半髪頭を叩いてみれば、因循姑息の音がする。
総髪頭を叩いてみれば、王政復古の音がする。
散切り頭を叩いてみれば、文明開化の音がする。
そんな都々逸が流行るまでに日本はがらりと姿を変えた。
侍の時代が終わり、三百年続いた江戸の時代から西洋化の時代が始まり数十年。
江戸が帝都と呼ばれるようになり、政権は将軍家から天皇家へと戻り。
かつて火事と喧嘩は江戸の華とまで謳われた街並みも、西洋の文化が混入してからは、ガス燈が並ぶ煉瓦造りの街並みへとすっかり変貌を遂げていた。
長屋だらけだった通り道も、今では石畳が敷かれ、馬車が通れるほどの広い大通りへと変わり果てた。
行き交う人々の中には洋装も珍しくなく、近頃は富裕層を中心に洋服を好む人間も増えているらしい。
明治の初めに廃刀令が出されてからは、侍の姿も消えてしまった。
そんな人々の群れの間を縫いながら、のらりくらりと歩く一人の男がいた。
周りの人々よりも高い背丈。
重力に逆らうように後ろにたなびく長い金髪。
鋭くも穏やかな金の眼差し。
端正な顔立ちをした着流し姿の色男。
和と洋が入りまじる人々の中でも、その男の姿はよく目立つ……筈だった。
「はぁ〜。どこもかしこも変わりおって……爺にゃなんだか分からんのう」
キョロキョロと辺りを見回しながら感心する男。
奇妙なことに、誰よりも目立つその男は、その誰よりも目立っていなかった。
そこに居るのに、そこに居ない。
見えているのに、見えていない。
水面に写る月のように、実像を捉えられない。
忙しなく動く群衆の中で、その男だけが異質な存在だった。
「人間ってのは、相変わらず生き急いでんなぁ。ワシのような老いぼれにゃ、ちと早すぎる」
のらりくらりと人の認識をすり抜ける――古の妖怪。
「ま、観光ってのも悪くないが。……面倒事はぜーんぶ鯉伴の奴に押し付けたからのう。いや〜隠居生活ってのは良いもんじゃ」
男はぬらりひょんと呼ばれる妖怪だった。
かつて百年程で奴良組をまとめあげ、百鬼夜行の主となった伝説的妖怪。
初代奴良組総大将として名を馳せた後、早々に息子に代を譲った隠居爺。
そんな妖怪ぬらりひょんは、今を謳歌していた。
後ろにたなびく金髪に金の眼差しを輝かせ、ぬらりひょんらしく物色する。
「ん? おお、あんな所にあいすくりん屋が……氷菓は何でも美味いから、こすぱが良くて良いの〜」
ここ最近のぬらりひょんの楽しみは、もっぱら甘味巡りであった。明治に入り、様々な美食が伝わって数十年。
めぐるましい食の動きを追うことに熱中していた。
ぬらりひょんの畏れを纏い、あちこちをふらつく。
「奴良組の奴らにも、土産として持っていきたいところだが……溶けちまうからな……ワシだけで楽しむか」
氷菓の冷たさを味わいながら、雪麗でも連れてくりゃ運べたかもなと愚痴をこぼした。
空の器をそっと置き、そそくさとその場を後にする。
遠のく店の喧騒――おい誰だ食い逃げしたやつは! という声を尻目に、誰にも気取られることなく次の美食を求める。
「いや〜美味かった。氷菓も良いが、次は支那そばにしようかの」
無銭飲食を繰り返すぬらりひょんの悪癖は、江戸の頃から全く変わらないままであった。