「へぇ、すごいな」
『湖月堂』と記されたプレートのかかるドアを開いて中に入ると、多種多様な民芸品が護堂たちを迎えた。祖父が民俗学をやっている護堂からしても物珍しい品々についつい目移りしてしまうほどだ。
奥には人影があってなぜか和服姿で眼鏡をかけた女性で、甘粕たちを迎えた。どうやらこの店の主らしい。
「あら〜、申し訳ありません媛巫女さま〜。人払いがそのままになっていました」
甘粕と万里谷をほんわかとした笑顔で迎えた後、なにやら驚いた様子で護堂を見やった。驚くというより不思議がるように護堂を見やり首をひねっていたのだが。
やっぱり俺が居たらマズかったのだろうか。護堂は頬を掻きながらそんなことを思い、女主人は甘粕に近づくとコソコソと耳打ちしていた。
「甘粕さん甘粕さん、誰なんですかあの子? 見たところ一般人に見えますけどぉ。お知り合いなんですよね〜? 媛巫女のボディーガードというようには見えませんけど……」
「彼がボディーガードを引き受けてくれればこれ以上ないでしょうが、違いますねぇ」
「はあ、そんなに強そうには見えませんけどぉ」
あはは、と飄々と甘粕は笑った。
「私も戦っている姿を目にしたことは無いので彼の実力のほどは測りかねますねぇ。彼とはさっきあったばかり初対面ですしね」
「えぇ? つまり甘粕さんはあの子が誰か知らずに連れて来たと?」
「知っているかと聞かれれば知っていますが……まぁ、このまま追い返すのも上手くないでしょう。我々にとっても、この国にとっても」
何故こうなったのだろう。
護堂はティーカップになみなみと注がれた紅茶を眺めながらふと思った。
万理谷を見事送り届け、その場を辞そうとした護堂を引き止めたのは、他でもないくたびれた男性──甘粕冬馬だった。
ここで出会ったのも何かの縁。一緒にお茶でもしませんか? と。
女主人と祐理にジト目で見られながら気楽に笑う姿はなかなか一見の価値があった。だからという訳ではないが勧められ席に座って、香りのいい紅茶に口をつけているのも仕方がないのかもしれない。
「あの……。なんの集まりなのか分かってないんですけど、俺もいていいんですか?」
「ええ。大丈夫ですよ」
ニコニコと笑いながら、貴方と無関係とも言いきれませんし、そんな副音声が聴こえてきそうな意味深な視線を送ってくる姿にあんまり考えたくはなかったが"甘粕という男性は自分の正体に気づいているのかもしれない"とチラリとよぎった嫌な予感を紅茶の香りで誤魔化した。
「うちの店に初めて来られた御二方に説明致しますと〜、私のお店では輸入雑貨を取り扱っているのですが仕入れるなかにたま〜に妙なアンティークが混ざったりしまして」
「なるほど。
「ええ、しかも最近仕入れた品々のなかに気になる逸品がありまして〜。
言葉の端々になにやら含みを感じ、護堂の頬が盛大に引きつったがティーカップを口に運び、何とか誤魔化した。護堂だけ異様に紅茶の減りが早いため、祐理が不思議がりながら丁寧な所作で注いでくれるのが申し訳ない。
素知らぬ顔をして祐理に礼を言いながら棚に並ぶ雑貨を眺める護堂の心中は、淹れたての紅茶のように波打っていた。
「みなさんは近ごろ関東の沖合いでいくつもの船が漂流している話を知っていますか〜?」
「ああ、あれですか。海上保安庁の巡視船が見つけた誰も乗っていない謎の舟。うちの部署にも問い合わせが来たのですが、誰かのイタズラなのか本当のオカルトなのか。まだ判断を決めかねているんですよねぇ」
「そういえばニュースでやってましたね。宝船がどうとか」
ここ一週間ほどの話だ。甲信地方で発生した大規模なガス漏れ事故と並んでお茶の間を騒がせているニュースで、伊豆半島以西から相模湾や房総半島、鹿島灘付近までの範囲でたびたび金銀財宝が満載された無人の船が流れ着くらしい。
