天には星を、人には愛を   作:厳冬蜜柑

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2-13. ただ、そこに立つ理由を

 新生B小町の結成からJIF出演までは、三週間というスケジュールになっている。

 三週間とは、長いようで短い。というより、芸能の世界に身を置く人間からすると、大変に短い。学業のある高校生からすればなおのことだ。

 

 アクアは当然、その問題への対策を考えてはいた。つまりかなに対して事前に情報をリークしたのはそれが理由の一つとなっている。

 

 アクアがかなを誘って二人で出かけたのは、今ガチの最終回放映の二週間ほど前のことである。すなわち、JIFの開催日からだと一か月以上は前のことだ。

 そこから、かなはルビーと一緒に体力強化を始めている。ルビーに関しては、歌唱力の向上もである。

 もっとも、歌唱力に関しては根本的に一朝一夕ではどうにもならないものではあるのだが、それでもソルフェージュをはじめとして音感の強化には積極的に取り組んでくれているようだ。というより、かなはルビーの歌の「御覧の在り様」とも言うべき惨状に大変に危機感を持っているらしい。

 

 ――アンタの妹、なんなの? 顔の良さに胡坐かいて人生ナメ腐ってたのあれ? あれでアイドルやるつもりって何考えてるのよマジで。

 

 かながルビーに対する歌唱指導を初めてすぐのあたりに、アクアにぶつけた愚痴の内容がこれだ。

 本当に、彼女はルビーに対しては口が悪い。とは言え何かと煽っては煽られを繰り返しているあの二人にとってはその程度の悪口は軽口の範疇なのかもしれない。

 ただ、あれでもマシにはなっている方なのだ。一番最初など、あの基本的に自分の子供のことは全肯定するアイですらも絶句したほどだったのだから。

 いずれにせよ、アクアとしてはかなに対して心苦しくも拝み倒すよりほかにはなかった。「すまん、君だけが頼りなんだ」と。

 

 そして、そう言われると俄然やる気を出してくれるのが、この有馬かなと言う少女のわかりやすい点であり、しかし好ましい点でもある。彼女はここひと月ほど継続して、ルビーに対する音感育成の特訓を続けてくれていた。

 当然にと言うべきか、かなはその「事前トレーニング」の期間においても結構な危機感を募らせながらルビーの尻を叩いていたらしい。もっともルビーの方は、いよいよもって始まった「アイドルとしてのトレーニング」にひいひい言いながらも期待の高まりを感じて楽しんでいるばかりであったようだが。

 

 

 

 事程左様に、ルビーとかなの二人に関しては、新生B小町結成のタイミングからの多少の下積みは済んだ状態で、JIF前の本格的なトレーニングに入っていた。

 そこまではいい。しかしもう一人のメンバーであるところのMEMちょに関しては、当然ながらそういう準備期間などなかった。勧誘した翌日には新生B小町が結成されて、そのまま三週間後には本番である。

 つまり三人の中で最も遅れを取っているのは他でもなく彼女であり、故に彼女はその遅れを取り戻す必要があった。

 

 そして幸い、MEMちょはそれができる立場の人間であった。

 どういうことか。つまり、彼女は現役JKを名乗っているが、実際はそうではない、ということである。

 

 

 

「アクたん助けて……これ、死ぬ……死んじゃう……」

 

 夏休み前の最後の一週、アクアは放課後には毎日すぐさま苺プロへと立ち寄って、練習スタジオに足を運んでいた。

 理由は、当然一つである。

 

「ほらほらMEMちょ、そんなんでへばってちゃキラキラアイドルになんてなれないぞっ」

「い、いや、その……()()()()、もう少し、休ませてもらっても……」

「ダーメっ」

 

 スタジオの扉を開けるなり泣き言をアクアにぶつけてきたMEMちょの背後から、耳なじみのある声が彼女に対して無常なる宣告を下す。

 

「あ、アクアくん! おかえり……いらっしゃい? まいいや、おかえりー」

「はい。お邪魔してます、アイさん」

 

 つまるところここ数日にわたって、ルビーとかなが二週間ほど続けてきた体力錬成に追いつくべく、MEMちょには促成の持久力向上プログラムが課されていた。

 B小町のダンスをはじめとして、カーディオワークアウトとして使えそうなプログラムをひたすらに叩き込む、そういうトレーニングである。これをルビーたちの終業式の日まで続けて、そこからはB小町全体としてのJIFに向けての特訓に入るというのが、とりあえずの計画だ。

 そしてその教官役を務めているのがほかでもないアイであり、故にアクアは連日にわたって、彼女がMEMちょを指導する様子を確認しに来ていたのである。

 

 

 

「MEMのこと、どうです?」

「うーん……結構頑張ってはくれてるんだけど、七割ぐらいのとこでばてちゃう感じ? ほら、今みたいに」

 

 アクアの問いにそう答えつつ、アイはグロッキー状態で床に倒れ伏しているMEMちょの様子を眺めている。

 

