戦女神は微笑まない   作:につけ丸

45 / 46

ここに書かれた神話知識は全て独自解釈と演出によるものです(いつもの詠唱)

西洋の呪歌うんぬんがマイナーなのは許して許して



24話

 

 栃木県 戦場ヶ原 am 2:50 

 

 斉天大聖(ハヌマーン)を切り裂いた──。

 

 確かな手応え。そして『戦士』に言われるまま残心する護堂の耳朶に、何かが転がる音が届いた。

 からん。軽い音を立てて地面に落ちた物体は猿の首ではなかった。

 走らせた視線の先にあったのは赤く象られた猿の仮面。地面に衝突し、バウンドした仮面はたまらなくなったように真っ二つに割れた。

 

 視線を上げるとシュウシュウと白煙を上げ、本来の姿へ戻った斉天大聖が屈辱に染まっていた。

 顔面を五指で覆い、堪えきれない激情が指先を顔に食い込ませる。

 

「ぬぅぅぅ……! 倶利伽羅剣と同じ『智慧の利剣』、これほどか。我の変幻自在の術を破るものなど空前のこと、古今東西の勇士もなし得なかった曲芸よ!」

 

 斉天大聖の苦悶と賞賛混じりの怨嗟が届く。仮面を無理やり剥がした影響か、頭部から大量の出血している。

 黒味の強い妖怪の血だ。アカゲザルの赤ら顔にドス黒い赤が上塗りされていく。

 斉天大聖・孫悟空の根幹となる部分に触れ、刃が届いたのだ。

 

 でも、まだだ。

 

 まだ、足りない。

 

 斉天大聖を打ち倒すにはまだまだ足りない! 

 

 斉天大聖は混淆を重ねる中で、幾つもの仮面も重ねてきた神。一枚剥いた程度でトドメをさせるはずもない! 

 

「……斉天大聖・孫悟空。なぜ《鋼》の闘神であるあんたが、この異界を創り上げることができたのか? そのカラクリを俺は知っている……」

 

 言霊の精製を再開する。

 刀剣の形にしていた『剣』を散開させ、周囲に散りばめる。

 

「それはあんたが──"時空間を支配する神"だったからだ」

 

 目映い『剣』の光が、偽りに染め上げた世界ごと斉天大聖の神力を駆逐していく。護堂の領域が波打つように広がっていく。

 光刃の鋭さは想像を絶するものとなりつつあった。

 

「出せ、斉天大聖! 出し切って来い! 俺はもうすべて出し切るつもりだぞ……金丹を喰らい金甌無欠になったあんたの実力はそんなもんなのか!?」

 

 荒ぶる心猿を言葉の刃で抉りながら、さらに挑発の言葉を畳み掛ける。

 護堂の安い挑発、しかし斉天大聖から殺意が横溢する。

 浜離宮恩賜庭園では乗ってこなかった。しかし今の状況なら乗ってくると踏んでいた。

 

(そうだ。たかが人間相手なんだ。下等だと思い込んでるやつらに大事な過去をほじくられて、激昂しない神なんていない!)

 

 まつろわぬ神はプライドが高ければ高いほど強大でしぶとさを増す。なら冷静でいられるはずもない。

 

 煽り立てる護堂だが、当然狙いがあった。

 メリッサたちの秘策とやらから斉天大聖の目を逸らさせること。

 とにかく猿王の目線を自分に釘付けにして、その裏で準備を重ねる彼女たちの手助けをする。

 言うのは簡単だが、護堂以外のものでは不可能な任務。

 

 

 

 違う。

 

 それはほんの切っ掛けでしかない。

 はっきり言えば、建前だ。

 

 

(四百年か……)

 

 背筋を冷やかし生存本能を脅かす恐るべき神猴の殺気。それに当てられて草薙護堂の口唇と頬の軟肉がヒクつく。カンピオーネの飽くなき闘争心が加速度的に燃え上がっていく。

 

 理由はなんであれまつろわぬ斉天大聖・孫悟空は猿猴神君と名を変え、神魔や龍蛇の類から日本を守護してきた。

 地上に堕ちてこようとも神は神。封じられ、番犬代わりにされようとも神は神。

 まつろわぬ神は存在するだけで周囲に影響を与える。厄災であれ、天恵であれ、神は神であることを止められない。

 理由はどうあれ内心はどうあれ。事実として斉天大聖は日本に入り込んだ狂った神々を蹴散らしてきた守り神だった。

 

