貴族の息子は紳士でなくてはいけないらしいけど日々が辛い 作:鉄の掟
「ではアワーズ様、ごゆっくりお休み下さいませ」
「サウザンドもお休み」
俺の返事を聞くと、サウザンドは一礼した後、静かに扉を閉め歩き去って行った。
昼飯を食ってから数時間後。
夜もすっかり更け、窓の外からは月明かりが部屋の中の明かりに負けじと、部屋の中を薄く照らし出す。
あれから俺は自分の部屋の中で、せこせこと稽古の為の荷造りを進めていた。
と、言っても俺が用意する物は服ぐらいで、他の物は恐らく稽古をする屋敷の人が用意してくれているだろう。
いやまぁ用意してくれて無くてもいいんだけどさ。 寧ろそっちの方がありがてぇ。
何も用意が無いのを言い訳にサボれるからな。
まぁそんなこんなで、1時間程度で終わった荷造りした荷物を部屋の隅に寄せ、俺は暇潰しにベッドの横のサイドテーブルで、適当に本棚から選び、開いた本を読んでいた。
因みに俺の沽券の為にも言っとくが、エロ本では無い。
この世界の御伽話みたいな内容のごくありふれた本だ。
結構こういうの好きなのよ、男の子だからね。
「えーと……騎士は囚われの姫を助ける為に旅に出た、騎士は己の限界を超えた力で、数多の強敵を打ち倒した」
因みに俺は本を読む時は声に出して文章を追う癖がある。
流石に人が居る前ではしないが、こうやって読むと頭に内容が入りやすいんだよな。
前世で良く親にうるさいと叱られたけど、今は泣く子も黙るミニッツメン家の息子。
無駄に広い俺の部屋もこういう時には役に立つ。
「孤独の旅路の果てに騎士は、遂に囚われの姫の元へと辿り着く」
頬に手を付きながらそこまで読んだ後、俺はページを捲った。
しかしこうやって声に出して物語を読むのは、紙芝居をやっている気がしないでもない。
もし機会があったら、紙芝居屋でもしてみるか。
「騎士が囚われの城にて相対すのはかつての仲間、苦悩に満ちた親友であった」
はいはい、よくあるパターンね。
どうせあれでしょ、親友は騎士の才能とか地位に嫉妬があって姫を攫ったとか、元々その親友は他の国のスパイで騎士の親友になりすましてたとか、そんなパターンでしょ。
「騎士は親友の言葉に聞く耳を持たず、血に濡れた剣を振り下ろす」
おぉ……中々エゲツねぇや。
せめて話ぐらいは聞いた方が良いと思うけどなぁ。
「決意の籠った剣の一振りは、軽々とあしらわれ、武器を失った騎士はその場に跪く」
おっと? ヤバいな嫌な予感がする。
いやいやまさかそんな訳無い、だってこの本の最初の方は幼い騎士君と仲間達の微笑ましい物語だったんだよ?
それがバッドエンドで終わったら炎上するって。
「かつての仲間は跪く騎士に情けをかけた、「選べ、己の命か、救いたい者の命かを」……騎士の諦めかけた魂に力の炎が渦巻いた」
お、やるじゃん騎士。
そうそう、それでいいのよ。
ここで姫を諦めて敵側に寝返ったりしたら炎上しちゃうからね。
「断固たる決意が振るう騎士の刃は、道を阻む全ての敵を薙ぎ倒し、遂に騎士は牢獄にて姫と再会した」
良かったねぇ……いやぁ良かった。
実を言うとこの騎士君は落ちこぼれで、それでも毎日必死に努力して騎士になり、それを褒めてくれた唯一の人が姫様だったんだよな。
それでやっとの事で姫様の正式な騎士になれるって時に、姫様が敵に攫われちゃったから、騎士君は自分が必死に築き上げて来た地位とか役目を全て捨てて、一人でここまで突き進んできたんだよなぁ。
いやぁ、騎士君の一途さってば半端ないね。
俺だったら中盤辺りに出て来たサキュバスに魂抜かれちゃうもん。
「ボロボロの騎士を姫は優しく、しかし想いを込める様に強く抱き締めた、騎士の目から一筋の涙が落ちる」
そうだよなぁ、泣いちまうよなぁ。
俺もさっきから泣きそうなの我慢してるもん。
「姫は騎士の頬をそっと撫でると、温かさと優しさの満ちる笑顔で微笑んだ、騎士の涙は止まらず、姫は心配そうにその事を告げるが、騎士は笑った。二人の間に幸せな笑顔が満ちる」
……あかんって、泣いちまうって。
もう何か……幸せになってくれ。
「騎士と姫は互いに微笑みながら見つめ合う、その瞬間姫は自分の想いを伝える為、騎士の手を逃げられない様に掴むと、騎士の唇に震える自分の唇を重ねた」
……おっと?
