天には星を、人には愛を   作:厳冬蜜柑

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3-13. きっとそれは、必然だった

 アネモネが、「POP IN 2」MVの全体ダンスパートのうち今日の分の撮影切り上げを伝えてから暫くのこと。

 B小町三人は未成年組の時間制限のこともあってバラシとなり、撮影スタッフもMEMちょのドラマパート撮影のために残る数人のスタッフを除いて撤収モードに入っている。

 明日も使うということで、撮影スペースのセットはそのままだ。一方、MEMちょ以外のB小町の二人は、アイドル衣装からすっかり普段着に戻っていた。

 

 ここにやってきたときと同じ、葡萄茶色のコートに身を包んだルビーが、軽い足音を響かせながらあかねに駆け寄ってくる。

 そのままの勢いで、彼女にひっしと抱き着いた。

 

「わっ、ルビーちゃん」

「えへへー」

 

 驚きに声を上げたあかねに対して、甘えるようにぎゅっと腕に力を込めて、ルビーは上目遣いに見上げる。

 

「ねぇ、今日はあかねおねえちゃんと一緒の部屋に泊まってもいい?」

「え? うん、私は全然いいよ? けど……」

 

 ルビーから発された、我が妹ながらあざとさすら感じさせる「おねだり」を受けて、あかねがアクアの方へと目を向けてきた。

 彼女からすれば、唯一の肉親たるアクアの意思ぐらいは聞くべきものだと考えているのだろう。

 

「俺からも。あかね、悪いけど頼めるか?」

 

 ただそれは正直なところ、アクアの方からしても都合の良い展開だった。

 

 「あかねには、雨宮吾郎の死体の存在を知られてはならない」。今更に過ぎる話ではあるものの、アクアは今その考えを強くしていた。

 成り行きの面こそあったが、ほぼ衝動によって雨宮吾郎の話を彼女にしてしまった自分が何を言うのかという話ではある。しかし、ただでさえアイのことで不要なリスクを背負わせてしまっているあかねに、「雨宮吾郎の死」などという余計な情報を認識させてしまうのは、いかにもまずい。

 そうなれば、あかねがアクアたちのことについての『本当の核心』まで辿り着いてしまう可能性が、いよいよもって無視できなくなるからである。それだけは、避けねばならなかった。

 

 そういう訳で、ここからの数時間においてどうやってあかねのある意味「監視の目」を掻い潜るかが目下の課題となっていたアクアにとって、ルビーの「お願い」というのは、あるいは「渡りに船」とさえ表現すべきものであったのだ。

 

「いいの?」

「ああ。ルビーの好きにさせてやりたい。それと……ルビーと一緒に宿戻っててくれるか? 俺はもう少し残るから」

 

 アクアの見せた積極的な態度が意外であったか、目を小さく見開きつつも訊き返してきた彼女に、故にアクアはもののついでとばかりにまた一つの頼みごとをする。

 つまるところ、そうすることであかねをルビーと一緒に宿に帰してしまおうという魂胆だった。

 

「そうなんだ。……うん、わかったよ」

 

 そして当然のことながら、アクアがそうやって頼めばあかねとしてもルビーのお願いに否やのあろうはずもない。

 

「じゃ、今日は一緒の部屋でお泊りしよっか」

「やったー! ありがとうあかねおねえちゃん!」

 

 慈愛の笑みすら浮かべつつもルビーに向けて答えたあかねに、ルビーは無邪気なまでの喜びの態度で、今一度あかねにぎゅっと抱き着いた。

 

 

 

 斯くしてあかねとルビーは、二人連れ立ってこのスタジオから去ってゆく。

 

 それを確認したのち、視線を彼女たちから逸らしてこの場を見渡せば、スタジオの入り口近くの方では、今日一日の強行軍にであろうかどこか疲れた表情をしているかなが、アイに色々と話しかけられていた。