 MEMちょ強化計画の最初の日、インストラクター役としてアイが自分の面倒を見てくれることを知ったMEMちょはまさに狂喜乱舞と言った振る舞いで、間近で見るアイに完全に「限界オタク」と化していたのだが、そんな悠長なことをしていられたのは最初の三十分ほどであった。

 そこから始まる地獄の特訓のなかで、MEMちょはアイの完璧主義な一面をまざまざと見せつけられることになる。結果、トレーニングが始まってから数日がたった今日この日、MEMちょのアイを見る目線は、未だ「推し」へ向ける憧憬と羨望の色はありつつも、少なくない割合で恐怖のそれをも帯びるようにもなっていた。

 しかも彼女の場合、持久力向上プログラムを乗り切った数時間後には、学校から戻ってきたルビーとかなとの三人で、JIFに向けた諸々の練習まで入るのだ。確かに相当な負荷はかかっているだろう。

 

「アクたんも、同じこと、やってみれば、いいんだよ」

 

 そういうわけで、新生B小町の中で自分だけ明らかな高負荷のトレーニングを課されているMEMちょからそういう恨み節が出てくるのは、ある意味致し方のないことなのかもしれない。

 ただ、アクアとしてはその求めには応じられない理由があった。

 

「うーん……それは、ちょっとできないな、申し訳ないけど。俺、実はそんなに体力ないんだ」

 

 そうやって躱すアクアに、半分ほど本気の恨みが籠った視線がぶつけられる。

 

 ただ、これば嘘ではない。後遺症という意味においては、運動機能に障害が残ることはなかったアクアだが、結局四歳の時に起きたあの事件は、アクアから人並みの男子高校生としての運動能力を奪ってしまっていた。

 演技の訓練の一環として、身体感覚を鍛える指導はかなり入念に受けているアクアだが、それでも基本的には運動神経はあまりよくない。持久力もあまりないし、筋力も十分とは言い難かった。

 当然にして、アイはその事情をよく知っている。故にアクアの言葉を聞いて、MEMちょの後ろで一瞬だけ顔を曇らせていたのだが、それは誰にも気づかれることなく、そしてアイはすぐにいつもの表情に戻った。

 

「そーそー、今はMEMちょの特訓だからね! あ、アクアくんもやってみたくなったら全然参加していいからね!」

「……考えておきます」

 

 あ、それ絶対やらないやつだ。

 そう誰もが思う答えを返して、アクアはスタジオから去る。

 とりあえず現況の把握とアイの様子の確認さえできれば、アクアにこの場にいる理由はあまりなかったからだ。

 

 餅は餅屋と言うか、アイドルとしてのトレーニングに関してはアイに任せておくに越したことはない。

 夏休みに入ってからは、JIFに向けての特訓のこともあってちょくちょく顔を見せるつもりではあったが、今週に関してばかりは、どうしてもそれより優先すべきものがあった。

 

 すなわち、それは『父親捜し』に関するあれこれである。

 

 

 

 

 

 次の日の夕方、アクアの姿はとある寿司屋にあった。

 つまるところそれは、鏑木から持ち掛けられていた『報酬』の――すなわちアイの情報の受け渡しの場と言うことに他ならない。

 

「話をする前に、一つ聞かせて欲しいことがある」

 

 寿司が握られる前の、つまみとしての刺身や焼き物が一通り提供されたあたりを見計らって、鏑木が湯呑で口を湿らせてから、そう切り出した。

 

「君がこれからしようと思っているのは、他人の隠しておきたい秘密を勝手に覗くようなことだ。ともすればそれは、君の先輩であるところのアイくんへの裏切りにもなるだろう。本来なら、恥ずべきことだよ」

「……わかっています」

 

 突きつけられたのは忠告だった。しかしそれは、アクアとしても初めからわかっていることだ。

 

「どうして、そこまで知りたがる? アイくんの昔のこと」

 

 問われたそれに、目を瞑る。

 いくらでも嘘はつける。「ファンだから」。「憧れの存在だから」。「あの人のようになりたいから、あの人の過去も知りたいのだ」。

 しかしその答えのどれも、今の鏑木には見透かされそうな気がした。

 

「……知っておく必要があるんです、どうしても。個人的な興味もありはしますが、それ以上に」

 

 ならば、そう答えるよりほかにない。まさか正直に全てを話すわけにもいくまいが、そういう形で自分の意思を端的に示すことが、鏑木に対する誠意でもあるとアクアは考えた。

 

「理由を、聞かせてもらってもいいかな」

「言わなければいけませんか」

 

 鏑木の更問いには被せるように口にして、彼の目を覗き込む。

 それに、答えは来ない。

 

「お約束します。今日貰った情報に関しては、絶対にアイに害が及ぶような使い方はしません。何に誓ってもいい」

 

 アクアは、鏑木から目を逸らさない。鏑木もまた、アクアの方を静かな目線で見据えていた。

 沈黙の時が過ぎて、しばらくして鏑木のほうから、ふと息を吐く音が漏れた。

 

「……いいよ。わかった」

 

 どうやら、折れてくれたらしい。視線を逸らし、前へ向けて、改めて彼は話を始めた。

 

 

 

