護堂との再会。
それが意味するところを斉天大聖は理解していた。己が施した最高位の封印術『石山岩窟』の大呪術が破られた。
例えありとあらゆる呪詛を弾くカンピオーネさえ複数人捕縛可能な代物。
それを驚くほどの短期間で抜け出してきたのだ、この神殺しは。
護堂が現れた時点で──斉天大聖は不遜な言葉を投げてきた巫女の存在など頭のなかから完全に排除仕切っていた。
強壮にして無双なる神仙孫悟空をまえに矮小なる人のやんちゃなど大悪党である神殺しに比べれば目くそ鼻くそだ。
「
笑声が止まらない。
認めるとしよう。かの若き神殺しは強者だ。
それにいまだ隠し玉を腹に抱えている。
なんちゅう太っ腹なやつ。まだこの孫様を愉しませる腹積もりらしい。
「おもしろいのぉ、おもしろいやつじゃ! 楽しませてくれる!」
上機嫌な斉天大聖は猿さながらの跳躍で距離を取った。
常ならば筋斗雲に乗り込み、高みから見下ろすのだが……筋斗雲もこの手癖の悪い神殺しに盗み出されている。如意禁錮棒も一度折られた。
祐理へ、人間に向けたものだったとはいえ闘神の一撃を苦も無く防がれた……。
『弼馬温』から解放されてすぐの寝起きだった、そんな言い訳が出来ないほどの失点の数々。
自尊心を強さに変えるまつろわぬ神なら、激昂してあまりある。
だからこそ斉天大聖は笑う。
《鋼》の本懐である。
「はははは。こうも早く石山岩窟の術が破られるとは予想しておらなんだ。さすがは人の身で神を殺めた魔王じゃ……まあ体はとうに人とも言えぬ怪物じゃがの!」
四足の獣のごとく後肢で地面を踏みかため、左前肢を同じく地面に、そして右前肢で如意禁錮棒を握りしめる。飛びかかる寸前の鳥獣さながらの構えで、若き神殺しを威嚇じみた笑みを向ける。
静と動の入り混じった殺気。
動物が獲物を捕らえる機会をうかがい時が熟せば一気呵成に飛びかかるのと同じ動作。そこに肉食動物も草食動物も雑食動物も関係ない。ただ生存と捕食のみを目的とした洗練された殺気があった。
「言っておくが俺は魔術なんて訳のわからない代物、全然精通してないぞ。ただ俺の仲間がそういうのが得意だっただけだ」
「くはは。その仲間集めた豪運と人徳もまた実力のうちじゃろうて。
カンピオーネは闘いの申し子ゆえに何をしてくるか分からない恐さがある。特に今、事を構えている──草薙護堂とかいう若き神殺しはそれに輪をかけて手癖が悪い。
闘勝戦仏と謳われた己すら瞠目させる手札を次々と繰り出すバトルスタイル。
《鋼》は強者との闘争こそを至上とする。ならばこの若き神殺しは格別だ。
じりじりと時が煮詰まっていく。
軽口を叩いていた斉天大聖が口を閉じ、護堂が腕を軽く前に掲げる。
構えられた如意棒は切っ先を護堂の喉元につきつけて離さない。如意棒による突きを警戒する護堂をよそに斉天大聖はやにわに足元──足指で印を切った。
坤──大地を記す
しかし護堂もさるもの、勝負事への嗅覚は尋常ではない。
「邪なる者は我を触れること能わず!
