天には星を、人には愛を   作:厳冬蜜柑

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2-5. 喜劇に踊るものは

 いつもの通り、五反田監督のところでアルバイトを終えたアクアが家に戻る。

 玄関のチャイムを鳴らし、鍵を開けて、インターホンの前で待つ。そうすれば暫くして、インターホンのカメラから来訪者の姿を確認し終えたか、内側からドアチェーンの解除される音がした。

 

 そこでやっと、扉が向こうから開かれる。この一連の流れは、「あの日」の事件以来星野家の中で完全に習慣として定着したものだった。

 たとえ家族であっても、この手順を確実に踏んでから人を迎え入れる。それはアクアたちの中で絶対に忘れてはならない鉄の掟となっていた。もう二度と、あのようなことを起こさないために。

 

 果たして開いた扉から見えたのは、複雑な表情でアクアのことを出迎えるルビーの姿であった。

 

「ただいま」

「……おかえり」

「母さんは? 今日は早いって聞いてたけど」

「リビングで電話中。……まあそれはいいんだけどさ」

 

 どうにも釈然としない態度だ。今日、なにかルビーの機嫌を損ねるようなことをしただろうか。

 しかしその答えは、ほかならぬ本人の口からすぐに明かされることになった。

 

「……見たよ、『今ガチ』」

「え? あぁ……」

 

 その一言だけで、アクアは今のルビーの態度の全てを察した。

 

 互いに「中身入り」の人間で、元々は他人同士とはいえ、十五、六年も家族として一緒に暮らしていれば、それはもはや家族である。そして家族の恋愛模様をネットテレビなどという媒体で見せつけられるのは、確かに複雑以外の何物でもないだろう。

 共に芸能の世界に身を置く者である故にそのうち慣れていかねばならないものではあろうが、アクアはそのルビーの心情に関しては理解できた。というより、共感していた。どの口が言うかという話ではあるが。

 

 

 

 二か月ほど前のこと、ドラマ「今日あま」のクランクアップの打ち上げの場の中で、アクアはドラマのプロデューサーであった鏑木勝也という男に、アイの過去について詳しく尋ねようとした。

 そして、彼はその情報と引き換えに、一つの番組への出演を要求してきた。

 

 ――『今からガチ恋始めます』。恋愛リアリティーショーだ。これに、僕はアクアくんを出演させたいと考えている。どうかな?

 

 恋愛リアリティーショーは、若手の役者やタレントにとって登竜門のようなものだ。特にT層からF1層への浸透力が強く、ここでうまく顔を売ることができれば、場合によってはいきなり地上波への道さえ開かれる。

 アクアが求める情報へのバーターとしては、むしろ鏑木にとっては持ち出しの方が多いのではないかと思えてならない。それほど、ほかの若手タレントからしてみれば喉から手が出るほどに欲しいポストなのだから。

 

 アクアとしては、芸能界においてステップアップするモチベーションのうちの半分ほどはアイの過去を知る人物へのコネクションを得ることなわけで、そういう意味では鏑木勝也というキーパーソンに出会えた今、そこまで性急な出世を望んでいるわけではない。そんなアクアに対して、鏑木が何を望んで恋愛リアリティーショーへの出演を求めているのかも、アクアは推し量ることすらできていない。

 ただ、その当の彼が条件として提示したものが番組への出演である以上、アクアに拒否権などあろうはずもなかった。

 果たして、アクアは「今からガチ恋始めます」――「今ガチ」への出演を決めた。

 

 

 

「っていうかさ、お兄ちゃんのあのキャラ、なに?」

「なにって……」

 

 過去のことを思い出していたアクアの意識が、ルビーのその問いかけによって現在へと立ち戻る。

 「キャラ」とは何か、そう一瞬首を傾げたところで、アクアはルビーの問いの意図を理解する。

 

 おそらくは第一回の放送で、アクアが教室に集まったほかの五人のメンバーに自己紹介をしたあのシーンの話をしているのだろう。

 その推測を裏付けるように、ルビーは指をアクアの方に突き付けて言い立ててきた。

 

「いや、だってあれ、()()()()()()()じゃん!」

 

 ――なるほど、よく見ている。

 率直に、アクアはそう考える。

 

