天には星を、人には愛を   作:厳冬蜜柑

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4-7. 描く未来は

 新生B小町は、今や新進気鋭のアイドルユニットとして完全にブレイクを果たしていた。

 自画自賛ではないが、きっかけはあのファーストワンマンライブであり、そしてそれに先行して発表された新曲の、「POP IN 2」のMVだ。

 

 ライブとの相乗効果があったということか、MVはその後も順調に、全く勢いを衰えさせることなく再生回数を伸ばし、公開から僅か二か月で二千万回再生の大台に乗った。

 このままいけば、再生回数は最終的にはその倍、四千万回にさえ到達するかもしれない。大手レーベルでもないアイドルとしては、常軌を逸しているとさえ言ってもよい快挙だった。

 

 斉藤社長は、この機にファーストワンマンライブを使ったセールスプロモーションを盛大にかけることにしたらしい。先代B小町時代に作っていた伝手を活用して、広告代理店や幾つかのテレビ局を巻き込んだ宣伝攻勢を積極的に仕掛ける。同時にB小町の三人には、ここがチャンスとばかりにメディア露出に加えてCDの手売り会を含めたファンとの接点を作る場を増やした。

 当然、「ハイブリッドアイドル」としての本分を忘れることもなく、YouTubeの動画においてもB小町三人を集めた企画動画を集中的に公開した。そうすることで、グループの中の各メンバーのキャラクターの周知徹底を図り、メディア側に更に使ってもらいやすくしようという意図が、そこには含まれている。

 

 爛漫さと積極性の塊、基本的にはボケ役で、しかも時折実の兄である演技派の若手俳優のアクアに対するブラコンぶりを露骨に見せる、「甘え上手な末っ子の妹キャラ」のルビー。

 そんな自由奔放で、時に傍若無人ですらあるルビーに振り回されつつも毒舌交じりのツッコミを操り、時に同じ学校の先輩として彼女のことを導いて、また時には芸能界における先達としてアドバイスを送ったり、たまに過去の『元天才子役』の世評をネタに自虐したりする、「ツッコミ系先輩キャラ」のかな。

 そして二人の繰り広げるコミカルなやり取りをハラハラしながら見守り、脱線しそうになる場合はフォローに回って配信のバランスを保つ、容姿や口調は一番ポップで、悪く言えば「一番アホっぽいキャラ」でありながらも、その実は一番常識人で真面目な、「苦労人兼胃痛枠」のMEMちょ(自分)

 

 三者三様、王道を進んでいる部分もありつつ、しかし「ズラし」による意外性もキャラクター性に取り込んでいる。三人のナチュラルなパーソナリティからもあまり逸脱するものでなく、無理も求められない。見事な差配だと言えた。

 結果として、B小町はネットの世界においてもリアルな世界においても、大いなる躍進を見せている。

 

 ファーストワンマンライブは収容客数三千人弱のハコで挙行されたものだったが、座席数の六割を対象に実施した先行抽選の倍率が()()に達していたのが判明したことで、斉藤社長は新生B小町の次の舞台、セカンドワンマンライブのハコをとんでもない場所に定めた。

 すなわち、日本武道館である。

 

 集客可能性という客観的指標から見れば、それは自然と言えなくもない。日本武道館の収容人数はだいたい一万五千人ほど、翻って三千人弱のハコの六割――すなわち千八百人の席に対して十倍の競争率の応募が殺到したことから、最低でも現状のB小町は先行抽選の分だけで実に一万八千人もの動員が見込める。

 しかも、それはファーストワンマンライブの前の時点での話である。そこで得た戦果を手にメディア露出を、あるいはファンとの接触の機会を増やしている現状のB小町であれば、ファン層の増加による更なる動員数の確保を狙える。ともすれば、二日がかりで武道館ライブを催せてしまう可能性すらあった。

 

 実績を基に採算性を論ずれば、苺プロ側にせよ施設を貸し出す武道館側にせよ、却下すべき理由は何もない。

 ただ、武道館での単独ライブなどという一大イベントが自分たちの上にもうやってくるなど、正直なところMEMは全く考えていなかった。

 

 当たり前の話だ。何せ、ファーストワンマンライブの時点でB小町がこなしたライブの回数は、たったの三回しかないのだ。デビュー戦となったJIF、大手アイドルとの合同ライブ、そしてファーストワンマン、これだけだ。

 その次、四度目のライブでいきなりジャンプアップして武道館である。これをすんなり受け入れろという方が有り得ないだろうと、MEMとしては誰を相手としてでもなく主張したかった。

 

 

 

 今までの軌跡を振り返る。

 きっかけは、自分のチャンネルを世間にもっと売り込もうと参加を決めた恋愛リアリティーショーだった。あの現場はMEMにとって忘れられない体験となったし、あそこで得ることのできた『友人』――MEMはそれのことを「人脈」とは決して呼びたくなかった――との関係は、ともすればこれから一生の宝になるかもしれないと本気で考えている。

 しかし、それよりも何よりも、あの時思いっきり年齢を偽ってでもあの番組に、今ガチに飛び込んだことそれ自体が、きっとMEM自身の運命を切り拓いたのだろう。

 

 ルビーの兄であるアクアに誘われ、あれよあれよという間に連れてこられた場所はなんと()()苺プロで、つまりそれは自らにとって永遠とも言える憧れの相手である『アイ』の所属している事務所で、そこで自分は、MEMは、かつて諦めたはずの夢をもう一度追う資格を得た。アクアが、そしてルビーが、あるいは斉藤ミヤコという、このプロダクションの社長夫人が、MEMにそれを許してくれた。

