貴族の息子は紳士でなくてはいけないらしいけど日々が辛い   作:鉄の掟

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行って来ますは辛い。

 

 

 

 

 

「……んぁー、朝かぁ」

 

 無駄に高い窓から入る太陽の光が部屋の中を明るく照らし出し、ベッドから上半身だけを起こした俺は寝起き特有の倦怠感のまま、暫くぼーっと目の前を見つめる。

 

 昨日眠りに落ちる前に考えていた【発案俺! クソッタレな紳士生活とはオサラバ計画!】の内容は、寝ている間にすっかりと俺の頭から消えてなくなってしまった様で、その事に軽く絶望しながらも徐々に鮮明になって行く視界の情報に違和感を感じ、俺は首を傾げた。

 

「何か静かだな……」

 

 やけに部屋の中が静かだと思ったら右を向いても左を向いても、ビックリマークの鬼であり擬人化であるクロックの姿が見当たらない。

 毎朝欠かさず俺を拷問の様な大声で起こして来たクロックが居ないと、こうも目覚めが良いとは。

 やはりあいつのビックリマークの数は俺の天敵だった様だ。

 

 しかしそれはそうとして仕事はきちんとこなすクロックが俺を起こしに来ないと言うのは、かなり不自然というか不気味ですらある。

 それこそ今まで1日たりとも仕事を休んだ事の無いクロックの事だ、恐らく何かしらの理由があるとは思うが……。

 

「……取り敢えず着替えるか」

 

 喧しいクロックも居ない事だし、このまま二度寝したい気持ちに負けそうになるが、今日は何と言っても稽古と称した地獄の始まりの日。

 なけなしの貴族パワーで二度寝の誘惑になんとか堪えた俺はベッドから足を下ろすと、そのままワードローブを開き、中のハンガーに掛けられたいつもの紳士服を手に取る。

 

 そして数分で寝巻きからかっちりとした紳士服に着替えた俺は、櫛で少しだけ寝癖を整えると、部屋の扉を開けて廊下へと歩き出た。

 

 ……やっぱり何かがおかしい、屋敷全体がこう……何と言うか静かだ。

 俺の部屋の時計はピッタリ6時45分を指してたし、朝食の時間は7時と決まっているので、時間に遅れている訳でも無い。

 

 違和感を感じながらも俺は思い出せない程の記憶ぶりに、一人で朝の屋敷の廊下を歩き、朝食が用意されてるであろう2階の食堂へと向かう。

 そしてその間も誰一人ともすれ違う事は無く、屋敷の廊下には俺が歩く度に高級そうな絨毯を踏む自分の靴の音が響くばかりだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「アワーズです、入っても宜しいでしょうか」コンコンコン

 

 歩く事数分、食堂の前に着いた俺だったが予想通り食堂の前にはサウザンドの姿は無く、仕方無く俺は食堂の扉を3回ノックし入って良いか中に居るであろう親父に尋ねる。

 

「入れ」

 

「失礼します」

 

 予想通りいつも通りの偉そうで気に食わない親父の声が部屋の中から聞こえ、俺は両開きの扉の片方を開き部屋の中へと入る。

 

「おはようございます……?」

 

 部屋の中に入った瞬間、俺の目はある一点に釘付けになった。

 部屋の中央に置かれた長いテーブルの真ん中辺り、眉間に皺を寄せた紳士服姿の親父とドレス姿のお袋が座る席の向かい側の席に聳え立っていたのだ……【皿】が。

 

 そう、皿である。

 誰しもが皿を聞けば思い浮かぶ様な平たく白いあの皿だ、それが俺の身長と同じぐらいの高さまで積まれている。

 何あれ、大食いファイターでも来たの? 

 っていうか大食いファイターでもあの量は無理だろう、多分だが100は超えてるぞ。

 

「あ、アワーズ様、おはようございます!」

 

「あ、うん、おはようトリリオン」

 

 皿で作られた小さな塔に驚きで固まる俺の横を、美味そうに焼けたステーキが乗った皿を両手に持ったトリリオンが足早に通り過ぎて行く。

 ……ん? あのステーキが乗った皿……あそこで積まれてる皿と一緒じゃね? 