 確かにあの時、最後に教室に入る役どころとなったアクアは、すでに座っている残りの面々に対して笑顔を作って、こう名乗った。

 

 ――どうも、「アクア」です。演技の仕事と、あと撮影の仕事もやらせてもらってます。仲良くしてもらえたら、嬉しいです。

 

 それはまさしく昔の自分を意識した、役づくりという名の鎧だった。その「昔」というのは、すなわち十二年前の、あの事件が起こるより前の自分のことを指している。

 

 リアリティーショーと銘打つ以上、自分の中に完全に存在しない役を一から作って投影するのは難しい。脚本もなければ、制作側からのディレクションもないのだから。

 故に作りこむべき役というのは己の中にある何かの延長線上にあるべきもので、アクアにとってそれはすなわち過去の自分――あの日あの時、もしあの事件が起こっていなかったらという、今は遠い仮定の先に結像する、高校一年生の星野アクアであった。

 

「そりゃ、そうだろ。リアリティーショーとはいってもショーなんだから、百パーセント素の自分とか怖くて出せるわけない」

 

 もっとも、今の素のアクアであろうと、初対面の相手に対してはあれぐらいの人当たりの良さは意識する。第一印象などよいに越したことはないのだから、当たり前の処世術だろう。

 対してそれを聞いたルビーは、納得しているのかしていないのか、へぇ、と気のない返事でアクアに背を向けた。

 

「ま、いいや。今日の料理当番、お兄ちゃんだったよね。よろしくー」

 

 ――あ、それと。

 そう言って振り向いて、ルビーは悪戯っぽく笑った。

 

「『今ガチ』、ママも見たみたいだから」

 

 そう言い残してリビングへと消えていくルビーの姿を見て、アクアはため息を吐いた。

 

「……全く」

 

 人知れず、そんな呟きが漏れていた。

 

 

 

 

 

 恋愛リアリティーショーは、筋書きのないドラマこそが売りだ。今ガチの場合、いくつか番組側に指定されたイベントはあるようだが、そこで各々がどう動くかも、基本的に制限はかかっていない。

 与件は最小に、演者の個性を最大化して、そのリアリティー(現実感)を予測不可能性に、そして面白さに昇華する。やりがいのある仕事、と言えるのかもしれない。

 

 尤も、アクアはこの番組に対してどういうモチベーションをもって当たるべきか、どうにも決心はついていなかったのだが。

 

「アクアくん」

 

 そういうわけで、第二週目の収録となった現場の中、果たしてどう動いたものかとこの学校のセットの中庭で棒立ちしていたところを、一人の女の子が話しかけてきた。

 放映の中における「初対面」とは違う、本当に初対面となった控室での自己紹介を思い出す。

 

 高校一年生、アクアとは同級生となる、ファッションモデルの子だ。「鷲見ゆき」という、なかなか珍しい苗字の女の子である。

 しっかりと手入れされた黒髪を、緩やかにウェーブを描きつつ背中の中ほどまで伸ばしていて、その立ち姿にも隙はない。

 モデルらしく、そして鏑木経由のブッキングらしく整った顔立ちだが、それ以上に、「誰かに自分を見せる」ということに対する圧倒的な慣れというものを、アクアはこの少女から感じ取っていた。

 

「ああ、鷲見さん」

 

 小さく会釈する。常時うっすらと纏っている「星野アクア」の鎧を、分厚く着込んだ。

 

「やだなぁ、『ゆき』でいいって。前言ったでしょ? ここから少しの間だけど、一緒にここでやってくんだから」

 

 そう言って屈託なく笑う彼女は、果たしてどのような在り方を心に定めて、このショーに臨んでいるのだろうか。あるいは、ほかのキャストは。

 

 今期の「今ガチ」出演者である残りの四人のプロフィールを、頭に思い浮かべる。

 熊野ノブユキ、高校二年生、ダンサー。

 森本ケンゴ、高校三年生、バンドマン。パートはギターボーカル。

 MEMちょ、高校三年生、YouTuber。

 そして――黒川あかね、高校二年生、舞台役者。()()()()()()()()

 

