天には星を、人には愛を   作:厳冬蜜柑

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第四章 血脈 (探求編)
4-1. 血の因果


 その部屋は、闇の中に沈んでいた。

 唯一の光源たるモニタからの光を浴びて、住人たる一人の少女が忙しなく目線を左右に走らせている。

 

「『稽古確認共有用』……こんなところなかなか掘る機会なんてなかったけど。十八年前……」

 

 断続的に、マウスのクリック音が響く。そのたびに切り替わる画面の中、表示されていたのはいくつかの動画だった。

 そしてそこから何かを必死に探し出すかのように、少女はそのモニタに、パソコンに齧り付いていた。

 

「もうちょっといい画質の……でもしょうがないか、この時代だと」

 

 ぶつぶつとした独り言とともに、ページを開き、動画を再生しては閉じる。

 ひたすらにそれが繰り返され、それに合わせるように、少女の目は、そして手は、忙しなく動く。

 

「ワークショップ、のデータはないか……消されてる? いや、部外者入れてるから破棄されてるのかな。でも……あった」

 

 そしてそんな奮闘の末に、少女は一つの動画へと辿り着いた。

 それはララライが自前の稽古場として抱えている中規模のスタジオの中、演劇技法の実演のために撮影されたと思われる幾つかのエチュードが収まった、所謂「まとめ動画」だった。元を辿れば、デジカメで撮られていたいくつかのファイルを結合してアップロードされているものだと推測される。

 当然に、演じている劇団員もまちまちだ。恐らくは撮影した日時すらも連続してはいないのだろう。時折完全に画角が変わっているのが確認できる。

 

 それこそが、少女の――黒川あかねの求めていた動画だった。

 シークバーを動かし、早回しで動き回る画面の中の人影より、目当てとなる『誰か』を探す。そうすれば、その『彼』は思ったより呆気なく見つかった。

 

 

 

 自らの『恋人』と同じ、陽光を熔かした金糸の髪。

 涼やかな目元、通った鼻筋。顔つきさえ、どうしようもなく重なった。あまりに、似ていた。

 

 そうだ、画面の中のその人は、あまりにも似ていたのだ。あかねがよく知る彼に。アクアに。

 彼のそれよりも深い、夜のような紫紺を秘めた、アイのそれにも似た虹彩も。

 周囲への強い説得性を持ち、辺りを()()()()()()ような、その演技も。

 

「確かに……似てる」

 

 胸の奥底から、感情さえもざわめく。それは果たしてあかね自身のものなのか、それとも無意識のうちに己の上に投影してしまっていた、『「アイ」のレイヤー』によって惹起させられたものなのか。

 それでも、その未分化の情動こそが、あかねに告げていた。今自分は、確かに『答え』に手を掛けているのだと。

 

 指先で、モニタに映る人影に触れる。

 どこか震える唇で、あかねはそれを口にした。

 

()()()()()()……」

 

 今、自らが目にしている動画の中でエチュードを演じる、その彼の名を。

 

 

 

 かの少年は、アイが妊娠し、そして双子――アクアとルビーを産んだ十六年前、十五歳の中学生だった。

 アクアが口にした、「父親候補」の当時の年齢に関する想定とも、符合する。

 

 ――十六歳の母に、十五歳の父。

 今更ながらに、その響きが異様に生々しくあかねの脳裏に反響した。

 

 今のあかねの一つ年下の女が、今のアクアの同じく一つ年下の男と身体を重ね、そして子供を産んだ。

 そうやって生まれた子供がアクアであり、そしてルビーである、などと。

 

 そんな推測が、しかし強力な確度を以て眼前に立ち現れたことは、あかねにとって途轍もなく恐ろしいもののようにさえ、感じられてならなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 あらゆる意味において、そしてこの家の全員にとって、不可逆とも言える転機となった高千穂の一件から、ひと月ほどが経った。

