戦女神は微笑まない   作:につけ丸

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13話

 ニライカナイ島 am 2:44 

 

 光のもとへ手を引かれて連れ出されるように意識が鮮明になっていく。目を開けても光源はない。

 でもまだ暗闇の中に居た。

 それなのに枕でもあるのか? なぜか頭に下だけがやわらかく、あたたかい。

 視界も霞んで、感触も曖昧だ。でも鼻にかかる馥郁たる香りのことは見知っているものだった。

 

「目が覚めた? 気分は、どう?」

 

 泣きたくなるほど優しい声がそっと耳朶を打つ。

 

「エリカ……」

 

 その名を口にすると不思議と身体に活力が戻った。手をゆるゆると持ち上げ、エリカの頬に触れる。血の通った少女の肌触りはたしかに本物だった。

 

 ああ、やっぱりこれがいい。"雄羊"で目覚めるなら、やっぱり彼女の傍がいい。

 

「来てくれたのか」

 

「ええ、あなたがオオムカデを逃がしてくれたおかげよ──安心した?」

 

「ああ」

 

 正直、オオムカデだけでどうにかなるとは思ってはいなかった。

 エリカは頼りがいのある相棒だと思っていたが、今日がリミットだとして来てくれるかは分の悪い賭けだった。

 でも勝った。護堂は賭けに勝ったのだ、今はそれだけで十分。

 

 乱れきった髪を手櫛で丹念に梳かしてくれる。泥にまみれ、乾いた血に染まった髪を、ちっとも嫌がる素振りを見せずゆっくりと優しく。

 なんだかんだ護堂を振り回す彼女だが、不思議と弱っている時には優しくしてくれる。

 

「正直、助かった。もうダメだと思ってたからな」

 

「わたしはあなたに尽くす騎士ですもの。護堂が真の王者になるまで、わたしが必ず守ってみせる。どんな敵にも殺させないし、渡さないんだから」

 

 決意を込めた静かなつぶやき。普段なら膝枕され、そんな覚悟を問うような言葉など、腰が引けて逃げ出すはずだが、今はそうしなかった。今だけはそうしたくなかった。

 

「迷惑かけて、ごめん」

 

 思わず口にしたのは陳謝だった。

 

「こうして来てくれたこと、俺を支えてくれてること、感謝してるよ」

 

「今日の護堂は嫌に殊勝なのね」

 

「そう、だな」

 

 別に考えが変わったわけじゃない。カンピオーネになった経緯も、カンピオーネになったからこそ降り掛かる災厄も、未だに納得出来ていない。

 騎士として振る舞い、生命を賭して忠義を示す彼女に思うところがないはずがない。

 

 今年の春頃から護堂のもとに転がり込んできた生き方は、あまりに苛烈だ。峻厳な茨の道だ。

 

 その道の数歩先を歩む先達など、剣以外のものをすべて捨て去り剣に捧げる狂人だ。

 

 その道の先でぶつかり合う敵手は、それこそ物語から抜け出して来たような連中だ。

 

 安穏とした生活を送りながら半端に相手をするなど不可能と言っていい。

 

 それでも嫌だったのだ。

 甘やかな日常を手放すのが。普通の人生を送るだろうと信じてきた己の生き方に瑕瑾を残してしまうのが。

 

 護堂はまだ十六の少年で、人生を左右する選択肢を選べるほど覚悟が据わっているはずがない。まだモラトリアムにひたれると信じていた。孫子にかこまれ畳の上で死ねると思っていた。

 酸鼻極まる修羅道を不断の決意で歩むなんてまだできそうになかった。

 

 ──それでも。

 

 状況が状況だったとはいえサルデーニャで愚かしくもまつろわぬ神へ立ち向かったのは己だ。

 何も知らないままだったとはいえ奇跡に奇跡を重ねて神を殺めたのは己だ。

 

 草薙護堂は正しく愚者の申し子であった。あとから後悔するエピメテウスの落とし子だった。

 まだ心のどこかで許されると信じてた。中途半端な覚悟しかなくても通用すると信じてた。だからこそ逃げ回っていた……けれど、逃げ回った結果がこれなら。

 

 決断をし、結果を得たのなら──責任を負わねば。

 

 逃げてはならない──肚を据えて立ち向かわねば。

 

 何よりこれほど尽くしてくれる彼女に報いることは出来ない。彼女の献身に応えなければ男がすたる。

 

