俺は幸せ者だ。
そうつぶやく。行くあてもなく屋敷の近くをふらりと出歩けば、いつも通りの変わらない日常がある。
腕に抱き上げた子供の温もりを感じる。大人よりも高いその温もりは、鯉伴の温かな日常を象徴するものだ。
「おとうさん、どこ行くの?」
くりくりと丸い瞳が、鯉伴を見上げている。
「んー? いやぁ、どこ行こうかと思ってなぁ。リクオはどっか、行きてぇ所あるかい?」
「じゃあねー、いつもいくとこ!」
「いつもの公園かい? 良いぜ、しっかり掴まってなリクオ」
若菜との間にリクオが生まれて数年。
ぬら組衆に可愛がられすくすくと育っている可愛い跡継ぎ息子。
若菜も鯉伴も可愛がり、ぬらりひょんや珱姫からもたっぷり愛を受けて育ったリクオ。
いたずら盛りで度が過ぎると黒田坊と青田坊が嘆いていた。
初孫にすっかり骨抜きになったぬらりひょんは、近頃では親馬鹿ならぬ孫馬鹿と化していた。
時折猫可愛がりが過ぎて、珱姫に雷を落とされることもある。
俺の時は父なりに可愛がったようだが、母からはどこか雑に映ったようで、滅多に怒らない母が噴火した記憶がある。
そんな思い出に浸りながら歩いていると、抱き上げていたリクオが見つめていることに気づく。
「どーした? リクオ」
「おとーさん、うれしいの?」
「そりゃ勿論。リクオがいて、親父もお袋もいて、若菜もいて……毎日楽しいから嬉しいのさ」
「何よりお前は、俺の大事な息子だからな!」
そう言ってリクオの頬をつつけば、ふぐのように頬を膨らませぷりぷりと怒るリクオ。
「おとーさん、なんでいつもつつくのー」
むすっと不満気な顔すらも愛おしくて、
「可愛いからなリクオは。つい突っつきたくなるんだよ」
胸をくすぐる幸せに、ふっと笑みが浮かぶ。
両親がいて、愛妻がいて、愛息子もいる。
「幸せ者だな、俺は」
幸せに満ちた今と、かつての死んだように生きていた頃。
山吹乙女が出ていって、それまでの団欒が壊れ。
もうあの幸せが決して揃うことは無いと、理解してしまった時。
或いは、乙女が去った原因が、己の――羽衣狐の呪いのせいだとわかった時。
鯉伴は壊れてしまったのかもしれない。
何も感じず、ぬらりひょんや珱姫の諌める言葉すらも切り捨てていた戦後。
あの頃は――まさかこんな幸せを手に入れる日が来るとは、思いもしなかっただろう。
「あっ! おじいちゃん!」
降りたがるリクオを下ろすと、パタパタと走りよった。
リクオが足にしがみついて、金の髪をしならせたぬらりひょんが立っていた。
「おう、リクオ。鯉伴もいんのか。どこに行くんだ?」
いつもの公園だと告げると、ワシもついて行って良いかい、と言った。
「親父が? まぁ構わねぇが……あんた、この前リクオに構いすぎて嫌いとか言われてなかったか?」
「ん? そうじゃったかの? なぁリクオ、おじいちゃんは好きか?」
うりうりと頭を撫でられているリクオは、前のことなど忘れたようで「おじいちゃん大好き!」と抱き着いていた。
「んー! リクオは可愛いのぉ!」
でれでれと表情を崩すぬらりひょんを連れて、公園へとたどり着く。
「よし、リクオ……遊ぶぞ!」
公園内でリクオと鬼ごっこや隠れ鬼をして遊び、ぬらりひょんの畏れを使って本気の遊びも行った。
「おじいちゃーん、どこ〜?」
探し回るリクオのすぐ側でニヤつくぬらりひょんに、大人気ねぇなと呆れたのもつかの間。
時間が経つのもあっという間で、気付けば膝の上でリクオが疲れて眠りこけていた。
「なぁ、親父」
「おう?」
ふと頃合だと感じ、ぬらりひょんに語り掛ける。
「俺はな、リクオに選ばせたいと思ってるんだ。妖怪か、人の道か」
「ふむ」
「俺は半妖だが、リクオはぬらりひょんの血を四分の一しか受け継いでねぇ」
――親父や組の奴らの背中を見て、自然と俺は跡を継ぐことを決めていた。
