三月は春休みにイタリア・サルデーニャ島へ渡った彼は、古代ペルシアの軍神とフェニキアの神王の諍いに巻き込まれなんやかんやあって七人目のカンピオーネとなった齢十六の少年だった。
そのうち護堂が倒した古代ペルシアの神様には、十の鳥獣に化身したという。
──"強風" ──"雄牛" ──"白馬"
──"駱駝" ──"猪" ──"少年"
──"鳳" ──"雄羊" ──"山羊"
とずらりと並んだあと──"戦士"に変身する逸話があった。望みもしないのにその力を奪い取ることになってしまったのだ。
それ以来、神様や魔王と戦ったり、世界遺産をさんざん破壊したり……。とはいえ、カンピオーネだって四六時中戦っている訳では無い。
平和主義者を自認する護堂は、向こうから手を出さなければ積極的に手を出そうとはしないため、奇跡的に平穏な日々が続いていた。
「平和だなァ……」
屋上で昼食を取りながら、平穏を噛み締めるのが日課となりつつあるほどだった。
「またそれ? ココ最近ずーっと口グセだよね」
「……なあ静花。中等部のおまえが高等部の校舎にいるんだよ。俺の妹がブラコンなんて噂聞きたくないぞ」
「うるさいなぁ。今日おじいちゃんが夜は手巻き寿司しようかって言ってたからエコバッグとお金届けに来ただけなの。あたし部活あって頼みに来ただけだから勘違いしないでよね」
はいコレとエコバッグを押し付けてくるのは草薙静香、十四歳。
つまり十数年ほど家族をやっている間柄なのだが、両親とは離れて祖父の元で暮らしているという草薙家の特殊な環境のためか、それとも本人の性格ゆえかどうにもお節介焼きで小言が多い。
まあ兄の贔屓目抜きにしても可愛い顔立ちだと思う。
「どうせ今日もぶらつくだけでしょ? だったら買い出しくらいやったってバチは当たらないでしょ」
「分かった分かった。いつものスーパーで買ってくればいいんだろ?」
「そ。……お兄ちゃんって最近いつもぶらついてるよね。昔は野球ばかりでいつも帰りが遅かったし、土日も朝から晩まで練習だったのに」
それからいつもはサバサバと直裁的な物言いをする静花にしては珍しく言葉を選ぶように柳眉を下げた。
「ね。……高校では部活に入らないの? 」
「まあなんだ……そういう気分にはならないな、まだ。もう少し遊んでいたい、うん」
「そっか」
今回は深く追求して来なかった。
高校に進学してからたまに飛んでくる質問だ。帰宅部で毎日ブラブラしている護堂はいつも返答に詰まってしまう。それまで打ち込んでいた野球を怪我で諦めて以来、体育会系の部活には距離を置いてしまっていた。
春先から肉体が激変したあと、その怪我も綺麗さっぱり笑いが出るほど消え去ったのだが護堂は運動部に入部することは無かった。
「はぁ……でも心配だなァ……」
「何がだよ。言いたいことははっきり言え」
「草薙家の男子は代々、ひどい遊び人が多いのは知ってるでしょ? 死んだあとに何人も隠し子が現れたご隠居とか、芸者遊びがひどくて身代つぶした商家の若旦那とか、お坊さんなのにお妾さん囲っていたりとか」
勝気そうな瞳で弁当をつついている護堂を睨んでくる。
「おじいちゃんも昔は相当遊んでたらしいし、お兄ちゃんだって最近たまーに出歩いて帰りが遅くなるでしょ。そのうち直系の孫のお兄ちゃんが突然開眼しちゃうかもしれないじゃない?」
「ないっ! 俺はじいちゃんじゃないんだから女遊びなんて危険な橋を渡れるか!」
女遊びと口にしてイタリアで出会って何度となく再開している腐れ縁の少女がチラついたが、今は関係ない。護堂は妙な方向に流れはじめた会話のベクトルを修正すべくやや唐突気味に話題を変えた。
「静香の部活って茶道部だったよな」
「え? そうだけど、それがどうかしたの?」
「うちって中学から大学まで一貫校だろ? だけど部活まで一緒くたになってるって思わなくてさ。高等部の制服を着た子が茶道部に入っていくのをたまたま見かけてな」
兄妹揃って同じ学校に通う草薙兄妹だが、護堂は高等部からの編入組でこの春から通学している。対する静香は中学からなので在学期間は静香の方が長いのだ。