ヨットのようにセイルを張った帆船なのだが、金属製に覆われた船舶ではなく木製の舟だ。デザインも江戸時代に建造されていた弁財船を思わせるものだという。
警察や海上保安庁をはじめとした各省庁が調査を行っているらしいが詳しい事は分かっていない。
「はい〜。たまたま海上保安庁の目をくぐり抜けて
「やれやれ、私どもでも把握出来ていない舟があったのは我々の落ち度ですが何故そう危なっかしいものに手を出すんですかねぇ」
「うちも商売ですからね〜。いい加減、オークション成功間近になって差し押さえられるのも辛いんですよぉ、だからこうして正式な鑑定依頼を出したんじゃないですかぁ」
「……あの、甘粕さん。なんのお話なのでしょう?」
「いえいえ、何でもないこちらのですよ」
この二人、思った以上に仲は親密というほどでもなさそうだ。護堂はさっきの会話で何となく複雑な事情を感じつつ、何故この店のレジカウンターの棚にはぎっしりとアメコミが並んでいるのか考察しながら思った。
「まあ、簡単にいうと万が一、
「そんなところです〜」
仕入れた品を取りに奥へ引っ込んだ女主人から視線を外し甘粕は、今度は祐理の方へ目を向けた。
「という訳でその鑑定を媛巫女……いえ、優れた審美眼を持つ貴女にお願いしたいのですよ」
「はい本日はよろしくお願いいたします」
丁寧な所作で祐理が頭を下げた。
彼女は制服姿なのだがその纏う雰囲気が、護堂に白衣と赤袴を幻視させた。
静香からはアルバイトと聞いていたがまるで本職の巫女さん顔負けだなぁ、とぼんやりと席を立って商品棚を眺めた。
さすがは輸入雑貨店というべきか目移りしてしまう。キリムと札に書かれた精緻なデザインのラグに花びらが刻印された小石、まさに面妖というべきお面や、よく運びこんだなと思うようなトーテムポール。
そして何となく気になった怪しげな壷の開けてみる。
するとおどろおどろしい瘴気が漏れだし、開放されたことに歓喜の表情を浮かべた……かと思うと護堂の視線に気付いて青褪めながら脱兎のごとく壺の中へ帰って行った。
お、俺は何も見てないぞ。
何食わぬ顔で、スー……と壷を元の位置に戻す、祐理が本職の巫女ならこちらは本職の魔王である。
そうこうしている内に湖月堂の店主は古ぼけた千両箱を持ってきた。
かなりのサイズで護堂の身長より大きいように思える。
千両箱というより棺という方がイメージは正しく伝わるかもしれない。
年代物で所々黒ずんた千両箱は話のとおり、帆船に積まれてあったからか僅かだが潮臭さを感じる。
この箱だけでも相当な価値がありそうに見えるが、ただの入れ物らしい。
「これなんですけど〜」
女主人がのんびりとした言葉遣いからは予想もつかないような丁寧で機敏な所作で箱を開けた。果たして中に入っていたものは。
「……棒?」
覗き込んだ護堂が言うように千両箱に納められた品は、先端に丸い宝石のついた棒だった。
ただ、中に入っているのは棒だけではなく棒全体をプラスチックを思わせる透明で硬質な物体が包んでいた。イメージ的にはかの名作
「どうですか万里谷さん、なにか感じませんか?」
「甘粕さん、わたしも何でも『視える』わけではないんですよ。そんな都合のいいものではなく、何も分からないことも多いのですから」
そう説教臭い言葉を口にしながらも祐理ははっきりとした口調で鑑定結果をくだした。
「おそらく仏の持物*1にある宝棒*2の一種でしょう。私見ですが……仏敵を打ち据える武器というより、宝物としての側面が色濃いように感じます。如意宝珠の装飾もありますがそれほど力は感じません」
「とすれば骨董品以上の価値はないということでしょうか〜?」
「ふぅむ。宝棒ですか……三形*3では大威徳明王*4や馬頭観音*5が挙げられますが万里谷さんのお話だと毘沙門天*6や吉祥天*7に縁のあるものでしょうかねぇ」
