「まつろわぬ神は枝に這い、蝸牛はそらにしろしめす……すべて世は事もなし……とは行かないよね。やれやれ、世の中というものはままならないものだ」
パーティーホールの奥でその男装の麗人は来賓を待ちながらひとり零した。
東京・文京区の閑静な洋館。おそらく明治時代に建設されたであろうレトロかつモダンな様式の建物で催されている園遊会を”彼女”は主催していた。
メイン会場は、窓から庭園を望める一階パーティーホール。そこで馨はとある大物と会う約束をしていた。
男装の麗人であり、正史編纂委員会の次期首領にと嘱望される馨は東京分室の長でありながら東京のみならず日本各地にそれなりの影響力を持つ。ちなみに甘粕冬馬の直属の上司でもあった。
そんな立場にあるから客人は当然多い。
けれど今日の客は──あまりにも別格だ。
本来ならこちらからアポを取っても取り合ってくれない。それほどの格にある人物。だが今は先方から面会の要請が来ていた。
そういう仕儀となったのも昨今の日本を取り巻く情勢に起因している。
立場上、彼女には方々から様々な情報が入ってくるわけだが、昨今の日本呪術界を取り巻く情勢は極めて危ういという他ない。
「観測史上初となる日本のカンピオーネを契機に今日まで。いま思い返せば四月から五月までの平穏は、さながら台風や大海嘯の前の一瞬の静けさだったのかもしれないね。五月の終わりから六月にかけて立て続けに起こった、黒サンタの出現、宝船の漂着、鹿島神宮での騒動、草薙護堂の消失……そして」
──ざわり。どこか浮ついていた園遊会の雰囲気が変わった。
入ってきたのはダークグレーのジャケットを羽織った白皙の青年。
そして赤いドレスを着た王冠にも思える金髪の少女。
「この情勢下で正史編纂委員会が接触するカンピオーネは草薙護堂だと予測していたけど──アレク王になるとはね。困ったことに、うちの分室も委員会のお偉方も大混乱だ」
誰に向かって語りかける訳でもなく目を伏してつぶやく。
「あれが黒王子、英国のカンピオーネか……」「案外細いのだな」「若いと聞いていたが、本当に若いな。私の息子ほどか?」「ですがカンピオーネの方々は老けるのが遅いとか」「ほう、羨ましい話ですな」「うぅむ、なんとか縁を結びたいものです……」
アレクを遠巻きに目にしながら決して目を合わせようとしない。ここに集まったのは海千山千の実力者だ。その大人物が顔を背けながらひそひそと話す姿は滑稽だった。
──アレクサンドル・ガスコインは日本に食指伸ばした。
今の日本での共通認識であり最も憂慮すべき話題だった。草薙護堂という日本の王となるべき存在が居ない以上、アレクサンドル・ガスコインが過大な要求をしても唯々諾々と従うしかない。それは日本呪術界の『官』も『民』も看過できない問題だった。
「エリカ・ブランデッリだ」「おお、あれが」「相変わらず美しい」「悪女め……」「よくもまあぬけぬけと」
「それにエリカ女史の不義とも言える黒王子への鞍替え。いやはや女性とは恐ろしいものだね」
ここに剽軽さがウリの部下がいれば苦笑しつつ「馨さんも戸籍上は女性のハズなんですけどねぇ」と肩を竦めたはずだが今は席を外していた。
「エリカ・ブランデッリは何を考えているんだろうね。黒王子は何時でも彼女を切り捨てられるというのに」
実はアレク麾下の人材は続々と日本へ送られて来ている。大半は台湾から来る華僑系ばかりだがそのうち英国からもやってくるだろう。時間は黒王子の味方だ。
またたく間に固められていく勢力地盤は正史編纂委員会を追い詰め、そして露払いをする──エリカ・ブランデッリの消費期限切れを早めていく。
日本呪術界から見た女狐エリカ・ブランデッリは奉じるべき王を裏切りこの国を蚕食せんとする悪女だ。
女狐、金髪、悪女という連想から玉藻御前のごとしだ……だが虎の威を借る狐は虎がいなくなれば居場所を無くす。
英国のカンピオーネであり『王立工廠』という自前の組織を率いるアレクサンドル・ガスコインにとっては単なる日本の現地協力者でしかない。
黒王子との繋がりの消えたエリカはきっとこの国は生きていけない。
「故郷のミラノへ身を引く。彼女に残された選択肢はもうこれしか無いはずだ……たとえ草薙護堂が帰還しようとも」
