闇を暴き殲滅する『白馬』が牽く太陽の槍。
光すら惑わし大地で巡る『
そして、交差する二振りの『剣』──。
ニライカナイ島は、魔王たちの埒外の法則によって千々に破壊されようとしていた。
未だ明けるはずのない夜の帳が切り裂かれている。不動であるはずの大地が蠕動し、屹立していく。闇夜を切り裂く光明は、漆黒の王子に幻惑され絡め取られた。大地を思うままに敵手にとっての地獄へと変える力が阻まれたのだ。
しかし東方の光を背負う戦士もさるもの、黄金の剣を振るい眼前に立ちはだかる門を叩き切り、活路を拓いて光とともに突き進み──漆黒の翼に阻まれた。
人知れず饗される聖秘儀の演舞は、やがて極東の島国を揺るがすほどとなり、若き魔王たちの戦いはついに佳境を迎えようとしていた。
「全ての邪悪なる者よ、我を恐れよ! 力ある者も不義なる者も、我を討つ能わず。──我は最強にして、あらゆる障碍を打ち破る者なり!」
常勝不敗の軍神を象った言霊が乱れ飛ぶ。
「迷いを歌え、風よ。光を隠せ、夜よ。全ての旅人よ、寄る辺なき茨の旅路を──深き憂いと共にただ進み、希望を捨てよ!」
地獄の門に刻まれた呪言が入り乱れる。
”白馬”と”戦士”で一気呵成にアレクを討滅せんと目論んだ護堂の戦略は、アレクの神算鬼謀によって一進一退の攻防へと様相を一変させた。
戦況は膠着している。
"戦士"に化身した護堂は『剣』で『
だがアレクも容易には反撃はできない。『復讐の剣』は"白馬"も"戦士"も喰らい尽くせるだろうが、『復讐の剣』の強化には言霊を紡ぐ工程が必要だ。つまりタイムラグが生まれる。そのラグは隙となる。迷宮の護りが薄くなり、その間隙を突いて”白馬”が押し寄せてくるのは目に見えていた。
生き馬の目を抜くような戦況。急激な速度で破局へとひた走りながら、奇跡的なバランスで奇妙な均衡状態あったのは理由があった。なぜなら対峙する両者の思惑は一致していたからだ。
──言霊の『剣』でこの雄敵を完膚なきまで打ちのめす!
『
「ペルシアの軍神ウルスラグナは非常に複雑な神格だ」
鏃となってアレクに飛来する光球を神速となって躱す。三つの権能を行使しながらアレクはまだ言霊を生み出す余裕があった。これが貫禄の差。十年というキャリアの厚みなのだ。
「イラン周辺で信仰を集めた数多いる《鋼》の軍神たち……インドのインドラやヴィシュヌ、マニ教のアダマス、バビロニアのネルガル、エジプトのホルス、ギリシャのアレスにヘラクレス、そしてアルメニアの兄弟神ヴァハグン……これらの神格と習合しあった形跡の残る典型的な《鋼》の混淆神だ」
光球が羽根に包まれ色を失っていく。冥府に繋がる大地が、頭上の天なる太陽を夜へと溶かし混むように。
「ウルスラグナの起源はインドとイランがまだ分かれる前の時代……インド・イラン共通時代に遡れるほど古い神格だ。名を軍神インドラ、インド神話でも一際存在感を放つ英雄神だ」
軍神ウルスラグナはインドを淵源としつつもペルシアで国教にもなったゾロアスター教の聖典"アヴェスター"に登場する神だ。ウルスラグナ単独の賛歌であるバフラーム・ヤシュトを編纂されるほど地位の高い神だが、当のウルスラグナ自身は明確な神話を持たない神だ。
「神話のないウルスラグナだがその名から起源を求めることが可能だ。”ヴリトラハン”、水を堰き止め旱魃をもたらした巨大な蛇
護堂と違い教授の知識なしで言霊を紡ぐ今のアレクは『智慧の剣』の真なる所有者かと見紛うほどだ。
「他人の土俵で戦うのは趣味じゃないが……
護堂は舌打ちした。
