天には星を、人には愛を   作:厳冬蜜柑

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2-14. いつか見た輝きへ

 次の日のこと、アクアとあかねの二人はとあるオープンテラス付きのカフェで落ち合っていた。

 二人ともに、連れ立っての外出と言うこともあって少しばかり着飾っている。

 チャコールグレーのインナーの上に麻地のサマージャケットを纏った、シンプルでありながら清涼感とデザイン性を意識したコーディネートをしているアクアに対して、あかねは今ガチの撮影のころから少しずつ伸ばし始めたらしい髪を後ろで緩くまとめたルーズポニーテールのヘアアレンジに真白のサマーブラウスを合わせて、清楚さを前面に押し出した出で立ちでまとめている。

 互いに互いへの配慮はある。しかしそれと同時に、これは「今ガチ」で成立したカップルとしての義務たるSNSへの投稿を意識してのものでもあった。

 

 それは、二人が今日会う場所としてここを選んだ理由にも通じている。

 この店の名物は、所謂「映えスイーツ」としても有名なクレープパフェだ。そういう意味では、今日のあかねとの時間というのはいくつもの狙いを同時に秘めたものであるとも言えた。

 

 

 

「ごめんな、急に呼び出すような真似して」

 

 ともあれ、当のクレープパフェをともに頼んで、互いに一息つけたところでアクアが切り出す。

 それに、あかねは小さく首を振って答えた。

 

「ううん、大丈夫。夏休みになって、私も色々ばたばたしてたのがちょっと落ち着いたところだったし。それに」

 

 一瞬言葉を切って、横目にアクアを見る。

 

「せっかくアクアくんから誘ってくれたんだし、ね」

 

 柔らかい声と、柔らかい笑みだった。いつかと同じように、水の入ったグラスに両手を添えて、あかねはあたりを見渡す。

 夏らしい青天だ。雲一つないそこから、陽光が降り注いでいる。鳥かごのような意匠のこの屋外テラス席は、湿り気を帯びた暑さの中にあって、しかし時折肌を撫でる風が二人の間に確かな涼をもたらしていた。

 

「これが、初デート……ってことで、いいのかな、私たち」

「まあ……そういうことになる、のかな」

 

 一瞬目を瞑って、あかねが問いかけてくる。それにアクアは、うまく答えることができなかった。

 二人で出かけて、ともに時間を過ごす。それだけ切り取れば確かにデートではある。ただ同時に、この場所にアクアが、そしてあかねがいる理由は、純粋に二人だけの時間を共有するためのものではない。

 そう考えれば、今日アクアが彼女を誘った理由それ自体、あまりに彼女に対して不誠実なもののように思えてならなかった。だからといって、取り下げるわけにもいかないのではあるけれど。

 

 煮え切らない態度にだろうか、ふとあかねの顔がアクアに向けられる。開かれた瞼の中、深みある碧玉の瞳がじっとこちらを覗き込んできた。

 見透かされそうな視線だった。しかしそれも一瞬のこと、また彼女はやおら相好を崩した。

 

「まあ、いいや。一緒にこうやって時間を過ごせるなら、十分だから」

 

 呟いて、頷く。そして少しだけ、アクアの方へと身を寄せてきた。

 アクアは、それを止めない。果たしてあかねは、先ほどよりも近づいた距離のままに、今一度アクアへ顔を向ける。そして、問いかけてきた。

 

「で? 実際のところは、どういう用事なのかな?」

 

 俄かに、あかねは声を潜める。恋人同士の語らいのように見せて、実のところは外に聞かれたくない密談であることを意識した態度だ。

 できた女の子だと、アクアは素直にそう思わされた。本当に、自分にはもったいないほどに。しかしそれに、アクアは小さく首を振る。

 

「用事はある。だけど、そればかりのために君の時間をもらったわけじゃないから」

 

