「鯉伴くんがいない間、私一人でも頑張ってリクオを育ててみせるから!」
「だから……はやく起きてよ、鯉伴くん……」
そう言って泣いたあの日は、今となっては遠い過去となった。
「リクオ――! はやく支度しないと遅れるわよ――!」
「ごめん、母さん! うわ! 奴良組の皆も、僕にかまわないでよ〜! 遅れるから! ね!」
奴良リクオ。
そう名付けたあの子は、随分と大きくなった。
鯉伴くんが眠り続けて、もう何年になるだろうか。
半妖の里と言う場所に、療養の為と眠るあの人を見送った。
あの里は特殊で、半妖、或いは人の血を継ぐ妖しか入れない場所だと聞いた。
私自身も恐らく入れるのだろうが、あの人の姿をみてしまえば、きっとあの子のそばに居続ける事はできなかった。
だから、私は……この数年、人の姿で、人の世界で生きることを決めた。
リクオが選ぶのが、妖の道か、人の道かはわからないけれど。
少なくとも、奴良若菜のことを、あの子は人間の母親だと思っていることだろう。
それで良いと思った。
私は、リクオの母親として、人としての姿を見せたい。
この日常を、私は守りたい。
……リクオと鯉伴くんを守るためなら、何だってしてみせるから。
そう決意したあの日から、奴良組は衰退の一途をたどっていた。
二代目総大将奴良鯉伴の不在――。
初代総大将――初代ぬらりひょんが総大将代行となったとは言え、老いたぬらりひょんの姿を見て侮る妖怪は時が過ぎるほど増え続けている。
かつては七十を超える傘下を従えていた奴良組だが、今ではその半数ほどにしかその威光は届いていない。
「ふぅ……やれやれ、歳は取りたくないもんじゃなぁ~?」
そう言って自分の肩を揉んでいるぬらりひょんの姿を、若菜は見つめた。
その隣に座るぬらりひょんの伴侶たる珱姫の姿もまた、同じように歳老いた姿をしている。
山吹乙女時代に見覚えのあるその姿は、珱姫の希望によるものだ。
同じように歳を取らねば不審がられるということもあるが――何より、共に歳を取りたいという珱姫の願いあってのこと。
両者がこうした姿を取っている事情は――奴良組の組員からは"老い"であるかのように振る舞っている。
だが本来ぬらりひょんには老いというものは存在せず、珱姫もまた年を取るような妖怪でもない。
ぬらりひょんは狐の呪いが進行したことにより、日中や妖気の薄い場所では老いた姿となってしまう。
それを嘆いた珱姫が、若い姿で居るのは忍びないと自身の姿を老いたものへと変化させたのだ。
そしてその姿を、ぬらりひょんは都合よく利用している。
衰退しつつある奴良組にとって、敵は外だけではなく内に潜んでいることもある。
侮るものほど隙を見せる。
敵を狩るとして活用していた。
かつて奴良組を一大勢力にまで押し上げたその慧眼、カリスマは――衰えていない。
一方で、若菜はここ数年、奴良組が衰退していく様子をただ眺めていた……、
――訳では無い。
もう純粋な人間ではない若菜にとって、奴良組は第二の家と言っても良い、鯉伴とリクオ、そして義両親との……家族の家なのだ。
若菜は……山吹乙女は、家族を守るために覚悟を決める。
人としての道ではなく、妖としての道を。
魑魅魍魎蠢く世界に、足を踏み入れる覚悟を。
「世の妖怪共に告げろ! オレが魑魅魍魎の主となる!」
「すべての妖怪は、オレの後ろで百鬼夜行の群れとなれ!!」
――リクオの妖怪の血が目覚め、そう宣言したと聞いたあの日。
リクオに切られた筈のガゴゼの姿を探し、若菜は夜の闇に紛れ追った。
既に妖怪の姿となった若菜は、見つけ出した。
「ちっ!」
姿を見られたことに気付いたガゴゼは、重傷ながらも逃亡しようとしていた。だが、それを見逃す若菜も甘くはない。
「無駄よ。――『濡れ鴉の影踏み』」
若菜の影から、何かが飛び出す。
黒い蔓が地面を伝うように奔り、それを踏んだガゴゼの足を侵食するように絡み取る。
絡み取った相手の妖気を吸いとる黒い蔓により、ガゴゼの体が脱力し――地面と激突する。
「がっ、はっ……」
既に満身創痍なガゴゼへと近付こうとする若菜……乙女に、聞き覚えのある男の声がかけられた。
「ちょいと待ってくれねぇか? 乙女さん」
「――総大将」
振り向いた先に佇んでいたのは、――月に照らされた総大将ぬらりひょんの姿。
いつのも見慣れた老人ではない――金髪の若い男の姿。狐の呪いが和らぐ夜である今、ぬらりひょんは本来の姿を取り戻していた。
その何処か寂しげな笑みに、昔の噂を思い出した。
ガゴゼは、古参の奴良組の一人であると聞いた。江戸の初め、かつては鯉伴様の子守もしたとか――その噂を思い出した乙女は、身を引いた。
「総大将がそう仰るのなら……私は身を引きましょう」
……乙女にとって、いや若菜にとって我が子の命を狙った憎い男だが、この総大将ぬらりひょんにとっては、裏切りの古参でもある。
……その末路を悟った乙女。
今では「濡鴉の乙女」と呼ばれる女の妖怪は、黒い蔓はそのままに、ガゴゼへと近付くぬらりひょんから離れた位置へと立った。
鯉伴が眠りにつき、半妖の里で療養して数年。
リクオの道が定まらない中で、若菜は衰退する奴良組の役に立ちたいと、ある覚悟を決めた。
若菜の……山吹乙女の姿を知る者がごく僅かな今。
その事実を利用し、鯉伴を害した犯人を探す為に、若菜はもう一つの仮の姿として「濡鴉の乙女」を名乗っている。妖怪の力を利用し、少し色味を変えて、様々な活動に多少なりとも関わっているのだ。
そう、すべては……鯉伴様とリクオの未来のために。
そして狐の呪いを解くために――。
妖怪としての姿を、その力を振るうことを決めたのだ。
ガゴゼの裏切り。
ただの野心であるのならば、粛清するだけでこの事件は終わるだろう。
けれど……もしその裏に、何者かの影があるのならば――。
「鯉伴様の妻として、リクオの母親として……探し出さなければ」
そう小声で呟いたと同時に、ガゴゼの首をぬらりひょんが刀を一閃。
首が落ちる。
気付けばガゴゼの周りを奴良組の鴉天狗達が見守っていた。
息絶えたガゴゼの首を鴉天狗が拾い、ぬらりひょんと何やら言葉をかわしている。
「……私の出番は終わったみたいですね」
そう言ってその場から去る乙女に、ぬらりひょんが投げかけた。
「乙女さん。すまねえな、苦労かけて」
苦労。その言葉の裏のぬらりひょんの苦痛を察した乙女は、微笑む。
「総大将様。私はただ、その者を追っただけに過ぎません。感謝を示さずとも良いのです」
――ガゴゼの粛清により、ガゴゼ会は威光を失い、奴良組から姿を消すこととなる。
奴良組の後継ぎ候補たるリクオの覚醒。
その吉報に奴良組の者達は浮かれ、ガゴゼの反乱は忘れ去られることとなる。
最もその後の数年間、覚醒のかの字も忘れたように、妖怪の姿を取らないリクオなのだが……。
久方ぶりの吉報に、今はただ浮かれるばかりであった。