ミユが便利屋で目覚めてから、約二時間後。
自宅へ帰るため、ミユは住宅街を足早に歩いていた。
依頼を了承してもらった後、詳細な聞き取りを経てレンには『あとはこっちで調べておくから、今日はここら辺で帰った方がいい』と言われたのだ。
勿論、通りすがりの人にはなるべく気を付ける様にとも注意されて。
「……お兄ちゃん」
歩きながら、ミユはギュッと服のすそを掴む。
兄はいない、ケラモンも物言わぬ卵になってしまった今、ミユは誰もいない家に一人で帰るのが寂しくもあり、怖くもあった。
そのままさらに数分ほど歩き、やがて見慣れた近所の景色が広がってくる。
家に帰るのが怖いとさっきまでは思っていたのに、家の近くまで来ると何故か無性に帰りたくなってくる。
ミユは今の自分の気持ちを、うまく形容することが出来なかった。
しかし、少し先にある角を曲がったら家までもうすぐというところで、ミユの前に一人の男が立ちふさがる。
人相の悪い、細身の男だった。
その体は夕陽に照らされている。
片手にはデジヴァイスを持っていることから、ミユは目の前の人物が何者であるかに気が付いた。
冷や汗を流しつつ、ほんの少しだけ後ずさりする。
「……お前を放っておいたのは、セイジさんの慈悲だったんだぜ?」
今にも逃げ出せるような体勢を取っているミユに対し、男はゆっくりと話しかける。
それこそ、聞き分けのない子供に叱って言い聞かせをするように。
「兄のことを口外しなければ、こちらからお前に手は出さない、という意思表示でもあったんだ。わかるか?」
「あなたは……犯罪者組織の人、ですよね」
恐る恐る聞くミユに対し、男はゲンナリとした表情で顔に手を当てる。
「センスの欠片もねぇ呼び方だな。あぁ、そうだよ。ここ数日、ずっとお前のことを監視していた。口外したら殺すようにとセイジさんから言われてる」
「っ……!」
ミユのポケットには、デジヴァイスの他に小型の催涙スプレーや防犯ブザーなどが一応入っている。
だが、デジモンを使うような人間にそれらの小道具は無意味に等しい。
男と真反対の方向を向くと、ミユは一心不乱に駆けだした。
「リアライズ、アルゴモン」
しかし、ミユの必死の逃走はたった数秒で終わりを告げた。
アルゴモンは紫色の頭部に、触手が丸まった玉のような腕を持つデジモン。
その玉のような腕に吹き飛ばされたミユは、地面に転がった後アルゴモンの全体を見る。
確か、と兄の研究レポートに書いていたことを思い出す。
それによると、あのアルゴモンは成長期だった。
だが、成長期と言っても熊と同等以上の攻撃力を持ち合わせているデジモンはざらにいる。
その気になれば、容易く人間の命を奪うことができるだろう。
ミユは込み上げてくる胃液を抑えながらも、なんとか起き上がり逃げようとするが、アルゴモンの触手に全身を掴まれ、きつく締めあげられる。
「あ……がっ……!」
「じゃあな、嬢ちゃん。研究者の妹に生まれた自分を恨むんだな」
アルゴモンの締め上げはさらにきつくなり、骨が軋む。
そのまま全身の骨が砕け、ミユはその生涯を終えるはずだった……が。
「させるかぁっ!!」
ダンッ、と上空から飛来してきた剣が、アルゴモンの触手を断ち切った。
締め付けから逃れたミユはその場に倒れ、荒く息を吐く。
そしてその前に、ふわりとダルクモンが降り立った。
「だ、ダルクモンさん……なんで?」
「命を狙われてるのに、わざわざミユちゃんを一人で帰したりはしないよ。さっきからずっと、レンと一緒に尾行してたってワケ」
「なっ、お前は便利屋の!」
「あー、私を見るより後ろ向いた方がいいよ」
その言葉で後ろを振り返った男はその瞬間、いつの間にか背後に立っていたレンにみぞおちを殴られて、その場へうずくまった。
「レンさん!」
「ごめんな、ミユちゃん。ホントは襲われる前に助けたかったんだが、相手がどんなデジモンを使うのか見ておきたかった」