「宝船に宝棒と来れば毘沙門天の霊験あらかたな品でしょう〜。ふふ〜、次のオークションが楽しみになってきました」
どうやら鑑定とやらは終わったらしい。少し前までの緊張感はなく弛緩した空気が流れはじめた。
ただそれは甘粕と女主人だけで祐理は一人、難しい顔で千両箱の中身を覗いていた。
「…………」
「もしかして他に気になることがあるのか万理谷さん」
「あ、いえ……こちらの宝棒を包んでいる物はなんだろうと気になってしまいまして。えっと、気にしないでください」
「いえいえ。馬鹿にしたものではないですよ」
耳敏く護堂たちの会話を聴いていた甘粕が割って入ってきた。どうにもこの男、無駄に仕草に隙がない。
ただの背広を来ただけの公務員ではないらしい。
そういえば湖月堂を訪れた時もいつの間にか後ろに立っていたな、と反芻した。
万理谷の方も同じくそんな思考に至ったのだろう、視線が合うと示し合わせたように苦笑しあった。
「……見た事がない材質ですねぇ。プラスチックという割には生物的すぎますか」
「う〜ん、うちの馴染みの鑑定士に回して見ましょうか? 考古学的な知識なら私たちより詳しいでしょうし〜」
「私もそちらが望ましいと思います。あくまで私は危険かどうか判断するのみでそれ以上に踏み込んだところまでは知識が足りませんし……」
三者三様話し合っているところで護堂があんまり空気を読まずに透明な"なにか"をコンコンと叩いた。
「これって虫の抜け殻じゃないんですか? こんなデカイ虫見た事ないですけど」
「はは。確かにセミの抜け殻に似ていると言われればそうとも──万里谷さん?」
ふと見れば祐理が心ここに非ずといったふうに虚空を見つめ、不可解な言葉を吐き出した。
「完全ではない、残骸……いえ、完全でないからこそ残骸……本質を抜き取られた後の抜け殻……。宝物を失った箱とおなじ……供犠に捧げられた死骸の欠片……」
異様な光景だった。明らかに正気を失っている祐理が謎の単語をぶつぶつと呟いているのだ。
「どうやら霊視が降りたようですね」
「霊視?」
「ええ。祐理さんは関東でも有数の『媛』の位を持つ巫女さんでして、とりわけ霊視と呼ばれる託宣の能力に優れた巫女さんなんですよ」
──どうやら、年貢の納め時というやつが来たのかもしれない。湖月堂に入った視点で薄々察していたが明らかに甘粕や祐理たちは護堂が関わってこれまでろくな目にあっていない魔術師どものお仲間だ。
ここから入れる保険はあるんだろうか、保険なんかに加入した日には保険会社に即日詐欺で訴えられそうな魔王は悩みはじめた。
「失礼しました。理由は分かりませんが鹿島神宮の風景が視えました。何度かお勤めで訪れているので間違いないと思います」
「鹿島神宮、ですか。なかなか厄介な場所が出てきたものですな……ふぅむ、どうやら我々の手には負えない案件になってしまったようですねぇ。そうは思いませんか草薙さん」
「え! いや! 俺に振られても困るというか」
全力で目を逸らしていると、俯いている祐理が目に入った。そして尋常ではない様子に声をかけざるを得なかった。
「……なあ、万里谷さん顔色が悪いけど大丈夫か?」
顔色が悪いのではない。たしかに蒼白だが、それ以上に表情がないのだ。能面の微笑のごとき表情。
夜叉だ。護堂は確信した。
世に夜叉女がいるとするなら今の祐理のような顔をしているに違いない。そう錯覚するほど祐理の顔は恐ろしく、そして鬼気迫っていた。
「確認したいことがあります……。先ほど鹿島神宮を視た際に、私の霊眼が草薙さんを見抜いてしまいました。非常にぶしつけな真似をしてしまった無礼、どうかお許しくださいませ」
俯きがちだった顔に意志を宿して、決意を秘めた視線で護堂を射抜いた。
「御身の逆鱗に触れるような失態がありましても、罪は私ひとりのものとなります。どうぞ、お怒りは我が身にのみ下されるよう、ご寛恕を請いとうございます。……ですが、これだけはお応え願います。草薙さまあなたはもしや──」
