戦女神は微笑まない   作:につけ丸

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明けましておめでとうございます |q(´∀`o)

原作13巻155-156ページに登場する神具を神具マナイアカラニとしていますが地龍よろしくほぼ独自設定です。


16話

 浜離宮恩賜庭園 地下 pm 20:39

 

『雄羊』で蘇生中、護堂は息継ぎをするように意識の底から顔を出した。

 

 ここ最近『雄羊』の掌握がかなり進み、蘇生中でも望めば意識回復が可能になっていた。

 まあ『雄羊』の掌握=その分死にかけた事になるから、微妙な気分にはなる。

 

 その世界は暗かった。

 目を開けても、なにも見えない。星光すら遮断する空間は、カンピオーネの夜目ですら光の拾えない。

 落下の感覚すらないのは全身を石塊に埋め尽くされているからか? とにかく全身の至る所から固い感触が伝達されてくる。

 大鯰を屠ろうとする斉天大聖を足止めするため獅子奮迅したが、結局この様だ。

 

「はあ、またか。ニライカナイ島のときと一緒じゃないか」

 

 思わずため息がでる。

 黒坊主の罠にかかってニライカナイ島に囚われていたのは記憶に新しい。そしてこの状況、まったく進歩していないんじゃないかと忸怩たる想いが湧く。

 水もなく空気も薄いこの状況下──いかにカンピオーネでも衰弱死は免れない。

 

「悪いな。世話をかける」

 

 だが杞憂だ。石室に囲まれたこの状況でも打開の策はある。

 護堂は新たな力を得ていた……それが幸か不幸かは彼のみぞ知る所だが。

 

 彼の呼びかけに応えて、ムカデ型の刻印がうねりとともに動き出した。

盗人の秘鉱脈(Tacit knowledge)』──地中に広がる鉱脈、その象徴となった蟲が護堂の身体から抜け出す。ごり、ごり。そして驚いたことに石牢を構成する石も呪詛も、二股の獰猛な顎で食い散らかしていく。

 喰らった石塊や呪詛がそのままエネルギーに変換され、カンピオーネの莫大な呪力の一欠片へと付け足されていく。釜いっぱいの飯を平らげるように腹まで満たされていくのが分かる。

 草薙護堂は水や空気がなくとも生き延びる(すべ)を手に入れた。おそらく水や空気が無かろうと、地面や石さえあれば生存可能なのだ。

 戦い以外では普通の人間で居られたが、いよいよ人外じみてきた。ふ、と息を吐く。

 

「三時間だ」

 

 裡に宿るものたちへ命令を下す。

 十重二十重の化身を束ねる魔王は決然と言い渡した。

 

「俺は斉天大聖との決着をつけなくちゃいけない。カミサマなんてデタラメな連中を相手できるのは今は俺くらいしかいない。そのために万里谷たちも頑張ってるんだ」

 

 斉天大聖との戦いの最中、まつろわぬ大鯰がどこかへ引っ張られて行った。あれはきっと祐理たちと無関係なはずがない。

 

「さっきの戦いはなんとかイーブンに持っていけた。けど……」

 

 シンプルに準備不足だった護堂。

 まつろわぬ大鯰を狩らなければならなかった斉天大聖。

盗人の秘鉱脈(Tacit knowledge)』という軍神の甲冑を手に入れ、隙をつけたが……。

 

 次に出会う斉天大聖は限りなく最高のコンディションだろう。筋斗雲という足を奪いはしたが、斉天大聖はまつろわぬ神。中禅寺湖に向かう大鯰に追いつくまでそう時間はかからない。

 

 斉天大聖は《鋼》。地母神を痛めつければ痛めつけるほど力を取り戻す。

 斉天大聖が不死の世界蛇を屠るまでに護堂が蘇り、そして間に合うか。

 五分五分だ。

 

 護堂は焦らなかった。

 

「待ってろ斉天大聖。次で決着を付けてやる……我は汝らの病を負い、我は汝らの痛みをになおう。我は金毛の羊皮に編まれた神秘なる絨毯へ優美に降り来たりて、今一度、チンワトの橋を渡りて請われるがままに勝者(ウルスラグナ)へと託身する……」

 

 どれだけ遅参しようが、どれだけ目算を見誤ろうが。どうにか帳尻を合わせるのがカンピオーネ。

 王者たる傲慢さをもって盤面を睥睨しながら、再び眠りに就いた。

 