 

 俺の予想通りにトリリオンは両手に持ったステーキが乗った皿を、積み上げられた皿の裏の誰かの前へと二個とも置いた。

 そしてトリリオンは丁寧にお辞儀をすると、また俺の横を通り過ぎ部屋の外の廊下へと足早に去って行った。

 ……多分だがおかわり持って来るな、あの感じ。

 

「おかわりじゃ」

 

 積み上げられた皿の裏から、少女特有の高い声と共に意志の強さを感じさせる様なハッキリとした口調で誰かがそう言った。

 その声から想像させる姿はどう考えてもランドセルを背負った小学生であり、俺は少しだけ顔を右に傾けバベルの塔の様に積まれた皿の後ろ側を覗き込む。

 

 すると、そこにはまるで黄金の様に輝く長い髪を後ろで纏め、青い瞳を開き切らずにジトっとした目線で俺を見つめる、【どう見ても魔法使いの様な紫色のローブと頭を覆う尖った帽子】を身に纏った幼女がちょこんと座っていた。

 

 ……さっきトリリオンが持って来たステーキは、そのステーキ一枚も入らなそうなほっそい腹の中に消えたのか。

 胃がブラックホールで出来てんのか、この幼女。

 

「アワーズ、挨拶しなさい。貴方の為に来て下さったのですよ」

 

 はっきりと分かる困り顔でお袋がそう言うと幼女は俺から目線を外し、座っていた椅子から落ちる様に立ち上がった。

 ……と言うかその席、俺の席じゃねぇか。

 勝手に人の席に皿の塔立ててんじゃねぇ、クソが。

 

 大食い幼女は立ち上がった後、軽くナプキンで口を拭くと食堂の扉の方に立つ俺の前へと歩いて来た。

 この幼女、近くで見ると本当に小せぇな。

 帽子で大分誤魔化しているみたいだが、多分本当の身長は頭が俺の腹に来る辺りだろう。

 ……ステーキのソースが口の端に付いてるのはなんか面白いから黙っておこう。

 

 幼女は俺の目の前で立ち止まると、尖った帽子を人差し指でくいと上げて、首をキツく斜めに傾けて俺を見上げた。

 

「お前がアワーズ・ミニッツマンじゃな?」

 

「……仰る通り、アワーズ・ミニッツマンと申します」

 

 俺が名乗る前に名前を呼ぶんじゃねぇ、後から名前を名乗る俺が馬鹿みたいに見えるだろ。

 

「ふむふむ……これはこれは……なるほどのう……」

 

 幼女は俺が名乗ったにも関わらず自分の名前を名乗る事はなく、ぶつぶつとまるで彫刻でも眺めるかの様に、俺の足から頭まで俺の体の周りをゆっくりと歩きながら舐める様に眺めてきた。

 

 なんだこいつ、何が成る程なんだ。

 人をジロジロ見てくるとか常識ねぇのか。

 それに博物館とかで彫刻相手に独り言を呟いてる奴程、何も分かってないんだぞ。

 その歳ならまだ間に合う。 昔、自慢げに覚えてる事を語ってたら全部間違ってて泣いた俺みたいになる前に直しなさい。

 

「ほうほう……ほーうほう」

 

 ジロジロ見てくる目の前の幼女は、負けじと見つめ返す俺の視線も無視して、もう何周か分からない程にぐるぐると俺の周りを回り続ける。

 

 というか本当にこの幼女は誰なんだ? 親父とお袋があれだけの食事のもてなしをすると言う事は、恐らく普通の幼女では無いんだろうが。

 いや普通じゃない幼女って何だよ。

 

「ほほうほほう……うん、これは無理じゃな」

 

 幼女は俺の体を数分間眺め続けた後、いきなり親父とお袋に向かって振り返ってそう言うと、興味を無くした様に俺の目の前から元の席に戻り、よじ登る様に俺の椅子に座り直した。

 

 ……やっぱりまだ食う気なのか、幼女はふんふんと鼻から興奮気味に息を出しながらナイフとフォークを両手に食堂の扉の方に顔を向けてる。

 もしかしてだが、屋敷のどこにも人が居なかったのは、全員このブラックホール幼女の胃を満たす為に、今も総動員で調理場に篭っているからなのか? 

