鹿島神宮。
古くは奈良時代の文物『常陸風土記』にも記される永く続くこの神社は日本国内でも有数の宗教施設だ。そして軍事的な側面もあった。
古来、宗教施設はたびたび軍事利用される。有名な事例で言うならモン・サン=ミシェル*1だろうか。鹿島神宮も香取神宮と並び蝦夷征伐の前線基地の側面があった。
そんな軍事的な側面を持つからか祭神は"タケミカヅチ"という日本神話を代表するような軍神だ。
十二年に一度行われる"御船祭*2"と呼ばれる鹿島神宮のお祭りのなかで最も大きく、最も古いお祭りは、当然ながら祭神タケミカヅチにまつわるもので神功皇后が三韓征伐のときに進軍を守護したことが契機とする説がある。
「……らしい」と、護堂は締めてパンフレットを閉じた。
「そう。ありがとう護堂。でも、あなたがせっかく解説してくれたのは嬉しいけれど」
護堂は瞠目した。あのエリカ・ブランデッリが苦悶の顔をたたえて膝をついているではないか!
「……まだ調子が戻らないみたい」
「……なぁ。やっぱりアンナさんに運転免許証を交付した国土交通省と公安委員会は制度の見直しをした方がいいんじゃないか……?」
表参道から鹿島神宮までの道中を護堂たち一行は車内で過ごした。車中、と言うには酷く命知らずで生命の危機に富んだ空間であったのだが……オブラートを取り払って表現するなら暴走特急列車といったところか。
仕方がなかったのだ。そして断れなかったのだ。
お急ぎでしたら私におまかせください! と張りきるエリカのメイド アリアンナ・ハヤマ・アリアルディの純真な笑顔のまえには、普段真性の悪魔さながらに振る舞うエリカでさえ良心が痛んだ。
そして見事にグロッキー状態となって命からがら車内から転がり出てきたと言う訳である。
「……もう大丈夫よ」
少しするとエリカ・ブランデッリは気合いで立ち上がった。不屈である。
「久しぶりの逢瀬の時間なんですもの。1秒たりとも無駄にできないわ。さあ、行きましょう、私たちの夜はこれからよ」
「妙な言い回しはやめろ! というか鹿島神宮で黒サンタを見つけるっていう話はどうなったんだよ!?ったく、なんで神様がらみの話に首を突っ込んでこんな所にまで来てしまったんだろな……」
後ろへ流れていく人々を羨ましげに見送りながら、ノロノロと牛歩の歩みで境内へ進みながら愚痴をこぼした。
「護堂ったら素直じゃないんだから。変なところで思い切りはいいくせに初めはいつも平和主義者みたいなことを言うのよね……それより」
いきなり、エリカが近づいてきた。ぴったりと護堂に寄り添い、耳元でささやきかけてくる。傍から見れば恋人同士のようで護堂は慌てた。
「こんな人の往来が多い場所で、そういう悪ふざけはやめろって!」
「いい加減私たちが恋仲であることを認めなさい護堂。それに戦場と逢瀬が両立するのはミラノでも経験済みでしょう? どんなつまらない場所でも、命がかかった鉄火場でも愛と情熱を見つけるのがイタリア流よ」
丁々発止。そんな風にエリカに振り回されて境内に向かう道すがら、帰り道をゆく人々にぶつかりそうになった。不満顔で帰宅する観光客や従業員の姿があり、まだまだ往来が激しい。
甘粕を通して正史編纂委員会に人払いを依頼していたが、世界を縮めるほどのスピードで爆走してくるとは思わなかったのだろう。
そんな雑踏のなかを逆走する護堂とエリカは少し異様だった。
大きな寺社仏閣や観光施設がある地域はなにかの強迫観念に囚われたように周辺の歩道を石畳へと変える習性がある。これが酷くなると車道すら石畳へと変え、電柱にペイントしだし、挙句の果てに地面へ埋めたりする。
鹿島神宮も例に漏れずそういった習性があるようで駐車場から大鳥居までの道はほぼほぼ石畳だった。
かつ、かつ。
ふと。
