「ふふ」
ピォー、ピォー……
隅田川に面する都心の一角で、千鳥たちと戯れる少女があった。濁り気味な川と首都高速の高架を背景にするには不釣り合いなほど、壮絶な美を放つ少女だった。汚泥と泥水の散乱する涅色の道を歩いているのに不思議なことに汚れる様子もない。
金糸の髪に、高貴な面差し。繊細な顔の造りは有象無象の男どもを寄せ付けないほど圧倒的で、それでいて起伏激しい肢体は異性どころか同性の視線すら集めてしまうだろう。
だが獅子の如き覇気は鳴りをひそめ、薄い微笑の影に隠れている。
金と紅のコーディネートが似合う彼女も、今は黒一色。
美麗な肢体を黒の袍で包み、貴賎問わず万人が万人絶賛する佇まいで小鳥たちと戯れていた。
──淡海の海 夕波千鳥 汝が鳴けば
玲瓏な玉をころがす声が潮風にさらわれていく。
指を差し出せば一羽の千鳥が、少女の指先に止まりその様子を愛でる。
羞月閉花。その姿はまさに貴人の仕草。しかし、精緻な人形よりも美しい容姿をしながらも、生々しさが欠片もない。
ピヨ、ピヨ。
囀る千鳥が少女を目に捉える。普通なら人が近づけば飛び去っていくはずなのに、逃げようともしない。
まるで──。
そう、まるで砂浜に転がった小さな流木が風にあおられて揺れた。その程度の認識しかしていない。
……それもそうだ。少女は死にかけだ。碧眼の瞳孔は散大し、呼吸しているのに豊かな胸は揺れない。多少顎が上下し、肺に流れる空気はわずか。
死戦期。
死の一歩手前の状態なのだ。
少女の危機的状態を代弁するように絹髪の毛先が黒く染まっている。死は黒で表される事が多い。たまに白装束と銘打って白で表されることがあるが基本的に死のイメージは黒い。漆黒でも、影色でも、墨色でも、濡れ羽色でもなく、ただ黒い。純血の黒が、金髪を犯し始めている。
だが、まつろわぬ神は気にもとめない。
当然、定命の乙女が死に直面し続ければ
だが神はそれを許容した。神は是という裁定を下した。定命の乙女……エリカ・ブランデッリを器とするまつろわぬ神は良しとしたのだ。
──情もしのに 古思ほゆ
玉を転がす玲瓏な美声で歌を読み終えると千鳥が驚いたように羽を降りしきって飛び出った。そうして声をかけられたのは直後のことであった。
……気づけば少女のすぐ傍に、人の身長くらいはありそうな巨大な生首が鎮座していた。隅田川の河原に鎮座する生首はまさに晒し首という出で立ちだった。
しかしながらこの生首、生きている。血気盛んながら顔面蒼白という器用な顔色をした生首は、実は生きている。伝承の中から蘇りを果たすという形で。
彼もまたまつろわぬ神。とびきり美しいか、とびきり異形かという神々の中でも後者にはいるまつろわぬ軍神であった。
「菅原どの」
生首──まつろわぬ平将門が瞑目していた瞼をあげ、うっそりと声をかけた。
「あの小僧……あいや、失礼。かの若き神殺し、坂東より離れた由。ご報告させていただく」
「流石は関東を版図とした軍神。無双に相応しきその触手は健在のようですね。さて……かの神殺しの向かう先は?」
「八丈島かと存じまする。かの鎮西八郎が流された駿河の国の島ですなぁ……」
源為朝、またの名を鎮西八郎。
彼は平安時代でも指折りの豪傑だ。しかし粗忽者で疎まれた彼は九州に追いやられ、最後は八丈小島で自害したと伝わる。
圧倒的な剛勇ぶりは伝承を生み、菅原道真や平将門とおなじく彼もまた神格となった。それも典型的な《鋼》なのは、高貴な出身でありながら九州や沖縄など流浪し、怪物退治などの貴種流離譚を残していることからも読み取れる。
あの関東よりはるか南方の島に神殺しは出向いたようだ。