 

 

 日光市 中禅寺湖 pm 20:05 

 

 人差し指の腹を薄紅色のくちびるに当て、ゆっくりと右になぞる。先刻、触れあわせた少年の感触を記憶へ焼き付けるように丁寧に。

 

「……草薙さん……」

 

 草薙護堂と孫悟空の対戦カード。

 正直、オッズにすれば相当差がつくに違いない。若き神殺しと聞けば聞こえは良いが、結局は未熟さを隠せない青臭い戦士だ。対するは蟠桃を喰らい不老不死を掴んだ大妖怪。

 きっとブックメーカーが賭けにすれば斉天大聖に一倍台のオッズがつく。 

 年若い護堂が相手取るにはあまりにも早すぎる相手。しかし祐理は草薙護堂の生存に、いや、帰還に手持ちの有り金をベットした。

 だからこそ、ここにいる。

 祐理は当然ギャンブラーではない。

 賭博など生真面目な彼女から程遠い。

 けれど自分の元へと帰ってくることを信じるから、祐理は中禅寺湖のほとりに立った。

 

「草薙さん。草薙……護堂、さん……」

 

『なにかあったら俺の名前を呼べよ』──そう言い切った彼の言葉を思い出す。

 祐理も草薙護堂とともにいる同じ舟の乗員だ。彼が簒奪したまつろわぬ神のことはある程度調べた。

 ゾロアスター教の軍神ウルスラグナは開祖ザラスシュトラのもとへ聖なる風とともに現れたという。草薙護堂が呼べといったのもこの逸話にまつわる権能ということで大筋はまちがっていないだろう。

 逆に、彼が危機的状況に陥ったとき脱出する術となるのだろうか。

 あるいは、救援を求める声を聞き届ける彼に自分の声は届くのだろうか。

 そんなことを考えてしまう。

 

 七月はじめといえど夜の外気は肌寒く、天然の湖沼では日本一標高の高い中禅寺湖周辺はかなり寒い。梅雨の黒南風とともに雨が巫女服一枚しか着ていない祐理の肢体からどんどん体温を奪っていく。

 

 それも媛巫女たる万里谷祐理にとって都合が良い。

 祐理の場合、霊視というトランス状態に至るには感情を排除した忘我の境地が必要だ。

 

「ごぉーど?」

 

 ハッとして意識をもどせば、周囲の喧騒が耳にもどってきた。

 

 

 中禅寺湖はもはや戦争さながらの慌ただしさに満ちていた。メリッサの指示で、まつろわぬ大鯰を捕らえるための大掛かりな術式を急ピッチで仕上げようというのだ。

 メリッサと百合若がこちらを見ていた。仕立ての良い毛布が敷き詰められた揺り籠に百合若が入り、その揺り籠のふちにメリッサが翼を休めている。

 

「草薙さんはいまはいらっしゃらないんですよ」

 

 百合若がこちらへ手を伸ばし、その手を握ってあげる。

 言い聞かせるような言葉は自分にも向けたものだと、口に出してから気づいた。少しだけ手に力が籠もる。

 祐理が視線をずらすと、神饌を供える台の上に──乳白色の釣り針があった。

 その眼前には草薙家で高松先生が持ち込んだ神具は巡り巡って、この場へと流れてきた。まるで釣針が獲物をひっかけるように。

 

純潔の百合(マドンナ・リリー)

 

 メリッサが、翼を翻して胸をそらせた。祐理も背筋を真っ直ぐにし、正座の姿勢をとる。

 

『戦士たる草薙さまは死地へと赴かれ、されど留守をになうわたくしたちにも担うべき戦場はあります』

 

「はい」

 

 メリッサは言った。さながら益荒男たちの乗り込むアルゴー号を導くおごそかな声音で。

 

『これなるは神事と心得なさい。神事の要はそなた……まつろわぬ大鯰を釣り上げるため、白痴ゆえに()()()()な御子に本質を今少し思い出させるのです』

 

「本質を……思い出させるのですか?」

 

『左様。我らまつろわぬ神は記憶をなくそうと、肉の一片まで失おうと構いはしません。わたくしが愛に身を焦がすように、神を神たらしめる己が本質さえ忘れなければ……』

 

『ですが』、とメリッサは翼を百合若の頭上でひるがえした。

 

『御子はいま、その本質を忘却しています。征服神としての本質も、《鋼》の本地も、天空神としての壮大さも。……そして漁撈の神としての卓越さも。いまは漁撈の神としての本質を思い出させるのです』