 顔を外へと、正面へと向ける。そうすれば奥の方から、店員の女性が二つの皿をこちらに向かって運んでくる姿が見えた。

 すなわち、注文の品だ。それを視認して、アクアはあかねに笑みかける。

 

「まずは、普通に二人の時間にしよう。話は、そのあとで十分だから」

 

 

 

 それぞれの前にやってきたクレープに手を付けて、感想を言い合い、そして互いのそれを交換する。

 はたから見れば、確かに「どこにでもいるカップルのやり取り」に見えるだろう。あるいはあかねも、そう思ってくれているだろうか。

 アクアとしては、その時間は決して嫌なものではなかった。そもそもあかねの人間性や性格は、アクアのそれと非常に波長が合っている。彼女の語る演技の話はアクアにとっては参考になるし、議論を交わすのも楽しい。

 だからアクアは、ともすれば流されてしまいそうになる。このままの時間が、ずっと過ぎてくれればいいのにと。

 

 しかし、それではいけない。今日自分がこの場所にやってきた理由を、目的を、確かに果たすべきなのだから。

 クレープで腹を満たし、ついでに「今ガチ」用の写真を撮って――当然に、その投稿は日を改めてするようにとあかねには伝えた――、食後の紅茶をオーダーしたところで、アクアは一呼吸入れる。そして改めて、あかねに声をかけた。

 

「そろそろ、用件に移らせてもらってもいいか」

 

 声の調子が変わったことを察したあかねが、居住まいを正す。アクアに向き直って、頷いた。

 

「大丈夫。問題ないよ」

「ありがとう。それじゃ、早速だけど」

 

 そしてアクアは、正面の彼女に一つの問いを発する。

 

「君にとって、『有馬かな』ってどういう存在なんだ?」

 

 その言葉を聞いて、あかねは面食らったように、目をぱちくりとさせた。

 

 

 

「……ごめんね、もしかしたら聞き間違えてるかもしれないから、もう一回言ってくれないかな」

 

 しばしの沈黙の後、そんな言葉があかねから返ってくる。はっきりとその中には、困惑の響きがあった。

 

「分かった。『君にとって、有馬かなってどういう存在なんだ』って、そういう質問」

「聞き間違いじゃなかったかぁ……」

 

 果たして一字一句違わぬ内容を繰り返したアクアに、あかねは天を仰ぐようにしてそうぼやいた。

 そしてすぐさま、彼女はアクアに問い返してくる。

 

「訊いていい? どうしてアクアくんの口から、かなちゃ……有馬かなの名前が出てくるのかな」

 

 至極尤もな疑問ではある。アクアとかなの間を結ぶ関係は、今でこそ苺プロ所属のタレント同士というつながりこそあるものの、正直なところそこまでない。最低でも、外向けにおいてはそうだ。

 かなが苺プロ所属となってから三か月ほど経っているが、その中で彼女が「苺プロ所属のタレント」として仕事をしたことなどほとんどない。せいぜいがドラマ「今日あま」の事後インタビューに出たことぐらいだろう。

 その「今日あま」での共演経験にしたところで、そもそもあのドラマ自体の知名度などないに等しいのだ。あかねが知らなくても無理はないところではあった。

 よって、アクアはそのあたりの事情を説明せねばならない。

 

「今、俺と有馬かな……もう『かな』でいいや、かなは同じ苺プロにいる。それは知ってるよな?」

「うん、当然」

「で、かながこれから新生『B小町』としてデビューすることも、先週に告知出したんだけど、これは知ってるか?」

 

 それを言った瞬間、あかねの表情が歪んだ。まるで何かを堪えるような、そんな顔をしていた。

 

「……あかね?」

「いや……うん、知ってる」

 

 出てきた声も、どこかから絞りだすかの如くのものだった。

 当然に、アクアは察する。これは何かある。確実に、何かある。

 よって、アクアは一つボールを投げてみることにした。

 

「かながな、言ってたんだ。今ガチの時、炎上騒ぎが収まったあと。『黒川あかねには、こんなつまらないことでドロップアウトされてしまっては困る』って」

 