呪力を焚き上げ、あたりに漂っていた波打つ黄金の羊毛を凝縮させる。先程、祐理への一撃を防いだ羊毛である。
優れた弾力性で音すら吸収し、斉天大聖の山を崩壊させる絶技を凌ぎきる。
金色の結界を境にして斉天大聖との視線が交差する。
「は、見事! 一度ならず二度も我が鉄棒を防ぐとは、小なりなれど万夫すら開くこと敵わぬ関のごとき堅牢さ! よもや、我が一撃すら防ぐ楯すら持っておったか!」
「あんたが俺を死ぬ寸まで追い込んだから使える力だぞ! 悪態つけるなら、乱暴な自分の性根にいえ!」
「神殺しがそれを言うかね!」
護堂と祐理を包み込む黄金の球体が、濃淡を変え、闇夜の森を彩る。軽捷な猿神の一撃必殺の乱舞をことごとく無効化していく。
『雄羊』の要塞は斉天大聖の打撃すらも無に還す。
かつてメルカルトとの戦いでイナゴの大群を防いだテンプル騎士団の防衛魔術"
『
権能をカードリッジとし、『
行使するには三工程が必須となるが、抜群に対応力がある。
とは言え。
手をこまねいている斉天大聖を注視しながら、護堂は焦りを覚えていた。
「はぁ、はっ、はあっ……!」
背中から聞こえる祐理の息が荒い。
相当消耗しているのが顔を向けなくても分かる。
護堂がいない間に無茶をしたのだろう、『強風』が使えた時点で、祐理は相当な無茶をやっている。
ウルスラグナ第一の化身『強風』は、厄介な化身だ。とにかく発動条件を満たすのが難しい。
なにせ知り合いか友達や仲間が窮地に陥ったとき──それこそまつろわぬ神に命を狙われた時にしか使えない。
人並みより大きく体力が劣る彼女がそんな無茶をすれば命を削ることになるに決まっている。早く彼女を安全地帯に運ばなければ……そう決意するが状況は、否、まつろわぬ神はそれを許さない。
「背に隠れる娘がそんなに大事か草薙の! なんとも
斉天大聖が見覚えのある印を切った。
「さぁて御覧じろッ籠城をする城には火でも撒いて燻り出すのが常道じゃろうて──炎々烈々として空に
「この呪言は……またあれを使うつもりか!?」
斉天大聖の呪言に背筋が冷える。
先刻、浜離宮恩賜庭園で護堂の四肢をさんざっぱらに焼き尽くした真火三昧。あの劫火をふたたび見舞おうというのだ。
このまま『雄羊』の守護結界で守りを貫いてもいいが──
しかし護堂はその選択肢を選ばず、『雄羊』の要塞へ呪力を過剰供給させた。
黄金のフィールドが瞬く間に膨張していく。水を吸って膨張する樹脂のごとく面積を増し、斉天大聖を押しつぶす勢いで雪崩打つ。
楯はなにも防ぐだけしか能がないわけでない。
シールドバッシュのように打撃にも転用可能だ。
とはいえ『雄羊』の要塞は柔らかすぎて打撃には向かない。
ならば膨らませて敵を押し込む。
呪力を滾らせ呪力を練っていた斉天大聖も一時中断し、その場から逃れた。高速機動を基本とする斉天大聖が押し潰されれば強みが失われる。
それを見逃す神殺しではない。大きく後方に跳躍し──
「むぅ!」
斉天大聖が距離をとった瞬間、護堂が動いた。
『雄羊』の要塞はへの呪力供給を打ち切り、次のカードを切る。
それからの護堂の挙動は少々奇抜だった。
警戒する斉天大聖を横目に護堂が指を口のなかに入れ──ぐぎっ! 鮮血と歯肉のひっついた奥歯を抜き取った。
ぴんっ、と軽い調子で弾く。
「最近知ったんだ。
「ッ!?」
そのまま空中を滑空し、斉天大聖の眼前へと肉薄した。
直進した歯の弾丸は、速度もなく、威力も大したものではない。だが……斉天大聖は咄嗟に拳を握った。
ガオン! 闘勝戦仏と呼ばれた神はそれだけで空間を歪める。握りつぶした空間により歯の弾丸の狙いがズレ、手の甲を掠めるにとどまった。
しかし。
斉天大聖がおもむろに手刀で掠った腕を切り飛ばした。切り飛ばした腕がその場でヒビ割れ、ボロボロに崩れ去る。
隻腕になった斉天大聖だが、彼は戦場での不死性を備えた《鋼》だ。失った腕もまたたく間に再生する。
「むうぅぅぅ、あれだけの傷で我の手が崩れるとな!? 必滅の相を宿した牙といったところか、厄介な……」
「まだだ! そいつは障碍を打ち破るまで何度だって牙を剥くぞ!」
「ぬおおっ!!」
通り過ぎた歯がその場で弾ける。
その数、十。
十の破片はやがて鋭く伸長させ刀身二メートルほどのサイズになるとドローンさながらに空中を浮遊した。黄金に輝く『智慧の剣』とは異なった白と黒の意匠。
黒白の剣牙は斉天大聖を中心に弧を描いて取り囲み、包囲陣形を敷く。
斉天大聖が目を眇め、挙動全てに目をつけるのと護堂が意思を発するのは同時。
一直線に斉天大聖を串刺しにせんと飛来する。
『智慧の剣』のように護堂という指揮者のふるうタクトで演武するわけではない。そんな小器用な真似はできない。ただ直線と鋭角を描いて障碍へと飛び立つのみ。
ただ。
そこからの斉天大聖の挙動、わずか五秒間の攻防はまさに中華最大の闘神のものであった。
二、左右から迫る剣牙を雷撃で撃ち落とす。
四、超速で一文字に放たれた剣閃の包囲網を颶風で惑わしを潜り抜ける。
三、三重に重なった大剣へと右拳を叩きつけ即座に切り飛ばす。
六、剣先に呪力を集中させ打ち出された光線を岩盤を抉りぬく震脚で防ぐ。
十、突貫させたすべての剣牙が分身に叩き折られ消滅する。
「
咆哮一閃。
魔猿の猛りが世を揺るがす。おそるべき怪しさを放つ輝く瞳が、護堂を射抜く。
神々との戦いでそれほど動じなくなって来た護堂ですら瞠目する殺気と技巧。
「クソッタレ……これほどなのかっ!」
現状、持ちうるすべてを叩き込んでも未だ健在。それどころか瑕瑾も得ていない。まともに戦えば神殺しである護堂でさえ数秒と持たない壮絶さ。
隔絶した実力差に絶望し、膝をつきそうになる──いや、こんなのは自分ではない。
まさか思考を差し込まれた?