 ……戦ってみたい。

 

 その一念を斉天大聖に抱く。

 これではアレクを悪し様に言うことはできない。護堂は苦笑しながら、闘志で揺らめく瞳を向ける。

 だけど抑えきれない。草薙護堂もまた神殺しの魔王、ゆえにカンピオーネの短所が時折剥き出しになる。

 死を招くほどの獣の好奇心を抑えきれない。

 

 斉天大聖はその心を正確に読み取った。

 

「抜かせ小僧が! ……じゃが見せてやろう──洞のなかにこそ乾坤(てんち)はありて、壺のうちにぞ日月(じかん)はながる!」

 

 口訣とともに凄まじい速度で幾重もの印を切る。

 呪力の結実とともに斉天大聖の足元……明々とかがやく月光によって伸びる影、色を増し、面積を増し、そして体積を増す。

 見間違いじゃない。

 影という二次元的な虚像から、巨大な何かが飛び出し顕現する。

 

 あれなるは──荘厳なる神の宮殿。

 朱色と金で彩られた中華様式の木造建築物。その壁面には彩雲のなかを舞う九匹の雲龍や特徴的なしぎさをした三匹の猿。

 紫禁城もかくやと言う城を引っ張り出し、その中心"太和殿"さながらの建物の上に降り立った。

 

 そして胸を反らせて高らかに言う。

 

「かつて我を腑抜けにさせ捕えたこの城も今では思いのまま。我が意に従う如意の城よ! 日光東照宮の裏に聳える我が宮殿──月光の闘勝宮というところかの!」

 

『弼馬温』で囚われていた斉天大聖、あるいは猿猴神君は日光東照宮の西天宮から繋がる幽世の城に閉じ込められていたという。

 あれこそ弼馬温の中心部にして神を閉じ込める檻。猿を閉じ込める厩舎そのもの。斉天大聖にとって最も忌まわしい場所であり、しかし今は絶好の舞台でもある。

 

「言うたはずじゃぞ草薙の……おぬしの『剣』を攻略する方法はいくつもあると! 来ませい、天軍の心胆寒からしめた魑魅魍魎ども! 今代の魔王に目にもの見せてやれ!」

 

 斉天大聖曰く月光闘勝宮の門が開け放たれ、その先から人ならざる妖怪の軍団……否、妖怪の群団が這い出してきた。

 一際目を引くのは城廓よりも背の高い巨大な猿。ゴリラさながらの勇猛さと筋骨隆々とした力強さを持った、神獣。それも九体はいる。

 猿だけじゃない。二足歩行の豚に牛、カッパや白鳳の妖怪たちがズラズラと並ぶ。

 

 襲いかかってくる百鬼夜行を斬、斬、斬! 閃、閃、閃! 星団さながらに空中を舞う光刃で切り裂いていく。

 一太刀で十の妖怪が切り裂かれ、呪力へと還る。一太刀で九、一太刀で八……。じりじりと一度の攻撃で倒せる数が減っていき、追い詰められていく。

 

「多すぎるだろ……!」

 

 無数の獣面人身の妖怪たちに焦りを覚えた。

『剣』は刃だ。当たり前のことだが、どんなに鋭い刃でも使えば使うほど劣化していく。

 刃毀れし、切れ味はどんどん鈍くなる。その性質は『剣』でも変わらない。

 

「やはりの! 単純じゃが道理よな。いかなる神々の闘争の用いられるのじゃ、武器も不朽不滅とはいかぬもの」

 

「……っ」

 

 斉天大聖の読みは正鵠を射ていた。

 

「ぐふふ、ではおぬしの武器が弱ったところでトドメを刺させてもらおうかの! 不朽不滅の武器などありはせぬ! 我が森羅を震わせ碧空を驚かせる一条の鉄棒以外はの! それ、ご披露つかまつらん!」

 

「がぁぁアア! ッ!??」

 

