あれから三日が経った。
護堂からはなんの音沙汰もなく、捜索の手がかりも見つけきれなかった。
が、しかし。
……楽観もしていられない。
「せめて護堂を攫った痕跡だけでも残っていれば話は変わったのだけれど……」
額に手を当てて物憂げにため息をつく。
エリカ・ブランデッリは奉じる王が
護堂が攫われた樹叢を調べあげ、鹿島神宮周辺の霊脈を調べあげた。
黒坊主を目撃したという護堂のクラスメイト高木の妹を訪ね、黒サンタのサイトを確認しながら目撃情報のあった場所へ足を運んだ。
黒坊主の神力や術の痕跡を精査し、正史編纂委員会や探査専門の同業者に依頼し、方々に手を尽くした。
しかし全て結果は芳しく無い。
樹叢の植生はありきたりな環境だったし、手がかりになりそうな伝承の残る土地でもなかった。地脈も鹿島神宮も異変が起きた土地だと思えないほど乱れはなかった。
聴取した高木の妹も催眠の術をかけてまで記憶を掘り起こさせたが情報は得られなかった。例のサイトも護堂が攫われた日から更新が途絶えていた。
正史編纂委員会は素っ気なく、知己を得た甘粕に面会を求めても相手にしてくれなかった。
あちらもあちらで捜索しているらしいが、異邦人の……それも目の前でみすみす王をさらわれてしまった騎士に非常に懐疑的な視線を向けてきた。協力を打診するまでもなくエリカは引き下がった。
「まったく、悪い人! そんな事だからブラックサンタに連れ去られてしまうのよ!」
易々と敵の奸計にハマった護堂を詰った。詰ってから自分の声が酷くかすれているのに気づいて、欧州から取り寄せたペリエを流し込んだ。乾ききった喉が炭酸とともに潤されていくのを感じる。
本当ならワインでも入れて酔いに任せたいところだがそんな訳にはいかない。
「本当に甘いのよ……」
酔っていれば間違いなくその先に悪罵が続いたことに気づきながら、それでもそんな王だから剣を捧げたのだと自重した。
最後にもう一口ペリエを流し込み、炭酸の刺激で思考を整える。今は酔いで思考を曇らせる訳にはいかない。
「媛巫女……万里谷祐理といったあの子と接触出来れば良かったのだけれど、あの日から体調を崩して学校にも来ていない、のよね……」
詮無いことだが愚痴らずにはいられない。万里谷祐理の霊視術師の才はそれほど優れていた。
欧州でもまずお目にかかれない霊視術師だがそもそも霊視が発現する確率など一割かそれを下回っている。対する彼女は噂によると六割を超えるという。
長じれば地の位を極めたルクレチア・ゾラや天の位を極めたプリンセス・アリスに比肩する魔女になれるほどの逸材だった。
それほどの術師だ、護堂捜索の手がかりを掴めると思ったのだが。
「無い物ねだりしてもしょうが無いわね……正史編纂委員会に問い合せたけれど宝船は変わらず漂着している。なら、一度排除して考えるべきかしら」
鹿島神宮へ向かうことになった発端。湖月堂に持ち込まれた宝棒を載せていた宝船は変わらず鹿島灘から房総半島の湾岸に流れ着いていた。
つまり以前から変化点はない。宝船の発生に護堂拉致の影響はないと考えて良かった。
「宝船は考慮から捨ててスポットを当てるなら黒坊主とオオムカデになるわ。……でも黒坊主は姿を見せず、鹿島神宮にそれらしき痕跡はない。残るのはオオムカデの神獣だけれど──こちらもダメね」
オオムカデも厄介だった。黒坊主同様、足跡を追えなかった。
当初、オオムカデは強力で獰猛な神獣だったから、裏を返せば隠蔽や術を使う知恵はないと見て楽観的であった。
だがその楽観は裏切られた。黒坊主でさえ護堂を拐かしたあと神力が多少は残っていたのに、オオムカデはてんで追えなかった。
周辺に目撃情報すらなかったのだ。あれだけの巨体で、神獣という巨大な力の塊なのに。
まるで本当に、
「いいえ、おかしいわ……」
幽鬼じみた声音で声を漏らした。
「エリカ・ブランデッリとあろうものが迂闊だったわ! そんな事有り得るはずがない! 神獣の痕跡が──
当然だが神獣は強大だ。まつろわぬ神には及ばないとはいえ非常に強力な怪物である事は疑いようがない。
人類史でも特に傑出した人間が魂をすり減らし研鑽を重ねた果てで、やっと辿り着いた到達点でようやく互角になるかどうかだ。
当然、強大であれば強大であるほど周囲への影響は大きくなる。自明の理だ。台風が過ぎ去ったあとに被害が残るのと同じだ。