「確かに、そうだね。じゃあしばらくは、『ゆきさん』で」

 

 そうだ。モチベーションという意味では、一つ明確なものが存在していた。それをアクアは思い出す。

 今回の現場は自分にとって、あくまで単なるバーター案件であるとしか思っていなかった。それでも、いたのだ。次なる手掛かりを握っているかもしれない存在が。

 

「……まぁ、それぐらいでいいかな。最初だから、ね」

 

 劇団ララライ所属の役者。黒川あかねと名乗った彼女と、どうにかして渡りをつける。

 それは、決して恋愛リアリティーショー的な意味での「カップル成立」を目指すものではない。無論流れ次第でそういう展開もあるやもしれないが、基本的にそのことは全く意識に入れていない。たとえ恋愛リアリティーショーがショーでしかなくとも、そんな打算に塗れた考えは、人と人との胸襟を開いた関わり合いの中には持ち込むべきではないとアクアは考えていた。

 ただこの現場が終わった後も、彼女と交流が可能な立ち位置は確保せねばならない。そのことは念頭において、立ち回る必要があるだろう。現場の中においても、そして外においても。

 

「ねぇ、アクアくん」

 

 目の前にいるゆきのことを差し置いて、そんなことばかり考えていたアクアの意識を、彼女の声が呼び戻す。

 視線が合う。その双眸が、笑うように細められた。

 

「君は、恋愛とかしたことあるの?」

 

 ――モーションをかけてきた。

 アクアは直感する。ただそれは、決して本当の意味での恋愛的なものではない。おそらくこちらから見えないところに、カメラがある。それを彼女は敏感に感じ取ったのだ。

 一歩近づいて、身を乗り出すように、上目遣いに覗き込む。よく自分の魅力を引き出す方法を理解している。

 ならばこちらも、同じように応戦するまでだ。

 

「僕が? 恋愛か……」

 

 十二年前の自分と、今の自分をオーバーラップさせる。あの時の自分が、あの時のマインドセットのまま、あの時の事件が起こることなく今まで生きていたら。

 

「こんな番組出てるのに、あれだけど。これまでずっと、勉強勉強でさ。演技の勉強、撮影の勉強、あとはまあ、普通の勉強も。あまり考えないように、してたのかもしれない」

 

 そしてそこに、キャラクター性を載せる。

 純朴で、直向で、そういうこと(惚れた腫れた)に対して意識をしたことすらない、受け身で線の細い美少年という、虚像を。

 

「あとは、あれかな。僕、妹がいて。あの子にとって誇れる兄でありたいって、ずっと思ってたから。……ごめんね、面白い話じゃなくて」

 

 更に、「妹思いの兄」という個性をも足す。

 これは一種の布石でもある。ただしどちらかと言えば、ルビーのためだ。

 ルビーがアイドルとしてデビューするときに、「兄が役者として先に芸能界にいる」という話題は相乗効果を生むだろう。そのための仕込みを、ついでにこの場を借りてやっておこうとアクアは考えていた。

 

「妹さんいるんだ? どんな子だろ、やっぱりアクアくんに似て美人さんなのかな?」

「今の僕とは、余り顔立ちは似てないかな。ちょっと前まではそっくりって言われてたけど。でも、身贔屓抜きにしても器量よしだよ。それに、明るい子だ」

「そっか。妹思いのお兄ちゃんなんだね」

 

 まさにこちらの狙い通りの言葉を吐いてくれたゆきに内心で感謝をしつつ、彼女から少し視線をずらす。

 まるで、ずっとゆきと視線を合わせ続けていたことに、照れているかのように。最低でも、外形的にはそう見えることを、アクアは意識した。

 

「……そっか」

 

 その視界の端で、もう一度ゆきが呟く。アクアの傍から一歩離れて、背筋を伸ばした。

 

「実は、私も。こんな仕事してるけど、恋愛とか今まで縁がなくて。他にもこの仕事受けた理由は色々あるけどさ、でもどうせなら、素敵な恋をしてみたい。それは、ほんと」

 

 背を向けて、三歩ほど歩いてから、振り返る。おそらく、アクアの背後にあるであろうカメラからは、陽光を背負って見える画角だ。

 まるで光を纏っているかの如くの構図を描き出して、ゆきは片目を瞑る。

 