 

「……私にそのような大任が成し遂げられるでしょうか?」

 

『困難な道ですが、難しい話ではありません。微睡みにある天上のまつろわぬ神を揺り起こし、ヒトの意を届かせる。それだけです。祈りを神に届けるのはそなたたち魔女の専売特許でしょう』

 

 魔女──いや、かつては愛と美を司ったチルチェオ山の古き女神は柔らかな口調で言った。

 

 

「あの……メリッサさま。ひとつお聞きしたいのですが」

 

 祐理は儀式のまえにおずおずと切り出した。

 

「そもそも百合若ちゃんはなぜ赤ん坊となったのでしょう? それも白痴と形容するほどの乳飲み子となった理由は一体……?」

 

 以前から気になっていたこと。

 メリッサと百合若はなぜ赤ん坊と鷹という、不可思議なあコンビを組んでいるのか謎だった。

 

『御子とわたくしと争ったがため、と言ったのは覚えておりますね』

 

「はい。八丈島でそうおっしゃっておりましたが……本当に?」

 

『ふふ、本当ですよ』

 

 ころころと愉快そうに笑声をあげ、翼で鎮座している釣り針型の神具を指差した。

 

『わたくしと御子の邂逅はこの──竿()()()()()()()()()()"マナイアカラニ"を発端とします』

 

 メリッサがおかしな事を言う。

 竿と釣針、つまり二つで一つの神具というが"マナイアカラニ"は釣り針しかない。

 

「"マナイアカラニ"……竿と釣針で一つの神具、ですか? ですが、釣り針しかありませんが?」

 

『この"マナイアカラニ"は少々稚気に富んだ(いたずらっ子な)神具なのです。竿と釣り針。二つの道具で一組からの神具であるながら、一度使えば釣り針は何処かへと消えてしまう……そういう類の神具』

 

 ある意味、漁具の体現だ。

 海に落としたものが見つからないのと同じ。海中という異次元へと放り込まれれば現代科学でもそう容易には見つけ出せない。

 

『そして"マナイアカラニ"の基礎となった神話は"釣針喪失神話"と"島釣り神話"──極東の巫女のたるそなたなら知っているでしょう?』

 

「は、はい……存じております。どちらも記紀に記される国生み神話と海幸彦・山幸彦の神話に関連すると記憶しています」

 

 "釣針喪失神話"は北ユーラシアから北米太平洋岸へと環太平洋的な分布を示し、釣針と関連して"島釣り神話"も南太平洋に広く分布する。

 中央アジア、朝鮮半島、シベリア諸民族──これは英雄神的傾向の強く、いわゆる垂直型の神話。

 もう一つは東南アジア、南太平洋──女神崇拝の傾向が強く、いわゆる水平型の神話。

 日本には上で上げたおおよそ五つの基本的な文化層が存在し、どちらの分布からも影響を受けてきた。

 

 そのなかで、国生み神話と海幸彦・山幸彦の神話は南太平洋の影響が色濃い。

 日本はメラネシアなどの南東語文化の影響をたびたび受けてきた過去がある。大きな仮面をつけ異様な装束をつけた祖先の神が一年のある時、人々の住む村を訪れるという信仰──仮面の来訪神などまさにその特徴だ。

 日本では沖縄・宮古島のバーントゥ、鹿児島県のメンドン、あるいはミルクなど。

 

 これとは別に南東語文化は日本神話にも足跡を残す。

 

 海幸彦・山幸彦は、記紀においてヤマト王朝を作った天孫族と薩摩に居住した隼人族との闘争を神話化したものとされる。

 南東語文化は隼人族の神話を通じて日本の神話にも影響を与えていたのだ。

 

 とくに"島釣り神話"は南九州へとインドネシア系の人々や隼人族によって、日本列島に持ち込まれた。

 インドネシアは多民族社会。

 しかし、この場合のインドネシア系の人々とは、オーストロ()ネシア()。すなわち南島語の系統の人々をあらわす。

 