やはりアレクはウルスラグナに対して精通していた。護堂より神話に詳しく知略に優れたエリカですら手玉に取られたなら当然だ。
五つ権能を保有するアレクと違い、護堂にはウルスラグナの権能しかない。護堂は一つの化身で一つの権能を斬り伏せられるが、アレクは手札を握る腕ごと断ち切ってきたに等しい。焦燥が鼻筋を通って、唇から塩辛い酸味が広がる。この流れは明らかに不味い。
アレクサンドル・ガスコインの周りに黒い羽根が飛び交う。触れた途端、護堂の『剣』はアレクの『剣』と打ち合うことなく殲滅されていく。反発ではなく塗りつぶされていく。大地に沈む太陽と、夜空の星々が夜明けに塗りつぶされていく、という相反する錯覚を覚えた。
アレクの『剣』は彼の言う通り、所詮真似事だ。コピー元である"戦士"には及ばない。『復讐の剣』は『智慧の剣』に比率でいえば体感で七割程度の威力……だろうか。
だけど俺の『剣』はアレクの『剣』は切れない。その上、切れ味が落ちてる。
護堂の『剣』は『
そしてアレクは防衛側だ。”白馬”か”戦士”さえなくなればアレクの勝利は揺らぐことはなくなる。戦いはいつだって防衛側に分があるものだ。
一見こちらが相当不利に思えるが、アレクの『剣』はまがい物だ。護堂の『智慧の剣』が切れば切るほど切れ味が落ちるようにアレクの『剣』はこちら以上に切れ味が落ちていく。光球が星屑さながらに増えればアレクは不利になっていく。
正直、五分五分だろう。
どれだけ考えても、結局は同じだった。なら、あとは腹を括れるかだ。
神格の核を切り裂ける深さまで切れ味は増した。だがアレクという核に至るまでにはまだ刀身の長さが足りない。なら言葉を重ね、光の粒をさらに氾濫させ、精錬しなければ。
なにか……ないか!?
ミノス王について凡その知識は語った。だがそれでも足りないなら、なにかの知識で補強しなければならない。教授で得たの知識をさらっていく。
──そしてエリカから受け取った知識の中に、ひとつの神格が目に付いた。
そして共に脳裏によぎるのは、サルデーニャとシチリアでエリカとともにくぐり抜けた黄金と化した記憶。
その神格は護堂やエリカとも関わりの深い神格の"直系"とも言える神格で、それでいて幸運にもミノスとも関わりのある神格だった。
これはミノス王を取り巻くミノタウロス伝説……神の外郭をふちどる言霊。
やるぞ! ──ここで決める!
腹を据えた護堂は『剣』の言霊を吐いた。
「紀元前三千年頃からはじまり、クノッソスが衰退した紀元前千四百年頃ごろまで栄えたミノア文明だが衰退し、やがて歴史の影に消えていく。今では滅んだ理由すら判然としないほどで在りし日の繁栄は遺跡だけが語るのみだ……だが」
アレクが訝しむ。
護堂も勝利の一手となりえるか不安がじわじわ襲ってくる。
「断然したミノス王は歴史の影に忘れ去られることなく息子であるミノタウロスともに……ミノタウロス伝説となり、キリスト・ユダヤ教の敵という形で厳然と存在感を示し続けることとなる!」
だがもう『剣』は抜いてしまった。撃鉄は落とされれ、言霊を重ねてしまった。もう引き返せない。引き返すつもりもない!
「産業革命後……十八世紀以降、大量生産と大量消費、資本主義全盛の時代が訪れた。過酷な労働と過剰な生産……無数の犠牲のもとに栄光を得た時代に”とある悪魔”が人気を博した」
その悪魔は、有名なベルゼブブやアスタロトなどと同じく
「その神の名は中東の都市テュロスの守護神にしてフェニキアの神王
護堂がカンピオーネとなり初戦を飾った神格が言霊となる。ウルスラグナと相対し、護堂とも鉾を交えた神王の御名。エリカとともに駆け抜けた戦場で交戦した神の名!