 ずどん、っと鈍重な音を立てて如意金箍棒が巨大化する。雲を擦るほど高く、そして太くなった鉄棒を一気に振り下ろした。

 まるで鉄の津波。

 かつて斉天大聖が竜宮城の竜王からぶんどった鉄棒が、海を思わせるほど広大無辺となって落ちてくる。

 呼び出した妖怪もろとも爆散させつつ重力加速度も上乗せした渾身の一撃。

 

 

「────」

 

 

 金光打擲。星が震えた。

 

 

 隅田川を撃ち抜き、まつろわぬ大鯰を叩き起した攻撃よりも数倍は上回る大質量。

 タイヤを鉄バットで殴りつけたように蒼き星が不自然に(ひしゃ)げ、東アジアから真反対の南米大陸まで大きく鳴動する。

 が。

 

「……。……なんと、これは驚いた……」

 

 その攻撃を直下で受けても、護堂は肉塊としての形を保っていた。いや……人としての形を保っているだけじゃない。

 傷一つ付いていない! 

 

 如意金箍棒と地面の隙間から烈々しい光が乱れ飛ぶ。『剣』を集結させ塊となった球体が盾となったのだ。

 

 球体が、()()()()と動き出しその状態を解く。長い糸が毛糸玉をつくるように、一本の長い剣が球体を作っていたのだ。

 

 ぎゅうん、ぎゅうん。

 長剣は尋常ならざる剣だった。よく見ると高速で回転する光球が一つの円とり、さらに円同士を連結させ、どこまでも長大に。

 まるで団子のように連なりあっている。

 それは蛇のようで、蛇ではない。

 

 虫の胴体、合体節さながら。

 そのフォルムは完成している。古生代シルル紀、四億年を超えても形を変えずに生きながらえてきた古代蟲を象った姿なのだから。

 

 ムカデの姿をした光の剣──奇っ怪なる蛇腹剣。

 

盗人の秘鉱脈(Tacit knowledge)』を混ぜた『戦士』とのコラボレーション。現実には有り得ない、とても戦場では使えない。そんな欠陥武器を実現させる。

 護堂を中心にしてとぐろを巻く蛇腹剣が、受け止めていた如意金箍棒をガリガリ削りはじめる。神珍鉄で作られた不朽不滅の鉄棒が、流動する光球によって潰食していく。

 

 慌てて引き戻す斉天大聖だが、その頃には彼の相棒は無惨な姿になっていた。

 

「財貨と罪科の貯め込まれた隠洞炉よ、我が覇道を(いさ)めるものを打ち破る戈を! ──《鋼》の混淆神・斉天大聖! あんたにとって、最も本質に近く、重大で強大な神性は《鋼》じゃない!戦いや《鋼》は後付けされた要素でしかない。余録として生えてきた仮面だ!」

 

 続けざまに言霊を焚べる。

 

「──! そこまで見切ったか草薙の!」

 

「元時代以降、演劇文化が遅れていた漢民族はそれを取り戻すかのように演劇文化を成熟させていった!」

 

 戯曲、雑劇、京劇。

 演劇こそまつろわぬ斉天大聖の重大なる神髄。《鋼》としての側面と比肩する顔。

《鋼》の神として闘神として名を馳せる。

 そして世をだまくらかして神通力を操る仙術の神としての淵源はここにいる。

 

「演劇は、舞台に上がる演者と、それを鑑賞する観客……現実からは切り離されたいわば"異空間"を生み出す技術だ! 《鋼》の征服神としての仮面をかぶり、世界征服を演じる。それが今、あんたの恐るべき変化の仙術で作られた世界の正体!」

 

 月光に満ちた山吹色のテクスチャーが切り刻まれ、寸断された奥から、帳と雨粒の落ちたる現実世界が顔を出す。

 斉天大聖の威勢が押し戻される。

 だが核である神には届かない。

 触れれば神の外殻ですら粉微塵にする蛇腹剣をステップを踏んで跳躍、紙一重のところで避けていく。

 闘神としての動きではない。

 極まった舞踊。

 結末まで定まった演目を、忠実に、狂気的なまでに、再現していく芝居を司る神としての御業。

 だから彼は──

 

「──()()()・斉天大聖! それが一番あんたの本質に近しい側面だ! 舞台の上で芝居を打つ。その()()()()によってあんたは世界をだまくらかして、時空間の支配者となったんだ!」