 当然だが、日本より南の島々……ポリネシアやメラネシアにも創世神話はある。

 たとえばニュージーランドのマオリ族の創世神話は、最初、虚無ないし混沌だけがあった。

 光も熱もなく、形相も運動もなかった。

 しかしポーと呼ぶ暗黒のなかで動きとうめき声が起こり、しだいにかすかに光明が現れて、熱と湿気が展開して、しまいには確固たる大地と天が形を整えた。

 そしてこのあと、天空神ランギと地母神の女神パパが現れる。

 天空神ランギと女神パパはしっかり抱擁しあっているので天と地があまりに近すぎ、この世は闇だった。彼らの子供たちは困ってやがて両親を引き離す。

 その過程で兄弟間でさまざな衝突が起き、自然現象を引き起こした。

 

 南東語文化であるインドネシアからフィジー、ニュージーランドからハワイとイースター島という非常に広範な南太平洋の神話群には共通項がある。

 そして南東語文化から影響を何度も受けてきた日本神話にも共通項が多々ある。

 

「"天之逆鉾"の登場する日本の記紀神話が説く──国生み神話。天地のはじめは、国土がまだ若くて脂のような状態で、クラゲのように浮かんでいたとき、葦が泥沼のなかから萌えいずるように生え出てきたとあります」

 

 造化三神が生まれたあ、クマシアシカビヒコチノカミとアメノトコタチノカミが出現し、そして天地が次第に形を整えてくる過程を、次々に現れる神々の名前で示したといわれる。

 神々の名称そのものが自然現象をあらわしたのである。

 

「天地開闢と神々の誕生の最後、イザナギとイザナミが現れます」

 

 彼らは性交によって神を生み落とした。

 まさに抱き合って国産みを行ったイザナギは天空神ランギを。イザナミは女神パパを連想させる。

 

「イザナギとイザナミの二人は"鉾"で渾沌とした地上を掻き混ぜます。このとき、鉾から滴り落ちたものがオノゴロ島となりました」

 

『そう。"釣針が海底に引っ掛かったので、それを引き上げたら海底が盛り上がってきて陸になった"というモチーフ。それは南洋にもあります』

 

 マウイ、ティキあるいはタンガロア。

 南太平洋の英雄である彼らが島釣りをする神話だ。

 

『"マナイアカラニ"をもってすれば創世神話さながらに海のうえに浮島を作れましょう。神具"マナイアカラニ"はここより南洋の神話を礎にしたものですが、この国にもかつてよく類似した神具があったと記憶しております』

 

「"天之逆鉾"ですね。先ほどのイザナミとイザナギに関連する、鹿島灘でニライカナイ島をつくった創世神話の神具……」

 

 "マナイアカラニ"と"天之逆鉾"。

 この二つは非常に似通った能力を持つ神具だ。どちらも島を釣り上げ、天地創造を行うからだ。

 

『──しかし違いはあります』

 

 釣針喪失神話と島釣り神話を比較すれば、釣針喪失神話にはその名の通り「釣りをしていて釣り針をなくした」要素がある。

 

 釣針喪失神話のほうが、天地創造より漁撈の性格が強いのだ。

 

『ゆえに"マナイアカラニ"は一度使えば、釣り針が消えてしまう厄介な性質があります。そして釣りをするには竿と釣り針がなけれな出来ないように、二つ揃わねば使用できないのです』

 

 土と巌に関わる"天之逆鉾"が、地母神の水と大地の霊気に触れなければ使えなかったのと同じ。

 水と巌に関わる"マナイアカラニ"も、竿と釣り針がなければ使えない。

 

 どちらも何かしらのトリガーを引かねば使用不可能な難儀な神具なのだ。

 

『わたくしはこの神具''マナイアカラニ''を一度使用し、浮島を作り出しております』

 

「そうなのですか?」

 

『ええ。ここより南方──キナバル山と人の子がよぶ御山のそびえる街がありました。その近くの洋上に浮かぶ浮島を。わたくしが嘗て愛し合った殿方に''マナイアカラニ''を贈られ、その愛を偲んで作り出した浮島で静かに暮らしていたのです』

 

「え? メリッサさまが……あ、愛し合った殿方でございますか?」

 

『ふふふふ。彼……アレクサンドル殿と愛をささやき合い、かの勇士殿に送られた愛の証です』

 

 祐理は思いがけない人名に耳を疑った。

 

「スゥーッ…………アレクサンドル殿とは英国のアレク王子……ですか? …………アレク王子……。……から、贈られた、のですか……?」

 

『なんですかその胡乱な目は。ぶっ飛ばしますよ万里谷祐理』

 