脳髄に叩きつけられた彼我の実力差という間隙に、幻術に惑わされた。
武技と道術の併せ技。
意識の再建と再確認にリソースを割かれ、接近する斉天大聖へ十全に対応できない。
斉天大聖の右前肢──右拳が強烈に輝く。
護堂は反射的に悟った。あの光は浜離宮恩賜庭園で、斉天大聖の肩口を熔解させた拳型超超高熱のレーザー砲。
ほぼ全能に近い道術の神だからこその妙技。つまり斉天大聖は護堂の権能を"猿真似"してきたのだ!
あれをまともに受ければ『雄牛』の行使を願うまでもなく即死は免れない。
「くっ、おぉぉ……!」
呻く護堂だがまだ手はある。
聖句をつむぎ、辺りに転がっていた防具を叩き起す。
「我こそ最も
周囲を漂っていた『雄羊』の要塞に呪力を流し込み、守護結界を再起動させた。
『
武具を造り上げるほどアドバンテージを獲得する。
これまで何度も斉天大聖の攻撃を阻んだ防壁。だが今回は毛色が違う。
守護結界のそこかしこから噴煙が吹き上がり、結界の中にいる護堂たちすら蒸し焼きになりそうな高温と化す。
「ぁあ……っ」
背中から滲むような呻吟が漏れる。カンピオーネのバケモノじみた耐久性でもないとこの熱波は厳しい。
あと一分でも焦れていれば死が見えてくる、そんな温度。
護堂は思った。
対応が早い、あまりにも。それに手数の多さが尋常じゃない。
これが闘いの神のスピード感。これが武術と仙術と極めたまつろわぬ神の厚みか。護堂は歯噛みした。
難攻不落の楯すら、楯を構える敵ごと滅相することで攻略してくる。
それに、戦上手な闘神としての側面だけではない。
斉天大聖・孫悟空という神は──空間の支配者だ。
カンピオーネ・草薙護堂はウルスラグナから簒奪した権能によってさまざまに
攻撃が全て必殺技になりうる強力な個。状況に応じて武器を変え、後の先──強烈なカウンターを叩き込むバトルスタイル。しかし結局、ルール上に散りばめられた手札と状況で戦略を組み立てなければならない。
盤面をひっくり返せるが、ひっくり返せるほどのピースが揃わなければ容易く攻略されかねない。そんな脆さが拭えない。
個の強さで無法を敷く強烈さがない、球児時代のキャッチャーの戦いから抜け出せていないのだ。
対してまつろわぬ斉天大聖は空間を
護堂を捕らえた石山岩窟の術も、大地を縮めた坤の印も、世を大火で染め上げる真火三昧も。森羅万象を我がものとする巧みな仙術が、盤面を意のままに変化させてしまう。
伸縮自在の如意棒や万里をかける筋斗雲も、空間の支配者が三次元的な攻撃を叩き込む手段なのだ。
全なる猛威でもって森羅万象を打ち崩す神仙。
護堂はこの一切隙のない完全者に挑まなければならない。
「どうする草薙のぉ! その娘っ子もろとも、む──?」
囃し立てようと張り上げた声が止まった。結界のなかでムジナのごとく息を潜める神殺しの目を垣間見る。その目は死んでいなかった。焦りもない。諦めもない。
目を爛々と輝かせるその様は、砂山から砂金を見つけ出す貧弱のごとく。
闘神としての戦勘が言う。
あの目には策がある。侮るなかれ。侮れば必ずキツい報いを受ける、と。
ふと、思った。そういえば──
(こやつ……今、
さきほど使った権能は牙じみた剣を猪突させる権能だった。長大で鋭い刀身。敵と敵意をえぐり抜く牙。
そう、牙。
多くの動物が武器にもつ牙を、さらに特化させた動物が斉天大聖の思考を駆け巡る。虎、象、海獣、そして……斉天大聖の義兄弟である猪八戒とも関わりの深い動物がいる。ついでに言えばウルスラグナの化身にもその名を連ねる。
ならば化身していたのは当然──
「──やれ、
『猪』
ウルスラグナ第五の化身。