 自分の横に立つ二人の女の子は、どちらも輝くばかりの才能を抱えている子たちで、その魅力を十全に引き出す場をこの事務所の社長である斎藤壱護社長が的確に用意することで、B小町の知名度と名声、そして人気は瞬く間に膨れ上がっていく。かつての伝説、MEMもまたずっと憧れていた、アイ率いる『先代B小町』の名を受け継ぐものとして、それに恥じないタレントを集めた新生B小町は、かつてのB小町が一から積み重ねてきた「伝説のアイドルグループ」への階段を、五段飛ばしほどの凄まじいスピードで駆け上がろうとしている。

 

 

 

 本当に、夢のようだと思った。そんなグループの一員に自分がなれていることが。いや、それよりももはや根本的に、『YouTuber・MEMちょ』という身の振り方を自らに定めきっていた自分が、アイドルになってステージに立つ身分になったことさえも、MEMにとっては見果てぬ夢の、奇跡の親戚のようなものであった。

 心が躍った。嬉しくて、楽しくて、仕方がなかった。

 

 でも、だからこそ今、MEMは悩んでいた。

 いや、それさえもきっと正しくない。

 

 はっきり言おう。MEMは今、自分の置かれた境遇に恐怖していた。そして、同時に強い焦りを抱えていたのだ。

 

 

 

 謙遜とは、時に罪だ。だからMEMは、確かに自分がYouTuberという枠の中においてはかなりの上澄みに位置する存在であることは理解している。

 B小町の一員である効果は確かにあるものの、最近MEMのYouTubeチャンネル『MEMちょの部屋』の登録者数は五十万人を超えた。そろそろ八十万人に辿り着きそうになっている『B小町ちゃんねる』の方には及ばずとも、自分がインフルエンサーの世界において「選ばれた立場」の人間になったことは、そうなれたことは、自己認識として持っていた。

 

 そこまでは確かだ。しかしそれでも、思ってしまう。

 新生B小町における自分以外のメンバー、ルビーと有馬かなという二人の少女と見比べて、自分は明らかに「足りていない」側の存在であるということを。

 

 新生B小町は、固定されたセンターの存在しないユニットである。それは、このユニットの立ち上げのタイミングから明確に意識されていた。

 これは先代のB小町のプロデュースにおいて、アイばかりが突出して存在感を発揮した結果として、B小町が「アイとそれ以外」のグループになってしまったことに対する反省を踏まえてのものらしい。斉藤社長自身は、直接にそういうことをMEMたちに伝えてこなかったが、アクアとのいつかどこかの雑談の中で、その辺りの社長の狙いについて聞かされたことを覚えている。確か、B小町全員がそこにはいたのだったか。

 そもそも、そうでなくとも三人という、昨今のアイドルとしては小規模の人数構成の新生B小町は、中心でグループをまとめ上げるためのセンターの存在をそこまで必要としていない。三人が三人ともに自らのタレント性を説得力を持つ形で主張できるのならば、新生B小町を「全員そろってのグループ」であると定義することに、何の疑問も生まれはしないだろう。

 

 ただ、それでもどうしても、MEMは考えてしまう。

 あのファーストワンマンライブ以降、新生B小町というアイドルユニットに対する注目は、はっきりとルビーに対して当てられるようになり始めている。

 

 隣にいて、最も近い場所でルビーのパフォーマンスを見ていたMEMだから、分かるのだ。

 あの日の、ファーストワンマンライブのステージの上にいたルビーは、確実に何かが違っていた。

 

 今にして思えば、その片鱗は件の高千穂のMV撮影の時からすでに出ていたように思う。

 それでも、一日目までは今までのルビーだった。ある意味、MEMと同じようにアイドルのことが好きで、アイドルに憧れて、アイドルになったことそのものが嬉しくてたまらない、そんな女の子だった。

 

 結局のところ、あの時点で確実なプロ意識を持ってB小町の活動をできていたのは、その商業的な意味を理解していたのは、唯一この業界で長く長く生き続けて、芸能界という場所の理想も現実も理解している有馬かなだけであったと言えるのかもしれない。

 MEMとしても、正直そうだった。内心、自分にとっての軸足、生活の基盤というものはあくまでYouTuberだという意識は強くて、アイドルとしての自分というものをどれほどの当事者意識を持って捉えることができていたかは、正直怪しい。

 そういう意味では、MEMにとってのB小町というのはどこか「アイドルワナビーの仲良しクラブ」というか、敢えて悪し様に言うのであれば「部活の延長線」のようなものだったのだろう。それぐらいの感覚でB小町の活動をしている部分があったのは、否定できなかった。もっとも、MEMは高校を休学して久しい身である故に、高校生としての「部活」の感覚などもう殆ど記憶の彼方ではあるのだが。

 

 しかし、二日目のMV撮影のために外ロケに行ったところから、ルビーは確実に変わった。

 あの旅行の一日目の夜に彼女の身に起きたことは、そしてあかねの、あるいはアクアに何があったのかは、ややその詳細をぼかされてはいるものの、MEMも聞いていた。

 大変な経験をしたのは、分かる。あの日のルビーの精神状態が確実に酷いことになっていたのもだ。しかし同時に、それが何かよくわからない化学反応を起こしたということなのか、ルビーはあの日「化けた」。誰の目にも、それは明らかだった。

 