 この屋敷には滅多に客人が来ないし、そもそも同じ料理を一回でこんなに作る事なんて有り得ないだろう。

 ……執事とメイドはまだしも、総料理長のミリオンとビリオンが過労で倒れなきゃいいけど。

 

「無理とはどういう意味です? 今更辞めるとは言わせませんよ」

 

「分かっておる。 しかし……お前達の息子はどうも弛み過ぎておる、これではひと月で子鹿を獅子にしろと言われてる様なものじゃ」

 

 幼女の投げ捨てる様な言葉に親父とお袋の機嫌が見る見る内に悪くなってるのが分かる。

 おいおい……この幼女どんだけハート強いんだよ、というか誰が小鹿だ誰が、子豚ぐらいのガッツはあるわ。 あるよな? 

 

「……既に報酬は支払っている」

 

 親父の穏便とは言えない低い声が響く。

 それにも関わらず幼女は相変わらず余裕そうな表情で会話を続ける。

 

「急な話をして来たのはそっちじゃ、それに……本当に勝たせたいと言うのなら、この子鹿には地獄と死と絶望を乗り越える覚悟をしてもらわなきゃ到底無理じゃな」

 

「構わん」

 

「そうか、なら心配は無用じゃ」

 

 幼女はそう言った次の瞬間には、いつの間にかトリリオンが台車に乗せて運んできた大量のステーキを、自らの手で台車から目の前へと皿を並べて食べ始めた。

 

 ……うん、まぁ言いたい事はあるよねいっぱい。

 だがしかし、今ここで俺が思ってる事を素直に口に出せばどうなるか想像には難くない。

 かと言って先日の様に森まで走って大声でぶち撒けるのも当然無理だ。

 と、なるとやる事は一つしかないだろう……

 

「良い天気だなぁ」

 

 現実逃避だ、もう知らん。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「では食事を始めよう」

 

 親父の一言により、席についた俺は目の前に座るお袋と同時に、目の前に並べられた食事に手を付ける。

 

 あの後、俺が仏のような心持ちで現実逃避をしてる間に、更にステーキを十数枚平らげたのじゃロリはやっと満足したのか「腹ごなしにでも行くかの」とだけ言い残し、食堂から出て行った。

 

 そしてあの幼女は食堂から出て行く時、一瞬横目で俺に可哀想な物を見る目を向けていた気がするが、今の俺は完全無敵人間なので一向に構わん。

 寧ろもっと見てくれたって良かった、何たって今の俺は感情を超越してるからな。

 

 そして食事中、特に親父とお袋は会話をせず、俺も俺で普通に腹が減っていた為、目の前の食事に集中し、ものの数分で目の前に並べられた複数の皿は綺麗に空っぽになっていた。

 

 いやぁ、流石はミリオンとビリオン。

 乗っける皿で裏に居る人が見えなくなる程の枚数のステーキを焼いた後にこれだけ美味い物を作れるとは、料理人というのは凄い、とても凄い。

 

「おはよう御座います、アワーズ様」

 

「あぁ、おはようサウザンド」

 

 軽く口元をナプキンで拭いていると、何時の間にか横に居たサウザンドが頭を下げてそう言った。

 うーん、何時見ても素晴らしい体付きだ。

 しかし今の俺は仏の中の仏、Mr.HOTOKE。

 

 もし今目の前でサウザンドが全裸になったとしても何も感じないどころか、着ているジャケットを脱いでサウザンドの肩に羽織らせるだろう。

 なんて紳士的かつスマートな対応なんだ、そんな対応をされたら流石のサウザンドも俺に一瞬でガチ惚れして、ムズムズと内腿を擦りながら俺の手を引いて自分の部屋に連れ込むに違いない、絶対に。