あるいはそうせずには居られない窮状なのか。
実際そうなのだろう。
資料で読み取れるエリカ・ブランデッリという少女は誇り高い騎士だ。だが、座して死を待つようなか弱い女子でもない。それが馨のエリカ評であった。
消息不明の草薙護堂。彼の行方を探る上で、もっとも確度の高いヒントを握っているのはアレクサンドル・ガスコインに違いない。おそらく何らかの取引をしたのだろう。笑顔で仏頂面のアレクと腕を組むエリカに視線を投げる。
「敵か味方か。黒王子と紅い悪魔、見極めなければいけないね……」
思考をまとめたところで部下の甘粕が客人を伴ってやってきた。
「お客様をお連れしました。アレクサンドル・ガスコイン氏とエリカ・ブランデッリ女史、ご来着です」
「ありがとう甘粕さん。……初めましてカンピオーネとその介添え人の方、あなたがたを無事迎えることが出来て祝着の至りに存じます」
馨は彼らと視線を合わせることなく伏したまま頭を垂れて迎え入れた。
「正史編纂委員会の人間は心にもないことを言うのが慣習なのかしら」
馨の世辞をエリカはバッサリと切り捨てた。
「まったく。あなたと会うだけで、とんだ遠回りをさせられるものね」
「そう仰らないでください。正史編纂委員会と言ってもお役所仕事なんです。こちらとしても最大の配慮を以て対応しているんですよ? アポを取ってから二日で会談できるなんて異例中の異例ですよ」
「あらそう。だから私たちの動きに対応出来ず後手に回ってしまうのね」
手厳しいな、馨はエリカからの舌鋒の洗礼を受けた。話を聞くところによればこれを各地でやっているらしい。 以前は硬軟織り交ぜた話術で顔を売っていたとは思えないほど刺々しい。
エリカはそこで言葉を止めた。周囲を流し見し、まあたしかに大事な話をする場所では無い。馨が視線を巡らせると決まり悪そうに視線を逸らす人間が幾人もいた。
「場所を移しましょうか。ここでは聞き耳を立てている者が多すぎますので」
防音と防諜の行き届いた部屋に入るなり愚痴るように馨が零した。
「……本音を言えば、エリカさん。あなたとはお会いしてみたいと思っていました。不本意な形となってしまい残念でなりません」
「そうね。でも……」
「…………」
馨へ言葉を返す前にずっと無言だったアレクがこちらへ視線を送ってきた。
本題へ入れ、そう訴えていた。
老練さ、というのだろうか。護堂ではできない呼吸。我が意を得たりとエリカは頷き、黒き魔王子の尖兵と成り下がった紅い悪魔はつややかな笑みで応じた。
「でも今は今よ。もしもを語っても仕方がないわ」
エリカの強い拒絶を滲ませた言葉に馨は諦めたようにため息をついて先を促した。
「では改めてまして、御用向きはなんでしょう?」
「──東照宮と言えば分かるでしょう?」
「なるほど」
馨は予想通りだったのか柳眉を動揺させることなく得心してうなづいた。
「流石は
ですが、と続けた。
「東照宮の封印──『弼馬温』は我が委員会でも秘中の秘です。数日訪れただけの黒王子に存在を知られているとは思ってもいなかったというのが本音です。……どこでお知りになったのですか?」
「ブルターニュの魔女が度々この国を訪れていたのは知っていて?」
遙か極東の地でも度々漏れ聞こえてくる欧州の神祖だ。彼女とアレクサンドル・ガスコインの闘争の数々は有名だ。
「それは我々の落ち度ですね……彼女の入国を今の今まで知りもしなかった──わかりました。『弼馬温』の封印を守護する九宝塚家には通達しておきます」
「ふん。やけに物分りがいい」
馨が呆気なく了承すると、鼻を鳴らしてアレクが前へ出てきた。
「勘弁してくださいよ。正直、もう我々は外堀も内堀も埋められた大阪城みたいなものです。……あまりいじめないでください」
白旗をあげた馨にうっすらと微笑するとエリカに視線をやって退室を促した。
「エリカ、貴様は先に出ていろ。俺はまだ話がある」
「それは……いえ、外でお待ちしておりますわ」
なにか言い募ろうとしていたエリカだったが、結局口を閉じて退室して行った。
「さてお話とはなんでしょう?」
「ただの確認だ。東照宮に封じられたまつろわぬ神。俺の推理が正しければ──」
馨は神の御名を聴いて、今度こそ諦めたように薄く微笑し、アレクはその微笑を目にすると勝ち誇るように口角を釣り上げた。
