夜は未だに魑魅魍魎の領域。
生粋の闇の化生であるぬらりひょんもまた、その夜を心地よく歩いていた。
最愛の妻たる珱姫に先立たれ、今なお恋しく思う一人の妖怪。
ふと、闇夜の先にひっそりと忍び歩く人影を見つけた。
男のように装っているが、しかしよく見れば華奢な娘だと分かった。
興味を惹かれたぬらりひょんは、その娘が角を曲がりかけた所で声をかけた。
振り返った娘の顔は、思わずハッとさせるほどよく似ていた。
「――……」
ぬらりひょんの歩みが、わずかに止まる。
ただ似ている、というだけではない。
輪郭や目元の形――そういった表層ではなく、もっと奥。
声を発する前の気配、立ち姿に滲む気質。
それが、あまりにも。
「……どなた、でしょうか」
娘は静かに口を開いた。
柔らかい声音。だが、曖昧さを許さぬ芯が通っている。
ぬらりひょんは一拍置いて、肩をすくめた。
「なに、通りすがりの爺よ」
「……そのようには、見えませんが」
間を置かず返ってくる。
警戒はしている。だが、逃げようとはしない。
その在り方に、ぬらりひょんの目が細くなる。
(よう似とる)
「夜道を一人で歩くには、少々物騒じゃと思うてな」
「ご忠告、ありがとうございます」
娘は軽く頭を下げる。
所作は端正。過不足がない。
「ですが、急ぎの用がございますので」
言葉は丁寧だが、退く気はない。
その意志の強さが、言外に滲んでいる。
「……そうか」
ぬらりひょんは小さく笑った。
「なら、引き止めはせん」
一歩、道を開ける。
娘はそのまま通り過ぎるかに見えたが――
「……あの」
足を止めた。
「先ほどから、妙に視線を感じますが」
振り返らずに言う。
「何か、お気づきのことでも?」
ぬらりひょんは、ほんのわずかに目を見開いた。
(勘の鋭さまで、そのままか)
「いやなに」
いつもの調子で答える。
「知り合いによう似とると思ってな」
「……そう、ですか」
娘はそれ以上踏み込まない。
だが、完全に受け流したわけでもない。
わずかな沈黙。
夜風が、二人の間を抜ける。
「……その方は」
娘が口を開く。
「ご存命、なのでしょうか」
ぬらりひょんは、少しだけ空を見上げた。
ガス燈の明かりが、淡く揺れている。
「さてな」
短く答える。
「とうの昔に、ワシを置いていったよ」
「……」
娘は何も言わない。
だが、その沈黙には、ただの他人に向けるものではない重みがあった。
「――では」
一礼。
「どうか、お気をつけて」
その言葉は、礼儀としてのもの。
それでもどこか、わずかに柔らかい。
ぬらりひょんは、その背を見送る。
当然だ。
同じであるはずがない。
それでも。
「……まったく」
小さく笑う。
娘の背は、闇に溶けていく。
だがその足取りは、迷いなく、真っ直ぐだった。
かつてと同じように。
とは言え、女一人の夜歩きでは不安だったので、ぬらりひょんはひっそりと目をつけていた。
夜の闇から忍び寄るのは、人や獣だけではない。
チラホラと活きの良い人間を狙おうと、蠢いているのが見えた。
「ほれ。言わんこっちゃねぇ」
建物の影に隠れた刹那、妖怪が飛び掛からんと娘に迫る。
「ああいう輩はたたっきるに限る」
物音に娘が振り向くと同時に、妖怪は既に断ち切られていた。
「貴方は……」
怯えを見せながらも、凛として感謝を述べる姿は、ぬらりひょんにあの夜の出会いを思い起こさせた。
「若い娘さんが、こんな夜更けに出歩くなんざ、危なかっしいと思わんか?」
ぬらりひょんは、気の抜けた調子で言った。
だが、その目は娘から離れていない。
娘は一歩下がるでもなく、ただまっすぐに彼を見据えた。
「……思います」
素直な肯定。
だが、それで終わらない。
「ですが」
わずかに息を整え、言葉を続ける。
「危ういからといって、避けてばかりでは進めぬこともございます」
その声音は、震えてはいなかった。
先ほどまでの怯えは確かにあったはずなのに、それを押し込めるように、意志だけが表に立っている。
ぬらりひょんは、ほんのわずかに目を細める。
……ああ。
似ている、ではない。
これは――
「……先ほどは、助けていただき、ありがとうございました」
娘は改めて一礼する。
その姿勢は深く、しかし過剰ではない。
「礼を言うのが筋だと存じますので」
「律儀なこっちゃ」
ぬらりひょんは肩をすくめた。
「命あっての話じゃ。ああいう連中は、礼を言う間もなく喰いよる」
「……はい」
娘は、ほんの一瞬だけ目を伏せる。
その脳裏に浮かんでいるのは、先ほど斬られた“何か”だろう。
「……ですが」
再び顔を上げる。
「先ほどの……あれは、人ではなかったのでしょうか」
ぬらりひょんは、少しだけ笑った。
「どう見えた?」
「……人には、見えませんでした」
即答だった。
「ですが」
一拍。
「斬られた際の様子が、あまりにも……」
言葉を選ぶ。
だが、逃げない。
「苦しげに見えましたので」
その言葉に、ぬらりひょんは小さく息を吐いた。
「人であろうがなかろうが、斬られりゃ痛いもんじゃ」
軽く言う。
「それだけの話よ」
「……そう、ですか」
娘はそれ以上問わない。
だが、その目はわずかに揺れている。
恐れではない。
理解しきれぬものを、受け止めようとする揺らぎ。
その在り方が――。
ぬらりひょんの中で、何かが静かに定まる。
「名は?」
ふいに問う。
娘は少しだけ驚いたように瞬きをしたが、やがて口を開いた。
「……名乗るほどの者ではございませんが」
それでも、逃げない。
「――珱と申します」
「珱か」
ぬらりひょんは、その名を繰り返す。
違う名だ。
違う生だ。
だが――
「ええ名じゃな」
ぽつりと、そう言った。
「え……?」
「似合っとる、というだけの話じゃ」
娘――珱は、わずかに戸惑いを見せる。
その表情さえも、あまりに懐かしくて。
ぬらりひょんは、ふっと視線を逸らした。
「……で、その“進まにゃならん用”とやらは、どこまでじゃ」
何気ない調子で問う。
「もしよければ、そこまで送ってやろうか?」
「……お気遣いは」
断ろうとする。
だが。
先ほどの出来事が、脳裏に残っているのだろう。
ほんの一瞬の逡巡。
「……いえ」
やがて、小さく頷いた。
「それでは、途中まで……お願いしてもよろしいでしょうか」
ぬらりひょんは、にやりと笑う。
「最初からそう言やあええ」
二人は並んで歩き出す。
ガス燈の明かりが、ゆらゆらと揺れる中で。
その距離は、他人にしては少しだけ近く――
しかし、まだ決して交わらぬまま。
さて。
ぬらりひょんは、ちらりと横目で娘を見る。
愛妻と瓜二つの娘に、興味を抱かない訳がなかった。
夜は、まだ長い。
一番好きなのは初代と珱姫のカプです。初代最高!初代最高!お前も初代最高と叫びなさい。
カリスマあってかっこよくて尚且つ一途なのが良い、あと声が遊佐さんなのが良い。若爺が一番好きなのでね。