお願いするわね」

 

「ええ。僕の名誉に賭けて成し遂げて見せます。……ですがエリカさん……、いえ、なんでもありません」

 

 これ以上の言葉はエリカ・ブランデッリの覚悟への侮辱になる。聡明な馨はそう思い至って、首を振って言葉を呑み込んだ。エリカはそんな馨に感謝しながら黙礼し、そして目指すべき場所へ堂々たる足取りで先へすすんだ。

 

「エリカさん……」

 

 その間、長く、本当に長く。

 

 頭を垂れて──死地へと向かう彼女を見送った。

 

 

 

 

 

 関東の右端にあるこの灯台は深い夜のなかでも騒がしい。ひっきりなしに岩礁にぶつかり砕ける荒波が無音を許さないのだ。

 

 喧騒のなか白亜の灯台の元へ向かった。ゆっくりと、そして、揺るぎなく。

 

 黒地の布に赤い縦縞を入れたケープを羽織る。(バンディエラ)を思わせるケープに、簡素な長袖のシャツと、ほっそりとした黒いパンツを身につけていた。

短いケープは《赤銅黒十字》の大騎士にしか許されない装束。そして簡素な長袖と機能的なパンツは運動を阻害しない代物だ。

 

 エリカは戦装束へと服装を改めていた。

 

 この騒動の総決算となる大戦の機運はおおいに高まっている。戦場へ向かうなら戦装束を着るのは当然のこと。

 

「来たか」

 

 かつん。かつん。

 質の良さそうな革靴の音とともにダークグレーの男、アレクは姿を現した。彼もまた戦装束であった、普段着という名の。

 カンピオーネは常在戦場こそを基本とする戦士の中の戦士だ。ならば戦場をふるさととする彼らには普段通りこそ何よりの戦装束であった。

 

 アレクを灯台の明かりが映し出す。その表情には愉悦の色を隠そうともせず口は弧を描いていた。

 

「先刻ぶりですわ。アレク王子」

 

「ふむ……君がここに来たという時点で俺の謀りはおおよそ見破られたと見るべきだろうな。完全に巻いたと思っていたが、君もカンピオーネの介添人か。相応には優秀らしい」

 

「信頼の置ける仲間と知己を得ましたので」

 

「沙耶宮馨か」

 

 アレクはすぐさま看破した。この盤面ではアレクが東照宮の神の名を看破していると知る唯一人物だった。それに中々優秀そうな人物でもあったから予想は容易だった。

 

「ふっ、いいだろう。なんにせよ、この場にたどり着いた時点で君は例の浮島へのキップを掴みとった。俺と同行する権利を認めよう」

 

「ありがとう存じます王子」

 

 アレクはうなづいて海面の方へ顔を向け、何かを呼び出すような仕草をした。

 エリカは瞠目した。何かが、いる。

 灯台の光に照らされた海面に巨大な魚影が横切った。否、あれは魚などでは無い。魚ならもっと小さく、あんなにも長くはない。

 ザバ、と音を立てて海から姿を現したのは長い髪で顔を覆い隠した半人半妖の『女王』だった。腰から上は絶世の美女、しかし下半身は蛇と魚の融合で、背には白い翼を生やす偉業の女王。

 

「……無貌の女神(クイーン・ザ・フェイスレス)……」

 

 エリカは知っていた。あれはアレクサンドル・ガスコイン第四の権能。半人半蛇の女神メリジューヌから簒奪した権能だ。

 しかし、それは『女王』の持ち物に気づくまでだった。あまりの異容に気圧され気づくのが遅れたが『女王』は何かを持っていた。

 あれには見覚えがある。十日前に鹿島神宮で遭遇した神獣……この数日、エリカが追い求めていた神獣に違いなかった。

 

「オオムカデ!? あの神獣はアレク王子が隠蔽したいたのですか!?」

 

「早とちりするな、残念ながら違う」

 

 声を上げたエリカを制するように片手を上げ、経緯を説明しはじめた。

 

「あのオオムカデの神獣は今日の夕刻に『女王』が発見して捕縛したものだ。鹿島灘を漂っていた駱駝の描かれた宝船とともにな」

 