「へぇ〜……ふうん。その人って茶色味がある長い髪の人だった?」
「なんだよその言い方? 確かそうだったぞ」
「だったら間違いなく万里谷先輩ね。この学校でいちばん美人なのは誰かって聞かれたら満場一致で決まっちゃうの。……それが万里谷祐理さんなんだけどさ」
顔は見ていないが確かに後ろ姿だけで美人と分かる風貌だったように思う。
「明日部活をお休みするって言ってたなァ。今まで欠席するような人じゃなかったんだけど……お兄ちゃん、もしかしたりしないよね?」
「あるか! ただ後ろ姿を見ただけでなんでそんなに疑われなくちゃいけないんだッ」
「どうだか。妙なフェロモン垂れ流して万里谷先輩をたらしこんだりしたら家の敷居をまたがせないからね!?」
なぜ学校に来てまでバカげた兄妹喧嘩をしなくてはいけないのか。とはいえ、護堂からすれば数ヶ月に起きた面倒事の日々よりはるかに素晴らしい時間だった。
しかしその平穏な日々に揺らぎが生まれたのは、それから翌日であった。
キンコンカン、キンコンカン。
下校時間を知らせるチャイムが鳴り、護堂は一日の学業から解放された。放課後、何となく今すぐ帰る気にもならなかった護堂は珍しく部活が休みだったららしいクラスメイトの高木と駄弁りつつ暇を潰していた。
胡乱な単語を耳にしたのはその時だった。
「
「ああ。そろそろ夏も近いだろう? オレの妹が祭りで踊るんだ、なんと言ったか。東の海からくる船か神様?を歓迎するっていう祭りだった。……そこで見たんだそうだ」
「見たって、何を?」
「だからぁ」
高木はそこで勿体付けるように言葉を区切り……得意げに笑った。
「──
護堂はその薄ら笑いを半眼で眺めつつ、猛烈な嫌な予感を感じ取って微妙な顔になった。具体的に言えばココ数ヶ月謳歌していた平和が揺らぐ予感を、だ。
そんな様子に半信半疑と勘違いしたらしい高木は、頼んでもいないのにケータイを取り出して検索し始めた。大柄な身体を椅子の背もたれに行儀悪く体重を乗せながら画面をよこしてきた。
「ほら、見てみろ。黒サンタにまつわるニュースをまとめてるサイト」
軽く目を通しただけでも100件はあるらしい。日時も掲載されていて伊豆半島から徐々に北上しているのが一目で分かった。
「ふぅん。伊豆、神奈川、東京もぼちぼち……かなり目撃情報あるんだな。それに全部海沿いの街ばっかりだ」
「報告されてないのも含めたら数千は越すんじゃないかって噂だ」
黒サンタを実際に撮影した画像はないようで、簡単なイメージイラストしか掲載されていなかった。
杖と大きな袋を担いだハゲ頭という風体らしい。サンタというよりカッパや入道といった妖怪じみていたが。
「なぁ、この画像だと随分サンタらしくないけど本当にサンタって言われているのか?」
「それは俺も思った。でもな、本当かどうかは知らんが、黒サンタを見た奴はみんな幸運になるらしいぞ?」
「幸運をもたらす、だって?」
いよいよ胡散臭くなってきた。
「宝くじに当たるだとか、失くした物が返ってきただとか。オレの妹も黒サンタがきっかけで喧嘩した友達と仲直りしたと喜んでいた」
「ふぅん……」
面倒事の匂いを本格的に感じ取りはじめた護堂は、黒サンタに対する興味を急速に失い、その代わり鬱々しい気分になってきた。非日常が平穏な日々を脅かしてくるという厭世的な鬱だった。
「最新の目撃情報は犬吠埼あたりだってよ。県境も近くだし次現れるなら茨城になるんじゃないか?」
「犬吠埼、か……」
そういえば犬吠埼のある銚子市から少し北へ向かえば有名な鹿島神宮があったはずだ。あまり首を突っ込み過ぎると後々めんどくさい事になる。そういう確信はあったが護堂はついつい疑問を言葉にしていた。
「なぁ、鹿島神宮とサンタって何か関係あると思うか? サンタが実は日本の神様だったりとか……」
「ははは草薙よぉ、流石にありえないぞ。神社とサンタなんて全然別の宗教じゃないか」
「そりゃそうだよなァ……」
エリカあたりに聞けば答えてくれるだろうか。しかし此方から連絡するのも気が進まない。
