「完全体になりさえすれば……!」から始まる人外転生者の追憶 作:GT(EW版)
──人類の住まう人間界とも魔族の住んでいた魔界とも違う異次元の彼方には、女神に選ばれた者しか踏み入ることが許されない聖剣の湖がある──。
浸透度はピンキリではあるものの、その事実が御伽噺として伝わっている「世界」の数はゆうに千を上回る。すなわち、その湖は一つの世界だけでなく、次元の海に無数に浮かぶ数多の異世界とも繋がっている独立した空間にあった。
ある世界では「賢者の泉」と呼ばれ、またある世界では「女神の湖」とも呼ばれている。「聖剣の蔵」や「裁定者の檻」などと物々しい名で呼ばれることもあれば、「妖精の花畑」や「天使の茶会場」などというメルヘンチックな名で呼ばれることもある。
──そしてそんな呼び方の定まらない幻想のような不思議空間には、時折「外」の世界から来訪者が訪れることがあった。
来訪の頻度は半年に一人ぐらいの割合か。それはその世界の神話に名を残すような伝説的な英傑だったり、一歩間違えれば稀代の大悪党になりかねない曲者であったり、毒にも薬にもならなそうな平凡な人間であったりトラックに撥ねられた重傷者であったりと……特徴は千差万別であった。
そしてこの聖域にはそんな彼らを出迎える唯一の住民として、外の世界では「女神」や「妖精」もしくは「天使」だったりとこれまた統一性の無い呼び名で呼ばれている一人の女性が暮らしていた。
いずれの呼び名からも想像できる人間離れした透明感と美貌を持つ女性の髪は、すぐ傍に広がっている美しい湖のような澄み渡った青に輝いている。
そんな彼女が身に纏っているのは白を基調とした丈の短いワンピースに、金色のロングブーツと手袋だ。白銀色の髪を肩先まで下ろしたその頭の上には、雫の紋様が刻まれた水色のサークレットが装着されており──襟元から背中に下ろされたマントと併せれば、その衣装を指して彼女のことを「女賢者かな?」と表現する者もいた。そんな余談である。
そんな女神の住む聖域は聖域であるが故に、彼女の他に生き物は居ない。
花畑に目を向ければヒラヒラと飛び回る蝶々のようなものが、湖を注視すれば浅瀬を泳ぎ回る魚のようなものがそれぞれ見えるが……それらはいずれも彼女がこの聖域の景観を彩る為に作り出した、光のオブジェに過ぎなかった。
それらは外の世界からこの場所に足を踏み入れた来訪者に対し、あちらで伝わっているであろう聖域の神聖なイメージを壊さないようにと気遣った彼女なりの配慮であり──湖と花畑しかないこの場所でできる貴重な暇つぶしの一つでもあった。
──そんな彼女の一番の娯楽は、外の世界からやって来た来訪者たちから各々の体験談を聞くことである。
開け放たれた青空の下、お手製のテーブルの上でエレガントに紅茶を啜りながら、女神はその日も外の世界からの来訪者である彼──否、「彼女」の話を聞いていた。
……と言うよりも、女神の側から促すよりも先に、相手の方からなんか勝手に語り出してきたのだ。
少女は突然この聖域に現れるなり勝手に向かいの席に座ると、聖域の主である女神よりも偉そうに脚を組みながら「語らねばならない……」と一方的に語り出したのである。その際、ミニスカートから覗く脚線美が無駄に艶めかしかったのが妙にイラっと来たものだ。
──その少女は、女神と向かい合っても何ら見劣りしない美貌の持ち主だった。
色白の肌に人間離れした端麗な顔立ちをしており、ふわふわとウェーブの掛かった柔らかそうな質感のロングヘアーは腰まで下ろされており、プラチナの如き白銀色に輝いている。耳元の辺りから垂れ下がる短い触角のようなさり気ないアホ毛がチャーミングな髪型だった。
身長は女神よりも頭一つ分ほど小さく、人間の女性の中では平均より少し低いぐらいか。身体の起伏は上着に羽織っている武士のような和風の長羽織に隠されてこそいるが、それなりにある方だろう。
総じてその容姿は女神に言えた話ではないが、いかにも男受けの良さそうな儚げな銀髪美少女だと思った。
……そう、どこからどう見ても美少女なのである。
ミニスカートとニーソックスのコントラストが眩しいくノ一のような衣装からは同性でも思わず視線が向いてしまう艶めかしい絶対領域を形成しているが、上着に着込んだマントのような長羽織が肌の露出を程良い程度に抑えており、その儚げな容姿に見合った清楚感を演出していた。