「だからさ――仲良くしようね、アクアくん」

 

 その言葉に、アクアは目を見開く。自分に向けられた、初めての好意的感情の発露を、意識するように。

 果たしてそれに悪戯な笑みを浮かべたゆきは、そのまま歩き去っていった。

 

 そこからしばらくののち、カメラの気配が離れる。

 いい画が撮れた、といったところだろう。

 そう判断したアクアは、そこでようやく一息つく。纏った鎧を、少しだけ脱いだ。

 

「……なるほど、役者だな」

 

 そのままひとりごちる。

 ファッションモデルを名乗っている彼女ではあったが、随分と自分の見せ方を心得ている。

 自分と違う役になり切ることはできないのだろうが、自分を演出することにかけては、役者顔負けにも思えるほどに。

 だからアクアにとって今のやり取りは、蓋し即興劇(エチュード)のようだった。なるほど、これはやりがいがあるといえばあるのかもしれない。

 

 無論、目的のことは忘れていないが、演技への没入感のことを思って、アクアは少しだけこの現場に面白さを見出すようになっていた。

 

 

 

 

 

 光降り注ぐ中庭の中、金糸の髪の下に柔和な表情を浮かべている蒼眼の少年(アクア)が、しかしこの時だけは意表を突かれたように目を見開いて、去ってゆく少女の影を見ていた。

 誰かに恋をすることなど考えることもなく、ただ直向に自分の夢に打ち込んできた少年。しかし蠱惑的な雰囲気を纏った黒髪の少女(ゆき)から初めて向けられた思わせぶりなその態度が、彼の心に経験したことのない波紋を生み出した。

 それは彼にとって初めての恋となるのか、それとも――。

 

 そんなストーリーで締めくくられたその週の「今ガチ」を見て、アイはため息を吐く。

 横に座って同じ画面を眺めていたルビーが目を輝かせるようにして黒髪の少女――ゆり? ゆき? どっちでもいいか――の可愛さを言い立てている中で、しかしアイはどうしても、画面の中で『何か』を演じている自らの息子たるアクアのことを、考えずにはいられなかった。

 

「そっかぁ。そうなんだね」

 

 思わず漏らしてしまったその声に、ルビーが疑問の声を上げる。

 

「え? どしたの、ママ」

「いや、えっとね」

 

 そう口にして、アイは画面の中のアクアを、人差し指で撫でる。

 

「アクア、あの時に帰りたいんだなって」

 

 そう口にした瞬間、アイは自らの言葉に自ら納得した。抱えていた違和感が、するっと言葉になった。そんな風に思った。

 今、「今ガチ」の中でアクアが演じている「アクア」は、あの時のアクアだ。それは最初から分かっていて、しかしその演技があれほどまでに緻密に組み立てられるその理由が、アイにはどうしてもずっとわからなかった。

 十二年前の自分から、十二年後の自分を逆算する。自分を演出して、自分を見てほしくて、自分が誰かを愛せるように、ずっと(あい)を振りまいてきたアイでも、昔の自分の延長線上にいる自分をもう一度再構築して演じようなどということは、いくらなんでもできない。

 

 ――やだ、ウチの息子、やっぱり天才?

 そう、能天気に思えたならば、どれほどよかっただろう。

 いや、確かにアクアは天才と言ってよいのだと思う。しかしこれは、こればかりは、そういうことではない。

 そして今、やっとわかったのだ、その理由が。アイはそれを、直感的に理解してしまっていた。

 

「ずっと、夢に見ているんだろうなぁって。あの日のことがなくて、アクアもドームに来れて、ルビーが幼稚園行くのやめちゃうこともなくて……」

 

 なぜなら、自分も夢に見るのだから。あの日よりも前、四歳だったアクアとルビーと一緒の、何もかもが変わってしまう前の、あのひと時のことを。

 ママ、と掠れた声で呼びかけるルビーのことを、胸の中に(いざな)う。甘えんぼさんのルビーは、それに抗うこともなく、すんなりとアイの腕の中に収まってくれた。

 その頭を右の手で撫でながら、アイは天井を見上げた。

 