 月が替わり、正月ムードで少し停滞気味であったアクアの仕事――つまり芸能活動も、そろそろ大きく動き出そうとしている。言うまでもなく、壱護社長の差し金だ。

 

 ただ、その本番まではまだ少し猶予があった。アクアが本格的に忙しくなりそうなのは、この年の七月から始まる夏クールのドラマに関連する仕事が入るであろう四月頃からになる。

 キャストや制作側との打ち合わせに、プライム帯で放送される連続ドラマである故にかけられるであろう宣伝攻勢のためのインタビュー対応や番宣出演、そして当然に撮影と、アクアはそこから一気に俳優としての仕事を詰め込まれるようになる。

 実際、これで今回のドラマが好評となれば、アクアの芸能人としての知名度は一気にお茶の間レベルにまで引き上げられる可能性もあるのだ。ブレイク寸前のタレントを抱える芸能事務所の動きとして壱護のそれは当然至極といったものであったし、アクアとしてもその流れに掉さすつもりなどなかった。

 

 しかし同時に、それはアクアの『目的』にとって障害であることも確かだ。だからこそアクアは――否、あの冬の盛りの旅行のさなかに、自らの意思によってアクアへの協力を決断してくれたあかねもまた、本格的に仕事に忙殺されるであろう春が来るよりも前に、動き出すことを決めていた。

 

 

 

 そして今アクアは、己が協力者たるあかねを伴って、市ヶ谷にあるとある個室つきの高級中華料理店に、更にもう一人の人間を招いてやってきていた。

 

 

 

「すまんな、アクア。こんないいもん食わしてもらっちまって」

 

 扉が閉め切られ、完全に外界と隔離されている部屋の中で、その彼がアクアに、礼と共に一つ頭を下げた。

 どこか申し訳なさそうな声と、そして言葉だ。アクアは首を振る。

 

「いえ。姫川さんには忙しいところをわざわざ協力していただいているので、これぐらいは。僕の方も、そろそろまとまったお金が入るようになってきていますし」

 

 つまるところこの日この場にアクアが招いたのは、劇団ララライの看板役者、姫川大輝に他ならなかった。

 

 本題に入る前に、アクアは大輝へのお礼の意味も込めて、この中華料理店のディナーコースを振舞っていた。

 言うまでもなく、彼の分の費用は全額アクア持ちである。というより、あかねの分も含めたこの場のアテンドと支払いは、全てアクアの手によるものであった。

 

 そして当然にと言うべきか、この場で個室をわざわざ用意しているのはすなわち、これから彼に対して『そういう類』の話をせねばならないということを意味している。

 だからこそ、食事の持ち込みのためにウェイターが出入りすることのなくなる食後のタイミングまで待ってから、アクアは本題に入ることを決めていた。

 

「それで、そろそろ話するつもりなんだろ?」

 

 当然に、そのアクアの意図は大輝にも言外に伝わっていたらしい。眼鏡の奥の目を微かに光らせながらそう促すように問いかけてきた大輝を正面に、アクアは黙したまま頷く。そして、隣に座るあかねに視線を遣った。

 

 今日の彼女は、こういう場(高級中華)にやってくるということで、少しばかり着飾っていた。

 黒を主体としたレース仕立てのワンピースドレスに身を包んで、いつの間にか随分と長く伸ばしているその髪もまた、シニヨンにまとめている。

 

 そのことに意識が向きかけた矢先、あかねもまたアクアの方を向いた。自ずと合った視線の先、彼女の表情は一つの覚悟のようなものを宿している。

 きっとそれは、アクアの方も同じであった。互いに頷いて、そしてアクアはコート掛けに掛けてあった自らの鞄から、一つの書類を取り出した。

 

「そう、ですね。では、本題に入らせていただきますが」

 

 そこで一つ言葉を切って、アクアは手元のプリントに目を落とす。

 書かれている内容をもう一度自らの手で検めて、覚悟を決めんと瞼を閉じた。

 