「そうですか。先ごろはあちこちを遍歴し、武を揮っているようでしたが……ついに隙を見せましたか。ならば時は熟したと天は仰せになっておられる──では参りましょうか」
待ちかねた人界の守護者たるカンピオーネの留守を待っておきながら。
特に急ぐでもなく、泰然とした佇まいで。いや、むしろ悠々と……まつろわぬ神々という人外の一行が歩いていく。
神の歩みを止めるものは、今はいない。
──栃木県日光市『日光東照宮』
かつては徳川幕府の聖地と称された豪華絢爛な東照宮。
大蛇と大ムカデが対立した神話の舞台、男体山などがすぐそこにあり、日本の大霊峰富士山から見ても鬼門の位置にあるこの地は、日本でも最高峰の霊地だった。
そして数週間前にアレクサンドル・ガスコインが日本を引っ掻き回すためのブラフ……東照宮の神が封じられた場所でもある。
東照宮の神を封じた畢生の大呪術の名を──『弼馬温』。道教の最高神である玉帝がとある暴れん坊をなだめるために贈った官職、それを由来とする名だ。
東照宮の境内へ二柱の怨霊神が踏み入った。
神殺しが留守の今、阻むもののいない。魑魅魍魎の歩みは止まらず林立する杉林に入った。
そしてその奥、林を抜けた先に人っ子一人いない古びたお社があった。名を西天宮。
『弼馬温』の術式を長年守護しつづけてきた九法塚家の拠点であり、最終防衛線だ。
だが。
十重二十重と張られた防御術式やトラップも所詮、矮小なる人が設えたもの。まつろわぬ神の相手ではない。そして何よりタタリ神、つまり怨霊である彼らは壁など容易く素通りしてしまう。
長い裾を靡かせて悠然とした歩みで西天宮を抜け、その先にある洞へと入り、暗闇の中をくぐり抜け、やがて──青空の広がる空間に躍り出た。
その空間の中心には、紫禁城もかくやという宮殿が威風堂々たる姿で鎮座していた。まつろわぬ神々は気後れした様子もなく建物に侵入する。
そしてまつろわぬ神々は目的の人物……宮殿の主と対面した。
「──我が宮殿によく参った。さぁさ、ひさしぶりの客人だ。人の子ではなくまつろわぬ神が訪れるなど我がこの場に封ぜられて以来、初の珍事じゃのぉ!」
宮殿の主はなんとも軽薄で威のない人物……いや、
二足歩行で毛むくじゃらのサルが二柱の神々を迎え入れた。
「饗応のひとつでもして饗してやりたいが、我はこの通り只のサルでの。何用かはしらぬが客人に茶も馳走できぬ無礼は許してくれよ」
「おいたわしや……神猴どの」
まつろわぬ道真が尺で口元を隠しながら静かに涙を零した。
「”
「そう言われてものぉ。我は畜生じゃし」
出会い頭にタタリ神からそんなことを言われ、恥ずかしげに頭をかく。
「今はまつろわぬ神ではなくこの宮を建てた連中の術式に縛られた”猿猴神君”よ。荒ぶる神であった我も名を失えば、ちぃとばかりお茶目なだけの只ザルとなってしまうわい」
そして神猴はあごをしゃくってまつろわぬ菅原道真へと水を向けた。
「おぬしのようにの」
「──ホホホホホ」
甲高い声が上がった。
「意なことを申される。いや、なるほど。まさに……
出処はタタリ神。彼は尺で口元を隠すのも忘れて、大きく腹を抱えながら一頻り嗤うと、矮躯のサルを見下ろしながら続けた。
「ですが」
今度は尺で口元を隠す。生白き容貌のタタリ神は涼やかな目線を毛むくじゃらの猿へと向けた。
「布袋どのが成し遂げた日ノ本を覆うこの聖秘儀──。無から生まれた代物に非ず。下地となる
聖秘儀の舞台は日本列島全土。
その広範囲に広がる大呪術など、いかに神に連なるものである布袋であれど一朝一夕でなし得るものではない。