「騎士の顔は真っ赤に染まり、対する姫の顔も負けずと真っ赤に染まっていた、姫は恥ずかしそうに顔を隠すと、想いを告げた。「私は貴方を愛しています、貴方は私を愛していますか?」……二人の間に最早言葉は必要無かった」
おっとおっと? おっとっと?
「騎士は姫に口付けしながら、優しく押し倒し、姫の柔肌に触れる」
……ヤバい、来てるぞこれ。
割とこの世界に来て今一番興奮してる。
これはそう言う事でいいのか? 信じていいのか?
ここから邪魔が入ったり、いきなり時間が飛んだりしないか?
おいおい、本を持つ手が震えてやがるぜ。
だが俺も貴族の端くれ、こんな所でいつまでもビビってる訳には行かない!
「……一つまた一つとはだける二人の衣服、戸惑う騎士の両手に姫は優しく手を添え、自身の肌を隠す最後の布へと導いた」
……おいおい、盛り上がって来たな
ちょっと集中させて頂きますよ、流石に。
俺は慎重に次のページを捲る。
しかし、そのページはやけに文字数が少なく、俺は嫌な予感を感じながら、書かれた言葉を読み上げる。
「……続きは誠意制作中。……だ、と……?」
俺は全身の力が抜ける様な感覚に襲われ、座っていた椅子からぬるりと落ちた。
それはもう心臓まで止まってしまいそうな勢いで、放心状態と言う言葉が今程似合う時は他に無いだろう。
そんな俺を嘲笑う様に、俺が椅子から落ちた後に遅れて、読んでいた本が俺の顔の上に落ちて来た。
顔の上に分厚い本が落ちて来た事への痛みなど今の俺に感じる余裕は無い。
本のページは俺が最後に読んだままで、俺の目から溢れ落ちた一粒の涙はそのページを熱く濡らした。
「……うぅ、くそ……こんなのってないよぉ」
前世も合わせればいい歳した男が、たかが本の続きが読めない如きで泣いているのだ。
笑いたければ笑えばいい。
そうだよこんなの笑い飛ばしちまえばいいんだ、そうすれば全部忘れられる。
今までだって期待が裏切られた事は何度もあったじゃないか、それに比べればこれくらいの事……何とも……くそっ! 辛ぇ!
「あんまりだぁ……」
顔に被ったままの本に喋りかける様に、俺はそう言った。
こんないい所で区切るなんて、生殺しにも程がある。
紳士な俺も流石にこれには我慢出来ない。
これを書いた奴が何処の誰だか知らないが、そいつにはそれ相応の罰を与えなければ。
「……」
俺は静かに顔の上の本をどかし、立ち上がる。
まぁまぁまぁ、でも?