 

「朝のご挨拶が遅れ、大変申し訳ございません」

 

「気にしなくていいよ」

 

 これに関しては本当に気にしてない。

 きっとサウザンドもあのブラックホール幼女の胃を満たす為に、調理場で指揮を取っていたのだろう。

 少しだけだがサウザンドから焼けた肉とソースの匂いもするしな。

 

「ご寛大な御言葉に感謝を」

 

 そう言ってサウザンドは再度頭を下げる。

 

「っ!? なん……だと……」

 

 その瞬間、目の前のサウザンドのある一点が、俺の脳内を焼ける様な電撃と共に貫いた。

 その衝撃は凄まじく、それはもう俺の頭の中で坐禅を組んでいたお釈迦様が空の彼方まで吹っ飛んで星になるくらいには凄い。

 

「アワーズ様?」

 

 余りの衝撃に放心状態の俺を見て、サウザンドは前屈みになり接近して来る。

 それにより俺の視線は更にサウザンドのある一点に固定され、無意識の内に瞬きすらも止まり、俺は目がカピカピに乾くのを感じながらも決して瞬きはせずにそれを見続けた。

 

 一瞬にして、俺の精神を破壊した正体とは…………薄っすらと汗で透けた【サウザンドの胸元】だった。

 

「ほぁ……」

 

「ア、アワーズ様?」

 

 何だこれは、この世に存在していい物なのかこれは。

 宇宙の創造の始まりはビックバンでは無く、サウザンドの胸から始まったのではないか? 

 そう思わずには居られない程に、俺の禁欲に満ちた人生では有り得ない光景が視界には広がっていた。

 

 男というのはシチュエーションに弱い生き物だ。

 例えば女の子側からふと手を握って来るとか、普段愛想の無い子が実は裏で自分の事を好いているとか。

 ギャップや萌え、そういった数多のシチュエーションに世の男はドキッとする物である。

 ドキッとしない者は死んで欲しい、来世でドキッとしよう。

 

 そして……考えてみて欲しい。

 我が屋敷のメイド長であるサウザンドはそれは厳しく、服装においても普段からボタン一つ外した所も見た事が無い。

 そんな完璧女子であるサウザンドの胸元が今この瞬間汗で透けているのだ、しかも恐らくサウザンドはそれに気付いていない。

 

 更に言えばここは俺の部屋というプライベートな空間では無く、親父もお袋も居る、今この屋敷で最も紳士淑女であらなければいけない場所だ

 君が紳士を体現した様な男ならここまで言えばもう分かるだろう……つまり俺が言いたいのはだな。

 

【そんな胸を隠さないなんて俺を誘ってんのか、宜しい! それなら今から俺の部屋に連れ込んであんな事やこんな事をしまくってやる!】

 ……まぁこういう事に当然なる訳だな、うん。

 

「サウザンド」

 

「は、はい?」

 

「この後時間はあるか? 少し話したい事がある」

 

「えっと……」

 

「大事な話だ。そういう事だから後で俺の部屋に来てくれ」

 

 視界の端でサウザンドの顔が横に向いた気がするが関係無い。

 何故なら今の俺の頭の中は口に出すのも憚られる様な大変な事で溢れているからな。

 

【アワーズ、時間だ】

 

「……お父様、時間とはどういう意味でしょうか」

 

 何が時間だクソ親父、お前の無駄にデカいあれを切り刻んでユッケにして食ってやろうか。

 原因不明の病で死にそうだからやんないけど。

 

「外に馬車を待たせてる」

 

 は? 馬車? 何それ美味しいの? 

 

「……アワーズ様、そう言う事ですのでお話はお帰りになられたら是非お聞かせ下さい」

 

 サウザンドはそう言うと俺の目の前から消える様に離れ、呆れた表情で俺を見る親父とお袋の方へと歩いて行った。

 

 そ、そんな……嘘だ……嘘だよなサウザンド? 

