「
フサフサの顎髭を撫でながら軽い調子で斉天大聖は苛烈な宣告を下した。
「そうじゃの、……三百にしておくかの?」
「な──ッ!!?」
闘いの序章は雲上から降りそそぐ棒打の嵐だった。迅。迅。瞬きの間に斉天大聖の棒がブレる。避けられない。どちらかと言えばカウンターを主な戦闘スタイルに組み込んだスロースターター型の護堂はこれまでの戦いでも序盤では不覚を取る展開が多い。
今回も例に漏れず、不覚を取った。
しかしその代償はいつになく苛烈だった。
「ぐがっ!?」──途端感じたのは、冷たさと熱。
肩口、右耳、脇腹が破裂した。頑丈すぎる身体が、おもしろいほど突き破られ肉が弾け内臓が爆散していく。
斉天大聖といえば《鋼》の鉄棒。誰もが知る神話の威力を、護堂はその身でもって知ることとなった。
「ぐが、あああぁ、ぁぁっ──ぜひっ」
叫びが切れる。
肺が消し飛んで半分ほどしか叫べない!
されども致命傷を負っていないのはカンピオーネの鋭敏な聴覚──
空気を穿ってやってくる鉄棒は、丸い。
刀剣より洗練されておらず、空気抵抗を受けるから酷くやかましい。
迅。迅。
しゃん。しゃん。
斉天大聖はその言動が示すとおり、派手好きで目立ちたがりのまつろわぬ神。なら武器も主の性質に倣う。
己の存在を誇示し、己を宣伝し、己が武を見せつけるための機能が備えつけられているのだ。
隔絶した実力による余裕。その余裕の大きさが護堂に屈辱を与える。浮かぶ渋面は苛烈な痛みか焦がれるような屈辱か。
そして自分が一体ナニモノと対峙しているのかを嫌でも痛感させられる。
敵はあの孫悟空なのだ。
「そらそら、まだ始まったばかりじゃぞ! 一本がぁ~……二千四十八ィ!」
『ッ!』
さっきの連打とは比較にならない鉄森の降下。
凄まじいプレッシャーが下顎を震わす。情けない顎を縛めるように歯を食いしばり武者震いする脚で芝生を叩く。
もはや神殺し特有の抜け目なさや頭脳でどうこうできる攻撃ではなかった。
斉天大聖・孫悟空は《鋼》に類いする武神だと聞く。
そう、剛直なる《鋼》の神──大地に属する女神を狩り、武勲とし、貶め、滋養とする猛々しい益荒男たち。
かの者たちとの戦いは初めてではない。
以前、イタリアで戦ったバアル=メルカルト《鋼》の軍神だ。
彼は真面目だった。
斉天大聖ほど雑多で浮ついた雰囲気もない。
しかし──斉天大聖ほど武術に一途でもなかった。
ウガリット神話の主神であった彼は過積載なほど数多の神性を保有していた。だからこそ斉天大聖ほど闘神として極まってはいなかった。
猛烈な技倆が護堂へと乱舞する。
圧倒的な基礎スペック。
絶大な技量による暴力。
まつろわぬ神とカンピオーネとではその差は明らか。地力で劣るカンピオーネへと、それを前面に押し出されれば辛い局面となる。
──にも関わらず護堂は万全ではない。
さっきのドラゴンとの戦いで消耗しすぎた。想定が甘かった。
『|東方の軍神』の使い勝手は悪い。化身は一度使うと一日は使用不可能になる。極論、剣を振り回していればいいドニと比べるとよく考えなければ一瞬で攻略されかねない代物だ。
だと言うのに、このザマ。
『雄牛』『鳳』は使用不可。
最悪なのは最大級の変数を巻き起こせる『戦士』の化身を使い切った。
神力を切り裂くというジョーカーが不在の今、斉天大聖という遥か格上のジャイアント・キリングなど望めない。
だが護堂は大局を見誤っていなかった。
斉天大聖はまつろわぬ大鯰を討ち取りたくてたまらないはずだ。なんせ『弼馬温』の無効化は一時的なものにすぎない。
この隙に《鋼》である斉天大聖は、大地に属するまつろわぬ大鯰を狩り、本来の力を取り戻したいはずだ。そうしなけば『弼馬温』の呪縛にふたたび囚われてしまう。
今、斉天大聖が護堂の相手をしているのもまつろわぬ大鯰を屠る際に何をしでかすか予測不可能なカンピオーネという巨大すぎる変数を取り除きたいからだ。
戦局は悪い、だが護堂に余裕がある。
まつろわぬ大鯰をどうにかする自信がある。本命がある。百合若やメリッサ、祐理たちがいる。
まつろわぬ大鯰をどうにかすれば斉天大聖はふたたび東照宮に呪縛されるはず。
一瞬でも長く、斉天大聖と戦う! それしか護堂の選択肢は存在しない!