 この女神をよく知らなければ驚嘆とともに唖然としたのだろうが……祐理にしては珍しく……思わず半眼になった。

 メリッサはもう、ひとつ屋根の下に住まう家族といえなくもない運命共同体である。

 性格や気質は重々承知だ。つまりはまあ、たまに自分の力や手柄を過大申告することなどよく知るところである。

 

 祐理は翼をシャドーボクシングして威嚇してくるメリッサに話題を変えるように質問した。

 

「で、ですが、メリッサさまは南の島で隠棲なされていたと聞きました。それがなぜ?」

 

『簡単です。来訪者──布袋を名乗るあの来訪神まがいの零落神がわたくしの静かな暮らしを脅かしたのです』

 

「布袋……」

 

 いま日本列島で起きる異変──《鋼》たちの暗黒祭を引き起こした張本人の名である。

 またあの来訪神が扼すのか。それもメリッサや百合若にまで。

 祐理は普段にはない怒りの灯火がこころに芽生えた。

 

『何処からか釣り針を手にしたあの者は、腹立たしいことにアレクサンドル殿から贈られた神具"マナイアカラニ"を強奪したのです。当然、わたくしは激怒し、あのものを追うつもりでした。しかし』

 

 メリッサはそこで言葉を止め、眼下の百合若へと視線をやった。

 

『なんの因果か《運命》のイタズラか。あるいはイタズラ好きの神の仕業だったのかもしれません。──まつろわぬ身となった御子が地上へと降臨したのです』

 

 神話から抜け出して地上に顕れるまつろわぬ神。

 彼らが降臨する理由はよく分かっていない。人類では永劫解決不可能な難題だ。

 なにせ神々自身、よく分かっていないのだから。

 

『反目しあう我ら地母神と《鋼》が出会えば争い合うのは必然。わたくしと地上へ落ちた御子と争っている間、布袋は北方のこの列島へと逃げおおせたのです』

 

 そして百合若とメリッサは相打ちし、八丈島まで流れてきたのだろう。

 

 齢という魂魄を失い、赤ん坊となった百合若。

 そして身体を失い、神霊となったもう一人の百合若。

 

 一柱の神が二つに分かたれたのだ。

 

「釣り針は使えば無くなるとおっしゃいましたが……では竿は?」

 

『竿はもう一人の御子のもとにあります。わたくしの《英雄拘束》の権能にて肉体と霊魂を分離……つまり脱魂させ、幽世と地上の狭間に封じ込め、その時に"マナイアカラニ"の片方も封印いたしまた』

 

 祐里は困ったように柳眉をひそめた。

 

「メリッサさまは幽世と地上の狭間に封じられたもう一人の百合若とおっしゃいますが……私には分かりません。彼をどうやって釣り出せばいいのか……顔も知らぬ御方をどうやって……導けば良いのか……分からないのです」

 

『そなたはもう一度出逢っているはずですよ?』

 

「え?」

 

『この神具''マナイアカラニ''に触れ、その()で見たはずです』

 

「あ……」

 

 草薙家で"マナイアカラニ"と初めて接触した時、さざめく海で出会った緋銅色の髪と赤銅色の肌の少年神。思えばかの少年神は百合若と顔立ちも似ていた。

 

 メリッサは淡々と口にした。

 

『──万里谷祐理、そなたの役割は神を釣り出すこと。そして獲物を釣り出す()となるのです』

 

「っ! 餌、にございますか」

 

『そう。この国にはエビで鯛を釣るという故事があるそうですが、エビはそなた。鯛はもう一人の御子。そして漁撈という本地を思い出した御子はまつろわぬ大鯰を釣り上げるでしょう』

 

 ハワイでは擬餌針の輝きが魚を誘うのは、美しい姫が男を惹きつけることにたとえられる。

 まつろわぬ神ですら興味を引く魅力的な餌を用意するため、メリッサは『武蔵野の媛巫女』と謳われる乙女を釣り糸にくくりつけようと言うのだ。

 それこそ儀式の祭壇に捧げられた贄のごとく。

 

『南洋において魚が釣り針にかかるのは、人間あるいは自然の事物に宿る霊的な力の発現と考えられてきました。マナ、タブー、タトゥー。これらの言葉は南太平洋で使用されてきた概念です。マナは霊力をあらわし、我ら神々のもとる神秘的な力を意味します』

 

 身分の高い人間ほど霊力(マナ)が宿る。

 だから身分の高い人骨から削り出したの釣り針ほどよく魚がかかると信じられていた。

 

