天には星を、人には愛を   作:厳冬蜜柑

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3-12. 星を仰ぐ君に

 アクアたちがルビーたち新生B小町のMV撮影をしているスタジオまでやってきたのは、結局六時をいくらか過ぎ、半にまではならないあたりのことであった。

 かなり大掛かりな屋内スタジオである。地下に向かって掘り下げられ、大きく作られた空間の奥の方には、クロマキー合成のための緑色のシートが一面に張られたステージ、すなわち撮影スペースが鎮座している。

 

 そこでは丁度、ルビーが個別パートのダンスパフォーマンスをカメラの前で披露しているところだった。当然にというか、スタジオの中には今回彼女たちが撮るMVの曲が流れている。

 

 カメラの更に後ろ、待機場所となっている一帯でパイプ椅子に座ってそんなルビーの様子を眺めているB小町の残り二人に近づきつつ、アクアは手を挙げて声をかけた。

 

「お疲れ様、二人とも」

 

 その声を聞いて、二人ともにアクアたちの方へと視線を向ける。先に声を発したのはMEMちょの方であった。

 

「おーおー二人とも! しっかりデートしてきた?」

 

 視線を合わせるなり、にんまりと笑みを浮かべながら、からかい九割の声をかけてくる。

 生真面目な性質のあかねがそれを真に受けて、顔に朱を散らしながら俯いた横で、アクアは動じることもなく言葉を返した。

 

「ま、俺は仕事じゃないからな。色々行ってきたよ。そっちはどうだ?」

 

 それには、MEMちょの隣に座っていたかなが答える。

 

「『STAR☆T』の方は、粗方って感じかしら。私とルビーのドラマパートは終わったし、ダンスパートも。MEMのドラマパートと、あと新曲の方のダンスパートをこれからって感じね。今ルビーがやってるとこだけど。……で、明日は新曲の方の外ロケよ」

 

 その最後、「外ロケ」の言葉を口にするときに、かなは露骨に嫌そうな顔をしていた。

 理由は何となく察せられる。MVやPVの外ロケと言うのは、必ずしも季節通りの格好で行われるものとは限らないからだ。

 真冬の寒空の下で、真夏の体でビキニを着せられて踊らされるなどという、もはや拷問のような苦行を強いられることすらもあるのがアイドルにとっての外ロケである。しかもそれを、笑顔でこなさなければならない。

 今回とて、真冬の高千穂でどんな格好をさせられるかわかったものではないのだ。そういう口ぶりになってしまうのは多少は致し方ないところもあるだろう。

 

「ああ、外ロケ。……まあ、頑張れ」

 

 こればかりは、アクアとしてはその一言しか言いようがない。

 更に言えば、かなの口ぶりからおそらくダンスパートの後、下手をすれば日付が変わる頃までドラマパートの撮影に付き合わされるMEMちょも労しいは労しいのだが、何となくそれを言及するのは藪蛇になりそうで、アクアはそこから話題を変えた。

 代わりに出したのは、この場にいるはずのもう一人、正確に言えばもう()()のことだった。

 

「それはそうと、アイさんは? あと壱護社長も」

 

 二人目掛けてそう問えば、それにはかなが答えを返した。

 

「アイさんなら、だいぶ前に帰ってきたわよ。さっきまでここにいたけど……全員のダンスパート始まる前に戻ってくるって言ってたし、すぐにこっち来るんじゃないかしら」

 

 言いながら、思い出したかのように彼女は席から立つ。そして自らが纏っている黒いパーカーを脱ぎ去った。

 

ルビー(あの子)のソロパートも終わりそうだし、そろそろかしらね。私たちも準備しないと」

 

 くるくるとパーカーを畳んで、先ほどまで自分の座っていた椅子の上に置く。そしてアクアたちの方に向き直り、かなはこれ見よがしに両手を広げてみせた。

 

「で、これが今日の衣装。三人全部違うのよ? みんなで話し合って決めたの」

 

 浮かべている表情も、どこか得意げだ。

 彼女の纏っている衣装を見る。真白のエプロンドレスの下に、赤地に白の水玉模様のワンピースが映えるそれは、有馬かなの少女性をこれでもかと活かした、彼女ならではの格好だ。

 もはやかなのトレードマークとも言える帽子も、白いワンポイントとして取り入れられていた。

 