「僕が世話をし始めた頃のアイくんは、今とは全く違う子だったんだよ」

 

 思い出に浸るような口調で、彼はその頃のことを語る。

 

「素材と言う意味では、その頃から一級品だった。けど、それだけだったとも言う。なにせ、自分を着飾るなんてことは考えたこともないし、そもそも仕事にだってどれだけ乗り気かわからない。いや、やる気なんてなかったんだろうね」

 

 アイがアイドルとしてこの世界にやってきたのは、小学生の頃のことだ。しかも、おそらくは小学五年生か、それより前にすらも遡る。

 そして、もしそこからあまり時を置かずに鏑木との面識ができたというのであれば、彼女の元来のパーソナリティから考えればむしろ自然な振る舞いとすら言えるかもしれない。そうアクアは思う。

 

「表情を作るのは自分が出番の時だけ。それが終わったらすぐに携帯を弄って、仕事相手にはまともに挨拶もしない。まあ、当たり前だけど関係者ウケは悪かったよ」

 

 鏑木から語られるアイの過去は、確かに今から見れば想像もできない。ただ、アクアは彼女の本質がそうである可能性を、ある意味では最初から認識してはいた。

 アイが、その人格形成の過程を原因として愛着障害を抱えている可能性があるというのは、アクアが吾郎として最初にアイと接した時から考えていたことだ。故に今の鏑木の言は、その推測を裏付けるものとして機能した。

 

「驚かないんだね」

「ええ。……まあ、アイがプライベートでの交友関係に問題を抱えているのは、知っていたので」

「なるほど? まあ、いい」

 

 答えた鏑木が、もう一度自らの湯呑を一呷りして、続きを話す。

 

「もったいない。そう思った。あれだけの素材が、そういうつまらないことで鳴かず飛ばずになってしまうのは、業界としても損失だ。僕にだって惜しかった。だから僕は、彼女に一つ、手助けをすることにした。それが、劇団ララライだ」

 

 アクアが小さく目を瞠る。アイが劇団ララライのワークショップに参加していたことそのものはアクアとしては認識していたが、それが鏑木の斡旋によるものであるとは知らなかったのだ。そのことを、アイは話さなかった。

 

「実は僕が学生時代に入ってたところでね。まあ、あの頃はそこまで大きい劇団じゃなかったんだけど、そこがワークショップやるっていうんで、アイくんに紹介したんだよ。『演技』ってのは、身体で語るものだから。それと、そういう刺激があれば、何か得るものもあるんじゃないか、とも思ってね」

 

 けど、と言葉が繋がれる。

 

「僕が思っていたのとは全く違う方向で、彼女は変わった。それまで服を着てさえいればいいみたいな、そのあたりで見繕ってきたような安物の服しかまともに着て来なかったようなアイくんが、途端に自分の身だしなみを気にするようになった。……色気づいたんだよ、あれは」

 

 鏑木は、口に笑みさえ浮かべる。

 

「あったんだろうね、そういう『出会い』が。ララライで」

 

 流石に相手が誰かまでは、僕も聞いてはいないけど。そう、鏑木は締めくくる。

 

 

 

 正直に言えば、鏑木の今言ったことに関して、アクアにとって目新しい情報はほとんど何もなかった。

 ララライのワークショップにアイを紹介したのが鏑木であるということと、アイが出会い、そしておそらくは身体を重ねた相手がララライに関係する人物であるという強力な傍証を得られたことぐらいだろう。

 

「……その顔じゃ、僕の話はあまりお気に召さなかったようだね。知っていた、というところかな?」

 

 果たしてそんなことを考えていたアクアの表情を見抜いたか、鏑木がそう訊ねてくる。

 

「アイが劇団ララライのワークショップに参加していた時期があるということは、知っていました。そこで、おそらくそういう類の出会いがあったのだろうというところも、推測ではありましたが。ですから鏑木さんの今のお話は、それはそれで僕にとっては貴重ではありましたよ。自分の推理に、ある程度の裏付けがついたわけですので」

「そうか。……ただ、もしそうだというなら、報酬としてはやっぱり少し足りないかな」

 

 鏑木が笑う。

 

「芸能界っていうのは、貸し借りがものを言う世界だ。働きに見合った対価は支払わなければいけない。まして、君みたいな有望株にはね。……多少の貸しを作っておくぐらいが、丁度いい」

「それは、また随分な評価を」

「いや、これでも僕は公正な評価をしているつもりだよ。『今ガチ』での君の働きは、僕にとってはそれほどのものだったということさ」

 

 ――だから。

 そう前置いて、鏑木は徐に自らのスマートフォンを取り出した。

 

「アクアくん。君を、ララライの主宰に顔繫ぎする機会を作ろうと思う」

 

 言いながらも端末を操作して、彼はその上に一つのファイルを表示する。

 

「当然、ただ会って話をするだけじゃないよ? これは『仕事』の話だ」

 

 スマートフォンの画面が、アクアへと示される。

 そこに映し出されていたのは、企画書であった。

 