 おそらくはダンスパートのパフォーマンスについて褒めているのだろう。アイの明るい、テンションの高めな声は、その言葉の中身こそクリアには聞こえないものの、アクアの耳にもよく入ってきていた。

 

 そして暫くすれば、彼女たちもまたあかねたちと同じように、出入り口の階段を上って外へと出ていく。宿に戻ろうということだろう。

 

 

 

 而してこの場所には、責任者としてこの場に留まっている壱護社長とミヤコに、居残りでドラマパートの撮影を課されているMEMちょ、そしてアクアが残された。

 

 

 

 

 

 自分一人だけ居残りの憂き目に遭っているからか、どこか死んだような目でアネモネの指示を聞き、しかしいざカメラを向けられればすぐにアイドルとしての表情を作る。

 そんな、良くも悪くもプロ意識を発揮し続けているMEMちょの雄姿を眺めながら、アクアは頃合いを見計らっていた。

 

 動き始めるのは、あかねがルビーを宿に送り届けてからがいい。そしてそこから、MEMちょが撮影を終える深夜〇時前後までの時間が、アクアが一人で動くことのできるタイミングだろう。

 幸い、ここから件の病院、宮崎総合病院までは近い。つまり吾郎があの男に突き落とされた崖のある場所も、そう遠くはない。崖下の一帯にたどり着くまでは、二十分とかからない。

 同時に、宿までの距離も大体そのぐらいである。よってアクアは、MEMちょがソロのドラマパートを撮り始めてからおよそ十五分ほどの時が過ぎた頃、チャットアプリ上にてあかねに連絡を飛ばした。

 

『お疲れ』

『宿戻ったか?』

 

 その程度の、言ってしまえばシンプルな確認だ。難しいことは何も訊ねていない。

 

 当然に、そう時を置くことなく、あかねからは是か非かの連絡が返ってくるものだとばかり思っていた。

 それを確かめてから、アクアは行動を始めようと思っていた。

 

 

 

 しかし、一分経ち、二分経ち、五分経っても、返答がこない。

 そればかりではない。メッセージに対して、『既読すらつかなかった』。

 

 

 

 

 ――おかしい。明らかに。

 瞬間、強烈な違和感が、アクアの脳裏に去来する。

 

 あかねは責任感が強い女性である。アクアがルビーを頼んだことを知っていて、アクアからやってくるであろう確認の連絡を見逃すとは思えない。

 と言うより、宿に戻ったら絶対に連絡のためにスマホを開くはずだ。どうあってもそこで、アクアからの連絡を彼女は目にするはずなのだ。既読がつくはずなのだ。

 しかし、そうなっていない。

 

 電波の問題か。そう一瞬考えて、しかしアクアはすぐにそれを否定した。

 高千穂町はたしかに田舎で、山深くにまで分け入ってしまえば、電波は届かなくなる。しかしここから宿までの間は、基本的に片面一車線の自動車道沿いを歩くだけでよかったはずだ。そして宿の中にはWi-Fiが飛んでいる。電波が掴まえられないとは思えない。

 

 ならば、可能性は限られる。

 つまり、それは――なんらかの「イレギュラー」が、あかねと、そしてルビーの身の上に、起こっているという証では、ないのか。

 

 

 

 急に、ぞっと背筋が冷たくなった。きっと直前まで、吾郎としての最期の出来事のことを、思い出していたからなのだろう。

 その時の記憶と、今が重なる。あり得ないはずだと自らを否定しようとして、しかししきれなかった。

 

 果たしてそれはアクアにとって、「禁じ手」を使わせるには十分に過ぎる危機感であった。

 

 

 

 開いていたメッセージングアプリを閉じて、代わりに別のアプリを起動する。

 それはすなわち、位置情報共有アプリだ。

 誰を対象としてのものか。無論、ルビーである。

 

 

 

 十三年前の事件が起きてから、星野家全員の話し合いのもと、三人の間ではとある取り決めができていた。

 

