「正直、お兄ちゃんにはやられた〜! って感じ」
静花の様子がおかしい。やけに兄と先輩に向ける目が冷たい。
妹からの圧力で早退した護堂と祐理の二人は、草薙家の居間で居心地悪そうに正座していた。
原因の静花は小柄な体躯と可愛らしい顔立ちからは考えられない醒めきった冷嘲を浮かべながら、丸氷の入ったグラスをマドラーでかき混ぜていた。
「静花、ちょっとおかしいぞ。兄と先輩への態度じゃないぞそれ」
カンカンカン。
護堂は閉口した。ウイスキーに入るような丸氷をマドラーで何度も何度も叩いて威嚇してくる。
いつもなら口うるさく罵ってくるのだが、今回は少し毛色が違う。まるで信じていた股肱の臣下に後ろから刺されあの世で怨嗟を吐いているようなやさぐれ具合。
……より的確に言うなら長年「俺、女性と縁がないんだよね」「だったらわたしが面倒みるしかないわね」などといってキープし続けていた男が横から掻っ攫われてしまったとでもいうべきか。
「お客様の前であんまり飲みすぎるなよ。失礼だろ」
「うるっさい、春から部活にも入らずにフラフラしてるし、先週あたりからいつにも増して上の空が多かったから。ちょぉ~~〜っとだけ心配してたんだけど……あれは全部あたしを油断させる演技だったって訳?」
「油断ってなんのことだよ」
ソファの上に女王のごとく君臨している静花はひとしきりセリフという名の文句を吐き出すと、手元にあったグラスを勢いよく煽った。
(草薙さん、静花さんのグラスはもしかしてアルコールが……?)
(いや、ない。入ってないはずなんだけど……)
別に酒精が入っているわけではないが妹の荒ぶり具合に本当に酒でも飲んでいるんじゃないかと錯覚してしまう。
心配させすぎたなあ、申し訳なくも思う。
静花の態度は心配の裏返しだ。いつの間にか心配させていたらしい。
気まずさから護堂はほほを掻いた。
「おや護堂も静花も、帰っていたのかい。ほほう、今日はきれいなお客さまを連れてきたね?」
と、そこで祖父の一郎が家に戻ってきた。
そして居間で姿勢正しく生真面目に正座している祐理を見つけると微笑した。
微笑と苦笑の入り混じったような気がしないでもなかったが。
一郎を見てすぐに家の人だと悟った祐理がしずしずとした所作で丁寧に頭を下げた。
「はい、万里谷と申します。今日はぶしつけに押しかけてしまい、申し訳ございません」
「ああ、聞いたことがあるね。静花と同じ茶道部に綺麗な子がいると。じゃあ、静花の先輩でもあるわけだね。護堂と仲良くなったのも、それが縁で?」
「そ」「それが、あたしは無関係なんだよね」
話出そうとした祐理の機先を制して、兄へと胡乱な眼差しを向けたのは静花だった。
片頬に手杖しながらマドラーで行儀悪く兄と先輩を指差していく。
「お兄ちゃんと万里谷さん、いつのまにか仲良くなっていたの。お休みの日にふたりでこそこそ、あたしに隠れて会うくらいだからね」
うぐ、と言葉が詰まっている護堂の代わりに祐理がそのあとを引き継いだ。
「静花さんとおじいさまに事情を説明いたします。静花さんはご存知かもしれませんが私は以前から神社に奉公に出ておりまして、草薙さんは私が困っていた時に助けていただき縁を結ぶこととなったんです」
「ふ〜〜〜〜ん。そうなんですねェ……」
明らかに真面目で非の打ちどころのないはずの先輩に向けるような声色ではない。今、護堂に向けているような猜疑心に溢れた目と同色である。
祐理はその眼光に少し腰が引き気味だ。
「あの、静花さん。困っていた件もそう大仰なものではないんです。恥ずかしながら私が奉公のため向かっていたところで迷子になり、一緒に探してもらったという経緯なんです。その縁でこちらからお願いしてたびたびお手伝いして頂いているんですよ」
「毎日のように真夜中に帰ってきたり、たまに帰ってこなかったり。一昨日なんてバカ兄貴と万里谷先輩が同じ時間に早退したから学校中の噂になってましたよ? 神社の奉公ってそんなに大変なんですか?」
「え!? ……ただの雑用ですよ? 草薙さんともお手伝い頂いているお友達でそれ以上でも、それ以下でも──」