「まだ企画段階ではあるんだけど、僕の知り合いが大きな案件を動かそうとしていてね。舞台の仕事だ」

 

 書かれている文字を、アクアは読む。

 「(仮題)舞台・東京ブレイド 渋谷抗争編」。大書されたその文字に、思考が少しだけ止まった。

 

「この案件、演出と一部のキャストはもう内定している。……あとは、もう分かるね」

 

 口の端を歪めるように笑って、鏑木がそう問いかけてくる。

 

 これでどういうことか理解できないほど、アクアの察しは悪くない。

 つまりこの企画、中核となるのは劇団ララライであって、当然にキャストもそこからかなりの部分が参加する。そして演出として全体の統括を行うのは――

 

「『金田一敏郎』。僕はずっと『金ちゃん』って呼んでるけど、この現場の元締めは、おそらく彼になるだろう。――どうかな? やってみるかい?」

 

 向けられた彼の目線は、挑みかかるようなそれだ。

 劇団ララライが中核となる舞台。「東京ブレイド」という漫画原作の舞台化ということは、所謂「2.5次元舞台」というものになるだろうか。

 ただアクアにとって重要なのはそこではない。

 

 主宰である金田一敏郎だけでなく、劇団ララライ全体がこの舞台に大きく関わるというのであれば、それはアクアとしてはかの劇団のことについて調べるこの上ない機会だ。

 アイが十四歳のころ、すなわち十八年前のことについて、色々とそれとなく訊ねるタイミングもあるだろう。

 

 そして、これはほぼ間違いなく道徳的に多分に問題のある行いではあるが――ララライ側の共演者たちの毛髪の類を回収して、私的DNA検査にかけるということも、できはする。

 いや、そうも言っていられないのだろう。せっかくアイの過去の核心に近づいているのだ、それぐらいのことはしなければならないのかもしれない。そういう本気度のようなものが、踏ん切りとも言うべきものが、必要なのかもしれない。

 

 いずれにせよ、アクアにこの案件を断る理由はない。「東京ブレイド」というバトル漫画の舞台化である以上、アクションシーンは多くなるであろうから、体力に劣る自分としてそこをどう上手く立ち回るかというのは考えなければならないことだろうが。

 故に、アクアがこの場で言うべき言葉は決まっていた。

 

「ありがとうございます。とりあえずプロダクションに持ち帰ることにはさせていただきますが、基本的には受ける方向でお願いさせていただければ」

「わかった。じゃあ、そういう方向で先方には返事しとくから」

 

 

 

 斯くてアクアは今一度、鏑木という男の手によって次なるステージへと導かれていくことになる。

 それは奇しくも、自らの母である星野アイが辿った芸能界における軌跡と、奇妙なまでに符合するものであった。

 

 

 

 

 

 

 

 アクアが、自身の未来展望について着実に歩みを進める傍らで、新生B小町のJIFに向けての準備もまた、一つ一つ進んでいる。

 

 ルビーとかな、本当の意味での現役高校生二人が夏休み期間に入ったことで、練習の密度は一気に上がった。

 本番までの期間は、残り二週間ほどしかない。よって基本的には、彼女たちに時間的余裕など存在しない。何せ、新生B小町のお披露目の場はJIFの準メイン格の会場なのだ。そこで見せるパフォーマンスが他のアイドルに見劣りしていれば、彼女たちのスタートダッシュにも大きな失点だし、「B小町」という名前にすら傷がつきかねない。

 妥協など許されないのだ。流石に先代の、アイの時代のB小町の全盛期に匹敵するパフォーマンスをすぐさまに求められることはあり得ないにせよ、最低でも彼女たちには、アイが十七歳の頃の――具体的に言えば、「サイリウムベイビーズ」事件のあと、オリコン週間ランキングで三位を獲得した頃のB小町ぐらいには完成度の高いライブを要求されている。

 

 幸い、アイと言う突出した存在を抜きにすれば、新生B小町の個々のキャラクターの存在感や『格』に関しては、先代のB小町を確実に上回っている。

 よって差し当たって必要なのは、JIFにおける新生B小町の出番の間、観衆に対してある種の『はったり』を利かせられるだけの一時的なパフォーマンスである、と言うこともできた。むしろ、二週間という少ない期間において付け焼刃で身に着けられるものなぞに、それ以上を期待するのは些か酷というものであろう。

 

 

 

 斯くしてJIFまでの二週間、新生B小町のメンバーたる三人の少女――正確には二人の少女と一人の女性、ではあるが――は、ライブパフォーマンス向上のための集中的な特訓を積むことになった。

 朝起きてから夜寝るまで、ひたすらにライブに向けての練習と、体力増強のトレーニングである。必然的に家との行き帰りがもったいないということで、彼女たちはその全員が苺プロダクションの事務所にともに寝泊まりする形になっていた。さながらそれは、合宿である。

 

 正直なところ、身体への負荷という意味ではかなりハードであることは間違いない。弱音が出てきたとしても、なにもおかしくはない。

 ただ、そんな身体的な厳しさを覆し得るのが、精神的な作用――すなわちモチベーションの存在だ。

 