 各々、スマホを持つにあたって、位置情報共有アプリを必ずインストールすること。

 そして、連絡なしに予定の時間になっても帰宅しなかったりと、それぞれから見て「イレギュラーな事態」が起こっている可能性を疑った場合は、アプリを使って相手の現在位置を追跡してもよいこと。

 

 アクアは、今こそがその時だと思っていた。

 

 

 

 ディスプレイの上、ここ高千穂町一帯の地図が描画されている中に、ルビーの行動履歴を探す。

 

 そうすれば、彼女はどういうわけか、このスタジオから出たところからすぐに、宿の方向とは関係ない、宮崎総合病院に向かう林道へと一直線に進んでいた。

 そしてその途中、恐らくは圏外に至ったか、位置情報の発信が途絶えている。だいたい、五分ほど前のことだった。

 

 ――宮崎総合病院へ向かう林道。それは、かつて吾郎が死んだあの崖下の辺りに通ずる道だ。

 

 そのことに思いが至った瞬間、何か致命的な予感と、そして途轍もない悪寒が身を走る。

 

 気づけば、弾かれたようにアクアは立ち上がっていた。

 

 

 

 がたりと立った音に訝しげにこちらを見てきたミヤコに会釈だけ返して、アクアは鞄を引っ掴んで出入り口の階段を駆け上がる。

 些か乱暴にスタジオの扉を開ければ、一月の高千穂の夜の澄み切って冷え込んだ空気が、アクアの頬に叩きつけられる。

 

 全身に震えが走った。それは寒さばかりが理由では、きっとありはしない。

 ルビーと、そして恐らくはあかねが向かった方向目掛けて、一直線に駆け出す。幸い、舞台の時に作っていた体力はまだ落ち切っておらず、アクアが林道の中を走るだけの持久力を残してくれていた。

 

 

 

 途中まで進んでいた、アスファルト舗装された道から外れ、林道へと立ち入る。その手前で立ち止まり、アクアは左右を、そして正面を見渡した。

 

 眼前に見える道は、左右にワイヤーこそ張られているものの、土を踏み固めて作られただけの簡素なものだ。まさに、いかにもな林道である。

 これは奥に入れば、確かに電波など届くとは思えなかった。

 

 幸い、アクアには土地勘がある。二次遭難など愚か者のすることだが、しかし自分の踏み込める一帯を探し回る分には、アクアにとっては何の問題もない。

 そしてこの道を真っすぐ進んでいる分には、脇に逸れるような獣道はない。ルビーたちも、林の奥に迷い込んでしまっている可能性は少ないはずだ。

 

 ――大丈夫。迎えに行けばいいだけだ。

 そう努めて自分に言い聞かせて、アクアは一歩を踏み出した。

 

 

 

 しかしその瞬間、不意にポケット中のスマホが震えた。

 心臓が跳ねる。思わず足を止めた。

 震える手でそれを取り出し、ロックを外す。

 

 心の焦りを押さえつけながら通知を見れば、そこにはあかねからのメッセージが来ていた。

 

 

 

『ごめん、電波悪かった』

『まだお部屋帰れてない』

『ルビーちゃんの持ってた宿の鍵がカラスに取られちゃって』

『ルビーちゃんが追っかけてるのについていってる』

 

 

 

 その文面を見て、アクアは思わず大きな息を吐いていた。言わずもがな、安堵から来るものである。

 

 メッセージの存在それ自体が、あかねたちの無事をアクアに知らせていたからだ。

 そして同時に、アクアは今一度位置情報共有アプリを開く。ルビーの、そしてあかねの居場所を知るためだった。

 

 見れば、ルビーの位置情報を意味する赤いドットが、復活している。それはこの林道を進むこと暫く、少し視界の開けているであろう場所にあった。

 彼女はそこから動くことなく、どうやら立ち止まっているらしい。あるいは、あかねがルビーを押し留めてくれているのだろうか。

 