護堂は、帰り支度につく観光客の往来のなか、嫌に響く足音に気づいた。
ちりちりと地肌にひりつく感覚とともに鼓膜を揺らす、質の良い革靴と石畳とが打ち合わされる音。普段どこでだって耳にする音が、何故だろう不思議と気になった。周囲を見渡してキョロキョロと視線を巡らせ……。
──居た。
観光客と従業員たちに紛れて背の高いダークグレーのジャケットを羽織った青年。日本人ではない。おそらく欧州の人間。
傍目から見ても整った容姿だったが特に際立つ風貌でもなく、外国人観光客も多くいるなかで、しかし、その青年は一際護堂の目を引いた。
かつ。かつ。
往来を歩む青年はこちらへ一瞥もくれることなく酷くゆったりとした歩様で、護堂たちへ近づいてくる。
風が止む。恙無く刻まれているはずに時の歯車が軋むように鈍くなった気がした。首筋にちりちりと焼け付く感触を受けながら……イメージしたのは天下る閃光だった。光を遮る雲霞の闇を切り払う聖なる雷光、そんな印象を何故だろう? 護堂はダークグレーの青年から受け取った。
かつ。かつ。
傾いた陽に伸びきった影法師が交錯する。やがて青年と護堂は──すれ違った。
「護堂、どうしたの?」
覗き込んで問いかけてくるエリカにハッとして、握りしめていた拳を解いた。開いた手にはじっとりとした汗が滴っていて、骨と筋がいささか強ばっていた。緊張、そう呼ばれるものだった。
「なぁ、さっきの……ジャケットを来た人って」
「ジャケットを……?」
エリカは付近を見回し不思議そうに首を傾げた。
「さぁ、気付かなかったけれど」
そんなはずは無い。護堂は振り返ってみたが、何度探してもダークグレーの背中は見えなくて……やがて護堂は意識から消し去った。
「アレがエリカ・ブランデッリと草薙護堂……日本の『王』か」
護堂たちのいる鹿島神宮から数十km離れた場所にある香取神宮でダークグレーの青年、アレクサンドル・ガスコインは小さく呟いた。
「今日の邂逅は偶然だったが……ふん、なんとも気の抜けた連中だ。面倒事にならなくていいのは助かるがな」
日が落ちはじめ閑散とした雰囲気が漂う境内で、アレクは先程見かけた二人の総評をこぼした。護堂とエリカとすれ違ったのは数分前の出来事だ。
しかしアレクはどういう手管を用いたのか鹿島神宮から20km以上離れた場所で息すら切らすことなく悠然と佇んでいた。
「まあ、いい」
アレクは日本の魔王と騎士への思考を簡素な言葉で打ち切った。
「俺の推測が正しければ、勇者復活のゲームはもう間もなく開始のゴングが鳴るはずだ。
アレクはジャケットの内ポケットから通信機器取り出すとどこかへ連絡をはじめた。
「俺だ。……手はずは理解しているな? こちらの手配も完了している。受領次第、搬入と作業を開始しろ。場所は……」
やがて黒い影は忽然と姿を消した。
六月でも流石に夜の七時を回れば周囲は暗くなる。
とはもうせ夜目の利く護堂や名高い騎士であるエリカには不要な心配だ。正史編纂委員会が気を利かせて境内の照明をつけてくれているが不要だったかもしれない。
大鳥居をくぐって参道を少し歩くと、立派な朱色の楼門が見えてきた。楼門を通りすぎ、右手に本殿があるのだが少々分かりにくい。通り過ぎてから「ああここが本殿だったのか」となりがちだ。
本殿や鹿の飼われた厩舎、湧水で満たされた鳥居に、要石などなど鹿島神宮の主要なスポットを一通りまわってみたが黒いサンタも不審な箇所も発見出来なかった。
「なんにもいないな。本当に来る意味があったのか?」
「もう。それを調べてるために来たんでしょ。それに私たちの本当の目的は愛を確かめ合うこと……そうだったでしょう?」
そう言ってもう何度目になるか、腕を絡め取られてゴムまりのような柔らかな感触にドキリとする。