 深呼吸を一つして、目を開く。そして、それを大輝に向かって差し出した。

 

「以前お願いしていたD()N()A()()()の件、結果が届きました。この通りです」

 

 差し伸ばされたそれ――私的DNA型兄弟姉妹鑑定書を手に取り、その上に視線を這わせる。

 

 

 

 瞬間、大輝の目が、大きく見開かれた。

 

 

 

 

 

 時間は、そこから三週間ほど前に遡る。

 高千穂の撮影旅行から帰ってほどなく、あかねはアクアが依頼した「自らの血縁上の父親と思しき人物」の、すなわち十八年前に劇団ララライ所属であったOBのことについて、すぐに調査に着手してくれていた。

 

 劇団ララライの過去の映像資料が残されているのは、あかね曰く内部の人間であればすぐにアクセス可能な、稽古に関する映像データが収められているリポジトリ――正確には、Youtubeのプライベートチャンネルだ――であるらしい。

 そしてそこに保管されているかなりの数のデータから、ターゲットとなる十八年前前後に記録された映像を中心に対象となるであろう人物の割り出しを試みれば、その『彼』は随分あっさりと見つかったのだという。

 

 それは黒川あかねという少女の調査能力の高さ故か、あるいは金田一から引き出せた「最後の手がかり」――アクアとよく似ている、当時中学生前後と見られる人物という情報が、随分と効果的に働いたのだろうか。

 いずれにせよ、そうなのであればアクアとしても閑居しているわけにもいかない。

 互いに三学期が始まったことで相変わらず自由な時間の取りづらい中、何とか週末に時間を捻出して、アクアとあかねは落ち合うことになった。

 

 

 

 話題が話題であるということで、二人きりであっても怪しまれず、そして隠蔽性の高い場所を、アクアはその現場として選ぶ。すなわちそこは、カラオケボックスだった。

 光量の少ない照明がぼんやりと照らす薄暗い部屋の中で、あかねは自ら持ち込んできたラップトップを開いた。

 

「一応、アクアくんにも確認してもらおうと思って。流石にララライの中のデータだから、映像そのまま渡すわけにもいかないし」

 

 情報セキュリティの在り方として至極当然のことを言いつつ、あかねは手元のタッチパッドを素早く操作する。

 目当てとなる動画の中、その「彼」が映っているであろう部分を頭出しして、彼女はアクアに画面を向けてきた。

 

「これ。この左側の、白いTシャツ着てる男の子」

 

 アクアは身を乗り出すようにして、差し出された画面を、そして動画を見る。

 再生ボタンをクリックすれば、おそらく声変わりが済んだばかりであろう少しばかり高めの声と一緒に、エチュードを演じる男の子の姿が、そのモニタには映し出されていた。

 

 その姿を見た瞬間に、アクアは直感する。

 ――見つけた。この男だ。間違いなく。

 そう、思わされていた。

 

 あまりに、それは自分に、星野アクアに似ていた。髪の色も顔つきも。

 しかしそれ以上に、アクアは彼の目に、思わず視線を吸われていた。

 

 それは、母と同じ色をした虹彩だった。いや、母よりもどこか塗りこめられた圧力を感じる、そんな紫紺の瞳だった。

 そこに宿る何かが、自分の心の奥底に共鳴している。「こいつと俺は、どこかで起源を同じくしている」と、そう内心が主張していた。

 

 どこかそれは、アクアが姫川大輝に対して覚えているものにも、重なるものだった。

 

「『カミキ、ヒカル』――こいつが」

 

 思わず呟いていたアクアに向けて、あかねが言葉を挟んでくる。

 

「確かに、すごく似てると思う。見かけもそうだけど、演技のやり方も」

 

 視線をそちらに向けたアクアに、彼女は更に続けた。

 

「演技のやり方の話だと、少しアイさんにも似てる気がするかな。いや、これはアイさんがこの人に演技を寄せてるのかもしれないけど」

 