 なるほど、確かにルビーのそれとは違う。

 今撮影エリアで曲に合わせて踊っている彼女の衣装は、白のブラウスの上に桜色のワンピースを纏ったようなデザインである。

 胸元に映える黒いリボンと、そして桜色のワンピースとは言いつつも黒のドットが一面に散らされているその恰好は、少女らしさを強調していながらも、かなのそれよりは幾分か大人びて見えた。

 

 そして最後、かなに促されるようにして自らのパーカーを脱いだMEMちょは、白地に黄色のドットのノースリーブシャツの下にコルセットと一体化したような深紅のショートパンツを穿いたセパレートスタイルだ。

 胸元には、カナリアイエローの地に白のワンポイントが入ったリボンタイを締めていた。

 

 

 

 そこまで来れば、アクアにもわかる。

 

「メンカラ意識してるんだな、これ」

「へぇ、分かるんだ?」

「そりゃまあ、な」

 

 つまり彼女たちは、三人ともどもに自らのメンバーカラーを主体として、そこに他のメンバーのカラーを合わせたようなカラーバランスでデザインされた衣装を纏っているというわけである。

 

 ルビーは赤――とはいっても桜色だが――を主体に、かなの白をサブカラーにしている。MEMちょの黄色は、自らの髪色で補完しているのだろう。

 MEMちょは上半身のドット柄とリボンタイに黄色を、そのサブカラーに白を使って、下半身はルビーの赤一色でまとめている。

 そしてかなは、エプロンドレスの白が大部分を占める衣装の中、袖や裾にルビーの赤、そして胸元や帽子を飾り立てているリボンにMEMちょの黄色を取り入れていた。

 

「いいんじゃないか? 三人別々の衣装だし、センターを固定しない今のB小町には合ってると思う」

 

 だろう? とアクアはあかねに賛意を求める。

 しかしどういうわけか、あかねはそれに反応を示さない。どころか、かなの方を見て少しだけ得心の行っていないような表情を作っていた。

 

「……あかね?」

 

 思わず、アクアは訊ねていた。

 

 確かにあかねは元々、かながアイドルをやることにはあまりいい顔をしていなかったのは事実だ。

 しかしJIFを経て、そしてあの経験から「開花」したかなの演技を東ブレの舞台で間近に目の当たりにして、かなのアイドル活動そのものにも意味があるのだと、彼女は理解したはずだった。故にかなが今やっているB小町としてのアイドル活動も、応援すると言ってくれていたはずだった。

 ならば、これはいったいどうしたことだろう。

 

 しかしその答えは、思わぬところからやってきた。

 

 

 

「はいはーい、皆さんお疲れ様ー!」

 

 そんな底抜けに明るい声が、突如死角からアクアの耳朶を打つ。びくりと肩を震わせて、アクアは音のした方に振り返った。

 

「私が来ましたよー! そろそろみんなダンスの撮影でしょ?」

「あ、アイさん」

 

 つまり、そこにいたのはアイである。横にミヤコと壱護社長を伴って、彼女はこの場に現れた。

 

 

 

 今までは、どこかスタジオ内の別室にでもいたのだろうか。横から現れた形の彼女に戸惑いがちに呼びかけたMEMちょににこやかに会釈をしつつ、しかしアイはアクアめがけて更に言葉を重ねた。

 

「アクアくんも、おかえりー! あかねちゃんと楽しんできた?」

「ええ、おかげさまで」

「うんうん! いいことだよー、それは」

 

 声を弾ませながら、二度三度と頷く。

 よそ行きの仮面を完璧に被っている今のアイに対しては、アクアは未だにその内心は露ほども推し量れない。が、最低でも気分そのものは悪くなさそうなのは、何となく察することができた。

 

 というより、この宮崎旅行が始まってからというもの、どういうわけかアイは()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。それこそテレビ番組に出ているときに匹敵するほどのだ。

 それは、この場にある意味での部外者が、つまりあかねがいるからなのか。アイとアクア、そしてルビーとの本当の意味での関係を、一切悟らせないための態度なのか。

 

 分からない。そしてきっと、分からせる気もありはしないのだろう。故に、アクアはそこに深く探りを入れようとも思わなかった。

 

 

 

 アクアの見据える先、アイがかなとMEMちょの方に目を向ける。一頻り、彼女たちの纏う服を見回した。

 

「衣装いいねー、似合ってるよ! 二人ともかわいいっ! けど、かなちゃんちょっとこっちこれる?」

 