ゆえに布袋は『弼馬温』という日本を守護する術式に目をつけた。
折しも都合よく龍蛇避けとして《鋼》の属性に偏った『弼馬温』は、最強の《鋼》のために考案された聖秘儀という《鋼》の祭典とは相性が良かった。
やがて布袋は『弼馬温』を上書きする形で、聖秘儀は成った。
「《鋼》の武辺者たちの集う馬鹿げた祭典なれど、効力は本物。いかに列島に点在する聖地から呪力を流し込まれ維持される『弼馬温』であろうと、十は下らぬ剛直なる《鋼》の英傑たちと神殺しの魔王どもが連名する聖秘儀の威勢のまえには些か歩が悪い……。
『弼馬温』を下敷きにしたことで、否応なく封ぜられた神の備える《鋼》の神性は高まる。猿猴神君という神格は本来の姿へと立ち返りつつある。
まつろわぬタタリ神がそう断じた瞬間だった。
迅。
敏捷にして閃電なる稲妻のごとき一撃。猿猴神君だったはずの只ザルが、神珍鉄より作られた如意金箍棒を手にしている。これこそ神猴にとっての《鋼》の示現。数多の龍蛇や妖怪たちを叩きのめして子分にしてきた、まつろわぬ《鋼》どもが佩く鉄剣のごとき棒である。
「むっ」
猿猴神君の一撃がまつろわぬタタリ神へと届くことはなかった。タタリ神の傍に控えていた《鋼》──マサカドが割って入った。
金属の打つ合わさる音とともに猿猴神君の如意棒が弾かれた。
己の攻撃をやすやすと防がれたというのに神猴の表情に、口惜しさも憂いもない。《鋼》の性から湧き上がる喜悦によって口唇を割くような笑みがあった。
「ほー……。中華において知らぬ者なしの我が森羅を震わせる鉄棒を防ぐとは。やるのぉ、おぬし」
「某、坂東では無敵にて」
「無敵ときたか! 吹いたものだのお──くははッ、ご名答じゃあ!」
猿の軽捷さで一回転した猿猴神君が中空を舞う。
着地したあとには猿猴の仮面をかぶったサルがいた。そして先程まで真っ裸で毛むくじゃらだったサルは、猿回しのサルのごとく服を着ている。
いや、人に懐柔された畜生にしてはあまりに華美で豪奢。陽のごとき黄色の衣装を黒と緑の刺繍で飾り付け、裾は長い。京劇で『靠』と呼ばれる衣装である。
いまだ術式に縛られた惨めな神格とは思えない出で立ちであった。
「名も知らぬ神じゃが、侮れぬの。賢しらな神がきおったわ! ──そうじゃ、我は元より荒事を
猿猴神君だった者──花果山水簾洞の猿どもに崇められし美猴王。それこそ東照宮に封じられた神の今の姿であった。
「じゃが我はいまだ真なる名を取り戻しておらぬ。しつこい術によって
誰かに理想や理念を押し付けられると、拒絶し、反発するものだ。それは人も神も同じこと。神話という物語のなかで押し付けられた概念を否定し、自儘に振る舞うのがまつろわぬ神だ。
しかし、美猴王はいまだまつろわぬ神へと復帰できていない。
『弼馬温』という呪いによって龍蛇殺しの神としてまつろわされている。
「我をこの地に封ずる弼馬温を破るには条件が三つある。第一は、我の敵たる龍蛇の神格がおらねばならぬ。第二は、術式を弱める『式』を仕込んだ宝刀。第三は、禍祓いの巫女に宝刀をもたせ霊力を使わせること。じゃがこの聖秘儀のおかげで後ろ二つの条件は無視できる。所詮、宝刀も禍祓いも人の域を出ぬからの」
しかしの、美猴王は続けた。
「やはり──蛇よ。蛇がおらねば《鋼》の性は奮い立たぬ」
「
「ほほう」
興味深そうに美猴王が毛むくじゃらのあごを撫でながらタタリ神へと目線を向けた。
「昨今、世を騒がしている神獣どものなかに美猴王どのが喰らうに足りる神格がおりました。神に及ぶことはないにせよあれは蛇。それも最古の地母神につらなる極上の蛇です。一時の間なら『弼馬温』の呪縛を解くことがかなうでしょう」