『智慧の剣』が更に増え、輝きを放つ。大地の迷宮がふたたび詳らかにされていく。
「メルカルトの語源である
そして護堂は神の名を叫んだ。
「カナンの神にして唯一の神を崇める民が悪魔とした神格の名を──
牛頭にして人身! 旧約聖書が伝える、古くから”母親の涙と子供達の血に塗れた魔王”と恐れられた人身供犠の神だ!」
メルカルトとその本体であるバアルはフェニキア人の文化や習俗と深く結びついた神であった。カルタゴの名将ハンニバルは『バアルの愛子』を意味していた。悪魔ベルゼブブがバアルの直系とするなら、対するモレクはメルカルトの直系ともいうべき神格であった。
「なぜ
クレタ島は解明されていない謎多い島だ。だが現在に残る伝説から読み取れるクレタ島はモレクと同じく生贄を強く求める島だった。
「古来よりクレタ島では犠牲を伴う儀式は非常に高い位置を占める行為だったと考えられた! ギリシアの歴史家ディオドロスはクレタ人は「神々に捧げられる栄誉や奇蹟のために捧げられる生贄や秘技は我々が発明したものであり、他の民族は我々から借用した」と語ったと記録を残している」
ミノタウロス伝説でミノス王が植民地にしたアテーナイに毎年十四人の少年少女を生き餌として求めたのは有名だ。
「中世以来、悪魔モレクは火の上に手を伸ばした雄牛の頭を持つ偶像として描かれることが多かった。モレクを崇めた古代セム系民族のアモン人はブロンズで”玉座に座ったモレクの像”を造り出し、それを生贄の祭壇として使っていたんだ」
クレタ島を守護した青銅の巨人タロスも、クレタ島へ行くことを拒んだ民を抱きしめたまま火に飛び込み殺害したという。そしてファラリスの雄牛。牛の形をした青銅の像のなかに罪人をいれ処刑したという、この逸話もミノタウロスの伝説と同様に、両方の伝説がメルカルトを崇めていたセム人の子供の犠牲と潜在的に関連があると考えるのが自然だ。
「モレクは生贄を好む神だったと考えられた。聖書において八度登場するものの、実は姿形は一切描写のないモレクを、キリスト教の司祭や作家たちは、人身供犠に関する古代の記述やミノタウロスの伝説などで肉付けし、火の上に手を伸ばした雄牛の頭を持つ偶像という現代の魔王のすがたを作り出したんだ!」
光球が羽根に抗しはじめる。はじめは一閃されていた光の粒は、やがて一度、二度、三度と黒い羽根の蹂躙を凌ぎ切るようになった。
ならばと言わんばかりにアレクが追随する。攻守が入れ替わり、護堂と同じくウルスラグナの外郭をなぞるように言霊を謳いあげていく。
「ウルスラグナに神話はないと言ったが、彼の神格には”直系”と言い表していい二人の英雄が居る──名をスラエータオナとクルサースパ。ともにペルシア最強と謳われる大英雄だ」
今度はアレクの羽根が光球を塗りつぶしはじめた。理知的だが、決して勝負感の働かない男ではない。アレクは『剣』を使い切る覚悟を決め、『剣』に言霊を注ぐ。
「彼らはヴリドラがイランで受容される際に変容した悪竜アジ・ダハーカとの戦いを宿命づけられた戦士だった。直接的な逸話はないがウルスラグナもダハーカの蛇を打倒する系譜の《鋼》だ。なぜならアジ・ダハーカの特殊な打倒方法からウルスラグナの影を見ることが可能だからだ」
古代イランの聖典”アヴェスター”。その中のヤシュトと呼ばれる神々への賛歌集にその竜野名はあった。ウルスラグナも”バフラーム・ヤシュト”という賛歌があり、それと並ぶように編纂された”ザームヤズド・ヤシュト”に戦士スラエータオナとアジ・ダハーカは登場する。
「ウルスラグナとの絆を表すように悪竜アジ・ダハーカと戦った戦士スラエータオナは封印はしたものの”まだその時ではない”と生命までは奪わなかった。これはウルスラグナが障碍を排除するという側面が、障碍を退けることにあり撃破を意味しないからだ。そして終末に封印から解かれたアジ・ダハーカは数多の怪物を殺めた英雄クルサースパに討伐されている」
