メジロ家の変な子   作:ネギ市場

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勝利の在り方

 

 

 レース前夜。

 寮の外は、11月末の冷たい空気に包まれていた。

 千尋は門の前で立ち止まり、スマホを何度も持ち替えている。

 連絡すべきか。

 もう休ませるべきか。

 迷った末に結局、短いメッセージを打つ。

 『今日の感じ、歩き方も呼吸も問題ない。無理をしてる兆しは見えなかったから、そこは安心していいよ。』

 送信してから、少し間を置く。

 言いたいのは、それだけじゃない。

 『勝たなきゃ、って思うのは自然だけど……明日は「前で走る」ことだけ意識してほしい。結果は、あとからついてくるから』

 読み返して、少し首を傾げる。

 (硬いし、伝わりにくいかな?)

 他に分かり易い文面がないか迷ったが、それでも消さずに送った。

 (……ですがこれ以上、私ではうまく言えないし……)

 千尋はスマホを下ろし、寮の窓を見上げる。

 見上げた先の部屋の灯りは、まだ点いている。

 サロメ達の部屋だ。

 今日の最終追い切りで、身体に異常は見られなかった。

 筋肉の張りも、熱も、身体の動きも……数字より、私の感覚。

 その感覚だけは、信じている。

 ――これ迄サブトレーナーとして、担当の子達に怪我をさせたことは、一度もない。

 それは才能というより、「見逃さない」という執念に近い。

 スマホが震える。

 『ありがとうございます。私は大丈夫です。明日こそ落ち着いて走ります』

 短い返信。

 千尋は、胸の奥にあった緊張が少し緩むのを感じた。

 「……よし、頑張る。」

 独り言が、夜に溶ける。

 私は言葉選びが下手だ。

 励ましも、格好のいいことも他のトレーナーに比べると、碌に言えない。

 それでも、ウマ娘の身体のことなら分かる。

 この子は、明日、ちゃんと走れる。

 その確信を胸に千尋は踵を返し、駐車場へ向かった。

 トレーナーであっても、基本的に寮には入れない。

 でも、支えることはできる。

 言葉が足りなくても、それだけは、揺がなかった。

 

 

 11月末、初冬の冷たい風が中山競馬場を吹き抜ける。

 コース上ではウマ娘たちが周回し最終確認をしている。

 サロメもその集団に混じって歩幅や首の角度を確認しながら歩く。

 胸の奥に緊張があるが、千尋や祖父の教えを思い出し、気持ちを落ち着ける。

 フェンスの外、千尋とリアルデュークが並ぶ。

 千尋は口下手ながら、声を探すように呼びかける。

 「……落ち着いて……呼吸、浅くならないようにちゃんと意識して。」

 声は届く距離ではなかったが、千尋の方を見ながら確かにサロメは小さく頷いた様子だった。

 千尋の胸に安心感が少し広がる。

 一方、リアルデュークはフェンスに張られた金網にしがみつき、ありったけの声で叫ぶ。

 「……サロメ、がんがえぇぇぇっ!」

 その声量を隣りで浴びた千尋が目を丸くする。

 「え、えっと……リアちゃん、もうちょっと声、抑えましょうね?」

 リアルデュークは何故声を抑えるのか、意味が分からないと首を傾げる。

 そうこうしているうちに、順調に枠入りが進み静寂が場を支配する。

 ゲートが開く。

 だが、出遅れた。

 「……っ!」

 一列に並んだ他の枠からウマ娘たちが飛び出す。

 一瞬の出遅れ、既に位置取争いは始まっている。

 出遅れたサロメは前に出られない。

 胸の奥が焦りでぎゅっと締め付けられる。

 「まだ……まだ、前に……!」

 最初のコーナーを回る頃、先頭は既に遠く、押し出される形で着いた中団やや後方だったが、後続も迫る。

 外から差してくるウマ娘の影が視界の端でちらつき、サロメの脚に重さを感じさせる。

 「うう……負けない……絶対、諦めませんわ!」

 スタンドにいる千尋の声は届かない。

 リアルデュークはフェンスを登ろうとして警備員達に取り押さえられている。

 「……サロメ、がんがえぇぇぇっ!」

 スタンドからコースまで届くその声量に、サロメは意味がわからないが不思議と背中を押されるような気がした。

 

 

 ラスト200メートル。

 息は荒く、脚は限界を叫んでいる。

 前との差はわずか……全力を出さなければ、おそらく勝利は掴めない。

 「……絶対、前……!」

 サロメは内側の空いたスペースを縫うように脚を伸ばす。

 しかし疲労で体は思うように反応せず、頭で描いた進路が自然とより内側へ寄る。

 想定以上に大きく寄った事により、隣のウマ娘の走路を大きく塞ぎ、それは後続にも影響が出る程だった。

 それを見た観客席からざわめきが上がる。

 ゴール板を駆け抜けた瞬間、サロメは勝利を確信していた。

 肩を小さく震わせ、喜びが胸を満たす。

 しかし、掲示板の青いランプ――審議中――が点灯していることにはまだ気づかない。

 青ランプの意味も、審議中であることも、サロメには理解できない。

 混乱と期待、そして少しの不安が入り混じる。

 祖父の教え――「脚は溜めろ、でも心は折るな」――を思い出し、胸近くに付けたゼッケンをぎゅっと握る。

 遠く観客席で、千尋は黙って目を細めてサロメを見守る。

 リアルデュークは横で後ろ手に手錠をかけられて警備員と一緒に座っていた。

 警備員の温情で、このレースが終わってから連行されるらしい。

 千尋は優しく呟く、リアルデュークは慈悲をと叫ぶ。

 どちらも声は届かない。

 それでも、その存在がサロメの心に何か微かな支えとして感じられる気がした。

 

 

 控え室の空気は、先ほどのレースの余韻と静かな緊張で張り詰めていた。

 サロメはまだ青ランプの意味も理解できず、勝利を確信していた喜びと、胸の奥に芽生えた漠然とした不安が入り混じる。

 その時、控え室のドアが静かに開き、入ってきた女性係員が声をかけた。

 「サロメ選手、千尋トレーナー、裁決室にお越しください」

 その係員の声にサロメは肩を小さく震わせ、目を丸くする。

 「裁決室……?」

 千尋は深刻な表情のまま、静かにうなずいた。

 「そう、裁決室よ。 レース中に起きた審議の結果を聞くための部屋よ。怖くても、落ち着いて行きましょう」

 サロメはまだ心の中で混乱していた。勝ったと思ったのに、なぜ呼ばれるのか分からない。

 それでも千尋の手がそっと自分の背を押すと、わずかに心が落ち着く。

 「大丈夫……貴女は全力で走ったのだから、胸を張って」

 千尋の声は落ち着いているが、深刻さが伝わる。

 サロメは深呼吸を繰り返し、それから千尋に促されるまま、裁決室へ向かう廊下を歩き出す。

 控え室にはリアルデュークの姿はなく、サロメの荷物が入ったスポーツバックだけが残っていた。







 サロメさん頑張る!
 千尋頑張る!
 ……リアルデュークは?
 と、言う感じです。
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