「若菜。悪りぃが、いつもの散歩に出かけても構わねぇか?」
ある日、鯉伴がそう尋ねてきた。珍しい、なんて思いながら若菜は何気なく応えた。
「別に私に聞かなくたって、鯉伴くんがやりたいようにやっても良いのに」
「あー、まぁな。小せぇリクオも連れてってなると、色々危ねぇからな。ま、一応の確認って奴だ」
……どこか何時もと違う鯉伴の反応に、妙な怪しさを覚えつつも、
「ううん、大丈夫! ほら、リクオも鯉伴くんも――気をつけて行ってらっしゃーい!」
そう言って、若菜は笑顔で送り出した。
その日の鯉伴とリクオの嬉しげな笑みが、脳裏に焼き付いた。
いつもの日常、いつもの散歩……。
きっと、いつものように帰ってくるとそう思って。
若菜は二人を、笑顔で見送ったのだ。
…………。
……。
「リクオ……その娘は……」
神社の境内、リクオはひとりの少女と話し込んでいた。
「お父さん! あそんでくれたの、このお姉ちゃんが!」
リクオが鯉伴に気づき、振り返って少女を紹介する。長い黒髪の少女はにこりと微笑んだ。
その顔は、鯉伴がよく知る山吹乙女に瓜二つだった。いや、顔どころか――少女を形作る全てが、まるで山吹乙女を幼くしたようで、あまりにも似すぎていた。
常ならば薄気味悪さすら感じただろう少女の姿に、鯉伴は――己が感じ取ったものの正体を見定める為、関わることを決めたのだった。
やがてその少女の手を取った鯉伴は、リクオと少女の遊びに混じり、その日一日共に遊び尽くした。
丸一日、子供の相手に草臥れた鯉伴だったが――これまで少女の姿に感じた違和感を掴めないでいた。
「あ! 何だろう、アレ」
「リクオ、あんまり遠くに行くなよ」
何かに興味を引かれたらしいリクオが、走り去っていく後ろ姿を、少女と共に眺めていた所で。
「わぁ……キレイ」
塀の角を曲がった先で、咲き誇る山吹を見て呟く少女の姿が、ふと目についた。
「……山吹」
「こいつは、オレの独り言だが」
「“八重七重 花は咲けども 山吹の 実のひとつだに なきぞ悲しき”」
「あんたにそっくりな人が残した句があってな。オレは、どうしてもその意味を知りたくて、あらゆる歴史書やら故事やらひっくり返して探し回ったのさ」
「その意味は――“気品”……“崇高”」
この先を言えば、何かが起きるかもしれない妙な予感があった。
「そして……“まちかねる”。まるであんたは、オレ達の娘みてぇだ……」
少女は何と答えるだろうか。
或いは、オレが求める答えは何だろうか。
沈黙する少女の後ろ姿を見つめる鯉伴だったが、
――おとうさーん!
不意に、鯉伴を呼ぶリクオの声に気を取られ、振り向いた――振り向いてしまった。
とん、と胸に感じた衝撃。
同時に、鯉伴は己の身体を貫く刃を捉えた。
「ぐ、……」
赤い花が地面に咲き誇る。
畏れが、鯉伴の体から抜け出ていく。
リクオが駆け寄る姿が見えた。
少女の泣き叫ぶ声が聞こえ――やがてそれは女の高笑いへと変貌していった。
「は……そうか」
「オレは……『また』間違えたのか」
「お前を……残して逝くなんざ……オレは……」
「悪りい……若菜」
…………。
……。
「――鯉伴くん?」
ふと、名前を呼ばれた気がした若菜は、誰も居ないはずの部屋で顔を上げた。
妙な胸騒ぎを覚えた若菜は、出掛けるための服装に着替え、玄関へと急ぐ。
「きゃっ……」
「! ここに居られましたか、奥方様!」
「――二代目が……!」
「鯉伴くんが……本当に?」
二代目奴良組総大将、奴良鯉伴。
意識不明の重体――、一時は命すら危ぶまれたが、何とか峠を越える。
しかし、依然として鯉伴の意識は戻らず、昏睡状態のまま数日が経ち――。
そして一年後。
未だ眠り続ける鯉伴を、療養の為に半妖の里へと移す事が決まった。
「二代目総大将の代わりに、ワシが総大将代理として代行する――これに反対する奴はいるか?」
「……決まりじゃな」
――『なぁ、親父』。
『オレはな、リクオに選ばせたいと思ってるんだ。妖怪か、人の道か』。
『そん時はよろしく頼むぜ、親父』
(あんな話をして早々、ワシに押し付けるとは……。引退するにはちと早すぎるんじゃねーか? 鯉伴よォ……)
「総大将代行はワシが引き受ける。ワシがこの百鬼夜行を、再び導いてやる」