 そして新生B小町の面々のうち二人に関しては、精神が肉体を凌駕するほどの高いモチベーションを保持していた。いうまでもなく、ルビーとMEMちょである。

 

 幼少の砌よりアイドルになることを夢に見続けた少女と、昔から憧れて、しかし一度手放さざるを得なかった「アイドルになる」夢を、ようやくにして自らのものにしようとしている女性だ。眼前に広がる展望に、JIFのステージに立つという、アイドルとしては一つのメルクマールとも言えるほど貴重な舞台に、その初陣から臨めるという事実が、モチベーションにならないはずがない。

 

 そしてそんな彼女たちを指導するのは、他でもないアイである。

 壱護社長の言うところの「アイによるプロデュース」との売り文句は、決して嘘ではない。嘘にはしない。アイの直接の指導によって、「アイが培ってきたアイドルとしてのパフォーマンスを継承したアイドル」という唯一無二と言ってもよい武器を、彼女たちは手に入れる。それがどれだけの効果を生むか、壱護社長は誰よりもそれを認識しているのだから。

 

 自分たちの前に、自分たちの永遠の憧れとも言えるアイドルのアイが、手ずからアイドルとしてのパフォーマンスを指導してくれる。その経験は、その事実は、アイドルに憧れ、アイドルに夢を見てきた少女にとってみれば、それ自体が夢と言ってもよいほどには、渇望してやまないものだろう。

 ならばそれがいかに苦しいものであろうが、食らいついていかんとする姿勢は、きっとどちらも崩さないだろう。故にアクアは、ルビーとMEMちょの二人のことに関しては、正直なところあまり心配してはいなかった。

 

 

 

 だからアクアが問題視していたのは、その二人以外のもう一人に他ならなかった。

 

 

 

 その「もう一人」――すなわち有馬かなとアクアとの関係は、最近少し疎遠気味であった。具体的に言えば、今ガチの最終回が放映されて以降のことだ。

 かなから邪険にされているわけではない。アクアとて彼女にそういう態度を取っているつもりもない。ただ、どちらもお互いに、少しだけ話しづらい。

 そうなれば、同じ事務所の所属として必要なコミュニケーションを除けば、あまり言葉を交わすこともなくなる。そうでなくても、かなはJIFのための準備に忙しく、そしてアクアはアクアの方で、鏑木との話から進展していた「東京ブレイド」の舞台に関する出演の契約周りの整理に追われていたし、それ以外にも今ガチ関連で、番組としての事後取材や「カップル成立」記念という体のあかねとのインタビューと、正直なところそこまで暇ではなかったのだ。没交渉になってしまうのは、ある程度致し方のないことでもあった。

 

 しかし、もはやそうも言ってはいられない。JIFまで一週間となった七月末の週末、一週前のリハとして一連のB小町のパフォーマンスを見たときに、アクアははっきりとその中でかなが「立ち遅れている」ことに気がついた。

 

 確かに、歌は三人の中で最も上手だ。ダンスもそつがない。普段から役者として体力はつけているということか、ダンスパフォーマンスが時間に伴って悪くなっていくことも、当然にない。

 矛盾するようではあるが、純粋に客観的なパフォーマンスのみを評価するならば、その場においてはかながもっとも優れていた。このままのクオリティを保てば、JIFの本番であってもそのまま通用するほどには、そうであった。

 

 が、それだけである。それだけでしかなかった。

 

 言われたことを、言われた通りの身体の動きでこなす。拍子打ち、振りの入れ、笑顔、発声、その全てを指示の通りに淡々とパスしていく。なるほど、彼女は役者として一級品の能力を持っているのだ、これぐらいのことは造作もないであろう。しかしそこに、アクアは何も感じなかった。感じることができなかった。そういう意味では、かなは三人の並びの中で、最もアイドルとしての魅力に欠けていた。

 

 アイドルのパフォーマンスに求められるのは、クオリティだけではない。

 当然、クオリティ自体も大事には決まっているが、それと同等に、いや、ともすればそれよりも重視されるのが、観衆の心に訴えかけるような、ファンの心理を共鳴させるような、そんなある種の説得力のようなものだ。

 自らのパフォーマンスを通して、主張すべき何かを観衆に、ファンに伝える。その要素のないアイドルは、言ってしまえば「見た目だけが取り柄の中途半端なパフォーマー」でしかない。そして今のかなは、そういう状態に堕してしまっていた。

 

 早い話、かなはJIFまで一週間ほどと時が迫る今、その舞台に対するモチベーションというものを、おそらくは失いかけていたのである。

 

 

 

 一週前リハが終わった後の夜のこと、アクアはかなを事務所の中の空きスタジオに呼び出していた。

 ここ最近、なんとなく話しづらい空気が二人の間にあることは確かでも、話をしないことには事態の打開はできない。

 アイに頼もうかと一瞬考えて、しかしそれはこの有馬かなという少女に期待するほどの効果をもたらすことはできないだろうと考え直し、そして最終的に、「自分がかなを誘ったならば、責任は自分で負うべきだろう」と結論付けて、アクアは今の行動に出ていた。