「寂しいよ、アクア。つらいなら、つらいって言ってくれたらいいのに」

 

 その呟きは、ルビーのほかには誰にも聞かれることなく虚空に消える。

 

 

 

 そして同時に、彼女は改めて自覚した。

 

 ――アクアが、息子がそうなってしまったことの原因は、紛れもなく私にある。

 ――だから私が、私こそが、その責任を必ず取らなければならないのだ、と。

 

 

 

 

 

 「今ガチ」のクランクインから、およそひと月ほどが経過した。

 この番組の収録は、主に土日に集中して行われる。コンセプトとしては「放課後に集まった高校生の男女の恋愛模様」であるが、メンバー全員が本当に高校生であることと、その時間帯には本業や部活動が入っているかもしれない関係で、学業を圧迫しないようにという配慮のもと、撮影スケジュールには細心の注意が払われていた。

 ただ、それは正直なところアクアにとっては痛し痒しでもある。

 アイドルユニットのプロジェクトを立ち上げたとはいえ、未だ特に仕事は割り当てられていないルビーはともかくとして、アクアたちの母であるアイは、原則的に平日に仕事がすし詰めとなっている。そういうわけでまともな家族の時間がとれるのは土日ぐらいなものなのだが、「今ガチ」の仕事が始まってからというもの、一か月の土日のうちの半分はこの撮影に塗りつぶされてしまっているのだ。間違いなくそれは、アクアにとって心苦しさを覚える状況であった。

 そして更に、そこに結構な頻度で演者たちの付き合いとしての食事会まで入る。まさにこの日、アクアたちの一行は収録終わりの交流会として、焼肉店にやってきていた。

 

 

 

「おらテメェら、思う存分食えやぁ!」

 

 景気よく肉の盛り合わせを頼みつつ、持ってけ泥棒とばかりに威勢のいい声を上げているのは、今ガチのメンバーとしては最年長に当たるYouTuberのMEMちょだ。

 今日の収録の終わり際、ノブユキが「今ガチ」効果でチャンネル登録者数も収益も増えているMEMちょのことを焚き付け倒して焼肉を奢らせようと仕向けたところにMEMちょ自身がノったことが、今回の焼肉食事会の発端である。

 つまり今日の分の費用は完全に彼女持ちだ。アクアとしては結局今週も家族での食事をすっぽかさざるを得なかったことにも、MEMちょに数万円単位の食事代を持たせることにもどこか複雑な気持ちを抱えていないではなかったが、メンバーとの交流を深められるということそれ自体はポジティブに捉えていた。

 

「まあ、ゆきさんの『ぶっこみ』の恩恵をMEMさんは思いっきり受けてるからな。MEMさんもゆきさんにお礼言った方がいいですよ」

 

 そういうわけで、この場を取り持つためにアクアは正面からMEMちょのことをイジりに行く。彼女自身、そういうある種の道化的立ち回りを望んでいるのだから、それに乗らない理由はない。

 

「確かになぁ。あの『今ガチやめます』騒動でネットニュースまで出て、あれから結構視聴者増えてるらしいじゃん」

 

 ノリのいいノブユキが、アクアのその言に便乗する。

 

 

 

 今日の収録の二週間ほど前、ゆきは教室に全員が集まったタイミングで、「今ガチを辞めたい」と零した。「クラスメイトに揶揄われてつらい」とか「自分の感情を曝け出して、それが画面の向こうの名前も知らない誰かに見られることが、ここまで怖いとは思わなかった」とか、色々と理由をつけて。

 その時その場所において、カメラは回っていた。そして契約上もよほどやむを得ない事情がない限り出演者都合の途中降板は許されていない。よってこれは分かりやすい演技というか演出だ。

 リアリティーショーには筋書きがない。盛り上げどころというか、ストーリーラインが明示されているわけではない。つまり番組当初の流れのままにだらだらとくっついた離れたの恋愛模様を見せられると、いつか視聴者は飽きてしまう。

 そういうわけで、視聴のためのフックは必要だ。クリフハンガーとも言えるだろう。そしてゆきはその役回りに名乗りを上げたのだ。

 