 そう思った。

 

 

 からん。からん。

 もう何度も聞いた忌々しい下駄の音が近づいてきた。襤褸切れのような墨色の装束に、でっぷりと突き出た腹。杖と大きな袋を持つ福面をかぶった怪僧。黒坊主は最後の供儀のため姿をあらわした。

 エリカの膝枕から起き上がる力もなく剣呑に眇めた視線で睨むほかになかった。

 

「ホ。神を弑した草薙王も弱れば鬼子母神の影に隠れる幼子のようですな」

 

 嘲るような調子で擦り切れた袖で口元を隠して嗤う。

 怒りで視界が染まりかけた護堂を辛うじて引き止めたのはエリカだった。繋がれた手を強く握って、護堂を諌めることに成功していた。

 エリカ? 訝る護堂は彼女は微笑を向けられなにも言えなくなった。

 

「草薙護堂の騎士たるエリカ・ブランデッリが請います。疾く王から奪わった至高の化身をお返しくださいませ」

 

 黒坊主は興味深そうに無精髭の生い茂る顎を撫でさすった。

 

「そなたは神殺しの権能と等価になる対価を差し出せる……とでも言うのかな娘よ?」

 

「ええ、そうですわ」

 

 雌獅子の笑みをたたえ、エリカは堂々と言いきった。

 

「ホホホ。傲慢なお嬢さんだ……自惚れるなよ小娘。そなたのような木っ端が嗤わせる」

 

 仮面ごしに怒りすら滲ませる黒坊主に、エリカは取り合わなかった。ついでセールスポイントを売り込む商人のように声高に語った。護堂がなにか言い募る前に口を塞がれてしまう。

 

「そう焦らないでくださいませ。そうですね……対価として差し出すとしたら──わたしの腕ならどうでしょう? わたしの利き腕はテンプル騎士団の『大騎士』に叙任されるほどの卓越した業を秘めておりますわ」

 

「無理ですな」

 

「それでは両脚もお付けします。わたしの脚はかつて軍神が化身した神獣からも長く逃げおおせた俊足ですわ」

 

「無理ですな」

 

「ならば我が口と臓腑も捧げましょう。我が会得したる絶望の禍詩はまつろわぬ神々もカンピオーネも傷つける奥義ですわ」

 

「……ホホ。聞き分けのない娘だ、己の分を弁えよと……」

 

「これでも足りませんか? では我が”肉体と魂魄”、黒坊主様の儀式にお使いくださいませ」

 

「…………」

 

「────!」

 

 さすがの護堂も声が出ずとも叫んだ。

 だが、エリカは取り合わず壇上に上がった主演女優賞を狙えるスタァのごとく振舞った。

 

「ふふふ。神から簒奪した権能と、所詮、人の子の命が対等だと申すつもりは毛頭ありません。ですが黒坊主様にとって──わたしの生命と、護堂の簒奪した権能は、等価の映っているのではありませんか」

 

「これは異な事を申す。拙僧にはそなたの命と権能が等しいと? なぜそう思う?」

 

 そしてエリカは玻璃のごとき澄んだ目で黒坊主をしっかと見据えた。黒坊主の来歴を詳らかに見通す智慧の瞳だった。

 

「最初からそれが目的なのでしょう? 護堂を濫觴の戦士だと、常勝不敗の軍神のよすがを"触媒"と見定めた時からそう決めていたのでしょう黒坊主。いえ──」

 

 壇上に上がった怜悧なる名優はついにその名を口にした。

 

「──()()様」

 

 布袋?

 あまり馴染みのない名前だが、たしかに聞き覚えがあった。あれは湖月堂で甘粕と、七福神について話していた時のことだ。七福神のメンバーのなかにその名はあった。

 護堂の記憶にある七福神の絵にも大きな袋と太鼓腹の僧がいたはずだ。たしかに黒坊主と外見と一致している。

 

「これは驚いた。拙僧の目的のみならず真名を看破していたとはやはり聡い子だ」

 

「布袋様が黒いサンタとして姿を見せた土地。そこにヒントはありました」

 

 静岡から関東の沿岸部にすがたをあらわした布袋。そして出現した地域にはとある共通点があった。それこそ布袋を鹿島神宮へと繋げ、果てには遥か南方の島々が奉る救済神へつながるヒントだったのだ。

 