 

「……で? 来てやったわよ」

 

 閉め切られた防音性のスタジオの中、それぞれにパイプ椅子に座る。正面から向かい合う気にはお互いになれず、斜に構えるような椅子の並びに座った状態で、かながそう口を開いた。

 

「ああ、うん。……その、だな」

 

 どう切り出そうか。思いつつも口ごもったアクアに、しかしかなが先んじた。

 

「分かるわよ、あなたの用件。私のさっきのリハ、『気持ちが入ってなかった』って言いたいんでしょう」

「……かなわないな」

 

 なるほど、流石はプロと言うことだ。自己分析に関しては抜かりがないということらしい。

 

「君を誘ったのは俺だ。だから俺は君のパフォーマンスに関しては、コミットメントを求められている、と思っている」

 

 我ながら、なんとも迂遠な言い方だ。アクアは自分に呆れる。

 故に言い直す。どうしても遠慮がちになってしまう今の己の根性のなさをなんとか押し込めて、どうにか一言だけ、言葉にした。

 

「だから、何て言うか……相談には、乗れないか?」

 

 かなは、しばらく何も答えない。沈黙が、場を支配している。

 いきなり言っても、当惑するだけだろうか。何とも居心地の悪さが先行して、居た堪れなさすら感じ始めていたアクアに、しかしようやく、かなから言葉が戻った。

 

「……余計なお世話、って言おうと思ったけど」

 

 アクアはかなに目を向ける。しかし彼女の方はアクアから視線を外していて、スタジオのドアのガラスから外を眺めていた。

 そこにはルビーがいる。隣にいるMEMちょと、何か話しているらしい。

 

「そうね。私が足を引っ張るなんて、許せないものね」

 

 そちらを眺めたまま、呟く。そして、アクアの方へと向き直った。

 

「大体、あなたが思っている通りだと思うわ。……正直な話ね、私、アイドルやれる気しないのよ」

 

 口の端が吊り上がる。乾いた笑みだった。

 

「前、カラオケ行ったときに、見たでしょあなた。あの『歌手売りしようとしたときの有馬かなの残骸』」

 

 分かりやすい自虐の響きで、かなは自らの過去を抉る。

 

「なまじ『ピーマン体操』が売れたもんだから、『有馬かなは歌で売れる』って勘違いしたおじさんたちが全員で私に金ツッコんで、けどやっぱり売れないもんだからドンドンドツボに嵌まって手を変え品を変えて歌出し続けて……結果があれよ」

 

 アクアは何も言えない。カラオケのときには「やめろ今すぐ消せ」とギャーギャー叫びながら頭をバシバシと引っぱたかれた程度の冗談めかしたやり取りだったが、確かにそんな彼女の「失敗の軌跡」を敢えて言葉にするならば、そういうものにしかなり得ないのだろうから。

 

「つまりあれが、今の私。終わってしまった、今の『有馬かな』のパフォーマンスで、市場価値なのよ。結局はね」

 

 瞳が閉じられた。自嘲の声色を強くして、かなは自らを断ずる。椅子の上で軽く伸びをしてから、彼女は流し目に再びアクアを見た。

 

「だから私にアイドルは向いてない。隣であんなに目をキラキラさせてるドルオタ二人見せられたら、嫌でも自覚させられる。……何とかしなきゃとは、思うけどね」

 

 そう語る彼女の声に滲み出るのは、はっきりとした諦観の情だった。

 

 図らずも、アクアは想起する。半年以上前、再会したかなと一緒に臨んだ「今日あま」の現場の中で、彼女がアクアに言ったことを。その言葉の裏にあった、彼女自身の意思を。

 もう一度羽ばたきたい。とうの昔に失くしてしまった光でも、そこにある限り手を伸ばし続けたいのだと、あの時の彼女は声もなく、しかし確かに主張していた。

 

 そこにあったのは、紛うことなき夢だった。願いだったのだ。だからアクアは彼女のことを、ここに引き入れた。それが彼女の夢を叶える一歩になると、信じていたから。

 しかし今の彼女からは、その時に見えていたはずの輝きが、褪せてしまっている。

 きっとそれは、彼女自身の中に燻っている、諦念と言う名の靄のせいだ。彼女に向けて、抗えない現実をひたすらに教え込み続けた、十年近い歳月のせいだ。

 

 そんな在り方を、アクアは認めるわけにはいかなかった。

 

 

 

「あの時、君をここに誘ったとき、言ったこと、憶えてるか」

 

 ぽつりと切り出す。空中に放り出されていたかなの視線が、アクアの方へと向けられた。

 

「『一緒に夢を見よう』。俺は今だって、そう思ってる」

「夢……」

 

 目が伏せられる。返ってくる声も、どこか力ない。

 

「かな。君がなりたい『女優』の姿って、なんなんだ」

 

 しかしそこに続けて浴びせたアクアの言葉に、彼女の肩がピクリと跳ねた。

 

「君の最終的な目的が『女優として芸能界の中心に返り咲くことだ』ってことぐらい、流石にわかる。けど、その時君はどういう女優になっていたいんだ。どういう演技が、したいんだ」