 

 たった一つの要素。

 ……あるいは『弼馬温』から抜け出した段階で、複数の魔王の前に現れ、直ぐさま()()()()()()()()()()()()、剣神としての神性を高めていれば……。

 全く別のシナリオが生まれたかもしれない。

 それほど拮抗した可能性。

 だがこの世界ではそれはおきなかった。護堂は単身、斉天大聖と戦っている。

 故に斉天大聖が被るのは《鋼》ではない。戯曲の神としての隠された素顔。

 

「"猿の妖怪"斉天大聖・孫悟空。なぜあんたがサルでなければいけなかったのか? その理由もそこにある!」

 

 とぐろを巻いていた百足剣を一気に開放し、万の群団へと差し向ける。横薙ぎに地面を転がる剣によって妖怪たちが切り刻まれ、鏖殺され、血煙と化す。

 

 しかしその快進撃に、斉天大聖は関心を向けなかった。

 

「やはり若くとも魔王の端くれか……。まあ良いわ。毎震則ち叫呼し、天を射て之を棄てて移去す。来歳の秋馬肥ゆるに至り、復た相率ゐて震所を候ひ、殺羊を埋め、火を然し……」

 

 猿が踊る。

 北方民族や朝鮮のシャーマンのごとく舞踊する。

 剣神と舞踊の融合──神珍鉄の鉄棒が月光を反射して稲妻のごとく夜に煌めく。そして鉄頭銅背、条件は同じこと。斉天大聖の拳も煌めきを得る。

 如意金箍棒と拳の舞いは、護堂を感嘆させ幻惑させるほどの美麗なものがあった。

 中を舞い、円を描く、丈長き如意棒。

 一度、二度、緩やかな回転とともに大聖を覆い隠す。まるで舞台の暗幕のごとく。

 

 そして、斉天大聖が一人増えた。二人増えた。見間違いじゃない。転変するシーンに合わせて早着替えする演者のごとく。

 三人となった三猿はやがて合一した。舞台の芝居道具を使って変身するように──三面六臂を作り出す。

 護堂は目を細めた。ひどく喉が乾く。

 

 全神経は草薙護堂へと向けられた。

 

 斉天大聖が、自ら退路を断ったのだ。

 

 三面六臂。もはや猿王に死角はない。そして見せる背中もない。

 

(ここまで持ち込めた……。あとは祐理たちは信じるしかない、か)

 

 ただそのための代価は高く付きそうだ。

 猿王の纏うは豪傑のみが持ちうる王者之風。闘神としての己にさらに殉じようという気構えを犇々と感じる。

 来るのか。まだまだ未熟な護堂にとって正面突破されるのが一番辛い。

 数の暴力も蛇腹剣でどうにか誤魔化せたが……今回はどうなるか。

 

 吐く唾も出ないほど、口内が乾く。

 

 

 


 

 

『太陽の娘のその魔法の杯を味わった者は、その直立した姿を失い、卑屈な豚のように転げ落ちる……急拵えではありますが、十分。さあ、はじめましょう』

 

 変身術を司る魔女神が、己の神力を高める玲瓏な言霊を歌い上げ、宣言した。やがてゆっくりとした動作で結跏趺坐の姿勢で集中していた祐理へと目線を動かす。

 

 祐理は我が意を得たりと強く頷く。

 

「はい、メリッサさま……義なる勇士よ、この言霊を子のため父のため、同胞(はらから)のために伝えよ」

 

 護堂から授かった『少年』の加護を稼働させる。

 

 本来であれば祐理の姿はウルスラグナの神力の発現とともに十二単と羽衣を得て亜麻色の髪と玻璃の瞳も絶世の佳人となるはずであった。

 

 しかし今は──。

 

 才薄きミューズどもよ。白きユリをたたえるのにどんな詩句を見つけ出せるか。

 麗貌を絹の薄衣でおおい、一際耀く柔らかな亜麻色の髪には一輪の白百合を刺す。十二単の衣装でもどこか西洋チック。腰に巻いた帯紐を金に染めてその先は豪奢なトーガを思わせる白絹。

 パロスの大理石もそれほどに白くはなく、 極上の甘松香(ナルド)も私の百合にはおよばない。

 