どこまでやる? どこまでやれる? 違うッ! ──どこまででもやってやる!
斉天大聖の乱舞を必死で潜り抜ける。
護堂が恃んだのはやはり聴剄。人並み外れきった聴覚を駆使し、雲上から地を嬲る爆撃を捌いていく。
「くはっ──生ける木人じゃの!」
物言わぬサンドバックと揶揄されながらも護堂は生き汚く、地を転がる。生き長らえる。
護堂には空中戦は不可能。
手も足も出ず、覚えがないほどの劣勢に立たされながら……護堂の気力は衰えなかった。カンピオーネ特有の負けん気とド根性で、戦意を横溢させる。斉天大聖の視線、思考、注意を疑り深い猜疑心とともに狡猾に観察する。
「いかんの」
抜け目ない戦士の視線を向けた瞬間。
すぐさま孫悟空が戯れを止めた。
「呵呵ッ、我の冷徹なる武の勘がおぬしを大した脅威だと思っておらぬ。じゃが……その目、油断ならぬ光に我の《鋼》の本性が胸騒ぎを起こしておるわ!」
おもむろに斉天大聖が動いた。
「頭上から嬲るのも孫さまの流儀ではない。小手調べじゃ受けてみぃ草薙のぉ!」
筋斗雲から飛び出した猿の飛翔はまたたくまに地上の護堂へ落下する。カンピオーネの身体能力を上回る
素早いが、超重量級……という矛盾を兼ねた怪力乱神が落ちてくる。
空中で加速を──
鉄剣の一太刀へと。
猿の造形をした鉄塊は足裏を逆立て刃に見立て、垂直に振り落ろす。
たったそれだけの仕草で大海を切り伏せる一刀と化す。
シンプルな攻撃。だが単純明快なほど恐ろしく背筋が粟立つ。
素足だが素足だからこそ怖いのだ。
護堂は斉天大聖の一刀を凝視した。
興奮と集中のあまり鼻血を垂らしながら、ここだ。
斬、劫──。
「ぐぅぅぅうううッ」、迸る寒気と壮絶な烈痛。
抜き身の刃が肩から腹部まで深く切り裂く。肩口から入り込んだ斉天大聖の爪先が、胸筋を裂き、肋骨を振り砕き、臍下丹田をほじくり袈裟斬りの一閃となった。
強力な一撃は護堂を通り過ぎても勢い止まらず、庭園の地盤を崩壊させ噴き上がらせる。手入れされた芝生が木っ端微塵になり、草木が見るも無惨に舞う。
「ぬ?」
《鋼》の一刀により散り散りになっていく草原の隙間から、致命傷を負った魔王の眼光が揺らめいた。爆散して余りある衝撃を真正面から受け止めながら、頑丈すぎるカンピオーネの肉体は斉天大聖の一刀を受け止めきった。
斉天大聖から不審が漏れ──それは明確な隙。
「全ての悪しき者よ、我が力を畏れよ! 今こそ我は、十の山の強さを、百の大河の強さを、千の駱駝の強さを得ん! 雄強なる我が掲げしは、猛る駱駝の印なり!」
『駱駝』
隙を見せた斉天大聖へ、地面から掬い上げる左脚の蹴りをさらけ出す。ウルスラグナ第四の化身──もっとも獰猛にして比類なき
肩口から広がる裂傷を『駱駝』で耐えながら、化身によって齎される格闘センスが護堂を導く。
情け容赦なく斉天大聖の急所──キンタマへ向かって強烈な蹴りを叩き込む。
動物のオスなら間違いなく急所となる金的攻め。
しかし。
「な! 硬いッ!?」
「甘いわァ草薙のぉ!」
がきん! と人体からはありえない異音が鳴り響き、気付いた時には意識が白んでいた。猛烈なカウンターを逆に叩き込まれている!?