百歩、千歩、万歩程譲歩して冷静に考えれば、誠意制作中という事は遅かれ早かれ続きは読めるという事だ。
それならそれまでの楽しみとしてこの本を読み返すのは悪くない。
寧ろ少し時間が空く事によって、続きを読む時に完璧な状態で読む事が出来るのだ。
そうだ……そう思う事にしよう。
でなければ俺の心が風船みたいに弾け飛んでしまう。
「とは言っても……本屋なんて行った事ないし、そもそもこの本が何で俺の部屋に置かれていたのかも分からないしなぁ」
本をテーブルの上に置き、テーブルの前からズレた椅子を直して座り直した俺は、さっきまで本を声に出して読んでいたのもあって、思った事をそのまま声に出していた。
「はぁ……憂鬱だ、前世だったらスマホで簡単に調べられたのに、この世界にはそんな便利な物無いしなぁ」
畳んだ本の表紙の上に顎を置き、俺は何度目か分からない溜息を吐いた。
「……はぁ」
あ……そうだ。
この本の作者の名前を覚えとくか。
いざこの本の続きが出たとしても、この本の作者の名前が分からなければ探しようが無いしな。
それにあれだ。
あんまりにも続きが出ない様なら、作者の家に早く続きを書けって手紙を出そう。
俺の家の名を使って、後は立派な庭付きの一軒家が建つぐらいの金を一緒に送れば大丈夫だろう。
というか住所と名前が分かれば直ぐにでも出してやる。
貴族の息子の一ヶ月のお小遣い舐めんな。
「……ん? 何だこれ?」
顎に敷いていた本を裏返した俺の目は、本の上から順番に下に落ちて行き、ある場所でピタリと止まった。
その場所には本来、作者の名前や何処が本を作ってるか等の詳細が載っている部分。
しかしその部分は、何故か黒い紙で綺麗に覆われていた。
まるで何かを隠す様に貼られた黒い紙に、俺の背中に変な汗が滴るのを感じた。
しかし一刻も早く続きを読みたい俺は、悪い予感など気にせずに貼られた黒い紙に手を伸ばした。
妙に剥がし辛い黒い紙を何とか指で剥がすと、そこには女の子の様に丸くて可愛い字が書かれていた。
「……この本を見た物は必ず元の場所に戻す様に?」
二つに区切られた文章の上部分にはそんな事が書かれていた。
一体どういう意味だ? もしかしてこの本は図書館から借りて来ている本だったりするのだろうか。
でもそれにしては大分読み込まれた跡が最初から付いていたけどなぁ。
「そして必ず私の部屋で私に報告する様に……タイム・ミニッツメン……?」
……? ん? は? え?
最後まで黒い紙に隠されていた文章を読んだ俺は、読んだ筈の文字の意味が分からず少しの間固まってしまった。
タイム、タイム……そう言えば何か聞いた事ある名前だな。
知り合いにそんな名前の人が居た気がする。
……っていうかこの名前、俺の妹の名前じゃね?
何でタイムがこの本にこんな事を書き残しているんだ?
それにそんな本が俺の本棚に置いてあるのも謎だ……え、マジで何で? お兄ちゃん訳が分からないよ。
「兄様、居ますか?」
部屋のドアが控えめに三回叩かれ、俺は普段なら微動だにしないその音に、心臓が飛び出そうな程驚き、何とかドアの向こうから聞こえるその声に返事を返す。
「!! あ、あぁ居るけど、どうかしたか?」
「良かった、失礼しますね」
「えっ!? ちょ!?」
俺の返事は間に合わず、ドアの開かれる音が背後から聞こえた。
俺は慌てて本を背中で隠れる様にドアの方へと振り返った。
そこには予想通りというか、俺の妹であり俺の心臓の破壊者であるタイム・ミニッツメンが寝巻き姿で立っていた。
クソ……こいつめ、年頃の男の子の部屋に入る時はノックの後に5分待つという掟を知らないのか。
俺が紳士だったから良かったものの、もし俺が紳士じゃなければ何してたか分からないんだぞ。
そういう所もしっかりと教育しておいて欲しい。