 三人は大鯰の上に描かれた魔法陣へと歩み寄った。その中心部で、手を繋いでサークルをつくる。

 百合若も今ばかりは静かに瞑目して、集中している。やがてメリッサが端然と胸を反らせて双翼を伸ばした。

 

 メリッサの神力がお手本を示すように立ち上る。続いて百合若からも、そして祐理も。三方から立ち上る光の柱はやがて、形を失い、ぐるぐると時計回りに円環を作り出す。

 

 光のリングはやがて祐理の手元で集約すると、一個のハンドベルへと形象された。

 帳の下りた暗天へ、手を伸ばす。伸ばした手から垂れ下がる裾を抑え、鐘を鳴らす。

 

 りぃぃぃ……ぃぃ……ん……。

 

 照魔の音色は始まりの合図。

 口にするのは日ノ本の巫女が逍遙するには不釣り合いな……異国の唄。

 

 

聖なるかな。

 

聖なるかな。

 

聖なるかな。

 

 

 


 

 

 

「ははははは! さきほどから妙におとなしいのう。どうした、もう刀折れ矢も尽きたか!?」

 

 三面六臂となった斉天大聖の殴打に必死に耐える。

 倍になった手数、三倍になった呪言の口数、六倍になった厄介さ。全てを草薙護堂は味わう羽目になった。

 振り抜いた拳でさえ肌がザックリ割れる、当たった日にはそれこそ肉体が爆散するほどの衝撃に死を予感してしまう。

 すでに肋骨は半分は砕かれた。一瞬、不用意に取っ組み合いになったのが不味かった。両腕を二本の手で握られ残る四つの腕で拳撃を叩き込まれた。

 それだけじゃない。『白馬』の銛を模倣したレーザー砲の猿真似で肩は焼かれ、石頭の頭突きで折れた鼻っ柱は鼻血も通さないほど潰されてしまった。

 

「何やら企んでおるの……おぬしがその『剣』を温存しているのは丸わかりじゃ!」

 

「ちっ」

 

 露骨にすぎたか。

 メリッサたちの与えてくれるチャンスを確実なものとするため温存していた『剣』をついに怪しまれ始めた。

 護堂は頭のなかで算盤を弾く。ここが損益分岐点と言うやつ、もう耐えきれない。これ以上手を拱いていれば確実に死ぬ。

 護堂は苦渋のまま光球を集め──そこで。

 

 

 ……りぃぃぃ……ぃぃ……ん……。

 

 

 来た。

 

 草薙護堂の反撃の合図が。

 

 

「むっ!? 何やら嫌な予感がすると思えば……彼奴等、なにをするつもりじゃ!」

 

「──おっと」

 

 軍神としての嗅覚か、過剰に反応した斉天大聖の歩みを阻む。悪神討滅のための星団で取り囲み、包囲していく。

 

 ムカデが猿を噛まんと牙を剥いている。

 

「悪いが、その先へは進ませない。俺の()()にもうちょっとだけ付き合ってくれ」

 

 祐理たちが何を企てているのか、護堂自身知らない。

 彼女たちが戦略なら、こっちは戦術にのめり込む。

 

 それに。

 

「これらの聖句は強大にして雄弁なり。それゆえ全ての敵は我を畏れよ……」

 

 二弟・猪剛鬣と違って女を断った不瀉環精の仙傑なんだろう? 

 そうだ、いまは俺たちの時間だ。戦士だけの時間だ。女子供にかまっている暇はない。

 口角を吊上げて凄惨に嗤う。 

 こっちを見ろ斉天大聖。余所見をしていられるほど、俺は容易い相手じゃないぞ。

 闘志と気迫、そして焦がれるような強者への慕情を込めて鋭く目で告げる。

 

 護堂の戦意に誘われて猿王の視線が吸い込まれていく。

 

「劇はフィクションの世界を作り出す。限られた空間、つまり舞台の上でこの世に有り得ない超常存在すら存在を活動可能な空間をつくる!現実にいるはずのない物語にしかいないはずの超常的存在、幽霊や精霊、神。そして──妖怪たちが跳梁跋扈しはじめた!」

 

 言霊と権能で極限まで引き上げられた身体能力で斉天大聖へと斬り掛かる。三面六臂に真正面から突撃して勝ち目はない。

 死角はないとはいえ、全方位からの飽和攻撃ならどうだ!? 