――闇が薄まる時代に生まれたリクオは、闇が濃い時代に生まれた俺とは違う。
「妖の世界が、俺より遠く感じるかもしれない。リクオは人の血を四分の三継いでるからな」
もし仮に人の道を選んでも、若菜のように、妖の血が目覚めるかもしれない。
そうなったとしても、
「俺はリクオに、選ばせてやりてぇのさ。素直に継いだ俺と違って、コイツにゃ悩む権利があると思うからな」
そう語った後、ぬらりひょんがぽつりと言った。
「まぁ良いんじゃねぇか」
「なんだ、否定しないのか親父」
「ぶは! そりゃあな、お前ェが決めたことを、ワシが曲げる訳にも行かんじゃろ」
「もしリクオが継がなかったら?」
「そら揉めるじゃろうな」
「まぁそんときはそん時だ。お前ぇに何かあったとしても、ワシもまだまだ行けるクチじゃし、いざとなりゃワシが総大将にでも戻るわい」
こと無さげに言うぬらりひょんに、強ばっていた肩の力が抜けていく。
「ありがとよ、親父」
「おう。息子の肩の荷くらいは持ってやらぁ」
「さすが魑魅魍魎の主、大妖怪ぬらりひょん様だな」
「よせよ、お前ェにおべっかなんぞ似合わん」
会話が一段落した所で、リクオが唸りながら目を覚ます。
「おとうさん、おじいちゃん……おはよー」
「起きたか、リクオ」
よしよしと頭を撫でれば、寝ぼけながらも抱きついてくるリクオが愛おしい。
そんな様子を眺めていたぬらりひょんが、
「鯉伴。硬っ苦しい話は終いにして、店でもよって甘いもん食べねぇか」
「そいつは良いな。リクオも腹減ってるんなら、店の甘いもんでも食うか?」
「おやつ? 食べる!」
そうして喫茶店に向かう途中で、ぬらりひょんがあることを言う。
「なぁ、リクオ。今からじいちゃん達がちょいと力を見せてやる」
「力?」
「なぁに、お前も育てば使えるようになる――妖怪としての力だ」
「見たい!」
「おい、親父? それってぬらりひょんの畏れを使うってことか?」
それには答えず、にやり、と口角を上げて笑うぬらりひょん。
「のう鯉伴〜。畏れを使って食い逃げがバレた方が奢るってのはどうだ?」
「んな事して、お袋や若菜にバレたらやべぇだろ」
「ん〜? リクオや、鯉伴のすげぇところ、見たいじゃろ?」
そうぬらりひょんが唆せば、リクオの目がキラキラと輝き始めた。
「おとーさんのすっごいところ、見たいなぁ!」
うっ、と子供の無垢な目で見られれば、鯉伴に抗う術はなく。
「おじいちゃん、おとーさん! 誰も見てなかったよ! 忍者みたい!」
「どーだリクオ。これがぬらりひょんの畏れって奴だ。すげぇだろ?」
無事食い逃げに成功し、空腹も満ちて満足した三人は、帰路を歩く。
食い逃げに関して三人だけの秘密だと口止めをしたが、そうは問屋が卸さない。
すっかりテンションが上がったリクオは、屋敷へと戻ってから公園で遊んだことをまくしたて、そのついでにポロリとこぼしてしまった。
「あっ、ひみつのおはなしだった!」
その言葉を耳にした若菜と珱姫は、それまでの笑顔を凍らせた。
「へぇ〜……。楽しんできたのねぇ、リクオ」
部屋の気温が数度下がったような気がした。
「ち、違うんじゃ珱姫……リクオに経験を積ませようと」
「そ、そうなんだよ若菜。ほらリクオも外で学ぶ機会を」
仁王像のようにオーラを纏った若菜と珱姫を前に、たじろぐ二人。
「……あなた」
「……妖様」
「「少しお話しましょうか。良いですね?」」
畏れを纏った珱姫と若菜に抗えるはずもなく。
その日、本家にふたつの雷が落ちたとか。
この作品内での、羽衣狐の呪いがいつ発覚したのかについてですが、
①明治時代、転生後に妖怪化した珱姫とぬらりひょんがくっつく。
②大正時代に入ってから、珱姫とぬらりひょんの間で子ができないことが問題になる。
③その裏で鯉伴が山吹乙女の最後を知り、雪麗が去る。
④狐の呪い発覚。山吹乙女が去った大元の原因が分かり、鯉伴が病む。