その長羽織もまた特徴的なデザインをしており、襟元から袖、胸部に掛けては艶のある黒一色に染まっているのだが、腰から下の部位に掛けては淡い黄色に染まっている。薄黄色の面には不規則な斑点模様が刻まれており、まるで遠い昔──外の世界の図鑑で見たことのある「ヘラクレスオオカブト」の背中のようだと女神は思った。
……その比喩が妙にピンポイントなのは、一見日本文化に染まった北欧人のようにも見える彼女の衣装の中で一際異彩を放っている──胸元に装着された玩具のようなアクセサリーが原因だ。
──そのアクセサリーは、カブトムシの造形をしていた。
頭に聳り立つ大きな二本ヅノが特徴の流線型なフォルムは、デフォルメ化されたヘラクレスオオカブトそのものだったのである。
そんな一風変わったアクセサリーが彼女の胸元の真ん中付近……谷間の辺りに張り付いている。見れば多くの男子が「おいそこ代われ」と思うところであろうベストポジションに、儚げな清楚系銀髪美少女には見合わないカブトムシ型のアクセサリーが装着されていたのだ。
「……おい、聞いているのか女神?」
この聖域に突然来訪するなり意気揚々と語り出した彼女の話はとても衝撃的な内容ではあったのだが、湖の女神は彼女が語っている間、そのカブトムシ型アクセサリーの存在が気になって仕方が無かったものだ。気のせいか時々動いてたし、姿は小さくとも不気味な存在感を放ち続けていた。
そんな女神の視線に気づいたのか、話が一区切りしたところで長羽織の銀髪美少女はそのアクセサリーを白い指先で撫で回し、見せびらかすように言った。
「フッ……これが気になるか湖の女神よ? 聖剣を抱きし勇者の選定者よォ? 申し訳程度の異形要素とは言うまい。これこそが紆余曲折を経た私が辿り着いた究極の超完全体たる証なのだよ……イタッ!?」
あっ挟まれた。痛そう……
そのヘラクレスオオカブトのような二本のツノはクワガタの顎に似ていると思ったが、見た目通り挟む力が強いようだ。
女神は無防備に噛まれた彼女の細指を心配する気持ちと「コイツ大丈夫か……」と呆れる気持ちの二つを抱えながら、得体の知れない珍獣を見るような目でその光景を見つめていた。
痛みに泣きそうになっている少女の顔に少しだけ嗜虐心が唆られたことは、女神的な良心から黙っておくことにする。
「大丈夫ですか? 今、結構な勢いで挟まれましたが……」
「フッフッ……このぐらい何ということは無い。完全体となった今の私は、この
「キッシッシッシ」
「鳴いてる……」
胸元のアクセサリーに指を噛まれた事実を涼しい顔で流そうとする彼女は、さらにもう一発おかわりを喰らうと顔を赤くしながら可愛らしい声で怒鳴り散らす。胸元のヘラクレスオオカブト型アクセサリーはそんな彼女に対して嘲笑うような鳴き声を返していたが、カブトムシはそんな声では鳴かないのでやはり本物のヘラクレスオオカブトではないのだろう。
しかし改めて見ても彼女の姿はどう見ても人間の少女にしか見えないのだが……ある世界では「裁定者」とも呼ばれている湖の女神は、その「神眼」を凝らすと確かに少女──「リラ・クーレス」と名乗ったその存在の正体を看破することができた。
──その瞬間、少女から殺気が飛ぶ。
思わず、湖の女神は自らの首を擦った。
大丈夫……繋がっている。斬られていない。今は、まだ。
「今、私を
「……!」
彼女に気取られないように手早く「
まるで複数のルビーが折り重なっているような……彼女の美しくも特徴的な瞳に睨まれると、湖の女神は「すみません、不躾でした」と素直に謝罪した。
誰だって勝手に自分のことを
「ふん……真相を確かめる為に神眼で私を
「……貴方の自制心に感謝します。蟲の勇者クーレス様」
「私は勇者ではない」
湖の女神はそのような名で呼ばれるようになった理由として、一つ特別な使命を抱えている。
それは、この聖域に踏み入れた来訪者をその眼で「鑑定」し、その者の適性に相応しい「聖剣」を与えるという無二の使命──言うならば彼女は、「勇者の最終選定者」なのである。
神の与える試練としてはただ「
基本的にこの聖域を訪れるような者はそう言ったことを気にしない大らかさを持っているか、そもそも
銀髪の少女は不愉快そうに柳眉をしかめると、テーブルの上に頬杖をつきながらジト目で睨んできた。
「今の一瞬で、私が語った以上の情報を先取りしたな貴様。元々語る気ではあったが……キミ、大分嫌な性格してるだろう?」
