戦女神は微笑まない   作:につけ丸

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エピローグ

 下津海水浴場 am 5:15 

 

「なんで助けたんだ?」

 

 下津海水浴場。鹿島灘に面するビーチの一角で、戦塵にまみれた二人の王は転がり込むように身を投げ出していた。まだ警戒は解いていない。やってくるかも知れない仇敵に神経を尖らせ、透明なコバルトブルーの海を睨む。

 その上で、同族であるアレクにも警戒を怠らずに問いかけた。アレクと護堂は別に仲間でもなんでもない。

 あの場面、アレクは護堂を見捨てるのが自然な成り行きだったはずだ。なにせ、少し前まで本気で殺し合っていたのだ。二人にとって同様の敵が現れたからといって、それまでの蟠りを捨て、手を結べるほどカンピオーネの性根はまっすぐじゃない。

 

「ふん、馬鹿な事を言うな。貴様を助けた訳じゃない……言っただろうエリカ・ブランデッリには借りがある」

 

「……そうか」

 

 アレクの言葉をそっくりそのまま額面通り受け取った。このひねくれ者とは色々あったし、色々やったと聞き及んでいる。エリカが酷い目に合わされたとも聞いた。

 ただ、今は雌雄をつける気分ではなかった。

 さっきまで本気の殺し合いをしていた相手と朝焼けの水平線を見ているのを不思議に思いながら、やがてアレクが眉をひそめて問いかけてきた。額の聖痕(スティグマ)に触れながら。

 

「貴様との戦いを終え、俺は日本での当面の目的は達成した。俺はこれから早急に英国に戻らねばならないが──貴様はどうするつもりだ?」

 

 護堂は表情を無くして黙り込んだ。アレクの問いかけの意味が十二分に伝わって来たからだ。貴様が無理だと言うなら、あの神々との戦いを肩代わりしてやっても良い……そう、言っていた。

 アレク自身、軽々にその提案を挙げているわけではない。プリンセス・アリスの権謀により英国で築いた地盤がかつてないほど脅かされているのも事実だ。

 来日してからの記憶を反芻する。

 だがそれを押してでも日本の情勢は気になる。

 それほどニライカナイ島で姿を顕したまつろわぬ神は異様だった。アレクが最近追い求めているテーマのヒントがあるかもしれない。聖秘儀の謎も多い。最奥にはどんな秘密がひそんでいるのか。どんな神々が参列しているのか。復活する救済神は一体何者なのか。

 ああ……そういえば、聖秘儀のために生贄になった現地協力者もいた。

 

「ありがとうガスコイン」

 

 返ってきたのは素直なお礼だった。

 さすがに鼻白んだアレクは目を眇めて、妙に澄んだ瞳の護堂と視線を合わせた。護堂の瞳は凪いでいた。少し前までの憤怒と無鉄砲さが嘘のように。

 アレクはこの目を識っている。なにせ、一度対峙したことがある。ニライカナイ島で戦いが始まるまでずっと一つの感情をたたえてアレクという先達のカンピオーネと戦っていたのだ。峻厳な覚悟を宿した目だった。十六の少年には不釣り合いな貫目だった。

 

 アレクはいけ好かない人物だ。まだ深く語り合ったわけではないが反りが合わないのは目に見えているし、妙に癪に障るのも事実だ。

 だがアレクは歴戦の戦士だ。まだ未熟で権能も一つだけの護堂より彼の方が、スマートに事件を解決できるのは自明だ。護堂はプライドを捨ててアレクに役を譲れもしたが……護堂はしっかりと頭を下げた。

 

「正直、助かった。あんたが居なかったら、頭に血の上った俺は退却手段もなくあのまままつろわぬ神々に挑んでいただろうし……それに、エリカの件もある。なんというか本当にすまない」

 

「気にするな。俺としても同じカンピオーネに貸しを作っておくのも悪くはない、そう考えただけだ」

 

 そっぽを向くアレクにどこまでも素直じゃないなと苦笑し、それから冷厳な表情を浮かべた。

 

「だけどあんたはもう、日本に手を出すな。ここは俺の縄張りだ。……だからこの先は俺の戦いになる──他のカンピオーネが入り込むのなんて認めない」

 

「ふん」

 

 護堂の視界がいきなり暗くなった。すわ、なにかの攻撃かと危ぶんだが視界を遮るのはなにやら質の良い分厚い布だった。布を掴んで取り払ってみれば、それはアレクのダークグレーのジャケットだった。

 

「それほど吠えるのならば、もっと毅然としていろ」

 