からん、からん。祐理の放つ厳かな雰囲気を振り払うように湖月堂の来店を知らせるベルが鳴った。
「──私に内緒で楽しそうな話をしているじゃない護堂」
千客万来。雑多な湖月堂の店内に似つかわしいほどの美麗な声が響いた。
護堂にとっては最近嫌になるほど聞き覚えのある声だった。いやいや振り返れば、日本にいるはずのない人物がいた。
赤みがかった王冠めいた金髪に、護堂が知る限り、どんな女性より華麗に映える美貌。ミラノの《
「……どうしたの護堂? メドゥサに見つかった侵入者みたいな顔してるわよ?」
別に悪いことはしていないのだが、動揺を隠せなかった。
「そ、そりゃ日本で会うはずない奴と出くわしたからな。ここはミラノじゃなくて東京なんだぞ? こんな所で油を売ってる理由は何なんだよ」
「さぁ? 何かしら? 遠距離恋愛中のわたしが遠路はるばる来てあげたって言うのに、儚げな少女と妙齢な女性二人と密会するような浮気性の恋人に呆れているのかしもしれないわね?」
傍にまでやってきたエリカは優しい手つきでふとももを撫でたかと思うと、唐突に語気を強めてギュッとふとももを抓ってきた。
「いでで! ……密会だなんて、というか! な、なんでここが分かったんだ!? まさか付けていたのか!?」
「失礼なことを言わないでちょうだい。あなたの家を訪ねても誰もいらっしゃらなかったから仕方なく探索の術で探し当てただけよ、まったくわたしは自称平和主義者のあなたと違って忙しいんだから手間を掛けさせないでちょだい」
「それを付けてるって言うんじゃないのか!?」
「まあ護堂ったら、愛しい恋人に対してご挨拶だこと。でも護堂も悪いのよ? 私の把握してないところでホイホイこんな場所にまで連れ込まれて……」
クソ、それを言われたら何も言い返せない。護堂は苦虫を噛み潰したよう渋い顔をして、己の悪因悪果を呪った。不用心に誘いに乗って厄介事に巻き込まれたのだから自業自得である。
「さっきあなた
嫣然とした所作でしなだれかかりながら言い募ってくるエリカに護堂は白旗を上げた。
「草薙様、先ほどの質問にお答えください」
言葉を遮られ今まで黙していた祐理がふたたび口火を切った。顔面が蒼白だ。
自分の敬称も変化していたが祐理の尋常ではない様子に気を取られて、気付き、訝しむ余裕がなかった。
「それより万里谷さん、顔色が──」
「──お答えください」
大人しそうで温厚そうな彼女からは想像もつかないような強い言葉だった。困ったように視線を巡らすと、すぐ傍にいたエリカと視線がかち合った。
エリカは意を汲んだように口を開いた。
「ええ、そうよ。こちらにいるのは私たちが『王』と崇める羅刹の君。七人目のカンピオーネよ」
反応は顕著だった。
甘粕はやれやれと困ったようにため息を吐き、女主人は人間だと思って喋りかけていたらヒグマだったというような驚愕を貼り付け、祐理は青白い顔をさらに悪くして生気をなくすたようにくずおれた。
「万里谷さん!」
護堂が駆け寄ろうとしたが甘粕に押しとどめられた。
「草薙さん、あなたは近づかない方がいいでしょう。……申し訳ありませんが、お願い出来ますか?」
女主人はうなづいて祐理を抱えながら店の奥へ引っ込んで行った。
「彼女、どうしたの? いくら予想外だったとしてもカンピオーネを前にしただけであの反応は異常だわ」
「気を悪くしないでください。万里谷さんはヴォバン侯と古い知り合いでして」
ヴォバン。名前と噂なら聞き覚えがあった。時代遅れの魔王気取りで偏屈な爺さんと聞き及んでいたが、エリカは名を聞いただけで多くのことを悟ったらしい。彼女にしては珍しく気落ちした風な表情を浮かべていた。
「そうなの。……あの子には悪いことをしてしまったわね」