「”駱駝”……」

 

「俺が『女王』から知らせを受け宝船に向かった時、オオムカデはこれを握っていた」

 

 アレクから差し出されたのは一枚の紙だった。表には一艘の宝船が描かれた絵でその周囲に和歌の一首が納められている。行書体で書かれ外国人のエリカには分かりにくかったが、最初の"ながきよの……"という一文を読み取った。

 

 そして裏を見返す。

 

「ああっ、護堂……!」

 

 途端、エリカはくずおれた。

 

 

俺はここにいる

 

 

 そこに書かれていたのは血文字で書かれた一文だった。

 血で滲み弱々しくあまりにも分かりにくい文字。だけど見覚えのある筆跡、いや、王と騎士を結ぶなにかが確信へと至らせたのだ。

 ボロボロと涙を零しながら、ついに辿り着いた護堂への痕跡をつよく胸に抱きしめる。

 やっと辿り着いた。ギリギリだったが今はそれで十分。

 

 

「先に行くぞ」

 

 アレクは身にまとう瀟洒な衣服から想像しにくいほど軽快な動作で『女王』の左肩に乗り込むと、エリカを目で促した。

 エリカも立ち上がると騎士に恥じない所作で右肩に乗り込む。『女王』は乗客を気遣うようにゆっくりと陸地から離れ、沖合へ向かった。

 

 

 鹿島灘 am 2:32 

 

 

 それから口を開いたアレクから飛び出た言葉は、謝罪でも詫びでもなく、経緯の説明だった。

 

「君も知ってのとおり俺はあの後、俺は木更津へと向かった。この神具を手に入れるためにな」

 

 アレクは胸ポケットからボールペン並の大きさの棒きれを取り出した。釣り針や鉾の形をしていないが、けれど鉄でもプラスチックでもない異様な質感がいにしえの神代から伝わった物だと静かに主張していた。

 

「それが島釣りの神具”天之逆鉾”なのですね」

 

「そうだ。この騒ぎには日光東照宮に封印された蛇殺しの《鋼》はほぼ関係がない。あるとすれば()を提供した程度だ」

 

「場を?」

 

「ああ、この空間に聖性を与える。そんなところだ」

 

 アレクは詳しく説明せず、エリカも気になりはしたが大筋に関係はないと言葉を飲み込んだ。

 

 

「お前も一連の事件の根幹が宝船……つまり七福神という来訪神にあると知っているだろう」

 

「ええ」

 

 それは沙耶宮馨が言っていた通りだった。オオムカデや宝棒、弁財船、宝船。これらが黒坊主の仕業だとすれば黒坊主もまた七福神と関連する神格だったのだろう。

 黒を名乗るあの堕ちた神格。未だ答えが判然としないエリカは安直な問いを投げかけた。

 

「黒坊主は大黒天の零落した姿……なのでしょうか?」

 

「違うな」

 

 そしてバッサリと返された。

 

「気づかないか? やつは大黒天が関与する神格ではないが七福神のメンバーの一人で間違いない。このヒントがあれば聡明なお前ならすぐさまゴールに辿り着く」

 

「七福神の……──ッ!」

 

 瞬間、エリカの脳髄に電流が駆け巡った。

 最も疑っていた大黒天は否定された。なら候補は残りの六柱の神格となる。

 

 そしてこれまでの事件に多くのヒントが残れていることをエリカは遅ればせながら悟った。

 

 黒サンタと勘違いされていた頃、黒坊主が現れた土地の数々にはとある”民謡舞踊”が点在していた。民謡舞踊の起源は定かではないが鹿島神宮であるとも、遙か南方の島々から海を渡って来たとも言われる歴史ある伝統文化であった。 

 

 そして件の民謡舞踊の起源のひとつとされる──来訪神の伝承が数多に残された南方の島々にはあるのだ。七福神へ起源を認めることの出来る神格が。

 

 理想郷から海を渡って現れ、豊穣をもたらすという──救済神の神格が!