まさか神様殺しの魔王と、日本の呪術師を代表する媛巫女がまつろわぬ神の面倒を見るため共同生活を始めたなど説明できまい。
「だったら茶道部にも休部届けを出すのはやりすぎじゃないですか? バイトの方が忙しくなるから休部するって話、もう顧問の先生から聞いてますよ」
「そうなのか!?」
それは初耳だ。
茶道部に所属していたのは知っていたが、まさかそこまで腰を据えていたとは。生真面目な祐理のことだから部活と百合若たちのことを天秤にかけて選んだのだろうが……申し訳なさが先に来て、顔を伏せてしまう。
「はい。間違いはありません。ですが私の判断ですから草薙さんが気にすることはありません」
「しかしなあ」
「もう、変に卑屈にならずしゃきっとしてくださいっ! 草薙さんは以前から少々行き当たりばったりすぎる所が見受けられます。その場の勢いに身を任せすぎだとは思いますが、判断に誤りがあるとは思ってはいません。胸を張ってください」
「す、すまん……いつも悪いな」
「うっ、何今の熟年夫婦のやり取り……」
祐理に叱咤されているとなぜか静花がダメージをおったようにふらついていた。
このまま混迷へと突き進んで行くかに思われたが、「全くしょうがないな」というウィンクが祖父・一郎のほうから飛んできた。助け舟を出してくれるらしい。
「ああ静花、言い忘れていたんだけどね、そちらのお嬢さんもゆかりのある神社の方から連絡を受けていてね。人の手が欲しい時期で護堂は数日ほど神社に泊まり込みになると聞いているよ」
「と、とと、泊まり込み!? 万里谷先輩と同じ屋根の下で!? ちょっと待って、それは聞いてないんだけど!? お兄ちゃん最低! 最悪! それが目的で万里谷先輩に近づいてたってわけ!?」
助け舟じゃなかった。
過剰反応する静花をさらっと受け流し、一郎はなんてことないように微笑を続けた。
「まあまあ。静花もそれくらいにしておきなさい。中学までは護堂を一人占めできたけれどそろそろ兄離れするにはいい時期なんじゃないかな」
「おおおおおじおじおじいちゃん何を言ってるの???」
何故か祖父の言葉に激しく動揺している静花を不思議がっていると、祖父は護堂のそばに近寄ってぼそりと言った。生真面目そうな祐理を見やりながら『護堂、責任が取れないうちは線引きをして後腐れがないように気をつけないといけないよ……』などと呟いて肩に手を置いてきた。
えらく含蓄のある言葉のようだが、何を指す内容なのかはよくわからなかった。
「とにかく。うちはOKだから安心してやってきなさい。……さて、お昼の用意でもしようか。今日はもう一人お客さまが見える予定でね、良ければお嬢さんも食べていきなさい」
「やあ久しぶりだね護堂くんも静花ちゃんも。先にお客様が見えているところ悪いけれどお邪魔させてもらうよ」
「お客さんって高松先生だったのか。お久しぶりですね」
祖父の旧友高松先生が訪ねてきた。
高松先生といえば護堂がカンピオーネとなる契機となったイタリア旅行に少しだけ関わりのある人だ。
一郎が神具"プロメテウス秘笈"をサルデーニャの魔女"ルクレチア・ゾラ"へ渡しに行こうとするのを止めてくれたのが高松先生だ。
それが巡り巡ってその役回りが護堂へ回って来て、神を殺めたのだから世の中分からない。
彼は私立大学で西洋史を教えている教授。
祖父・草薙一郎も以前は教授をしており、彼らが大学生のころから付き合いのある人物で付き合いも相当古い。
酒瓶となにやら小包をかかえた高松先生は慣れた歩き方で草薙邸へとあがりこむと、居間で向かい合っている護堂、静花……そして大和撫子然とした和風美少女の祐理を視界におさめ──目の光が消え失せた。
「血、なんだろうね……。君も一郎さんの薫陶を受け継いだ立派なお孫さんということかな……」
「あの、先生。なにか誤解してるみたいですけどこの子とはそういう関係じゃないですよ」
余談だが、高松先生は護堂と会うたびにプレイボーイとして名を轟かせていた祖父にそっくりになっていく護堂を案じ、『一郎さんに似てきたね……』と心配を口にしていた事を追記しておく。
変な誤解をされているが、その誤解をとく前に一郎が話を進めた。
