憔悴しきったはずのカンピオーネたちは活力の漲りと最大級の警戒によって疲労を忘れた。
カンピオーネとなって以来、全身が漲るこの感覚はアレクにも護堂にも馴染み深いもの。まつろわぬ神とカンピオーネが会敵したその瞬間、カンピオーネを戦闘に最適化させる感覚なのだから!
天敵たるまつろわぬ神が居る。すぐ近くに。
周囲を見回すがそれらしい姿はない。だが間違いなくいる。背筋を舐める冷気と殺意と憎悪は間違いなくカンピオーネたちに照準当てている。
ならば気配を探るしかない。獣さながらの嗅覚でカンピオーネたちは天敵の居場所を見つけ出した。正体不明のまつろわぬ神はすぐ近くに居た──護堂の手元。稲妻の力を強奪したプロメテウス秘笈に!
──黒い雷。
「うわっ!?」
大気を引き裂く雷鳴が鳴り響き、《偸盗》の秘石から黒い雷が迸る。護堂の腕を焼き焦がした。たまりかねた護堂がプロメテウス秘笈を放り捨て、神具が中空を飛ぶ。アレクの放った”黒き雷”のごとき雷撃がふたたび秘石から生まれる……アレクの仕業か? と訝しんだが、すぐに違うと悟った、
あれはおそらく、アレクの権能ではない。全くの別種の存在だ。
護堂は”識っている”。あの黒い雷を、過去に見たことがあった。
あれはサルデーニャのドルガリの街で、十に分かれ神獣となり暴れていた『山羊』に向けて少年……ウルスラグナがプロメテウス秘笈に秘められた力を行使した際に現れた稲妻。呪詛の塊のような雷。エリカが修めた奥義”ゴルゴタの言霊”に極めて近い憎悪と嘆きの稲妻だ。
黒き雷改め、黒き呪詛はそのまま意思があるかのように蠢いた。地面に落ちたプロメテウス秘笈に襲いかかると──かの神具を粉々に粉砕した。まるで天上から神罰が下ったような異様な光景だった。
「一体、何がどうなっている……?」
アレクの困惑した声を出した。あの聡明なアレクでさえ、護堂と同じくこの異常事態を把握しきれていない。
だが、二人は思い出すべきだった。このニライカナイ島がなんのために浮上したのか。魔王の戦場だけでなく、なんの意味を以って作り出されたのか。思い出すべきだった。
「──
虚空から声が響く。
声の持ち主はいまだ無色透明でありながら、目に見えるほどの
「我が本懐はここに成就した。幾年月、恥辱の日々は終わりを告げた……」
粉々になった神具へまだ罰し足りないのか掌に乗せた秘石を更に破壊する。”プロメテウス秘笈”と呼ばれた欠片はさらに砕かれ、もはや跡形もなくなった。そして春雷を引き連れ、霧雨はおとずれた。
「長かった……」
──まつろわぬ神が、落涙している。
「まつろわぬ身に堕ち……。異国の巫女に封じられた……。我が恥辱の日々は過去と成った……」
無色の神の面差しはまったく見通せないのに、漏れ聞こえる涙声と神の意思に応えたかのような霧雨で否応なく察してしまう。
「礼を言おう。神殺しのお方たち、君たちのおかげで本来の姿へと立ち返り……そして、かつて以上に強固となって有るのだから……」
変化は強烈だった。
無色だったまつろわぬ神が
やがて人影が現れた。
最初に目についたのは金糸の髪を割いてのぞく額から生えた角だった。有名な尾形光琳の描いた雷神図のごとく金髪のなかに鬼さながらに角を生やす。装束は金の柄の入った黒一色の衣裳。手には平安貴族を思わせる一本の細長い笏を持っていた。
「何者だ?」
血走った目で黙したままの護堂をおいて、アレクは誰何した。まつろわぬ神はペルシャの壁画にも刻まれていたという笏で口元を隠して、そして笑んだ。
「神殺しどの、名乗るほどの者ではないよ──
涼やかでありながら聡明そうな声が響いた。たたり神の装束から読み取れる身体の線は細い。まるでうら若き子女のごとく、手足は長くそして華奢だ。明らかに武神や軍神の類ではない。背は護堂やアレクより低く160cmを超える程度だ。
だが人ならざる者であるのは間違いない。彼の神には資格がある。聖秘儀に参加するにたる埒外の力を秘めている。その証拠に、額には護堂やアレクと同様の忌々しい王冠の
だが、それ以上に驚愕すべきことがあった。
なにせ護堂は初対面のはずのまつろわぬ神の姿を見知っていた。
角がのぞく金糸の髪は、曙のオレンジの陽光を浴びて紅の色味をさらに強くしている。例えるなら焔が燃え上がったように紅と黄金の髪。それがまるで王冠か戦士の兜のように、彼女の頭と輪郭を華麗に飾り立てている。
そして何よりタタリ神は美しかった。
繊細な造りの美貌は、これまで出会ったどんな人間よりも整っていた。かつてその顔に飾り立てた護堂の記憶にあるのは覇気と自信に充ち満ちた──二度と忘れられないはずの顔。
けれど。
いま表情に浮かぶのは護堂が知る彼女が決して見せることのない、ふわふわと天から見下ろすような
──エリカ・ブランデッリは神となった。『まつろわぬ神』に。
髪を引きちぎり護堂が身も世もなく絶叫した。
なぜ叫んだのか理由すらわからない、ただ胸に走る衝動が咆哮となって世に飛び出たのだ。
なんだこれは、なんなのだこれは──!