「さて……「いい性格をしている」と褒められたことはありますが」
「だろうな。まったくこれだから神という輩は信用ならん……神など、大魔王と合体してパワーアップのきっかけにでもなっていれば良いのだ」
「何の話ですか」
「それも私のいた世界の話さ。あれは旅を始めてから九年後のことだったか……初めて知った人の愛に目覚めた魔王の息子が神と合体し、大魔王に進化して新種のイビルセクトと壮絶な死闘を繰り広げる出来事があってな」
「なにそれ気になる」
「最後は力及ばず敗れ去ったが……奴も大魔王の名に相応しい漢だったよ。「魔界の真理はここだ……皆、大魔王のもとに集え!」と自らが錦の御旗を掲げ、非戦闘員を逃がすべく単独で敵陣へ突っ込んでいく姿は涙無しには見られませんでした」
「お、思ったより悲しい出来事ですね……反応に困ります」
「まあそんなことばかりだったよ、我々の世界は」
湖の女神はこの湖を訪れた相手が聖剣に相応しい存在であるか見極める使命を抱えている都合上、相手の本質を一目で看破する「神眼」の能力を備えている。
そんな彼女の前ではあらゆる嘘偽りが通用しない為、ある世界では「聖剣の裁定者」と呼ばれる所以だった。
そしてそのような力を無断で行使した意図としては、この少女が勇者の適性を持っているのか確認したかったから──ではない。
女神はただ、彼女がこれまで語った話がどこまで真実なのか確かめたかったのである。
もしも彼女の話が……勇者ナナシのことを語ったその話が少女のイタい妄想に過ぎなかったのであれば──その時は殺気を飛ばしていたのは、女神の方だったかもしれない。
そんなことを考えていると、今度は彼女の方が女神の思考を読み取ったのか、彼女──女神による厳正な審査のもと本当に人外転生者であることが証明された「リラ・クーレス」という少女が、ほんの少しだけ口元を緩めて言った。
「ふん……私の真意次第で地雷を踏み抜かれていた程度には、キミにも奴への愛情があったのだな」
「……当然です。勇者ナナシは、私が聖剣を渡した者たちの中でも特にお気に入りでしたから。何なら長い間、息子のように想っていましたよ?」
「ナナシはキミのことを母親のように慕っていたが、時々人の心がわからないお方だと言っていたぞ」
「……そうですか」
これまでこの聖域と「接続」した異世界の数だけ多くの勇者と出会ってきた湖の女神であるが、リラ・クーレスと名乗る少女が熱く語る「ナナシ」という勇者のことは、特に思い入れが強い。
──ナナシが湖の女神と出会ったのは、彼が五歳ぐらいの頃のことだ。
当時、自分の名前すら覚えていなかった記憶喪失の迷い子だった少年を、女神はこの世界で五年ほど面倒を見てきたのである。
基本的には庭の手入れと来訪者の話を聞くぐらいしか娯楽の無いこの聖域において、それは女神にとって特別印象深い思い出だった。
それまで人間の子供など育てたことがなく、至らぬ限りで母親の真似事をしていた当時の彼女に対し、彼は何の不満も言わなかったものだ。
しかし目の前の少女に対してはその辺りの身の上話を明け透けに語っていたことを察すると、湖の女神は少しだけ切ない気持ちになりながら安堵の息を吐いた。
「ああ……あの子も人間らしくそんなことを言えるぐらいには、健全な精神を育むことができたのですね。息子がお世話になりました。クーレス様」
「ふん、その話は後でじっくり語ってやろう。……あと、この姿の時の私のことは「リラ」と呼べ。クーレスとは私の、
「そうですか。Re la Coolest……直訳で「最もカッコいい再生」とは、ヘラクレスの捩りにしては粋な名を貰いましたね」
「ラだけフランス語の、強引なこじつけだがな。……まあ、私も気に入ってはいるよ」
突然現れた銀髪美少女、リラ・クーレスが語った話が全て外の世界で起こったノンフィクションであることを理解した湖の女神は、それまで正直得体の知れない珍獣を見る目で見ていた彼女に対する失礼な認識を改め、正式に「客人」として迎え入れることとなる。
──しかし彼女が語った話が全て真実だと知った今、「大変な人生でしたね……」と女神は率直な感想を抱いた。
勇者ナナシも。
リラというこの少女も。
これまでも湖の女神として人ならざる者に転生した者とは何度か会ったことがあるが、息子のように想っていたお気に入りの勇者が、彼女のような存在と関わることになるとは興味深い話である。