「は、離れろって! それに目的を勝手に捏造するな!」
積極的に触れ合おうとする相棒で最近急速に仲が縮まりつつある異性に護堂はなんとか抵抗した。
「あのなぁ、エリカ。俺にはまだそういうのは早いって言ってるだろ」
「もう、護堂ったら冷たいんだから……」
エリカは今まで出会ってきた異性のなかで一際魅惑的な少女だ。護堂も健全な男子高校生として反応するものは確かにあるのだが……彼女の愛を受け容れたが最後、そのまま教会へ拉致されそうな気がする。
人生八十年と仮定しても、護堂はまだ四分の一も生きていない。この程度の人生経験で生涯の伴侶を決めてしまうのは、やはりためらわれる。
境内で飼われている鹿の前で足を止めながら、エリカは護堂へ腕を絡めたまま語りかけてきた。
「護堂、知ってる? 古代の戦士……防人たちはこの鹿島神宮から戦場へ赴いたそうよ? "鹿島立ち"と言ったかしら」
「戦場ってお前なぁ、ただでさえ不吉な状況なのに戦場だなんて。それに戦いなんて縁遠い話だよ」
「あら、世を騒がせる魔王様がそんな事を言うだなんておかしな人」
そう言いざま、エリカは絡めた腕を引くと──いきなりキスしてきた。それも頬ではなく唇に。
「いつもわたしを袖にする罰よ。……それに、これは幸運のおまじないよ? 勝率100%のね。
キスで少しは溜飲を下げたのか、エリカはクスクス笑ってそれ以上は追求してこなかった。たしかにイタリアからはるばるやってきた彼女に素っ気なさすぎたかもしれない。驚きと照れ、そして反省から頭をかきつつ苦笑した。
鹿園を離れてそろそろ諦めようか、という所でとあるものに気がついた。
「ん?」
視界の隅に白い布のようなものが落ちていた。遠目から見ても、そこそこの大きさだ。人一人くらい楽に収まってしまうに違いない。
そんな白布が参道のド真ん中に落ちていた。
「袋、かしら?」
遅れて気付いたエリカが声を掛けた。
袋に間違いないだろうが、ただの袋じゃなさそうだ。
注視していると袋に動きがあった。誰かが触れているわけでもないのに独りでに動いている。もちろん風が吹いているわけでもない。
袋は護堂たちを誘うようにずるずると奥参道から繋がる
「──エリカ、間違いなくあの先に
カンピオーネの体が勝手に臨戦態勢へと近づいた。
この春休みから生まれ変わった身体は便利でありながらとても不便だ。
感覚が鋭すぎてスポーツをやればズルと言えるくらいだし、頑丈すぎて友達とじゃれ合うのだって気を遣う。
今だってそうだ。敵が近づけば自動的に戦闘に最適なコンディションに無理やり引き上げられてしまう。カンピオーネの敵とはつまり──『神に連なる者』たち。
エリカも居住まいを正し騎士の顔になった。さすがは相棒だ。
「追う、しかないよなァ」
背の高いスギやシイが自生する樹叢を見ながら気だるそうに零した。
「じゃあどうするの? 面倒事はゴメンだって見て見ぬふりをするのかしら」
「だからって放っておけないだろ」
「ふふ、相変わらず素直じゃないんだから……では、お望みのままに我が君」
「そういうのはやめろって」
嫌そうに顔を顰めながら歩き出した護堂にエリカは鈴の音のような声で笑いながら追従した。中途半端な男だ、と。だからこそ支え甲斐があるのだ、と。
草木の生い茂る道は、たとえカンピオーネと騎士であっても歩みが遅くなる。その上、意外に足が早い袋を何度か見失いそうになった。
が、その度に護堂たちを確かめるように立ち止まって追いつくのを待っていた。
罠の可能性も捨てきれず警戒も十分に取っていたが、何かを仕掛けてくる様子はない。それどころか早く来いとせっついている様子ですらあった。
やがて境内を登ると開けた場所に出た。
中心に大岩があるだけの人界とは異なる神韻縹渺たる雰囲気が漂う場所。人払いがなされているのもあるが、人工物が一切視界に入らないからだろうか、異様に静謐さを保つ空間に少しだけ気圧される。