 

 彼の神格こそ黒坊主が零落する以前のすがただったのだ。言われてみればなんの事はない。ヒントは幾らでもあった。なぜ気付けなかったのかと、振り返れば歯噛みするほど。

 エリカが自分の不明を恥じている間に、目的の場所にたどり着いたらしい。アレクは鹿島灘の沖合で一旦、『女王』を止めた。

 

 ──G i i i i i i ……! 

 

 そうして、何故かオオムカデを洋上へ放り投げた。解放されたはいいが満身創痍のオオムカデは大した抵抗もできず、動くこともできずに洋上を漂うだけだった。

 

 エリカはふと疑問を抱いた。アレクは何故、あのオオムカデを連れて来たのだ?

 戦場ヶ原の伝承と毘沙門天のしもべという属性から蛇殺しの《鋼》と宝船を繋いだ神獣だが、まだ何か秘密があるのだろうか。

 アヴァロンを世に示すためムカデの描かれた帆の宝船が現れていたのは知っている。なら、オオムカデが異界への扉を開く鍵となる……?

 

(でも、帆に描かれているのは護堂の化身。オオムカデは役割を終えているはずよ)

 

「俺がこの神獣を連れてきたことが疑問か?」

 

 思案するエリカに気付いたのか、アレクは楽しげに声を掛けてきた。まるで得意分野について出来のいい生徒から質問を投げかけられた教師のように。

 アレクはオオムカデを投げ捨て『女王』の空になった手のひらに飛び移ると”天之逆鉾”をエリカに見せつけるように掲げた。

 

「この神具”天之逆鉾”の使用には条件がある。だがその条件は蛇殺しの《鋼》が守護する日本において非常に困難だと言わざるを得なかった……そして、困難な条件をクリアするためにオオムカデは必要不可欠なのだ」

 

「”天之逆鉾”の使用条件のためにオオムカデが?」

 

 イザナミとイザナギの国生みをはじめ、いくつかの創世神話を脳内で検索したがムカデの登場する創世神話はなんてヒットしなかった。訝しみながらエリカも続いて手のひらに移り、そこで違和感に気づいた。

 違和感に気づいたのは肩からより海面に近い手のひらに移ったからだ。海の様子がよく見える。

 

 ──この一帯の海は何かが変だ。

 

 月明かりが反照する海面。その波打つ海の合間に、なにやら名状しがたい色が見て取れた。一見すると無色透明なのだが、見続けていると白く変色し、やがてキラキラまたたきだす。

 輝きのひとつひとつが異なる色で、万華鏡のように次々と変色していった。この世の全ての色をそこに見出すことができた。無色にして万色なのだ。

 

 明らかこの世の物ではない。『神に連なるもの』の関与を伺わせる代物だ。

 

「これは……」

 

「俺は『蛭子』と呼んでいる」

 

 訝しむエリカを読み取ったアレクが返した。

 

「『蛭子』……とはイザナミとイザナギの最初に生んだ子のことでしょうか? 骨はなく不定形であったとされ、海に流され闇に葬られたという。後に七福神のメンバーとして数えられ、”恵比寿”とも言われる創造神の長子にして忌み子」

 

「そうだ。国がまだ若く、形状も定かでない国土が脂のように海を漂っていた頃、伊邪那岐命と伊邪那美命は『この漂える国を修め理り固め成せ』と命じられ、”天之逆鉾”たまわる。二柱の神は天の浮橋に立ち、その鉾をおろして、かきまわす……」

 

「国生みの一説ですわね。確かに不定形という性質はアレクが『蛭子』と呼ぶこの物体と、海を漂っていた脂のような国土は似通っている……いえ、同質と捉えて良さそうね」

 

 神具”天之逆鉾”とは東アジアと南洋に流布する『島釣り』『国生み』を再現するための鉾の神具。陸地を形成し、さらには蛭子まで生み落とす創世の鍵なのだ。

 ならこの場所、アレクとエリカがいる場所にアヴァロンがあったはずだ。でなければ『蛭子』は海に漂っていない。

 黒坊主は何らかの方法で、護堂を拉致したあとアヴァロンという陸地をいにしえの脂のような液状状態『蛭子』へと変え、拉致監禁したのだ。

 

 エリカは逸った。

 ”天之逆鉾”は逆に陸地を創造する機能も持っているのは確実。そして”天之逆鉾”を使い、陸地に戻せば、その先に護堂はいる──!