 それが彼女の仕掛けた「今ガチやめます」事件であり、それは案の定というか、功を奏した。

 当然彼女の言動はあくまで演出であるゆえに、ゆきは次の週、自らの「弱音」を撤回する。ついでにその時に一番ゆきのことを案じた――演技か本気かは知らないが――ノブユキのことを、この「今ガチ」という舞台の中央に引っ張りこんでみせた。

 斯くして彼女の一連の動きの結果、今期の「今ガチ」という番組の核に、俄かに鷲見ゆきと熊野ノブユキの恋愛模様が据えられようとしていた。

 

 彼女には演出の才能がある。胆力も。おそらく「伸びる」側の人間だろう。アクアはそう思った。

 

 

 

「ほらほらメっさん、『今ガチ』盛り上げの立役者様にサービスしてやんなって」

 

 更にそうMEMちょを煽り立てるノブユキに載せられる形で、MEMちょはゆきに向かってメニュー表を突きつけた。

 

「ぐぬぬ……ほらゆきちゃん! このメニュー表から好きなだけ頼んでいいから、もってけどろぼー!」

「わーい、ありがとうMEMちょ!」

 

 MEMちょの隣の席でそうやって無邪気に盛り上がっているゆきのことをちらりと眺めて、アクアはしかしすぐに視線を正面に戻した。

 そうだ。自らの正面には、このリアリティーショーの女性陣の中の、最後の一人が座っている。

 

「あ……アクアさん。これ、焼けているので、どうぞ」

 

 碧玉のような双眸に、光の具合で青にも緑にも見えるような、そんな奥深い色の艶めいた黒髪をボブに切り揃えた、落ち着いた声色の少女――黒川あかねだ。

 

「ありがとうございます。……でも黒川さんも、もう少し食べたらどうですか? さっきから見てて、全然食べてないみたいですし」

「いえ! いいんです、それは。私まだ精進の身ですし!」

 

 その性質は、どこまでも真面目である。「今ガチ」の収録中も、撮影スタッフやディレクターに向かって色々と聞き込みをしては手元のメモに頻りに何かを書き込んでいる姿が、アクアにとっては非常に印象的だった。

 

「その道十年の黒川さんが精進の身だったら、僕なんて丁稚未満でしょう。あんまり肩肘張ってもなって、思いますよ。ですから、ほら」

 

 アクアがそう言ってトングを貰い受けようとするも、あかねは頑として譲らない。

 

「いえ、お構いなく! それにアクアさんは撮影の方、すごい腕じゃないですか? しかも、ここでもしっかり演技されていて……」

 

 言いながら、次の肉を皿から掴んで七輪に並べていく。

 

 黒川あかねというこの少女の来歴は、いくらか調べていた。

 曰く、「劇団ララライの若きエース」。今から十年ほど前、六歳のころから芸能界に身を置く彼女は、子役時代こそそこまで活躍していたわけではなかったものの、最近(演劇)の世界においてかなりの躍進を見せている。

 緻密な役作りと丁寧な演技を持ち味としていて、関係者受けもいい。人柄も評価されている。はたから見る分には、欠点の見当たらない存在とも言えた。

 

 しかしこうやってある程度近い距離でこの少女を見ていると、その実情の部分がいくらか見えてくる。

 基本的にパーソナリティとしては内向的で、引っ込み思案。勤勉であり、関係者に積極的に聞き込みを行うだけの自主性はあるが、主体性にはやや欠けるところがある。おそらく生来のものとして、自己肯定感があまり高くないのだろう。しかし一方で、こうと決めたら譲らない一本気なところもある。まさに今、アクアがトングを握ろうとしたのを拒絶したように。

 アクア個人としてはその人柄に魅力は感じるし、どことなくシンパシーを覚える部分もあるが、ただ恋愛リアリティーショーという場に出るには、その性格ははっきりと損だ。なんというか、「この場にはあまり向いていなさそうだな」というのが、現状の黒川あかねという個人に対するアクアの評であった。

 

「そう言ってもらえるのは、ありがたいですけど。……けどまぁ、僕だってそんなに表に出られているかと言えば、そうでもないですし。ゆきさんとかノブさんとは違って」

「確かに、凄いですよねぇ、ゆきさん。私にはあんなことは……」

 