 伊豆半島の熱海市と伊東市。

 

 神奈川の小田原に足柄。

 

 千葉は南房総市から佐倉と成田。

 

 そして奥多摩ダム建設の折に沈んだ小河内村……。

 

 それらの地域には日本土着の民俗舞踊が存在する。疫病退散、五穀豊穣、そしてもう一つ──東方の洋上から豊穣という救いを満載させた舟を勧請する民謡舞踊。

 

「その名を──"鹿島踊り"。そして鹿島踊りは別名"弥勒"踊りとも呼ばれるそうですね」

 

 弥勒。教科書などでも目にする、七世紀ごろに百済から伝わったとされる木造弥勒菩薩半跏像が有名だろうか。古来より日本でも広い信仰を集める存在だ。

 護堂はなぜだろう、この御名に無視できない力の発露を感じ取った。

 

「この鹿島踊りの起源については時代が下るに従って様々な要素が混合・融合したとされ、本当の起源はようとして知れません。ですが大きく二つの説があります……一つは、鹿島神宮の鹿島明神が世の吉凶を触れ回った”鹿島の事触れ”」

 

 ここで鹿島神宮の名が出た。護堂たちを騒乱の渦に突き落とした最初の土地だったのはそういう理由だったのかと得心した。

 

「そしてもう一つ。こちらが本命です。……弥勒踊りとも呼ばれる鹿島踊りの起源に、民俗学の泰斗柳田国男は、”海上の道”をとりあげています。弥勒信仰を由来とするこの民謡舞踊が、遥か南方の弥勒仏を熱く信奉する島々から、2000km先も離れた関東からへ黒潮に乗ってやってきた……」

 

 西表島。波照間島。与那国島。石垣島……。日本の最西端に位置するこれらの島々から海上の道をなぞるように布袋と呼ばれた黒坊主は関東にやってきたのだ。

 

「島々の名を──八重山諸島。東方の果てにあるという理想郷(ニライカナイ)から豊穣をもたらし、救世をなす来訪神を祀る島々ですわ。八重山諸島では琉球王国の時代から盛んに信仰される神が居ました。この来訪神の名を──」

 

 ──ミルク。

 

()()

 

 名を告げられた瞬間、布袋が嗤った。仮面の下でうっそりと。

 

 エリカは構わず畳み掛けた。

 

「七福神の一人である布袋は最初から神だったわけではありません! 中国の僧、契此が生前に残した名文から弥勒菩薩と結びつけられ化身となった神格です!」

 

彌勒真彌勒 分身千百億(弥勒は真の弥勒にして分身千百億なり)

時時示時分 時人自不識(時時に時分を示すも時人は自ら識らず)

 

 禅宗の史書”景徳傳燈録”に収められたこの文は、史書の広まりとともに僧であった契此を弥勒菩薩の化身として信仰生み出したのだ。やがて僧であった契此は死後、弥勒仏の化身”布袋”へと到ったのだ。

 

「ですがあなたは布袋であってミルク神ではない! ミルク神は、布袋を化身とする弥勒信仰が海をわたり、八重山諸島の基層的な思想である土着のニライカナイ信仰と融合して生み出された神……」

 

 それは布袋と、布袋であった”神格”の、忌々しい拭い難い過去を暴き立てる言霊だった。

 

「──布袋様。御身のその姿は神の座から追い落とされた零落した姿……神の座から敗北という凌辱によって地に落とされ、八重山諸島で起源を同じくする信仰に引かれてしまったのが()()()なのですね! 零落した神は、かつての栄光を取り戻そうとする……まつろわぬ神の降臨を願い、策謀を巡らす性質こそ、己の本来の姿へ立ち返らんとしている事を証明していますわ!」

 

 

「然り。認めよう」

 

 黒坊主……いや、布袋が冷厳に告げた。

 

「衆生を導き救済を望まれた拙僧はかつて──()()()()()()()()の激烈なる拳撃によって一敗地に塗れた! そして幾ばくかの時の流れのあと南方の小さき島々で蘇り、このままならぬ身の上へと窶したのだ!」

 

 かつてまつろわぬ神であった布袋は来訪神として地上に現れ、世に救済を為そうとした。それは間違いなく、だが、その途上で阻まれることとなった。神々の忌まわしき天敵の手によって。

 まつろわぬ神は基本的に不死だ。たとえ死んでもその不死性は地上に残り続ける……神の残り滓、夢半ばで潰えた無念の発露。それこそ布袋だった。

 