そして、その先には人影があった。
「……本当にサンタがいるな……」
「ええ。でも……サンタと言うより……」
「ダルマ、に近いのか?」
サイトで見たイラストはそこそこ正鵠を射ていたらしい、一目であれが黒サンタだと見抜けた。
待ち構えて居たのは、杖をつきさっきまで追いかけていた大袋を担ぐお面の男だった。そして黒サンタの正体らしい。サンタというより水墨画の世界に居そうな男だったが。
大岩に座っている噂の黒サンタは袋を背負い、確かにサンタクロースさながらだ。でも袋を背負っている代わりに紅い衣装を身にまとっていない。
墨色のボロきれ一枚を身体に引っ掛け、でっぷりとした体格でお腹を揺らしていた。
お面はにこやかな福の神を思わせる笑みが彫られ、ふくよかな体格も相まって福の神と言われれば信じてしまいそうだ。
だが福の神やサンタクロースのような煌びやかな感触はない。富の分配者ではなく、みすぼらしい貧者という方がしっくり来た。
間違いない。黒いサンタは『神に連なる者』だ。なにせ彼らは異形か、美しいか、のどちらかなのだから。
「でも、まつろわぬ神じゃないみたいだ」
「ええ。力も格も明らかに数枚落ちるわね。零落した神のなれの果て……神祖の同類かしら?」
ヒソヒソと小言で観察と考察を重ねながら近づくと、黒いサンタ(仮)は杖をついて立ち上がり──軽妙に舞い上がった。
長い木歯の下駄で器用に着地すると、護堂たちを待ちかねた客人へそうするように両手を広げた。
「ホ。ホ。よくぞ参られた"勇者"よ」
「えーと、あんたが俺をここに呼んだのか……?」
「左様。神殺し殿と我らには浅からぬ因縁があるゆえ躊躇いはしたのですが、そうも言ってられぬようでしてな! おっと、拙僧から
そういうと黒いサンタ(仮)はハゲ散らかった頭を指でグリグリと回し始めた。いわゆる一休さんがトンチを出す、あの仕草だ。
「しかし、我が名は捨て去りましたゆえ本来の名は憚りまする。今は一介の坊主にございますれば……。そうですなぁ、かつての我が尊貴なる盟友にあやかって黒坊主とでも名乗るとしましょうか」
「黒坊主、ね」
黒坊主と名乗った坊主はどうにも威厳に欠けているからか肩から力が抜けてしまった。護堂はこの界隈に足を突っ込んで以来、命の取り合いしか経験がなかった。
思えば東方の軍神にフェニキアの神王、例えば同族のサルバトーレ・ドニ。
性格や性質は違えど、誰しも気の抜けないオーラがあった。油断すれば容易く命を絶たれる予感がひしめいていた。
翻って黒坊はフレンドリーで、非力だった。まだまだキャリアの浅い護堂にとって初めての手合いだ。
「あなた様を招いたのは他でもありませぬ。拙僧の問いに答えていただきたかったのです」
「問い? なにか質問でもあるのか?」
「左様。実は先立って我こそはという勇者を集っておりましてな……。この日ノ本におわす神殺し殿にもご助力を賜りたいと思った次第」
勇者……?
ゲームやコミックでは頻出するワードだが現実世界だと耳慣れない単語に思わず眉をひそめた。耳にするとしても護堂を『王』と崇める業界くらいだ……つまりろくでもないということだ。
怪訝さを隠さない護堂に一切気に止めることなく、黒坊主はさっきまで背負っていた大袋を掲げるとややあって叫んだ。
「我が本懐成就のため──どうかこの子と立ち会おくださいませ!」
大袋が口を開き、なんと巨大な
南米の熱帯雨林に生息する世界最大のペルビアンジャイアントオオムカデ*3ですら40cmほどだというのに黒坊主の出したオオムカデは明らかに全長20mほど。
自然界から逸脱した存在。オオムカデもまた神に連なる存在だった。
GYAAAAAAA!