インド・イラン共通時代から続くヴリドラとインドラの系譜は、ゾロアスター教を国教としたササン朝ペルシアが滅びイスラム王朝が起きたあとも変容しながら、イラン最大の民族叙事詩『
スラエータオナは”第三の者”を語源とするペルシア最大の英雄フェリドゥーンとして。
クルサースパは修飾語である”
二人は気づけば『剣』同士のぶつかり合いをやめていた。 同じ化身を行使しているからか、アレクも護堂も言霊を完成させる兆候を感じ取った。この舌鋒をふるう言霊合戦の終わりは近い。
散発的な攻撃は控えている、これが何を意味するのかは明瞭だろう。
ゆえに二人は準備をはじめた。周囲にさんざめく黄金と漆黒が主の意思に添うように一箇所へ集約していく……。
「──邪悪なすがたで語られるモレクだがセム系民族のアモン人の間では生贄を求めるものの豊穣を司る神だった。メルカルトと同一視されモレクの本名とも言えるバアル・ハモンを崇めていたゴルゴタでは犠牲の儀式は日常的なものではなく国家を脅かす難事がおとずれたときに限り捧げられたという」
つまりはペイガニズム……かつて多神教で神を崇める巫女の役割だったものたちを唯一神の支配下のなかで魔女と扱ったように、白魔術的だった儀式を黒魔術として扱った可能性も捨てきれない。
そして”ダハーカの蛇”打倒を宿命付けられた戦士たちも同じ道を辿っていた。
「──諸行無常の理を現すようにゾロアスター教も衰退の一途をたどる。イスラム王朝によってゾロアスター教を国教としたササン朝ペルシアが倒れたことで、
敵手のすがたを視界に収め、不敵に笑みをむける。 待っていろ、貴様を葬る準備はもうすぐ整う。そうすればたんと痛烈な一撃を馳走してやる。己の『剣』に言霊を捧げ、より長大に、よりしなやかに、より強大に、刃を研ぐ。
「──我は不義なる竜、最強の邪悪の殺戮者! 言霊の技を以て、世に義を顕す。これらの呪言は強力にして雄弁なり。勝利を呼ぶ智慧の剣なり! 義なる男女を守護する剣よ、我に従え!」
護堂は背に担いでいたクオレ・ディ・レオーネを抜いて刀身に光球を、収束させ、収斂させ──やがて一本の黄金の大剣を造り上げた。
「聞け、永遠の夜の娘たちよ。地と影の娘たちよ──」
アレクもまた応じるように胸ポケットからアンティークペンを取り出し漆黒の羽根を、集結させ、伸長させ──やがて一本の漆黒の
叩き切ることに主眼を置く大剣と穿ち貫くことに主眼を置く細剣では打ち合えないのは自明だ。故に二人は、期せずして同じ結論に至った。
──肉と骨を切らせてでも、やつの
「つまりモレクの生贄を求める悪魔の姿は──!」
「つまり光輝に満ちた英雄の姿でさえ──!」
「「──唯一神を崇めるペイガニズムによって貶められた姿だ!」」
ここに二振りの『剣』は完成し、最後の言霊を重ねる。護堂が絶唱し、アレクが朗々と詠いあげる。
「悪には悪を、罪には罪を! 鮮血には鮮血を、牙には牙を返し、復讐の嚆矢とせよ! 殺められし母の血は──最も惨たらしき死を於いて他、報うることかなわぬと知れ!」
──黒光七閃。
「人と悪魔も──堕天使も! すべて敵と敵意も打ち砕く! それこそ我なり!」
──金光一閃。
打ち合うことなく交差した刃は強かにアレクサンドル・ガスコインを袈裟斬りにし、もう片方の刃は神速の御業をもって草薙護堂を数度刺突した。
激烈をはるかに飛び越えた痛みに権能の制御を手放す。機能を停止した『
ウルスラグナの名を、耳にしながら。
メルカルトの名を、口にしながら。
偉大にして比類なき神々の威容に鳥肌を立てる。そして壮烈にして無双の神々に勝利したのも自分だった。 けれど独りで戦っていたのではないのは、重々弁えていた。隣で相棒がいたからだ。支えてくれる騎士が居たからだ。
勝利に導く秘策を授けてくれる彼女が居たから、まともな覚悟もないのに護堂は思うまま『王』として振る舞えたのだ。
だって言うのに俺は……!