 そして、かなに向かって手招きをしてみせる。

 応じるように、おずおずとアイの方に近づいたかなに正面から相対して、彼女は徐にかなの纏う衣装に手を伸ばした。

 

「アイさん?」

「ちょっとじっとしててね。……私かなちゃんの服が個人的には一番かわいいと思うんだけど、これ着るの難しいよねー」

 

 戸惑いがちな声を上げたかなのことを言葉だけで押さえて、アイは俄かに手を動かし始める。

 

「パーカー着てた時に擦れちゃったかな? リボンがちょっとヨレちゃってるね。結び目しっかり直さないとだ。それとウエストのところ、この服ならもう少しゆったりさせたほうがいいかなー? かなちゃんのボディライン考えると、締め過ぎちゃうと上下アンバランスになっちゃうし、皺も出来ちゃう。だから……これぐらいかな?」

 

 指摘事項を淡々と挙げながら、アイの手でかなの着付けが手直しされていく。

 

「後は……帽子ももうちょっとずらした方がいいかな? いつものかなちゃんの帽子とちょっと勝手が違うよね。……あ、ホコリ発見。ちょっと待ってねー、取っちゃうから!」

 

 それは、一つ一つは微細なポイントだった。しかしそうやって調整が進むたび、確かにかなの衣装の見え方さえもまるで変わってくる。

 最初からかなに合った、言ってしまえば「有馬かならしさを活かした」格好だとアクアは思っていたが、こんな小さな修正の積み重ねであるのにも拘らず、その全てが済んでみれば、確かにまるで見違えるようであった。

 

「すごい……私が気になってたところ、あんなに簡単に」

 

 アクアの隣で、あかねが呆然とそう呟いている。

 どうやらついさっきのあかねのもの言いたげな態度というのは、かなの衣装の着方に色々と文句をつけたい部分があったことに由来していたらしい。

 そしてそれをこうもてきぱきと、あっさりと理想の形に整えていくアイに、あかねはおそらく感嘆していた。

 

 アクアにとってもまた、普段の「母」としてのアイとは確実に違う「完璧主義な職業人」としてのアイの在り方は、改めて見て驚くべきものだった。

 最近、とうとうアイが去年一年のCM女王に輝いたという話があったばかりではあるが、こうした彼女自身の立ち居振る舞いを直接見れば、それに対して実感も湧こうというものである。

 

 

 

「はい、出来た! ちょっと鏡ないからわからないだろうけど……どお? アクアくんもあかねちゃんも。結構変わったでしょ」

 

 兎も角も、そんな呆けたような視線で見つめているアクアたちをよそに、アイはかなの衣装について一通りの手直しを済ませて、そのまま彼女の肩をぽんと押すようにしてアクアたちにその姿を見せてきた。

 それには、食い気味にあかねが答える。

 

「はい、本当に! 見違えるみたいです! アイさん、凄いですね」

「何よ、つまり今までの私の着方はダメダメだったって言いたいわけ?」

「そうだよ。文句言いたいところいっぱいあったんだから」

 

 そのまま流れるようにかなと言い合いを始めた彼女に、どこかあざとさすら感じる困惑の表情を見せてから、アイはアクアの方に目を向ける。

 

 瞬間、彼女の表情に悪戯な笑みが浮かんだ。

 

「アクアくんは? かなちゃん、可愛いでしょ」

 

 急に水を向けられた格好になったアクアが、少しだけたじろぐ。

 ついでに名指しされた形のかなもまた、あかねとやいのやいのやっていたところから、はたとアクアに視線を合わせた。あかねもである。

 

 

 

 急に周りの女性全員から視線が集中したことに、はっきりとアクアは狼狽える。

 しかし、答えねば始まらない。と言うより終わらない。

 

 一応、対外的には交際関係にあるあかねの前で、そして秘している関係ではあるものの、それでも母であるアイに対して、「アイドル衣装を纏った有馬かなが可愛いかどうか」、などという直球な質問に答えねばならない。

 どう答えるのが正解だろうか。いや、そもそもなんで自分はこんな境遇に放り込まれているんだ。ぐるぐるとそんなことを益体もなく考えて、しかし自らの上に集まっている視線は外れてくれることもなく、アクアは観念するように息を吐いた。

 

「まあ、それは、はい。……かな、似合ってるぞ」

 

 横で少しだけむくれた顔をしているあかねのことは努めて意識から追い出し、我が意を得たりと頷いたアイのその得意げな表情に意識してジト目をくれてやり、しかしそんなアクアの言葉に対して息を呑んだかなに、どうしても顔を向けざるを得なかった。