 あかねがどういう意味をそこに込めているのかは、明らかだ。

 

「やっぱり、あかねも母さんがワークショップに参加した時のトレーナーが、このカミキヒカルだと思ってる感じか」

「そうだね。ワークショップの映像自体はどこにも残ってないから確認できなかったんだけど、多分そうだと思う」

 

 アクアの確認の意図を込めた問いにあっさりと頷いたあかねが、しかしそこで少しだけ、アクアに身を寄せた。

 ふわりと薫る清廉な果実の匂いが、鼻腔を擽る。それに少しだけ向いてしまった意識の間を縫うようにして、あかねの声が届いた。

 

「だけど、もう一つだけ気になることがあったんだ。この『カミキヒカル』って男の子のことで」

 

 まるで囁くように潜められた声色だった。この二人しかいないカラオケボックスの空間のなかで、それでもなおあかねがそういう振る舞いをする意味は、次いで放たれた彼女の言葉にこそ宿っていた。

 

「この人がララライにいた頃の話、ララライのベテランの人たちからいくつか聞いたんだけどね。ララライの中で、この人と特に親しくしていた人が、二人いたらしくて。それが――」

 

 そこで、少しだけ言い淀む。彼女は、その次に放たれるべき人物の名前を口にするのに、些かの決断をきっと要していた。

 だから、アクアは黙って待つ。視線を向けて。

 彼女はその瞼を静かに閉じる。他の客がかけているであろうカラオケ音源が遠くに響くばかりのこの部屋の中、息を大きく吸う音が聞こえた。

 そしてあかねは、口を、そして目を開く。吐く息に、音が乗った。

 

「『上原清十郎』さん。それと――『姫川愛梨』さん」

 

 その名前を、名字を聞いた瞬間、アクアの時間が、止まった気がした。

 

 

 

「『姫川』……」

 

 茫然と口にしたアクアを見て、あかねが頷く。

 

「姫川さん……『姫川大輝』と同じ苗字だよね。アクアくんの思ってることは正解だと思う。姫川さんの母親は、姫川愛梨さん。一応、証言もとれてる」

「……そうか」

 

 アクアは、何とか言葉をひねり出すようにして、そう答えるよりほかになかった。

 

 いつかの夜、当の大輝に聞いた言葉を思い起こす。

 ――俺はな、実は養護施設出身なんだよ。

 そう、彼は言っていた。

 

 それと、「大輝の母親が姫川愛梨である」という事実が接続する。

 姫川愛梨という女優は、かつて公共放送の朝ドラヒロインという大役を演じるほどの、期待の若手女優として名を馳せていた。

 しかし彼女は、アクアにとって「過去の人」だ。理由は、一つである。

 

「姫川愛梨は十五年以上前、軽井沢の別荘で、夫婦で心中して亡くなってる」

「そうだね」

「相手は覚えてないけど、もしかして」

「そう。上原清十郎。二人は夫婦だったみたいだね」

 

 淡々としたやり取りだった。その先にある事実を、詳らかにするための。

 そして、あかねは口にする。

 

「それともう一つ。姫川愛梨と上原清十郎の心中事件に前後するようにして、カミキヒカルは劇団ララライから脱退しているんだ。十六歳の時に」

 

 それはおよそ偶然の一言で片づけられるはずもない、背筋が凍るような事実であった。

 

 

 

 アクアの中で、推論が積み重ねられていく。

 

 上原清十郎と姫川愛梨の夫婦と、その知り合いであったカミキヒカル。

 どちらかと言えば、特にカミキヒカルに目をかけていたのは、姫川愛梨のほうであったらしい。

 カミキヒカルが劇団ララライに入団したのは十歳の時だというが、その時点で既に姫川愛梨とカミキヒカルとの距離は近かった。

 それはさながら、「年の離れた姉弟のようだった」という。全て、あかねが劇団内の聞き取りで調べてくれたことだ。

 