タイムは静かにドアを閉めると、俺の方へと歩いて来た。
どうやら俺の部屋で座り込んで話す気らしい。
俺としては早い所何だか分からないが、俺の部屋に来た訳をとっとと話して出て行ってもらいたいんだが……。
っておい、こらこら待て待て。
そんな近づいて来るんじゃ無い。
一人の夜を過ごす男の子には半径5メートルは近づいちゃいけないんだぞ、タイム。
「兄様……その……お母様から聞きました。明日からテンセカンド家との決闘に備えて稽古へ行くと」
タイムは俺がいつも寝ているベッドに腰掛けると、俺の方へと顔を向けて、そう言った。
そうだね行くらしいね、俺は断固として行きたく無いけどね。
じゃあ何で行きたく無い所に行くのかって? ふっ……男には色々あるのさ。
人には言えないハードシップがな。 クソが。
「そうだな、暫くはこの部屋を空けると思う」
「……本当に兄様はお強いのですね」
タイムは柄にもなくそんな事を言った。
その時のタイムの顔は何処か憧れてる様な、それとも俺の事を憐んでいる様な、そんなよく分からない顔をしていた。
「冗談や媚びは止めろ、何をしに俺の部屋に来たんだ」
「別に……兄様とお話をしたかっただけです……駄目ですか?」
タイムは潤んだ瞳で俺の事を見つめる。
うーん、可愛い。
だがな我が妹よ、この世は可愛いだけじゃ許されない事もあるのだよ。
お前は俺にとって最も注意しなければならない人物筆頭だからな、今まで妹だからと甘めに見て来たが、今の俺はそんなチョロい兄では無い。
男が守る物を背に引くわけには行かないのだ。
と、いう訳で速やかにこの部屋から出て行って貰おう。
「俺は明日からの事で忙しいんだ、悪いが構ってやる暇は無い」
俺はタイムから目を逸らし、テーブルの方に向き直った。
これでタイムが出ていくまで待った後、速やかにこの本を鞄の中に詰め込めばミッションはコンプリートだ。
そして俺は何か作業をする振りをして、タイムが立ち上がって部屋から出ていくのを待っていたのだが、待っても待ってもその様な音は聞こえない。
ただタイムが同じベッドの上にずっと座っているのは、何となく気配で分かる。
何故だ……なぜ出て行かないんだ? 反抗期か?
いつまでも出て行く気が無いタイムに少し苛立ちを感じた俺は、もう一度タイムが座っていたベッドの方に振り返った。
そこには案の定、タイムがベッドの上に座っていて、俺は少し冷たい口調で下を向いて顔が見えないタイムに喋り掛けた。
「おい、聞こえなかったのか? 早く出て行け」
「……兄様は変わりました」
タイムは下を向いたまま、そう言った。
そのタイムの声は僅かに震えている様に聞こえ、タイムの雪の様に白い肌は寒くて堪らないといった風に、部屋の光に青白く照らされていた。
「昔の兄様は……血の繋がりが無く余り笑う事も無い……無愛想で可愛く無い私と良く遊んでくださいました」
まるで独り言を呟く様に、タイムは俺の方を見ずに、床だけをじっと向きながら話し始める。
「私が一言話せばそれ以上の言葉で返し、私が歩けば必ず私の前で手を引いてくれました」
そんな事もあったな、と俺はタイムの話を聞きながら昔を思い出していた。
確かにタイムの言う通り、何かとタイムの世話を焼いていた気がする。
しかし、それはタイムの為というよりは、親父とお袋の目があるからやっていた事なのだが……まぁ今は言わない方がいいだろう。
「私がお風呂に入りたいと言えば体を洗ってくれました、私が横になれば隣で本を読んでくれました」
いやそれはしょうがないじゃん、そうするしか方法が無かったんだよ。
俺は別にやりたくなかったけど、タイムを一人にすると親父とお袋から何を言われるか分からなかったし。
だからそういう変な意味でしてた訳じゃないから! 本当だから! 勘違いしないでよね!