『駱駝』の逆襲を苦もなく受け流し、顎が蹴り飛ばされた。首上からの張力によって両腕がピンと張る。
「
「──がぁアアアッ!!!」
無防備な腹部にラッシュが突き刺さるが対応できない。
火眼金睛にして鉄頭鉄臂、銅背銅身──鋼鉄の斉天大聖は『駱駝』のキックでも有効打にはならない。以前、戦った同胞サルバトーレ・ドニを彷彿とさせる堅牢さ。
それだけではない。
鋼鉄の身体はそのまま攻撃にも転じられる攻守に優れた武具。繰り出される一発一発がカンピオーネの世界一頑強な骨を砕く。空気との摩擦熱で赤熱する烈火の拳が肉を焼き、ごき、ごき、ごき、足跡と拳型の打撃痕が護堂に刻まれていく。
腕部、腹部、肩口が凹み、明らかに人体から出てはいけない破砕音が奏でられる。
「そおら沈めい!」
庭園の海水を引き込んだ池へと叩き込まれた。
巨大な水柱を創り上げながらダメージを負いすぎて脳からの指令を受け付けなくなった身体が水底へと沈んでいく。
痛みでぶつ切りになりそうな意識のなか、斉天大聖の強大さを痛感する。
(つ、強い……。……無敵……か…………)
強い。ただ強い。
百の打撃の合間にようやく見つけ出した反撃の機会も為すすべなく撃退された。完封負けだ。
形勢不利な盤面からのスタートだった……が、すべて斉天大聖の掌の上。
釈迦如来の手のひらで遊んでいた彼のごとく、遠い実力差を感じる。
厚みがまるで段違い。
未熟なカンピオーネとユーラシア大陸にその名を轟かす猿の妖王とではあまりに歩が悪かった。
どすん、やがて護堂は水底へと落ちきった。
(負け戦か)
正直なところ、もう敗北は悟っていた。
斉天大聖・孫悟空。その名は東アジアで生まれた人間なら誰だって耳にしたことがある大英雄の名だ。無双の武威は広大なる中華に鳴り響き、仙術も神通無限。
要塞じみて堅牢ながら筋斗雲に乗り高速で荒ぶる大魔猿の牙城を崩せる予感が、すこしも生まれてこない。
異常な治癒力を備えるカンピオーネですら追いつけない裂傷と打撲痕に、塩水が染み込み、灼けるように痛い。傷口に集まって血をかためる血小板が塩水のながれに晒され、止血すらままならない。
護堂は一人だった。
いつも背中を預けていた薔薇色の大騎士はいない。
霊視に優れる託宣の巫女もいない。
ましてや銀髪の妖精騎士や、黒髪の戦巫女も、いるはずがない。
清濁併せ呑み力と化える戦士も、手札がなければどうにもならない。無い袖は振れない。
ゆえに勝ち目はない。
だが……。
このまま敗北を許していいのか?
そんな気持ちが湧き上がる。
「言い訳がないだろ」
勝ち目がないからといって、諦められるほど素直だった記憶はない。納得できるなら神なんざ殺めちゃいない!
