戦女神は微笑まない   作:につけ丸

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15話

 ありがとう、護堂。

 

 わたしを受け入れてくれて。愛の揺らいだわたしを信じてくれて。ありがとう。愛じゃないって? いいえ。これは愛よ、エリカ・ブランデッリが保証してあげるんだから。

 

 だから、ありがとう護堂。

 

 カンピオーネになってくれて。わたしを騎士で居させてくれて。ありがとう。好きでなったんじゃないですって? ううん、それでも言いたいの。エリカ・ブランデッリに意味を与えてくれてありがとう。

 

 へんなやつだな、と苦笑を浮かべた護堂は背に回していた手を、腰に持ち替えてひょいと抱えられる。抱き上げられる、なんて新鮮な感覚に驚いていると護堂は、外に出よう、と歩き出した。

 誰かに”抱っこ”されたのなんていつ以来か。長いこと家族をしている伯父と、遠い記憶にしまわれた両親のことを久しぶりに掘り起こす。

 

 とくん。とくん。

 

 鼓膜から伝わる彼の心音から、すこしだけ時間をもらう。彼の胸板と頬を触れ合わせ、ささやく。

 

 

 ──ねぇ、護堂。サルバトーレ卿、アレク王子……そしてあなた。何人かのカンピオーネを見て気づいたことがあるの。

 

 あなたが普通の"人"だったころから、"カンピオーネ"になってこれまで。あなたと、あなたの数歩先を歩いている先達の彼らを見てきたからこそ、気づけたこと。

 別に、大したことではないわ。

 

 カンピオーネはね──”たどり着くべき場所”がないんだって、気付いたの。

 

 ふふ、分からないって顔してるわね。ちょっとだけ考えてみて? あなたたちカンピオーネの方々は、まつろわぬ神を殺めた時点で本来なら死んでいるべき人たちよ? 神を殺めた時点で物語を終えていた人たちなの。

 

 おかしい? そうかしら。

 だって神を殺めるのよ? 自分の命を、そして、それ以上のなにかを弓箭としなければ神には打ち勝てなかったはず。

 

 ──護堂、あなたがそうだったようにね。

 

 サルデーニャで彼の常勝無敗の軍神と対峙した時のこと覚えてる? あなたは己の命を贄として、彼の軍神と相打ちとなったでしょう。それと同じことよ。

 

 他の『王』の方々もきっとそう。旧世代の方々が神を殺めた時代なんて数百年前だし、サルバトーレ卿はアストラル界で神を殺められたわ。アレク王子やジョン・プルートー・スミス様は分からないけど……きっと同じだわ。カンピオーネがカンピオーネになった経緯を知る人なんて稀だから確証はないけれど。

 

 ……死ぬべき運命にあったあなた達はなんの因果か、生き残ってしまった──魔女パンドラの秘儀によって。

 でも、あなたたちの生みの親であり支援者でもある魔女パンドラは、命と力を与えても役割や義務は与えなかったはずよ。"生き方"は示しても、"使命"までは用意しなかったはず。

『どこまでも己を貫け』『心の赴くまま』『本能の導くまま』『だけど狡猾に、抜け目なく』……そういう生き方は示しても使命や義務は課さなかったはずだわ。

 

 カンピオーネは気ままに世を乱し、荒ぶる『獣』だと言われる時もある。でもそれは逆を言えばそれしか生き方がないの。何か目指すべき場所がある訳でもなく、死に場所も見失ったあなたたちは、そう振る舞うしかない……。

 

 役割も使命もないから気儘に暴れる事しか出来ない──『獣』の振る舞いをしてしまう。

 サルバトーレ卿は剣のためにそれ以外の全てを捨て去る生き方をされているけれど、それは剣の道。江南の羅濠教主も武林の至尊として。アレク王子は知りたいからという動機。

 最も『獣』(カンピオーネ)らしい振る舞いを体現なされているヴォバン侯爵を鑑みれば、やっぱりそういう結論に至ってしまう。

 

 ──カンピオーネには辿り着く場所がない。

 

 カンピオーネは望んで座れるような玉座じゃないというのも、理由にあるのでしょうね。だって望んでカンピオーネになれるのなら、願いを叶えるため神から奪った権能を使うはずよ。でもどんなカンピオーネのお歴々もカンピオーネになろうと思って神を殺めた『王』はいないんじゃないかしら。

 

 当たり前よね?

