メジロ家の変な子   作:ネギ市場

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走り抜けた先に、残る影

 

 

 貴賓室は、騒がしかった。

 勝者を讃える拍手。

 アナウンス。

 スクリーンに映る、ゴールの瞬間。

 けれど……リアルデュークの視線は、そこになかった。

 

 「……千尋」

 小さな声。

 けれど、やけに鋭い。

 「今の……おかしい」

 千尋は、返事をしない。

 スクリーンの端に映った“それ”から、目を離せなかった。

 映像が切り替わる。

 芝生。

 倒れた7番。

 動かない脚。

 

 「……っ」

 リアルデュークの肩が、びくりと跳ねた。

 「Non、non、non……」

 思考より先に、言葉が零れ落ちる。

 「Ça ne va pas……

 (おかしい、そんなはずない)」

 千尋が、立ち上がる。

 「Chihiro ! Salomé, là… maintenant—

 (千尋! サロメ、今……いま——)」

 言葉を探そうとして、失敗する。

 「Elle est tombée……?Non…… non……」

 幼い指が、ぎゅっと服を掴む。

 力の入れ方が、分からない。

 「La jambe… c’était pas normal ! Il y a eu un bruit, vraiment !

 (脚……普通じゃなかった! 本当に音がしたの!)」

 声が、少し裏返る。

 「Pourquoi…… pourquoi maintenant……!

 (どうして、今なの)」

 

 スクリーンの中で、担架が運び込まれる。

 医療スタッフ。

 実況の沈んだ声。

 「……サロメ」

 今度は、日本語だった。

 でも、それだけしか出てこない。

 千尋は、低く息を吐き、

 それから、リアルデュークの方を向く。

 「……大丈夫よ」

 嘘ではない。

 願望でもない。

 ただの、事実確認を拒んだ言葉だ。

 

 リアルデュークは、首を振る。

 激しく。

 「Non!

 大丈夫、じゃない!」

 幼い顔が、歪む。

 「Elle courait encore……

 Elle allait gagner……!」

 (まだ走ってた、勝つはずだった)

 考えれば分かる。

 勝敗の問題じゃないことくらい。

 でも、思考がそこまで届かない。

 「千尋……サロメ、壊れた?」

 その単語を選んだ瞬間、リアルデュークは自分で自分の言葉に怯えた。

 「……違うわ」

 千尋は、即座に否定した。

 「……怪我をした。それだけよ。」

 リアルデュークは、納得しない。

 というより、整理できない。

 「怪我……

 blessure……」

 呟きながら、指を折る。

 「じゃあ、治る?すぐ?いつ?」

 質問が、順番を守らない。

 

 係員が、貴賓室に入って来た。

 低い声。

 「サロメ選手のトレーナーの方、医療スタッフより説明が――」

 千尋が、頷く。

 リアルデュークは、その袖を掴んだ。

 「待って!」

 小さな手。

 必死な力。

 「Je veux la voir……

 今、見ないと……」

 

 千尋は、一瞬だけ、目を伏せた。

 「……すぐには無理よ」

 リアルデュークの呼吸が、乱れる。

 「Pourquoi……なんで……」

 理由を考えれば、分かる。

 でも、感情が追いつかない。

 「Elle a couru jusqu’au bout……

 最後まで、走った……」

 それが、誇りなのか、恐怖なのか、彼女自身にも分からなかった。

 

 

 貴賓室を出ると、廊下は静かだった。

 リアルデュークは、歩きながらも、ぶつぶつと言葉を零す。

 「Ce n’est pas juste……

 (こんなの、正しくない……)」

 千尋は、何も言わない。

 やがて、説明を受ける部屋の前で、足が止まる。

 リアルデュークは、そこでようやく黙り込み、

 小さな声で、ぽつりと言った。

 「……起きたら」

 今度は、はっきり日本語だった。

 「私、ちゃんと言う。

 Merci……って。

 走ってくれて、ありがとう、って」

 言い終えたあと、また小さく、付け足す。

 「……Et pardon aussi

 (ごめんね、も)」

 千尋は何処に手短に連絡すると、近くの係員に何かをお願いしていた。

 それが終わると、端的に話始める。

 「リアちゃんは、さっきの席で待っていなさい。直ぐにシン様が来てくれるから、来たらシン様と一緒に今日はお部屋に帰ってね?」

 「……やっ!ボクもサロメの所、行く!」

 「駄目っ!言う事を聞きなさい!」

 「ひぅっ!」

 「係員さん、後はお願いします。」

 有無を言わせぬ様子でそう言った千尋は、足早に部屋へ入って行った。

 その姿は何時もの千尋と明らかに違う。

 そんな様子を見て、戸惑いを隠せないリアルデュークだった。

 

 

 救急車の中は、やけに明るかった。

 白い天井に固定された視界。

 断続的に鳴る電子音が、一定の間隔で耳に届く。

 サロメは、意識があるようでなかった。

 揺れを感じる。

 身体が運ばれていることは分かる。

 けれど、それが「どこへ」なのかまでは、考えが届かない。

 右脚と右肩から、鈍い痛みが伝わってくる。

 痛みというより、熱に近い。

 触れてはいけないものが、そこにある感覚。

 (……まだ、走って……)

 そう思った瞬間、肺が強く収縮し、息が詰まる。

 「大丈夫、大丈夫ですよ」

 やけにボヤけた誰かの声。

 男か女かも、判別できない。

 「あと少し、頑張りましょうね?」

 腕に、冷たい感触が入ってくる。

 世界が、さらに遠ざかった。

 

 

 ストレッチャーが止まり、複数の足音が近づく。

 「レース中の転倒。右下肢と右肩に強い外傷」

 「意識レベルは……」

 「痛み刺激に反応あり」

 会話は、言葉としてではなく、

 ただの“音”として流れ込んでくる。

 (……なに……)

 答えを探そうとしたところで、また思考が、ぷつりと切れた。

 

 

 







 
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