その痕跡がないとなれば──。
コンコンコン。
エリカが立ち上がった所でタイミングを合わせたようにメイドのアンナがノックをして入室してきた。
「エリカ様。先ほど徳永明日香さんという方からお電話がありまして。なにやらエリカ様の知り合いの方がお待ちしていると……お会いになられますか?」
「……?」
徳永明日香。
たしか護堂の幼なじみだが、まだ直接の面識はなかったはずだ。無視してもいい。無視してもよかったのだが……後悔することになる。そう己の勘が警鐘を鳴らしていた。
エリカはその警鐘に素直に従うことにした。
「会いましょう。彼女はどこに?」
東京文京区・根津三丁目の商店街に徳永明日香の実家であり家業でもある『すし徳』はあった。護堂の生家からほど近い場所にあるすし徳は、そのまま護堂と明日香の距離の近さを示しているようだった。
明日香はすし徳の前にある自販機に寄りかかりながら所在なさげに待ち人を待っていた。
エリカが近づくと彼女は気配に気づいたのか、足を浮かせて口を開こうとした。しかしエリカはそれを制して口火を切った。
「お待たせして申し訳ないわ。明日香さんとはちゃんとして会うのは初めてね。よろしくね。あなたとは頻繁に顔を合わせることになりそうだから」
牽制の意味を込めて挨拶し、貴婦人の微笑みを浮かべた。
「う、うん。よろしくっ」
明日香は闊達な雰囲気をひそめて非常にやりにくそうに返してきた。
「……それで私の客人はどちらに居るのかしら? 知り合いの方とは聞いているけれど、まだこの国に来て日が浅いから面識がある人も少ないはずだけれど」
「ああ、そうそう外人さんだったよ。名前は名乗ってくれなくて。背の高い黒髪の男の人なんだけど知らない?」
背の高い黒髪……?
ふたつの特徴を持つ男性なんてこの世にいくらでもいるが、エリカの脳裏によぎったのはとある人物だった。
──完全に想定外だが、ありえない話ではない。なぜなら彼の人物は神出鬼没がヒトになったような気まぐれな気性なのだ。
「ちょうど缶コーヒー飲んでて、外人さんだったし道に迷ったのかなって思ったの。それで声掛けたら『エリカ・ブランデッリという少女と話をしに来た。草薙護堂の件だ』って」
沈思していたエリカは弾かれたように顔を上げ明日香と視線を合わせた。
「その方はどこに? 今すぐ会わなければいけないわ。案内してくれるかしら?」
焦燥が咽喉から迫り上がる声を鋭いものへ変えたが、止められなかった。羽織っていたケープを握りしめ明日香を促した。
「う、うん。今うちのお店で食事してるから、えと、呼んでこようか?」
「いえ、私が向かうわ」
すし徳は目の前にある。明日香の案内はいらないだろう、それに巻き込むのもうまくない。
有象無象を寄せ付けないミラノの大騎士としての殺気と気迫を全身から発しながら歩き出し……。
「──待って!」
歩き出したエリカの二の腕を明日香が握りしめてきた。
少なからず驚く。エリカの殺気はそこらの魔獣すら尻尾を巻いて逃げ出すほどだった。でも明日香は引かなかったのだ……震えながらぎゅっと縋るように力強く握りしめられ、視線が重なったエリカは逆に気圧されてしまった。
強い瞳だった。彼女より手強い敵など腐るほど相手にして来たというのに、思わず足が止まってしまった。
「ねぇ、護堂は大丈夫なんだよね……?」
ああ。彼女の強さの理由が分かった。分かってしまった……そして一般人である彼女に詳らかにできない事情を抱えていることも自覚してしまった。
交渉事なら百戦錬磨のエリカを以てしても頬が強張るのを自制出来なかった。
「し、静花ちゃんに聞いても今は護堂と連絡つかないって話だし、だったらエリカさんに連絡したらどうですかって。でも切っ掛けがなくて、それで……あっごめんなさい!」
慌てて手を離した明日香の手を今度はエリカが握り返した。白い腕には手の形をした赤いアザが残ったがエリカに不快はなく、ただ、抑えようのない熱を感じた。
「ごめんなさい。護堂はいま困ったことに巻き込まれてて……ほら、彼って誰かが困っていると見過ごせない人でしょう? あなたの知ってる護堂はそういう男ではないのかしら」
「ううん。……そうだね、そういう奴だもんねアイツ」