「それは、あの子が貴方に与えた名前なのですね……」
「……今際の際に、な」
リラ・クーレスという名前が、彼女自身が考えたものではないことを湖の女神は悟っていた。
根拠は彼女の技名がカブトムシパンチ等ことごとく安直でダサかったから……というのもあるが、先ほど
──それは二人の旅の最終局面において、異形としての本能に呑まれそうになっていた人外転生者を「少女」として再定義した、勇者からの
その事実を神眼による能力で効率的に理解してしまった湖の女神に対して、リラはそのスラリとした脚を組み替えながら溜め息を吐き、つまらなそうな顔で言った。
「ネタバレ野郎め……私が語ろうとしていたとっておきの記憶を覗き見るとは、語り甲斐の無い女神殿だ」
「野郎ではなく女郎です。訂正してください」
「そうか。どうでもいい」
人が楽しんで語っている最中にインチキ染みた能力で物語の先を読み取られてしまうのは、確かに語り手としては一番面白くない相手だろう。
しかし湖の女神の言い分としては、それだけ目の前の相手を警戒していたということでもある。
何せ先に結末を読み取っていなければ……女神は勇者ナナシは最後、完全体となった彼女によって殺されたのではないかと疑いながら話を聞く羽目になり──胸中穏やかではいられなかったから。
湖の女神は不穏な世界観の物語に触れる際、まずはその終わり方がバッドエンドかどうか確認した後で手をつけていくタイプの読者だった。心の弱いオタクである。
そう、見た目こそ女神らしい超然とした雰囲気を纏っているが、彼女は割と繊細な女神だった。
そんな湖の女神は澄ました表情の裏で覚悟を決めた後、語り手に促した。
「引き続き、貴方の口から語ってください。それが貴方が……あの子と交わした「三つ目の
「……本当に語り甲斐の無い奴だ。そうやって育ての親であるキミの察しが良すぎたから、ナナシのコミュ力が死んだのだぞ」
「えっ酷い。あの子私が初めて会った時からあんな感じでしたけど」
「まあ、キミに言われずとも語ってやるさ。途中退室は許さんからな」
「あっ、長くなりそうなのでケーキと紅茶をお出ししますね」
「ケーキはリンゴの奴が良い。だが紅茶は要らん。飲めないことは無いが、水分を摂りすぎると、その……ダメなんだ」
「? ……ああ、おしっこが出すぎちゃって体調を崩すと。そういうところでカブトムシ要素を盛っているのですね」
「ち、違うぞ? 食当たり程度のダメージなど、今の私ならすぐに再生できる! それはそれとして死ぬほど辛いから飲みたくないのだ!」
「おっとこんなところに新鮮なスイカがありますね。いい感じに冷えているので、これも一緒に食べましょうか」
「や、やめろ……そんなものを出したら食べたくなるだろうが。この身体になってからは、甘い物を見せられると食欲を抑えられなくなるのだ」
「弱体化してないですかその完全体」
からかい半分で神通力を使い、どこからともなく新鮮なスイカを出してみると、リラはその瞳に食欲と好奇心を宿しつつ、理性の上では食べたら最後体調を崩すことになるとわかっているが故にその頬を葛藤に歪めていた。
そんな可愛らしい姿を見ているととても元が昆虫型モンスターには見えないのだが……だからこそ湖の女神は、彼女がいかにして今の姿──「完全体」を手に入れたのかと気になっていた。
ネタバレ野郎と心ない言葉で罵られた女神だが、その辺りの記憶には触れていなかったのである。
──故に、彼女の口から語られる物語への興味は未だ尽きていなかった。
女神がそう告げると彼女は機嫌を直したようにふふんと鼻を鳴らし、目の前に差し出したリンゴタルトをチビチビペロペロと舐め取りながら再び語り出した。
その食べ方も虫型モンスターだった頃の名残なのだろうが……清楚系美少女の姿をしているが故に妙に色っぽくて何とも言えない気持ちになったものである。
あっまた胸元のカブトムシっぽいアクセサリーが動き出した。リンゴタルトに齧り付いてる……やっぱり生き物なのかアレも。
「ふっ……ではそろそろ私と勇者ナナシの物語チャプター2を語らせていただくとしよう。勇者と私……互いに目指すものは違えども、同じ時を分け合う二人──」
「そのキャッチコピーみたいなの、毎回入れるんですね」
──そうして再開したそこからの話もまた、涙あり笑いあり殺戮ありの色々な意味で濃い内容であった。