天と地の狭間に黒々とした歪が生じた。どこまでも続く横一文字から、黒き魔獣が世を覗く。神殺しの魔王の破壊衝動をそのままの意味で化身させた漆黒の獣が──
斉天大聖は苛立ちを隠さず、大きく舌打ちし悪態を飛ばす。
「えぇいやはりかッ! 我が二弟・猪剛鬣のごとき黒猪を飼いならしておったとは面倒なことよ!」
暗黒の空間から巨大な猪が飛び出す。
雄々しき四肢で空を踏みしめ、一直線に目指すのは釣り糸に引かれた
大鯰はこれまで斉天大聖がいじめ抜いたせいで弱りきり、釣神に嘲弄され、虫の息だ。かつて百年前に関東大震災を引き起こした威勢は欠けらも無い。海中で釣り針を飲み込み、漁師の巧みな技で海面に顔を出すほど消耗した大魚のごとく息絶え絶えだ。
あの勇猛極まる
斉天大聖は逡巡なく掌のレーザー砲を止め、木と地面を破砕させながら跳躍する。
大鯰をこのまま討ち取られるのはまずい。斉天大聖は本気の焦りが生まれた。
斉天大聖復活を保証するのはまつろわぬ大鯰の圧倒的生命力だ。その生命力を劫掠すれば劫掠するほど斉天大聖は力を取り戻せる。
だからこの日光東照宮まで舞い戻ってきた。
このまま討ち取られれば遅かれ早かれ『弼馬温』の呪縛にふたたび囚われる……それだけは何としてでも避けねばならない。
このような事態を引き起こした神殺しを睨みつけ、行き掛けの駄賃とばかりに首元の毛を抜き取る。鋭利な鉄剣に変えて護堂へと投げつけた。
神の技倆で放たれた剣の投擲。
しかし、その凶刃が護堂へたどり着くことはない。
瞬足を得た護堂が祐理を抱えて猛然とダッシュする。
護堂が『猪』へと化身した理由はさまざまあるが、本命はこの剛健なる瞬足が欲しかったのだ。
『猪』に化身した時、護堂はかなりの突進力を得る。ちょうど『鳳』へ化身したとき猫や猿じみた身軽さを得てしまうのと同じく。
今回はこれを──
斉天大聖と草薙護堂の二度目の戦いはこんな幕切れだった。
酷く呆気ない幕切れ。だが両者とも痛感とともに理解していた。
斉天大聖はさらにまつろわぬ大鯰をいじめ抜き本復を遂げるだろう。
草薙護堂は強大極まる『剣』を鍛造するだろう。
ゆえに──次こそ真なる決戦の時。
雨季のまばらな雨粒を受けながら、小柄な雌鷹が飛翔していた。雲に翳るよわよわしい月光のなかで飛ぶ鷹はやけに目を引く。
それも当然、衰えようとも彼女は女神。
メリッサは鷹の目──天上から戦場を俯瞰的に見下ろしはじめた。
十本の釣り針に引っ張られる巨大な大鯰。
釣り針にしがみついて喚声をあげる人間たち。
漆黒の大イノシシが山野を踏みしめ、大鯰へと牙を突き立てんと咆哮する。
その猪突猛進を巨大化した猿神が阻む。
「なんともまあ混沌とした戦場ですこと。かつてのアルゴー号の殿方たちでさえ、かように異様な戦場には赴いたことがないように思えますわ」
呆れをこぼし、さらに続けた。
「草薙さまと万里谷祐理は戦場を離れましたか。ふふ。草薙さまは要点を見誤らなかったようでございますね」
この戦い、斉天大聖の復活に絡んだ大戦の戦略的な要はまつろわぬ大鯰へ集約される。
斉天大聖がまつろわぬ大鯰を討ち取れば、斉天大聖側の勝ち。それを防げれば護堂側の勝利だ。
極論、斉天大聖がまつろわぬ大鯰を打ち損じ『弼馬温』の再呪縛というタイムオーバーになっても護堂達は勝利だ。
時間が経てば経つほど斉天大聖は追い込まれていく。
つまり。
真打ちである護堂がかの『剣』を造り上げる間、この場にいる者……メリッサと百合若は斉天大聖の劫掠を妨害行為すればするほど勝利は容易となる。