 元々、ルビーのあの純真さを帯びた挙措は、神の手になる造形美とすら思えるほどに整っている彼女の容姿も相俟って、それだけで人の心を揺さぶってやまないものだった。

 彼女の言葉には、意思の乗った言葉には、他者を共鳴させる力が宿っているのだ。MEMがB小町に勧誘されるにあたって、相対したルビーからかけられた誘い文句こそが、最後の一押しになったように。

 きっとそれは、一つの才能なのだろう。ある種の異質さを帯びた、彼女の持つ資質なのだ。だから、あの『POP IN 2』のMVが浮き彫りにしたのは、ルビーという少女のもともと持っていた、眠れる力だった。

 

 しかし、彼女のその『眠れる力』が開花しただけで、全ては塗り替わってしまった。

 あの時のルビーは、ただそこにいるだけで場の全てを支配していた。視線を吸い寄せていた。

 あのMVが今現在においても凄まじいまでの再生回数を叩き出しているのは、アネモネのクリエイター魂の爆発も、そしてMEM自身の狙いすました「バズらせ」の仕掛けも作用していたとはいえ、結局のところそんなルビーの力によるものだ。

 彼女の存在が、あのMVを、ひいてはB小町というユニットそのものを、確実に変容させたのだ。そのことを、MEMはよく理解していた。

 

 そしてあの時、ファーストワンマンライブの時のルビーが見せていたのは、結局それと根を同じくするものだ。

 件のMVの中で見せていたルビーの感情は、正直なところあまりプラスの方面ではなかったことはMEMとて認識している。あの前後に起きたことを考えれば、それも当然だろう。だからというか、そんな不安定な様相を見せていたルビーを、彼女の兄であるアクアが寄り添ってケアしていたことも、MEMは憶えている。

 しかし、それでも本質は同じなのだ。かつてMEMがB小町に勧誘を受けたときに、正面に相対したルビーからぶつけられた感情の塊を、しかしあのライブにおけるルビーははっきり言って()()()()()()()()()()()()

 MVの時に見せていたダークな感情の奔流に比して、ベクトルの向きだけを反転させたようなものだ。外向けに放出しているパワーは全く変わることなく、だからこそ人を惹きつけてやまない。

 

 どこか、アイに似ている気もした。ルビーが、そしてMEMも憧れて、それ故にアイドルの道を志す原点になった彼女が纏っている、存在するだけで人のことを惹きつけてしまう絶対的なカリスマ性というものを、今のルビーもまた宿すようになった、ということなのだろうか。

 ただ同時に、それが全てではないような気もしていた。確かにアイのようでありながら、しかしアイとは決定的に違う何かを、彼女は持っているような。あるいは、探してさえいるような。

 ここ最近のB小町としての活動の中、ルビーが見せている振る舞いの中には、そんな意思のようなものが見え隠れしているようにも、MEMには感じられていた。

 

 

 

 ただ、その本質を深掘りすることは、実のところ今のMEMの抱える課題に対しては文字通り何の意味もない。

 問題は、斯くも鮮烈な『羽化』を果たしたルビーが一気に新生B小町全体の知名度を跳ね上げてしまったが故に、新生B小町が「ルビーのユニット」になりかけているということにあった。

 

 良い兆候ではない。言うまでもなく、かつてのB小町が「アイ個人軍」とも言うべきグループになってしまった歴史と同じ道を、今の新生B小町が辿りかけているからだ。

 無論、斉藤社長はそれに対して手を打ってはいる。

 B小町をバラエティに売り込むときは必ず三人をセットにするように心がけているし、それぞれのキャラクターを立てたマーケティングを試みている部分に関してもそういうことへの対策の意味は強い。

 かつてのB小町のように、アイに仕事を集中させるようなことはしていない。アイと違ってルビーが現役の高校生であるということも、一つのストッパーとして働いている。あまり学業を疎かにはさせられないということで、仕事を選ぶ大義名分は立っているからだ。

 そして、同時にB小町の他の面々に対して、ソロでも知名度を稼がせるための売り出しを社長は考えていた。

 

 特にそれは、かなに対してである。東ブレの舞台で素晴らしい演技を見せた彼女は、『元天才子役』などという懐古と皮肉交じりの評価ではない、「今もなお健在である演技力を持った天才女優」として売り出していけるだけの存在感を得ようとしていた。

 加えて彼女は、アイドルとしての新たなブランドイメージも得ようとしている。かつて美少女、あるいは美『幼女』として名を馳せた子役は、今においてもアイドル級の容姿を持っているのだという、セールスポイントをだ。

 故に、そろそろかなには積極的にドラマや舞台の仕事を入れようと、斉藤社長は画策していた。

 

 「ルビーには存在しない長所を持つメンバー」としての有馬かなの立ち位置を、社長はB小町の中に作ろうとしている。そして同時に、それによって彼は「有馬かながB小町に加入した狙い」を成就させるための足掛かりをも築いてしまおうとしていた。

 彼女の最終的な目標が「名のある女優として芸能界に返り咲くこと」であることは、MEMとて知っている。そんな彼女の願いを叶えるためにも有馬かなの女優売りはいつかは求められるものであって、ならば現状をある種の好機だと捉えて果断とも言える仕掛けを断行したのは、流石はアイを、そしてB小町を伝説のアイドルグループへと押し上げた敏腕社長の嗅覚であり、そして反射神経ということなのだろう。

 