「エリカに、エリカに何をしたぁッ!?」
”猪”は容貌魁偉な神獣を呼び出すだけではない。化身した護堂自身にも猪さながらの突進力を授ける。そんな瑣末事が思考に介在しないほど、護堂は地面を砕くほどの勢いでタタリ神へ襲いかかった。
「馬鹿が! 不用意に近づくな!」
アレクの静止が聞こえるが知ったことか。頭に完全に血の上った護堂は聞く耳を持たず遮二無二まつろわぬ神へ突撃した。絶対に許さない。草薙護堂の沽券にかけてあのまつろわぬ神は許すことなどできない──相棒の尊厳を凌辱する輩をなぜ見過ごさねばならない!
「あな恐ろしや……、いつの時代も神殺しとは恐ろしいもの……」
腕で身体を抱えながら身を震わせるタタリ神を名乗ったまつろわぬ神は、護堂とアレク、二人の魔王を見咎めて……言霊を放った。魔王であるカンピオーネにとって一番効く、言霊を。
「では
選ばれし《鋼》の軍神たちにしか許されないはずの言霊が謡い上げられ、天に捧げられる。夜空にまたたく剣神の宿星へ祈願する。《盟約の大法》を批准する言霊が宣され、修正力がうねりを上げる。
途端、タタリ神の肉体から莫大な呪力が横溢した。まつろわぬ神の二、三人分はある膨大な量の呪力が渾々とあふれだしたのだ。それらの呪力は黎明の空へと捧げられていき護堂はタタリ神を目前にしたところで、天上より一個の──
「ぐ、がぁあぁぁぁっぁああああああ!」
白光一閃。
空からの一閃が護堂の身体が袈裟斬りにし、護堂のなかでエネルギーが暴れ狂う。身体を四散させるエネルギーは発散するように外へと向かい、護堂を派手に吹き飛ばした。
「おう、おう」
怒れる魔王を一刀両断した下手人は喚声を上げた。ざんばら髪を流した生首だけのおどろおどろしい男が武勲をあげた武者のように呵々大笑する。
「ふはは、切り捨て御免! そこもとがそれがしの同胞に牙を向け、怨敵の気配も感じ取ったゆえに一刀両断させてもらった。恨むなよ神殺しの小僧ぉっ!」
では名乗ろうかぁ! 豪放磊落な言動をした首だけの落武者然とした男はさらに、いにしえの
「遠からんものは音に聞け、近くば寄って目にも見よ! 我こそは高望王 平高望が三男、京童の呼ぶなる朝敵にして『新皇』──
二柱目のまつろわぬ神の参戦──マサカドを名乗るまつろわぬ神もまたその額に
一刀のもとに切り捨てられ地面に横たわった護堂を見下ろし、タタリ神は静かに答えを開帳しはじめた。
「この身体の少女に何をしたのか? 君はそう問いかけたな。若き神殺しどの、
少し前まで耳元で聴いていた声、間違いなく見慣れた碧眼……なのにすべてが遠い。あまりにも異質すぎる。頭がどうにかなりそうだった。
「神殺しは鬼神の顕現のごとき強さを誇る。だがどうしようもなく愚かだ。だが
冷暗な笑みをたたえた。
「
かつて魔女ルクレチア・ゾラは軍神ウルスラグナを殺める以前の護堂に語って見せた。
『ああ。日本であれを使ったとき、私は物騒なたたり神と一晩中向き合い、あいつの恨み辛みを聞き流さなければならなかった。ひどく苦労したものだ。そのうえで隙をついて、ヤツの神力を盗んで抜け殻にしたんだ……』
そしてプロメテウス秘笈はドルガリの街で『山羊』に、そしてまつろわぬウルスラグナに。護堂の求めによってタタリ神の力も含めて都度、二回使われた。
ならばこれは草薙護堂という『王』が背負うべき責務。
草薙護堂というカンピオーネが引き受けるべき縁と悪因悪果。
「
「そうか、思い出したぞ」
アレクが唐突に喋った。
「貴様、俺が奥多摩のダムで出会ったまつろわぬ神だな? 先ごろ、山梨の甲府市で数千人が呪殺された事件があったな。世間ではガス漏れ事件と正史編纂委員会が流布していたが……やったのは貴様か」