 スマホを使って、上原清十郎の顔画像を探す。

 結果としては、それはすぐにヒットした。姫川愛梨との心中事件のニュースの参考画像のみであったが。

 

 つまり彼は、姫川愛梨と比較してそこまで知名度のある存在であったわけではない。そしてそんな彼の顔は、姫川大輝とはまるで似ても似つかなかった。目の色も、髪さえも。

 

 翻って、あかねが提示してくれた映像の中にいるカミキヒカルを見る。

 具体的には、彼の虹彩の色をだ。その宵闇のような、紫水晶のような紫紺は、アイのそれとも似通っているが、しかしそれ以上に()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

 アクアの中、かつて姫川大輝に抱いた「同族意識」のようなものを、改めて思い起こす。それと、今眼前に広げられている証拠の数々を、重ねた。

 斯くしてそこには、あまりにも悍ましい一つの仮説が浮かび上がる。

 

「……あかね」

 

 口が、重い。声が震えていた。

 顔を上げ、あかねと視線が合う。小首を傾げるようにしてアクアを見ている彼女目掛けて、アクアは恐る恐る、それを言語化した。

 

「俺は、前から一個、気になってたことがあるんだ。東ブレの舞台の顔合わせで姫川さんと最初に会ったときから」

 

 それは、姫川大輝とアクアとの間にある「関係性」への、一つの推論だった。

 

「あの人、ずっと他人の気がしなかった。どこか似てるって、ずっと思ってて。それで今、姫川さんとこの『カミキヒカル』の顔を見て、思ったんだよ。――『眼が似てる』って」

 

 黙ったままアクアの言葉に耳を傾けていたあかねが、しかしそこで視線を上げた。

 「気づいた」、ということだ。アクアが何を言おうとしているのか。

 

「……アクアくん、君自分が何を言ってるか分かってる? 姫川さんはアクアくんと四つ年齢差がある。アクアくんが生まれたとき十五歳だったこの人、姫川さんが生まれたときは()()()なんだよ」

「分かってる」

 

 どこか窘めるような響きでアクアに言葉を返したあかねを正面に、それでもアクアは敢えて首を縦に振った。

 

「こんなこと言うのもあれだけど、精通してるか怪しいんだよ、その年齢は」

「それでもだ。上原清十郎と姫川愛梨の夫婦関係は外から見ている分には良好だったって、言っただろ、あかね。なのにそれがいきなり心中に発展して、その前後でカミキヒカルは劇団を抜けている。しかも、カミキヒカルは劇団に所属し始めた十歳のときから、姫川愛梨に可愛がられてた」

 

 あかねが、アクアから視線を逃がすように俯いた。そして腕を組む。右手の人差し指が動いて、自らの左腕をリズムを取るように叩いていた。

 

「心中事件の直前あたりから、カミキヒカルと姫川愛梨が不倫関係にあったセンは? 私は寧ろそっちを疑ってた」

「あるかもしれないけど、あかねの話を聞く限りじゃ、表立っての関係はずっと変わってないだろ。この三人の人間関係が急激に変化したような痕跡はない。上原清十郎とカミキヒカルの関係が悪くなったっていう噂もない。それに、たかだか密通を一回二回した程度で、そう簡単に心中までは行くとは、あんまり思えない」

 

 あかねの反論を、アクアが受ける。それは互いの思考を整理するために必要なプロセスでもあった。

 

「だけどそれってつまり、姫川愛梨がカミキヒカルと『子どもが出来るようなこと』をしたのは、カミキヒカルが劇団に所属してすぐぐらいってことになるよ。十歳って、生物的にはまあないわけじゃない話かもしれないけど、それはあんまりにも……」

 

 あかねは、なおも食い下がる。

 言わんとすることはわかる。アクアの立てている予想は、取りも直さず姫川愛梨という人間のことを相当に貶めているのだから。

 