 効果は覿面だった。あかねの肩が、はっきりと震える。

 俯いて、目が瞑られた。

 

「そっか。……そうなんだ」

 

 吐き出された呟きの中に宿った色は、果たしてなんであったのだろう。テーブルの上に置かれていたあかねの手が、握られていた。

 再びの沈黙が少しだけこの場に漂って、アクアはそんな彼女に何も言うことができない。故にそれは、あかねのほうから破られた。

 

 

 

「有馬かな……()()()()()はね。私がこの世界に入るきっかけだったんだ」

 

 目を閉じたまま、あかねはそう口にする。

 

「アクアくんは分かってると思うけど。かなちゃんと私は同い年で、だから子供のころからテレビの中にいるかなちゃんのことが、ずっと憧れだった」

 

 懐かしむような声だ。記憶の中に座する美しさを、ただ愛でているような。

 

「私はかなちゃんみたいになりたくて、女優になろうとしたんだ。かなちゃんみたいになりたかったから、髪も切った。かなちゃんとお揃いの帽子も買って」

 

 目が開かれる。

 

「かなちゃんと初めて会ったのは、ドラマのオーディションでね。六歳ぐらいの時だったかな。ずっとテレビの中にいて、会えると思ってなかった子で、それが目の前にいて。……嬉しかったなぁ」

 

 そう、笑みすらも浮かべて、彼女は過去を顧みる。過ぎ去った夢を愛でるかのごとくに。

 

 しかし、それはそこまでのこと。「けど」、と顔を伏せて、あかねは続きを口にした。

 

「でもその時そこにいたかなちゃんは、もう『かなちゃん』じゃなくなってた。演技が好きな、私が好きなかなちゃんじゃ、なくなってた」

 

 声が震えていた。アクアはそんなあかねに、何も言うことはできない。言うべきでないとも思った。

 

「言われたんだ。『私の猿真似してて、私になれるとでも思ってるの』って。『あんたは、私とは違う』って」

 

 次々と言葉が出てくる。畳みかけられる。

 

「その時は、どういう意味か分からなくて。ただ悲しかったばっかりで。仲良くなれるといいのにって、仲良くしたいなって、思ってたのに。……でも、すぐに分かった」

 

 そこからは、アクアにもわかった。

 六歳、小学生に上がった頃からのかなは、次第にドラマの主演としての仕事を失っていく。

 理由は、実のところ単純だ。彼女が当時所属していた芸能事務所は基本的に子役専門であって、子役を売り込むための営業には長けていても、継続的に役者としての仕事を続けていくための長期のサポートは得意としていなかった、らしい。これはどこかのタイミングで、かなからも聞いたことだった。

 子役の寿命は短い。親の欲目もあってか、少しでも見た目のいい、そして行儀のよい子供が次から次へとその世界には入ってくる。完全なる供給過多、レッドオーシャンの世界だ。

 そしてかなはその中で絶大な注目を浴び、知名度も高かった。故に彼女には高い値札が付いていた。演技力も当然に高いが、しかしそれ以上に、彼女についた値段と言うのはそのネームバリューをバックにしてのことだったのだ。

 

「『ピーマン体操』とかいうふざけた曲出して。演技もどんどん(しぼ)んでいって」

 

 だからこそ、いつかそこには損益分岐点がやってくる。「ペイしない」ときが。それがかなにとっては、おそらく小学二年か三年ごろのことだった、のだろう。

 ひとたびそうなってしまえば、もはやかなの所属する事務所はそこからのリカバリーが利かない。ラッキーパンチのように当たった「ピーマン体操」に夢を見て、しかしそれが、おそらくは有馬かなという子役にとっての最後の輝きになった。