威嚇をしているアルゴモンの横を素通りして、ダルクモンとミユの方へ向かうレン。
アルゴモンと男からミユを庇うように立つと、デジヴァイスを構えた。
「デジヴァイスのアナライズによると……アイツは成長期か。ダルクモン、いけるか?」
「あたぼうよ!」
「グッ……便利屋ァ、テメェも殺されたいのか!」
男もレンと同様デジヴァイスを構えると、叫んだ。
「アルゴモン、進化!!」
男の言葉に呼応するかのように、アルゴモンの周囲に光の粒が収束し始める。
そしてその光の粒によって、アルゴモンの体はより大きく凶悪なモノへと変化……いや、進化していった。
「アルゴモン、成熟期だ!!」
アルゴモンから先ほどの玉のような腕は消え、代わりにクレーンゲームの金属アームのような両手に変化する。
そして紫一色となった頭部からは、細い触手を舌のようにチロチロと覗かせていた。
体も成長期の数倍に膨れ上がり、道をほぼその巨体で占領している。
男は勝ち誇ったようにデジヴァイスを振り回して奇声を上げる。
どうやら成熟期となったアルゴモンに絶対の信頼を置いているようだった。
ダルクモンはそれを見ると、僅かに苛立ちを浮かべた。
「レン、さっさとやっつけよう」
「同感だ、ああいう輩が一番気に食わない。インストール、グレイモン!」
デジヴァイスが瞬く間に光り、それと共にレンの両腕も輝き始める。
やがてそれが収まると、レンの両腕にはオレンジ色を基調としたガントレットが装着されていた。
デジヴァイスに宿っている能力は五つあるが、その一つがこの『インストール』だった。
インストールは『ストック』という能力でデジヴァイスに収めたデジモンデータを一部引き出し、テイマー自身に何らかの武器として付与することで、テイマーにもデジモンに近しい戦闘能力を与えられる、という代物である。
ちなみに『インストール』『ストック』以外のデジヴァイスの能力は『リアライズ』『アナライズ』『エボリューション』の三つである。
それぞれ『パートナーをデジヴァイスから出現させる能力』『敵デジモンの情報表示』『パートナーの進化』という能力となっている。
「ダルクモン、お前はアルゴモンの相手を! 俺はまずあのチンピラを片付ける!」
「了解っ!」
「クソッ! インストール、ドクグモン!」
男もデジヴァイスからデータを引き出し、右手に形成された毒々しいメタリックパープルのナイフを持つと、距離を詰めてきたレン目掛けてそのナイフを振るった。
それをレンは易々と避けると、男の腹部に一撃を放つ。
「がはっ!?」
ガントレットからは赤い火が仄見える。
グレイモンのデータから形成されたものなので、ガントレットには火の属性が付与されているらしい。
インストールの能力でレンと男は身体能力の強化も施されている。
そのため、男の腹に穴を空けるというようなことはなかったものの、数メートルほど吹き飛ばすことに成功した。
レンは驚いたようにガントレットを見つめた。
「へぇ、結構使えるじゃないか」
その横で、ダルクモンとアルゴモンは一進一退の攻防を繰り広げていた。
アルゴモンの巨大なアームのような腕を、ダルクモンは飛び回りながら避け、隙を狙って剣を突き出していく。
アルゴモンは力自体は強いのだろうがスピードがダルクモンより劣っているらしく、細かく動く姿を一向に捉えきれずにいた。
だが、男は叫ぶ。
「アルゴモン、触手を使え!」
「イン、プリズ、メント」
機械音声のような声で技名を発すると、アルゴモンは口から細い触手を伸ばして素早くダルクモンを捕らえた。
「そうだ、そのまま電撃を流すんだ!」
「ボル、ト……ライン」
そのまま触手を使って電撃が発射される。
その威力に、ダルクモンはもだえ苦しんだ。
どうやらアルゴモンは知能があまり高くないようで、戦術面は男に任せきりらしい、ということにレンは気づく。
「なら! メガフレイム!!」
アルゴモンが伸ばしていた触手にレンはガントレットを向ける。