 何せ相手は十歳の男児である。性愛というものがなんであるか、理解しているかどうかすら怪しい。

 そんな人間に対して、つまりは『そういうこと』をした、ということだ。それを世間一般において、「児童への性的虐待」と呼ぶ。

 

 アクアの、そしてあかねのよく知っている先達の、劇団ララライの看板役者の母親に、そんな汚名を着させようとしている。そのことの意味を分かっているのか。

 畢竟、あかねはアクアにそれを問いかけていた。

 

「そうだな。そうだとは思う。だから、確かめる必要がある、と思ってる」

「確かめる……」

 

 だからこそ、アクアは「それ」をあかねに持ち掛けた。

 敢えてワンクッションを置いた言い方に、少しばかり訝しむ様子をあかねは見せる。腕を組んだままに、自らの(おとがい)に手を当てた。

 

 しかしそこからそう時を置かずに、あかねの表情が変わる。はっと息を呑んで、顔が上がった。

 

「アクアくん、それは」

 

 出てきた言葉の響きに、そこに宿ったどこか咎めるようなニュアンスに、アクアは自らの意図を彼女が正しく読み取ったことを理解する。

 一を聞いて十を知るとはこのことだろう。そのあまりの頼もしさに薄く苦笑さえ浮かべて、アクアは頷いた。

 

「一番客観的な血縁関係の証明は、『DNA鑑定』だろう。だから姫川さんにアポとって、そのための試料をもらわないといけない」

 

 つまりは、そういうことである。

 

 「大輝とアクアが異母兄弟である」という仮定が真であれば、最低でもアクアと大輝の父親が同一人物であることは完全なる確定事項となる。

 同時に、あのドームの朝の襲撃事件に先立って、アイのマンションの住所をあのストーカー――菅野良介に教えた人物がアクアの父であるのだとすれば、ドームの事件の発生の二年以上前に死亡している上原清十郎が該当の人物である可能性は自動的に棄却される。

 となれば、大輝の父親もまた上原清十郎ではなくなり、彼がカミキヒカルと姫川愛梨の間に産まれた子供であるのは状況証拠の面からほぼ確実となるだろう。

 そしてそれはすなわち、「アクアと大輝の父親がカミキヒカルである」ということをも意味するのだ。

 

 その全ての起点となるアクアと大輝の血縁関係の証明を、アクアは得ようとしていた。

 

 

 

「そう、だね……確かに、理屈の上はそうだと思う。けど」

 

 アクアがそのあたりのことを説くも、あかねは依然悩ましげな表情で頬に握りこぶしを当てている。「腑には落ちていません」という態度が見え見えだった。

 

 もっとも、それも当然と言えば当然ではある。

 あかねは常識を、そして良識を持った人間だ。そしてそんな彼女にとってアクアの今の話というのは、およそすんなりと受け入れられるようなものではない。

 アクアが自らの主張の根拠としているのは、結局のところ「姫川大輝が他人の気がしない」という、己の中の証明の難しい感覚、直感とも言うべきものでしかないのだから。

 

「勿論、ダメ元のつもりではあるよ。もし俺と姫川さんの間に血縁関係がなかったんだったら、それはそれで収穫だしな。姫川愛梨に変な疑いをかけたことは、どこかで姫川さんの家の墓参りでもして謝るさ、そうなったら」

 

 そのことは、アクアとて理解している。故にそんな、言い訳がましい文句を長々と付け加えざるを得なかった。

 

 

 

 どこか気まずい沈黙が流れる。あかねは腕を組んだままで、そしてアクアはそんな彼女をただ見ているよりほかにない。

 それが続くこと十秒ほど、彼女はじとりとした目線をアクアへと送って、しかしそこで目を瞑る。小さくため息が聞こえた。

 

「……まあ、カミキヒカルとの不倫とか疑ってたんだし、私もあんまり人のこと言えない、のかな」

 