勝利にむけて手を引いてくれるエリカ・ブランデッリという少女を信じ切れなかったのは草薙護堂自身だった。彼女の献身をずっと疑っていた。気恥ずかしさから避けていた。
彼女を犠牲にして、はじめてエリカ・ブランデッリの心は本物だったのだと悟ったのだ。
だけどもう総てが遅い。彼女に纏わるすべては過去となってしまった。記憶の箱のなかに蔵められた。教授の知識は半日も持たない。エリカが捧げてくれた知識は口にするほど忘却の中へ消え、過去の中へと沈んでいく。
波涛さながらの血潮が濠、濠、とうねりを上げる。
怒り、悔恨、慙愧、諦観、喜び、激した感情は血とともに臍下丹田という炉で焚べられ莫大な呪力と活力と変じた。それら総てをアレクへぶつけ──。
──ふと気づくと護堂は荒れた波が打ち寄せる波打ち際に倒れていた。しわぶく波が頬に落ち、護堂を覚醒させたらしい。
まだ護堂が生きているなら、アレクも当然生きているだろう。カンピオーネの生き汚さとしぶとさは尋常ではない。
早くアレクを探さねば、と思うのに身体が動かない。心が動かない。
護堂の胸中に巣食うのは、どうしようもない寂しさだった。
独りで戦っていたのでは無い。隣で相棒がいたのだ、支えてくれる騎士が居たからだ。
だけど今は隣に誰もいない。
背中に感じる気配はなく、ぽっかりと冷たい空間があるばかりだった。
それがどうしようもなく寂しく、護堂の闘志を一撃し、激しているはずの心の熱を奪っていく。
化身たる彼らも、ともに戦う仲間だと護堂は遅ればせながら悟った。嫌がっていた以前とは違って、そう思う程度には裡にある化身たちに心を許せるようになった。
なにせ化身たちは護堂に献身的だった。
布袋に囚われたとき護堂に変わって供儀の役割を引き受け、"少年"はエリカを助けようとする心に応えてくれた。"駱駝"などは洞窟のなかでオオムカデを逃がす助力してくれた上、アレクとの戦いの準備と言いながら護堂の自傷という自慰行為に付き合ってくれた。
感謝をしてもしきれない。
それでも、空いた隙間は埋まらない。隙間の形は少女の姿をしていて、きっとこの隙間に入れるヒトは、たった一人だけなのだから。
エリカ!
エリカ!
難敵に視線を向け、策を巡らせ、獅子のごとき黄金を飾り付けられたクオレ・ディ・レオーネを振るった。防御を考えない吶喊に生傷がたえまなく生まれ、血も数え切れないほど流した。
だが、護堂はずっと叫んでいた。ずっとずっと己を悪罵し、叫んでいたのだ。
どうして俺はエリカの心を! 真心を!
献身と忠義を! 愛を! ──信じてやれなかったんだ!!!
あいつが居れば、俺は信じるだけで良かったのに……。
もう護堂の中に手札はなかった。手札は半壊した権能があるのみ。アレクに痛打を与えた手応えはあるが、逆にこちらの化身を切られ壊れもした。先がない。そして護堂が無事ならアレクもまだ健在だろう。
アレクと護堂では保有する手数に差がありすぎたのだ。
”戦士” ”白馬” ”駱駝” ”雄牛”……化身の大半を使い切り、戦闘用ではない”強風” ”少年” ”雄羊”ではこの窮状をあとは足りない。神速に抗しえる”鳳”はせいぜい時間稼ぎになるくらい。
”山羊”はいまだ覚醒める兆候はなく……都合よく力が覚醒することなどないのだ。
そして、最悪なことにアレクの『剣』で未使用の化身すら切り飛ばされた。これ以上を願うことも出来ない。
残る化身の中で、打開できそうなのは最強の突破力を誇る”猪”。
相当うまく使わなければならない。正直、厳しすぎる戦いだ。アレクも『
まだまだ課題はある。『
エリカ……。
完全に進退窮まった護堂は、視界にエリカのすがたを幻視した。手を伸ばす。護堂にとっての勝利の女神は夢幻のなかで柔らかく微笑み、そして──
──そして、一筋の光明を見た。
「ふん。侮りや慢心は……なかったはずだがな」
ならば敵が上手かったのだろう、口には決してださず久方ぶりに敵に向けて感嘆をおぼえた。波の打ち寄せる浅瀬から身を起こしながらアレクも随分と消耗していた。
硬い岩肌の地面にいまだ這いつくばる敵に、身体を引きずりながら近づいていく。
瀟洒な服装は見るに耐えないほどボロボロとなり、肉体には目を疑うような大火傷と裂傷が刻まれ、まともに歩くこともままならない。
一際目を引くのは額に刻まれた王冠さながらの
アレクはこの時点で、此度の戦いのすべての目的を達成したと言っても良い。だが、アレクは闘志を途切れさせることはない。
草薙護堂との戦いは魔王アレクサンドル・ガスコインの心に火を点けた。それは戦士としての意地、ライバルと格付けをせずに立ち去るなどできるはずもない。
理知的だと草食系だと言われても、やはりアレクサンドル・ガスコインもまた神殺しの戦士に違いないのだから!
