メジロ家の変な子   作:ネギ市場

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聖夜の戦い その3

 

 

 ブライアンはドアの前で立ち止まり、ノックしようと拳を軽く握ったその時……

 「うぃー!」

 リアルデュークが声を上げ、その小さな身体が一歩前に出たかと思うと、迷いのない動きで拳を振り上げる。

 「待――」

 ブライアンが止めようとした時には、もう遅い。

 ドン!! ドン!! ドン!! ドン!!

 安アパートの薄いドアが、悲鳴のような音を立てて揺れた。

 蝶番が軋み、ノブががちゃりと鳴る。

 マックイーンは思わず息を呑み、口元を押さえる。

 「……っ、な、何を……!」

 声にならない悲鳴だった。

 ビワハヤヒデは、完全に一歩引いた。

 (……常識が……通じん……)

 表情は冷静を保っているが、耳がわずかに伏せている。

 ブライアンは額に手を当て、低く呻いた。

 「……やりすぎだ」

 リアルデューク本人は、まったく気にしていない。

 振り向いて、満面の笑み。

 「うぃ!」

 マックイーンの脳裏に、一瞬で状況が浮かぶ。

 ――夜。

 ――クリスマスイブ。

 ――アポ無し。

 ――独身女性の一人暮らし。

 「……最悪ですわ……」

 思わず本音が零れた。

 ビワハヤヒデも、内心で同意する。

 (……訪問というより、襲撃だな)

 中から、慌ただしい足音。

 何かを落とす音と、短い悲鳴。

 「……誰方ですか?」

 マックイーンは背筋を伸ばし、必死に取り繕う。

 (……相手はリアさんのトレーナーさん、姉としてここで印象を悪くするわけには……!)

 ブライアンは静かに息を吐いた。

 (……止められなかったか)

 ドアが開く直前、ビワハヤヒデは心の中で結論づける。

 (……これは、私の想定外だ)

 ガチャリ。

 ドアが開いた瞬間、そこに立っていた千尋を見て、全員が一瞬だけ言葉を失った。

 ――そして、この夜はもう、平穏には終わらないと確信するのだった。

 

 

 ガチャリ。

 特に鍵やチェーンロックもかけられて居た形跡も無く、無警戒にドアが開いた瞬間、全員の視線が――一斉に、固まった。

 そこに立っていた千尋は、言うなれば完全にオフだった。

 毛玉の浮いたヨレヨレのスウェット。

 色は元グレーだった名残をとどめるだけ。

 首元は伸びきり、袖は片方だけ肘まで捲られている。

 足元は、踵の潰れた室内用サンダル。

 髪は適当に一つ結び、寝癖も直していない。

 ――完全に「一人暮らしの夜」そのもの。

 一瞬、空気が凍った。

 マックイーンの脳が、今目の前にある光景の処理を拒否する。

 (……え?)

 (……今、私は……何を……見て……?)

 気位も礼儀も吹き飛び、目が点になる。

 ビワハヤヒデは、無言で視線を逸らした。

 (……油断、というレベルではない)

 そして次の瞬間、

 (……この女、危機感が欠如している)

 と冷静に結論づける。

 ブライアンはというと、一拍置いて、短く言った。

 「……寒そうだな」

 誰もそこを気にしていなかった。

 当の千尋は、全員の視線に気づいて、少しだけきょとんとする。

 「あ……えっと……」

 そして、申し訳なさそうに笑った。

 「ごめんね、こんな格好で」

 その一言で、マックイーンの中の何かが音を立てて崩れた。

 (……謝るところ、そこですの!?)

 リアルデュークだけは、何も気にしていない。

 「うぃ!」

 当たり前のように、千尋の足元に駆け寄る。

 千尋はその頭を撫で、柔らかく言う。

 「いらっしゃい、リアちゃん」

 その自然さが、マックイーンの胸をさらにざわつかせる。

 (……この距離感……この油断……)

 ビワハヤヒデは、内心でため息をついた。

 (……敵意はない。計算もない。ただの生活だ)