 ――全く、人騒がせなことをしてくれる。

 内心で軽くルビーに毒づきながら、アクアはメッセージを返した。

 

『了解』

『俺もそっちに行ってる』

『だからそっち着くまで動かないで』

『ルビーにも言い聞かせといてくれ』

 

 わかった、とすぐさま帰ってきた返信を一瞥して、アクアはもう一度、林道の中へと走り出した。

 

 

 

 

 

 しかしこの時、アクアは気づくべきだったのだ。気づかなければならなかったのだ。

 宿に戻っているはずのルビーと、そしてあかねが、そこにいない。そのことを認識しているのは、なにもアクアだけではないということに。

 

 それだけではない。加えてアクアまでもが、帰路につくことなく明後日の方向に、ルビーたちのいる方向に、迷いなく進み始めた。

 その情報を知ることのできる立場の人間は、『もう一人だけいる』。

 

 すなわち、アクアとルビーの母親だ。アイだ。

 彼女が今の状況を見て、何を思うか。何に気がつくか。

 

 

 

 そのことを、アクアは少しだけでも、考えるべきであったのだ。

 

 

 

 

 

 ジョギングの速度で走り続けて十分ほど、アクアはとうとう、ルビーのGPS情報がある林道の中の開けた場所まで辿り着く。

 果たしてそこにはルビーと、そしてあかねがいた。

 それまで盛んに二人の間で何かを話していたらしい。アクアの足音を聞いて、共に視線を向けてきた。

 

「あ、お兄ちゃん」

「お兄、ちゃん、じゃ、ねぇだろ……」

 

 立ち止まり、膝に両手をついて息を切らせつつ、能天気に声をかけてきたルビーにジト目をくれてやる。

 

「心配、させやがって。連絡の、一つぐらい、入れろ」

 

 しかしそれにはルビーではなく、あかねが言葉を返してきた。

 

「ごめんね、アクアくん。私が気をつけとかなきゃいけなかったよね」

「いや、そんなことは、ない」

 

 代わりに頭を下げてくる彼女に、首を振って答えた。

 二度ほど大きく深呼吸をして、乱れに乱れた息を整える。膝に置いていた手を退け、アクアは背筋を伸ばした。

 

「ありがとう、あかね。あとごめんな、コイツのバカに付き合わせて」

「あ、お兄ちゃんなんてこと言うの」

「いやバカだろこれは。あかねまで振り回して。……まあ、どうせお前のことだから、地面歩いてたカラスにちょっかいでもかけに行って、逆に鍵を持ってかれたりなんかしたんだろうけど」

 

 ばっさりと斬ったアクアの言葉が図星であったか、ルビーがわざとらしく胸に手を当てる。うぐ、と声も漏らしていた。

 どうやら本当に、そういう経緯であったらしい。ルビーの隣であかねがわかりやすく苦笑する顔が、アクアの視野には入っていた。

 

 はあ、とため息を一つ吐く。そして、改めてルビーに問いかけた。

 

「で? そのカラスはどこに行った」

「あー、えっとね」

 

 問われたルビーが、自らの背後を指さす。

 

「そこに祠があるんだけど、その中に入ったっぽい。ちょっとした洞穴みたいになってるっぽくて、だからお兄ちゃんが来るのを待ってから取りに行こうかって、あかねちゃんと」

「祠……」

 

 アクアが奥に視線を遣ろうとしているのを感じたか、ルビーが半身になってその先を見せる。

 そうすれば、彼女の陰になっていた場所には、確かに小さな木造の祠が鎮座していた。四、五段ほどある石段の上、祀っているのは地蔵の類であろうか。

 その奥には、何か空間のようなものが広がっているのも見える。

 

 ルビーとあかねの間を通って、アクアは祠へと近づく。

 頭上から降り注ぐ月明かりの青さが照らし出しているからか、その姿は些かばかり、アクアの胸をざわめかせた。

 