 

「そ、そう。……ありがと」

 

 消え入りそうな声でそんな反応を見せたかなに、更にどんな返答をすればいいのか分からず、いい加減針の筵になりつつあったアクアの境遇は、直後にアネモネからB小町の面々にかけられた召集の言葉によって、なんとか解消することになる。

 

 ようやく、B小町総出でのダンスパートの撮影が始まろうとしていた。

 

 

 

 

 

 今回の新曲である「POP IN 2」に合わせて、セットの整えられた撮影スペースで、三人が並んでダンスを披露している。

 曲調に、そして三人の服装に合わせた、ピンクを主体としたパステルカラーが際立つセットだ。大小のプレゼントボックスやハート型の風船が、ファンシーさとポップさを演出していた。

 

 明白なセンターを決めない形のユニットとして、各々に平等に見せ場が用意されている。中心の立ち位置も、目まぐるしく入れ替わる。先代B小町のそれと比較して、新機軸であることがはっきりと押し出された曲であり、そしてパート割りだと感じられた。

 そして何よりも、三人共に楽しそうにパフォーマンスをしている姿が、強くアクアの目を惹いた。観客などおらず、目の前にいるのはカメラだけでも、全員の笑顔が絶えることはない。

 

 特にルビーは、それを徹底していた。表情の作り方に関しては、最も身近な存在たるアイのそれをいくらでも参考にできるし、また当然にしてきたのだろう。

 そこには確かな努力の跡があった。歌だって、JIFでひとまずのデビューを果たしてからというもの、「新曲」という目指すべきものが生まれたことがよかったのか、随分と練習を積み重ねた結果として、最近はかなりマシになってきているのも知っている。

 元々上手であったダンスなどは更に切れ味を増して、YouTubeの「踊ってみた動画」ではもはや本職のダンサーたちからコラボの依頼が飛んでくるほどにまでその腕が磨かれていることも。

 

 全ては、アイに一歩でも近づくためだ。ルビーはそのことを公言して憚っていない。アイ本人に対してもである。

 ただそれでも、ルビーが見せるパフォーマンスの中には、アイとは違う「ルビーらしさ」が確かに潜んでいる。見せる笑顔の中にもまた、等しくそういう「色」のようなものを、アクアは感じ取った。

 

 それはきっと、彼女がアイとは根本的に異なるモチベーションをアイドルという職業に対して持っているからなのだろう。

 決して悪いことではない。むしろ良いことだと、アクアは考えている。ルビーの持つ夢、「アイのようなアイドルになって、しかしいつかアイをも超えたい」という願いを成就したいのであれば、純度百パーセントのアイになろうとすることが正解なわけはないのだから。

 

 しかし、いずれにせよそれは先の話だ。ともあれ今は、今の自分は、ルビーの兄として、MV撮影を通して一端のアイドルになりつつある彼女の躍進を純粋に応援すべきなのだろう。

 それに勝る何かなど、きっとない。そうアクアは信じていた。

 

 

 

 そして、加えてもう一つ、アクアはこの三人の中で顕著な変化が見える存在を見つけていた。

 言わずもがな、それは有馬かなである。

 

 JIFの時は、生来の純粋なる存在感と、基礎能力の高さを生かしたパフォーマンスの完成度だけで周囲を圧倒しようとしていた彼女だが、今MV撮影の中で見せているものは、それとは少し違っていた。

 

 アイドルらしく、基本的には笑顔を崩さずにそのバリエーションを見せているばかりのルビーと、そしてMEMちょとは違って、かなの表情はころころと変わっている。

 笑顔、得意顔、顰め面、ジト目、戸惑い、焦り顔、そして時には怯えの表情まで。歌いながら、踊りながら、いっときとて同じ表情はしていないのではないかと錯覚するほどには多彩な顔を、彼女は見せていた。

 

 それは、B小町の中で彼女だけが持っている唯一無二の特性――即ち「演技力」をアイドルとしてのパフォーマンスに取り入れていることを示している。

 

 アクアからすれば、意外とも言える変化であった。アクア自身、かなをのちにB小町となる「ルビーのアイドルユニット」に引き入れたときは、「アイドル活動を女優としての復活の足掛かりにしたらどうか」という文句で彼女のことを誘った。ルビーもまた、かなの究極的なモチベーションはあくまで女優業にあることを知っている。その上で彼女をメンバーにしたのだ。