六月はじめに起きた大規模な原因不明なガス漏れ事件。確認できるだけで五千と二百六名が死亡し、今も多くの被害者が生死を彷徨っているという世を揺るがす事件は大々的にニュースに報じられ原因究明を叫ばれながらも、一切が謎に包まれていた。
「是だ。黒き神殺しどの、
まつろわぬ神はただそこに存在するだけで人に悪影響を及ぼす。
火の神は歩くだけで焼け野原を作り出し、酒の神は現れるだけで狂気の宴を作り出す。そして、
「
エリカ・ブランデッリは生贄となり、身体と魂魄を捧げた。そして何に捧げたのか? と問われれば聖秘儀という儀式が滞りなく運行されるために捧げられたのだ。
ゆえにエリカ・ブランデッリの肉体と魂魄は須らく聖秘儀に使用されなければならない。
彼女の魂は、消極的な草薙護堂という始まりの戦士を戦いの舞台へ引き上げるために。
彼女の身体は、肉体のないタタリ神を受肉させるための肉人形となるために。
淡雪の笑みに感謝の色すら浮かべながら、タタリ神は袖の長い衣裳を広げた。
「我が策はすべて成った」
そして報復の完了を宣言した。
「聖秘儀ははじまり、布袋どのは道半ばで倒れ、そして神具は稲妻の力を取り込んだ。神殺しを複数集め、相争わせ、消耗した君たちに”古の盟約”を向ける……ああ、すべて予定調和だとも。
歪な神であった。
すこしも印象が定まらない。意志薄弱なすがたを見せたかと思えば、すべてのプレイヤーを欺く智謀を見せる。柔和な雰囲気を垣間見せながら、やはりまつろわぬ神のごとく人間を虫けらにも思っていない冷酷さも介在している。 カンピオーネたちに感謝を捧げ親愛すら浮かべながら、鏖殺の意思を隠すこともない。
だが分かることがある……今現在、このまつろわぬ神は自分たちカンピオーネを討滅せんと目論んでいることは!
「──
「分かっている! 俺に指図をするな!!!」
ハッとした。アレクは驚愕と思考の渦に囚われたまま中々帰ってこれないでいた。こんなときだと言うのに好奇心が疼き、疑問と知的欲求が首をもたげていく。
タタリ神が生み出したあの不可思議な言霊と呪力、並の神では持ち得ない。生み出された呪力の量などそれこそ、かつて垣間見た本物の”聖杯”……かの霊宝に匹敵するほどの莫大な量だ。
それにまつろわぬ神の強さは自意識の高さに比例すると言われている。
タタリ神はいかにも自己肯定感が低そうな言動が見え隠れしているのに、これほどの力が振るえるのか。タタリ神の真名は一体……。あのマサカドを名乗る神は従属神と見るべきか、それとも……。
少年のように爛々と輝いていた目は護堂の声によって理性を取り戻し、次いで、地中から呪力がほとばしった。
地中から飛び出して来たのは黒い球体。
球体の名を”貪欲の魔球”、アレクが旧約聖書に登場するとある巨獣から簒奪した『
この権能は一言で言えば、擬似的なブラックホールを作り出すことだ。魔球の移動速度は遅いが、代わりにまつろわぬ神ですら動けなくなるほど吸引力が桁違いなのだ。
「ぐぬ、おお」
「ふむ……」
魔球が足止めをしている間に召喚していた”猪”を二柱の神へ突撃を指示する。そしてまつろわぬ神々を押さえつけていた吸引力が、唐突に消えた。魔球はアレクの意思一つでON/OFFが可能。
その間隙に護堂が聖句を獅子吼する。
「猪は汝を粉砕する! 猪は汝を蹂躙する!」
主の激烈な破壊衝動を、正確に受け取った”猪”が咆哮する。破壊の化身である黒き神は、猛然と死地であるまつろわぬ神々へ猪突した。
「退くぞ、草薙護堂」