 更に幸運なことに、B小町の活動の裏では、ルビーの兄であるアクアが地上波のドラマに、しかも主演級でデビューしていた。

 深夜帯などではない、れっきとしたプライム帯のドラマだ。これが当たった暁には、彼は確実に大きなステップアップを果たす。知名度も一気に向上するだろう。それをテコにして、かなをもう一度テレビドラマの世界に送り込むことも可能になるかもしれない。

 おしなべて、今の苺プロは好循環の中にあった。まるでB小町全体が、必然という名の運命に導かれているようでさえあると、そんなどこかロマンチックなことさえも考えてしまうほどに。

 

 しかしMEMは、そんな現状を手放しに喜んでいるわけにはいかなかった。

 B小町全体の斯くも好調な巡り合わせの中で、MEMだけが置いてけぼりを食らっていたからである。

 

 

 

 理由は、いくつか存在している。

 ただその一番大きい部分として挙げられるのは、MEMが苺プロと交わしている契約だろう。

 

 現状、MEMと苺プロの間に交わされているのは「エージェント契約」と呼ばれる類の契約だ。苺プロはMEMに対して、アイドル業務に限定する形で営業をかけ、案件を取り、それを斡旋する。

 MEMは苺プロに対して代理手数料のみを支払い、報酬はクライアントから支払われたものが直接懐に入る。正確には、B小町名義で得た報酬を三分割したものに加えて、MEM個別のグッズ収入の利益分をそのまま得ることができる契約となっている。

 言い換えれば、苺プロは、MEMの「YouTuberとしての活動部分」にタッチすることができないのだ。そちらに関しては別事務所である『FARM』と同じくエージェント契約を結んでいるのが現状のMEMの身分だからである。

 そうなると、「B小町のメンバーとしての独自の強み」として主張できるはずの、インフルエンサーたるMEMとのシナジーを、苺プロが主導して発揮することは難しい。現状では、MEMは初期の知名度ブースト――言うなれば「YouTuber・MEMちょ」からの客層の流入によってグループ内のファン数はトップを走れているが、早晩それがルビーに抜き去られてしまうことはほぼ確定した未来で、そうなればMEMは完全にB小町というユニットの中で埋没してしまう。

 

 何とかしなければならないのは事実だ。それは分かってはいる。

 しかし現状の中で最もMEMが問題と感じているのは、そんな確定した未来を前にして、「自分自身がそこまで困っていない」という、どうしようもない事実であった。

 

 

 

 自覚しているのだ。MEMには、取り立てて特異な才能というものはない。二十五年の生涯の中で、MEMはそういう現実に見切りをつけてしまっていた。

 インフルエンサーとしての自分が、最低でも日本の中では相当な上澄みに位置していることは事実だ。ただそれは、「地道な努力」と「幾分かの運」の為せる業だということを、MEMはよく分かっている。

 所詮、自分が出来ることというのは基本的には「誰でも出来ること」だ。誰もが努力をし、スキルを磨けば身に着けることのできる技術だけで、MEMという個人はこの世界を戦っている。精々MEMが個人の資質として誇れるのは、二十五歳になってなお現役女子高生YouTuberを名乗れるだけのクソ度胸と、それを可能にする童顔に、年齢より幼く見える骨格ぐらいのものだろう。

 だから、自分の隣にいるルビーとかな(持てる者たち)を見るにつけ、理解してしまうのだ。「彼女たちはこの先に羽ばたいていけるチケットを持った選ばれし者たちで、自分はそこに得難い幸運によって乗り合わせただけの凡人に過ぎないのだ」と。

 そんな自分に、MEMは納得してしまっていた。

 

 大体、アイドルになることが夢だった自分が、けれどもそれを掴むことを一度は諦めた自分が、その夢をどういう巡り合わせによってか叶えてしまったことが、すでに出来過ぎなのだ。

 どうしてもその意識が先行して、故にある意味、MEMはきっと今の境遇に、心のどこかで満足してしまっている。それこそが、きっと今のMEMが一種の惰性に流されそうになっている大きな理由であるのだろう。

 

 現状を肯定してしまいそうな自分と、それに異議を唱えようとする自分が、心の中でせめぎ合っている。

 そんな内心を、MEMとしては決して外には出していないつもりだった。何食わぬ顔でB小町の活動に参加し、YouTubeの企画を考えて、かなとルビーの間で繰り広げられるじゃれ合いのような口喧嘩に割って入っては道化を演じる。そういう振る舞いが、出来ているはずだった。

 

 しかしそんな自分のことは、どうやら分かる人には分かってしまうものらしい。

 年度が替わり、ルビーたちが進級を果たして、MEM自身もそろそろ二十六歳の誕生日が見えてくるという中々に恐ろしい事実に戦々恐々としはじめていた頃のこと、苺プロの事務所の中で、いつものようにB小町ちゃんねるへと投稿するYouTube動画の撮影を終えた直後のMEMのことを、ルビーが呼び止めた。

 

「MEMちょさ、今日ちょっと時間いい? 一緒に夕ご飯食べてこうよ」

 

 そんな、あっけらかんとした明るい提案と共に。

 

 

 

 

 

「ルビーとラーメン屋さんなんて、初めてじゃない? 地味に」

 

 事務所からMEMの家までの道程の途中、そこから少し逸れた場所にあるラーメン屋の中、MEMとルビーはともにカウンターで隣り合って並んでいた。

 

「確かにねー! 全然女子女子してなくてごめん、って感じだけど」

「いやぁ、それは……」

 

 確かに、今MEMたちがいるここはごくごく普通の魚介豚骨醤油ラーメンを出すラーメン屋だ。昨今のインスタ映え先行のコンセプトラーメンなどというおしゃれな場所ではない。