「セシリアか、正史編纂委員会から許可が出た。そちらの手配はしている……装備を受け取り次第、作業を続けろ」
『いいのね?』
「ああ、今の会談で確証を得られたからな」
『わかった。叔父たちに連絡しておく』
退室してすぐにアレクは『王立工廠』の人間たちを動かす指示を放った。そして通話を切って辺りを見回し……あの女狐の姿がない。王冠じみた金髪は黒髪ばかりが目につく場所ではより一層目立つのだが。
辺りを見回し、居た。
通路を塞ぐようにしてできた人だかりの奥。その隅で何故か潜むように物陰に隠れているのが見えた。
訝しんだアレクは声をかけよう歩き出そうとして──
「おい、聴いたかよ。今、オフィスに来てるんだってよあの
──やめた。
「恥知らずってエリカ・ブランデッリの事か?」
「そうそう、あの女狐。よくものうのうと顔が出せるよなぁ……主君も守れなかった癖によ」
現在の日本呪術界の彼女に対する隔意……いや害意は相当煮詰まっている。
アレクはこの園遊会に来るまでに多少なりとこの国の情勢を調べていた。そこで見知ったエリカの風評は最悪の一言に尽きる。
……日本呪術界から見たエリカ・ブランデッリは奉じるべき王を裏切りこの国を蚕食せんとする悪女だ。傾国、と枕詞を添えても違和感がないほど。
馨の言うとおり、草薙護堂がカンピオーネとなって以降、エリカが少しずつ築き上げた彼のための人脈や地盤はアレクサンドル・ガスコインのために捧げられていた。
──奇襲だった。日本呪術界に対する黒王子と紅い悪魔の奇襲。
そう評していいほど彼らの手並みは鮮やかであり阿吽の呼吸で日本呪術界は彼らに蚕食されつつある。
だがその鮮やかな手腕の代償に、エリカ・ブランデッリへの反感は凄まじい。
異国のカンピオーネである黒王子よりもヘイトが向いているほどだから相当だ。もはや煮たった鍋に等しく、いつ激発するか権謀術数に長け『王』として君臨するアレクすら読めない。
異国人、という要素も元々反感を生む要素だが、しかしそれを差し置いても、一番の理由は自分の主君を護ることすら出来ずにおめおめと舞い戻ってきた事だろう。
今でも時代錯誤な武士道が根強い日本呪術界で、恥知らずな行為など心象は最悪だ。その上で別の王に縋り、外患を誘致している。
これでどうやって好意的になれるのか。
さきほどの連絡もそうだが、今この瞬間にも『王立工廠』からどんどん人が送られて来ており活動を開始している。
正史編纂委員会にとって明らかな敵性分子だったが、黙認せざるを得ない。女狐と魔王に跳梁跋扈されようと頭を垂れて耐え忍ぶしかない。
対抗出来るカンピオーネがいないとはそういう事なのだ。
その反感や反骨心、己の不甲斐なさから目を逸らすようにエリカ・ブランデッリはその二つ名の通りに悪魔と罵られていた。
「ヨーロッパの大騎士ってのも落ちたもんだぜ。今じゃ黒王子に擦り寄ってんだろ?」
「ま、あの王子が帰ったら女狐もいなくなるだろ。どの面下げて日本で生きていくんだよ? なぁ?」
「そりゃあ、命を以って償うしかないだろ」
「「「ハハハハハ!」」」
「──どいてくれるか」
「はあ、なんだアンタ?俺は四家・連城の縁者で……──
どこぞのボンボン、といった風情の木っ端を追い散らし、慌てて立ち去っていったものに一瞥もくれることなく歩き出す。
雑音の無くなった通路でエリカは驚くほど小さく見えた。出来る女だと思っていた。けれどアレクとあろう者が勘違いをしていたらしい。
今、壁に寄りかかるように項垂れる少女は女狐などでは無い。ただの年相応な十六歳の少女だった。
「……チッ」
頭にチラつくのはプラチナブロンドの髪。
寝たきりの腐れ縁が、とある一件で壊れかけの身体をさらに壊したのは同じ年頃ではなかったか。アレクは鬱陶しい記憶に手打ちするようにエリカの腕を取った。
「……あ、え?」
顔は見なかった。ただ驚愕したような雰囲気は肩越しから感じ取れた。
「──行くぞ」
アレクはエリカを連れ立ってすし徳へ入った。
注文した料理が運ばれるまで、アレクとエリカはそれまで無言だった。これまでになかった事に訝しむエリカを無視してキープしてあったボトルをグラスに注ぎつつ、エリカにも注ぐ。