生き汚いと評されるカンピオーネの見事な退き際だった。”猪”とまつろわぬ神々の顛末を最後まで見届けることなく『女王』にアレクとともに抱えられた護堂は戦線を離脱していった。
戦火ほとばしり剣戟轟くニライカナイ島がどんどん小さくなっていく。
護堂は島の影が見えなくなっても暫く、そちらの方角を見やっていたがやがて視線を外して俯いた。ボロボロの衣服に身を包み、打撲や骨折、火傷など、さまざまな傷を負ってはいたがどれも治りかけだ。カンピオーネの治癒力は尋常ではない。
だけど、今度こそ傷によって立ち上がれそうになかった。胸に手を当てる……傷ならあるのだ。見えないけれど、あまりにも大きな傷が。
プロメテウス秘笈は砕けた。
エリカと護堂を繋ぐ切っ掛けとなった神具は砕け散り、残骸となった。いまのエリカと護堂の絆が、《鋼》という刃に分かたれたように。
『──小僧、約束せいよ。いずれ時が来れば、必ず
記憶のなかで誰かに声を掛けられた。ひどく懐かしいその声は、護堂の初心を忘れさせないための楔となり護堂の心臓を穿った。 何人よりも強くあれと、何人にも負けぬ身であれと。そしてこの神具を役立ててみせろと。正義と民衆の守護者であった神は過去の中から語りかけた。
勝手に約束していった友との約定を何一つとして果たせていない己を指弾するように。
「……わかって、いるさ」
言い訳の聞かないほどの敗走だった。これ以上なく惨めで、憐憫すら湧く無様な敗北。
護堂は今度こそ、深く俯いてずっと無言となった。ただ血がしたたるほど拳を握りしめながら……。
それからしばらくして"猪"は討ち取られた。上質な獲物と喰らい合い、興味深い敵手すら得たマサカドは意気衝天の心持ちだった。タタリ神のもとに侍ったマサカドは上機嫌に問いを投げかけた。
「追われますかな?」
「かまわないよ。……ああ、そんな残念そうな顔をしないでくれ将門どの。君にはまだまだ助力願いたいことがたくさんあるんだ」
「それはようござる!」
まあ、それに。タタリ神は続けた。
「それに。ふふ。……追ったところで菓子のごとき神ならぬ身が壊れてしまうのが目に見えているからね」
「ふはははっ! それがしの枕元に立たれた時と打って変わって随分
生首は豪快にからからと笑った。だが女人を求める眼ではなく工芸品を眺める貴人の風情すらあった。 そんな盟友へおかしそうに笑い返しつつ、それからタタリ神は地面を見下ろした。地面を青い虹彩の瞳で見下ろし、その後、透徹とした瞳を頭上の空へと向けた。
「うん。考えていたけれど、
「ほう?」
「
「なんの、なんの」
「ふふ。それに今、
鹿島灘の上空……いや、正確には東京湾の遥か上空を見上げながら、その先にある"なにか"を見通す。この国の隠された縁を辿り、そして見透かすかのごとき所業であった。
「『后 弟 橘比売、太刀を抱きて海に入り給ふ。其の太刀の流れし先は陸にあらず、海にもあらざる処にて、浮島といふなり』……ふふ、
今、この地上には八名の魔王が
それがタタリ神へ課せられた使命なのか。運命から言葉なく語られる使命を自覚しても、やはりやるべき事は変わらない。
「でも苦難大きく、敵多き道だ。この儚き娘が壊れてしまえば、
そしてタタリ神はゆっくりと怨敵覆滅の策を開陳した。
「
デュラハンや飛頭蛮のごとき空飛ぶ生首のまつろわぬ神は、不可視の腕で妙に血色の良い顎を撫でさすって感嘆の声を上げた。
「此度の”我ら”の乱、ようやっと勝てそうにございますなぁ天満大自在天神様……ああ、いや。今はこちらの方が好ましいですかな?」
『怨霊の王』──菅原道真どの。