「お客様がいるから手早く済ませてしまおう。高松くん、それで僕に見てほしい逸品とはなにかな?」
「ああ、それが最近私の手元に流れてきたものでね。私の専門は西洋史だから明らかに管轄外なんだが、どこも管理する予算がないというから引き取ってしまったんだ」
護堂は既視感をおぼえた。
カンピオーネになる発端となったプロメテウス秘笈は祖父が持ち込み、高松先生もその場にいた。
今回は逆だが状況は酷く似ていた。
高松先生が風呂敷から出したものは──釣り針だった。
古ぼけた釣り針で、旧石器時代を思わせる原始的で無骨な代物だった。
J字に大きく湾曲し、貝か骨かを材料にしているのか乳白色。金属ではないが光沢があり、そこら辺の安っぽい鉄よりかは余程頑丈そうだ。
緻密な装飾がそこかしこに彫られヤクザの刺青のようだが、それよりも──
「え、
静花が率直な感想を述べた。
「そうなんだ、わたしもそこが不可解でね。普通、こんな大きな釣り針は必要ない。少し調べてみたがマグロ漁で使う釣り針だって良いところで手のひらより大きいサイズのものしかなかった」
高松先生は比較用に持ってきたのか、手のひら大の釣り針を並べた。
二本並ぶと、まるで槍の穂先さながらに大きく鋭い古ぼけた方の異様さが目立つ。
「カジキやクジラを捕るなら釣針より銛を使うはずだろう? それに、どうも日本の工芸品にも見えなくてねぇ。東南アジアやインドあたりにも知識のある一郎さんの意見を聞いてみたかったんだ」
「なるほど」
そう言って一郎はしげしげと身を乗り出して観察し始めた。
「そうだねぇ。刀剣の類が祀り上げられて儀礼に使用され、実用品からかけ離れるなんてのは良く聞く話だね。でもこの釣り針の奇妙なところは"使用痕"がある点だ」
「使用痕?」
「ほら、針の部分に滑らかな光沢が見えるだろう?」
一郎が指差した場所には掠れた部分があった。静花が感心したようにうなづいた。
「ほんとだ。じゃあ、大昔の人たちがこれを使ってマグロなんかを釣ってたんだ」
「どうだろうね」
一郎は楽しげに言った。
「僕の勘だと最近使ったように思えるけどね……でも。マグロやカジキといった魚類じゃないとしたら、これを使った人はいったい何を釣り上げたんだろうね?」
「一郎さんはコレを最近使ったと思うのかい? 僕が見るに、そもそも古代に制作されたものにしては状態が良すぎやしないかい? 古ぼけてはいるけど」
「材料は骨にせよ貝にせよ、少なからず腐食するはずだけど……」
面白そうに巨大釣針を囲んで意見を交わす教授と元教授を尻目に、祐理がじぃっとテーブルに置かれた逸品を凝視していた。
「……万里谷、どうかしたか?」
護堂の呼びかけに祐理は答えることはなかった。祐理はすでに茫洋とした表情となり、視線は定まらず、心はここになかった。
──幻視。
万里谷祐理はたまに優れすぎる霊視能力が高じて幻視を見る。
祐理はいま、素足のまま波の打ちよせる砂浜に立っていた。しわぶく波が足を濡らす。
ザァザァとさざめくビーチにおよそ20mはあろうかという海嘯が、造り上げられた。
壮烈にして荒々しく。見るものを立ちすくませる。祐理は大自然の生み出す大波に見惚れるばかりだった。
『あはは。あはは』
神々しき大波を統御するものがいた。
年若い少年が愉快げに笑声をこぼしながら、粗末な木板で海嘯をねじ伏せる。
稚気に満ちた少年。だが同時に激しい気力を秘めた──英雄の相を克明に刻んだ少年。
「島を渡る征服神……」
ぼんやりとした思考のなか言霊が出た。
「漁撈は決して《征服》を意味しない。略奪は決して《征服》ではない。……漁師でも、略奪者でもない」
「──彼は、決して"男"のみで海を渡ることはない……」
霊視の言霊が口をついて出た。
「蓬莱──曙光の昇る東方を目指す人々は、遥か彼方の島々を
「子をなし地へ満ちるために……」
「同じく《征服》という記号を内に秘める彼も……また──」
そこで口を閉じた。
大海嘯の頂点で、玉座のごとく粗末な板に乗った彼は、祐理を見据えた。
赤銅色の少年が赤ら顔の美貌を崩して、薄っすらと微笑し。
『また、逢おうね──』
…………………………。