「今思うと、私はずっと兄様に甘えていたんだと思います……優しい兄様に甘えて自分から何かをする事がありませんでしたから」
タイムはそう言うと、顔を上げて俺の方を向いた。
俺の目に映る相変わらず彫刻の様に綺麗な顔は、何故か目から流れる涙で濡れていた。
何故タイムが今泣いているのか分からず、驚いた様な顔をしているであろう俺を置いて、タイムは話を続ける。
「でも……そんな兄様に甘えて過ごしていた私はもう居ません、私は兄様の事を支えたいのです」
タイムは流れる涙を気にせずに、真っ直ぐ俺の目を見つめる。
「辛い時には側に居たい、楽しい時なら一緒に笑いたい……兄様への想いに気付いたその日から、必死に今日まで努力してきました」
兄様への想い……か。
まぁ俺も鈍感な男じゃないし、何ならそこらの男よりそこら辺の事は敏感だし、何となくタイムの気持ちには気付いていた。
と、いうか普通に考えて好きでもない男に迫ったり、夜這いしたり女の子がする訳ないよな。
いや例え好きでもそれはやり過ぎだと思うが。
「分かっています……私の気持ちは叶わないもの、それでも私は兄様の側にただ居たい……それだけなんです」
「なのに兄様は……突然私を避ける様になった」
タイムはずっと見ていた俺の目から目線を外し、また下を向いた。
その姿はとても寂しげで、俺は思わず孤独への慰めになる様な、そんな言葉が喉から口へと漏れ出そうになる。
何をしてもタイムはタイムで俺の妹だ、そんな顔させたくなかったという気持ちに嘘は無い。
「ずっと……ずっと耐えて来ました、もしこの事を兄様に話してしまったらどうなるか……私には想像も付かなかった」
「そして何より……それで兄様に嫌われるのが怖かったのです」
そう話すタイムの声は、普段の明るくて思わず笑顔になる様な可愛らしい声から一変して、喋るのも精一杯のとても震えた感じの声色だった。
そしてタイムは徐に両手で自分の目を強く擦ると、赤く晴れた様な目のまま、俺の目を再度じっと見つめて、短く心の内を打ち明けた。
「兄様は……私が邪魔ですか?」
……そんな事ない、と口だけで言うのは簡単だと思う。
きっとタイムからしても、そんな言葉を聞けば今は安心するだろう。
でもそれじゃ駄目だ、タイムはきっと……俺の唯一の妹は、きっとそれじゃ駄目なんだ。
最近は俺の事を貶めたり、誘惑なんかをして来たりしてたから思い出せなかったけど、昔のタイムは寂しがり屋でとても面倒臭く、でもそんな所も可愛く見えるほど、笑顔が素敵な女の子だった。
そんな可愛くて愛おしい妹を泣かせたのは誰だ?
自分の身勝手で関わりを蔑ろにし、寂しい思いをさせたのは誰だ?
そんなの俺が一番よく分かってるだろ。
ならどうすれば良いのか、それも俺だけが知ってる筈だ。
俺はサイドテーブルの椅子から立ち上がり、ベッドに座るタイムへと近づく。
そしてゆっくりとタイムの隣に腰を落とすと、俺を見る赤く腫れたタイムの目を見つめ返し、そのままタイムを抱き締めた。
「そんな事ないさ、ごめんなタイム」
腕の中に収まる小さな体は震えていて、俺は昔も今も変わらず寂しがり屋な妹を、精一杯の愛情を込めて抱き締める。
「兄さ……お兄ちゃん」
タイムは泣き腫らした様な声と共に、俺の背中に両腕を回した。
俺の肩からはタイムの控えめな泣き声が聞こえ、俺は何も言わずに更に強くタイムの事を抱き締めた。
「寂しかった……とっても、とっても寂しかった」
「あぁ」
「嫌われちゃったと思った、もうお兄ちゃんはタイムと遊んでくれないんじゃないかって」
「そんな訳ないだろ? いつ誘おうか迷ってた所だ」
「ひっぐ……ぐすっ……ずっとずっとこうしたかった……! ずっとずっとずっと……!」
タイムは物足りないと言う様に、俺の肩に乗せていた自分の顔を俺の胸へと埋めると、何度も何度も俺に思いをぶつける様にそう言った。
俺はそんなタイムの頭を優しく撫で、出来うる限りの愛情を込めた声で話し掛けた。