 もともとこういう職種の人間、深夜に一人でラーメンを啜ることなど数えきれないほどあったMEMとしては正直そんなことなど気にもしてはいなかったが、ただ正面からルビーにそう言われてしまっては、たはは、と苦笑交じりの愛想笑いのようなものを浮かべざるを得なかった。

 

「ここね、近場のラーメン屋ってことでお兄ちゃんが色々開拓してるとこの一個なんだよね」

「アクたんが?」

「うん。最近色々仕事入るようになって、今までみたいにみんなでご飯ーってわけにもいかなくなったから、ね」

 

 「毎日食べてたら身体に悪いよーって言ってるんだけどね」、と茶目っ気を込めて笑うルビーの横顔を見て、MEMは思案する。

 最近、ルビーが彼女の兄であるアクアのことを語るときの口調は、なんだかその色を俄かに変えたような気がする。

 

 やはりというべきか、これについてもあの、苺プロと、そしてあかねと宮崎に行った旅行から帰ってきてからのことだった。

 それまでのルビーは自らの兄に対して、思春期であることを考えれば異様とも言っていいほどに仲は良いものの、それでも家族としての甘えというか、良い意味でも悪い意味でも「遠慮のなさ」を向けていた。割と失礼なことをずけずけと言っていたし、アクアでなければ腹を立てそうな煽り方をしていなかったと言えば嘘になる。平たく言えば、甘えていたのだろう。

 しかしあの旅行を境に、彼女がアクアに向ける視線は、言葉は、俄かに変貌した。かなが、あるいは社長夫妻やアイがどれだけそのことを察しているかはわからない。ただ、いずれにせよMEMには分かるのだ。

 

 あれは、気遣いの視線だ。そして声だ。MEMが認識している限りにおいて、それは「あかねがアクアに向けているもの」と非常によく似ているように、感じられる。

 やはり、あの高千穂の地で、何かが起きたのだろう。ルビーに、アクアに、そしてともすればあかねにも。MEMには推し量れない何かが。そしてきっと、その一連の出来事が、ルビーを変えたのだろう。羽化させたのだろう。

 

「MEMちょさ」

 

 そう、流れるようにルビーの現状について思考が向いたところを、ルビーの声が遮った。

 気づけば、MEMが座る、そしてルビーの座るカウンターの前にも、ラーメンが置かれている。二人並んで会釈をしながらそれをテーブルの上に据えて、箸立てに刺さっている割り箸を互いに取った。

 割り箸を割く小気味の良い音と、「いただきます」の唱和する声が二人の間に発されたのち、湯気の立つラーメンを一口二口と啜ってから、ルビーはもう一度続きを口にした。

 

「まあ、こうやって二人でラーメン食べようよってなったのは、さ。ちょっとって言うか、結構色々MEMに伝えたいことがあったからなんだよね」

 

 箸を一度ラーメンの椀に渡してから、ルビーはMEMに顔を向ける。吸い寄られるように横を向けば、ルビーの双眸に宿る光が真っすぐにMEMの視界に差し込んだ。

 

「まずはさ、ありがとね」

「……どゆこと?」

「いや、今日もだけど、私たちのチャンネル(B小町ちゃんねる)やるための負担とか、全部MEMが受け持ってくれてるじゃん。企画考えるのもそうだし、動画を編集するのもそうだし。売り出し方っていうか、バズらせ方? だってさ」

 

 どこかむず痒くなるような、小細工なしの感謝の言葉だった。改めてそんなことを言われるとは思わず、MEMは視線を逸らしてしまう。どこか逃げるようにラーメンを啜って、気を落ち着けてからルビーに答えた。

 

「そんなこと? けど、私のB小町の中でのポジションっていうか、取り柄って結局はそれだからねぇ」

 

 これは本心だ。MEMは自分がこのユニットの中でどういう立ち回りを期待されているのかは理解している。斉藤社長やミヤコ夫人が自分に何を求めているのかも。

 

「でもさ、それってMEMちょがYouTuberやるために磨いてきたスキル? なわけじゃん。そういうのをさ、私たちのために時間まで作って使ってくれるって、よくよく考えたら本当にすごいことなんだよなぁって。だってMEMちょがいなかったらさ、私たち絶対チャンネル登録者数あんなに伸びてないよ?」

「そうかなぁ……ルビーの今の感じだったら、多分遅かれ早かれって感じだったと思うけど」

「そんなことない!」

 

 MEMの箸が止まった。もう一度、ルビーの方を見た。

 彼女もMEMと同じようにラーメンを啜ってはいて、しかしその瞬間、どんぶりの中に箸を突っ込んだまま、ぐいっとMEMの方に顔を向けた。

 迫力に、小さく仰け反る。でもルビーの方は、それに構うことはなかった。

 

「MEMちょいつも言ってるじゃん! 『バズは起きるものじゃなくって起こすものだ』って! 起こしてくれたのはMEMちょなんだよ!?」

 

 凄い熱量だ、と率直に思った。

 これほどにルビーが今、MEMのことをプッシュしようとしている理由は、何なのか。まさか褒め殺しするためにわざわざラーメン屋まで来たわけではないとは、分かっているのだが。

 

「それは……まあそうなんだけどね」

「でしょ!? だから、ありがとうなんだよ。たぶん先輩も、絶対言わないけどMEMちょには感謝してると思う」

 