 

「小説『西遊記』に登場する妖怪たちは過剰と表しても良いほど大量に登場する。猪八戒、 沙悟浄、金角銀角に羅刹女や牛魔王! その多くが妖怪の顔と人間の身体をもつ"獣面人身"の妖怪たちばかりだ!」

 

 だが斉天大聖は避ける。躱す。寸毫の傷だって許さない。大胆かつ繊細。護堂は素晴らしい演舞を見ている気分になった。

 

「なぜ獣面人身の妖怪が多いのか。その答えは小説のなかにはない。現実世界の舞台で披露された、演劇にある!」 

 

 斉天大聖は戯曲神としての神性を高めることで護堂の攻撃を凌いでいる。だったらこっちは『戦士』のもうひとつの能力、思考を読み取り先読みする力に賭けるしかない。

『戦士』の力を高めるために言霊を謳う。まだまだ残弾はある。それほど斉天大聖という神格は複雑怪奇で奥深い! 

 

「斉天大聖! これまであんたが行使してきた変化術の起点は全て"仮面"にある。そうだ──()()()()()()()()()()()!」

 

 ついに斉天大聖に傷がついた。ぴしり、と木片に亀裂が走るような音とともに弾け飛んだ肉片が、神力へと還され、具象化し、一枚の仮面へと変わる。

 

「仮面。それを用いれば人間は、仙術や道術を使えなくても、どんな妖怪にだって変化できた! 人間は仮面という芝居道具一つで劇的に変身することができたんだ!」

 

 妖怪のその起源はほとんど動物にある。

 人間の観察眼と発想力はバカにはできない。かつてパッションフラワーという花から磔にされる神の子を見出したように。

 そうして演劇の流行した元明時代の人々は熱狂のままに動物を起源にした妖怪を模倣し、生み出し続けた。

 

 そして人間と、妖怪という動物の境界を反復する通行証。それが仮面だった。

 

「言うまでもなくサルは最も人間に近しい動物だ! 人間が二足歩行を止めればサルとなり、サルが二足歩行すれば人間に扮することのできる唯一の動物! サルは人と動物とのぎりぎりの境界に立っていた!」

 

「ふははは! 左様! まったくその通りじゃ!」

 

 斉天大聖が得意げに気取った身のこなしで光の蛇腹剣を避ける。(しぐさ)(せりふ)(うた)……戯曲のワンシーンのように軽快に戦場を飛び跳ね、ひょうきんな顔を突き出す。

 戦のなかで血まみれの両指を眉に当て、瞼から頬まで一息に下ろす。

 指に引かれた血痕が縦一文を描き、被った仮面は"道化"。

 素顔すらも仮面と定める生まれながらの寸劇の神。

 

 血痕に上塗りされた火眼金睛を見据える。あの戯けた顔を真っ二つに咲くために。

 

「孫悟空は元々、おとなしい猿の妖怪だった! それを盛られに盛られた経緯を語るのに演劇文化は欠かせないファクタだ!」

 

 南宋の時代。元時代より以前の時点で孫悟空を骨子とした西天取経はすでに成熟していた。

 しかしこの頃の斉天大聖。実はさほど強くもなければ真面目な猿の妖怪。

 悪しざまに言えばつまらないキャラクターだったのだ。

 

「元時代以降、『西遊記』の主人公であるこの"面白くない"孫悟空をいかに面白くするか、当時の創作者たちはさまざまな手を加えた! あらゆる民間伝承……石から生まれる騎馬民族の伝承や天界を鬧がす逸話を混ぜ合わせた!」

 

 言葉の隙間隙間にも斉天大聖の拳が飛んでくる。しかし護堂はすべてを余裕を持って対処し始めていた。

 

 重なり続ける猿王の言霊が、彼の全てを見通す。

 

 道化る仮面の奥にひそむ本音が伝わってくる。

 

 目の前のべらべらと辱め続ける魔王への憤怒。その先で何やら企てを進める三者への危惧。長く眠りから逃れ、解放される自由を取りこぼすかもしれない焦り。

 

 

 そして──。

 

 

 ああ、そうだな……。

 

 そう、だよな……。

 