結局護堂はその話題に蓋をして教室から出た。
「今日はどこを見て周ろうか」
六月になり帰宅部としての活動も板についてきた護堂だったが、学校から家に直帰する生活にも飽きてきた。部活動も勉強もいまいち身が入らない護堂は暇だけなら余るほどあるのだ。
この頃、護堂は家や学校のある文京区から足を伸ばして東京各所を目的もなくぶらつくのが日課だった。
駄学生へのエリートコースをひた走っている気がしないではないが、高等部に上がり自由時間への選択肢が大幅に増えた。
少ない小遣いをやりくりして散策するのは楽しいものだ。
クラスメイトの女子たちほどになると新大久保あたりのチェーン店で数百円のコーヒー一杯で数時間居座る離れ業をやるらしい。
そこまで心臓に毛が生えていない護堂だが、元々好奇心が強く猫を殺すどころか神すら殺めた男だ。好奇心のおもむくままに街を散策したいという欲求に抗えなかった。
地下鉄に乗り、適当なところで降りて、雑踏をかき分けながらぶらついていると表参道にいた。
青山通りの小洒落た景色を眺めながら練り歩いていると、気になるものが目に入った。
メモを手にあたりをキョロキョロと見回す私立城楠学院の制服を着た少女だった。
「あの子、うちの学校の生徒だよな……こんなとこでなにやってんだ?」
見覚えのある少女は護堂の妹、草薙静香が所属する茶道部の子だった。昨日、静香との間で話題に上がった同級生の子だ。
名前を
顎に手を当てながら思案する。
普段の護堂だったら面倒事はごめんだと忌避して足早に立ち去るのだろうが……今ここにいるのは暇を持て余した男子高校生だった。
困ってそうだしちょっと声をかけてみるか。
迷惑そうなら引き下がればいいし、と声をかけることにした。
「なあ君、
「──え?」
振り向いた万里谷はやはり声をかけた護堂がたじろぐ綺麗な少女だった。茶色味のある長い髪に、整った柳眉。制服の上からでも分かる男が放っておかないプロポーション……。
「あの……?」
声をかけたのに黙り込んでしまった護堂を不思議に思った祐理が少々不安そうに見上げてきた。しまった、護堂は慌てて取り繕うように手を振った。
「俺、茶道部にいる静香の兄で草薙護堂っていうんだけど……」
「まあ、静香さんのお兄さんでいらしたのですね」
知っている人間の名が出たからだろうか、警戒が見え隠れしていた万理谷の態度が軟化するのが分かった。
それにしても丁寧な言葉遣いだ。所作のひとつひとつにも気品を感じ取って、気後れしてしまいそうになる。
「静香から万里谷さんの話を聞いててさ。こんな所で困ってるのを見かけて気になったんだ。迷惑だったら悪いけど」
「これはご丁寧に。……迷惑だなんてとんでもありません。実はお務めがあるのですが、少々道に迷ってしまいまして……」
お務め? 耳慣れない言葉にそういえば彼女は神社のアルバイトをしていると静香が言っていた気がする。
目的地の記してあるメモを見せてもらったが確かにわかりにくい。固辞する祐理をなんとかなだめすかして、二人で知恵を出し合いながら『湖月堂』というお店を探し始めた。
……のだがコレが中々見つからない。
確かに正しい順路を進んでいるのに気づいたら別の場所にいるのだ。迷いの森にでも迷い込んだ気分だった。
やがて疲れた二人はいつの間にかベンチに腰を下ろしていた。自販機でジュースを2本買って一本を万里谷に渡し、フタを開けてさっそく喉へ流し込む。
夏にはまだ早い六月とはいえそこそこの暑さだ。歩き回って汗をかいた身体によく効く。
「悪いな、役にたてなくて」
「いえ、そんな、とんでもありません。一人でしたら心が折れていたでしょうし、こうして飲み物まで買っていただいて、こちらこそ申し訳ありません」
丁寧に頭を下げる万理谷に苦笑しながら、前評判通りのものすごいお嬢様なんだなと実感した。
「そういえばお務めって何をするんだ?」
「今回は鑑定を頼まれています。普段なら神饌の準備や境内の清掃なのですが、真贋の不明な逸品があるとの事でして」
「へぇ。万里谷さんはそういう詳しいのか?」
