始まりにあったもの   作:宗旦狐

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第1話 朝の目覚め

其処にあったのは何だったろうか。

人知れず、海の中。

漂う私は何者で、水の上でさざめく彼等は誰なのか。

記憶は何もかもが遠い夢の彼方、泡の様に遠のいていく。

その泡はグングンと昇って。

ふと気付いた頃には、水面でパチンと弾けていた。

 

「いってきまー…」

朝の日差し。冷たい空気。

もう誰も居なくなったリビングに向かって、薄ら顎鬚の生えた中年の男が呼び掛ける。

しかし男は言っている途中で気が付いた様で、寝惚けた顔を少し引き締めてこう呟いた。

「あぁ、そう言えばもう皆出掛けてたな」

ガチャンと扉の閉まる音がする。

男の独り言は、朝日の差し込む玄関の中で人知れず消えていった。

男には隠し事がある。それは家族に対して、でもあるし。世間に対して、でもある。

ビジネスバッグを左手に抱え、点滅する信号へ小走りで駆けていく。

男は刑事であった。しかし隠し事とはそれではない。

プーー!!

「あー申し訳ない!」

配属課は捜査一課。

一課と聞けば、刑事ドラマで繰り広げられるスペクタクルな刑事達の活躍を思い浮かべるかもしれないが、男の場合はそうではなかった。

まぁ、スペクタクルと言えばそうであるのかもしれないのだが。

 

「あ、おはよう佐滝君」

配属部署へと向かう男の足取りがふと止まる。

別に誰かが男に挨拶をした訳ではない。

直ぐ後方で聞こえた声に、反射的に振り返りかけただけなのだ。

「おはようございます波原先輩」

若い男性達の声。

察するに同じ部署なのだろう。まるで晴れやかな草原の様な雰囲気。少し若い頃を思い出す。

しかし余り立ち止まり続けるのも、少し気まずい。良い職場なのだろうと、独りごちて羨ましげにその場を後にした。

と言っても然程時間はかからない。

強行犯捜査係。そう書かれたプレートが目に入る。

ストッパーで開かれている扉を潜れば、まだ人の数が疎な大部屋が男を出迎えた。

大部屋に点在するデスクの上は書類、書類、書類。

此処は、事件の資料作成や情報収集を生業とする場所だ。

そんな係に所属している男の座席は、大部屋の一番右端の方。

「今日は遅いんですね遠坂さん」

向かいかけた革靴の足を引き戻して、声を掛けてきた女性に向き直る。

「…えぇ、今朝は少し寝坊してしまいまして」

隈は目立っていないだろうか。笑えているだろうか。男は話しながらも、明るく振る舞うべく朗らかに笑う。

「それで、何か御用でしたか?」

「…まだ始業時刻ではないですが、はいどうぞ」

女性から手渡された書類に、男は瞬きした。

「…これは」

「いつもの、事件の引き継ぎ作業ですよ」

「…ああぁぁ〜…成程!すみません、分かりました今日一番にやらせて頂きます」

「はい、いつも通りで良いので宜しくお願いします」

男の粗相にも目をくれず、軽く会釈をした女性は立ち去ろうと歩みを進める。

しかし立ち去り際に。

 

「作り笑い、やめた方が良いですよ」

そう言い残し、男の元から離れていった。

 

「作り笑い…」

男——遠坂は人知れずフーーっと息を吐く。

もしかしたら自分の普段の振る舞いが、同僚達に不快感を与えていたのだろうかと脳裏を過ぎる。

何かと暗い話題が多い部署だから、暗い空気が篭らない様にとやってきた。

しかし、裏目に出ていたとしたら。

昨夜も満足に眠れなかった。先々日も眠れていなかった。瞳に焼き付いたアレがどうしても頭から離れない。

あれもこれも全ていつものこれのせいだ、と女性から手渡された書類をつい乱暴にデスクに叩き付けた。

隠し事。遠坂が抱えるそれはきっと世間では迷信だとか、法螺話だとかそう揶揄されるモノ。

誰かに話しても、頭が狂ったと思われるだけだろう。

乱暴に腰掛けたオフィスチェアが、キィキィと悲鳴を上げる。

 

デスクに叩き付けられた書類を包む茶封筒には、デカデカとこう書かれていた。

 

外注捜査係宛 10/5お宮*1

 

これは外部捜査助力官〈呪術師〉担当窓口、遠坂宗臣の辿る奇譚を綴った物語である。

 

 

 

 

*1
捜査が行き詰まり迷宮入りする事

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