 護堂はその感情を感じ取り、少しだけ俯き……それでも必殺を込めて言霊を吐き出した。

 

「……そして演劇、雑劇でもその動きはあったはずだ! 人でも動物でもない猿の妖怪・孫悟空が観客を欺きながら舞台を舞う! 妖怪仮面劇のなかで孫悟空を魅力的なキャラクターへと変化させる趣向のひとつだったんだ! 人でも動物のどちらでもない狭間でいくつもの仮面をかぶり、混淆とした舞台で踊り狂う──」

 

 最後の口訣を結ぶ。

 

 ここに斉天大聖・孫悟空必滅の『剣』は完成する。

 

 

「──『仮面の猿』! それがあんたの本質だッ!!!」

 

 

 

 

 

 

 

──聖なるかな──

 

 

 

 

『剣』の完成を見計らったように嫋嫋たる調べが二人の戦場にまで届いた。

 

「!!!」

 

 斉天大聖はそこですべてを理解した。

 

 もとより神通無限、読み取れる道理なし。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

UKYAAAAAAA!!! 

 

 

 

 

 斉天大聖が青筋を立てて白目を剥きながら猿叫した。

 

『弼馬温』を破壊する勝利の鍵であるまつろわぬ大鯰。それを封印する算段をしていたのだ。

 激憤してあまりある事態。

 

「!」

 

 そして若き魔王は瞬時に反応した。

 ついにきた絶好のチャンスを見逃さなかった。

 怒りは勢いを増すが、同時に精細を欠かせる諸刃の剣。闘神としての技量にて裏打ちされた斉天大聖の攻勢が、『戦士』の後押しもあって一気に読みやすくなる。

 

 ──金光一閃。

 

 意識が外れた斉天大聖へ向けて振り下ろす。

 会心の一太刀が、斉天大聖の臍下丹田へと飲み込まれていく。

 

 深く突き刺さり、斉天大聖・孫悟空の神としての核を捉え、抉り抜いた。最後にすくい上げる脳天まで切り裂く逆唐竹割り。

 

 

「──……! お、ぐ、ぎゃあああアアアアアアアアァァああああああああああアアアアアああアアあああ!!!」 

 

 

 二度目の猿叫が木霊する。 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

lalala──la──……。

 

 

 まつろわぬ猿王の領域を具現化した世界で、小さな旋律が奏でられる。

 

 緻密に描かれた魔法陣の上でたった一人独唱を奏でる。

 伴奏もないのにどこまでも鳴り響き、歌声が世を一変させていく。

 

 歌い手は純白と亜麻色の乙女。

 奏でるは素朴な乙女の歌声。

 

 船人を惑わすセイレーンのような魔性を秘めているわけでもない。

 地獄の番犬を眠らせるオルフェウスのような美技で生まれているわけでもない。

 

 あるいは。

 

 場末のスナックの丸椅子に座りながら口遊むバラードのような風情すらある。

 

 それでも。

 

 まつろわぬ神が創世した空間でスポットライトを一身に浴び、世を変遷させたる神秘を秘める。

 

 

 

lalala──la──……。

 

 

lalala──la──……。

 

 

 絹のベールを纏い、胸に抱く幼子へと頬を寄せる。 神聖なる赤子を清らかなる処女の母が抱き、二人揃って声を合わせる。

 

 乙女と幼子の背後に光輪が出現し──二重奏(デュオ)へ。

 

 

 

lalala──la──……。

 

 

lalala──la──……。

 

 

lalala──la──……。

 

 

 小柄な牝鷹から羽毛が消失していく。尾と嘴の先から光の粒子となり解けていき、彼女本来の優美なる肢体が現れる。

 そして女神の背後には燦然とかがやく六枚の翼。

 二重奏する二人を三対六枚の翼が包み込み──三重奏(カルテット)へ。

 

 世界の隅っこ。場末の小さな舞台の上で、三人は仮面を被り、歌い上げる。

 

 万里谷祐理は──『生神女』の仮面を。

 百合若は──『神の子』の仮面を。

 メリッサは──『熾天使』の仮面を。

 