明日香はもう深くは追求して来なかった。震えていた手が少しだけ開かれて、エリカの胸がチクリと痛みが走った。
「任せて、いいの?」
「ええ、任せてちょうだい」
さっきよりも更につよい覇気を満腔から湧きだたせ、エリカはその人物のもとへ向かった。取り戻す。全身全霊を賭けて。忠義を誓う王と、さきほど見つけた同志のためにも。
明日香に導かれれ『すし徳』の中へ案内された。件の人物は1番奥にある個室で、静かに日本酒の入った杯を傾けていた。
「待ち人来たる、か」
明日香から聞いていた通りの日本人離れした目鼻立ちに背の高い黒髪。そしてエリカが予想していた人物でもあった。
「初めまして、エリカ・ブランデッリと申します。カンピオーネにあらせられる御身をお待たせしたこと深くお詫びいたしますわ──アレクサンドルさま」
そう。彼こそアレクサンドル・ガスコイン。
護堂と同じくまつろわぬ神を弑逆した魔王、四人目の英国のカンピオーネだった。
アレクサンドル・ガスコインは、本名よりも通り名の方が有名である。
幻視と雷を司る堕天使に勝利し、神速の権能を簒奪した黒き貴公子。魔導杯強奪、ブルターニュの魔女との闘争、数々の事件を巻き起こしてきた。
上記の事件のほぼすべてに聖杯が関わっており、彼が"聖杯"の探求者というのは自他ともに認める事実だろう。
ハンティングなど意外と多趣味でフットワークが軽いヴォバン侯や典型的な陽キャなドニなど体育会系が多いカンピオーネの中で彼はどちらかといえば草食系だ。
不完全性定理を唱えたクルト・ゲーデル、種の起源を発表したチャールズ・ダーウィン、神祖たちがせっせと作り上げたアーサー王伝説を獄中のなかで蹴っ飛ばしたトーマス・マロリー。理論で神のヒエロファニーを引き剥がしたある意味、神殺しと言える学者や詩人に近いのがアレクサンドルだ。
ただ、そうは言ってもまつろわぬ神を直接殺めた戦いの申し子には間違いない。
"旧世代"という呼ばれる、中国の魔教教主やバルカンの狼王、アレクサンドリアの妖しき洞穴の女王、の長らく三王しかいない時代に"新世代"として一番槍を果たした王子。
人は彼を──『
「まずは、座ったらいい。長い話しなるだろうからな」
「……王の配慮に感謝を」
「そう警戒するな。それに俺のことはアレクと呼べ。書くのも読むのも面倒な綴りで呼ばれるのは好かん。適当に頼んでおいたが食べられないものがあるなら言っておけ」
「はっ、重ね重ね……いえ、お気遣いありがたく頂戴いたしますわアレク」
慇懃に接しつつ礼も尽くすがエリカは決して頭を垂れることはなかった。
アレクサンドル・ガスコインは若いながらも英邁な王だが、己が奉ずる主君では決してない。たとえ王が不在だとしても、だ。
やがて料理が運ばれてきた。
本場の寿司だ。イタリアにもカルパッチョなど魚の生食文化はあるが根本から違う。イタリアから渡日して日が浅く、そして珍しいもの好きのエリカだ。
目を輝かせて口に運び、護堂に自分勝手な感想を披露したのだろうが。
美味しいがまったく味に集中出来ない。
目まぐるしく回転している思考が味覚からの信号を完全に無視していた。アレクへの警戒と思考が不要な部分からリソースを奪い切っていた。
しばし箸をすすめ無言の時間が過ぎ去り、やがて唐突にアレクが口を開いた。
「このタイミングで俺がエリカ・ブランデッリの前に現れた。意味はわかるな」
端的な問いかけ。だが明晰なエリカには十分だった。
「どこまで把握している?」
「恥ずかしい話ですが、なにも」
そうか、と頷くアレクに落胆も失望もなかった。
「鹿島神宮で草薙護堂と君が、オオムカデの神獣と接触したのは把握済みだ」
怜悧な瞳がエリカを見据えた。
「そして草薙護堂が"黒坊主"を名乗る怪僧に拉致された事もだ」
やはりか。
外れていて欲しい願望は確かにあったが粉々に打ち砕かれた。アレクはこちらの窮状を把握し、接触してきた。
「前置きしておくが俺もまだ調査段階で全貌を確かめた訳では無い。黒坊主の正体も看破した訳ではない。ただ来日していくつか気になった場所を回って見ただけだ」
そういうアレクだが、まず間違いなくこちらより多くの情報を保有している。情報は力だ。賢人議会と政争を繰り広げてきたこの王では特に。
なぜそんな魔王の前に立っているのに、丸裸でやって来てしまったのか。まるで屠殺を待つ家畜の気分に陥りつつ、気丈に怜悧な瞳を見つめ返した。
