レンが店へ少女を運んで帰ってから、数十分後。
「う……ん」
薄っすらと目を開けた後、少女はソファからゆっくりと体を起こした。
艶のある黒髪に、スポーティな紺色の服を着用している。
そしてその体には、傷を処置するための包帯が所々巻かれていた。
「お、やっとお目覚めか。傷の手当は気絶してる間にさせてもらったよ」
少女の向かい側のソファに、レンは座っていた。
優雅にコーヒーを飲みつつ週刊の漫画雑誌を読んでいる。
少女はしばらく目を擦っていたが、やがて気絶するまでの事を思い出してきたのか、少し呼吸が荒くなっていた。
「あ、あの、私……グレイモンに」
「俺らが君を見つけた時は、奴にしっかり握られてたよ。大変な目に遭ったな」
「もしかして、あなたが助けてくれたんですか?」
「あぁ。と言っても、倒したのはアイツだけどな」
レンは店の奥を指差す。
そこには、コーヒーカップを持って歩いてくるダルクモンの姿があった。
ダルクモンは少女を見ると、ニッコリと笑う。
「気が付いたんだ、よかったー。ちょうどコーヒー淹れたばかりなんだよ」
コーヒーカップをゆっくりと置くダルクモンに、少女は軽くお辞儀する。
「あの、お二人共。助けてくださってありがとうございました。街中を歩いてたら、急に目の前にグレイモンが現れて……」
「未だに、野良デジモンがいつ出現するかは誰にもわからない。自動車事故みたいなもんだしな」
少女はゆっくりとコーヒーに口をつける。
苦い物はあまり好まないのか、顔をしかめる少女に対し、ダルクモンはスティックシュガーを差し出した。
「あ、ありがとうございます」
「ところで君、さっきは何であんなところを歩いてたんだ? 見たところ高校生ぐらいだけど、今の時間は学校があるだろ」
「……その、最近行けてないんです」
「ほう。なんで?」
『そんな繊細な話題に直で突っ込んでいくやつがあるかい』という顔のダルクモンに睨まれつつも、レンは少女の返答を待った。
「最近、兄が行方不明になってしまって」
少女から出た予想外の言葉に、レンとダルクモンは目を丸くする。
「行方不明!? そりゃ一大事じゃないか、警察には届けを出したのか?」
「いえ、それが出せないんです」
「出せないってどういうことだよ」
「行方不明になってから数日後に、兄から手紙が来て……っ」
そこまで語ると、少女は急に口を閉ざした。
何か、喋ってはいけないことを喋ってしまったかのように。
「すみません。私、もう行かなきゃ」
「え、おい」
「介抱して頂きありがとうございました。私はこれから、行かなければならない所があるので」
「行かなければならない、ってどこに?」
「便利屋・風咲というお店です。この近くにあるはずなんですが」
その一言で、レンは一連の出来事をある程度推察する。
隣を見ると、ダルクモンもしたり顔で腕を組んでいた。
ダルクモンのそういう態度は苦手だったが、今は咎める気にはなれない。
「便利屋・風咲はウチのことだよ。ウチに用があって、しかも兄が行方不明……つまり、警察には頼めない事なんだな?」
瞬間、少女はこわばっていた顔を幾らかホッとさせたようで、ほんの少しだけ涙を浮かべつつこくりと頷いた。
少女が語った経緯はこうだった。
少女の名前は
ミユは両親を早くに亡くして以来、兄の倉石ソウスケと共に二人で暮らしていたが、二週間ほど前に兄が勤め先から帰ってこなかったらしい。
「兄はデジモンの研究者で、大学に勤めているんです。初めて帰ってこなかった日は研究が長引いているのかな、と思って気にしなかったんですが、翌日になっても帰ってきませんでした」
ミユは懐からデジヴァイスを取り出す。
「連絡もつかないし流石におかしいと思って、私のパートナー……ケラモンに兄を迎えに行くようにお願いしたんですが、そのままケラモンも帰ってこなくて」