 かな個人の責任は、そこにはない。

 いや、もしかしたらアクアが初めてかなと出会ったときのあの当たりの強い性格がどこかで祟っていたのかもしれないが、しかしそれが主因であるとまでは、きっと言えない。

 たから結局のところは、ただ「時期が悪かった」のだ。「巡り合わせが悪かった」のだ。そういうことは、世の中に掃いて捨てるほどある。悲しい話ではあるけれども。

 

「どんどん、私はかなちゃんのこと、見たくなくなっていって。私が見たかったかなちゃんじゃ、なくなっていったから」

 

 そうすれば、もはや「有馬かな」と言う役者は守りに入らざるを得ない。そうやって自分を押し殺して、自分が「使える役者」だと卑屈なまでにアピールしなければ、しがみつくことすらもできない。

 

「けど、そのくせに、お仕事はたくさんとってく。私が欲しかった役も、片っ端から取られて。別にかなちゃんがやらなくていいような役も、全部全部……!」

 

 当然に、彼女は仕事を選ばない。選ばなくなった。そのしわ寄せがやってきたかつてのあかねの心情は、いかばかりか。

 変わっていってしまった彼女の演技が、憧れから遠ざかっていった彼女の在り方が、しかし仕事にはつながっていく。まるで在りし日のあかねがかなへと向けていた憧れの形が、否定されているかのように感じられたのだろう。

 

「だから私、かなちゃんと一緒に演技したこともあるけど、いっつもかなちゃんとはうまく話せなくて。かなちゃんも結構人には当たりキツいタイプなんだって、その頃にはもう分かってたけど、でも多分、私の方が」

 

 握られていたあかねの右手に、更に力が籠る。

 

 しかしそれは、かなとて同じだ。

 あかねと初めて出会った六歳の時点で、既に彼女は子役として極めた頂点から、少しずつ下り坂に入っていたのだろう。それを彼女は、身に沁みて感じていた。

 故にそんな自分に憧れて、純粋な気持ちを向けてくる黒川あかねの存在は、彼女にとってあまりに居心地が悪かったのだ。自分が置かれている境遇のことを、そしてこれから迎えそうな未来のことも知らないで、いっそ能天気なまでの憧憬を向けられることが。

 それが、きっとあかねを傷つける言葉となって表れてしまった。

 

 故に彼女たちはすれ違って、きっと未だ強固なまでの蟠りを持っている。

 互いに互いのことを、確かに認めているはずなのに。

 

「……見たよ、『今日あま』のドラマ。アクアくん、最終回だけだったけど、すごくよかった。私あれ見てたから、『今ガチ』のこと、最初からちょっと楽しみになってたぐらいだったんだから」

「それは……ありがとう」

 

 見ていたのか。そう口にしかけて、しかしその必要がないことを知る。

 彼女が「今日あま」のドラマを見ていたのは、原作目当てでもない。言うまでもないがアクア目当てでもない。

 かな目当てだ。かながヒロイン役をしていたから、久しぶりの主役級の役で出演していたから、あかねはあのドラマを見たのだろう。……あの、大惨事としか言いようのないドラマを。

 

「けど、かなちゃんは……かなちゃんは、絶対に違う。あんなのは、全然かなちゃんじゃない」

 

 沈んだ声で、口にする。失意の表れで、無念の表れで、憤りの表れだ。そう、アクアには思えた。

 

 制作側の事情に迎合して、自らを押し殺して、そうしてでもどうにか、自分の居場所を作ろうとする。しがみついている。

 アクアはその在り方を、今の有馬かなの在り方を、否定するつもりはない。ディレクターの指示に完璧に従って、彼らに撮りたい画を寸分違わず提供する。そうすることで生計を立てる役者はたくさんいるし、そうした役者の中から「名バイプレーヤー」と呼ばれるような新たな輝きが見つかることも、ありはするのだから。

 しかし、違うのだろう。あかねにとっては。

 

「だから私、今のかなちゃん、嫌いなんだ。……本当に、大嫌い」

 

 吐き捨てるように口にして、あかねは今一度アクアに視線を合わせる。

 