「いいえ、お気になさらず。その件に関しては完全に草薙さんとの接触とカンピオーネの真贋の確認を優先してしまった私に非がありますので」
「……甘粕さん。あなたも関係者なんですね?」
「はい、自己紹介が遅れたことをお詫び申し上げます『王』よ。正史編纂委員会のエージェントをやっております甘粕冬馬です。改めて以後お見知りおきを」
薄々勘づいていたが甘粕もそちら側の人間だったらしい。
知らず知らずのうちに厄介事に巻き込まれていたのもあるが、さっきまで悪くない関係を築けていると思っていた少女を怯えさせてしまった事に護堂は今日は何度目かのため息をついた。
祐理が心配だったが、彼女に整理がつくまで時間を置いた方がいいとエリカと甘粕に諭された護堂は、甘粕が眠ってしまった祐理を家に返す手配をしている間に、さっき起きた出来事をかいつまんで話した。
すると途端にエリカは黙り込んでしまった。
「どうしたんだ? 急に黙りこんで」
「……いえ。流石はカンピオーネ、闘争と騒擾に愛された存在なのだと改めて感じ入っていったのよ。私のここ数ヶ月の懊悩はなんだったのかと呆れてしまうほどに」
「ちょっと待て。さっき聞き捨てならない言葉が聞こえたぞ!」
護堂のツッコミを戻ってきた甘粕が元気ですねぇと苦笑し、エリカはと言うと千両箱の中に入った宝棒を眺めながら思い出すような仕草をとった。
「鹿島神宮の祭神はタケミカヅチといったかしら。軍神と雷神のハイブリッドで典型的な天空神の性質を備えた神と記憶しているけれど」
「ええ。我が国の創造神イザナミが妻を焼き殺したカグツチを斬り殺した時に生まれた神というのは有名な話ですな。葦原中国平定の立てた剣の切っ先に座り込んでオオクニヌシに談判したという伝承はギリシア神話の軍神アレースの示現である"直立した剣"を想起させる逸話です」
「地震を起こす鯰を要石で封じたという伝承も、鯰を大地の神獣と仮定するならペルセウス=アンドロメダ型神話*8のような征服される地母神とまつろわせる天空神のメタファーとも言えるわね」
エリカと甘粕の会話にそうそうについていけなくなった護堂は結論を求めるようにふたりへ質問を投げかけた。
「結局、この宝棒と鹿島神宮って関係あるのか?」
「私も日本神話はまだカバーしきれてない部分があるわ。日本呪術界の代表として正史編纂委員会の見解が聞きたいわね?」
「……と、言われましてもなぁ。私はしがない下っ端公務員でして代表と言われても微妙なところです」
そうですねぇ、と間を置いて話はじめた。
「知っての通り、鹿島神宮は関東でも由緒ある東国随一の古社です。古くは対蝦夷の最前線基地としての役割もあったようです、蝦夷の指導者アテルイの首、悪路王の首級が所蔵されているくらいですからねぇ。その時アテルイに勝利したとされる坂上田村麻呂が毘沙門天の化身と言われています」
「毘沙門天の化身、坂上田村麻呂……か。
「そうなんですよねぇ。どうしても、
護堂は首をひねったがすぐに気づいた。これまでの話に出てきた神や伝承はほとんどが戦いの神としての側面だけで語られているのだ。
しかし祐理の言葉を借りるとすれば、この宝棒は武器というより財宝としての価値に比重が大きいらしい。
完全に行きどまってしまった会話をよそに、護堂は"鹿島神宮"という言葉を聞いてからから気になって仕方がなかった疑問を口にした。
「なあ、一応聞くけど鹿島神宮ってサンタと関係があったりするのか? もしくは祀られてる神様がサンタと縁があったり」
「護堂ったらわたしが日本の神話に詳しくないとタカをくくって試しているのかしら? 否よ。私の知る限り、鹿島神宮のゆかりのある神でサンタクロースに縁がある神格は心当たりがないわね」
「やっぱりそうか」
その手の専門家のエリカなら、と思ったがやはり色良い返事は返ってこなかった。