 口の中で零したような、半ば諦めのような言葉と共に首を振って、あかねは今一度目を合わせた。

 

「分かった、じゃあそれで行こっか。試料の話は、私の方から姫川さんにお願いしとく? 髪の毛とかでいいんだよね?」

 

 その末に彼女から出てきたのは、そんなある種妥協の、妥結の言葉だった。

 

 

 

 斯くしてその日、あかねとアクアは今後の動き方について合意に至り、二人ともに行動を始めた。

 

 まずは試料の確保に関して、流石にあかね経由ではあまりに誠意に欠けるということで、アクアの方から直接いくらかの事情の説明を交えつつ――当然、アイと自分との血縁関係に関しては徹底的に伏せる形でではあったが――姫川大輝本人に話をする。

 それを聞いた大輝は、拍子抜けとしか言いようがないほどにあっさりとその依頼を受けた。

 アクアから送ったお願いのメッセージへの返信に曰く、「金もそっちで払うんだし、毛の一本や二本ぐらい別にどうってことねぇから」ということらしい。何とも「らしい」回答だと、アクアは思った。

 

 そうなれば、あとはとんとん拍子である。実際にララライ経由で顔を合わせることの多いあかねが大輝から試料――最終的に、鑑定のためには毛だけではなく毛根組織が必要であることから、彼の髭を五本程度ピンセットで抜いて収集することになった――を受け取り、それをアクアが私的DNA鑑定を実施している会社に送付して入金すれば、そこから二週間と経たないうちに結果が送付されてきた。

 

 

 

 そしてその『結果』こそが、今姫川大輝が手に取り、そしてそこに書かれている内容に目を見開いている、一枚の書類に他ならなかった。

 

 

 

「マジ……だったのか、あれ」

 

 それは、まさに呆然と評するよりない声だった。

 目の前にしてもなお、その中身が信じられない。そういう感情が、大輝の声には籠もっていた。

 

 彼が今手にしている、そして視線を落としている鑑定書に書かれているのは、シンプルな事実だ。

 ――肯定確率九十九、九八パーセント。「被検者甲(姫川大輝)被検者乙(星野アクア)は、異母兄弟の関係にあると推定される」、と。

 

 

 

 姫川大輝が、目を瞑る。僅かばかり伏せられた顔の、そこにかかっている眼鏡のレンズが、この密室を照らす山吹色の灯火を反射して白く輝いていた。

 

「黒川から聞いた。アクア、お前俺の父親と母親については知ってるらしいな」

「ええ。すみません、勝手に詮索するような真似をして」

 

 謝罪を向けたアクアに対して、大輝は小さく首を振った。

 顔が上がる。彼のレンズの向こうの双眸が、その紫紺の虹彩が、正面から向けられた。

 

「別に、それはいい。俺だって本気で隠そうなんて思っちゃいないから」

 

 本当に何でもなさそうな声だった。いつもの大輝と同じような、どこか投げやりで、あるいは厭世的とさえ言えそうな、そんな言葉遣いであった。

 しかしそこで、彼の目が少しだけ細められる。

 

「けど、俺も訊いていいか」

 

 是とも非とも言わずにじっと大輝を見つめるアクアを真っすぐに見据えて、而して彼は問いかけてきた。

 

「アクア、お前の母親って誰?」

 

 それは彼にとって、きっと当然とも言うべき問いであった。

 

 

 

「それは――」

 

 一瞬、アクアは口ごもる。

 ――それは言えない。そう、半ば口にしかけていた。

 理由など今更考えるまでもない。アクアにとってアイとのことは、原則的には誰にも言ってはならないのだ。その秘密を共有する人間が増えれば増えるほど、加速度的に漏洩のリスクは増す。指数関数的と言ってもよいかもしれない。