 

 だって普通の考えを持ってる人間なら神に挑むなんて、ましてや……殺めるなんて絶対に考えつかいないでしょうし、そもそも実行なんてできないですものね。

 

 でもそうじゃない。

 

 カンピオーネは本当に偶然生まれる埒外の怪物。ただ目の前の火の粉をふり払うために、奔走し、その先で奇跡に奇跡を重ねて、偶然に偶然を引き寄せて神を殺めてしまった。『王』の玉座へと登極してしまった。

 

 あなたたちは無知なまま期せずして──頂きへ昇った……。

 

 そして『王』となったあなたたは目的もなく、使命もなく、ただ宇宙を彷徨う惑星のようにそこに在る。──英雄を導く()()()()()()()()()()()()()()()()()()、荒ぶる本性のまま世を騒がせる魔王になってしまう。

 

 まつろわぬ神が自儘に原初の姿に立ち返えり人に仇なすように、カンピオーネは気儘に本性を剥き出しにして世に仇なすの。

 

 思うままに力を振るい、世を乱麻のごとく乱す『獣』の生き方の先に待つのは……きっと──なにもないわ。護堂、あなたが最後に向かう先は、意味のある物なんて何一つない……すべてが滅び去った荒野に違いない。

 

 導き手に巡り会えず、たどり着くべき場所がない。そんなあなたがたどり着く場所なんてきっと……。

 

 ごめんなさい。ごめんなさい護堂……。

 取り返しがつかないことをして。あなたをカンピオーネへ押し上げてしまって。恨んで構わないわ。無知だったあなたを、平穏を望んでいたあなたを冥府魔道に突き落としてしまった……。

 

「それでも」

 

 歩みを止めずに前を向いて、それから気楽な表情になった。

 

「生きていくんだと思う」

 

 どうして。

 

 どうしてそんなことが言えるの?

 

「カンピオーネは”後から後悔するエピメテウスの落し子"なんだろう?」

 

「だったら『ああやってしまったなぁ』って後悔しながらさ。……それでも生き続けるんだと思う」

 

「きっと、今みたいにな?」

 

 どうして。

 

 どうしてそんなに笑えるの?

 

 あんなにもカンピオーネとして生きるのを嫌がっていたのに。

 

「もういいんだエリカ」

 

「俺はもう決めたんだ」

 

「この道の……カンピオーネとして生きていく道の先にエリカ、お前のいう荒野が待ち受けているとしても」

 

「うじうじ考えるのは、もう、やめだ」

 

「それは俺のやり方じゃない」

 

「こういう生き方しかできないなら、受け止めて──俺は前に進むんだ」

 

 

 本当に?

 

 あんなに平和に生きることを願っていたのに?

 

 その先がなにもない荒野だったとしても?

 

 本当にそれでいいの?

 

 護堂……?

 

 

「なにもなかったとしても、だ」

 

「だって」

 

「俺たちのたどり着く先が何もないとしても……何もなかったなって笑って──」

 

「──また歩きはじめるのが俺たちだろ?」

 

 そっか。

 

 彼はもう、大丈夫。誰かに支えられなくても一人で立って歩いて行ける。一抹の寂しさをおぼえながら……捧げ果て、空いていた心が、満ち足りていくのが分かる。石くれのように乾いていた体から、涙が溢れているのが分かる。

 わたしの忠義を捧げた人は、愛を捧げた人は、間違っていなかった。歩んできた道も、歩んでいく道も、間違いなんてひとつもなかった。

 

 ──だってこんなにも幸せなのだから。

 

「エリカ、お前は俺をカンピオーネにしてしまったっていったけど……俺は感謝してるんだ。導きの女神なんかに出会えなくても。ここまで来てくれたんだ。俺はここまで来れたんだ。誰でもないエリカが導いてくれたんだぞ」

 

「恨みなんてするもんか。どんなに辛くたって、お前と歩き続けられるなら感謝してやるさ」

 

「だからエリカ、俺と一緒になにもない荒野にたどり着いて……。その先でだって隣で走り続けてくれ!」

 

「もちろんあなたと走り続けるわ! 世界が滅んだって、その先まで、わたしの全てを懸けて!」

 

 そうだ、わたしたちは走りつづける。

 たどり着く荒野も駆け抜けて。行けるとこまで、どこまでも。

 駆け抜けた先でまた何もない荒野があったとしても。きっと有る理想郷を求めて進みつづけるのが、わたしと護堂なのだから。

 

 

 

 