 いや、それだけではない。

 ここにやって来てからというもの、アクアはどうしてか、妙な胸騒ぎがしていた。

 この場所か、それとも「今」という時か。それが、何か致命的なものを孕んでいるような気がしてならない。

 

 理由も、根拠もない。しかし、紛れもなく止められそうもない「予感」だった。

 

 まるでそれは、アイのドームの日の朝のような。

 また或いは、あかねの台風の日の夜のような。

 

「……カラスは、この中にいるんだな?」

 

 アクアは振り返ることなく、ルビーに声をかける。

 

「うん。そのはずだよ」

「分かった。じゃあ、とりあえず俺が中に入る。俺が大丈夫だって言うまで、お前は入ってくるなよ」

「えー」

「えー、じゃない」

 

 文句を垂れるルビーに構うことなく、アクアは祠の裏に回る。

 光の届かない横穴の奥に踏み込むべく、スマホのライトをつけてから、中へと入った。

 

 

 

 そこは、外から見るよりはずいぶんと大きな空間だった。

 地面は平坦で、そしてかなり奥に向かって続いている。とりあえず、危険がある場所ではないらしい。

 

 胸に未だ強く渦巻くざわめきはあるが、しかし場所としては確実に安全だ。

 ルビーを待たせて、しびれを切らして勝手に入ってこられても困る。よってアクアは、そこで表に向けて声をかけた。

 

「ルビー! 入ってきてもいいぞ! 俺の前には出るなよ! あと、あかねと一緒に来い!」

 

 張り上げたそれが、洞窟の中にこだまする。そうすればそこからあまり時を置かず、ルビーがするりと身体を洞穴の中へ滑り込ませてきた。

 

 軽やかな身のこなしは、遠い日の、それこそ幼稚園時代の、やんちゃ盛りの彼女を思い起こさせる。こういう奥まった、ある種「秘密基地」のような場所に心躍らせるものでもあるのか、表情は明るい。アクアとは対照的だった。

 そして後ろから、あかねが続く。

 

 その二人を一瞥して、アクアは今一度前を向いた。

 

 

 

 三人の足音が、砂利を踏みにじるざらついた音が、やけに大きく響く。

 それを聞くたびに、アクアの胸は波打った。

 

 走り終えてから何分も経つのに、呼吸など平常に戻って久しいのに、尚も動悸が止まらない。

 何か予感のようなものさえも、覚えていた。

 

 それはスマホのライトが照らす半径五メートルのほか、前も後ろも暗闇に支配されているこの洞窟という地理的条件が、そう感じさせているだけなのか。

 

 いや、違う。断じて違う。アクアはそれを半ば確信していた。

 

 今、自分は『分岐点』へ向かっている。踏み出してしまえば、二度と戻れない場所へ。

 しかしそれでも、歩みを止められない。後ろを歩く、あかねとルビーを止めることもできない。

 誘われるように、吸い寄せられるかのように、進んでいた。先へ、先へと。

 

 

 

 そして、アクアは『至る』。

 

 

 

 初めに見えたのは、靴だった。一対の靴だった。

 

 黒い、革靴だ。土埃に塗れ、汚れ切っている。

 

 そしてそこから、黒い襤褸に包まれて、二股に分かれた象牙のようなものが、奥に向かって伸びていた。左右ともに、対称に。

 

 

 

 本能に根差す違和感が、アクアの脳を直撃する。

 『在ってはならない何かが、そこにはある』。強烈に、そう叫んでいた。

 

 「それ」の隣、煌めく何かを咥えたカラスが、不意に一際大きな啼き声を周囲に響かせる。

 その濁った音を聞いた瞬間、アクアは強制的に認識する。させられた。

 

 

 

「ダメだ、……戻れルビー! こっちに来るな! これは……っ」

 

 そうだ。これは死体だ。白骨化した、死体だった。

 同時に、それが纏っている『白衣』が、胸元のIDカードホルダーに収められた『キーホルダー』が、アクアに告げる。

 