「護堂を攫った黒坊主の正体について皆目見当もついていませんわ。そして黒坊主の目的でさえも。それが私の現状です。ですが……」
「ふむ?」
屠殺用のナタを振りあげた魔王の眼前でもエリカは折れなかった。
「ですが。別の確信も生まれました──アレク、あなたが"現れた"という何よりの確証から」
「俺が、現れた? ほぉ、おもしろいことを言う……それだけでなにが分かる。言ってみろ、おもしろい話を聞かせてくれるならな」
アレクはエリカと面会を求めた時点で、鹿島神宮に現れた黒坊主とオオムカデに対して何らかの確信を得ていると考えていい。
風聞から見聞きできるアレクサンドル・ガスコインは用意周到な男だ。そしてフットワークが軽く神出鬼没だが、秘密主義なかんがありプライドが高く確証を得なければまず推論を他人に話したりはしない。
エリカは気を引き締めなおし、小さく息を吐いた。護堂の手がかりを何としてもこの悪辣な魔王から引き出さねばならない。
「その前にひとつ確認させてください。あなたはどの顔で現れたのですか? 英国のカンピオーネとして? 観光客として? 秘宝を盗み出す怪盗として? それとも──"聖杯"の探求者としてでしょうか」
「質問するわりには、結論は出ているようだが?」
「ええ、まあ。黒坊主は言いました。
アレク、今さら思い返すまでもなくあなたは護堂と同様にまつろわぬ神を弑逆した王。"勇者"と称されるに何の過不足もありませんわ」
黒坊主の残した勇者という単語はエリカの中でずっと魚の小骨のように引っかかっていた。ヒーロー、英雄とも訳される勇者という単語は神話伝承ではあまりに氾濫しすぎていて明晰なエリカでも何を意味するのか絞り切れないほどだった。
アレクサンドル・ガスコインというカンピオーネが現れるまでは。
「おそらくアレク、あなたは何処かで関東に出現した黒サンタこと黒坊主の情報を得たのでしょう。そして黒坊主の引き起こしている何らかの策謀を知り、そして"勇者"を集っていることも知り得たはずですわ」
「……」
「では勇者を集う理由とは? それは黒坊主自身がヒントを残していきました」
黒坊主の去り際、エリカの放った渾身の一太刀は重大なヒントをもぎ取るのに成功していた。
『
これが意味するのはつまり、勇者はまだ現れて居ないということ。護堂を勇者と呼びあらわしながらも、別の勇者降臨を希求しているのを示していた。
「数多の勇者を集うことで"勇者"を呼び起こす。蠱毒のごときまつろわぬ神招来の儀式なのではないでしょうか。そのために黒坊主は勇者に相応しい実力者を探し回っている……」
「……おもしろい推論だな。いつか出版が決まったら教えてくれ、たまには伝奇小説に手を出すのも悪くはない」
「それは僥倖ですわ。では私の書き上げる作品の質を高めるためアレクには監修をお願いしたいものですわ──アヴァロンについての」
満たされたお猪口が揺らめいたのを見逃さなかった。
勇者、と耳にすればギリシアのペルセウスやオセットのバトラズに並んで脳裏をよぎるのはアーサー王だろう。
そして"聖杯"の探求者アレクはアーサー王伝説と因縁がある。ブルターニュの魔女とアレクは聖杯を巡って人知れず暗闘を繰り広げているのを思えばすぐに思い至る。
「アヴァロンとは言いましたが、ただのものの例えですわ。わたしが得た確信とは草薙護堂は──””存在しない領域”に護堂は囚われているというもの。鹿島神宮の樹叢以外に神獣の痕跡はなく、忽然とこの世からいなくなったと評していいほど。……そして大袋を通してオオムカデが去った場所へ、護堂も黒坊主も同じように送られたのなら見つからないのも頷けますわ」
アレクが「ほう」と相槌を打った。
「存在しない場所、だと。エリカ・ブランデッリ、つまり貴様はこの世の存在しない領域に草薙護堂が囚われていると言いたいのか?」
「ええ。私たち欧州ではアストラル界、ここ日本では──幽世と呼ばれる領域に」
そしてエリカが幽世をアヴァロンと表したのにも理由があった。なにせ聖杯とアーサー王とアヴァロンには濃密な関係がある。とくにアーサー王伝説とアヴァロンは深く結びついており、いくつかパターンがあるアーサー王伝説の中でもアヴァロンへの船出は必ずセットとなるほどだ。
勇者降臨を希求する黒坊主。