オオムカデの咆哮が鹿島神宮の境内を揺らし樹叢の木々に留まっていた鳥たちが泡を食って一斉に飛び上がった。
「ちくしょう! 結局こうなるのかよッ!」
「護堂、気をつけて! あのオオムカデは神獣よ! まつろわぬ神には遠く及ばないとはいえ、あなたを害する事はできるわ!」
草薙護堂が古代ペルシアの軍神から簒奪した権能は非常にピーキーだ。まず発動する前に特定の条件を満たさなければ発動すらできない。
とはいえ発動さえしてしまえばデタラメな能力を発揮できるのだが。
「我は最強にして、全ての勝利を掴む者なり」
『雄牛』
たとえば今行使した"雄牛"などは並外れた剛力の者と戦わなければならない。
しかも生半可な力では却下されるようで、フィジカル面でいかに優れた人間と戦ってもグルメらしい"雄牛"の舌は納得してくれない。
人喰い虎だとか、いま目の前にいる関東を穴だらけにしてしまいそうなオオムカデレベルにならないと使えないのだ。
「人と悪魔──全ての敵と、全ての敵意を挫く者なり。故に我は、立ちふさがる全ての敵を打ち破らん!」
聖なる牛をイメージしながら呟く。護堂殺めた軍神が降臨と共に詠んだという聖句であり、神の権能を維持し、活性化させるための燃料のようなものだ。
言霊とは魔術だ、とは古代の考え方だ。
けれども言霊の力は現代でも衰えていない。
たとえば学校の教室で「起立、礼」と言うだけで三十人近い人間を一斉に動かせるのは周知の事実だろう。そして人一人の体重を五十kgと仮定しても1t以上の質量をたった一言で動かせるのだ。
そんな概念は、言霊以外ではそうそう見当たらない。
ただの人間ですら莫大な効力を発揮する言霊を、森羅万象の上に立つ天上の神々やその神を殺めたカンピオーネが朗々と歌い上げ燃料とする。それだけで天災に比肩しうる莫大なエネルギーが発生するのだ。
「護堂!」
エリカの鋭い声が届いた。エリカの得物──クオレ・ディ・レオーネと呼ばれる刀身の長い長剣をいつの間にか手にし、オオムカデへ向かっていた。
見ればオオムカデは地面へ潜り込もうとしているらしい、毒のしたたる顎肢を大地へ突き刺さそうとしている。
"雄牛"の使用可能時間は十分程度だ。それ以上は丸一日は再使用できなくなるし、化身を入れ替えると怪力も失われる。とはいえやはり使い勝手がいい。
エリカが地面に向かうオオムカデを妨害している間に、護堂が不格好ながらその胴体に組み付くと、怪力でオオムカデを持ち上げ、投げ飛ばした。
「おお! なんという剛力! タケミカヅチとタケミナカタのいにしえの戦いを思い起こさせる見事な男ぶりにございますなぁ!」
黒坊主がやんややんやと喝采を上げるのにイラつきながら、地面に叩きつけたオオムカデの顔面を蹴っ飛ばす。
毒の混じった体液を吐きながら呻吟するオオムカデを哀れに思いながら、抵抗出来ないように手足を潰しておいた。
長い胴体をくだり、一瞬、””尾が不自然に途切れている”のが気になった。だが、関係ないとトドメに強かにぶん殴ると苦悶しながらいそいそと袋の中へ帰っていった。
「ホッホッホッ。見事なる武勇にございましたなぁ」
黒坊主は手下の神獣がやられたというのに、焦っている様子は全くなかった。それどころか喜んでいる風でもあった。
警戒を怠ることなく見据える。飛びかかればいつでも黒坊主の皺首を掴める距離だ。
「あんたが何を企んでるか知らないがここら辺で止めといた方が身のためだぞ。これ以上は本気で止めなくちゃならない」