「やはり生きていたか。相変わらずカンピオーネはゴキブリ並の生命力だな」
「それは、お互いさまだろう」
立ち上がる気力がないのか、護堂は顔を上げつつもアレクを見上げて憎まれ口を返した。
「だが、貴様の権能はもう使い物にならないはずだ。知り得た情報から、貴様が俺に対抗可能な化身をほとんど使い切り、その上、『剣』で切り飛ばしもした。諦めることだ」
「あんたの言う通り、結構持っていかれた……でも、全部やられた訳じゃない」
草薙護堂の権能は厄介だ。それは本人の気質も合わさってさらに厄介なものになる。
複数の能力を持つのもそうだが、
複数の能力を持つ権能の多くは行使に際して制限を持つ。ルールさえ把握しておけばあっさりと勝利さえしそうだ。
だが護堂本人が力を嫌って居たから、権能を保有する本人すら内情を知悉していないのである。
草薙護堂はこの段階に至ってもまだ諦めていない。何をするのか分からない危険物と言っても過言では無い敵にアレクは眉根に皺をよせた。
「それにあんただって無傷じゃないんだろう?」
図星だったのだろう、右の柳眉が僅かに跳ね上がったしたのを見逃さなかった。
護堂の見立て通り、一刀両断された『
「だが、それでもだ」
護堂の言葉にも意に介さずアレクは徐々に臍下丹田にうずまく呪力を練り上げ、高めていく。
「貴様が敗北を目前にしているのは変わりない」
アレクは権能をまだ三つ残している。どれも護堂に対して有効な効果を望める強力な権能ばかりだ。そして対する護堂に警戒すべき化身は”猪”のみ。護堂が明確に劣勢だった。
アレクのスタイルは神速で引っ掻き回しながら、戦況を逆転の一撃でひっくり返し、相手に一手足りない状況を作り出す。そんな必勝のスタイルがあった。
護堂はアレクの術中に嵌まったと言わざるを得ない。やはり一手足りなかった。
アレクの周囲に電撃が迸る。これまで青白い色をしていた雷光は、あまりにも
あれこそ
「貴様が何をしてくるか分からないなら、下手に触れず貴様ごと吹き飛ばすのが一番だ」
護堂は直感であれが”白馬”に肩を並べる破壊力を持っているのを察した。アレを受ければ消耗した護堂はひとたまりもない!