そうだ。
まだ斉天大聖に対してひとつも殴り返しちゃいない。
一矢も報いていない。
それでは戦士として、いや、男として沽券に関わる!
瞬間。
「──財貨と罪科を
言葉が護堂の口唇からもれた。
これは聖句──だが護堂の知らない未知の聖句だった。
なら、草薙護堂が知らずのうちに獲得していた第二の権能。
新たなる力の称揚する言霊の響き……。
新たな化身を掌握したときの全能感と快感にも似た感覚が生じる。
こんな快楽に覚えれてたまるか。新しい力に目覚めるたびに狷介さと反骨心満々の心が叫ぶ。
だが今はこの力に頼るしかない。
直感だ。
俺はこの力がないと、斉天大聖に太刀打ちできないという予感。
逆に言えばこの力があれば斉天大聖の虚を突ける!
「
右腕の膨張した
すると肩口からバックリ裂かれていた傷口に神力が横溢した。
これは治癒の力……?
庭園に引かれた東京湾の塩水が激流となって傷口で弾ける。溶け出していた血液が、逆に塩水を握りしめて護堂の下へ帰還していく。
ティアマト──塩水を司る地母神の神力が護堂を癒やしているのだ。それも『駱駝』の化身を加算されたカンピオーネの異常治癒を上回る速度で。
「……治った、のか?」
戸惑うより、早く。
迅。斉天大聖の攻勢がやってきた。
水面を吹き飛ばし、人工の池を消し飛ばす如意棒の刺突が護堂の肉体目掛けて飛来した。
考察も、観察も、迷いも間に合わない。
咄嗟に聖句を並び立てる。
「窮乏の身につきあう
口をついて出るのは偸盗の神の聖句。
砕けたはずのプロメテウス秘笈に秘められた神性──《先に考える者》プロメテウスを謳い上げた聖句!
プロメテウス──天上の神の奇跡を偸盗した力。
エピメテウス──地上の神の権能を簒奪した力。
二色の神性が融合しあう土壌を創り上げていく。
プロメテウスの偸盗の御業で『駱駝』の化身を偸盗し、エピメテウスの落し子の身体へと馴染ませていく。
「いざ凱歌を響かせ、傷付いた戈を敵の軀に突き立てよ! 暗く、醜く、地を這い、朽ち錆びた財貨の《鋼の蟲》は赤熱し、罪色の嘴についばまれる盗人の罪科と
護堂の両足に、既視感のある炎──かつてプロメテウス秘笈が吐き出した蒼炎が吹き出し、水中だというのに勢いを増す炎は両足を燃やし尽くし。
やがて。
──黄金色の"脚絆"が鍛造された。
「財貨と罪科の貯め込まれた隠洞炉よ、我が覇道を
如意棒はもう目の前。とうとうゼロを刻む彼我の距離になる寸前、水底を蹴り上げて兇悪なる足刀蹴りを打ち放つ!
盛大な破音とともに神珍鉄で鍛えられた神域の鉄棒が中ほどから真っ二つになった。神代の刀剣すらも砕く鋼鉄の脚絆が、それを可能にしたのだ。
『駱駝』の化身はそれだけで鋼並の硬さを足に付与する……だが。今の護堂はそれに重ねて硬質な鎧を得ていた。大地に縁深い駱駝と甲冑にも象徴されるムカデの融合の結果だ。
柔らかい水底へと踵落としし、一気に水中から脱出する。
そして財宝の神たる毘沙門天のしもべ──
いくつもの神性の融合した不可思議な権能の存在を握りしめ、護堂は顔を上げた。
ふたたび相対するのは斉天大聖。
常ならば剽軽さと金毛に覆われた顔。
しかし今は無に染めあげられ、それも一瞬で移り変わり神代の時代からの相棒を折られながらも、おもしろそうな目を護堂へと向けた。
胡乱な光と。
──本気の殺気とともに。
イブに示し合わせたように更新する皆さん
ボコボコにされるかと思ったけど意外と善戦したな…(見切り発車並感)