「……護堂はサンタと関係ある、そう思っているの?」
エリカの言葉に肯定するでも否定するでもなく頬をかきながら曖昧にうなづいた。
「あー……クラスの奴が言ってたんだよ。ここ最近、黒いサンタの目撃情報があるって」
「黒いサンタ?」
「しかも関東の海沿いで度々目撃されているらしい。えーっと、このサイトだ」
護堂は携帯を取り出して高木に教えてもらったサイトをふたりへ見せた。
「ふむ。現在調査中の案件ですな……と言っても我々も忙しくて全く手が出せていない案件なのですが」
「宝船に七人目の『王』、そして霊障。たしかに今の正史編纂委員会は不運としか言いようがないわね?」
「おや、そちらも把握済みでしたか。流石に地獄耳ですなぁ」
最新の情報では黒サンタは鹿島神宮がある鹿嶋市のすぐ近く、神栖市に現れたらしい。それも1時間前の話だ。
「俺が見た時は犬吠埼に現れるかどうかって段階だったんだけどもう茨城に居るみたいだな」
「よく見せて頂戴……。黒サンタを写した写真はないのね」
「ああ。でも出現場所は結構書き込んであるぞ? 伊豆半島の熱海市と伊東市、神奈川の小田原に足柄、千葉は南房総市から佐倉と成田か」
「宝船の漂流範囲と合致するわね」
「でもそんな場所にサンタに纏わる伝説なんてあるのか? それも黒だなんて」
エリカにも正直心当たりはない。快刀乱麻を断つような知恵がない以上、ふたりは考えこみながら小一時間悩んでいた。
そしてサイトを見ていた甘粕が提案した。
「見方を変えて見るのはいかがでしょう? 赤サンタ、黒サンタ、という考えではなく
「赤くないサンタ、ですか。そもそも赤くないサンタっているのか?」
「元々、赤いコスチュームの老人が世界中で市民権を得たのは最近のはずよ。"サンタクロースがトナカイのソリに乗って現れ、子供たちにプレゼントをばらまく"……この定型はたしか十九世紀のアメリカで確立されたわ」
「そもそも日本のサンタクロースという呼び名もアメリカから輸入したところから始まっていますからなぁ。オランダ系移民がアメリカに持ち込んだサンタクロース文化ですが、原型となったのは聖ニコラス。キリスト教の守護聖人です」
甘粕はレジカウンターからメモとペンをとるとSaint NICOLASーSint NikolaasーSinterklaas.そして、最後にSanta Clausと綴ってみせた。
聖ニコラス(Saint NICOLAS)をオランダ式に読むと
これが訛って『シンタクラアス(Sinterklaas)』となり、『サンタクロース(Santa Claus)』とアメリカ式に発音するようになったのだ。
「今でこそ豪華絢爛なイメージが根付いたクリスマスとサンタクロースですが、原型となった聖ニコラスが配り歩いたプレゼントは木の実や果物と言われています」
「シンプルっていうか、夢がないプレゼントですね」
「ええ、まあ。結局は『冬の祭日に聖なる者が来たりて、大地に豊穣をもたらす』宗教儀礼ですので」
「話を戻すわ。ここで注目すべき点はこの関東に出没するサンタが、赤でも、白でも、灰色でもなく──黒という点でしょうね」
「黒が?」
「護堂、あなたは知らなかったのでしょうけど実は
「そうだったのか!?」
驚きの声を上げる護堂へ補足した。
「ドイツやオーストリアに見られるブラックサンタないしクネヒト・ループレヒトと呼ばれる……まあ西洋版なまはげと言っていいんでしょうかね。赤くないサンタがもしいるとして白や灰色であれば我々は現在のサンタクロース成立以前の大地に属する豊穣の神格にしてキリスト教の守護聖人を疑ったでしょう」
「そうね。でも黒となれば話は別……一年に一度、異界という聖域からやってきて聖なる施しや煌びやかな財宝を渡し、歓待されて帰っていく。彼らはこう分類されるわ──