 この儀式も同じ性質を受け継ぐ。

 神具''マナイアカラニ''に、万里谷祐理という神祖の末裔にして媛巫女。

 この豪華な釣り針と疑似餌をもってすれば神霊も無視できない。

 

「し、しかしメリッサさまは先ほど幽世と地上の狭間にもう一人の百合若ちゃんを封じたと仰りました。幽世は人の身では届かない過酷な異界です。そこをくぐり抜け神を釣り上げるなど可能なのでしょうか……?」

 

『異界だからこそ、釣りなのです。深く、暗い、海面の下は地上にしか住む居場所のない人の子にとってはまったく異なった世界──異界でしょう』

 

「それは……」

 

 そうかもしれない。

 

 漁撈は水になかに住まう魚介類を捉える狩猟方法だ。必ず水中という異界へと訪れる必要がある。

 海のなかは異界が広がるという概念は、亀に乗って竜宮城へと旅立った浦島太郎にも挙げられる普遍な考えだ。

 浦島太郎は釣竿を持ち亀に乗ったすがたで描かえれることが多い。

 

『漁撈一般にいえることですが、とくに釣り漁は異界に至る、あるいは異界から寄り来るものとの接触の機会となります。ゆえに他の漁撈より抜きん出て呪術的な意味が濃い』

 

 海面の下に糸を垂れ流し、海中に潜むものたちを引き出す。これを毎日、そして確実に繰り返すことなど数十年選手のベテランですら不可能だ。

 不確実さのためにしばしば釣りは占いと結び付けられる。

 例えばアユ釣り。

 記紀に登場する神功皇后が釣占いをする場面がある。吉凶を神に占うのに、アユ釣りをするのである。うまく目指す獲物がかかれば吉、外れれば凶である。

 

『釣りを占いという呪術的考えを持ち込むならば''釣針喪失神話''の意味も見えてくるでしょう。海の彼方や海底という異界は人に微笑めば海の実りをもたらします。ですが同時に人間を飲み込んでしまう異界。気分次第で吉凶に別れる気まぐれなもの』

 

 だから釣り。

 最も遠く。最も深い。

 深淵なる大海でおこなう釣り漁でこそ、人の子は異界との境界領域に至れる。

 その先でこそ異界の住人と交信が叶う。

 

「幽世と地上の狭間にいるもう一人の百合若ちゃん……を揺り動かす、のですね」

 

 釣り針とは異界へと突き進む勇ましき《鋼》の船であり、不思議な鍵──。

 祐理はその《鋼》の船へと乗り込まなくてはならない。

 

『左様。そして、儀式として見た釣り漁で釣り上げられるのは魚のみではありません』

 

 南太平洋には死者の霊を弔う儀式のなかで、竿の先に死者の髪の毛で作った釣糸をつけ、それに木製の擬餌をくっける儀礼があった。

 これは死者の霊を脅かす悪霊をおびき寄せるためのものである。

 釣竿が揺れると悪霊が擬餌におびき出された証拠で、そのとき喪主は火のなかに揺れる擬餌を落として踏みつけ、悪霊を退治する。

 尋常の手段ではかなわない悪霊を釣竿で異界からおびき寄せるわけである。

 

『そなたは釣り針という《鋼》の船に乗りかかった船員であり、餌です。釣針を失ったら、それはもう取り返しは付きません。''マナイアカラニ''とともに幽世と地上の狭間に漂泊するでしょう』

 

「──構いません」

 

 祐理は決然と言い放った。

 

「草薙さんは決して諦めないでしょう。カンピオーネの凶暴性によるものではなく、草薙さん自身の義侠心が私たちを……いえ、そうではありませんね」

 

 首を振ってもう一度、祐理は言い直した。

 

「草薙さんは決して私たち三人をお見捨てにならない。そう信じればこそ、私も心置きなく儀式に臨みたく思います」

 

『よろしい。純潔の百合(マドンナ・リリー)! そなたの誓いの大きさ、見させていただきます。必ずや御子の本質、掬いあげてご覧なさい!』

 

 微笑したメリッサはそのまま飛翔すると、嘴を逆立てる一条の閃光となった。

 斬。

 途端、降りしきる黒々とした雨粒のなかに鮮烈なる亜麻色の閃光が舞い上がった。

 

 ──乙女の首元で命が断たれたのだ。

 

 女の命と称される、万里谷祐理の()()が。

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