「俺がこれを使うことはほとんどない。使えば最後、半日は”足”を失ってしまうからな……だが、貴様を葬るにはちょうどいい、幕を引いてやろう」
そして一撃は放たれる。
「稲妻よ、下れ!」
ごうん、ごうんと轟音がニライカナイ島を鳴動させる。漆黒の雷がニライカナイ島の浜辺を爆散させながら護堂の目前まで迫る。
護堂はそれでも一歩も動けなかった。体が動かない。動くとしたら──犠牲にしていた左腕だけ。
──
「我が名において告ぐ!」
漆黒の嵐から目を逸らすことなく直視し、護堂は身体のなかに隠れ潜んでいたとある
「《偸盗》の秘石よ、智で以って神を欺いた
かつて護堂が軍神ウルスラグナと相打った際に鉾となった神代の叡智が刻まれた魔導書だった。盗人の神の名が刻まれたとおり、《偸盗》の秘石は神の一部を掠め取る。
ひどく懐かしい石板の熱さに耐えながら、神代の魔導書を掲げる。プロメテウスの秘石から迸った青い焔が、アレクの”漆黒の稲妻”とぶつかり合い、対消滅していく。
「なんだと!?」
アレクの驚愕が響く。はたして護堂の目論見は上手くいった。
プロメテウス秘笈の使用条件は非常に特殊だ。
条件を満たせば人間の子供でも無負荷で使えるが、達成しなければならない条件が困難を極める。
だが、それさえ満たせばプロメテウス秘笈は応えてくれる。能登のとある村で住民を呪い殺していたまつろわぬタタリ神をヒトである魔女が神の力を盗み出し封じることも。ヒトであった護堂が常勝不敗の軍神と相打つこともできた。
その条件とは、力を盗み出す者と"長く話し込む"こと。
出会って数時間しか経ってない二人の魔王では使用できないはずだ。
……だが、護堂とアレクは
言霊を『剣』として、互いに”舌鋒”を振るい、敵の言葉を身体に埋め込むほど──語り合ったのだ。そしてプロメテウス秘笈は護堂の求めに応じてくれた。
護堂が使用したあと空だった秘笈に、漆黒の雷光が溜め込まれていく。やがて青い焔はおさまり、じんわりとした熱が手に伝わった。
──稲妻。
不意に聖なる雷光を幻視する、この感覚を護堂は見知っていた。
「窮鼠に噛まれたか。いや、手負いの虎に不用意に手を出したのが間違いだったか! くっ……」
アレクがついに膝をついた。呪力が目減りしているのが分かる。
「サルデーニャで貴様が軍神ウルスラグナを倒した鍵となった神具だな。……消失したと聞いていたが……狸め! 隠し持っていたな……」
いまだ驚愕冷めやらぬアレクへ向けて、秘石の表面を撫でなが、独りごちるようにつぶやく。
「ああ、あんたの言う通りだ。この神具は"プロメテウス秘笈"って言うんだ、この神具のおかげで俺はエリカに出会えた。カンピオーネになってから見当たらなくて、ずっと無くしてたと勘違いしてたけど……ずっと俺と在ったんだ」
護堂はようやく立ち上がって、そして過去を懐かしむように優しく微笑んだ。
「と言っても、気づいたのはつい最近なんだけどな」
「ふん。貴様がその神具を隠し持っている可能性を失念していた俺の失態か」
アレクはこれから神速なしで護堂と戦わなければならない。アレクが言っていた通り『
その上、護堂はカンピオーネですら吹き飛ばす《黒い稲妻》を手に入れた。
ついに護堂にも勝機が訪れた。
アレクの権能はついに二つへと削れた。一枚のカードしかなかった護堂はアレクの三枚のカードを削り取ったのだ。
大健闘と言っても良い。
戦況はアレク有利から、一気にイーブンに持ってこれた。
互いの消耗は殴り合えないほど大きい。ならば……
「こういう時に護衛を連れていてな。血の気の多い輩を相手にするにはちょうどいい……来い女王、妖蛇の魔女よ!」
護堂を指差すアレクの背後、ニライカナイ島を取りまく海中に護堂は確かに見た。海中を潜行する黒い影を……女型のシルエットをした半人半蛇の巨大な使い魔のすがたを!
あれこそ『
顔を見られてはいけないという制約さえ守れば、陸海空すべてで猛威を振るう黒王子自慢の使い魔だ。
そして護堂の対応は決まりきっていた。手を掲げ、肺いっぱいの空気を吐いて叫ぶ。
「鋭く近寄り難きものよ! 契約を破りし罪科に鉄槌を下せ!」
『猪』
──ルオォォォォオオオオオオオオン!!!
黒き体毛に長大な牙、ついに護堂はこの手札を切った。戦いが始まってから、今か今かと、護堂のなかで前脚をひっかきながら催促していたのだ。フラストレーションの溜まりきったコイツは、護堂の聖句が完成するのも待たず一も二もなく飛び出して来た!
相変わらず活きの良い仲間に思わず苦笑し、アレクと対峙した。
巨大な物体を指定しなければ使えない化身だが今回はターゲットに女王を選べた。全力でやれる。
勝負はまだまだ分からない。
通暁の戦いはついに曙に至り、暗い空が赤く染まりはじめた。
第三ラウンドのゴングが鳴り響く。
そして────
──