………………。
…………。
「万里谷、万里谷」
気づいた時には、護堂に肩をゆらされていた。霞がかった思考を振り払うために頭振った。
護堂が差し出してくれた水を流しこむと、やっと意識が明瞭に近づいた。
「万里谷、もしかして何か視えたのか?」
「はっきりとは……ですが南方、それも海を渡る《鋼》の征服神のすがたが視えました。おそらくこの釣り針の
祐理は決然とした表情で、高松先生へと声をかけた。
「ご提案があるですが……私は神社へ奉公をしている身なのですが、こういった古い工芸品を管理する団体と縁があります。もし、持て余してらっしゃるようでしたらお預けしていただけないでしょうか」
「えぇと、君は?」
「あ、茶道部の先輩なんです。神社でバイトをなさっていて……」
「うーん。そういうことか。……わたしも引き取ったのはいいけど、君の言う通り実は持て余し気味でね。話を聞かせてくれるかな?」
高松先生が持ち込んだ神具を正史編纂委員会へ引渡し、七雄神社へ戻った時にはすでに真っ暗だった。メリッサはどこかへ消え、寝かし付けられた百合若が居たから最低限の仕事はしてくれたみたいだ。
「「はぁぁぁぁ……」」
星を見上げながら二人揃って溜息を吐いた。
朝っぱらから騒がしい一日を終え、やっと静かな時間に漕ぎ着けた。
気力もなくシャワーと食事を終え、軒先で二人並んでうちわをあおぐ。
ただ、暑さもあって纏う服に布地が少ない。なるべく意識しないよう心掛けているが、祐理の優秀すぎる身体のラインが透けてみえてしまう。
邪念がこれ以上及ばないよう念仏を唱えていると、ふと祐理が懸念を述べた。
「夕べ、高松先生のお持ちされた例の釣り針のことです」
「ん? あ、ああ。あの釣り針がどうかしたか」
「……。これは私の勝手な推測なので、あまり本気に捉えて貰いたくないのですが……あの神具には確かに最近使われた痕跡がありました。そして、もしかすると神具を使ったのは布袋を名乗ったミルクだったのではないでしょうか」
「あいつが?」
声が硬質さを帯びるのを自覚しつつそれより興味を引いた。
なぜあいつの名が出てくるのだ?
「先日、鹿島灘に現れたニライカナイ島はアレク王子が神具『天之逆鉾』をつかって創り上げた島でした」
「ああ、あいつが『天之逆鉾』を木更津から発掘したんだっけ」
「はい。ですがそれではおかしな部分が出てくるんです。アレク王子が『天之逆鉾』を発掘される以前にも布袋はニライカナイ島を創り上げていたはずです。草薙さんの檻として作り上げた"第一"のニライカナイ島を」
アレクが『天之逆鉾』を使い"第二"のニライカナイ島を作った。
しかしそれ以前にも護堂やオオムカデが囚われていた"第一"のニライカナイ島も作られていた。
それも天之逆鉾以外の神具を使って。
「"釣り針"と"槍"って違いはあるけど、どっちも本質の性質に代わりはないんだったっけ」
「はい。先程、馨さんからも確認させていただき……槍と釣り針に決定的な違いはなく、役割は変わらないと仰っていました」
布袋の使用した釣り針。そして祐理の霊視で見た征服神……また謎と不安要素が増えた気がする。
「はあ。嫌な予感ってやっぱり外れないもんだな……なあ、万里谷。なにかあったら俺の名前を呼べよ」
「え?」
「これから先、何が起こるか分からないだろ。万里谷も神様に襲われることがあるかもしれないから保険みたいなもんさ」
格好つけたのはいいが、すぐに護堂は言いにくそうに鼻をつまんで擦りはじめた。
「正直まだ使ったことがない権能だから確証がない。多分、俺と相手が顔見知りで、相手が危機的状況にあって、どちらも風が吹く場所にいること──この条件を満たしていれば、使える力なんだと思う」
「そうなのですね……分かりました」
即決で答えが返ってきた。
「分かりましたって、いいのか? 不確定すぎる力なんだぞ?」
「でも、信じていますから。草薙さんは困っている隣人を放っておけるほど薄情にはなれないでしょう? 必ず及びしますから、絶対に来てくださいね」
「お、おう」
えらく信頼されしまったものだ。
護堂は強くうなづいて、それから眠くなるまで星を眺めていた。