だいぶ遠回りしてしまった気もするが、何となく一連の騒動を起こしている輩の正体が見えてきた気がした。
「この来訪神としての側面は宝棒を三形とする毘沙門天も持っていると言えます。なにせ彼の神がメンバーに加わっている七福神もサンタクロースと同じ来訪神に分類されます」
「七福神って……あの七福神ですか?」
福の神オールスターズとも言える日本神話界のビッグネームだ。もちろん神話に詳しくないとはいえ日本生まれ日本育ちの護堂にも馴染み深い神だ。
「そうです。元旦に枕元に七福神の絵を入れて眠るといい初夢を見られる、コレ一年に一度現れる来訪神の性格と同じじゃありませんか?」
「確かに……ん? でも来訪神は異界って言う外の世界から来るんですよね。七福神は日本の神様じゃないんですか?」
「実は元々七福神は外来の神で構成された外からやってくる神様の集団なんです」
例えば大黒天。ヒンドゥー教の神シヴァが元ネタなのは有名な話だ。
例えば毘沙門天。これもヒンドゥー教の神クベーラが元ネタだ。
例えば弁財天。例によってヒンドゥー教の神サラスヴァティが元ネタとなっている。
例えば福禄寿と寿老人。こちらは両方とも道教の南極星の精が起源と言われている。
例えば布袋。中国の禅僧契此が由来となっている。
最後のエビスだが、彼の神は七福神では唯一日本由来の神だ。しかしエビスは元々イザナミとイザナギの長子だったが不具の子であったため海に捨てられ、海を漂流して流れ着いた外来の神という考え方もできる。
「七福神も初期は道教の最高神三清*9のような三位一体の形をながらく取っていたとされています。エビス、大黒天、毘沙門天の三柱ですね。ですが江戸時代に入ってから日本人のコレクター気質なんでしょうかねぇ……弁財天はともかく福禄寿や寿老人、布袋なんかは日本ではこれと言った信仰はないんですが外来から来たおめでたい神様としての七福神の顔ぶれにおさまってしまったようです」
「じゃあ七福神とサンタってなにか関係がある……って考えていいのか」
「いいえ、それは分からないわ」
エリカがバッサリと切り捨てた。
「分からないって、じゃあ何か他に関連があったりするのか?」
「いいえ、分からないわ。いい護堂? もうこれ以上は"分からない"の。ここでいくら頭を捻っても答えが出てくることは無い……そういう段階よ」
「つ、つまり?」
「もう自分の目と足で確かめる他ないってこと──だからね、護堂」
ス……と避ける暇もなくエリカがしなだれかかってきた。
「聞いて護堂。あなたが鹿島神宮に行くとすごぉく都合がいいの──ということだから今から行きましょう」
思い立ったが吉日と言わんばかりにエリカは涼やかな声音で耳元に囁いてきた。ファム・ファタールが男を唆す姿を思わせる仕草に護堂は慄然とし声を荒げた。
「ば、バカ言うな! 今から鹿島神宮だって? エリカ、何度も言ってるが俺は平和主義者なんだ! さっきまでこんな不穏な会話をしておいて行きたくなるわけないだろ!」
そう言い募る護堂だが、エリカの中ではもう決定事項らしく帰り支度をはじめていた。これはもう止められない。
縋るように甘粕の方を見た。すると彼はうなづいてサムズアップを返してくれる。どうやら護堂の意を汲んでくれたらしい。
「ありがとうございます草薙さん。あなたのご助力に大感謝ですよ、本当に」
撤回。何も分かっちゃいなかった。
「エリカさん、私どもの手は必要でしょうか? 今なら出血大サービスでなんでも請け負いますよ」
「いいえ不要よ。鹿島神宮へ向かうのは私と護堂だけで十分。でもそうね、人払いの手はずだけ整えていて頂戴」
「ウィ、マドモアゼル。願わくば厄介事を片付けて私の残業時間を減らしていただく事を切に望みますよ……ええ、本当に」
どこまでもヘラヘラとした雰囲気の青年だったが、最後の念押だけは本気と書いてマジであった。