 だからこそ、余計に厄介だと判断する。

 千尋はドアを大きく開け、何事もなかったように言った。

 「取り敢えずどうぞ。 ちょっと狭いけど……」

 ビワハヤヒデは一歩踏み出しながら、ぼそりと呟く。

 「……今日はイブだぞ」

 千尋は一瞬きょとんとして、それから、あっと小さく声を上げた。

 数秒後。

 顔を赤くして、頭を掻く。

 「……そういえば、そうだったね」

 そのあまりに無防備な一言に、マックイーンとビワハヤヒデは、別の意味で戦慄するのだった。

 ――この人、何も考えていない。

 千尋がドアを開けたまま立っている間、マックイーンは――微動だにしていなかった。

 いや、正確には動けなかった。

 視線は千尋の部屋着に釘付け。

 メジロ家ご令嬢として、普段から無意識に浮かべている気品ある微笑は、今は完全に硬直している。

 「…………あり得ませんわ……」

 ほとんど息だけで零れた呟き。

 だが、静まり返った廊下では十分すぎるほど聞こえた。

 ビワハヤヒデが、ちらりと横目で見る。

 マックイーンのこめかみが、わずかに引きつっていた。

 「……い、いえ……」

 マックイーンは慌てて姿勢を正す。

 「決して、その……外見をどうこう言うつもりでは……」

 ――明らかに動揺している。

 「ですが!」

 声だけが、少し裏返った。

 「若い女性が! クリスマスイブの夜に! アポ無しとはいえ! このような格好でドアを開けるなど……!」

 千尋はきょとんとして瞬きをする。

 「え……?」

 「危機感というものが……!」

 言いかけて、はっと我に返ったマックイーンは咳払いを一つ。

 「……あ、いえ。失礼しましたわ」

 完全に言ってから後悔するタイプの失言だった。

 千尋は少し困ったように笑う。

 「あ……ごめんね。普段、来客ないから」

 その一言が、マックイーンの心をさらに抉った。

 (……普段……来客が……)

 リアルデュークが追撃する。

 「千尋、いつもこれ!」

 「リアさん!!」

 マックイーンが反射的に止める。

 千尋は「あはは……」と小さく笑い、頭を掻いた。

 「だよね。さすがにこれは……」

 そこでようやく、自分の格好を見下ろす。

 「あ……ちょっと待ってて。着替えてくる」

 そう言って奥へ向かおうとする背中を見て、マックイーンは胸の奥でぐちゃぐちゃした感情を抱えたまま、ぽつりと呟いた。

 「……信じられませんわ……」

 それは軽蔑でも、怒りでもない。

 ただ、価値観の違いを真正面から叩きつけられた衝撃だった。

 ビワハヤヒデは、その様子を見て静かに結論する。

 (……この女、敵ではない……だが、常識の軸が違いすぎる)

 ブライアンだけが、相変わらずだった。

 「……別にいいだろ。家だし」

 マックイーンは、ぎりっと歯を噛みしめる。

 (……この姉妹……!)

 ――こうして、千尋の「油断しきった部屋着」は、誰よりもマックイーンの精神を削る結果となったのだった。

 

 

 千尋のリビングで、全員がソファやクッションに座り、温かい飲み物を手にしていた。

 リアルデュークはブライアンに抱えられ、膝の上で無邪気に笑う。

 「うぃ!パパー!」

 ブライアンも笑みを返し、リアルデュークの楽しそうな顔をじっと見つめる。

 千尋はソファの端でティーカップを持ち、静かに微笑む。

 「皆さん、来てくれて嬉しいです。 あ、お菓子も少しありますので、どうぞ」

 普段通りの大人としての落ち着きと自然な気配りが、空間を優しく包んでいた。

 しかしその横で、ビワハヤヒデはわざと少し皮肉めいた声を漏らす。

 「イブの夜に特別な予定もなく、こうして人様の家にお邪魔するとは……実に愉快なことだな」

 だがその言葉に、誰も反応しない。

 ブライアンはリアルデュークと楽しむことに夢中で、ビワハヤヒデの声など聞こえていない。

 リアルデュークはいつもの無邪気な笑顔で、まったく気にしていない。

 千尋は穏やかに微笑みつつ、皮肉に反応する必要性を感じないだけだった。

 ビワハヤヒデの眉がぴくりと動き、じわじわと苛立ちが胸に広がる。

 (……無視!? 何度も言っているというのに……! これではブライアンからも何も反応を貰えないではないか……!)

 理知的な自分を保とうとする理性が、心の奥でくすぶる八つ当たりの炎に押されそうになる。

 一方、マックイーンは綺麗な所作で座卓にティーカップを置き、静かに視線を固定したまま、胸の奥でぐちゃぐちゃした感情を抱えていた。

 (……リアさんがっ! あんなに無邪気に……! 私のことなんて、もう気にしていない……! このままじゃ……!)

 未だに仲直りできていない焦りと、ブライアンや千尋がリアルデュークと楽しそうに過ごす様子に対する嫉妬心が絡み合い、体の内側が熱くなる。

 ブライアンはそれを見ても、ただリアルデュークの笑顔が嬉しいだけ。

 「なあ、リアルデューク。次はどのお菓子を食べる?」

 「ポテチ、チョコついたヤツ!」

 ビワハヤヒデはため息をつき、ティーカップを置く。

 (……この無視……! 八つ当たりのひとつも通じない……!)

 マックイーンもため息をもらし、視線をわずかにブライアンに向ける。

 (……ブライアンさん……無邪気すぎる……リアさんと一緒に……こんな夜を……!)

 静かな夜のリビングに、温かい飲み物の湯気だけが漂う。

 しかしその空気の奥で、ビワハヤヒデとマックイーンの苛立ちと嫉妬が、静かに、しかし確実に燃え広がっていた。

 

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