貴族の息子は紳士でなくてはいけないらしいけど日々が辛い   作:鉄の掟

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稽古中は特に辛い。

 

 

 

 

 

 

 

 

 俺は今、無だ。

 何も無い一つの無として、俺は今立っている。

 俺の上には何も無く、俺の下にも何も広がってはいない。

 完全なる無の世界には、どんな感情も存在する事は出来ないのだ。

 

 ……と、ふざけるのはここまでにして俺は今、弓の稽古とかいう将来で使うのか疑問を抱かずを得ない時間を過ごしている。

 

 まぁこの世界は俗にいう【魔物】みたいな生物が人間の住む場所から離れた所に居るみたいだし、前世ならまだしもこの世界なら、こういう武芸というのはやって損をする物と決め付けるのも良くないか。

 

 さて、そんな弓の稽古と言うからして当たり前だが、紳士の諸君は弓を持って矢をいり、的に当たる稽古だと思うだろう。

 本来はそれが正しく俺も今、似た様な状況にあるのは変わらない。

 しかし……しかしだ。

 

 聞いて驚く勿れ。

 ……俺は今、弓ではなく女の手を引いている。 何でやねんマジでどういう事やねん。

 

「情けない……もっと強く引けないのですか?」

 

「そんな事言ったって……! これが限界ぃ!」

 

「……はぁ、私はまだ十分の一も出していませんが」

 

 特徴的な二つの猫耳が頭に生えたメイド、【ロック】。

 180センチの俺より頭一つ分高い身長と、腰まで伸びた黒髪はとても良く似合っていて、女よりも男寄りの顔付きは、男の俺でさえ惚れてしまいそうな程かっこいい。

 そしてそんな男勝りな顔に似合わぬ豊満な身体つきは、何を食ったらそんなバランス良く成長するのかと思うほど、完璧な仕上がりだ。

 

 そんな高身長ドスケベメイドが俺に密着しながら、手を握ってもっと強く引けと言ってくるのだ。

 一体どんなプレイだよ、とツッコミたくなるが正真正銘これは弓の稽古であり、ロックが言うにはこうする事で、俺の筋力に合う弓を選ぶ事が出来るのだという。

 そして俺の今の筋力を測る目的もあるらしいが……。

 

「もう無理! これ以上は本当に無理! 腕折れちゃうう!」

 

「弱音を吐く暇があったら力を込めて下さい」

 

 ロックはそう言いながら、俺の腕を更に強い力で自分の方に引き、俺は慌てて右腕に全身の力を集め、歯をこれ以上無い程食いしばりながら、俺の後ろ側へと腕を引く。

 

「その調子ですよ、アワーズ様」

 

 ロックは余裕そうな笑みを浮かべ、俺にそう言う。

 こ、この野郎……俺がどれだけ必死なのか分かってないだろ。

 もう右腕に力入れすぎて感覚が無いし、何なら少し目眩もしてきたんだが……あ、やべ……マジでこれ以上は……無理。

 

「ぐふっ」

 

「はぁ……本当に情けない」

 

 俺はとうとう体力の限界を迎え、ロックの手を離し地面に倒れ込んだ。

 そんな俺をロックは立ったまま見下ろしながら、呆れたと一目で分かる表情で首を横に振った。

 

 くそっ……こいつまだうちに来て新米のメイドの癖に生意気な……大体俺はここの領主の息子だぞ! もう少し貴族と言えばの忖度とか出来ないのかよ! いつもいつも稽古の時間になったら俺を痛めつけやがって! 俺が三十歳になったらすごい目に遭わしてやるからな、マジで。

 

「立てますか?」

 

 ロックは俺が立つ気力も無い事に気付き、期待が裏切られたといった様な口調で、倒れた俺に手を差し伸べた。

 

「もう無理、これ以上は本当に無理、死んじゃう」

 

「情けない」

 

「ちょ!? 分かった分かった! 立つからその物騒な物仕舞え!」

 

 ロックが腰にぶら下げた湾曲した剣に手を触れた時点で、俺は途轍もない寒気を感じ、慌てて地面から起き上がった。

 こいつマジだよ、マジで今俺が立ち上がらなかったら切りかかるつもりだっただろ。

 どうなってんだよ、この家のメイドの採用条件は。

 応募条件に人殺しの素質がある者とか書かれてんのか? 

 

「私も本当はこの様な事したくは無いのです、しかしこれもミニッツメン様より授かった仕事、どうかご容赦下さい」

 

 ロックは立ち上がった俺に深く頭を下げた。

 いや、ご容赦なんて出来るか。

 丁度良く普段無駄に高い所にある頭が下がってるし、このまま蹴り落としてやろうかマジで。

 

「では、私はアワーズ様に合う弓を選定して来ます。 アワーズ様は暫しご休憩下さい」

 

 ロックは下げた頭を上げ、俺に大変キツい目を向けながら、一応は丁寧な言葉遣いでそう言うと、今居る庭の側の階段を上がり、近くに建てられた武具保管庫の家の中に入って行った。

 

 俺はこのまま大の字になって寝転んでも良かったが、今日はとても気持ちが良い天気だし、もし寝転んで居眠りなんかしていたら、戻って来たロックに何をされるか想像もしたく無い。