兄に何度連絡しても返事は帰って来ず、大学に問い合わせても『こちらにはいない』と返されるだけ。
おまけに迎えに行ったケラモンまで戻ってこない。
何かあったのでは、と不安が募ったミユは警察に出向こうとしたらしい。
「でも、警察署に行こうとした日に玄関のドアを開けると、そこに段ボールが一箱置いてあって……」
カタカタと震える腕を掴んで落ち着かせつつ、ミユは言葉を続ける。
「そ、そこに手紙とデジタマが入ってたんです」
「まさか、そのデジタマって」
「はい、ケラモンのデジタマでした」
思い出しただけでも怖いのか、ミユはしきりに目を泳がせていた。
「手紙は兄が書いたものでした。それによると……兄はデジモンを使う犯罪者の組織に拉致されたそうです」
「デジモンが絡む犯罪なら、メイビスに相談した方がいいんじゃ」
ダルクモンがそう尋ねるものの、ミユは首を横に振る。
「手紙には、私が兄の捜索を警察やメイビスに頼んだ場合、兄と私の命はないだろうと書かれていました。ケラモンをデジタマになるまで負傷させたのは、その見せしめだと。その組織は兄の研究分野が狙いみたいで。研究成果を使って、何かやろうとしているんじゃないかと思います」
「そうか……それは辛かったな。だが、俺に依頼を持ち込むのも危険じゃないか? どこかで監視されていたら、それこそ命が危ないだろ」
しかしミユはその瞬間、大量の涙をボロボロと流し始めた。
袖で必死に涙をこすりながら、詰まり詰まり言葉を絞り出す。
「耐えられ、なかったんです……! いつも、一緒に過ごしてる、お兄ちゃんも、ケラモンもいなくて! どこかでお兄ちゃんの命が、危ないかもって考えたら……!」
そのまま大泣きを始めたミユに、ダルクモンは優しく寄り添う。
それを見つつ、レンはしばらく考え込む。
便利屋・風咲は荒事も請け負ってはいるものの、今まで犯罪者組織の対処など依頼されたことはなかった。
つまり、請け負うならレンたちにとっても初めての試みとなる。
しかし、やがて顔を上げたレンは首を横に振った。
「すまないが、リスクがあることを承知の上でメイビスに相談した方がいい。研究者を拉致してるのは何だかきな臭い。俺は勝ち目が薄い奴と戦うような真似はしたくないんだ」
「レン! そんな言い方ってないんじゃない? こんなにミユちゃんは苦しんでるんだよ!?」
「ダルクモン。デジモンが俺ら人間よりはるかに強いのは知ってる。だけどな、それでも俺はお前を危険な目に遭わせたくないんだ」
ダルクモンに睨まれつつも、レンはコーヒーを飲み干していく。
しかし、空になったコーヒーカップを置いた時、ミユはレンに向かって深く頭を下げた。
「お願い、します……! たった一人の兄妹なんです!!」
その言葉に弾かれたように、レンはミユを見る。
レン自身も、困っている人の依頼を断りたいわけではない。
しかし、ダルクモンはレンにとってたった一人の家族のような存在。
そしてそれ以上に、ダルクモンは『アイツ』が遺した形見でもある。
街のチンピラを成敗するくらいならまだしも、何か大きな計画を企てているような犯罪者組織と戦わせたくはなかった。
だが。その時のレンは、ミユに『アイツ』の影を重ねてしまった。
たった二人の兄妹、その片割れを失う悲しみは筆舌に尽くしがたい。
それは、レンにもわかっていた。
「……わかった、依頼を引き受けよう」
その言葉がミユにとって一筋の光明となったのか、その顔が段々と明るくなっていく。
「い、いいんですか!」
「あぁ、思うところもあるし。お兄さんがいないのに、今までよく頑張ったな」
今度は喜びの涙をはらはらと流すミユと、それを抱きしめるダルクモンを見て、レンは微かに笑った。