この作品――世界線に出てくる「若菜」は純粋な人間ではなく、妖怪の血を引いてま。
珱姫が明治時代に人間に転生後、妖怪になってぬらりひょんの妻になってる設定があります。
意識を失った若菜を抱え、百鬼夜行に合流する頃には、山吹乙女の姿から若菜へと戻っていた。
その変貌を目にした者は、鯉伴のみ。
百鬼夜行を引連れて屋敷へと戻る。
鯉伴を出迎えには、ぬらりひょんと母たる珱姫の姿があった。
後ろに流れる金の髪を揺らすぬらりひょんに、寄り添う母の姿。
屋敷にいるのは、隠居したぬらりひょんと、その妻であり鯉伴の母たる――珱姫。
「鯉伴」
おかえりなさい、と柔らかな笑みを浮かべる姿は、鯉伴が幼い頃から変わっていない。
かつてこの世を去った珱姫だったが、何の因果か生まれ変わり、ぬらりひょんと再会を果たしたのだ。
明治時代に転生し、かつての記憶がない状態でぬらりひょんと再会した珱姫。
すったもんだあり、人としての生を半ばで終えてしまい、妖怪としての生を生きることになってしまった。
それから数世紀後も、ぬらりひょんと夫婦として暮らしているのだが。
「帰ってきたぜ、お袋…親父」
鯉伴はぬらりひょんや母親たる珱姫に、若菜の変身を打ち明けるべきかと悩んだ。
しかし空が白んできた時間帯だった。
出入りが済んだという事でその日は終いになり、打ち明けられず部屋へと戻ることになる。
だが翌日。
ぬらりひょんの元へと改めて顔を出した時、ことは起る。
若菜の体力の消耗具合を考え、寝室へと寝かせていたが。
容態が急変し、苦しみ出したと言う報せを受けて、鯉伴は部屋へと飛び込んだ。
鯉伴がみたものは、若菜の姿に、山吹乙女が混ざりあったような姿だった。
頭部は短い茶の髪ではなく、背中まで髪が伸び、ある境目から黒へと染まりかけている。
瞳は片方が明るい茶色だが、もう片方は山吹乙女のように――鴉の濡れ羽色へと変わっている。
何かにすがるように悶える若菜。
若菜の姿と山吹乙女の姿を行き来する様に、思わず動揺してしまう。
「あの時はこんなことには――」
その後ろから追いかけるように、顔を出したぬらりひょんと珱姫。
「これは……乙女さん? いいえ、ともかく私の力で……!」
状況を把握しきるよりも早く、珱姫が若菜の側へとかけより、その手を握る。
癒しの力が発動し、光が若菜を照らした。
光が収まった頃には、呼吸も落ち着き、元の若菜の姿へと戻っていた。
「おいおい、こりゃ一体どうなってんだ」
金髪の長い髪を揺らし、ぬらりひょんがじろりと鯉伴を睨む。
「……鯉伴よぉ? お前ェ、何か知ってるな?」
そう睨まれては、話すわけにもいかず。
鯉伴は若菜のことについて――恐らくそうだろう推測と、あの出来事を語った。
若菜の変身と、妖の血を引いていて恐らく覚醒したこと、持ち得るだろう山吹乙女の記憶。
全てを語り尽くした頃には、既に日が落ちていた。
何かを考えて黙り込む父と、若菜の身をあんじる母に妙な居心地の悪さを感じていると、若菜が目覚めたと知らせが入った。
「ありがとう……鯉伴くん」
「おう、お前が無事で良かった」
若菜が目覚めた時、見覚えのある部屋にいた。妙な既視感。
それは今世ではなく、前世――山吹乙女であった時だと思い出す。
妖怪の血が目ざめ、あの時は無我夢中で気付かなかったが、若菜としての記憶に山吹乙女の記憶が流れ込んだからか、記憶が混濁している。
視界の端に映るほど長かった髪は元に戻ったようで、恐らく髪色も戻っているのだろう。
今の私は、果たしてどちらなのかと言われれば、若菜でもあり山吹乙女でもある――混ざりあった状態。
まだふわふわと夢心地で、あの鯉伴様が隣にいる嬉しさと、鯉伴くんへの恋心の両方が頭を占めている。
「迷惑かけてごめんね、鯉伴くん」
「気に病むなよ。……俺は、お前が元気でいてくれりゃそれで良い」
ふっと微笑む鯉伴の表情は、ひどく柔らかで、かつての記憶が疼く。
――死の間際に願ったこと。
――またあなたに会えるなんて、奇跡なんだろう。
そう思いながら鯉伴様を見つめていると、ふと気まずげな顔をしていることに気付く。
「あー、う……聞いても良いか?」
察するに、今の私がなんなのか聞きたいのだろう。
「うん、良いよ」
「今のお前はどっちなんだ? 若菜か? それとも……乙女なのか?」