「ふん! ……いかんの。それではいかん! 時が経てば我はこの地へと呼び戻されてしまうわい」
美猴王の冷水を浴びせるような言葉も意に介さずタタリ神は尺で口元を隠しながら、貴人に相応しき微笑を湛えた。
「我が秘策はその先にあります。最古の蛇にて美猴王どのが術式を破り、その合間に……
されば、美猴王は本来の名を取り戻すことでしょう。タタリ神はそう締めくくった。
「……っくっくっく」
美猴王はおもしろいとばかりに喉を鳴らした。この策、乗ってみるのも悪くない。
なによりこの暴れん坊の美猴王が、楽しそうな
「で? おんしらは我を解き放ち、何をさせたいんじゃ? 我にここまでする以上、なにか裏があるんじゃろう?」
「我らから望むことはありませぬ」
「ほー?」
タタリ神の言葉に美猴王は目を細めた。
「神君どのが荒ぶる本性を取り戻せば、自ずと世に混乱が巻き起こるでしょう。
「我に我らしくあれと! ますます気に入った! ──では、我の復活のあとに何を為す! もののついでじゃ、申してみよ!」
「なんのことはありませぬ、この聖秘儀を成した布袋どのの意志を継ぎ、最強の《鋼》を呼び覚まします」
「ははッ! あのものぐさ太郎殿をか? それはなんとも難儀なことじゃ!」
「さて? 我らも考えなしに事を起こすつもりはありませぬ。最強の《鋼》のための至高の王権……我が願いを天に轟かす三宝を集めています」
まつろわぬ菅原道真を三つの
「困難な道なれどもう一歩目は踏み出しています。一つはここに──名を
タタリ神が袍の裾から棒状の逸品を取り出した。
古ぼけてはいるものの美猴王にはその道具がもつ秘めたる力を感じ取っていた。
間違いなく不朽不滅の神具。南方の海洋の民にまつわる神具。美猴王もよく知る中国の創生神話”女媧と伏羲”の逸話と似た……この列島の創造神話に基づく神具だ。
かつて木更津で正史編纂委員会が厳重に封印していたこの神具は、先日アレクサンドル・ガスコインによって掘り返され、鹿島灘でニライカナイ島を創るために使用されたものだった。
委員会は神殺したちの戦いのなかで行方を見失っていたが……。
「幸運にも異国の神殺しと争ったときに首尾よく奪えました。ゆえに──残すはあと
冷厳な口調でまつろわぬ神は語った。
「美猴王へ望むことはありませぬ。ただ天地を
「乗った!」
パチン、と指をならして美猴王が跳躍した。
「我とおぬしの目的は合致しておる! 手を携えることになんら躊躇はなさそうじゃ。それに古老と呼ばれるあの者どもも『弼馬温』が破れれば必ずや一泡吹かせるからの! それを肴に一杯やるのも一興じゃろうて!」
美猴王の色好い返事にタタリ神は薄く微笑した。
幽世を切り取った青空の広がる空間に、夜が堕ちてくる。世の乱れを予兆するかのごとき暗黒が、洞の底から滲み出る。
深淵にひそむ怪物どもが、
ENJOY! 聖☆ラミアっ子学園×大メデューサ魔女学院〜蛇腹だいしゅきホールド&全身蛇鱗拘束ホールド君で薔薇色学園生活〜ですが、この時間軸ではアテナ様が引き起こした東京大規模停電の影響を受けていないために無事に発売されたという裏設定を今作りました。
アテナ様からのコメント「刷り直せ!! こんなもの世に出させるな!!」
カンピオーネよくわかんねぇ、、、つって毎回書いてるので面白く書ける方ホンマ凄い
この作品なんて祐理さんと護堂さんにガキッが出来ないのおかしいだろって反骨心から書き始めたようなもんだし……勃起不全
プロメテウス秘笈編からノリが変わるけどごめんなぁ!