 言うまでもなく、他でもなく、それは十七年前に死んだ、雨宮吾郎の遺体であるということを。

 

 

 

 確かにそれは、今日アクアが探そうとしていたものだった。見つかるかどうかは、五分五分未満だと考えていた。見つけられれば幸運だと、思っていた。

 しかし今は、今だけは見つかるべきではなかった。決して見つけてはならなかった。

 

 あの時あの廃屋の中で、雨宮吾郎の話をしてしまった、それを知ってしまった、あかねの前では。

 この高千穂にやってきてからというもの、その来歴に対して僅かながらの「可能性」を排除できなくなり始めている、ルビーの前では。

 

 耳鳴りがする。視界に星が散る。息が上がって、止まらない。

 そして、アクアの制止は遅かった。

 

 隣で、どさりと音がする。ルビーが、膝をついていた。

 

 反射的に、アクアは背後を向く。あかねに呼びかけていた。

 

「あかねッ! ルビーと一緒にここからすぐに出てくれ! 通報は俺が――」

 

 

 

 いや、遅かったのは、それだけではなかった。なかったのだ。

 

 アクアが声をかけようとしていたあかねは、アクアの方ではない、『洞窟の入り口の方を見ていた』。

 そこから、足音が聞こえる。軽い、しかしゆっくりとした足音が。

 

 

 

「――こんな場所があったんだねー?」

 

 声も、聞こえる。この暗く陰鬱な洞窟にはにはどこまでもそぐわない、底抜けに能天気な声が。

 

「いやー、二人とも全然お部屋に戻ってこないからさー、探し回っちゃって大変だったんだよー?」

 

 ライトの向こう、姿が見える。

 野球帽の下、長く伸ばした黒髪。

 光の見えないこんな場所でさえ強烈に輝く、夜を熔かした瞳。

 

「ほら、()()()? こんなところにいないで、帰ろ?」

 

 呆然と、立ち尽くす。

 何故だ。どうして。なんで彼女がここにいる。いるはずがない、あなたが。

 

()()()も。もうだいぶ遅いよ? 警察は呼ばなきゃだけど、それは私がやっとくからさ」

 

 いや、理由など問うまでもない。

 彼女も、()()もまた、アクアとルビーの位置情報については確認できるのだ。

 アクアたちの動向など、その気になれば彼女には筒抜けだ。アイとルビーに対して、アクアがそうであるように。

 

 しかし、それでもなお、どうしてわざわざここに来たのか。壱護社長ではなく、ミヤコでもなく、アイが。

 

 

 

 近づいてくる。どんどんと。あかねの立っていた場所を過ぎて、アクアの正面まで。

 目と鼻の先、見上げるような姿勢で、アイから腕が伸ばされる。両腕が。

 

 そして、アクアの両肩にそれが置かれた。

 その全てを見ていながら、アクアは一歩も動けない。

 

「あと、さ?」

 

 ずっと、気づかないふりをしていた。考えないことにしていた。

 

 「宮崎」の、「高千穂」の名前を聞いたときに、顕著にアイが興味を示した理由も。

 高千穂に着いた直後、ルビーたちに同行せず、壱護社長と二人でどこに行っていたのかも。

 ここにはあかねがいるというのに、どうしてルビーのことを、アクアのことを、呼び捨てにしているのかも。

 

 そして――熊本から高千穂までの道中、やけにあかねに絡んでいたアイが、彼女に何を話していたのかも。

 

 

 

 しかし今、もはやアクアに逃げ場はない。

 夢は畢わり、現実がやってくる。

 

 

 

「だめだよ、アクア。これは、私の仕事だよ」

 

 声を拾う。言葉を。そして、意味を理解した。

 

 

 

 

 

 

 

 アクアの世界が、毀れる音がした。

 




今日は、このあと昼12:00に番外編の更新をします。伏線の回収と、一つの「種明かし」のためです。
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