「この状況で体の砕けたわたくしは何をすべきか──うふふ、見えましてよ。我が魔術の秘奥にて草薙さまの勝利を導いて差し上げますわ!」
女神メリッサは神域の叡智を世に示し。
御子百合若は分かたれた己と対話し。
巫女万里谷祐理は王のために命を奉じ。
カンピオーネ草薙護堂は剣を研ぐ。
誰一人として同じ種族はおらず見える景色は違う。
見ている場所も、目指す場所も違う。誰一人として指揮者に従うものはおらず、指揮者になるつもりもない。
破局という文字の上でタップダンスしながら強烈な力と個性だけで難局を蹴っ飛ばす、そんな奇々怪々なチームはこの一連の事件を終局へと導こうとしていた。
しかし──世はそれほど都合よくできてはいない。
勝利を目前にすれば劣勢のものはより奮起する。勝負の魔物は圧倒的な実力をもつ優勝候補すら呑み込んでしまう。
「
二度目の魔猿の喝破が世に轟く。
「な、にが──ッ!?」
天高く舞うメリッサさえ四散しかねないほどの膨大な呪力の爆発。起点は当然、斉天大聖。
そこまでは良い。だが問題なのは──
斉天大聖と同じく魔導を極めた神通無限の魔女神メリッサだからこそ見抜けた。
まつろわぬ斉天大聖の思惑を。まつろわぬ斉天大聖の凶行を。
異変が始まる。
異変のはじまりは風景からだった。
水墨画のごとく山の稜線からヒトの輪郭までぼやけて曖昧になっていく。空が滲み、朦々と霧がけむる。何処からか紅と金で刺繍された鼓が鳴り、世の変遷を祝福する。絶対の理である森羅万象がぼやけて神の膝下へと。
現実というテクスチャーが塗り替えられ、まつろわぬ神の意思によって古代の書物"山海経"さながらに変化する。
月光と驟雨の夜に、荒々しい唄が響き渡る。
「混沌いまだ分れずして天地乱れ、 茫々渺々人の見るなし」
「盤古の鴻蒙を破りしより、 開闢兹より清濁弁る」
「群生を覆載して至仁と仰がれ、 万物を発明して皆善と成す。」
「造化会元の功を知らんと欲せば、 須らく『西遊釈厄伝』を看るべし」
日ノ本一の泰山湖沼、聳える男体山。戦場ヶ原に斉天大聖と邪なる地の大鯰あらわれ、これを退治した。
戦の血潮に惹かれ邪智暴虐なる神殺しの魔王、来れり。
聖魔激しく相食み、大ふへん者・孫悟空を縛る二郎神はなく、おおいに聖を世に顕す。諸邪はすべて滅び、魔王は調伏される。
「これはッ、──
まつろわぬ斉天大聖は『弼馬温』破壊のため大鯰屠殺は絶対だ。そのために、斉天大聖は大鯰を物語という檻に閉じ込めた。もはや大鯰はまな板の上に乗せられたも同然。
つまるところ、物語が確定した結末をたどるように、世界ごと
メリッサの驚愕や動揺をよそに、神の無法が敷かれる。
人の世をどこまで厄する、まつろわぬ神の精髄がここに示される。
デウス・エクス・マキナや運命の糸……。舞台装置を無理やり割り込ませる大仙術が完成する。
孫悟空
ぬぁ──っはっはっは! 我が奥義、ここに成れり(朱顔、金毛の猿猴、禁色の衣をまとった出で立ちで、緋色の鉄棒をシャンシャンと振り回す。ずかずかと男体山の裾野を駆け、呵々大笑して月光のもとに宣言する)
大鯰
ぬぉぉぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおん!!! (と、絶叫す。口の端から毒の泥濘を吐き出す。天地晦冥)
《人々
やあやあやあ! (諸声凄し、皆で綱を引っ張る)
孫悟空
おうおう! 我の意に従わぬ尾のない猿どもよ! 草薙のの首を我が鉄棒に掲げた暁にはどうしてくれよう? 貴様らも眷属に変え残ったものも一人も余さず尽く屠り殺してしまおうぞ(どっと笑い)
孫悟空
神通広大──さまで思い悩んでおることもなかったわ。今の世は仏の末法、