「酒は飲めるのだろう?」
「嗜む程度には」
嘘だな。アレクはジャケットを脱ぎつつエリカの嘘の見抜いた。
まだ行動をともにしはじめて一週間と経っていないが、軽い嘘なら見抜けるようになった。何より酒瓶へ向ける興味の色が隠せていない。
キープしていたボトルの銘柄はボウモアだ。日本酒もキープしていたが、気分ではない。英国を離れてそこそこ経つ。やはり強い酒精のなかに隠れた北海を想わせる潮の香りを堪能したい気分だ。
「アレク王子……せっかく日本に来たのですから、英国でも飲めるスコッチウィスキーのボウモアではなく日本のお酒を飲んだらいかがですか?」
「違うな」
アレクは間髪入れずに否定した。
「たしかに旅情や季節感を感じづらいかもしれない。だが己がまず何を欲するのかが重要なはずだ」
いつか側近のアイスマンにも語ったことだがやはり肝心なのはスタイルと美学を貫くことである。暑くなったからと言って冷えたビールで流し込んだり、安易に地酒に走るのは違うのだ。
そんな話を熱心に語り始めたアレクに呆れた視線を送りながら苦笑する。エリカもまた一週間ほどアレクと行動をともにし、分かったことがある。
アレクの美学とスタイルとは、とどのつまり"カッコ良さ"だ。少年の心を忘れずに持っている、と言うのだろうか。
カッコ良いなら怪盗気取りで犯罪に手を染め、それでいて義賊のように弱い者には優しくする。
まだ曖昧だがそんな芯のようなものをアレクの仕草から感じ取っていた。
「ではアレク、やはりあなたが欲していたものはこの国にあった。だから日本に来た、と?」
アレクから注がれたボウモアのかすかな潮の香りを楽しみながら問いかけた。
「ふむ、まあそういう事にしていてもいいだろう。たしかに日本には"知りたい"ことがあったからな」
「そして答えはもう得てしまった。そう考えても?」
アレクの箸を止めて、エリカに視線を合わせた。
「ほう。なぜそう思う?」
「己が何を欲するのか、そういったあなたに私はこう捉えることも出来ます。ボウモアはスコッチウィスキーの銘酒。あなたの心はこの極東も地から故国へと移りかけているのでは?」
「…………」
アレクはむっつりと口を閉じて黙り込んだ。
「そして知りたがりのあなたはもう答えを知ってしまった。だから日本への興味が薄れてしまったのではないでしょうか?あの会談で私が退室したあと、アレクは沙耶宮馨にその答え合わせをしたのでは?」
「聡い女だな貴様は」
それは肯定の言葉だった。
「傀儡にするにも生徒とするにも、才気がありすぎる」
アレクなりの最大級の賛辞らしい。エリカに目を合わせずタコの乗った寿司を訝しげに見ながら、醤油につけて口に運ぶ。地中海出身のエリカには見慣れた食材だがイギリスはそうでは無いらしい。悪くはないな、表情で語りながら言葉を続けた。
「元々このツアーは日本が最終目的地だ。東照宮での調査さえ終われば俺が本拠地に帰るのは不思議ではあるまい」
「やはり、そうなのですね」
「……エリカ。貴様には、いや、君には感謝している」
今度はしっかりエリカと視線を合わせアレクは感謝の言葉を口にした。
「お前がここ一週間近く、俺の脇を固めてくれたおかげで調査と考察が捗ったと言っても過言ではない。正史編纂委員会との段取りもだ」
それでも詫びは入れなかった。それがアレクのスタイルであり矜恃だったから。
「東照宮の名を教えてはいただけないのですね。黒坊主が何をしようとしているのかも……」
「俺はペットを飼うつもりはない」
迂遠だが、餌を与える気は無い、そういうことだろう。そエリカは餌を待つ雛鳥でも乞食でもなく、そして魚の釣り方を知っている人間だった。
少なくともアレクはそう認識しているし、エリカも自負はある。
これから先は自分で探れらなければならない。
「だが……そうだな」
と思案を巡らせているとアレクが一呼吸おいて、
「君への礼がまだだったはずだ。明日、君が俺のもとに来たら教えてやろう」
「ご温情感謝します、アレク王子」
深く礼を述べるエリカを見下ろしながら、大きくアレクはため息をついた。
「……俺の予想では決着の時は近い、そう考えている。加えて、決戦が終われば一ヶ月も経たずこの国を去る可能性もある──お前はどうするつもりだ?