 

 アクアは直感していた。きっとそこにこそ、彼女の本当に目指すべき答えがある。アクアが彼女のことを、アイドルとして引き込もうとした理由も、また等しく。

 

 沈黙が続く。アクアの問いに、かなは答えを返さない。答えられないか、答えたくないか、あるいは――その資格などないと、思ってしまっているか。

 

「……アイドルっていうのは、見られる商売だ」

 

 押し黙ったままのかなに、故にアクアは更に言葉を重ねた。

 

「『私を見て』、『私だけを見て』、『私を推して』。そうやってどこまでもわがままに、欲張りに振る舞う。『私は可愛いんだ』って、全力で主張する。幻想であっても、信じてくれるファンが一人でもいれば、それはそのファンの中では真実だ」

「……分かってるわよ、そんなこと」

「そうだな。確かに、そうかもしれない」

 

 かなからの反駁を、アクアは認める。確かにそれは、見習いとはいえどもアイドルに対して言うべきことではないのだろう。そういう「アイドルの心構え」のようなものは、それこそアイがきっと、確実に彼女たちに教えているのであろうから。

 しかし、アクアの言いたいことは、かなに対して言うべきことは、その先にこそある。

 

「けどな。君には、それができるポテンシャルがあるんだよ、絶対に。だって子どものころ、君はそうやってただろ。子役として」

 

 そう言った瞬間、かなの顔が上がる。

 しかしそこに見えるのは、希望でも喜びでもない。

 

「馬鹿にしないで。そんなものがあるなら、私はここまで落ちぶれてない」

 

 怒りだった。光を失ったような空虚な瞳で、かなはアクアに向かって憤りを露わにしていた。

 

「分かったような口利いて、私に無駄な夢を見せようとしないで。そんなものが今の私にないのは、私が一番よく分かってる」

「いいや分かってない」

 

 しかしそこは、アクアとしても引き下がれないところだった。覆いかぶせるように、強く反発した。

 

「君が今、『自分にそういうポテンシャルがない』と思っているのなら、それは自分自身でそれを押さえつけているからだ。それこそ君自身、分かってるだろ」

 

 かなが押し黙る。当然だ、そのことを彼女自身が理解していないはずがない。

 「今日あま」の現場を通して、アクアは痛感した。そうやって自分自身を押し殺し、作品の質に寄り添う姿勢を第一にすることで、かなはこの世界にある種「しがみついてきた」のだと。

 それは、確かに役者として、あるいは芸能に携わる者として、大事な心構えではある。しかし同時に、その道の先にはきっと、かなの目指すべき夢の形はない。

 

 故にアクアはかなに対して、問いかけた。

 

「なあ。そろそろ、いいんじゃないか。『傍若無人に振る舞え』とは言わないけど、『私はここにいる』って主張することぐらい、してもいいんじゃないか」

「何、言って」

「俺もそうだけど、ルビーも。『有馬かな』にそういう可能性を感じていなければ、勧誘なんてしてない」

 

 当たり前のことだ。我ながら入れ込み過ぎている自覚と言うものはあるが、ルビーのアイドルとしての門出に際して、脇を固める仲間たちの選別に、妥協など許されない。

 それは本心だ、嘘などではない。そして同時に、かなの夢を、その願いを叶えるための、力になりたいと思っていることだって。

 

「『一緒に夢を見よう』って言ったのも、それだ。アイドルやることで、君が何かきっかけを掴めたら、それは君の夢を取り戻す助けになると思った。だから、俺は――」

「けど、あんたには黒川あかねがいるじゃない」

 

 だからアクアはそれを言い募ろうと言葉を重ねて――しかしそこに、かなの反駁が突き刺さった。

 

 言葉が、止まった。

 

 

 

「アクア、あなたどうせ同じようなこと言って黒川あかねのことも助けたんでしょう? ええ、もちろん悪いことじゃないと思うわ。あの子を助けられたのは、あなたしかいなかった」

 

 澱んだ目線が、アクアを睨む。

 

「でも結局、あなたはそうやって、誰でも助けてきたんでしょう。お優しいものね、あなたは」

 

 ――私と違って。

 向けられた柘榴の瞳に渦巻くのは、羨望か、嫉妬心か。あるいはそれとも、自己嫌悪なのだろうか。

 

 

 

 彼女の言葉にはきっと、幾つもの意味が折り合わさっている。アクアはそのことをひしひしと感じ取っていた。

 どうしてこの場で、わざわざあかねのことまで引き合いに出したのか。「誰でも助けてきたんじゃないのか」と、そう指弾してみせたのか。それもまた、察することができてしまっていた。

 

 有馬かなと言う少女は、現状一人暮らしであるらしい。これは彼女自身から聞いたこと故に確実だ。

 上京してきたわけでもないのに、都内で一人暮らしをする高校生だ。いや、彼女は正確には中学生の頃から一人で暮らしているという。

 