 アクアとしては、今回の番組においてそこまで前面に出るモチベーションがあるわけでもないが、ただ現状の今ガチの主導権をゆきが握っていることは事実である。そういうわけで、あかねに合わせるようにそんな日陰者トークを繰り広げていたところで、酒が入っているわけでもないのにこの場の空気に中てられすぎたか、あるいは気を良くしたのか、MEMちょが得意げに声を上げたのが耳に入った。

 

「だから、結局今の視聴者が求めてるものって、どうしても過激なものなのさ!」

 

 隣の話の流れで出てきたものだろう。聞き流している範囲においては、どちらかと言えば「今ガチ」云々の話というより、YouTuberとしてのコンテンツ論のようなものを語っているらしい。大方おだて上手なノブユキあたりが「人気YouTuberの秘訣、教えてくださいよ」とかなんとか言って絡みにいったのだろう。

 

「だから私たちもある程度体張るっていうか、リスクとリターン考えてやってかなきゃって言うか。そこはまあ、思い切りが必要なんだよねぇ」

 

 そんな風に講釈を打って気持ちよくなっていそうなMEMちょの横で、あかねがまたポケットからいつものメモを取り出して、盛んに書き込んでゆく。

 本当に、真面目なことだ。ただアクアとしては、今のあかねの在り方に少しだけ気掛かりもできていた。

 

「黒川さん」

 

 呼び止める。なんでしょう、とこちらを向いたあかねに向かって、アクアは真剣な語り口で説いた。

 

「『今ガチ』の話ですけど。まあ、確かに今の主導権はゆきさんが握っているのは確かです。黒川さん(板の上)の世界の言葉で言えば、ゆきさんはこの番組の中で『一個目のプロットポイント』を作り出したわけですし」

「『プロットポイント』……なるほど。わかります、なんとなく」

 

 あかねはこちらの言葉を復唱するようにして、またメモにペンを走らせる。

 

「おそらくはですけど、このままいけば、作劇上今期の今ガチのメインプロットはゆきさんを中心とした恋愛劇になるとは思います。ですけど、何もゆきさんの土俵の上で必ず勝負しないといけないわけでもないでしょう」

 

 自分としても大概演説を打っている自覚はあるが、結局それはこの黒川あかねという少女に対して、シンプルに伝えたいことがあるからだ。

 

「だから……なんというか。あまり、無理をするものでもないと思いますよ。特にリアリティーショーは、どうしても世評が自分自身とリンクしてしまうところがあるので」

 

 つまりアクアが言いたいことを一言にすれば、「あまり無理をしないほうがいい」というところに尽きる。

 今のあかねは、どうにも危なっかしい。これからここの現場以外にも彼女との関わり合いを持つつもりでいるアクアとしては、この番組のせいであかねに潰れてしまっては困るのだ。自分の言葉がどれほど彼女に届いているかは分からずとも、何かの折に思い出してもらえれば、それに越したことはないと考えていた。

 果たしてあかねは、忙しなく動かしていたペンを止めて、メモから顔を上げる。

 

「……ありがとうございます、アクアさん。なんというか……」

 

 一度言葉を濁して、しかしそこで、あかねは小さく笑んだ。

 

「優しい、ですね」

 

 その笑みに、アクアは一瞬思考を奪われる。今ガチの現場で顔を合わせてから、あかねのこういう穏やかな表情を見たのはアクアにとって初めてのことで、それがどうにも新鮮だった。

 ――こういう表情もするんだな、この子は。

 そんなことを、アクアはただ考えていた。

 

 

 

 その後、「今ガチ」メンバーによる焼肉食事会は恙なく終わり、しかしそこから帰宅したアクアは「自分たちを差し置いていいもの食って帰ってきた」ということでルビーにしこたま詰られることになるのだが――それはまあ、愛敬としたものだろう。

 色々と気掛かりなことはありつつも、「今ガチ」の撮影を交えた日常というものに、アクアはようやく慣れ始めていた。




原作においてはこの時期にルビーたちはぴえヨンとコラボ動画出したりしていましたが、本作ではデビュー計画自体がしっかり練られているためにそういうことはしていません。
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