「……ごめんね。デートの時にする話じゃなかったよね」

「いや、それはいい。だってそもそも、これは俺が持ちかけた話だし。こっちこそごめんな」

 

 あかねの謝罪に、首を振って返す。またもこの場に、静寂が横たわった。

 

 

 

 ――今のかなちゃんは嫌い。

 あかねはそう言った。かつて、一度は憧れていたはずの光が、現実によって捻じ曲げられて見るに堪えない姿になってゆくさまが、耐えられないと。

 もしそうなのだとすれば、やはりアクアはあかねに対して、今日用意してきた話を持ちかける意味がある。かなに対してだけではない。あかねに対してもだ。

 

 アクアたちの前に、注文していた紅茶が運ばれてくる。熱を持ったそれを、息を吹きかけながら口にして、喉を湿らせる。

 

「あかね」

 

 そしてアクアは、口を開いた。

 

 

 

「やっぱり、アイドルやってるかなを見るのは、複雑か?」

 

 問いかけには、すぐさま答えがやってきた。

 

「そりゃそうだよ。当たり前でしょ。……あ」

 

 食い気味に返して、しかし直後に気づいたらしい。バツが悪そうに、あかねが肩を竦ませる。

 

「あ、いや、ごめんね。……同じ事務所なのに」

「いや、いいよ。あかねの話聞いてたら、そうだろうなとは思うからさ」

 

 やはりあかねは真面目だ。そして思慮深い。

 だからこそ、そんなあかねにこれほどまでの感情の振れ幅を与える有馬かなの存在というものは、きっと絶対に、彼女の中で大きいものなのだ。

 アクアの推論は、間違っていなかった。

 

「かなを、苺プロに誘ったのは俺だ。『アイドルやってくれ』って言ったのも」

「アクア、くんが?」

「ああ」

 

 驚きに目を瞠ったあかねに、アクアは頷く。

 

「『今ガチ』でも言ってただろ、俺の妹のこと」

「うん。それは、知ってる。ルビーちゃん、だっけ? 写真も見せてくれたよね。すっごく可愛くて、びっくりしちゃった」

「ありがとう。で、『アイドルデビュー』っていうのは、まああいつがやりたいって言いだしたことでさ。夢だったんだって」

 

 随分と遠回りな言葉ではある。しかし敏いあかねは、それだけでアクアの謂わんとすることを察した。

 

「それで、アクアくんはかなちゃんを誘ったの?」

「そうだ」

「どうして?」

 

 当然に放たれたその疑問こそが、今日のアクアの本題で、本質だ。

 今日この場所にあかねを誘った理由の、大きな一つでもある。

 

「あかねは、今のかなが好きじゃないって、言ったよな」

「……そう、だね」

 

 慎重に、周到に、言葉を使っていく。

 

「あかねにも、分かるとは思う。かなにだって事情がある。子役の事務所抜けて、それからずっとあの子はフリーだ。守ってくれる人は誰もいない。その中で、生き残らなくちゃいけなかった。『夢を見る余裕なんて、なかった』」

「それ、は」

「だから、言い聞かせてきたんだと、俺は思う。『そうするのが生き残る道なんだ』。『そうあるのが正しい在り方なんだ』って。ずっとずっとそうしてきて、だから言い聞かせていたはずの言葉が、あの子の中ではもう、本音になってしまってる」

 

 あかねが、視線を逸らす。理屈では理解できても、感情では納得できない。そういうことなのだろう。

 「それでも、かなちゃんはそんな子じゃなかったはずなのに」、と。

 憧れと言うのは、時に身勝手だ。利己的で、押しつけがましくて、厚かましい。でもだからこそ、アクアは今あかねにこの話をしている。そんなあかねだからこそ。

 

「かなは、あの子は、『怖がってる』。そして『諦めてる』。『今の私に、昔みたいな輝きはない。私は、もう終わってしまった役者なんだ』って」

 