 自分の意思だろうか。いや、そんなわけはない。

 だから彼女は、ずっと一人なのだ。ともすればそれは、小学校高学年の頃、事務所から放り出された時から。

 一人で生きることを強いられて、一人で生きることに慣れて、いつしか彼女は自分が一人であることを、当然のことだと思ってしまっている。

 

 ――独りぼっちは、寒いから。

 

 いつか聞いたルビーの言葉が、脳裏に蘇る。

 だからこそ、気づいてしまった。アクアは本当の意味で理解できてしまった。

 陽東高校の入試の日、なぜかながあそこまでアクアに執心を見せたのか。

 今ガチが終わったあと、なぜ彼女はアクアのことを避け気味にしていたのか。

 

 ――特別でいたかった。特別でいてほしかった。そういうことなのか。

 

 ずっと一人だったから。自分を見てくれる人は、誰もいないと思っていたから。だからあの時、億に一つのような偶然の出会いに、そしてそのあとのアクアとの交流の中で、彼女はアクアの中に、「唯一性」を見つけてしまっているのだ、と。

 

 アクアはそれを、「恋愛感情である」とは断定できない。誰かを「異性として見る」ということの本質が何であるか、まだ分かっていないからだ。

 いや、それは所詮誤魔化しだ。そして逃げだろう。向けられた感情の意味に真正面から向き合うことを恐れている自分は、確かにいる。確定させてしまいたくないと、それを忌避せんとする自分は。

 しかしそれでも一人の人間として、誰かを相手に「自分だけの特別でいてほしい」と焦がれるその気持ちだけは、アクアにも分かった。分かってしまった。

 

 そしてそうだとすれば、自分はかなのその気持ちには応えられない。今のアクアは、自分の隣に「特別」を作れるほどの余裕はない。心理的にも、時間的にも。

 かなにせよ、それこそあかねにせよ、そこに変わりはない。

 

 目を瞑る。額に手が当たった。自分がかなからそんな独占欲のようなものを向けられていることに、全くと言っていいほど思いが至らなかった。

 いつも気丈に、不敵さすら帯びて振舞う彼女の態度の裏側にあるものを、きっと自分は気づくべきだったのだろう。小さく、息が漏れていた。

 

「……かな」

 

 今一度、声をかける。

 アクアには、かなの内心のことをとやかく言う資格はない。いやそもそも、いくら確信に近いとはいえ、アクアの推測は単なる勘違いであるかもしれないのだ。だからアクアは、その部分にはあえて触れないことにした。

 そこに言及することなく、それでもアクアは、かなの心をどうにか上向かせられるような言葉を、ただ探す。

 

「それでも、嘘じゃない。『一緒に夢を見たい』と言ったことは。嘘になんか、絶対にしない」

 

 椅子から立つ。そしてかなの目の前にしゃがみこんだ。曇ったままの虹彩を、敢えて覗き込む。

 

「俺のことはどう思ってくれても構わない。けど、それだけは信じて欲しい」

 

 懇願する。そうすることしか、アクアにはできないから。

 

「諦めたら、何にもならないだろ」

 

 そうすれば、正面に見えたかなの瞳に、ほんの少しだけの光が戻った、ような気がした。

 そこで、アクアは約束する。自分が言った言葉の全てを、嘘にしないために。

 

「JIFの日、俺は最前列にいる。最前列で、ずっと見てる」

 

 目が見開かれる。伏し目がちだった視線が、ようやく合った。

 

「誰か一人だけを推すことは、できないけど。けど俺は絶対に、君のためのサイリウムを持っていく。()()()()()()()()

 

 数日前、告知動画に合わせて決めたメンバーカラー。ルビーの赤に、MEMちょの黄色、そしてかなの白。

 忘れているわけがない。そして推す心もなしに、彼女のことをルビーの隣に引き入れたりなどしていない。

 

「だから、そんな風に思うなよ。『私なんか』って。……俺は、待ってるから」

 

 言い残して、アクアは立ち上がった。

 言うべきことも、届けたい思いも、アクアは全てを吐き出し切った。そういう意味では、あとはここからの、そして当日のかなが、どういう決断を下すかでしかない。

 それは当人の気持ちの問題で、アクアにはもはや介入できない。

 

 けれども、それでもアクアは、もう一つだけ残っている可能性を、拾いに行こうと考えた。

 スタジオの外で、スマホを開く。メッセージアプリを立ち上げて、目当ての人物を探した。

 

 そしてその彼女に、()()()()()に向けて、アクアは一つのテキストメッセージを送る。

 

 ――急でごめん。だけど明日、二人で会えないか。

 

 自分の推量が間違っていないのならば、それはきっとどちらの方にも、確かな意味を持つ方策であるだろうと考えたからだ。

 他でもなくかなの、そして同時に、あかねの未来のためにも。

 

 果たして送ったメッセージにOKの返事がやってきたのは、アクアがそれを彼女に送った、僅か五分後のことであった。




この話、超難産でした。
かなの複雑骨折したみたいな情緒って、本当に再現難しいんですよね……「かなちゃんはこんなこと言わない」と内なるあかねが書いた内容を否定しまくってきて大変でした。
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