 ──ねぇ、護堂。今、この瞬間、分かったことがあるの。

 

 人にはね運命に課せられた役割があると言われているの。カンピオーネの護堂と違って、わたしはヒトだから運命から課せられた役割があるわ……。

 

 それが、わかったの。

 わたしの役割は──あなたという『王』の始まりを()()()()ことだったの。

 

 サルデーニャであなたと出会って。常勝不敗の軍神を殺めるのを見届けて。フェニキアの神王、サルバトーレ卿……御二方との戦いを見届けて。そしてわたしは今、あなたが本当の意味で『王』として立つのを見届けたわ。

 

 だから私の役割はあなたの見届け人。

 

 サー・アイスマンやアンドレア卿のようにカンピオーネの介添人としての務めを果たせず中途半端になってしまったのは残念ではあるけれど……。でも、わたしはこの場所から──あなたの行く末を願うことは出来るから。

 

 カンピオーネの介添人は、戦場に共に立って手助けする意味合いが大きいけれど……人とカンピオーネを繋ぐという意味合いもあるの。人の願いを巫女や司祭が神へと届けるように。カンピオーネの介添人はカンピオーネへと願いを届けることが出来るから。

 

 そして今は。今だけは。

 

 カンピオーネ『草薙護堂』の介添人は──

 

 ──『エリカ・ブランデッリ』だけだから。

 

 

 だから。

 

 護堂。

 

 

「わたしの願いが()()()()、あなただけ」

 

 

「わたしの願いを()()()()()()、あなただけ」

 

 

 だから。

 

 護堂。

 

「『王』になって護堂!」

 

「どんなまつろわぬ神々にも、どんなカンピオーネにだって、敗けない! あらゆる障碍を打ち破って何人にだって敗けない──真の王者に!」

 

「──任せろ!」

 

 莞爾とした笑みを向けてくる護堂に、快心の笑みを返して。

 

 ……止まっていた時の砂がゆっくりと落ちていくのを感じた。

 

 でも、なにも心配はない。視界が白に染まっていく。暗闇ばかりだった世界に滲むような白濁が染み入っていく。白濁とした白は万華鏡のように次々と変色していく。無色にして万色。この世の全ての色をそこに見出すことができる『蛭子』のようで。

 やがて万色のなかから、目の醒めるような金と赤の薔薇の花弁が花吹雪を喚き散らした。ほんの先にいる護堂を隔てるように花吹雪く。彼に触れたくて手を伸ばすけど手は重くて、薔薇の花弁は狂ったように舞い散って。あるはずのない薔薇の花はやがて渦巻いた。

 陽光を透かすほど薄く美麗な花弁は、さんざめいて、吹雪いて、燦いて、晴れて。

 

 指先はいつのまにか護堂の頬にたどり着いていた。 力の入らない指先で彼の頬を撫ぜて、そろって笑みを浮かべた。

 

「ありがとう、護堂」

 

ああ、ありがとう。エリカ

 

 差し出し合ったのは感謝の言葉。耳元で囁かれたのに、言葉はなぜか聞き取れなかったけれど。 内から溢れた言葉は、もうひとつの言葉と溶け合って薔薇の花とともに虚空に消えた。

 不意に護堂が唇を寄せてきた。

 

 はじめて彼のほうから求めてきたキスに驚いて初心な少女のように頬を染めてしまったのが分かる。心が早鐘を打つのを止められない。

 ああ、でも初心な小娘だった。護堂と出会う数ヶ月前までは。

 

 短い口付けだった。

 

「どう、だった?」

 

「息が荒いわ。それに正直、痛かったわ。歯は当たるし、唇はささくれてるし。赤点もいいところよ」

 

「ぐ……」

 

「でも熱くて……熱いわ。だから、もう一度……」

 

「もう一度」

 

「……もう一度」

 

「…………。もう一度……」

 

 

 

 

 …………

 ……

 …

 

 

 

 何度も、何度も、数えるのも億劫になるくらい唇を交わして抱きしめ合って、刻みつけるように体温を交換し合った。どうかこの瞬間が続きますように。

 

「わたしは、あなたがカンピオーネになる前から。そして。これからも愛し続けるわ」

 

「でも、すぐに追いかけてきちゃダメよ? カンピオーネは早死するっていうし、畳の上でしぬことはないって言われているけれど……」

 

「何十年、何百年、何千年だって待ってあげるんだから、ゆっくり来なさい! あなたが何人、愛人を抱え込んでも最後にはわたしのもとへ戻って来るのは規定事項よ!」

 