 そんな胸を見せておきながらお預けはあんまりじゃないか。

 

 やっぱりデカさか? サウザンドもデカい方が好きなのか? 

 いやしかし男はデカさだけじゃなくて色んな部分で評価は違って来るんだぞ? 

 それにやっぱりそんなおっさんより若者の方が……

 

「アワーズ、何をぼさっとしてる? 早くしろ」

 

「…………はい」

 

 つらいぃ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……アァ……アァア……」

 

「一体何があったらこの短時間でクノール洞窟の亡者みたいになるんじゃ……?」

 

「アプァ……アプアプ……」

 

「うわ、気持ち悪い」

 

 どうやらビックバンと宇宙の終焉をほぼ同時に経験した俺の脳みそは完全にキャパシティを超えてしまっていた様だ。

 気付けば俺は18年間過ごした屋敷の立派な門の前に立っていた。

 

 ここに来るまでの記憶が曖昧だが、恐らくは最近よく感じるこの倦怠感と達成感を混ぜ合わせた様な感覚からして、俺は幼少期に徹底的に叩き込まれた紳士の振る舞いを無意識の内に使いこなし、今の今まで完璧な紳士として行動していたのだろう。

 そしてその反動が今になって俺を襲い、少しだけ変な言葉を発してしまった……と。

 

「パー……パー……ふぅ、よし治った」

 

「亡者なら消滅魔法で消せるかの?」

 

「止めやがれ下さい」

 

 何時の間にか隣に居て、俺に向かって小さな手の平を見せる様に翳した、生意気失礼怖いテレビを見た後に一人でトイレ行けなそう胃袋ブラックホール幼女が何か物騒な事を言った気がして、脳みそが正常に稼働した俺は咄嗟にそれを止めた。

 

「冗談じゃ」

 

 俺の本気と書いてマジと読むという言葉を貼り付けた様な真顔が相当効いたのか、幼女はつまらなそうにそう言うと上げた手をすっと下ろした。

 ……何か手の平に白い光が集まってた様に見えたのは気にしないでおこう、うん。

 

「そろそろ出発じゃ、子鹿。 荷物は先に積んでるとメイドが言っとったし、早く乗れ」

 

 幼女はそう言いながらくるりと後ろに振り返り、それに釣られて振り返った俺の目の前には、異世界や西洋の貴族が乗ってそうなイメージしかない、見た事もない立派な馬車が置かれていた。

 

 しかし、そこにあるのは人が乗る部分だけで、馬車を引く馬は何処にも見当たらない。

 この幼女、まさか……俺にこの馬車を引けって言う訳じゃないだろうな、もしそうなら出るとこ出てない体に出るとか出てやるからな。

 

「あの……馬が見当たらないのですが、もしかして私が引くのですか?」

 

「阿保かお前」

 

 幼女に真顔で阿保って言われた。

 やだ、普通に傷付く。

 

「魔法馬車を知らんとは、つくづく箱入り息子じゃのう」

 

 幼女はやれやれと言った感じで首を横に振ると、てくてくと馬車の前方に歩いて行き、何かぶつぶつと呟いたかと思うと、徐に手を前方に翳した。

 すると何処からとも無く青い粒子の様な物が現れ、その粒子は瞬く間に増え始めたかと思えば、ものの数秒で4頭の馬に変身した。

 

「魔法使いにとって馬なんて生物は時代遅れの粗悪品じゃ」

 

 青く輝く無数の粒子で形作られた馬の頭を撫でながら、幼女はドヤ顔でそう言った。

 元の世界で言うホログラムに近い見た目のその馬は、しかしちゃんと実体を持っている様で、幼女に撫でられている1頭は気持よさそうに鼻を鳴らしている。

 

 成程、これがこの世界の魔法か。

 つまり30まで童貞なら俺もこれを使えると言う事だな、やばい少しありかも? いやいやこんな使えるかも分からない魔法なんかに惑わされるな俺。

 いやでも馬を生み出せるなら理想の女性を生み出す事だって可能か? 