「……なれど。なれど!」

 

 ゆえに布袋は口角泡を飛ばし叫ぶ。

 かつて敗者となり崖の底に突き落とされ地獄から這い上がろうとする者の叫びでもあった。

 

「──死! それが宿業を課された拙僧の歩みを止める理由足りえるのか?」

 

 たとえ、己が縁の神と繋がりもないはるか西方の来訪神に間違われるという恥辱を味わおうと。

 たとえ、己が縁の神のため数多の同胞と救うべき衆生を儀式に焚べ自尊心を傷つけようと。

 たとえ、己が縁の神を蘇らせるためだけの影となり仇敵たる神殺しへ縋るという辛酸を舐めようと。

 

 

 布袋は止まらない。止まることは許されない。

 

 なぜなら為さねばならぬことがある。たとえ十万億仏土と無数の民を灰燼に帰すとしても為さねばならぬことがある。それこそ──

 

「──救世だ。この羅刹王がはびこる暗黒の時代に一筋の光明をもたらさねばならぬ。たとえこの身が散華しようと、貶められようと、拙僧の救世は絶対なのだ」

 

 狂っている。何度も目の当たりにした黒坊主の狂気は、布袋という真名を看破されてより強大に思えた。

 戦慄をおぼえる護堂とは裏腹にエリカは静かに問いただした。

 

「救世を成すために御身自身の復活をなされる、と。では布袋様。是非とも──我が命、そして魂魄。御身の儀式のためにお使いください」

 

「エ、リカ……!?」

 

「ほう」

 

 護堂が驚愕の声をあげ、布袋は今度こそ強い関心を示した。ずい、とエリカの目をのぞき込み吐息の触れ合う距離で彼女の瞳からその胸襟をのぞき込もうとした。

 

「布袋様、御身は鹿島神宮で護堂を拉致する際、護堂を”はじまりの勇者”と言い表しておりました。御身が儀式の全容を明らかにしたわけではございませんが……数多のまつろわぬ神々と神殺しを争わせる蠱毒のごとき儀式を為されるおつもりなのでしょう?」

 

「やはり聡い。では拙僧が草薙王を攫った理由も看破しているか」

 

「はい。布袋様の起源を辿れば中国、インド、ローマそしてペルシアの光明神に行き着きます。我が君草薙護堂が弑逆した常勝不敗の軍神は彼の光明神と深い絆で結ばれた間柄でした……ゆえに布袋様が降臨をのぞむ儀式の柱石となさるに何の不足もございませんわ。はじまりの火蓋を切るべき戦士に、いつまでも武器(化身)を取り上げておくおつもりはないはずです。そうでしょう?」

 

「然り。では何故、拙僧が草薙王から権能を奪ったのかも察しがついておるのだろう?」

 

「護堂は義侠の精神に溢れた王……ですが力を嫌っておいでですわ。だから布袋様は護堂を焚きつけるためにこのような戯れを用意なされた」

 

 ホホホ、ほほほ。すべての企みを看破されたというのに、布袋は欣喜として笑った。

 まるで念願の玩具をやっとのことで与えられた童のようでもあった。

 

「よろしい。では、その身命を捧げなさい……ホホ。やはりあの時、命を散らさず良かったであろう? 使い所が出来ましたぞ」

 

 ──やめろエリカ!!!

 そう叫ぼうとした口を、エリカの手が覆い、いたずらっぽい笑みで封殺される。元々の消耗が酷いのもあるが魔術を使っているのだろう、腕から伝わる力が半端ではない。護堂は身動ぎひとつできなかった。

 

 やめろ!

 

 やめろ!!!

 

 やめてくれ!!!