 偽りなれどその奇跡は宿る。無数に作られているはずの御守りや仏像といった偶像に神秘が宿るのと同じく。

 斉天大聖は世界を区切り、己の舞台とすることで世界征服を擬似的に実現した。

 この儀式も広義的には同じこと。

 大鯰の周辺のみに限定して至純とする。純化し、聖化し、三重奏(カルテット)は──至聖三者(トリニティ)へと到った。

 

 清冽なる三重奏の言の葉はやがて意思の息づくロゴス(λόγος)へと──。

 

 

 五世紀、在りし日のコンスタンティノープルで大地震が起きた。戦慄した人々は救済を願い、イコンを掲げて行進した。

 

 やがて一人の少年が天に挙げられた。

 地上に戻った少年は語った。

 

 天上の天使達は讃美の詠を織りなしていたと。

 

 民衆は詞歌を合唱し、天へと捧げた。

 

 

聖なる神(Ἅγιος ὁ Θεός)

 

 

聖なる勇毅( Ἅγιος ἰσχυρός)

 

 

聖なる常生の者や(Ἅγιος ἀθάνατος)

 

 

我等を憐れめよ(ἐλέησον ἡμᾶς)

 

 

 

 祈りは通じ、地震は収まったという。

 古き故事に倣うように歌声を重ね合わせる。

 

 

 この祈りの旋律の名は──。

 

 

 

「「──《トリスアギオン》」」

 

 

 

 美麗なる三つのソプラノが幻想を一撃する。

 

 放たれた純白の光芒。

 地鎮の呪歌(まがうた)が地震を司るまつろわぬ神を柔らかに包み込み、覆い隠していく。

 

 休眠状態から無理やり叩き起され、それから釣り上げられ……死に瀕したナマズは重い瞼を持ち上げた。

 

 

 ぬぉぉぉおおん…………。

 

 

 散々っぱら痛めつけられた大鯰はついに安寧の地を得たかのようの光へと身を委ねた。

 紫の巨大な肉体がほどけ、祐理の持つ鐘のなかへと吸い込まれていく。

 

 祐理がハンドベルをもう一度鳴らし、それから中禅寺湖へと鐘を落とした。

 

 ──ゴォーン。

 

 沈鐘の伝説とともに水底に沈んでいた龍神は、鐘の音色とともに水底へと帰る。隅田川から中禅寺湖へと場所を移しながらも不死の大地震鯰は、ふたたび静謐を得た。

 

 

 斉天大聖はもはやエネルギー供給の手段を失った。

 

『弼馬温』を跳ね返すほどの力の補給は不可能となった。

 

 そして斉天大聖は大鯰を再度叩き起こすには時間がない。

 

 

 故に。

 

 雷雲より世を愉しむ白面の『怨霊の王』が

 坂東より世を刮目する鬼面の『新皇』が。  

 天空より世を見下ろす鵠面の『暁の姫神』が。

 煉獄より世を見上げる黥面の『航海の王』が。

 幽世より世を値踏みする翁面の『暴風の王』が。

 牢獄より世を渇望する猿面の『美猴王』が。

 

 地上の乱痴気騒ぎの行く末を悟った。

 

 まつろわぬ斉天大聖・孫悟空。これにて──詰みと。

 

 







今章で一番めんどくさい話が終わったので独り言

原作で弼馬温の呪縛から逃れたらすぐに魔王殲滅を剣神に誓い、《鋼》の神として護堂たちに立ちはだかった斉天大聖ですがそれがなければどうな神だったのかな?という方向で戯曲神・斉天大聖を書いてました。
いろいろ調べて定まった斉天大聖のイメージは《鋼》と劇の混淆神でして、やはり前面に出てくるのは小説(物語)にまつろうことを止め舞台(現実)に飛び出してきたまつろわぬ神らしいまつろわぬ神なのかなと。
でも舞台に現れたからこそ弼馬温という役柄に縛られる。
とにかく成立過程がめんどくさ……複雑でもう二度と書かんぞという神格でした……。

孫悟空……《鋼》・ 演者・英雄
大鯰……大地・舞台(装置)・龍
護堂……魔王・MC・舞台外から妨害するトリックスター
属性で見るならこんな感じだろうか

最後の大鯰封印の呪歌はゆるぐとも……でも良かったんですが、トリスアギオン(聖三祝文)なのはAWのメタトロンに未だに脳焼かれてるから……
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告