沈黙が、ほんの一拍だけ落ちた。
最初に口を開いたのはマックイーンだった。
作り笑顔のまま、びしっとブライアンを指さす。
「……ブライアンさん。リアさんにそんなふうにベタベタするの、やめてくださいますか?」
ブライアンはきょとんとする。
「は? 何言ってんだ」
それを聞いた瞬間、ビワハヤヒデの眉がぴくりと動いた。
「……貴様、ブライアンに何を吹き込むつもりだ?」
マックイーンが即座に噛みつく。
「吹き込む? 事実を言っているだけですわ! その方、リアさんを独り占めする気満々ですもの!」
「独り占めしたいのは貴様だろう」
「しておりませんわ!」
「いや、しているな」
「してません!」
マックイーンとビワハヤヒデの言葉の応酬は、一気に幼稚な方向へと転がり落ちる。
「だいたい、ちょっと体が大きいだけのシスコンが、偉そうにしないで下さいません事?」
その一言に、ビワハヤヒデの目が見開かれた。
「……今、何と言った?」
「体が大きいだけ、と言いましたわ」
「頭が大きいと言ったな?」
「その様な事、私言っておりませんわ!」
「言った!」
「言っておりません!」
完全に言った言わないの世界である。
「貴様、私の頭を見て笑ったな!」
「見てませんわ!」
「今、見ただろう!」
「見てませんってば!」
ブライアンはリアルデュークを抱いたまま、ゆっくりと額に手を当てた。
「……」
リアルデュークは二人を交互に見上げ、ぱちぱちと瞬きをする。
「うぃ……?」
そんな2人の反応にも気付かず、稚拙な言い争いはなおも続く。
「確実に私の頭を見て大きいと言った」
「私は、貴女の身体が大きいと事実を述べただけですわ!」
「矢張り、頭が大きいと言っているでは無いか!」
「違います!」
――そこで、低く、短い声が落ちた。
「……お前ら、本当にガキか?」
一瞬で場の空気が凍る。
その一言は、怒鳴り声でも叱責でもなかった。
ただ事実を述べただけの、乾いた声だったが、ウマ娘として1時代を築いた王者の覇気がある声だった。
マックイーンの肩が、びくりと跳ねた。
貼り付けていた笑顔が一瞬だけ剥がれ、慌てて姿勢を正す。
「い、いえですわ……! 私はただ……その……」
言葉を探すように口を開いては閉じる。
「リアさんの教育上、同じメジロ家の者として、少し気になっただけですわ……!」
明らかに苦しい。
一方、ビワハヤヒデも一拍遅れて我に返る。
口を開きかけて、閉じ、腕を組み直した。
「……私は……」
そこで言葉が詰まる。
自分が今まで何を叫んでいたのか、脳裏で再生されてしまったからだ。
(……頭が大きいだの……言った言わないだのと……私は何を……)
ブライアンは二人を見下ろし、淡々と言った。
「嫉妬するのは勝手だ。だがな……」
リアルデュークを抱く腕に、ほんの少し力が入る。
「こいつを使って言い争うのは、一番ダサい」
マックイーンの喉が鳴った。
「……っ」
言い返せない。完全に図星だった。
ビワハヤヒデも視線を逸らす。
(……ブライアンに尊敬されたい、などと……この有様で……)
沈黙。
先ほどまでの低レベルな喧騒が嘘のように、夜風だけが流れる。
その空気を、ぱしっと割ったのは——リアルデュークだった。
「うぃ?」
小さく首を傾げ、二人を交互に見てから、にこっと笑う。
「……ボク、ケンカ、いや?」
その一言で、二人は完全に黙った。
マックイーンは唇を噛み、視線を逸らす。
「……そ、その……」
結局、謝罪の言葉は出てこない。
だが、指先がそわそわと落ち着かない。
ビワハヤヒデも深く息を吸い、ゆっくり吐いた。
「……すまないとは……言わん」
それでも声は、さっきよりずっと低かった。
ブライアンはそれ以上追及しなかった。
ただ一言だけ、呆れたように言う。
「……ほんと、面倒な姉さん達だな?」
リアルデュークはくすくす笑い、ブライアンの肩に手を置く。
「うぃ!」
その無邪気な声を聞きながら、
二人のウマ娘はそれぞれ、胸の奥に残る消えない嫉妬と、
少しの自己嫌悪を抱えたまま、黙り込むのだった。
あれから、リアルデュークが突然、千尋の家の近くだと言い出し、その言葉を受けて歩き出したブライアンが足を止めかけた、その瞬間だった。