 

 声にならない叫びは言霊になることはない。かつて人の身だった護堂が神の力すら退けた力も、意味を為さず護堂の腹のなかで出口をもとめ渦巻くばかりだった。

 

 

 ──やがて供儀は始まる。

 

 かつていにしえの密儀宗教において入信する信者たちは暗い洞窟のなかで手足を縛られ、灼熱の鉄で額に印を付けられたという。

 厳しい入信儀式のはてに信者はおよそ、七つの階層に分かれ光明に満ちた救済神に帰依し奉ったという。

 

 (パテル)──太陽の使者(ヘリオドロモス)──波斯人(ペルセス)──獅子(レオ)──兵士(ミリス)──大鳥(コラクス)……。

 

 古代のローマ帝国内で秘かに、しかし広範囲に信仰を集めたこの宗教は多くが謎に包まれたままだ。だが戦士が奉った女人禁制の密儀宗教ということはわかっている。

 そして女人禁制の密儀宗教のなかに、一点のみ女性を容認する位階があった。

 

 その名は──

 

「──花嫁(ニュンフス)! 母なる岩となる花嫁に、ウェヌスの守護を受ける栄えあれ!!!」

 

 布袋という東洋の神に連なるものが遥か西のローマ帝国で広がった宗教の祝詞を謳う。あまりにもバカバカしく異様な光景。……しかし原初の己に立ち返らんとするまつろわぬ神々が蔓延る世において珍しくもない光景であった。

 

「あぁっ!!!」

 

 エリカが急に苦悶をたたえて胸をおさえて倒れ込んだ。悪戯でも演技でもなんでもない。彼女が本当に生命を捧げてしまったのだ。

 

「ホホホ、ホホホホホホホッ! ホ────────ホホホホホホッ!」

 

 布袋の愉快げな哄笑だけが洞のなかで響く。

 

 

 

 ずっと見ていた。

 

 その様を、じっと見ていた。

 

 護堂はずっと見ていた。

 

 目を見開いて言葉もなく、エリカが魂魄を捧げるさまを。目を閉じることは許されない。誰が、何のために、誰のために捧げたかを知っていたから。

 護堂は彼女の膝の上という特等席でおぞましき秘儀によって相棒が……否、愛するものがくずおれて行くのを見送った。

 

 

〇〇〇

 

 

 十の鳥獣が描かれた紋章が、護堂の体内に返ってきた。権能が十全に肉体へ戻ってきた感触がある。理屈ではなく直感だが。

 だというのに戒めはない……侮っているのか、それとも忘れているのか。でも今はどうでもいい。好都合なのは変わりない。

 

「………………………………………………」

 

 権能が戻ってきてから護堂は口を開かなかった。ただ周囲をつぶさに確認し、目的のものを探した。

 

 探し物は思いの外すぐに見つかった。

 

「ホホホ、ホホホ」

 

 欣喜とした布袋はまだこちら異常事態に気づかない。愚かなことだ。満足な戒めもないまま神殺しに付け入る隙を与えるとは。

 ぬらりと不気味なほど滑らかな動作で転がっていた”獅子の魂”という銘を刻まれた剣を拾う。

 

「…………」

 

 なにも言うことは無い。

 

 殺す。必ず殺す。

 だから殺す。

 

 今からこいつは死ぬ、だから語りかけることも伝えることも何もない。怒りとは頂点を極めると沈黙を選ぶのだと、護堂はその日はじめて知った。

 

 

()()()ッ!」

 

 

 言葉にならない獅子吼が洞に轟いた。まさに『獣』の雄叫びさながらの声は、余裕綽々としていた黒坊主を震え上がらせた。

 

「ひ、ひ、ひぃぃい!?」

 

 恐怖でやたらめったらに振り回された猛毒のしたたるオオムカデの顎がひらめく。

 だから、どうした。

 

 一閃した顎が、額を一文字に切り裂く。

 だから、どうした。

 

 鮮血が舞う。

 だから、どうした!

 

「草薙王! おお、おま、お待ちを! ここで拙僧を殺めれば聖秘儀はまちがいなく始まりをむかえ娘を助けることもできなく……!」

 

 怒りで布袋の言葉が聞き取れない、聞くつもりもない、クオレ・ディ・レオーネの柄を握り潰さんばかりに力を込めた。

 

 結局、こいつは舐めていたのだ。

 こいつが零落する以前にどんなやつだったのかしらない。どんなやつに敗北したのか知らない。まつろわぬ神だったのか自分の同輩だったのかも。

 

 興味がなかった。知る必要もない

 

 化身は使わなかった。無理やり使用条件を満たそうと思えば行使できたはずだ。

 でもそうしなかった。

 

 こいつは殺す。誰でもない、己自身の、草薙護堂という人間の手で。

 

 それが王の裁定。

 

 比翼連理の相棒も、罪科に鉄槌を下す化身たちも、誰にも邪魔は許さない。

 

「ぐげっ」

 