 だからこそ、あかねに関してはどこまで行っても例外だった。もともと彼女が半ばそのことを察していたという事情もあったし、そして半ばアイにハメられた向きもあったとはいえ、それ以上にあの高千穂の夜の一件は、アクアをしてあかねを「自らの決して明かすべきでない秘密を共有してもよい相手」だと認識させるほどの意味を持っていた。

 

 当然に、眼前に座る大輝は、そういう相手ではない。ならば彼に対して自らの家族の秘すべき事情を明かすべき理由など、必然性などどこにもない。

 よってアクアは大輝の問いを反射的に拒絶しようとして――しかし瞬間、直感がそれを促したかのように、横を向いていた。

 

 そこにはあかねが座っている。そして、アクアの方を見ていた。

 彼女の透き通る碧の双眸が、その中に宿る光が、アクアにそれを気づかせた。決心させた。

 

「いや……わかりました」

 

 故に、アクアは言い直す。目を閉じて、一つ呼吸を入れた。

 そうだ。姫川大輝との血縁関係を洗った以上、そして彼と自らとの間に血の繋がりの存在を証明してしまった以上、アクアはその責任を取らなければならない。

 もはや、彼のことを「無関係だ」と断じることなど、出来はしないのだから。

 

「絶対に、他言無用で願います。俺のためだけではなく、姫川さん、あなたのためにも」

 

 そんな、どこか脅迫にも近い前口上と共に、アクアは身を乗り出す。声を僅かに潜めて、大輝に向かって再び口を開いた。

 

「俺の戸籍上の本名は、『()()愛久愛海(アクアマリン)』と言います。所属している『苺プロダクション』の社長夫妻の子供です。ただ、彼らにとって俺は養子です。つまり、本当の親は別にいます」

 

 隣で、僅かな空気の揺らぎを感じた。言うまでもなく、それはあかねによるものだ。

 是非もない、と言うべきなのだろう。アクアは自分の本名について、今まで彼女に明かしたことなどなかったのだから。

 

 ただ、そちらの方には目線すらも送らない。その要を、アクアは認めなかった。

 真っすぐに大輝を見据えたまま、自らの抱える決定的な事実を、提示した。

 

「俺の本当の親は、本当の母親の名前は、『星野アイ』。先代のB小町のセンター、元アイドルの『アイ』が、俺を産んだ母親です。それと――」

 

 大輝の纏う空気が変わる。目が見開かれた。それは驚愕か、それとも単純な興味によるものか。

 しかしそれに続くアクアの言葉が、彼の動きという動きを、完全に静止させた。

 

「俺は、自分の父親が上原清十郎さんである可能性は、限りなく低いと考えています。つまり姫川さん、あなたの父親も、上原清十郎さん()()()()と見ているということです」

 

 アクアたちのほかには誰もない、この隔絶された空間の中、消えてゆく残響と共にその意味するところを理解したであろう大輝の手から、鑑定書の紙が滑り落ちた。

 食卓に広がるテーブルクロスの上で、コピー紙の擦れる小さな軽い音がする。

 

 しかしその音が、アクアにはやけに大きく聞こえた。




大変お待たせ致しました。第四章開始です。
本章は全編オリジナル展開です。原作で言うところの中堅編~スキャンダル編辺りの時系列となります。

この章は、結構視点が行ったり来たりする構成になりました。主に「アクア/父親捜しサイド」と「B小町/アイドルサイド」が交互にやってくるような感じで進んでいきます。

テーマは、「それぞれの探求」です。



そしてもう一つ、本作においてアクアとルビーは斉藤夫妻と「里親制度」ではなく「普通養子縁組制度」で戸籍を一つにしています。なので戸籍(と住民票)上のアクアたちの名字は「斉藤」です。当然に、これは「星野アイが生存している」ために学校などに対して住民票の抄本を提出することになった場合に親子関係を類推されないための対策です。

「星野アクア」「星野ルビー」という表記はあっても「星野愛久愛海」「星野瑠美衣」という表記が今までなかったのは、実は地味に伏線でした。
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