「……ここか?」
そう言いかけたブライアンの言葉を、リアルデュークが遮るように声を上げる。
「うぃ! ちがう!」
ブライアンが一瞬、固まる。
「……は?」
リアルデュークは抱き抱えられたまま身を乗り出し、きっぱりと指を差した。
「こっち! 千尋、こっち!」
そこは細い路地の奥。
街灯も少なく、生活感のある住宅が並ぶ方向だった。
マックイーンが眉をひそめる。
「……リアさん? 本当に合っていますの?」
ビワハヤヒデも低く言う。
「貴様、道を誤っていないだろうな」
リアルデュークはむっとして振り返る。
「うぃ! まちがえない!」
ブライアンは一拍置いてから、ふっと息を吐いた。
「……そうか。じゃあ案内はお前に任せる」
その言葉に、リアルデュークの表情がぱっと明るくなる。
「うぃ!」
マックイーンは思わず足を止めた。
「……ブライアンさん?」
「ん?」
「貴女、千尋さんのお宅をご存じだったのでは……?」
「知らん」
即答だった。
マックイーンが目を見開く。
「……では、なぜ……」
「こいつが行きたいって言った」
それだけで十分だと言わんばかりの口調。
ビワハヤヒデは、内心で小さく笑う。
(……ブライアンは、相変わらずだな)
ブライアンに言って自分で歩く事にしたリアルデュークは先頭に立ち、小さな足取りで進んでいく。
何度か曲がり角を折れ、迷いなく進むその様子に、二人の視線が集まる。
「……随分、慣れていますのね」
マックイーンの声には、わずかな警戒が混じる。
「うぃ! あそんだ!」
胸を張ってそう言ったリアルデュークの声に、マックイーンとビワハヤヒデは、それぞれ違う反応を見せた。
マックイーンの胸に走ったのは、明確な苛立ちだった。
(……私の知らない場所。私の知らないリアさんの時間……)
リアルデュークが“ここ”に親しんでいるという事実が、どうしようもなく気に食わない。
一方、ビワハヤヒデは表情を変えない。
ただ、視線だけがリアルデュークからブライアンへと移る。
(……この子は、ブライアンにとって何だ?)
血の繋がりはない。
それでも、ブライアンは迷いなくこの子を選んだ。
今も行き先すら知らず、疑いもせずに道案内を任せている。
ビワハヤヒデの胸に生まれたのは、嫉妬ではない。
理解できないものへの、静かな警戒だった。
やがて、リアルデュークが一軒の建物の前で立ち止まる。
リアルデュークが足を止めたのは、駅から少し離れた場所にある、古びたアパートの前だった。
外壁は色あせ、階段の鉄柵にはところどころ錆が浮いている。
夜風に揺れる蛍光灯が、じじっと頼りなく鳴いている。
「ここ、千尋の家!」
元気よく言い切るリアルデュークに、マックイーンは一瞬、言葉を失った。
「……こ、こちら……ですの?」
ビワハヤヒデも無言で建物を見上げる。
(……安アパート、だな)
否定も評価もしない、ただ事実として受け取る。
ブライアンは特に気にした様子もなく「案内ご苦労」とだけ言った。
リアルデュークは慣れた足取りで階段を上り、二階の一番奥で立ち止まる。
ドアの前でくるりと振り返り、にこっと笑った。
「うぃ! ちひろ、ここ!」
その“当然”という態度が、マックイーンの胸をちくりと刺す。
(……こんな場所に、何度も……?)
マックイーンの胸をちくりと刺すような沈黙の中、ビワハヤヒデの視線は、無意識のうちにブライアンへと向かっていた。
(……知らなかったな)
千尋という人間のことではない。
この安アパートでもない。
――ブライアンが、こういう場所を「何とも思わず」選択肢に入れるという事実。
豪奢でもなく、誇れるわけでもない場所。
それを疑いもせず、リアルデュークの案内に任せ、当たり前のように立っている妹の姿。
(……行動範囲が、私の想像よりずっと広くなっているのか?)
ビワハヤヒデは、静かに息を吸う。
それは嫉妬ではない。
ただ、把握しきれていなかった妹の一面を見た時の、微かな違和感だった。
トレーナーのイメージって設定と違ってエリートと言うより、金八先生か銀八先生のイメージなんですよね。
……何故なんでしょうね?