 彼のトレードマークとも言えるジャケットも護堂と同じように焼け焦げ、損傷が著しいが、護堂の制服ほどではない。以前は白かったシャツはもう白い生地が見えないほど赤黒く染まり、シャツもパンツも浮浪者さながらに擦り切れていた。見窄らしいことこの上なく王を名乗るには痛々しすぎる。

 

「貴様は『王』だ。貴様自身がどう思おうとな……」

 

 それは薫陶だった。アレクサンドル・ガスコインという先達から未熟な王へ送られる薫陶……。

 

「そして人は貴様という『王』の背を見て、付き従う。その付き従うべきお前が、そんな無様な姿をさらしてどうする? 」

 

 ゆっくりと過去をなぞるように問いかけて来た。

 

「……貴様は、願われたのだろう」

 

「……ああ」

 

 車のエンジン音が聞こえて、振り返ると、以前湖月堂というアンティークショップで知己を得た人物、正史編纂委員会のエージェント甘粕冬馬が車を乗り付けてやってくるのが見えた。

 

「そうだな」

 

 

 

 

 鹿島神宮 am 5:30 

 

 ──沙耶宮馨はすべての機が熟し、エリカの策が成就したのを明確に感じ取った。

 所詮、人の身でしかない馨にニライカナイ島で饗された魑魅魍魎の宴でなにがあったのか知悉するのは不可能だ。だが明確なのは草薙護堂はアレクサンドル・ガスコインという侵略者を退け、帰還したということ。

 それさえ分かれば、良い。この策は成る。『王』の到着を待つ間、瞑目しながらエリカ・ブランデッリの言葉を反芻した。犬吠埼で死地に赴く前に、彼女は言い残した。

 

『あなたを見込んで……馨さん。一つお願いがあるの』

 

 諦観。比類なき決意。決死の覚悟。静かにそれらの感情を垣間見せながらエリカは凛然として馨に一つの”頼み事”をした。命令でも指図でもなく、頼み事を。

 

『護堂が生死不明となり黒王子に侍った時点で……《紅い悪魔》エリカ・ブランデッリの()は確定しているわ』

 

『外つ国から襲来してきた暴虐な王と奉じる王を裏切った女狐。この国の呪術師に生まれた不審と不安、そして敵意は相当なものでしょう。たとえ本当は裏切っていなく、ともあなた達にはそう見えてしまう。不信は拭えない。失点は取り返しようがない。その時点でわたしの日本呪術界での政治生命は消し飛んだに等しい』

 

 エリカは死は覆せないのだと言い切った。

 名誉こそ重視する政治的にも、そして物理的にも。エリカが向かう先は、カンピオーネすら陥穽に嵌めた死地だ、そこからカンピオーネを取り戻すのだ。人間一人の生命くらい投げ捨てねばならない。そしてヒト一人の生命でカンピオーネが返ってくるなら安いものだ。

 

()()()考えるべきは次の段階、わたしとアレクサンドル・ガスコインが消えた盤面を第一と考えるべきよ。それを踏まえて馨さん、あなたに提案があるの……』

 

 ──そして《紅い悪魔》の策は成る。

 黒王子必殺の策は流転する盤面のなかで意味を変じ──まつわろわぬ神に放つ必殺の策と化した。

 

 それは洞のなかで『王』が視た悪夢の再現であった。

 

 時明かりの眩い光が射しこむ時間に、鹿島神宮本殿の境内は異様な雰囲気に包まれていた。

 冬も終わり夏が近づいて暖かくなってきた六月後半でも、早朝は霜が降るほど気温は下がる。小夜時雨が降り、あたりは格別に冷え込んでいる。

 けれど境内には熱があった。数百から数千を越す老若男女が衣擦れの音すら立てずにじっと留まっている。歯の根を噛み締め、吐き出す吐息には言い知れぬ熱が噴火寸前のマグマのごとく渦巻いていた。

 

 清秋院・九法塚・連城・沙耶宮……四家と呼ばれる呪術界大家をはじめ日本呪術界の錚々たる顔ぶれが鹿島神宮に集っていた。彼らはアレクサンドル・サンドルに抗わんと集った面々であった。

 ニライカナイ島出現の夜、馨の予測ではアレクサンドル・ガスコインは犬吠埼か鹿島神宮から沖合へ出ると睨んでいた。明晰な頭脳で二箇所まで候補を絞った馨は、かつて蝦夷の前線基地でもあった鹿島神宮へ人員を集結させ、防備を固めた。

 アレクはせっかちな王だ。それに無駄を嫌う性質でもある。ゆえに彼は無駄な戦闘をさけて犬吠埼へ向かった。馨がアレクの居場所を予測し、エリカを犬吠埼へ送り届けたのも、そういった策謀があったからだ。