 と、いう訳で大人しく近くにあったよく豪邸とかにある様な、白くて高級そうな椅子に座る事にした。

 

「はぁ……今まではサウザンドが稽古を付けてくれてたのに、何であんな奴に変わったんだ」

 

 俺はロックが居ないのを確認した後、独り言を静かに呟いた。

 そもそも弓の稽古なんて今まで一度もやった事はない、サウザンドから教えられたのは主に体術や剣術だ。

 それが数週間前、ロックが新しい稽古役のメイドとして入って来た瞬間、弓の稽古をする事になった。

 その理由を聞いても誰も答えてくれないし……。

 

 ロックは、見た目は間違いなく最高の部類に入るが、あの性格ではとてもじゃないがエロい目で見れる気がしない。

 もし仮にそんな目でロックを見ているのがバレたら、俺の息子ごとロックの持ってる剣で斬り倒されるだろう。

 

「あーあ……憂鬱だ。 空はこんなに晴れてるのに」

 

 雲一つ無い異世界の空は、今の俺の心模様とはかけ離れた存在だ。

 俺の心の中には空一面を埋め尽くすぐらいの雲が浮かんでるし、逆に俺の心の中には、あんな怪しげな服を纏った翼の生えた人間が空を飛んだりなんてしていない。

 あー憂鬱だ……あ? 何だあれ? 

 

「お前がアワーズ・ミニッツメンだな?」

 

 空を背中から生えた鳥の翼の様な物で飛んでいたそいつは、俺の目の前に静かに降り立つと、有無を言わさぬ口調でそう言った。

 顔を深いフードで隠したそいつは、俺が何かを言う前に、俺を目にも止まらない速さで肩に担ぎ上げ、そのまま背中の翼を上下に動かし始めた。

 

「ちょ!? まだ何も言ってないけど!?」

 

「お前の事は下調べ済みだ、俺達【鳥人の族】の資金確保の為、お前を人質にさせて貰う」

 

 そいつが喋る間にも、さっきまで座っていた白い椅子はどんどん離れていき、森に囲まれた俺の住む屋敷や広い庭までもが小さく見える程、俺は高くまで昇っていた。

 高所恐怖症では無い俺でも、不安定に俺を担ぐこいつの肩と現実離れした地面との高さには足が震え、汗をかいていた筈の手が段々と冷たくなっていく。

 

「大人しくしていれば危害は加えない、もっとも抵抗するならここから落とすだけだが」

 

 そう言ってそいつは俺を担いだまま、更に高度を上げて行く。

 抵抗しようにもどうする事も出来ない俺は、ただ自分の慣れ親しんだ屋敷や庭が遠ざかるのを眺めていた。

 あぁ……そう言えばここ異世界だったよなぁ。

 18年間あの屋敷で普通に暮らしていたから忘れかけてたけど、こいつみたいな獣人だったり、人攫いだったり、盗賊や蛮族だったり、終いには人の形をして無い魔物とか普通に居るんだよなぁ。

 

 思い出したら、いつもは何だかんだ俺に甘いサウザンドも、稽古の時だけは厳しかった気がするし、ロックのあの態度も実は俺がもし危険な目に合った時に身を守る為にあえて、キツくしていたのかも知れない。

 そう思えばあの態度もキツくじゃなくて、真剣だったのか。

 

 俺は最早目を凝らしても見えない程、遠くなった屋敷に向けて、謝罪を込めて手を合わした。

 俺を思ってくれてたのに悪かったな、ロック。

 俺が居なくなったからって妹を起こしに行くなよ、クロック。

 今までありがとう、サウザンド。

 お兄ちゃんちょっと攫われるわ、タイム。

 連れ去られた後、童貞のまま死んだら一生恨んでやるからな、親父。

 

「……ん? あのすいません。 何かあっちで光りませんでした?」

 

 俺が全米が涙する程の感情の籠った別れの言葉を頭の中で考えていると、屋敷の方から何かが一瞬光った様に見えた。

 

「あぁ? そんなもん知るか」

 

 どうやら俺を担いだこいつは見えなかったらしい。

 しかし確実に何かが光ったのを見た俺は、それが何だか良く分からず、目を凝らして何かが光った方を見ていたその時。

 俺を担いでいた鳥人が僅かに呻いた様な声を俺の耳が聞いたのも束の間、俺はあっさりと空へと投げ出された。

 

「え? ちょ!? 何で放したのぉぉぉぉおおお!?」

 

 俺は途轍もない速さで地面へと落下して行く。

 凄まじい風が俺の体中を襲い、呼吸をする事すら難しい。

 あれだけ離れていた屋敷を囲む森が視界一杯にぐんぐんと近づき、俺はそこでようやく死を意識した。

 

 その時、俺はふと肩に違和感があるのを覚え、左肩の辺りを手で拭った。

 そして拭った方の手を見てみると、そこには夥しい量の血がべっとりと付着していて、それはどう考えても俺の血では無かった。

 そうなると俺を担いでいたあいつの血という事になる訳だが……何であいつは突然出血したんだ? それにあの光った物は結局何だったんだ? 