 かなのことをしれっと欠席裁判で若干ディスってみせるあたりにルビーらしさを感じて、またもMEMは「たはは」と笑う。

 

「でもそっか。……そうだね」

()()()()

 

 そして、そこでルビーはもう一被せしてきた。

 MEMの方から敢えて視線を逸らし、目の前にあるラーメンに手をつけながら、まるで何でもないことのように、彼女は口にした。

 

「最近MEMちょさ、なんか悩んでるみたいだったから。どうしてもお話したかったんだ」

 

 声を、奪われた。

 ほぼ無意識的に、ルビーから目を離して前を向いて、そして無言のままに、ルビーと同じように、ラーメンを口に掻き込んでいた。

 

 

 

 暫し流れた、互いにひたすらに言葉もなくラーメンを啜り続ける時間を超えて、ルビーが続きを口にした。

 

「何て言うか、こういうの私が直接聞くのって、本当は正しいのか分かんなくてさ。先輩とかに言ったら、『そういうの喧嘩のもとになるから止めなさい』ってたぶん言われるんだろうなって、思わなくもないんだけど」

 

 互いに目線を合わせずに、自らの前に置かれたラーメンのどんぶりばかりと睨めっこして、しかし訥々とルビーは言葉を重ねる。

 

「でも、余計なお世話って言われるかもしれなくても、私はMEMちょと話がしたかったんだ。何となく誤魔化し合って、ぶつからないように遠慮して、悩んでそうなのに、見ているしかできないのって、嫌だった」

 

 ――本当は全然悩んでないって話だったら、もうほんとごめんって感じだけど。

 小さく苦笑を交えて付け足したルビーの言葉に、MEMは目を瞑っていた。

 

 分かる人には、分かってしまうということなのだろうか。

 MEMも割合他人の感情の機微には敏感であれと考えて生きてきた性質の人間ではあって、だから自分のそういった本音の部分は隠しておけるようにとずっと心がけていた。

 それでも、そんな自分であってもなお、今の心中はどうにも誤魔化しきれないということなのか。それとも、今隣に座っている女の子は、それほどにMEMのことを気にかけてくれているということなのか。

 後者であれば、嬉しいことだと思った。しかし同時に、ルビーがそういう方向に化けた一端というのも、結局のところは『あの旅行』にこそあったのだろうと、そんな確信にも近い推測をもMEMは立てていた。

 

 故に、MEMはもはや隠し立てをすることをやめた。諦め交じりの吐息を吐いて、ルビーの方を見ることなく、頷いた。

 

「分かっちゃうんだねぇ、ルビーには」

 

 敢えてどこか茶化すように口にして、ルビーの方に顔を向けた。

 示し合わせたように向けられた視線が、もう一度そこでぶつかった。

 

「じゃあさ、せっかくだからちょっと聞いてよ」

 

 そう言って、MEMは自らの今抱えている漠然とした不安と、そして確実に存在する悩みについて、ルビーに向かって切り出した。

 

 

 

 

 

 ルビーにとって、『MEMちょ』という女性はどういう存在であったのだろう。

 歳サバ読んでいるアラサー。YouTuberをやりながらアイドルに憧れ続けて、ようやく夢を掴んだ人。一緒に、夢を追おうとしている同志。

 まあ、色々評価する言葉はありはすれど、そんなすべてを差し置いて、ルビーはずっと彼女のことを、こう思っていた。

 

 すなわち、「強かで抜け目のない、バランス感覚に優れた大人の女性である」と。

 

 だから、きっとルビーは無意識のうちにMEMちょに甘えていたのだ。自分にはできないことだからと、YouTubeの動画に関するあれやこれやは全部彼女に対して丸投げしていたし、ライブの練習や日々の活動の中で、主にかなとの間で起こってしまう小競り合いの類は、MEMちょが最終的に収拾をつけてくれるだろうと思って、特に責任を持って矛を収めようとしたこともなかった。言い合いこそしてはいても、結局それは全部じゃれあいで、ふざけ合いのようなものだと考えていたから。

 自分たちと、壱護社長やお仕事相手の大人たちとの間に立ってくれる頼もしいお姉さんだと、そんなことばかり思ってしまっていたのかもしれない。

 

 そんな彼女が、しかし今悩みを抱えている。

 吐き出してもらえるように水を向けたのは自分でも、いざ彼女から話を聞くと、それは自分にとってもある意味で身につまされる話だった。

 

 「ルビーちゃんも、かなちゃんも、本当にすごい」。そう、彼女は言う。「もっと二人は、先に行けるんだと思う」と。それに対して、自分の中にそういう「輝き」のようなものはないのだと、MEMちょは己を断じていた。

 

 「そんなことないよ」と、言葉にするのは簡単だ。しかしそれに何の意味もないことは、ルビーもよく分かっている。場合によっては、それはMEMちょ自身の神経を逆なでする言葉にさえなるのだということも。

 底抜けの夢を語ることが、いついかなる場合でも正しいとは限らない。そういうものを時に鬱陶しく思う人間がいるということも、ルビーは識っている。

 

 ならば、今自分はそんなMEMちょに何を言うのが正しいのだろうか。そう考えたときに、ついこの間のことを思い出していた。

 ファーストワンマンライブの前に、アクアと行ったあの『渋谷デート』のことを。

 自然に、口が開いていた。

 

「それは、実は私もなんだ。いや、私もだった、のかな」

 

 言葉を聞きながら黙って啜っていたラーメンのどんぶりから手を放して、ルビーはMEMちょを見る。

 視線の先、無言でこてんと首を傾げた彼女に向けて、続きを言葉にした。

 