"聖杯"の探求者アレクサンドル・ガスコインの登場。
この世に存在しないアヴァロンに囚われた草薙護堂。
憶測や希望的観測が多分に混じっているもののこれらの要素が揃っていて結びつけないのは無理がある。
アーサー王かそれに近しい神格にまつわる神招来の儀式が目下進行中であり、アレクは敵の狙いや正体のおおよその目星がついている。そう捉えるのが妥当だろうか。
黒王子は口角を歪めて微笑した。
「『王』を失い心神を喪失しているかと思ったが……なかなかどうして。
アレクの賛辞に目礼だけに留めた。
「前置きした通りだが俺は日本の数カ所を回っただけでなんの確証も得られていない。草薙護堂が囚われている場所がアヴァロンなのか、黒坊主が降臨を目論む神はアーサー王なのか……もな」
アレクは唇を湿らせるように一旦、ボウモアを傾けた。
「だがエリカ・ブランデッリ。君に俺を楽しませてくれた礼をせねばならん。俺の知る情報をいくつか開陳するとしよう……だがこの話を聞けば最後、君は引き返せなくなると思ったほうがいい」
「望むところですわアレク」
エリカが居住まいを正し、やがてアレクは語りだした。
「俺が訪れた土地は石川の舳倉島、鳥取の伯耆、滋賀の三上山などの特徴的な伝承が残る土地だ。ただ……それらの場所にはなんの手がかりもなかったが、一つだけ気にかかった場所がある」
「それは?」
「日光市──戦場ヶ原」
「なるほど。二荒神と赤城神が争った神話ですか」
ここ数日、エリカは何もしなかった訳では無い。黒坊主捜索と並行して、オオムカデにまつわる神話を収集し学んでいた。
まつろわぬ神の出現には《原則》がある。
神話を材料にして受肉する以上、顕現する場所の神話の神として現れやすいという原則だ。
日本で西洋の神は現れず、サンタクロースがまつろわぬ神として現れることは無い。逆に言えば日本で顕現する神は日本神話の神々か仏教の御仏に絞られるという事だ。
まつろわぬ神より下位の神獣もその原則に倣う。今回鹿島神宮に現れたオオムカデも大方日本にまつわる神獣と考えた方が自然だ。
欧州では害虫としての記述しか見当たらずスポットが当たった神話伝承を持たないムカデだが、意外にも東アジアの神話では割とポピュラーな存在だ。
それも退治する神話ばかりではない。
現代ではマイナスイメージしかないムカデだが、前にしか進まないという俗信など武士の好む逸話が多く、仏教の四天王"毘沙門天"の眷属とさえ考えられていた。
「日本神話にはまだ疎かな部分があると報告にはあったが……どうやら侮りだったようだな」
「恐縮ですわ。それでアレクはあのオオムカデが赤城の神に関連する神獣だと?」
調べた限り関東地方にもオオムカデが登場する神話は存在する。場所は日光市の戦場ヶ原。二荒神が化身した大蛇と赤城神が化身したオオムカデが争ったという神話は有名だ。まつろわぬ神顕現の原則に従えばたしかに赤城山のオオムカデに繋がるのは当然だろう。
だがアレクは否を示すように鼻を鳴らした。
「それは早合点というものだ。俺があのオオムカデに着目したのは鹿島神宮と赤城山が比較的近い場所にあったからではない。──大蛇とオオムカデが争うという構図にだ」
エリカは脳内に詰め込まれた大量の文献をさらい、そして気付いた。
舳倉島には今昔物語集に記載された説話が、伯耆の大原千町には自分の命と引き換えにオオムカデを退治した
「大蛇が戦士や民衆に百足退治を依頼し、決まって金銀財宝や豊穣を持ち帰る。地域による差はあるが、大蛇とオオムカデが対立するという大筋は同じだ」
「……たしか大蛇とオオムカデが対立するという物語の初出は今昔物語集に収められた舳倉島の説話でしたね……。その類型の起源を説話と見なすか、あるいは山陰や近畿、北陸まで日本海側沿岸部の幅広い地域で伝承が残っているという伝承の分布図を考えれて朝鮮半島から海を渡って広がった、と考えるべきか悩みどころですわね」
エリカが応じるようにいった。
「たしかにオオムカデと大蛇の類型の起源……気になるテーマではある。だが今、俺が重視しているのは──”蛇とムカデが敵対する”という点だ」
訝るエリカに愉悦を見出すように睥睨しながらアレクは衝撃的な言葉を口にした。
「エリカ・ブランデッリ。君は知っているか? この国では地母神に連なる蛇は狩り殺されることを」