「人並み程度には知識はあると自負していますが専門家ほどでは……。それに私の鑑定では知識は必要はないんです」
必要がない? 訝る護堂だったが疑問を口にするまえに意識が別の場所へ移った。
「ん?」
視界の隅。道路を挟んだ反対の路地がなにやら気にかかるものがあった。
ただその気になるもの、というのは視覚的な意味でなくて第六感的な感覚だった。具体的にはサルデーニャのサン・バステンのヌラーゲでフェニキアの神王のねぐらを見つけた時のような。
辺りをキョロキョロ見渡し──見つけた。細い路地の奥が不自然に霞んでいる。
目を揉んでもう一度見てみるがやはり視界がぼやけて上手く捉えきれなかった。
「あの草薙さん、どうかなされましたか?」
「あそこ、なんか変じゃないか? ぼやけているというか、上手く認識出来ないっていうか」
感覚で言えばフェニキアの神王が休息を取っていた洞窟を見つけた感覚に近いがあそこまでの寒気や嫌な予感はしない。
ぼそり、と傍らの祐理が何事かを口ずさみ、驚いたように目を瞬かせた。なんだか既視感を覚える光景だったが。
「草薙さんは感性が鋭い方なのですね……私は疎くて気付くことが出来ませんでした。たしかに、メモを見る限りではあの先のようです」
護堂の春先あたりに開花した才能がこんなところで役に立つとは。司祭として大成しそうだのなんだの好き放題言われていたが目的地探しに使えるじゃないか。
「それじゃ……行ってみるか」
二人は顔を見合わせて路地の方向へ歩いて行った。
そして声を掛けられたのは、細い路地に入ってすぐだった。
「申し訳ありませんねぇ媛巫女。ちょっとした手違いで人払いがONのままになっていたようでして……。おやおや、これはこれは……」
くたびれた背広を着た20代後半の男性だった。いかにも昼行灯といった風貌の男の顔は、今は驚きが九割の表情だった。
ついつい漏れてしまったという言葉は護堂には届かず、少しだけ気まずい沈黙が三人の間に生まれた。そして口火を切ったのは背広の男性だった。
「いや、申し訳ない。まさか万里谷さんが彼氏同伴で来られるとは思っても見ませんでしたなァ。あ、私、
「は、はぁ」
ぬるりと滑り込んでくるような所作で如才なく挨拶してきた姿に気圧されしまった。いや、それより今聞き逃せない単語を聞いた気がした。
それは護堂だけではなかったようで、隣の祐理も顔を真っ赤に染めて手を振っていた。
「か、か、か、彼女だなんて! ご冗談はお止めください、私が誰かとお付き合いできるわけがないでしょう!」
「おや、違ったのですか? なかなかお似合いのお二人ですが」
そう言われ思わず見合わせた二人は赤面して俯いてしまった。そんな初心な二人の反応を楽しんでいる男は、改めて護堂に向き直った。
「いやぁ、失礼しました。なんとも初々しいおふたりでしたので揶揄ってみたくなりましてねぇ。──実は私、そちらの万里谷祐理さんとは仕事上お付き合いのある立場でして、こちらの大切な姫君を送り届けていただき感謝いたします」
「草薙護堂です、よろしく。あと俺はそんな大層なことはやってませんよ」
「ふふふ。まあ私が勝手に感謝している事ですから気にしないでください」
無事送り届けるのに成功し、お役御免となった護堂はそろそろ解散かと思ったがそうではないらしい。手を振って踵を返そうとしたら、唐突に遮られた。
「ああ、ちょっと待ってください草薙さん。せっかくですし、これも何かの縁でしょう。すぐ近くですから草薙さんも一緒にどうぞ」
そう言って細い路地の先にあるお店を指差した。
「私からもお願いします。このまま草薙さんを帰してしまったら恩知らずな人間になってしまいますから」
「うーん……。まあちょっとくらいなら……」
面倒事はごめんだったが、たしかにこれも何かの縁なのだろう。暇だったし、何かあればその時はその時だ。護堂はとくに深く考えることなくホイホイ付いていった。
「さてさて。これも何かの巡り合わせかもしれませんねぇ」
少し先を歩いていた甘粕の小さな呟きは聞こえなかった。