「B小町やってるのはすごく楽しくて、『アイさんみたいなアイドルになりたい』って漠然とずっと思ってたけど、じゃあそれって結局何なんだろうって、あんまり深く考えてなくてさ。だから、実は高千穂から帰ってきたあと、結構悩んでたんだよね」

「……そーなんだ」

「うん」

 

 ぼそりと返してきたMEMちょに、頷く。

 

「モチベーションなくなるって話ではなかったけど。いや、寧ろモチベは過去最高! って感じだったけど。けど、じゃあ実際『何すればいいんだろう』ってのが、ちょっと私の中で浮いちゃってて。でも、お兄ちゃんに言われたんだよ」

 

 あの時のことを思い起こしながら、自然とルビーは瞳を閉じていた。

 

「『お前にとって、アイドルってなんなんだ』って。『それが結局、一番大事なことなんじゃないのか』って」

 

 答えを返してこないMEMちょの方に、顔を向ける。彼女の手は止まっていた。

 正面を向いて、視線を落として、口が小さく動いている。「アイドルって、なに」。そんな声が、聞こえた気がした。

 

「私もさ、ずっとアイドルになることが夢だったから、そのために色々頑張ってきて、お兄ちゃんにもミヤコさんにも協力してもらって。だから、MEMちょと先輩と一緒にアイドルやれるようになったってだけで、もう嬉しくなっちゃってて。でも」

 

 MEMちょの方から顔を背けることなく、言い切る。

 

「『夢を叶えた』って言ってもさ。アイドルになるって、結局スタートなんだよね。そこは全然ゴールじゃない」

 

 そこでルビーは、視線を正面に戻した。もう残り少なくなっているどんぶりの中身を、一気に啜る。

 レンゲに持ち替えた手でスープを二口、三口ほど飲み、コップの水で喉を潤した。

 そうやって、ようやく自らの前にあるラーメンを平らげ切ったあたりで、隣に腰掛けるMEMちょから声が聞こえた。

 

「じゃあさ」

 

 そちらを見る。今度こそ、彼女はその顔を横に向けて、ルビーの方をしっかりと見据えていた。

 

「それって、なんなのかな。アクたんに言われてたって話、ルビーは何か、そういうのの答えって、見つけられてたりするの?」

 

 いつもようなどこか上っ調子で、ある種の演技の入った声色ではない。落ち着いて、真剣で、きっとMEMちょという一人の女性の、人間としての本音が覗いている言葉で、そして声だった。

 固より誤魔化しも茶化しもするつもりなどはなかったが、それでも背筋が伸びた。

 

 結局、この問いはあの日からずっとルビーの心の中を支配し続けている。

 かつての自分が、「天童寺さりな」がアイに見ていた光を思い起こす。

 それこそが今のルビーにとっても、「アイドル」という存在の原風景だというのならば、その後の自分が、今の「星野アイの娘」としての「星野ルビー」が、いつかの幼稚園のおゆうぎ会のダンスをきっかけに持った具体的な夢としての、憧れとしての「アイドル」の像と、果たして重なるものなのだろうか。

 

 違う部分は、きっとある。アイの娘として何不自由することなく、愛しのママ(アイ)に慈しんでもらえた今のルビーは、過去の自分が持っていた『痛み』や『寒さ』から距離を置いて、ともすればそういうものは全部、忘れてしまいたいのかもしれない。

 でも、そうではない。やっぱり、そうは思わない。『天童寺さりな』であった自分が確かにそこにいるからこそ、あの病室の中の倦んだ日々のことを憶えているからこそ、より強くアイドルという名の光を、夢を、今の自分は希って、胸に懐いている。

 そんな自分のことを「最推しだ」と言ってくれた、あの時の彼のことを、せんせ(アクア)のことを、今も変わらず想っているのだから。

 

「すっごく、大きい話だとは思うんだけど」

 

 俯き加減で言ってから、ルビーは改めてMEMちょの顔を見据える。カラーコンタクトが彩ったオパールの輝きを放つ彼女の瞳を覗き込むように、視線に意識して力を込めた。

 

「『ありがとう』って、伝えたい。私がこうやってここにいて、生きてて、夢を持ってて、ずっと楽しくて。私はこんなに恵まれてて、それはすっごく嬉しいけど、でもそれって私一人で独り占めしていいものじゃないって思うから」

 

 かつてアイから貰った小さくも鮮烈で、それでいて暖かな光は、自らを取り巻く全ての人々のかけがえのない思いを焚べて大きく膨れ上がって、いよいよ世界に向けて解き放たれる時を待っている。

 「ママのようなアイドルになりたい」。その夢の延長線上にある「ママを超える」という遠大とも言うべき夢は、だから自分の中でそういう形の意味を持っているのだと、ルビーは最近ようやく気づけた。

 やっと、ルビーはあの時アクアに問われた答えの一端に、辿り着いたような気がしていた。

 

「出来るだけ遠くの場所に、もっとたくさんの人に、私は自分の『ありがとう』って気持ちを伝えたいんだ。独りぼっちだって思ってても、誰にも愛されたことなんてないって諦めてても、痛くても寒くても、暗くても、それでも『私はここにいる』って」

 

 JIFの時、漠然と感じていた夢の、それは具現化でもあった。

 「自分がかつて貰った光を、まだ見ぬ誰かに受け取ってほしい」。そんな抽象的でしかなかったお題目に、やっと血が通ったのだと。

 