すると、ガントレットの形が変化して巨大な銃口となった。
技名の発話がトリガーとなり、触手に向けて巨大な火球が撃ちだされる。
一瞬でアルゴモンの触手は焼き千切れ、ダルクモンは電撃から解放された。
「サンキュー、レン! これなら……バテーム・デ・アムール!」
華麗に回転し、ダルクモンはアルゴモンへと連撃を与えていった。
それを見た男はもう一度アルゴモンに指示を飛ばそうとするが。
「させねぇよッ!」
男に向かって素早く駆けたレンは、銃口から戻したガントレットで掌底を放つ。
再び吹き飛ばされた男は、ゴミ捨て場に激突し、気を失った。
「決めろ、ダルクモン!」
「おおおおおおッ!!」
ダルクモンは巨大な十字を刻むように、アルゴモンへ斬撃を放った。
全ての触手がズタズタに斬り裂かれたアルゴモンは、数メートルほどよろめいた後、倒れ伏した。
「す、すごい……」
ミユが思わず感嘆の言葉を漏らす。
倒れ伏したアルゴモンは少しずつ光の粒となり、やがて体が大きく縮んでバスケットボール大のタマゴになると、男のデジヴァイスへと戻っていった。
野良デジモンは致命的なダメージを与えられると、光の粒になって消滅してしまうのだが、パートナーデジモンは例外的にデジタマへと戻り、再生することが出来るのである。
「大丈夫だったか、ミユちゃん」
「え、えぇ。強いんですね、レンさんたち」
「これくらいは強い内に入らないさ」
その後、ゴミ袋に埋もれた男を引きずり出すと、レンは男の頬を何度か叩いて意識を取り戻させる。
「……う、ああ」
「残念だったな、俺らの勝ちだ。さぁ、集団が潜伏してる場所を教えてもらおうか」
男ははっきりと意識を取り戻すと、顔をしかめてレンを睨む。
「まさか、そんな簡単に教えると思ってるのか? メイビスにでも何でも、突き出せばいいさ」
「……本当にそれでいいのか?」
「は?」
「ミユちゃん……少女を簡単に殺そうとするような集団のボスが、手下のミスはハイそうですか、と許してくれるとでも思ってるのか? 俺は組織についてよく知らないが、殺される可能性だって十二分にあると思うが」
「……」
「こういう犯罪者組織は、仲間のミスにも厳しいもんだ。例えメイビスの塀の中にいても、どんな方法で殺されるかわからないぜ?」
「……わかった、わかったよ」
男は渋々ながらもレンの脅しのような諭しに屈したらしく、組織の居場所を吐いた。
それによると、東京都……その湾岸部の一部にある倉庫地帯に潜伏しているらしい。
情報を聞き出すとレンはメイビスに電話し、男の逮捕を頼んだ。
「さて、じゃあ行くか」
レンたちの周囲には、少しずつ人だかりが出来始めていた。
何しろ住宅街なものだから、人も多い。
メイビスが到着次第、早くこの場所を離れた方がレンやミユにとっても得策のようだった。
「レンさん、私も倉庫地帯に連れて行ってもらえませんか?」
「いや、ダメだ。危険すぎる。君はデジモンの戦闘力も期待できないだろ? メイビスが表立って動くとお兄さんが危ないから、俺は倉庫地帯に行ってお兄さんを助けるつもりだが……君はハッキリ言って足手まといだ」
「それは、そうですが……」
「一旦君はメイビスに預ける。恐らく見張りはあの男一人だろう。これ以上メイビスに黙っておく必要はない。事情を話して対策を立てたらいい、メイビスの機関長はいい人だから」
ミユを諭していると、やがてメイビスの車両が到着する。
そこで男とミユを機関員に引き渡し、最低限の事情だけ説明した後、レンは笑顔で手を振った。
「大丈夫、俺とダルクモンが必ず兄さんを助けるから!」
心配そうなミユの顔は、車両の扉が閉まったことにより見えなくなる。
そしてそのまま、車両は走り去っていった。
「さて、と。行くか、ダルクモン」
「うん。ミユちゃんのためにも、ちゃっちゃと終わらせないとね」
肩をグルグル回して張り切っているダルクモンをデジヴァイスにしまうと、レンは倉庫地帯に向かうため移動を始めた。