 

「繰り返すが、”天之逆鉾”の使用には条件がある」

 

 頬を上気させるエリカへ冷水をかけるようにアレクは冷徹な言葉を吐いた。

 

「その条件とは?」

 

「大地母神をはじめとする『水と大地の霊気』に触れること」

 

 なるほど、それはほぼ使用不可だ。詰みといって良かった。なぜアレクが困難な条件といったのかすぐに理解できる。

 

 『水と大地の霊気』

 つまり水と大地の属性をもつ神格──『蛇』を象徴とする大地母神を連れて来なければ””天之逆鉾”は使えないということだ。それも蛇殺しの《鋼》が目を光らせ討伐に精を出しているこの国でだ。

 

「それでは辻褄が合わないわ。現に黒坊主は陸地を『蛭子』へと変えているもの」

 

「ああ、その問題をクリアするために黒坊主はとある神獣を捕獲した。そして条件をクリアするための鍵は、俺たちの目の前にいる」

 

 ──オオムカデだ。

 

 『蛇』と《鋼》──『大蛇』と《オオムカデ》

 かつて『蛇』だったオオムカデが敵対し、両者は対立関係となった。そして東照宮に封じられた蛇殺しの《鋼》の目をかいくぐる、とはアレクとエリカが最初に接触したすし徳で確認し合ったことだ。

 

「ですがオオムカデは『蛇』の性質は備えていないのでは? 仮に『蛇』を備えていれば蛇殺しの《鋼》に討伐されてしまうはず」

 

「たしかに俺は以前オオムカデを『蛇』から《鋼》へと鞍替えした神獣だと言っていたのが……日光東照宮で蛇殺しの《鋼》が封じられ正史編纂委員は『弼馬温』と言ったか。『弼馬温』の術が成立したあとに『蛇』の神性を()()()されたとしたらどうだ?」

 

「神性を後付け、ですか?」

 

 聴いたことのない概念だった。まつろわぬ神々が地上へ降臨する時、その神格は降臨する場所に由来するという原則はあるものの、後から付け加えるなんて寡聞にして聞いたことがない。

 

「これは俺の完全な推測だが」アレクが前置きして自分の推論を語りはじめた。

 

「江戸時代、蛇殺しの《鋼》の封印が成立して以降の話だ。『弼馬温』の封印のおかげで”天之逆鉾”や『蛇』に由来する類の神具は容易に使用出来なくなったはずだ。そして『弼馬温』の封印者は何らかの形で保険をかけた」

 

「そのセーフティがオオムカデ。《鋼》の神獣に『蛇』を後付けすることで蛇殺しの《鋼》の目をかいくぐる事だった……アレクはそう考えているのですね? だからオオムカデを手に入れ、この場所まで連れてきた」

 

「そうだ」

 

一拍おいて、アレクはその説を補強するように語りだした。

 

「鎌倉時代から室町時代までのオオムカデは確かに《鋼》と大地の神獣だったはずだ。だが日本において、蛇やムカデなどの”細長い生き物”はおとぎ話の世界へ入り込んだとき”龍神”となる」

 

 自然界のムカデや蛇の姿形はそれほど差がない。大きさの大小はあれどどちらも"細長い虫"という特徴は重なっている。とくに科学が未発達だった時代、爬虫類と昆虫がべつの生き物だという考えが存在しなかった時代ではそれらはすべて『虫』と一括りにされていた。現代よりも蛇とムカデを隔てる壁は薄かっただろう。

 蛇が長ずれば龍と化けるように、ムカデも長じれば龍となったのだ。

 

「オオムカデが『蛇』……龍神としての側面が後付けされたのは江戸時代に入ってからだ。きっかけは江戸時代、寛永*1の時代に発行された絵巻”俵藤太物語”。俵藤太の武勇伝を挿絵を入れて描かれた御伽草子だ」

 