 あかねの口が、引き結ばれる。「聞きたくない」と、その態度が言っていた。

 しかし、それでも聞いてもらわなければならない。アクアの伝えるべき話は、その先にある。

 

「けど、それでもかなだって夢は持ってるんだ。俺は、それを『今日あま』の現場で見た。『それでももう一度、羽ばたきたい』。『輝きたい』。……俺には、そう見えたんだ」

 

 正面から、アクアはあかねを見据えた。聞いてほしいと、言葉を重ねる。

 

「でもそのためには、かなはもう一度取り戻さなきゃいけない。自分を押さえつけて、諦めて、手放してしまった『昔の自分』を。だから俺は、あの子をアイドルに誘った」

 

 弾かれたように、あかねがこちらを見る。目が合う。見開かれた。

 

「アイドルは、他人に合わせる商売じゃないからな。『自分を見てほしい』、あわよくば『自分だけを見てほしい』って、そうやって歌うし、踊る。そうだろ?」

 

 そこまで言えば、意味は伝わる。打てば響くように。なぜならあかねも、アクアと同じことを考えているのだから。

 

「それって……そうか、だからかなちゃんを」

「ああ。そこで何か掴めればいい。自信がつけばって、思ったから。……けど」

 

 言葉を切る。あかねの方に、少しだけ近寄った。

 

「今、かなは自信を失くしてる。『有馬かなは数字を持ってない』、『私を見てくれる人なんていない』。そんなことをずっと言ってる。多分、それこそ何個も出してる歌のせいなんだろうけどな。だけどこのままじゃ、本当にダメになる。そうしたら、あの子はもう多分、立ち上がれない。本当の意味で、諦めてしまう、と思う」

 

 一呼吸入れる。目線に力を込めて、意志を載せた。

 

「でも俺は、ここでドロップアウトするかなを、見たくない」

 

 息を呑む音がする。あかねの目が、少しだけ揺れた。それはまさしく、かながあかねを指して言ったことと同じだ。いや、アクアは敢えてそれを被せてみせた。

 その上で、本命の「頼み」を口にする。

 

「あかね。これはただの頼み事だ。だけど……今週のJIF、かなの応援に、来てくれないか」

 

 アクアはそのまま、頭を下げた。

 

 すなわちアクアは、有馬かなと言う少女のために、他でもないあかねをJIFの応援要員として招けないかと、そう考えていた。

 

 

 

 再びの静寂がやってくる。

 虫のいい話だとは思っていた。そもそもこれがデートだというのならば、今のアクアの行いというのはつまり、自分の恋人に対して、デートの真っ最中であるのにもかかわらず「女友達がアイドルデビューするから一緒に応援してくれ」と頼み込んでいるに等しい。

 客観的に考えて、凄まじい不義理だ。本当の恋人関係であれば、ともすればそれだけで縁を切られてもおかしくない振る舞いだ。それは、アクアとて認識していた。

 

 ただ、これは一般論とは違う。もしあかねがかなのことを何とも思っていなかったら、ただの同年代の役者だとしか思っていなかったのなら、アクアはこんなことは決して頼まなかった。

 かなから聞いたあかねのこととその評に、アクアは二人の間にある何かを感じ取っていた。だからこそアクアはあかねにかなへの心情を訊いて、そこに横たわる感情の大きさを見極めた。その上で、敢えてあかねに頼んだのだ。

 

 かながあかねに、あかねがかなに向けているその気持ちは、本心は、来るJIFの舞台の上で、絶対にかなの助けになるだろうと考えたから。

 そしてあかねがかなに向ける心情の中、凝り固まって燻ってしまっているであろう『蟠り』も、ともすれば解けてくれるかもしれないと、思ったからだった。そうすれば、完全にこじれてしまっているのであろう二人の関係を、取り持つことすらもできるかもしれないから。

 今の自分にできるのは、かなの「特別」にも、そしてきっとあかねの「特別」にもなれない自分ができるせめてものこととは、これぐらいだと考えていたからだった。

 