「ホホホ」
護堂の脅しに黒坊主は意に介した風もなく小さく笑った。護堂の視線が厳しくなるが、黒坊主は構わず歩み寄って来た。
茂みに視線を巡らせると、いつの間にか姿を消して潜伏しているエリカの姿が見えた。何時でもサポートしてくれる相棒を心強く思いつつ、黒坊主を注視する。
「日ノ本の『王』よ」
「若く善良なる『王』よ」
「拙僧はあなたの武勇と奥底に輝く光輝を垣間見て、更なる確信を獲ましたぞ」
まだ牡牛の使用時間は切れていない。拳を握って権能の調子を確かめながら近づく黒坊主に意識を向けた。
黒坊主は一定の場所で立ち止まると口を再度開いた。
「日ノ本の『王』よ」
「若く善良なる『王』よ」
「汝、勇者なりや?」
不可解な問い。だが、護堂はいつもの調子で答えた。答えてしまった。
「──悪いけど。俺はアンタが探している勇者ってやつじゃないと思うぞ」
にぃ。仮面が
象られた白い仮面のデザインは一切変化していないのに、雰囲気だけは反転していた。おぞましさを湧き立たせる光景だった。
「ホ、ホ。ではそなたは勇者でないと?」
「ああ。そう言ってるだろ」
「快なり。快なり」
黒坊主の愉快げな声が拓けた境内に空々しく響いた。成り行きを見守っていたエリカ・ブランデッリは危険な兆候を感じ取り、護堂の傍に駆け寄ろうと潜むのを止め立ち上がった。
エリカはその途上で、違和感を察知しすぐに悟った。視線を巡らせばさっきまで地面に転がっていた大袋がない。
「なぜそなたは力を示されたのに嘘偽りを申すのか?」
「──そなたは
「はじまりの勇者となるべき御方よ! なぜ勇者ではないと固辞なさるのか……そなたが勇者でないと認めぬ限り、試練は絶え間なく訪れるでしょう」
「なんだって?」
迂闊! 傍に這い寄ってきた袋が大口を開け、黒坊主に気を取られていた護堂を一息に飲み込んだ。
「護堂!」
「エリ……」
手を伸ばすが、届かない。手は空を切り護堂とエリカは
「やられたっ! ──エリ、エリ、レマ・サバクタニ! 主よ、何故我を見捨て給う!」
古の聖者が死に際し、神への絶望と渇望をこめて詠んだ禍歌にして賛歌。負の冷気がエリカの握る長剣クオレ・ディ・レオーレへ集まっていく。
エリカが使用出来る最高位の呪文であり、まつろわぬ神やカンピオーネですら傷付ける聖者殺しの言霊だ。
黒坊主に切りかかるが、相手が喋るのが一瞬早かった。
「
たった一言で身体が縫い付けられた。権威と力ある言葉だった。
拘束時間は短かったがその間に大袋はエリカから大きく距離を開け、その間に黒坊主が遮るように立った。
「くっ! ……護堂を、何処へやったの!?」
「ホ! 気丈な娘さんだ……勇者降臨の成就はまだ先なのだ。道半ばで命を粗末にするものではないよ。拙僧も、そなたもな?」
愚昧な信徒を諌めるように黒坊主はエリカを戒めた。長い木歯の下駄で軽快なステップを踏み、急襲するエリカの剣を躱す。
「ホッホー!」
苛立ちで大振りになった攻撃を見逃さず、黒坊主は軽妙な動きで後ろへ大きく跳躍した。その先にある袋の中に飛び込んだかと思うと、黒坊主は姿を消した。
ならあの大袋を!そして袋を回収しようと手を伸ばしたが。袋自身も独りでに動き、その大口で袋自身を呑みこみ、跡形もなく消え去ってしまった。
「なんてこと! 護堂……ッ!」
一人取り残された戦場で、主を拉致された騎士は地面を強く殴りつけた。