「……んー、どっちもかな。若菜でもあるし、山吹乙女でもあるって感じ」
「両方の記憶があるから、性格もちょっと変わっちゃったかも」
私もびっくりしちゃった、と笑いながら見ると、鯉伴くんの表情が強ばっていた。
「なら、山吹乙女の……最後の記憶も、あるのか」
その言葉に思わず目を見開いて、
途端、溢れる記憶の数々にハッとと息を呑む。
――寂しい。悔しい。辛かった。
――どうして子が産めないの。
――さようなら、鯉伴様。
――もし来世があるのなら。
どちらもわたしだと言う自覚がある以上、その記憶は心の深い部分を掘り返した。
だから。
感情が昂り、言葉がこぼれそうになる。
わたしは――若菜から山吹乙女として感覚が切り替わる。
「――はい。はっきりと……あるんです」
「あの時、残した古歌と山吹の一枝も……覚えています」
開かれた金の瞳が、揺れる。
「……そうか」
何かを握りしめる音がして、鯉伴の膝の上で握られた拳が震えていることに気づく。
「あの時。お前が山吹の枝を残して去った時……俺は自分が許せなかった」
「俺は、お前の苦しみを長引かせていた。愚かな男だった」
苦しげに顔を歪めながら吐露する鯉伴の姿に、乙女としてのわたしが違うんです!と叫ぶ。
その時のわたしは若菜から山吹乙女になっていた。
「わたしは……あなたの枷になりたくなかった!」
激情が高ぶるままに、ざわりと妖怪の血が騒ぐ。
人間としての若菜から、妖怪としての山吹乙女に。
髪が黒に染まり、長く伸びていく。
「あなたのことを本当に愛していました。心の底から愛していたからこそ、わたしは――」
落ちる涙を拭わずに、ただ想いが溢れるまま鯉伴の顔へ手を伸ばす。
金色の瞳に映る山吹乙女の姿。
「――あなたと生きる勇気が、私にはなかったのです」
「……乙女」
ハッとしたように目を見開いた鯉伴が、唇を震わせる。
「あの時から――お前が去ってから、死んだように生きていた」
「それまでの俺は、あまりにも幸せだったから――より苦しかった」
[newpage]
それは、こぼれ落ちた幸せ。
それは、かつてあった夫婦の会話。
それは、幸せな日常に落ちる一滴の墨だった。
『山吹。あんな噂なんざ信じる訳ねぇだろ。……お前は俺の妻で、隣にいりゃ良い』
『はい。……ありがとうございます、鯉伴様』
顔を俯かせる山吹にそう声をかければ、小さく笑みを見せた。
――その記憶に、ぽたりと黒が滲む。
『二代目が継いでから、ぬら組は鰻登りですなぁ』
『しかし、二代目が祝言を挙げ五十年。……奥方とのお子は未だ生まれず』
『されど二代目は奥方を娶る前まで、遊び人で名を通していたでは無いか』
――何か問題があるのならば、奥方の方ではないか?
そう誰かが囁いた。
――滲んだ黒い墨は広がっていく。
『山吹。また詣りに行ってたのか』
『鯉伴様。……子宝に恵まれると言う伝えを聞いたので』
『うちにはご利益のある土地神も居るからな。なあ……お袋ほど役に立たねぇかもしれねぇが、』
『たまには俺の事も頼ってくれねぇか』
『山吹の気が急いでんのも分かってる。……愛妻に頼られねぇ夫ってのも、情けねえからよ』
その言葉に目を瞬かせた山吹は、しばらく口を噤んだあと、
『……そう、ですね。少し、追い込まれていたのかも、しれません』
『――鯉伴様』
『どうした?』
『……抱き締めてもらっても、良いでしょうか』
『構わねぇが……なんだ、俺が恋しくなったのかい?』
からかうようにそう言えば、はにかむように笑みを浮かべた山吹に、――妙な違和感を覚えた。
何処か吹っ切れたような、妙な清々しさがあるような。
その違和感に踏み込めないまま、山吹を抱き締めた。
山吹の匂い。愛する女の体温が感じられ、確かに生きているのだと実感できる。
愛する女を抱きしめて、改めて幸せだと感じる。
――この幸せがずっと続いてくれりゃあ良いのにな。
それなのに、胸の奥が引き絞られるような痛みを覚えた。
――それから暫くして。
――あの古歌と山吹の一枝を残して、乙女が姿を消した。
子が出来ないことに悩むお前の苦しみに、お袋がいるからと踏み込めないでいた。
もし、俺がもう少しお前の心に寄り添えていたら。
――そんなもしもが頭をよぎる。