「『俵藤太』……。新皇を名乗った朝敵『平将門』を討ったいにしえの武士ですね。オオムカデを討伐し、竜神の娘から金銀財宝を得たという逸話をもつ軍神」

 

「ああ。絵入りで刊行されたこの御伽草子はその後広く流布されることとなる……雷鳴を鳴り響かせ、黒雲をまとい現れた、オオムカデの絵とともにな」

 

 金戒光明寺や栃木県の博物館に蔵められた俵藤太物語の絵が分かりやすいだろう。髭を生やし、角の生えた龍神さながらのオオムカデが雷鳴と黒雲を伴って弓矢を構える俵藤太と対峙している。

 

 話は一旦、一区切りしたらしい。

 アレクは『女王』にオオムカデヘ近づくように合図した。『女王』は腰部から伸びる魚にも思える蛇の尾をよじらせてオオムカデの眼前に迫った。アレクが手を伸ばして”天之逆鉾”をオオムカデの硬質な甲羅に近づける。

 

 変化はやがて訪れた。

 

「ふ、やはり俺の推論に間違いはないらしい」

 

 エリカは目を見張った。”天之逆鉾”が変化し、ボールペン並の長さから1メートルほどに伸びた。

 アレクは愉快そうな雰囲気を隠さず微笑を浮かべた。

 そのまま鉾の形へと変わった”天之逆鉾”を海へと突き立てて反時計回りにぐるぐると掻き回しはじめた。最初は泥をかき混ぜる感触だったがやがて凝固しはじめた。ついには渦巻き状の螺旋を描く”陸地”が広がりはじめた。

 

「お見事ですアレク王子」

 

 エリカは感嘆した。

 これほど複雑を極めたアヴァロン出現までの経緯、エリカだけではまず間違いなくたどり着けなかった。そういう確信があったからこその感嘆だった。

 

「おそらくこの現象を引き起こせるのは、日本という特殊なフィールドに生まれたオオムカデの属性によるものだろう」

 

「特殊なフィールド、ですか?」

 

「日本ほど特殊な立ち位置にいるムカデはいない。エリカ、お前は日本以外でムカデが信仰を集める土地など他に知っているか? 東アジアはともかく欧州をはじめとした国々にあると思うか?」

 

「いえ……寡聞にして存じ上げませんわ」

 

 欧州出身のエリカにとってもムカデという世界中で忌み嫌われる害虫を、好意的に神の眷属として位置しているのは日本だけだ。そう言われれば特殊というのも頷ける。

 そもそも世界的に見てもムカデが神話伝承に出てくる事自体ほぼないと言っていい。出てきたとしても害虫としての側面だけ。

 パンドラの開けた箱から災厄とともに飛び出す害虫だったり、浮気性のミノス王に腹を立てた后パーパシエーがミノス王へ掛けた嫌がらせの魔法で出てくる程度だ。

 

 欧州において狼や蛇は”悪”だった。ムカデもまた、そのカテゴリーに分類される。

 ヨーロッパという土地は先史以来から開拓の連続だ。森や湿地を切り開いて開墾し、海を埋め立ててきた歴史がある。そのため開拓を邪魔する狼や蛇は滅ぼすべき悪性だったのだ。

 

 翻って日本はどうか。

 

 日本には武士がいた。鎧を着込み、退くことを恥とする、勇猛果敢な戦士たちだ。彼らは害虫でしかないムカデに武士との共通点を見出しやがて武士を象徴する生き物と認識した。

 そして軍神毘沙門天と武士の象徴であるムカデは鎌倉時代には共に描かれるようになる。

 その後、毘沙門天が軍神としてだけでなく七福神として財宝神の側面にスポットが当てられるとムカデも富貴を象徴する動物となっていく。江戸時代には百足小判というムカデのレリーフがあしらわれた代物まで出てきたほどだ。

 こうしたムカデへの好意的な立場は、ムカデを超自然的な存在へと昇華させる下地……龍神化をうながす土壌となったのだろう。

 

 『蛇』と水──《鋼》と大地

 

 やがてムカデは相入れないはずの相剋する神性を備える『水と大地の霊気』を保有する《鋼》の神獣として再誕したのだ。

 

 