「不安にさせてしまったんだなタイム……ははっ、俺は兄様失格だな?」
そう言った俺の言葉に、タイムは俺の胸に顔を埋めながら、右に左に顔を揺らした。
白く絹の様な髪が俺の顎を撫で、タイムは数え切れないほど頭を揺らした後、赤く腫れた目だけを俺の胸から器用に出した。
「そんな事ないもん……お兄ちゃんはお兄ちゃんだもん」
タイムは怒った様な口調でそう言い、それに俺は思わず笑いを堪えられず、大きな声で胸を上下させ笑ってしまう。
「お兄ちゃん! 笑い過ぎ!」
「悪い悪い……でも当たり前の事をそんな感じで言われたらつい……な?」
「もう! ……許す!」
「お! それでこそ我が妹だ!」
「あははは! お兄ちゃん、そんなに頭を虐めちゃ駄目ー!」
楽しそうに笑うタイムの頭を、犬の顔を撫でる様にわしゃわしゃとやっていると、タイムは徐に俺の手から離れ、ベッドに横になった。
タイムの顔はこの上ないぐらいに笑顔で、そんなタイムの顔を見て俺も思わず笑みが溢れる。
……一応言っとくが、決して寝転がった事により強調されたタイムの胸を見て笑った訳ではない。
そこ、勘違いしない様に。
「もっと甘えたい……もっともっと一緒に居たいよ……」
そう言いながらタイムは、ベッドに置いた俺の左手を両手で握った。
もし……もしもの話だが、このシチュエーションが前世の出来事なら、俺は今頃素っ裸でタイムを襲っている事だろう。
しかし……しかしだ、俺はにぎにぎと俺の左手を握るタイムの無防備な姿を見ても、湧き上がる情欲をグッと堪えて、こう言うしか無いのだ。
許せ皆んな……また今度な。
「……決闘が終わって、俺が勝ったら考えとく」
タイムから目線を外し、何処を見るでも無く言った一言に、タイムは予め知ってたと言う様に、嬉しそうでほんの少しだけ寂しそうに笑いながら、言葉を返した。
「ふふっ、約束ですよ?」
「はいはい、もう遅いから自分の部屋に帰れよ」
「えー? 今日はお兄ちゃんの部屋で寝たいなー?」
タイムはベッドから身軽に体を起こすと、俺の目の前まで勿体ぶる様に歩き、前傾姿勢で俺の顔を見つめた。
……こいつ、ちょっと甘やかしただけでこんなになりやがった。
なんだその角度は、何がとは言わないがぎりぎり見えない角度にしやがって。
お兄ちゃんそういう中途半端なのは許しませんからね。
やるならちゃんと見せなさい!
「そんな甘えた感じで言っても駄目だぞ、ほら早く行かないと兄ちゃん怒るぞ」
「はいはーい」
やる気の籠ってない声で返事をするタイムは、言葉とは裏腹に一直線に部屋の扉へと歩いて行く。
しかしその足取りは軽やかで、俺はそんなタイムの後ろ姿に安心して目線を外し、ぐちゃぐちゃになった自分のベッドのシーツを整え始めた。
ったくこんなぐちゃぐちゃにしやがって……後でタイムが座った場所は切り取って保存しておこう。
さてと……俺も早い所、眠りにつかないとな。
明日からは稽古と名の付くイジメが始まる訳だし、もし寝不足で行ったら何を言われるか分からない。
まぁ、お袋や親父、サウザンドからも何処の屋敷で稽古するのかは言われなかったんだけどね! ははっ、狂ってやがる。
「ところで兄様」
徐にタイムはそう言いながら、部屋の扉に向かっていた筈の体をある方向に向けて、指を指した。
その指が指す方向、正確にはさっきまで俺が座っていた椅子の目の前……そこに一体何があるのか。
今の今まで忘れていた俺は何も言う事が出来ず、ただタイムの指が指す物が俺の予想と違う物である事を祈っていた。
しかし……生まれてこのかた崇めた事もない何処かの神様は、俺の魂の祈りを清々しいくらいに無視したのだった。
「そのテーブルの上の本は何でしょうか?」
「……ナ、ナンデモナイヨ」
……ヤバい、ヤバすぎる本気でヤバいぞこれ。
前話から大分時間が開いてしまってすいません。
これからもせこせこと書いていきますので、よろしくお願いします。