 

 

「やっぱり、私思うんだ」

 

 沈黙が破られる。頭上から、声が落ちてきた。あかねの声だ。下げていた頭を上げる。

 そこに見えたのは、どこか困ったような笑みを浮かべた彼女の相貌だった。

 

「アクアくんってさ、本っ当にお節介焼きだよね」

 

 しみじみとした口調で、あかねはそう言う。

 

「別に……そういうわけじゃ、ないつもりだけど」

「いーや、絶対そう」

 

 そして今度は、顔を膨らませてみせてきた。

 

「だってアクアくん、皆に優しいもん。今のだって、それかなちゃんだけじゃなくて、私のことにも気を回してる」

「いやだって、それは……」

「わかるよ。『かなちゃんのことだけ考えてたら、私に失礼だ』って思ってるんでしょ?」

 

 口を噤まざるを得なかった。本当に、あかねは聡い。アクアの意図するところを、彼女は完璧に見抜いていた。

 

「そーいうとこ、ちょーっと狡いよねぇアクアくんって」

 

 ふいっとそっぽを向いて、頬を膨らませたままあかねは言う。

 年相応か、あるいはそれよりも幼いかもしれないその感情表現に、アクアは何とも言えない気持ちにさせられる。微笑ましいと思えばいいのか、申し訳ないと思えばいいのか。

 

 しかしそこで、あかねはふとその表情を和らげた。流し目にアクアを見て、微笑む。

 

「でもそういうところが、アクアくんのいいところだと思う。誰も傷つかないように、困ってる人を見逃さないようにって」

 

 その顔が、声が、アクアの胸を俄かにざわめかせた。

 手に持ったままの紅茶に、視線を落とす。そこに映るはずの自分の表情は、陽光に煌めく水面の漣で伺えない。

 けれど、アクアはそれでいいと思った。今自分が浮かべているであろう表情を、見たくはなかったから。

 

「……そんな、いいものじゃないよ。これは」

 

 そうだ。これはそういうものではない。

 罪滅ぼしか、それとも代償行為か。あるいは、本当の意味での「アリバイ作り」ですらあるのかもしれない。

 所詮これは、自分の中にある彼女たちへの負い目を打ち消すために、せめて自分ができることはしておきたいという、自己満足の発露でしかないのだから。

 

「だとしても、私はそれで助けてもらったんだから。アクアくんがどう思ってても、私にとってはそれで充分」

 

 胸に手を当てるようにして、あかねが言う。その慈しむような声色に、またしてもアクアの胸中が波立った。

 故にアクアは、そこに敢えて蓋をする。あかねにそれを見せるのは、憚られることだと感じていた。

 

「そう、なのかな」

「そうだよ。だから――」

 

 あかねが身を乗り出す。俯きがちだったアクアの方に、上目遣いに顔を向けてきた。

 視界の中、微笑む彼女の姿が見えた。

 

「私、いいよ。JIF、今週の週末だったよね?」

 

 テーブルの上で、手が触れ合う。その仄かな熱を指に感じながら、アクアは頷いた。

 

「ああ。……ありがとう」

「ううん、いいよ。私もかなちゃんのライブ、ちょっと興味出てきたし」

 

 それは果たして配慮か、それとも本心だろうか。

 本心であってくれればいい。自分の身勝手さを棚に上げるようであっても、しかしアクアはそう思わずにはいられなかった。




かなとあかねの初邂逅シーンが描かれているのは二期7話(18話)ですが、実は描写に若干矛盾があります。
このオーディションのシーン、会場にはかなの「さわやかサテライト」のポスターが貼ってあるんですが、その前提となる「ピーマン体操」はこのあとのはずなんです(かなの回想における「有馬かな黄金時代」の描写が小学校低学年ぐらいに見えるので)。ですのでその描写は本作においてはなかったことにしています(漫画のほうには当該のポスターはないため)。
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