「じゃないと嫌いになっちゃうんだから。そして、また出会えたら──キスしてね護堂」

 

 彼が何事かつぶやいて、でも、聞き取れなくて。彼がどんな表情をしているのかも見えなくて。

 

 不意にまた唇に温かな感触が生まれた。ひどく熱を帯びた感触が心地良い。

 

 温かさに導かれるように睡魔がおとずれて、それから眠りについた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ニライカナイ島 am 3:10 

 

 陰々と広がる暗黒の世界へ舞い戻ってきた。

 

 重しを失った体は前に傾いで膝をついた。拳が白むほどの激情を腹の底に秘めながら護堂はうずくまった。出口にたどり着けず中途で妻を失ったオルフェウスさながらに洞の闇に沈んでいく。

 ずっと堪えていた感情が吹き荒れる。

 野球で肩を壊したなんてちんけな怪我など鼻で笑える真の挫折がやってきた。

 

 涙なんて見せては行けなかった。泣き顔なんて見せては行けなかった。行くなと縋っては行けなかった。

 死に向かって揺るぎなく進むエリカの願いを穢すことなど護堂にはできるはずもない。未熟さと迂闊さゆえに、相棒は……いや、護堂が誰よりも愛していたのだと自覚した人は生命を捧げなければならなかったのだから。

 

 生きてくれと。共に生きようと、そう言いたかった。でも言えなかったのだ。

 弱い『王』は仲間の死に方一つ選べない……! 地面に何度も頭を打ち付ける。そして後悔の間にも、時は無情にも過ぎ去っていく。唇の熱は無情にも消えていく。

 

 まだ、過去にならないでくれ……。 まだ、冷めないでくれ……。

 

 護堂がどんなに希っても世は無常だ。祇園精舎の鐘が殷々と鳴り響く。

 居ない。どこにも居ない。夢から醒めたようにいつも傍にいてくれた相棒は虚空のなかへ崩れ去った。

 去っていった相棒が居た場所に残っていた砂粒をかき集める。風化して剥がれた岩のような破片が花びらじみて散らばっていて、あたりの地面を掻いては胸のなかで掻き抱く。

 

 そして唐突に理解した。

 

 エリカ・ブランデッリは贄となって消えたのだと。もう彼女は記憶の中にしかいないのだ。彼女を見送り切るまで決して流すまいと絞め殺していた涙腺が崩れる。彼女を見送り切るまで決して崩れさせまいと貼り付けていた笑みが崩れる。

 

「ぐ、ううぅ……」

 

 掻き抱いた砂粒を、情けなさに強いられるように胸に押し抱く。みじめに背を丸め、腕と脚を折りたたんで、洞のなかで弱々しい嗚咽が響く。

 

「ごめん、エリカ、ごめん! ……俺の、おれのせいで……っ!」

 

 この世界は地獄だ。

 

 今なら死んだ妻を取り戻そうと冥府に下ったオルフェウスの気持ちが理解できる。

 オルフェウスは妻を取り戻すために冥府に向かったのではない。妻がいないこの地上こそが地獄なのだ。エリカがいないならこの地上こそが地獄なのだ。

 

 エリカが冥府にいるのなら……いっそ世界を地獄に変えて見せようか。狂悪無比な光が双眸に閃く。護堂はカンピオーネだ。神から簒奪した力があった。世に地獄を顕現させる力があった。

 

 でも出来なかった。

 

「俺は……おまえと二度と……!」

 

 そんなこと、エリカは望んでいなかったから。

 

「ううぅ……! ああぁ……エリカ……!!!」

 

 胸に抱いた砂粒もやがて一陣の風にのって消えた。黒い衝動に身を任せることも、割り切って忘れる事もできない。完全に行き止まった。 いつまでもフラッシュバックする相棒の最期をまぶたに映しながら、護堂は暗黒のなかで呻き続けた。

 

 

〇〇〇

 

 

 ──参った。

 もう立ち上がれる気がしないのだ。熾火のような熱が時が経つほど消えていく。

 これから何を指標として生きれば良い。なにをしたら良いのかわからない。横の糸を抜かれた織物さながらに心がほつれくずれていく。

 裡にある破壊衝動は解放を叫び、噂に伝え聞くデヤンスタール某という『暴君』の生き方も悪くないとすら思えてきた。

 