決戦。
アレクはそう言った。彼の黒い瞳にはどんな景色が広がっているのだろうか、今のエリカには見通せない。
そしてアレクはこうも言っていた。自分という虎が居なくなった後、狐のお前はどうするつもりなのかと。もう一頭の虎も帰ってくる保証はない。
アレクなりに案じている風であった。
「エリカ。お前は俺の傀儡にも生徒にもペットにもなれん。我が強すぎ、頭も回るからな。だがお前が俺の傍らで、剣と知恵を振るうなら心強いものはないだろう」
エリカは目を見張った。
あのアレクサンドル・ガスコインが口説いているのだ、あの傍若無人な魔王が! 予想だにしない言葉にエリカの思考は千々に乱れた。
「お前が望むならセントアイブスの本拠地に来い。俺としても相応の礼はしたいからな」
「それは……」
「ふん、まあいい。あと少しだがまだ時間はある」
そっぽを向いて会話を強引に打ち切ったアレクに、苦笑をこらえ切れなかった。
(……不器用な人、ね…………)
半端なのだ、悪露的なのに悪辣に徹しきれない中途半端さがやけにヒトを引き付ける。もちろんエリカも。最初は傲慢でデリカシーのないアレクになぜ好意を寄せる女性が後を絶たないのか不思議でならなかった。
今ならほんの少しだけ理解出来る気がした。
「久しぶりに楽しい席だった」
それからボウモアのボトルを空にし、二人はすし徳を出た。入った時には日暮れだったから、もうすっかり夜だ。
「見送りは必要か」
「不要ですわ。女子である前に騎士でありますので」
「そうか……では明日、東照宮へ向かう。早朝になるだろう。早めに寝ておけ」
「はい。良い夜をアレク」
「では、
そう言ってアレクは稲妻となってる消えた。
すし徳は草薙家のほんの近くにある。だから帰り道を歩けば草薙家の様子が窺えた。
まだ明かりは点いていて、護堂の妹と祖父の家族二人が帰りを待っているのだろう。もう十日ほど帰っていない護堂を。
護堂を攫った黒坊主の策謀を、エリカはまだ読み解けていなかった。
ムカデの描かれた宝船、勇者降臨の儀式、鹿島神宮、黒サンタと呼ばれた黒坊主、東照宮の神、異界に攫われた護堂……。いくつもの謎があるのに点と点が結びつかず線へと結びついてくれない。
壮大な仕掛けが動いているのに見通せないもどかしさに頭を抱えるしかない。
「なにか重大な見落としがあるような気がしてならない、そんな引っかかりがずっとあるのだけれど……」
やはりアレクに無理にでも問いただすべきだったか。どうせ今日も明日も変わらないのだから。
それでもアレクは頑として教えてくれなかっただろう。
アレクサンドル・ガスコインもまたカンピオーネなのだ。偉業を為した者であり、後先考えず自由気儘に振る舞う。
エリカは、ふと悟った。
アレクは知りたがりだが、だからといって何かこれといった目的がある訳では無い。
それはそうだ──カンピオーネに目的はない。
まつろわぬ神との戦いという義務はあれど結局、人類から押し付けられた業でしかない。目標もない。使命もない。
剣の王サルバトーレ・ドニは剣に生きる王だが、それは剣の道での目標であってカンピオーネとしての道ではない。
「カンピオーネはどこへ向かうのかしら……」
護堂は……。
カンピオーネの行く末。そんな事を考えながら寝室で夜景を見下ろしていた頃だった、一通の電話がエリカもとに掛かってきたのは。