 つまり有馬かなという少女にとって、芸能活動においてはあくまで役者として生きることが主で、アイドルであることは従のはずだった。

 女優として再び飛躍するためのヒントを、アイドルとしての活動から得ようとする。方向としては常にそちらで、これが逆転するわけはないと思っていた。

 

 しかし今、カメラの前で踊りながら様々な表情を交えたパフォーマンスをしている彼女は、むしろ自らの「女優としての力」を、アイドルとしてのパフォーマンスに活用している。「アイドルとしてより自分を高めるために、これまで身に着けてきた演技の力を使っている」のだ。

 主客が、最低でもこの場においては転倒している。明白な意識の変化が、かなには起こっていた。

 

「かなちゃん、最近変わったよね」

 

 それに気づいたのは、何もアクアだけではない。と言うより、有馬かなという存在の変化に最も敏感であるのは、寧ろ彼女を措いて他にはいないだろう。

 待機場所のパイプ椅子に座ってB小町の三人の様子を眺めるさなか、アクアの右隣に座っているあかねが、ポツリと口にした。

 

「私はアイドルのこととか詳しくないからそっちのことはあんまり分からないけど。でもかなちゃんが変わったのは、分かる」

 

 そこまで言って、照れくささにか少しだけかなの踊る正面のほうから目を逸らす。

 何となく不本意そうな様子で、口を尖らせながらも彼女は続けた。

 

「なんというか……『可愛くなった』、みたいな?」

 

 小さく、控えめで、しかし半ば確信しているような声色だった。

 そしてそれには、アクアの左隣から即座に反応があった。

 

「だよねー! かなちゃんすっごく可愛くなったって思う! あかねちゃん分かってるねー!」

 

 間にいるアクアを飛ばし、アイが身を乗り出すようにしてあかねの言葉に同調した。

 おそらくはアクアに話しかけていただろうそれにアイの方が反応したことで、あかねは驚きの表情を作って振り向く。そこで、自分のことをじっと見つめているアイの整った顔が眼前に飛び込んできたことに二度驚いて、小さく彼女は仰け反った。

 

「嬉しいよー、私は。かなちゃんがしっかりアイドルやる気になってくれたって感じがするし。アクアくんもそう思うでしょ?」

 

 しかしそんなことはお構いなく、アイは無邪気な声で己の感慨を述べる。アクアに向かって、賛意を求めてきた。

 

「まあ、それは確かに。ルビーのためにも、いいことだとは思います」

「ねっ! だよねだよねー!」

 

 そう返したアクアの言を聞いて、本当に嬉しそうに、彼女は頷く。

 あのユニットは、新生B小町は、ルビーが、そしてアクアが集め、立ち上げたものだ。そこに対して帰属意識を強く持ってくれることを、悪く思うはずがない。

 なんだかんだとアイもまた、自らがかつて所属していた「B小町」の名前をきっと誇りにも思っているのだから、心持ちは同じだろう。

 

「あの、アイさん。……かなちゃんは、アイドルとして売れますか?」

 

 故にか、恐る恐ると言った様子でアイに向かってそう訊ねたあかねにも、アイは自信を持って答えた。

 

「当然! JIFの直前までは、ちょっと『大丈夫かなぁ』とか思っちゃったりもしてたけど、今はもう大丈夫っ!」

 

 いつもの通りのあっけらかんとした、底抜けに能天気な声で、そして言葉だ。

 それを聞いた者を、遍く根拠のない安心へと(いざな)うような。

 

「だってもう二千人のワンマン決めちゃってるし、これならもしかしたら、旧B小町(私たち)より早く出世しちゃうかもっ」

 

 ね? とそう付け加えながらも、アイは未だ色褪せないアイドルとしてのどこか蠱惑的な表情で片目を瞑ってみせる。

 そんな彼女を見て肩の力でも抜けたのか、あかねもまた表情を緩めた。

 

「……アイさんがそこまで言われるなら、安心ですね」

「うんうんっ! 安心してくれたまえー! なんてねっ」

 

 二人のそのやり取りを聞きつつ、アクアは暫し目を瞑る。

 

 

 

 アイの言う通りだ。これから「新生B小町」というアイドルユニットは、きっとより一層伸びてゆく。

 種蒔きは済んでいる。土台も整っている。ネット上での知名度ももはや相当に高い方だ。ショート動画のおすすめの中にB小町の動画が上がって、百万回以上の再生回数を記録するのもそう珍しくはなくなってきている。