 やがてアレクは掻き回すのをやめた。

 その頃には周囲に奇怪な形状の岩山が目立つ、まさに奇岩城が出来上がっていた。浮島の広さはおおよそ五、六kmはあるだろうか。

 これがアヴァロン。言葉に幾度だそうとあまり実感はなかったが、その目で見てしまえばもう信じる他ない。眠れる王のため幻の島を追い求めた騎士はついにアヴァロンへと辿り着いた。

 

「"王"は居れど聖杯はない。金銀財宝を満載しながら海に沈んでいたこの島はアヴァロンというよりは東の方角にある海中の理想郷──ニライカナイ島が近いだろうな」

 

 ニライカナイ島。

 良い名だとエリカは思った。たしかにアーサー王が眠りに就き終幕を迎えたアヴァロンより何倍も良い。

 

「ふん、草薙護堂はこの島にいるのは間違いない」

 

 アレクサンドルが権能を行使したのか。島内部の気配を探ったアレクがエリカへ護堂の存在を知らせてきた。一も二もなくニライカナイ島へ向かおうとするエリカにアレクは問いただした。

 

「やはりやつの元へ馳せ参じるのか?」

 

「愚問ですわ」

 

 大きくうなづいて『女王』の手のひらから島の岩肌へと飛び移る。アレクはその姿を見送りつつ、いくつかの言葉を投げかけた。

 

「エリカ、君にはいい仕事をしてもらったと思っている」

 

「……? は、恐悦至極ですわアレク」

 

「俺が言いたいのはセントアイブスに来い、ということだ。今回の事件でお前の働きに対して相応の礼をするつもりだ」

 

「過分な評価をいただき痛み入りますわ」

 

 アレクの真意が分からなかったが何となく察することが出来た。ようは引き止めているのだ、危険な場所へ好き好んで向かおうとするエリカを。相変わらず露悪的でありながら半端な男だった。

 

「しかしご遠慮させていただきます黒王子。私は日本でボウモアをいただく己のスタイルを貫く『王』より、やはりサルデーニャ島でワインを、日本では日本酒を酌み交わしてくれる来るものを拒まない、それでいて清濁併せ飲む『王』の方が私の好みにはあっているようです」

 

 エリカとしても惹かれるものがないと言ったら嘘だった。未熟な護堂とは違う老練なアレクなら、今よりもはるかに簡単に事を運べるだろう。

 エリカ自身の名だってアレク麾下にもと大いに高められるだろう。

 アレクの人柄もエリカに悪印象は少なかった。たしかに何度もしてやられた、裏切られた。だがそれも強かさの裏返しだ。なんでもありのまつろわぬ神やカンピオーネとの戦いの中では頼もしさすら覚えた。

 

 「……私が愛し、この心臓を捧げると誓ったのは草薙護堂のみ」

 

 アレクのスカウトを、結局、エリカは首を振って断った。

 

「それに紅と黒では縁起が悪いですもの。私は護堂にとっての幸運の象徴(紅いサンタ)として輝いていたい。だから黒に染まり不運の象徴(ブラックサンタ)となるのは御免です」

 

「……貴様、死ぬつもりだな?」

 

 エリカの言葉に何かを察したのかアレクは静かに問いかけた。エリカは何も答えなかった。ただただ微笑んだまま肩を竦めただけだった。

 雄弁よりも沈黙の方が伝えられる事もある。無言を返答として、透徹な瞳でアレクを見据えていた。

 

「……………………。ふん、好きにするといい」

 

 アレクは何かを言おうとして、結局言葉を発することなく飲み込んだ。

 

「だが餞別は受け取っておけ……その先に貴様の王は居る」

 

 権能で奇岩城へ洞穴を作り出す。深淵に繋がるかと思わせるほど暗い洞穴にさしものエリカも背筋に薄ら寒いものを感じた。

 それでもあの洞穴の先には護堂がいると信じて、エリカは背を伸ばし騎士の名に恥じない堂々とした姿勢で死地へと向かった。

 

 ──そうして黒と紅の交わりは互いに何者にも染めることなく終わりを告げた。

*1
(1624-44)

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