"あの時そうしていたら"と、叶わない未来を想像して。
そんな馬鹿げた妄想にふける。
「――何度もお前が隣にいる夢を見た」
目が覚めて、居ない現実に心が死んでいくのがわかった。
「その度に記憶が薄らいでいくようだった」
「組の奴らには、次の恋は百年後くらいで良いなんざ言ってたが、忘れられるわけがねぇ」
「俺も、お前を心の底から愛していたさ……!」
鯉伴が叫ぶと同時に、床に落ちる涙。
ほとんど涙を流さなかったあの人が、泣いていた。
その姿に、思わず息を呑む。
「……鯉伴様」
私が去ってから何百年も、この人は長い孤独を味わったのだ。
私が死ぬまで鯉伴様への思いに苦しんだように、鯉伴様もまた苦しみを味わっていた。
「俺は馬鹿だ。お前を不幸にして、愛した女すら看取れなかった馬鹿野郎だ」
声を震わせながらそう話す鯉伴様の言葉に、ただ首を振る。
「――いいえ、いいえ……違うのです。わたしは鯉伴様に会う資格がなかった」
「それに、病で衰えた姿を、あなたに見て貰いたくなかった……!」
そうして最期を悟ってしまうと――孤独が恐ろしくなった。
鯉伴様に会いたい――けれど会えない。
ならばせめて、生きた証を残したい。
私のエゴで、手紙を出してしまった。
わたしが死ねば、全てが終わると思っていたのに。
「私のせいで――あなたを苦しませてしまった」
後悔ばかりを口にしてしまうと自嘲して、――私が本当に言いたいこと、知りたいことに気付いた。
鯉伴様に、ふと問掛ける。
「……鯉伴様は、私と祝言を挙げて、幸せでしたか?」
その問いに、驚いた金の瞳が揺れる。
「何、言ってんだ……幸せだったに決まってる」
その答えに、私だけではなかったのだと――頬を緩ませる。
「私も。――あなたと過ごした日々は、ずっと覚えています」
その瞬間、重苦しい場の雰囲気が、弾けたような気がした。
その様子を見た鯉伴もまた、思い出に浸る遠い目をした。
「ああ――そうだな」
「あの時の俺は、」
「あの時の私は、」
「「本当に幸せだった」」
後悔ばかりが先に出てしまった。
あんな終わり方になってしまったけれど。
確かに私たちは幸せだった。
あの幸せだった日々が、消える訳では無いと。
私たちは、本当に幸せだったのだと。
――ああ、わたしたちは。
――互いが互いを想いすぎて、共に苦しむ道を選んでしまったのだ。
――そうして互いに苦しんで……。
「後悔ばかり口にできるのも、きっとこうして会えたからなんでしょう」
「鯉伴様。私はずっと、幸せでした――」
「……あなたを忘れたことは、一度もなかった。あなたを想う心は――今も変わりません」
「……ッ!」
――山吹乙女の時の願いは、叶った。
――鯉伴様と会えたのは乙女の想いで、鯉伴くんに恋したのはわたしの意思。
「山吹乙女も、若菜も、あなたのことを愛しています」
「ああ……! 俺もだ……!」
互いの存在を確かめるように強く抱き締め合う。
魂の再会までの空白の時間を埋めるように、永く続く二人の時間。
どれほどの時が経ったか、その長い抱擁を終わらせたのは、
「――おうおう。お熱いことで」
部屋の襖が開き、姿を現したぬらりひょんの野次だった。
金の髪をたなびかせ、悪戯げに輝く金の眼には、揶揄う色がありありと浮かんでいる。
「居たのかよ親父……」
「居たも何も、若菜さんと話をさせてくれと待たせたのはお前じゃろ」
「うっ……そういやそうだったな。悪りいな、待たせちまって」
「ま、そいつは構わねぇが」
ちらりと妖怪姿の若菜に目を向けたぬらりひょんが、
「……ふむ。若菜さん……いや、乙女さんと呼んだ方が良いかい?」
そう問いかければ、本人は少し考え、
「そうですね……どちらもわたしですが、この姿の時はどうか乙女と」
そう告げた後、
「この姿の時は、山吹乙女と。人間の姿の時は、若菜とそう呼んでくださいな、お義父さま」
その答えにぬらりひょんはニヤリと笑い、よろしくな乙女さんと言って、
「ちょいと話は変わるんだが、お前らと話し合いたいことがあってよ」
「お前らの話がまとまったみてぇだから、次は――乙女さん。あんた自身のその姿に関わる話だ」
そのぬらりひょんの言葉に、ハッとする両者。
「ワシについてこい。表沙汰にできねぇ話をする部屋があるんでな。そこで、その話をしてやる」