 そして鹿島神宮に集った呪術師たちは、巡り合うこととなる。

 

 ずる、ぺた。ずる、ぺた。

 鹿島神宮の本殿から奥殿をつなぐ表参道を何者かが下ってくる。樹叢の先から何者かがやってくる。無音による耳鳴りが殷々と鳴り響く境内で、その足音は僅かな物音だというのに不思議とすべての人々の耳元へ届いた。

 

 男だ。男が歩武を進めてやってくる。

 

 戦士だ。戦士が傷を抱えてやってくる。

 

 王だ。王が黎明の光を背負いやってくる。

 

 ゆえに──『東方から王は(きた)る』

 

 敗戦による戦傷と戦塵にまみれながらも惨めさがないのは、未だ収まらぬ闘志ゆえか。曙光を背にして聖なる東方から来たるためか。

 

 ダークグレーのジャケットを羽織った王は、モーセに道を譲った海原のごとく作られた民衆の道をいくらか歩くとおもむろに立ち止まった。

 いまだ曙光は王の面差しを明らかにするほど強くはなく、その顔立ちは見通せない。

 だが満腔より横溢する戦意と覇気、そして覚悟が人々にひとつの確信を与えた。この年若い男は王者なのだと。

 

 人々を代表し、男装の麗人が前にでて陳謝の言上をする。

 

「遅参したこと、誠にお詫び申し上げます──『王』よ」

 

『王』はその言葉に目を眇め、しかしすぐに視線を外して周囲に居並ぶ人間たちを睥睨した。それから重々しく口を開いた。

 

「……俺が、あんたたちに求めるのは一つだけだ」

 

 すべての方角を見やったあと、『王』は傲然と言い放った。

 

「エリカを取り戻すために力を貸せ。それが出来るならカンピオーネだろうと、まつろわぬ神だろうと、全力で護ってやる」

 

「「「「「「「「「「御意!」」」」」」」」」」

 

『王』はついに宣誓し、布告した。途端に民衆は跪き、口々に忠誠を叫んだ。

 

 ここに真なる戴冠は成る。

 外つ国から襲来してきた暴虐な王と奉じる王を裏切った女狐を排除した若き『王』は、民の信望を得てその高御座へと上がった。

 

 ──太陽が昇る。

 

 眩さが薄暗い境内を照らし出し、やがて影に隠れていた王の面差しを詳らかに映し出す。

 一際目を引くのは額から後頭部へ広がる王冠さながらの聖痕。まるで十字架を背負わされ脇腹を刺された聖者が被っていたいばらの冠を思わせた。 肩に掛けられたジャケットから覗く制服からは夥しい血痕が垣間見え、深い影に染まった面貌から覗く炯々たる眼光は鬼火のよう。

 

 境内に集まった誰かが蓮歌を諳んじた。

 

けふの渡りの 舟のかぢとり これぞこの 旅のはじめの 鹿島立ち

 

 かつて。

 白村江の戦い以降、日ノ本を防備するため東国から赴いたいにしえの兵士”防人”は、鹿島神宮にて祈念し、戦場へと旅立ったという。その故事は”鹿島立ち”という門出の意味の言葉となって現代にまで残った。

 

 そして。

 かつてのいにしえの防人のごとく日ノ本鎮護と仇敵殲滅の誓いを樹てた『王』は鹿島神宮の地で立ち、覇道を歩みはじめた。ただ一人守りたかったヒトが生命を賭して用意した壇上で。

 

 祝福と呪いに満ちた、しかし見事なる──鹿島立ちであった。

 

 

 数多の称賛と歓喜を背に受けながら、護堂は歩き出した。 隣を歩いているはずの相棒はいない。雌獅子の微笑みで勝利を約してくれる護堂の女神はいないのだ。熱狂する民衆とは対照的に、まだ六月の終わり頃だというのに心に寒々しい木枯らしが吹く。

 幾千幾万の賞賛と忠義のなかにあっても彼は独りだった。

『東方の王』草薙護堂はたった独りで歩みはじめる。冥府魔道へつづく道を。カンピオーネの道を。

 

「エリカ……」

 

 

 

 

 八人もの魔王が我が世の春を謳う、廃頽した世を鎮めるべき──最強の《王》は眠りについている。

 ならばその眠りを揺り起こそう。

 順縁と逆縁の入り乱れる乱麻のごとき世に救済と新しき(ダルマ)を顕現させるため。

 

 大願成就のために供儀の儀式はここから始まる。

 

 しかし。

 その聖なる大願に抗うのも神殺しなのだろう。

 順縁を食い千切り、逆縁を世に示す。

 

 それが神殺しの魔王なのだから──。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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