 無気力に虚空を見つめていた護堂は、不意に手を伸ばした。そしてその先にあった物を掴み取り、身体が傷つくのも構わず抱きしめる。掴んだ得物の銘を”クオレ・ディ・レオーネ”。エリカの愛剣であり、『不滅』の属性を付与された名剣であった。不滅の獅子は主が消え去ろうと、この世に在った。

 

 あいつは……エリカは、幸せだったんだろうか。

 奔放で闊達な彼女は、実は両親を早くに亡くし、伯父に引き取られたとは聞いていた。

 年相応に遊ぶことはあったのだろうか。幼い頃から研鑽を積み上げて来たエリカに友達はいたのだろうか。神とすら打ち合い、称賛を受ける武に優れる相棒はその聡明さも相まって年不相応な聡明さと達観さを兼ね備えていた彼女は一体どんな人生を歩んできたのか。

 護堂は知らない。

 エリカは才媛だった。その素晴らしい才覚さえ俺みたいな情けない『王』に捧げて……。あいつは幸せだったんだろうか。

 

「っ!」

 

 クオレ・ディ・レオーネの柄を握りしめた手から血が滴っていく。力を込めたからでは無い。柄から刃が生えていた。まるで獅子が牙を向くかのごとく……主なき剣は主の遺志を顕した。

 護堂は俯いていた顔を上げた。

 

「そう、だな」

 

「……俺は、願われた……願いを届けてもらった……。カンピオーネの俺に、生きる意味を與られたんだ……」

 

「あいつの願いを届かせるのは……──俺だけだから……」

 

 やがて護堂は立ち上がった。クオレ・ディ・レオーネを杖として、相棒とともに歩んだ時間を惜しむように。でももうここに用はない。

 影に隠れた護堂の表情は見通せない……だがその隙間から覗くのは戦士の眼光。

 粗い息遣いが歩を進めるたびに整っていく。消耗はある。血も流れた。何より心が磨り減っている。

 だが化身がすべて返ってきたからか、呪力は記憶にないほど横溢し、戦士として最も充足した時間を歩んでいた。

 

 ──光が見えた。

 晦冥のひろがる洞穴に出口を示すように一筋の光が見えた。やがて護堂は洞穴からのっそりと這い出た。

 

 ──月光が『王』の姿を照らし出す。

 神聖さと穢らわしさが表裏一体であるように、悍ましい魔王のようで殉教を目前にした聖者のごとき冒し難い雰囲気を身にまとっていた。

 夥しい量の血痕が錆のごとく制服の白シャツを染め上げている。整った顔には色濃い疲労が刻まれ、精悍さと若々しさは憂いに隠れてしまっている。額にはおぞましい王冠さながら聖痕がふちどり、酸鼻極まる聖秘儀の参列者なのだと静かに主張していた。

 

 久しぶりの月光が目に染みる。頬に雨露が降りそそぐ。叢雲に囲まれた月を見上げ、十日ぶりに刺激された視神経が悲鳴をあげる。 けれど護堂は目を瞑ることはなかった。それはそうだ。臆病者か自殺願望のある人間くらいだ──()()で目を閉じるなど。

 

「待ち人来る、か。随分と手間をかけさせたものだな」

 

 岩陰に青年が寄りかかっていた。

 黒髪に白皙の肌は明らかに日本人ではない。英国人よろしく小夜時雨のなかでも傘すら差さず佇んでいた。濡れそぼりながらも垣間見えるのは戦士の相。

 高身長でも細いわけではなく引き締まっている肢体と、変化の乏しい表情には知性と強い意思が入り混じった──覇者の相。

 

 護堂はこの人物を知っている。知識としてではない。以前すれ違ったのを思い出した。

 

 あらゆる事件の発端となった場所”鹿島神宮”で、護堂はこの『雷光の王』と出会っていた。

 

 胡乱な視線を向けてくる白皙の青年に、護堂は戦士の眼光で返した。引き結んだ唇が裂け、歯列がのぞく。『王』に、”聖秘儀”に、《運命》に牙を剥く。

 草薙護堂とアレクサンドル・ガスコインの因果は、両者の殺戮圏内でついに交錯した。

 

 

 消えてなくなれ。我が平和を乱すものよ。

 

 報いを受けろ。我らを引き裂くものよ。

 

 我らを侮りし不義なる者たちよ。我が武威を示してやる。

 

 

 我が最愛の人が捧げ託した『王』の力を見せてやる──ッ!

 

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