 

 俺が脳内で天下分け目の大合戦の様な攻めぎ合いを繰り広げているのを横目に、幼女は呆れ顔で短い溜息を溢し、自動ドアの様に開いた両開きの扉から馬車に乗り込んだ

 そして立ち尽くす俺に向かって、窓から手だけを出し早く乗れと言わんばかりに手を前後に動かした。

 

「ほれ、行くぞ子鹿」 

 

「……」

 

 さっきから思っていたんだが何故俺はこの幼女に子鹿と呼ばれているんだ? 普通に不愉快だから止めてほしい。

 

 と、心の中で思っていても口に出せない小心者の俺は、いそいそと馬車の横にある扉の前に近寄り、扉が開くのを待った。

 ……全然開かないんだけど、合言葉とか必要な感じ? 

 

「阿保、自分で開けて早く乗れ」

 

「……はい」

 

 いやさっき幼女の時は自動で開いてたじゃねぇか、影が薄過ぎて自動ドアにすら反応されないみたいな事してんじゃねぇぞ、クソが。

 

 俺が乗り込むのを拒否するかの様に固く重い扉をこじ開け、何とか馬車に乗り込んだ後、よく手入れされたガラスの窓から見える屋敷を出て行く道の方をチラリと向くと、そこには親父とお袋、そしてタイムに屋敷のメイドと執事達が並んで、俺の方を見ていた。

 

 え……何何、普通に気付かなかったわ、何であの人達無言で立ってんの怖いんだけど。

 俺が鋼の様な心の持ち主だから良いものの、多分ネズミくらいなら目線で気絶させるくらいの眼力はあるからね? 君達。

 

「子鹿は幸せ者じゃな」

 

「え?」

 

 俺が誰一人口を開かず俺の方を凝視しているという異常事態に頭をパンクさせ固まっていると、外で見た時よりも広い馬車の椅子に腰掛けたブラックホール幼女がそう言った。

 

 一体俺の何処が幸せなんだ、世界広しと言えど俺程不幸な男は中々居ないぞマジで。

 

「何だ、自分の家の歴史も知らんのか」

 

「……えっと、はい」

 

 俺がそう言うと幼女はもう何度目かも分からない呆れ顔でやれやれと言った感じで首を振った。

 許されるならグーでいきたいです、はい。

 

「子鹿のミニッツマン家は【沈黙の一族】の名で有名じゃ。代々ミニッツマン家は情報を扱う家系で、それ故に族に狙われる事も少なくなかった。

 そしてミニッツマン家の歴代の主達はそのどれもが巧妙な策略を使われ敵に捕まり、その時に酷い拷問をされても決して情報を言わなかった……それはそれは酷い拷問を受けてもじゃ」

 

「そして特に家族の誰かが死地やそれに近しい場所に行く時、ミニッツマンの一族は誰一人として喋らずただじっと目だけを向けて送り出すのじゃ」

 

 ……マジで初耳なんですけど、笑えん。

 っていうかめっちゃ詳しいですやん、笑えん。

 笑えな過ぎて逆に笑えて来たかもしれん、幼女の説明が正しいとしたらこれあれですやん。

 俺、今から死地かそれに近しい場所に行くって事ですやん。

 

 幼女の説明を聞いて俺は遠くに見える一人一人の顔をゆっくりと見ていく。

 親父、お袋、タイム、クロック、ロック、トリリオン、ミリオンとビリオン、そしてサウザンド……。

 

 誰かぁ! 誰か一人でもいいから俺をここから連れ去ってぇ!! 

 俺の溜め込んだヘソクリとか全部あげるからぁ! 多分元の世界で考えれば一生食うに困らない額だからぁ! 

 何で皆んな不安と期待が入り混じった様な目線なんだよぉ……! 