 新曲のMVが、そしてそのあとのファーストワンマンが跳ねれば、そこからはトントン拍子だろう。アクアがアクアとして産まれて最初に見たアイの、B小町の活躍の場に、すなわち生放送の歌番組に立つ日も、きっとそう遠くはない。

 

 かつてのアイの栄達の道をなぞるように、あるいはそれをも上回る速度で、ルビーはこの世界(芸能界)の上層へと駆け上がっていくのだろう。かなと、そしてMEMちょと手を取り合って。

 

 確かに元は、「彼女」とて別人の人生を歩んでいた。ルビーになる前の人生を。アクアと同じ立場の人間であるが故に。

 しかし彼女は、アクアが「吾郎」として生きてきた期間とは比べ物にならないほどに短かかったであろう「前の生」を超えて、それでも今を生きている。星野ルビーとしての在り方に、きっと希望を持てている。

 

 そして今ルビーは、幼少の砌よりずっとその夢への直向な気持ちを見せてきた少女は、我が妹は、積み上げてきた努力の果てに、その幼き日の純粋なる願いに、いよいよ己が手を届かせようとしている。

 素晴らしいことだ。祝福すべきことだろう。

 

 未だ「吾郎」としての自己認識を引きずって、あの廃屋の心象風景の中にさえも心のいくらかが取り残されたままのアクアとは、違うのだ。

 

 

 

 だというのならば、せめてアクアはこの場所で、出来ることをしなければならない。

 高千穂(ここ)にやってきたことが、もし運命にも似た導きであると云うのなら、自分にはこの地で為すべきことが、きっとある。この地でなければ成就できないことが。

 そしてそれがなんであるかも、今のアクアには分かっていた。あの場所に、雨宮吾郎の家に立ち寄ったことで、それまで朧気であったビジョンが固まった気がしていた。

 

 吾郎としての死に際のことを、脳裏に思い浮かべる。あまり思い出したくはないものだが、しかし必要なことでもあった。

 あの時、吾郎に対して誰何してきた怪しげな男は、そこからの追走劇の末に吾郎を崖の上から突き落として殺した。そして彼は、恐らくアイを襲った人間と同一人物だ。

 

 だとするのなら、あのアイの分娩の日に起きたこと――「雨宮吾郎の殺害事件」という出来事からも、引き出せる情報はあると見るべきだろう。

 あるいはそこからは、アクアとルビーの血縁上の父親がどういう意図でアイの情報を漏らしたのかまで、辿れるかもしれない。出産当日のこと然り、ドームの日のこと然りである。

 

 なら、やはりアクアは探さなければならない。あの時崖下に落ちて死んだ、自分の体を。

 そうでなければ、つまり現状の雨宮吾郎はただの行方不明者に過ぎず、その遺体が上がることで初めて「殺人事件の被害者」となるのだから。

 

 

 

 目を開ける。そろそろ時刻は十時が近い。未成年者に当たるルビーとかなは、法律によって強制的に今日の撮影を打ち切ることになる。

 彼女たちは、故にすぐに旅館へと戻るだろう。苺プロの二人――壱護社長とミヤコはしばらくここに残ることになろうが、アイに関してもきっと、必要以上の長居はすまい。

 

 つまり、動くのは今だ。

 すでに夜も深く、足元が見えづらい危うさはあるが、アクアはこの場所については土地勘がある。スマホも満充電に近く、ライトを作動させても二時間は確実に活動できる。

 同行者の面々に隠れてかつての自分の遺体を探すならば、このタイミングしかおそらくはない。それか、明日の同じく夜だ。

 

 チャンスは少ない。野晒しの遺体は風化して、散逸している可能性の方が高いだろう。野生動物に食い荒らされていることだって考えられる。

 だからこれは、ダメで元々だ。「雨宮吾郎の遺体の発見」を、これからの行動の前提には置けない。「あればなおよし」、という程度の話でしか、きっとない。

 

 ただそれでも、手だけは尽くしたかった。それをすることが、わざわざアクアがこの地に、高千穂に(いざな)われた意味なのだとさえ、心のどこかで考えていた。

 

 

 

 全員でのダンスパートの撮影が終わり、アネモネが未成年組二人に対して宿に戻るように促す。

 アクアが胸中にて自らのここからの行動指針を定めたのは、それとほぼ時を同じくしてのことであった。

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