「そうやって、私の『ありがとう』を受け取ってくれた人が、また誰かにそれを渡して、それで一人でもいいから、明日一日でも笑って生きれる人が増えてくれればいいって。私一人の力じゃ難しいかもしれないけど、でもそれが、多分答え」

 

 続けていた長口上を、そう締めくくる。吐き出すべきことは、今のルビーが誓うべきことは、きっとそれで全部だった。

 

 

 

 ずっとそれを聞いていた、目の前に座るMEMちょが、そこで忘れていた呼吸を取り戻すように大きく息をした。

 

「それは、また……なんか、おっきい目標だねぇ」

「でしょー」

 

 それまで込めていた思いを引っ込めるようにして「えへへ」と笑いながら、ルビーはMEMちょの呆気にとられたような声に同調する。

 

「でも、やっぱりルビーはすごいねぇ。私なんてそんなことなーんにも考えてなかったよ」

 

 でも、そこでMEMちょは頭を垂れてしまった。口元が、微かに歪んでいた。

 

「B小町――アイさんのB小町が好きで、ただぼんやり『ああいう風になりたい』って思ってさー。まあ、色々頑張って、けどうまくは行かなくて」

 

 ルビーの方から、目が逸らされる、小さく、首が振られた。

 彼女は自らが本当に高校生だった頃のことを、未だにルビーやかなに話したことはない。無論、アクアにもだ。

 ただ、察せられるものはある。MEMちょにはMEMちょの半生があって、そこで彼女は決して口にはしないのであろう苦労を、それでも確かにしてきたのだ。

 

 人の数だけ、その生涯だけ、物語はある。天童寺さりなと、星野ルビーと、それは何も変わらない。

 自らの生まれの不幸を、いや、もはやそれは「不幸」とばかり断じるものではないのかもしれないが、ともかくそればかりを殊更に喧伝してよいものではない。

 

「結局私がここにいるのはさ、まあがむしゃらにやってたからってのはあるのかもしれないけど、でも全部流されてたのかもしれないって、ちょっと思っちゃうんだよねぇ。ま、人間ってそんなもんなのかもしれないけど」

 

 でも、それでも、今のMEMちょのどこか諦め交じりの言葉だけは、看過できなかった。

 

「けど、MEMちょは私と一緒にアイドルしてくれてるじゃん」

 

 彼女の語りの只中に、ルビーは自らの声でもって割り込んだ。

 はたと上げられ、こちらに向けられたMEMちょの顔を目の前に、もう一度ルビーは自らの意思を強く主張しようと口を開く。

 

「『アイドルになりたい理由』なんて、すごいもすごくないもないって思うし。私は、MEMちょが流されてアイドルやってるなんて絶対思わない」

 

 ルビー、と小さく呟くように自らの名を呼んだMEMちょに、だからルビーは更に力を込めて言葉を紡いだ。

 

「だからさ、MEMちょにも絶対あるはずだって思うよ。『アイドルになって、結局自分は何がしたいのか』って」

 

 ――お兄ちゃんの受け売りみたいなこと言って、ほんとごめんだけど。

 そう言って小さく苦笑しながら首を傾げてみせたルビーを見て、やっとMEMちょは小さくとも確かな笑みを浮かべた。

 

「そっか。そう、かもしれないねぇ」

 

 どこか噛みしめるように口にして、軽く彼女は目を瞑る。テーブルの方に向き直って、どんぶりのなかに最後に残ったスープをレンゲで掬って飲んで、二度三度と頷いた。

 

「なら、私も考えてみるよ。そしたら、なんか変わってくれるかもしれないし」

「そうだよ、絶対そうだと思う!」

 

 MEMちょの決心のこもった小さな言葉に、声を弾ませながらもルビーは頷いた。

 

 

 

 話が一区切りつき、互いにラーメンのどんぶりを空にしたことで、ルビーとMEMちょの『お夜食会』は、そこで自然とお開きになった。

 ラーメン屋の前で別れ、一人帰路につく。街の灯りが鮮やかに染め上げる東京の夜の只中を歩きながら、改めてルビーは思った。

 

 自分の中にかつて漠然と懐いていた夢の形を、今この場で、MEMちょというかけがえのない仲間に対して、ようやく言語化することができた。

 星野ルビーの、天童寺さりなの原点と、その延長線上に存在している自分の夢。その二点の間を結んだ直線は、『私』の正中を貫いて、そしてずっとブレていない。

 かつての夢は、今も続いている。ならば、『私』は『私』だ。

 アイ()のことも、アクア()のことも、『推し』で、大好きで、大切に思っている、そんな『私』だ。そんな『私』で、いいのだ。

 

 つまり今、ルビーは答えを得るに至った。アクアにそれを問われてから一か月というこの時間は、果たして早かったのか遅かったのか、悩ましいところではあるけれど。

 

 立ち止まり、空を見上げる。東京の夜の空は、街を照らす煌々とした光に阻まれて、そこに散らされているはずの星の光を映さない。

 しかし、ルビーは覚えている。ここよりはるか遠くの地、高千穂の夜の中にて、病院から見上げた空に煩いほどに煌めいていた星々の輝きを。そこに見えた、(せんせ)と一緒に見た、一等星も。

 

 その褪せぬ記憶と共に、再びルビーは前を向いた。

 心に、未来を描く。ルビーの大切な全ての人たちが誰一人欠けることのない、「なんでもない明日」を。「すてきな明日」を。

 それを覚悟に変えて、ルビーは強くその場で一歩を踏み出した。

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