 切っ先が布袋の喉元を刺し貫き、そのまま刃を翻して忌々しい福面ごと頭部を真っ二つに切り裂いた。

 護堂はその時、生まれてはじめて明確な殺意と憎悪を持って誰かの生命を奪った。

 

 怒りは認める。怒りに身を任せることもある。

 だが怒りに呑まれるのは草薙護堂のやり方ではないはずだ。平和主義者を気取るのなら話し合いで解決すべきだ。

 

 それでも護堂は剣を取った。神を殺めた時と違い、無知ではなかったのに、剣が何を意味するのかも、剣を取ることの意味も、すべて知っていたのに護堂は剣を取ったのだ。

 

 布袋は絶命した。

 惨めなほどあっけなく。無様すぎて哀れなほど。あれほど大物ぶったフィクサーは一皮むけば歯牙にもかけない小物でしかなかったのだ。

 

「クソっ……、こんな、こんな奴に……」

 

 魔剣を力なく手から滑り落とし、ふらつくように壁へ倒れ込む。間欠泉のごとく吹き上がる憤怒が、やるせなさが、情けなさが、護堂を灼く。

 心根を灼くこの痛みは灼熱地獄でも及ばない。

 すべては護堂自身の不甲斐なさと覚悟のなさに起因する。誰のせいでもない、草薙護堂の責任だった。

 奥歯を噛み砕くほど己を痛罵しなが、護堂はその罪科を真っ向から受け止めた。

 

「おれが、王か、だと」

 

 ああ、熱い。

 

 己を何かが、凝視している気がした。何もない虚空に億千万の目が好奇の色を隠さず面白がっている気さえした。

 

「俺が、王か、だと?」

 

 握り潰した手から血がしたたる。

 怒りが臍下丹田から言葉をせり上げてくる。天地神明に、森羅万象に、三千世界の魑魅魍魎どもに挑発と反抗を宣する呪言を。

 

「そんなに求めるなら、応えてやる……」

 

 ああ、額が熱い。オオムカデの毒が額を灼いている。

 

 神と出会えば神を殺し、仏と出会えば仏を殺してやる。バカげた悲劇を生み出そうとする運命。そういった超常の存在をにらみつけ、怒りを燃やす。

 血を通じて暴れ狂う憤怒が、出口を見出したように額から滴り落ちる。

 

 紋章だ。

 

 額に宿る聖なる紋章が、燃えている。

 

 どろりと粘性を帯びた液体が眼球まで滴りおちて、視界が赤黒く塗りつぶされていく。

 

「俺は、王だ」

 

 布袋が傷つけた額の傷を起点とする灼熱は後頭部へと広がっていく。熱く、痛い。だが護堂の身を灼く痛みに比べればなんてことはない。

 

「布袋、おまえが、神が、仏が──()()()()がそう望むのなら応えてやる……!」

 

 

 

 いにしえの密儀宗教。

 その主神であり救済を司った神は、暗い洞窟のそこで生命力あふれる雄牛を屠ることで生命力を散華させ世界を創造したという。

 善の象徴である犬と、悪の象徴である蛇とサソリをともなって。

 サソリは雄牛の生命力の根源である睾丸を毒で犯し、あるいは浄化したとされた。睾丸から漏れた精液はハオマとなって草木を生み出したのだ。

 

 そして神を殺めた王は新たな創世神話を紡ぐ。

 カンピオーネは王者であり戦士だ。ならばカンピオーネが創造するのは戦士の世界なのだろう。善の存在であり止まり木だった花嫁を贄と捧げ、悪の象徴である蛇とサソリの相子のごときムカデの毒を身に宿しながら、運命に反逆を吠える。

 ムカデの毒に侵された濫觴の勇者の聖なる血が、蛇殺しの《鋼》が守護する女人禁制の聖域へと染み渡っていく。

 

 草薙護堂の額に広がる傷は、やがて後頭部で結びつき真円となった。十字架に磔にされた聖者がかぶっていた茨の冠のごとく。

 

 濫觴の勇者にして『王』の戴冠は此処に成った。

 

 栄耀はない。栄光もない。輝かしい代物でもない。

 汚穢に満ち、歪で、おぞましい。

 血で彩られた──王冠の聖痕(スティグマ)の戴冠。

 

 これよりはじまるは聖秘儀。

 数多のまつろわぬ神々と仇敵たるカンピオーネがひたすらに殺し合うゲームの開幕であった。

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