 

 俺は後数秒もすれば森の木々に突き刺さるというのに、何故かそんな事が気になって仕方無かった。

 多分後5秒くらいか? 

 

 5秒……それぐらいで俺は見るも無惨な死体と化すだろう

 

 4秒……あぁまだ酒池肉林の貴族パーティーも出来てないのに

 

 3秒……っていうかこの世界で死んだら俺はどうなるんだろう? 

 

 2秒……まぁいいか どうでも

 

 1秒……来世は女がいいかな

 

 俺の目と鼻の先に迫る、無駄に鋭く尖った木々の枝を見ながら、俺はゆっくりと目を閉じた……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「顔をお上げください、アワーズ様」

 

「……ロック?」

 

 おかしいな、死んだ後は赤ん坊の筈なのに。

 俺の身体は、森の木々の枝が突き刺さっている訳では無く、ロックの細い腕がお姫様抱っこの形で支えていた。

 そして俺の目は血塗れになった自分の体を映す訳では無く、額に少し汗をかいた、いつも通りの凛々しいロックの顔が映っていた。

 

「ご無事で何よりです」

 

 ロックはそう言いながら、木の上から俺を抱えた状態で地面へと器用に降り、俺をお姫様抱っこから解放した。

 地面に両足が無事に付いてる、という今の状況の理解が追い付いていない俺が、ロックの大きな二つの桃がお姫様抱っこの時に、ずっと俺に触れていたと気付いたのは、後の話だ。

 今は取り敢えず……一番気になる事を聞こう。

 

「えー……と、何でここに居るの?」

 

「アワーズ様の気配が突然、空へと移動したのでその原因である、賊をその場で撃ち落とし、その後落ちて来るアワーズ様を受け止めました。 なので私はここに居ます」

 

「あぁそう……」

 

 いや、有り得ないだろ。

 百歩譲ってロックが居なくなった俺の存在に気付いたという所までは分かる。

 ただどう考えてもロックが居た場所から俺までの距離は、何キロメートルは離れていた筈だ。

 それを弓矢で狙い撃ち、その後その何キロメートルという距離を、俺が落下するまでの数十秒という時間で、俺が落下する位置を確認し、しかも俺を怪我一つ無く受け止めただって? 

 

 ……俄かには信じ難い話だけど、実際俺が今生きてるって事は本当なんだろうなぁ、凄いなぁ。

 そんな凄い人だとは知らずに俺結構舐めた態度取ってたなぁ……もしかしてこんな常識外れの奴に稽古されるより、あの飛んでた奴に連れ去られた方がまだマシだったのでは? 

 

「……この距離で時代遅れの矢を当てるとはな」

 

 俺とロックより数メートル離れた位置に、俺をついさっきまで攫っていた男が空から降り立った。

 そして男の肩には思いっきし、ぶっとく長い矢が突き刺さっていて、男の肩からは止まる事なく、赤い血が流れている。

 

 うわぁ……痛そう。

 と、思っていたら男は刺さった矢を強引に引き抜いた。

 その瞬間目を背けたくなる程夥しい量の血が吹き出すが、矢が無くなり、ぽっかりと空いた肩の穴は、男が苦しそうに呻くと、まるで魔法の様に元通りになってしまった。

 

 ……え? この世界ってそういう魔法的なのもある感じ? 

 俺、貴族だからそういうの知らなかったんだけど!? 

 

「……愚かな」

 

 がくがく膝を震わす俺の横で、ロックは静かにそう呟く。

 

 やべぇよ……やべぇよ……聞いてねぇよ。

 そりゃロックみたいな獣人がいる時点で、結構ファンタジーな世界だとは分かってたけどさ! 

 そういうのは本当聞いてないって、有り得ないって! 

 

 だってそういう魔法的なのがあったら、俺が童貞のまま三十歳になったら本当に魔法使いになっちゃうじゃん!! 

 

「まぁいい、どうやらお前以外の追っ手は居ない様だ。 早い所始末して……」

 

 フードを被った男はロックを見た瞬間、時が止まったかの様に喋るのを止めた。

 

「まさかお前は……」

 

 ロックは腰の剣を即座に引き抜き、目にも止まらぬ速さで男に近寄る。

 

「血雨の乙女、戦弓の……!」

 

「黙れ」

 

 男が言葉を喋り切る前に男の首に届いたロックの剣が、そのまま男の首を断ち、男の首は呆然とした顔のまま、森の地面に転がって行った。

 それと同時に、ロックは男の首から吹き出す血を避ける様に、未だに何かに項垂れるアワーズの隣に立つ。

 

「ご無事ですか? アワーズ様」

 

 ロックは頭を抱えるアワーズの耳元でそう言うが、アワーズは何も答えず、何かをぶつぶつと呟くだけだった。

 

「はぁ……情けない。 この調子ではもうすぐ始まる【テンセカンド家】との決闘に間に合うのでしょうか」

 

 ロックの呆れた様な小さな呟きは、森のざわめきによって掻き消され、アワーズの耳に残る事は無かった。

 

 

 

 

 




一応、不定期投稿です。
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