 

「珍しいぞ? 家族ならまだしも召使いまでもが仕来たりを守ってる、それ程子鹿が大切なのじゃろうな」

 

 仕来たりなんてクソ喰らえだ、仕来たりで腹が膨れるかっての。

 というか、そこまで大切と思ってくれてるなら早く助けやがれ下さい。

 

 俺の魂を込めた助けを求める瞳も虚しく、幼女がぱちんと指を鳴らすと、魔法の馬が引く馬車はゆっくりと動き出した。

 俺は馬車の中で立ったまま、もう一度屋敷の方に振り返る。

 そこで俺は漸く18年過ごしたこの屋敷を離れるという事に現実感を得た。

 色々あったがこれから更に色々あるだろう未知の場所に向かう馬車は、俺に感傷に浸る間も与えずに、どんどんと屋敷から遠ざかって行く。

 

 まるで昔の映画のエピローグの様な光景だなぁ、と俺は何処か他人事の様にそう思った。

 

「ほれ、最後かもしれんし身内の顔ぐらいは見ていけ」

 

 俺が屋敷の方ばかり見ていると、幼女は面倒臭そうにそう言った。

 不穏な言葉が混じったその言葉に俺は素直に従い、俺は止まらない馬車の窓から親父達が立つ場所に目線を向ける。

 

「止めてくれるとありがたいのですが」

 

「お前が逃げ出すといけないからの」

 

 ちっ……この幼女、抜け目がない。

 仕方無く、俺は徐行する車の窓から景色を眺める時みたいにゆっくりと首を動かしながら、一人一人順番に顔を見て行く。

 

 親父は相変わらずの仏頂面で俺を見つめ、お袋は厳しい視線で瞬き一つすらしない。

 もしもあんな顔の二人が元の世界の街を歩いていたら、まず間違いなく通報されるだろう。

 

 タイムは昨晩サウザンドによっぽどしごかれたのか、少し青い顔のまま心配そうに眉を下げ俺を見つめていた

 俺が居ない間、夜におねしょをしても一人で片付けられるか不安だ。

 

 クロックは親父とお袋の手前、自慢の大声を上げるわけにも行かないからなのか、体全体を使って激しく手を振る。

 おかしいな、喋ってもないのにビックリマークが見える。

 

 ロックは相変わらずキツい目で俺を見つめる。

 ほんの少しだがその目線には励ましの気持ちが籠もっている様な気がしないでもない。

 

 トリリオンは相変わらずのぶりっ子具合で、両手を胸の前で握り締め、ぐっと応援する様に両手を絞った。

 俺、無事に帰って来たらトリリオンをめちゃくちゃにするんだ。

 

 ミリオンとビリオンは元々半開きの眠そうな目に隈を作って、開いてるのか開いてないのか分からない目で俺を見つめる。

 君達二人は俺なんかの見送りよりも早く寝なさい、割とマジで。

 

 他にもずらっと並んだメイドと執事達に目を通し、最後に並ぶメイドと執事達より一歩前に立ち、俺を見つめるサウザンドに目線を合わせた。

 サウザンドは俺の方へ控えめに手を振っていた、その立ち振る舞いは後ろからしか見えない人達にはとても健気で凛とし、きっとメイド長に相応しい後ろ姿に見えているのだろう。

 

 しかしサウザンドの顔を見る事の出来る俺は、彼女の表情や目線に込めた並々ならぬ気持ちを感じる事が出来た。

 

【どうかご無事で】。

 サウザンドの口は動かなかったが、そう言われてる様な気がした。

 

「……行って来ます」

 

 後ろに座る幼女にしか聞こえないであろう小さな声だが、俺はそう言って馬車の中から手を振った。

 皆んなの横を通り過ぎると馬車は痺れを切らした様にぐんぐんと加速していく。

 これからどんな事が起こるか今の俺には分からないが、取り敢えずの目標は決まった。

 

 生きて、この屋敷に戻って来るという事。

 

「ふぁああ、面倒じゃのう」

 

 ……後、この幼女を分からせる、勿論エロい意味で。

 

 

 




実はここまでがプロローグだと信じてくれる人が何人居るのか調査する為、筆者はアマゾンの奥地へと向かった…。
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